9条加憲案の本質

 朝日新聞社が先の昨年の総選挙時に実施した世論調査では、「現在の憲法9条1項、2項はそのまま残しながら、自衛隊の意義と役割を憲法に書き込む」という憲法改正案について賛否を聞いたところ「賛成・どちらかと言えば賛成」が40%、「反対・どちらかと言えば反対」が27%、「どちらとも言えない」が33%でした(昨年12月19日付「朝日新聞」朝刊)。

 一方、日本世論調査会が昨年12月9、10両日に実施した世論調査では、戦争放棄や戦力不保持を定める憲法9条改正について「必要はない」が53%、「必要がある」は41%でした(本年1月3日付東京新聞朝刊)。

 この二つの世論調査の結果を見比べると、多くの国民は、従来型の9条改正案(2項削除・国防軍創設)に反対しつつも、1項、2項をそのままにして自衛隊の存在を憲法に明記追加条項を加えるといういわゆる9条加憲案にはとまどいを覚えていると言えるようです。現在あるがままの自衛隊を憲法に書き込むだけだと言う安倍首相・自民党のプロパガンダがある程度奏功しているのかもしれません。

 そこで、9条加憲案は、以下に、従来型の9条改正案と本質的には同じであることを論じてみました。


「9条加憲」は自衛隊を普通の軍隊とする一里塚
  ― 国民は托卵を拒否する ―


1 はじめに

 昨年の憲法記念日(5月3日)に、右翼系の「美しい日本の憲法をつくる国民の会」主催・「第19回公開憲法フォーラム」へ寄せたビデオ・メッセージで、安倍首相は、次のように述べた。

 今日、災害救助を含め命懸けで、24時間365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が今なお存在しています。「自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ」というのは、あまりにも無責任です。

  私は、少なくとも私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置付け、「自衛隊が違憲かもしれない」などの議論が生まれる余地をなくすべきであると考えます。

  もちろん、9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければなりません。そこで「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」という考え方、これは国民的な議論に値するのだろうと思います。


 この安倍提案(以下「9条加憲」案と呼ぶこととする。)を受けて、自民党憲法改正推進本部が、9条2項を削除して国防軍規定を創設するなどとしていた「自民党憲法改正草案」(2012年4月)からの逸脱だとする石破茂衆議院議員らの異論を押さえ込み、現行の9条をそのまま存置し、9条の2を創設して以下の如く定めるとの案をたたき台とすることを確認したのは昨年6月21日のことであった(6月22日「共同通信」配信記事)。

9条の2 前条の規定は、我が国を防衛するための必要最小限の実力組織として自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない。
 2 内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有し、自衛隊は、その行動について国会の承認その他の民主的統制に服する。


 そこで、現時点では、「9条加憲」案とは、ほぼこのようなものと理解しておいて差しつかえないであろう。

さて安倍首相は、先の総選挙後に開かれた特別国会の衆議院本会議において各党の代表質問に答えて、前述のビデオ・メッセージと同趣旨のことを繰り返し、「9条加憲」案への並々ならぬ執念を示している(昨年11月21日)。総選挙において改憲派が三分の二を超える議席を確保したことで、一層、鼻息を荒くしているようだ。

 自民党は、たとえ小選挙区制のマジックと小池百合子及び「希望の党」の側面援助による薄氷の上の勝利とはいえ、衆議院においてほぼ従前の議席を維持できたことで、「9条加憲」への動きを、加速させている。

 しかし、改憲派と言われる議員の中にも硬軟さまざまであろうし、彼らの中にも国民世論の動向を見て、態度を決する者もいるであろう。また仮に国会が「9条加憲」案を発議しても、国民投票で過半数を確保できなければ元も子もない。要は国民世論の動向次第なのである。

 さて、言うまでもなく国民の圧倒的多数は平和を望んでおり、戦争反対である。各種世論調査の結果によると自衛隊を合憲とする国民は多数であるが、その自衛隊が海外で戦争する普通の軍隊となることを国民は決して望んでいるわけではない。「9条加憲」案は、国民の願望と真っ向から対立するものであることを論証すれば、その圧倒的多数は、反対の声をあげることになるであろうことは明らかだと言ってよい。

注1 朝日新聞社と東京大学・谷口将紀研究室が先の総選挙に際して実施した共同調査(投票日前日に調査票を郵送し、投票後に回答・返送してもらう方法による)で、「現在の憲法9条1項、2項はそのまま残しながら、自衛隊の意義と役割を憲法に書き込む」という憲法改正案について賛否を聞いたところ「賛成・どちらかと言えば賛成」が40%、「反対・どちらかと言えば反対」が27%、「どちらとも言えない」が33%であったと報じられた(昨年12月19日付「朝日新聞」朝刊)。
  「どちらとも言えない」と答えた人たちは勿論、「賛成・どちらかと言えば賛成」と答えた人たちも、以下に述べる「9条加憲」案の本質を理解したならば、その多くは「反対・どちらかと言えば反対」に転じるであろう。


 注2 自民党憲法改正推進本部は昨年12月20日、全体会合で「9条加憲」案と9条2 項を削除し、国防軍創設自衛隊の目的・性格・役割を明記する案(2012年4月の「自民党憲法改正草案」にいう国防軍創設規定案)とを両論併記した「憲法改正に関する論点とりまとめ」を確認し、これを公表した。
 「朝日新聞」(12月21日朝刊)の記事によると全体会合では「9条加憲」案を支持する意見が支配的であったとのことである。それにもかかわらず、敢えて両論併記としたのは、過激な9条2項削除案と対比させることにより、「9条加憲」案への支持を広げようという深謀遠慮によるものと考えられる。本稿では、このような狡猾な猫だまし戦術に惑わされないように「9条加憲」案の本質をあぶり出して行きたいと思う。

  
2 「9条加憲」によってどのような事態がもたらされるか

 安倍首相は、前述の特別国会衆議院本会議の各党代表質問に対する答弁の中で、次のようにも述べている。

 自衛隊の存在が憲法に明記されることによって任務や権限に変更が生じることはない。

 果たしてそうであろうか。少し理屈っぽい話になるが、戦争と武力による威嚇及び武力の行使の放棄、戦力不保持、交戦権否認を定める9条1項、2項の下で、政府は、どのような論理で自衛隊を認めてきたかを確認しておこう。

 それは、これこれこういう厳密な限定がなされたものであるから、9条1項、2項の下でも認められるとする「厳密な限定」の論理であった。言うならば自衛隊は、9条1項、2項という憲法の明文規定にも反しない例外的な存在である。その例外たるの由縁は、「厳密な限定」論理によって担保されるというところにあるとされてきたのである。

 具体的に言うと「厳密な限定」の論理は次の二本柱から成り立っていた。この二本柱のいずれか一方が緩められてしまえば自衛隊は9条1項、2項に違反する違憲の存在となってしまうことになるのである。

一本目の柱・・・「自衛権行使三要件」論

 1954年4月、政府は、9条の1項によっても自衛権は認められるが、それは、以下の厳格なる要件に適合するものでなければならないとの見解を示した(同年4月6日衆院内閣委員会佐藤達夫法制局長官答弁)。

① 我が国に対する急迫不正の侵害があること
② この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

 もっとも「急迫不正の侵害」は、次にあげる鳩山内閣統一見解において「武力攻撃」に言い換えられ、その後、その言い方が定着して現在に至っている。

二本目の柱・・・「自衛のために必要最小限度の実力」論

 1954年12月、政府は、自衛隊創設の合憲性に関して次の見解を示した(鳩山内閣統一見解)。

 「憲法9条は独立国として我が国が自衛権を持つことを認めている。従って自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のための必要相当な実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない。」
 
 もっとも、後に「必要相当」ということばは「必要最小限度」と言い換えられている(たとえば1972年11月13日参議院予算委員会における吉國一朗内閣法制局長官は、「戦力とは広く考えますと、文字どおり、戦う力と言うことでございます。そのようなことばの意味だけから申せば、一切の実力組織が戦力にあたるといってよいでございましょうが、憲法第9条2項が保持を禁じている戦力は、自衛のための必要最小限度を超えるものでございます。それ以下の実力の保持は、同条項によって禁じられてはいないということでございまして、この見解は、年来政府のとっているところでございます。」と答弁している。)。

 一本目の柱の①は、自衛権が行使されるのは、我が国に対する武力攻撃まさに急迫もしくは現在している場合でなければならないことを明示しており、他国や他国部隊への攻撃に関しては認められない(いわゆる集団的自衛権を否定)し、たとえ海外の日本国民が危険にさらされている場合であっても認められない(厳密な意味での専守防衛であり、海外派兵、海外での武力行使はできない。)ことを意味している。
 同じく②は、たとえば外交交渉、第三国の仲介、国際機関への提訴など相手国からの攻撃回避のためのありとあらゆる手段を尽くしても攻撃を避けられず、実力をもって反撃する以外に方法がないという場合にはじめて自衛権の発動が認められることを示している。
 同じく③は、自衛権の行使は、過剰反撃であってはならないこと、端的にいえば侵入部隊を領土、領海、領空から撃退することがその限度である(自衛権行使の質的、量的、領域的限定。厳密な意味での専守防衛。)ということを示している。

 二本目の柱は、自衛隊は、このような限定的な自衛権を行使するための必要最小限度の実力組織であることを示しているのであり、そのことにより当然、その目的、装備、編制、活動内容が限定される。

 このような「厳密な限定」の論理による枠内におさまる限りにおいて、自衛隊は、本来的には憲法違反の存在ではあるが、その厳密な限定性のゆえに、違憲性が阻却されるものとして多くの国民の承認を獲得することができたのである。

 ところで、上記の一本目の柱は、2014年7月1日の閣議決定によって、以下の「新三要件」に変更され、それは2015年9月19日、強行可決された戦争法(「事態対処法」)に「武力攻撃事態」及び「存立危機事態」として書き込まれている。

「新三要件」

① 我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合であること
② これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
③ 必要最小限度の実力を行使すること

 この閣議決定と戦争法(「事態対処法」)は、国会で永年にわたり繰り返し言明され、立法や行政のプラクティスにおいて遵守され、また国民通念としても定着をしてきた上述の二本柱からなる「厳密な限定」の論理を緩め、自衛権の定義をあいまにし、自衛隊の限界を拡大してしまうもので、9条1項、2項に違反し、違憲・無効というほかはなく、速やかに廃止されなければならない。

 さて「9条加憲」によって、この状況はどう変化するか。お察しのように、自衛隊は「我が国を防衛するための必要最小限の実力組織」(あるいは一部に取り沙汰されているように「自衛のための必要最小限の実力組織」と言い換えても同じである。)として憲法上所与のものとなり、自衛隊の目的、装備、編制、活動内容を、上述の二本柱からなる「厳密な限定」の論理から解き放ち、普通の軍隊となることを防止するための担保は取り去られてしまうことになるのである。

 これがいかにおそるべきことか、戦前の帝国軍隊のたどった道を思い起こせば明らかである。

3 戦前の帝国軍隊の教訓

 帝国軍隊は「我が国の防衛」の目的で創設された

 戊辰戦争を戦った官軍は、薩・長・土・肥を中心とした雄藩の藩兵からなる寄せ集めの軍隊であったため、戦役の終結とともに、続々と帰藩してしまい、中央政府には、旧幕府から接収した富士山丸、朝陽丸など4隻の軍艦からなる海軍などわずかの兵力のほか、見るべき兵力は存在しなくなった。

 この状態を一新したのは、いわゆる親兵の設置であった。1871年4月11日、鹿児島藩歩兵4大隊、砲兵4隊、山口藩歩兵3大隊、高知藩歩兵2大隊、騎兵2小隊、砲兵2隊の合計1万を親兵として、兵部省管轄下に置くことが発令され(山形有朋編『陸軍省沿革史』に、「初メテ兵ヲ朝廷ニ備フルヲ得ルに至レリ」とある。)、公称1万からなる親兵の集結が完了したのは同年7月下旬のことである。これが帝国軍隊(陸軍・海軍)のはじまりと言ってよい。

 同年12月、兵部大輔(注:卿が長官で、大輔は次官であるが、このとき卿は空席であったので事実上の長官であった。)山形、兵部少輔川村純義・兵部少輔西郷従道らの手になる『軍備意見書』は、次のようの指摘している。

 所謂親兵ハ、其実聖体ヲ保護シ禁闕ヲ守衛スルニ過キス。四管鎮台ノ兵、総テ二十余大隊。是内国ヲ鎮圧スルノ具ニシテ、外ニ備フル所以ニ非ス。海軍ノ如キハ数隻ノ戦艦モ未タ全ク完備ニ至ラス。是レ亦果シテ外ニ備フルニ足ランヤ。

 要するに国内の動乱を鎮圧できるだけで、「我が国の防衛」には不足であると言うのである。同意見書は続ける。

 皇国沿海ノ防禦ヲ定ム。則チ戦艦ヲ造ル也。海岸砲台ヲ築ク也。・・・・

 つまり「我が国の防衛」のための兵備として、砲台の構築と軍艦の建造と海軍の拡張を要求しているのである。

 1872年2月、兵部省が解体されて、陸軍省と海軍省となり、同年12月には「全国徴兵の詔」が発せられて国民皆兵制度に進む。翌1873年1月4日発布の徴兵令には、次のように書かれていた。

 ・・・以上六鎮(注:全国六箇所に設置される鎮台)ヲモッテ全国兵備ヲ管シ、所属ノ府県ヨリ毎歳ノ定員ヲ徴募シ、以テ管内ノ守衛ニ充ツ。

 ここでも帝国軍隊の目的は「我が国の防衛」にあるとされている。

                       
 とめどもない「我が国の防衛」の拡大解釈

 帝国軍隊は、創設間もなく外征の具として用いられることとなる。

 帝国軍隊は、創設間もない時期から、対外的に武力による威嚇もしくは武力の行使を常習とするようになった。ざっと初期の事例を列記すると以下の如くである。

① 朝鮮に対する砲艦外交

 1872年9月、釜山の草梁倭館(対馬藩の朝鮮との通商窓口として置かれていた。)を外務省の直轄下に置き、大日本公館とした上で、軍艦春日と汽船有功丸に乗船させた歩兵二小隊を派遣し、強談判と侵攻の下準備としての調査・測量を行わせた。

 1873年10月、いわゆる「明治6年の政変」により、征韓派とされた西郷隆盛らが下野したが、政府は、朝鮮への干渉の機会をうかがい続けた。
 1875年5月以来、釜山に派遣された軍艦雲揚(うんよう)、軍艦第二丁卯(ていぼう)は、港内で砲撃演習を行うなど、さかんにデモンストレーションをしていたが、同年9月20日、21日、突如、王都漢城(ソウル)西方、漢江(ハンガン)河口に広がる江華島(カンファンド)において、砲台を攻撃するに至った。雲揚艦長・井上良馨の同月29日付報告書によると、次の如くであった。世にこれを江華島事件と呼んでいる。

 長崎から清国牛荘までの航路研究の命を受けた。20日、江華島塩河河口付近でボートを降ろして、測量、調査及び朝鮮官吏に対する尋問のため、自らこれに乗り込み、塩河を遡ったところ、同島に設置された砲台や営門から大小砲の攻撃を受けた。小銃で反撃しつつ、帰艦。人的損害なし。翌21日、雲揚にて塩河を遡り、攻撃を加える。第三砲台を砲撃して破壊、昼食後、第二砲台に陸戦隊を揚陸させ焼き払う。翌々22日、永宗島砲撃。陸戦隊を上陸させ、朝鮮側の35名余りを殺し、16名を捕虜とした。陸戦隊の負傷者は2名、うち1名は帰艦後死亡。捕虜は、捕獲した大砲36門、小銃等を運ばせた後解放。同夜は翌日午前2時に至るまで祝宴。さらに翌々々23日、運びきれなかった捕獲品を積み込み、帰還の途に。

 上記の井上報告書は秘匿され、政府は、朝鮮側の無法な武力攻撃がなされたものとさかさまに描き上げた報告書に書き改めさせて公表し、1876年2月、参議兼開拓使長官黒田清隆を特命全権弁理大臣として、6隻の軍艦(乗り組んだ兵員は総計およそ4000名)を率いて、朝鮮問責の談判に向かわせ、陸軍卿山形は談判の成り行きによっては、大軍を率いて、進発する準備をして、下関で待機した。こうして朝鮮を自主の邦として清国から切り離し、関税はゼロ、日本通貨の流通、開港場から4キロメートルの内地通行権、朝鮮沿岸の測量権、治外法権などを内容とする一方的な不平等条約、日朝修好条規を強引に調印させた。

② 征台の役

 1871年11月、琉球の宮古島から本島に年貢を運んで帰路についていた船が遭難し、台湾南部の東海岸・パーヤオワンに漂着、乗組員66名中、54名が原住民に殺害され、残り12名が清国の地方行政機関に保護されるという事件が発生した。
この件をめぐって、政府内においては、台湾征伐論が、よどみに浮かぶうたかたの如く浮かんだり消えたりしていたが、政府は、1874年2月、「台湾蕃地処分要略」を策定、同年5月、兵約2200名、支援要員約800名、総計3000名からなる軍隊が、台湾社寮(しゃりょう)港に集結し、攻撃を開始し、いたるところで村落を焼き払い、6月には原住民の居住地区を制圧した。
 このとき台湾原住民の犠牲者の数を示す資料はないが、5月23日の石門掃討作戦において「我凱旋兵は十二の首級を得、その頭髪を青竹に縛り付け意気揚々之を担いで還った」と、日本軍による首狩りの蛮行の様子を派遣軍医が記録しているところから、推し量るほかはない。一方、日本軍の方は、戦死者は十二名、マラリアによる病死者五百数十名であった。

③ 琉球処分

 既に1872年9月、琉球王国を改めて琉球藩とし、国王尚泰(しょうたい)を「藩王」とし華族(侯爵)に列せしめる措置がとられていたが、1875年7月、政府は、内務大丞(内務省の局長クラスの上席にあたるのだろう。1878年職制改正により大書記官。)松田道之を琉球処分官に任命して、琉球に派遣し、清国との冊封と朝貢関係の廃止、明治年号の使用などを厳命させたが、琉球藩王は抵抗し、これに応じようとはしなかった。
 1879年1月、松田は、再度、琉球を訪れ、同様の命令を伝達したが、琉球藩王はこれにも応じなかった。
 3月、松田は、みたび琉球を訪れる。今度は、丸腰ではなく、約160名の警察官と熊本鎮台の兵約400名を率いて。
 4月、松田は、この力で威圧し、琉球藩を廃止、沖縄県設置、さらに5月、尚泰を上京させた。

 さて明治も中期以後になると帝国軍隊は、その兵備、規模を著しく飛躍させ、海外での武力による威嚇、武力の行使、はては戦争へと狂奔することとなるが、本小論でその顛末を述べることは割愛することとする。ただ、ここで確認しておきたいことは、これらは決して、侵略、征服、侵攻を標榜して行われたわけではないということである。その例証をあげておこう。
 
 その一。明治憲法施行日の1890年11月29日、この日にあわせて第1回帝国議会が開会されたのであるが、このとき陸軍のドン山形は、内閣総理大臣に任ぜられており、施政方針演説で、以下のように演説した。

  思うに国家独立自営の道は、一に主権線を守御し、二に利益線を防護するにあります。何をか主権線という、国境これです。何をか利益線という、わが主権線の安全とかたく関係しあう区域これであります。今日列国の間に立って、国家の独立を維持しようと欲するなら、ただ主権線を守るのみでは足れりとせず、必ずや利益線を防護しなくてはなりません。それゆえに陸海軍に巨大の金額をさかなくてはなりません。

  「我が国の防衛」のためには、主権の及ぶ範囲即ち国境の外に、バッファゾーンとして利益線を画定し、その防護のため軍備を増強しなければならないと山形は言明しているのである。この利益線は、朝鮮に、台湾に、満州に、更に中国、アジア全体に広げられ、同時に、国境も広げられて行ったのが戦前、我が日本が演じたことであった。

 その二。1928年4月、アメリカから提案された不戦条約案に関し、当時の田中儀一内閣は、次のように回答している。

 手近カノ問題トシテ内乱闘争ノ絶エサル支那ノ如キ隣国ヲ持ツ日本トシテハ固ヨリ戦争ハ其欲スル所ニアラサルモ自衛ノ必要上適当ノ手段ヲ取ルベキコトハ常ニ予見シ置カザルベヵラサル所

 つまり中国への派兵、武力行使は、「我が国の防衛」目的であると言っているのである。さらにこれに付加して、中国での既得権益や居留民保護のみならず、満州をロシアとの間の安全地帯とするために、その秩序保持の要があることをも含めている。

 そもそも日本国憲法制定時に、時の首相、吉田茂が以下のように述べていたことを思い起こして頂きたい。まことに簡にして要を得た帝国軍隊の歴史の総括である。

  戰爭抛棄に關する本案の規定は、直接には自衞權を否定はして居りませぬが、第九條第二項に於て一切の軍備と國の交戰權を認めない結果、自衞權の發動としての戰爭も、又交戰權も抛棄したものであります、從來近年の戰爭は多く自衞權の名に於て戰はれたのであります、滿洲事變然り、大東亜戰爭亦然りであります(1946年6月26日衆議院本会議事録)
  
  戰爭抛棄に關する憲法草案の條項に於きまして、國家正當防衞權に依る戰爭は正當なりとせらるるやうであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思ふのであります(拍手)近年の戰爭は多くは國家防衞權の名に於て行はれたることは顯著なる事實であります、故に正當防衞權を認むることが偶偶戰爭を誘發する所以であると思ふのであります(同6月28日議事録)

4 「9条加憲」は立憲主義に背馳する

 戦前、東の美濃部達吉博士、西の佐々木惣一博士といえば、憲法学の権威として、相並び立つ存在であった。両博士は、絶対主義的天皇制を定めた明治憲法を立憲主義的に解釈したことでも知られている。

 美濃部博士は天皇機関説を唱えたが、これは天皇大権を制限し、国民、とくにその代表者の合議制機関としての議会を政治の中心におく考え方であった。
 佐々木博士は、「違憲とは憲法に違反することをいうに過ぎないが、非立憲とは立憲主義の精神に違反することをいう。違憲はもとより非立憲であるが、違憲でなくとも非立憲という場合があり得るのである。しかればいやしくも政治家たる者は違憲と非立憲との区別を心得て、その行動の、ただに違憲たらざるのみならず、非立憲ならざるようにせねばならぬ」と述べ(『立憲非立憲』講談社学術文庫)、立憲主義の重要性を強調した。

 フランス革命下で採択されたフランス人権宣言(人及び市民の権利宣言)は、第16条で、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない。」と謳い、基本的人権の保障、三権分立の確立によって国家権力を縛ることを高らかに宣言した。これが本来の立憲主義である。

 両博士は、明治憲法を、できるだけこれに近づけようと努力をしたのであった。

 戦後、わが国は、国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義、三権分立を定める日本国憲法によって、立憲主義を闡明した。ここに立憲主義は国政の土台となった。

 言うまでもないことだが憲法は国の最高法規であるから、これを改正することは、法的には最高度の国家権力の行使だということになる。この法的に最高度の国家権力は、国民主権の日本国憲法では、国民に帰属する。それは、全国民を代表する国会に発議権を与え、国民投票による承認を成立要件とすることにより最終的には国民が直接関与するという形で、具体化されている(96条)。

 ところで国家権力を縛るのが立憲主義だと述べたが、立憲主義の下では、国民に帰属する憲法改正権こそ、最も厳しく縛られなければならないというパラドキシカルな規制の下におかれることになる。
 日本国憲法では、その縛りは、手続き面と実体面の両面からかけられる。手続き面では、96条によって、衆参各議院の総議員の三分の二以上の賛成による発議と国民投票における過半数の賛成による承認が要件とされている。一方、実体面では、第一に、日本国憲法の核である国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義、三権分立を変更してはならないということ、第二に、憲法を改正しなければならないやむを得ない事由が存在し、かつ改正することに合理性、相当性があるとの事実が実証されなければならないということである。

 この実体面の第二の縛りで言うところの、憲法改正をしなければならないやむを得ない事由が存在し、かつ改正することに合理性、相当性が認められるとの事実は、通常、憲法改正に関わる立法事実と言われている。たとえば国民のいのちと暮らし、権利と自由を守るのに必要不可欠な施策を実現するのに憲法のある規定が障害となり、これを改正することなくしてはその施策を実現することができないという事実が認められ、かつ当該規定の合理的解釈によってもその政策実現の障害を取り払うことはできないということが言える場合には、当該規定を改正すべき立法事実は存在するものと認められ、この縛りはクリアされることになる。

 残念なことだが、このことは往々にして忘れ去られている。勿論、安倍首相の眼中には全くないことだと言ってよい。「多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が今なお存在しています。『自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』というのは、あまりにも無責任です。」などという彼の主張は、極めて非論理的かつ情緒的なものであり、とにかく憲法を変えたい、9条を変えたいとの政治信条や情念を覆い隠す無花果の葉に過ぎない。
 ある政治家、ある特定政治集団の憲法9条を変えたいとの政治信条や情念などは、憲法改正の立法事実にはなり得ない。安倍首相と自民党の「9条加憲」論には立法事実は認められず、立憲主義に背馳するものであると言わねばならない。

5 まとめ

 ホトトギスは古来不吉な鳥と言われている。
 そのホトトギスは、ウグイスの巣に卵をうみつけ、それとは知らないウグイスに自分の卵と一緒に温めさせ、孵化させる。これを托卵と言うそうである。
 さて「9条加憲」は、以上述べたように現在の9条の戦争放棄・戦力不保持・非軍事の恒久平和主義の根幹を揺るがすものにほかならず、ホトトギスがウグイスの巣に産みつける卵と言ってよい。

 「9条加憲」案は、評論家・右翼系シンクタンク「日本政策研究センター」代表・「日本会議」常任理事(政策委員)・伊藤哲夫が同センターの情報誌『明日への選択』2016年年9月号に載せた小文で、憲法9条1項、2項をそのままにして、3項として「但し前項の規定は確立された国際法に基づく自衛のための実力の保持を否定するものではない」とする条文案を示し、9条「改正」の第一歩とするなどと述べているところに出自を有するものと言われている。その伊藤が、当面は「耐震補強」的改憲にとどめるべく、現実的な改正プラン」を出し、「腰を据えて更に大々的リフォーム、新築をめざす」と種明かしをしているのである(伊藤哲夫・岡田邦宏・小坂実『護憲派よ、それでも憲法改正に反対か?』日本政策センター)。ここに「9条加憲」案の本質がある。

 「9条加憲」は、自衛隊を「厳密な限定」の論理から解き放つものであるとともに、「大々的リフォーム」もしくは「新築」により、本格的な軍事条項をもつ憲法を策定するための「始めの一歩」に過ぎないのだ。

 国民は、托卵を天命として受け入れるしかないウグイスには断じてならないだろう。

                            (了)

      (深草 徹・深草憲法問題研究室・弁護士)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。2018年1月、弁護士登録抹消の請求が承認され、41年間の弁護士生活にピリオドを打ちました。しかし、これからも社会正義の話を、青臭く、続けようと思います。

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