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ダレスの説教

 ジョン・フォスター・ダレス。年配の人には、おなじみ名前ですね。戦後民主主義の逆コースと言われた時代、わが国の再軍備、対米従属に決定的な役割を果たしました。とりわけ1950年から1951年にかけてのサンフランシスコ講和条約と旧安保条約締結交渉においては、「米国の望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間駐留させる」ことによりわが国の独立後も事実上の占領体制を継続ようという米国の意志を、みごとにと言おうか、強引にと言おうか、ともかく貫徹しました。1953年から1959年までアイゼンハワー大統領の下で国務長官を務めたのは、その手腕と功績を買われてのことでしょう。

 1954年、吉田茂のあとを襲って鳩山一郎が総理大臣に就任しました。鳩山政権のセールスポイントは、外交面において吉田政権の極端な対米従属路線を少し修正することでした。その一つが、事実上の米軍占領を認める条約に過ぎなかった旧日米安保条約を、相互防衛条約(集団的自衛権の行使を相互に義務づける条約)に改めることでした。

1955年8月、訪米した鳩山内閣の外務大臣重光葵が、この目的を携えて訪米し、旧日米安保条約を相互防衛条約に改めたいと、ストレートにダレスに訴えました。

そのとき二人の間に次のようなやりとりがなされました。

ダレス 「現憲法下において相互防衛条約が可能であるか。(中略)日本は米国を守ることができるか。たとえばグァムが攻撃された場合はどうか。」

重光 「そのような場合は協議すればよい。」

ダレス 「憲法がこれを許さなければ意味がないと思うが如何。」

重光 「自衛である限り協議できるとの我々の解釈である。」

ダレス 「それは全く新しい話である。日本が協議によって海外出兵出来るという事は知らなかった。」

 ダレス国務長官は、日本国憲法9条の下では「集団的自衛権」は認められないと重光外相に説教しているのです。鳩山政権は旧安保条約を相互防衛条約化するとの旗を降ろさざるをえませんでした。

 さて、今日の安倍政権、憲法も安保条約(旧安保条約は60年安保となりましたその本質は変わりありません。)もそのままに、集団的自衛権に踏み込んでしまったのですが、今は、ダレスも説教してくれませんので、我々国民が説諭して改めさせるほかはありません。
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幸福追求権

日本国憲法13条は次のように定めています。

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

この第二文のいう国民の権利は、一般に幸福追求権と呼ばれています。

ご存知のように、2014年7月1日の閣議決定と去年3月29日施行の安保法制(改正武力攻撃事態法及び改正自衛隊法)は集団的自衛権に基づく武力行使を可能としましたが、その拠り所として、この幸福追求権が援用されています。

今、売り出し中の若手憲法学者の某氏も自衛権に基づく武力行使をこの幸福追求権により根拠付けようとしています。もっとも彼の場合には、武力行使の要件を限定しようとする意図に基づくものですが。

でも私は自衛権に基づく武力行使の問題に幸福追求権を持ちこむことに違和感を覚えます。自衛権とは、戦争違法化の大きな現代法思想の流れに逆らう守旧派の法思想に過ぎないのではないかと思えますし、仮にそこまで言わなくとも自衛権に基づく武力行使といえども所詮は人を殺傷する行為に過ぎません。そんなものが人類の自由獲得の努力の成果たる幸福追求権なる普遍的権利とは、決して調和できるものではないように思うのです。そのような普遍的権利に基づいて自衛権に基づく武力行使を正当化することは、その肥大化を招き、独り歩きをすることでしょう。かつての日本帝国の国防概念のように。

なお、私は、自衛権は個別国家を認める以上は存在すると考えますし、日本国憲法9条もそれを否定してはいないと考えますが、自衛権に基づく武力行使となると必ずしもそうとは言えません。自衛権の在り方は武力によらない方法もあり得ます。日本国憲法9条はそのことを指し示しているのではないでしょうか。

自衛権は、歴史的特殊性を帯びた概念であることは、以下の論文でも論じていますので、ご覧下さい。
 http://ja1cty.servehttp.com/FUKAKUSA/kinnkyuu-jitaiAND9jo-rikken.pdf

憲法九条は幣原喜重郎元首相の発案によるもの

 雑誌『世界』5月号に、教育学の重鎮堀尾輝久東大名誉教授の『憲法九条と幣原喜重郎』という論文が掲載されています。

 戦争放棄・戦力不保持を謳う憲法九条は、1946年1月24日、当時の首相、幣原喜重郎とマッカーサーとの会見の場で、幣原が提案したものだという説が有力であることはご存じだと思います。これまでにもマッカーサー回想録をはじめ、当事者や関係者の話や証言等がその論拠として引証されています。

 堀尾さんは、この問題ずっと追究されていたのですね。上記論文で、1957年、内閣に設置された憲法調査会の高柳信三会長が、九条制定経緯を解明する目的で、マッカーサーに出した質問とそれに対する回答を綴った往復書簡の原本を発見し、あらためて九条幣原起源説を論証しています。老いてますます盛ん、堀尾さんの九条にかける熱い思いに感銘を受けました。

 公平を期するために、これに対する疑問説も紹介しておきます。

 たとえば古関彰一『平和憲法の深層』(ちくま新書・2015年5月刊)は憲法九条幣原起源説に以下の理由をあげて疑問を呈しています。

 ①幣原の肝煎りで内閣に設置された憲法問題調査会が1945年12月8日に発表した「松本四原則」では九条につながるものは微塵もなかった。
 ②上記憲法問題調査会の憲法改正案にもなかった。
 ③GHQ草案を受けた後の最初の閣議で、幣原はじめその他の閣僚が「我々はこれを受諾できない」と述べたこと。この閣議後マッカーサーを訪ね、GHQの真意を確認(天皇の戦争責任追及をめぐる情勢、天皇を守るにはこれしかない)、はじめて閣議を受諾する方向に転じさせたこと。
 ④「幣原さんは閣議では一度もああした信念や憲法の条項にしたいとなどという発言をしていませんでした。」との金森徳次郎談
 ⑤幣原の生の直接証言がないこと。

 もっとも私は、当時の風潮、内閣の構成、憲法上は未だ天皇は統治権の総攬者であったことなどを考えると、以上は幣原の深謀遠慮の苦労のあとを物語るものとはいえ、疑問を呈する論拠としては空振りではないかと思います。

 私は当ブログで、以前、この件を天皇制存続との絡みで取り上げたことがあります。幣原喜重郎という人物紹介もザッとしていますので興味のある方は覗いてみてください。

http://tofuka01.blog.fc2.com/blog-entry-59.html

 1946年1月24日の会談で、幣原がマッカーサーに申し入れた要点は、①憲法に戦争放棄・戦力不保持を明記すること、②実権を持たない象徴としての天皇を残すことでした。マッカーサーにとっては①については青天の霹靂でしたが、②はかねて占領政策遂行のためには民主主義と天皇制の存続が不可欠との考えと完全に一致する考えでした。
 マッカーサーは、中国、オーストラリア、オランダ、ソ連が天皇制廃止、天皇の戦争責任追及の態度を示しており、極東委員会が動き出すとやっかいなことになると焦っていました。そこに①の申し入れ。マッカーサーにとって、青天の霹靂は、すぐさま大いなる希望の星として光を発したのです。強硬派諸国は、天皇制を残すことにより日本が再び武力をもって戦う日が再来することを恐れているのだから、①を憲法に規定すれば、難局を乗り切ることができると。

 マッカーサーは、感動し、幣原の手を握り締めたとのことですが、さぞかし幣原の手は、赤く腫れあがっていたことでしょう。

 九条の発意は昭和天皇にあるとして、1946年1月1日の人間宣言をあげる人もいますが、この人間宣言こそ、幣原が前年のクリスマス・イブに夜なべをし、精魂を傾けて書いた一世一代の名文。それを言うならむしろ幣原に帰することになるでしょう。

 なお、幣原は老骨鞭打ってのこの夜なべ作業により肺炎を発症し、GHQに供与されたペニシリンで一命を取りとめた由、そのペニシリンのお礼の名目で、1月24日の幣原・マッカーサー会談が実現したのですから、これも歴史の巧緻というべきでしょうか。(了)

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(最終)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その13)

自民党改憲草案の緊急事態条項批判

 2012年4月27日、自民党は、日本国憲法改憲草案を公表し、その後部分的修正をしつつ、現在もこれを改憲案として維持している。そこには以下の緊急事態条項が置かれている。

第98条(緊急事態の宣言) 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。

第99条(緊急事態の宣言の効果) 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。


 これについての批判は、ここまでお読みいただいた読者には、簡単なことだろう。敢えて指摘するならば、以下のとおりである。

 第一に悪用もしくは濫用のおそれが大きいこと。緊急事態の認定・宣言は内閣総理大臣に委ねられており、国会は事後審査をするに過ぎず、しかもその時期の明示もなければ、不承認の場合の法的効果の定めもない。

 第二に、緊急事態宣言の継続期間が不当に長期化するおそれがあること。まず最長100日はそもそも長い。それに国会の承認を得さえすれば何回でも更新できてしまう。

 第三に、内閣独裁を招くこと。内閣単独で発令できる緊急政令の対象事項に限定がなく、これにより法律を改廃することも可能である。このような強力な立法権を内閣に持たせることは、ナチスの全権委任法にも匹敵する。

 第四に、過度の人権侵害が行われ得ること。99条第3項では、制限を受ける人権に限定はなく、最大限の尊重などというが、「公益及び公の秩序」による人権制限を認める自民党改憲草案(第12条、13条)の規定とあいまって人権侵害の歯止めは何もない。

 第五に、解散の制限、国会議員の任期及び選挙の特例をもうける必要はないこと。

 そして最後に、これが一番重要であるが、この緊急事態条項は、憲法9条を国防軍創設と海外派兵の承認、国防軍審判所設置と一体をなすものであること。自民党改憲草案は、日本国憲法の採用する現代立憲主義を骨抜きにし、いつか来た道を歩むことにつながるものである。

まとめ
 
 『緊急事態条項と憲法9条・立憲主義』を延々25回にわたって連載してきたが、いよいよ最終回となった。緊急事態条項は、現代立憲主義に反し、危険・有害かつ不必要であることが論証できたかどうか、その成否はともかくとして、私の、緊急事態条項創設の目論見をなんとしても阻止しなければならないとの思いはお伝えすることができたのではなかろうか。
  
 参院選の結果、はからずもというか、計略どおりというべき、改憲勢力は国会両院で三分の二を超える議席を確保した。しかし、自民党の悲願である第9条にいきなり手をつけられるという情勢にないことも明白だ。彼らの戦術は、おそらく緊急事態条項の創設、それもそのうちの自然災害とテロに限定する、あるいはさらに限定して国会議員の任期と選挙の特例をもうけるなどといったところから手をつけていき、徐々に国民を改憲に「訓育」するという迂回作戦であろう。

 国民投票は、国の重要な政治課題について国民の意思を問う直接民主主義の手法であり、議会制民主主義を補完する重要な制度である。日本国憲法には、憲法改正の可否を問う国民投票がおかれている。
しかし、国民投票には二面性があることを私たちはしっかり学習しておく必要がある。それは民主主義の重要なツールであるという面と、権力者によって、その権力基盤を固めたり、政治目標を実現したりするための大衆操作の手法として悪用されるという面である。前者の積極面からはレフェレンダム、後者の悪用の側面からはプレビシットという言葉が用いられている。
 先にイギリスで行われたEC離脱の是非を問う国民投票は、プレビシットだっただろう。そのような手法を好んで用いたのはヒットラーであった。
 今、私たちの足もとには改憲のプレビシットの波が押し寄せようとしている。これを押し返し、断じて「訓育」を拒否しようではないか。
                              (了)



  
                                

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(24)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その12)

「緊急事態条項は世界の常識」は揺らいでいる・・・序

 確かに諸外国の憲法の多くは緊急事態条項を定めている。

 改憲論者は、このことを過度に一般化し、国家緊急権は国家の自己保存権であり、国家固有の権能である、などとの理由で緊急事態条項をもうけるのは当たり前のことだと声高に叫んでいる。

 しかし、そもそも国家緊急権なるものは、絶対君主制の時代には、そうした概念さえもなかった。それは絶対君主制が揺らぎ、あるいは解体されたときに浮かび上がってきた概念である。言い換えるならば、絶対君主制から近代立憲主義への移行時おけるアンシャン・レジームと新体制との鬩ぎあいの中で、新体制に刻み付けられたアンシャン・レジームの母斑である。
 歴史は飛躍するものではない。新しい高みといえども古いものをかかえている。また世界は一直線に前進するものでもない。必ず、現状維持や後退を志向する逆流があり、停滞と混乱を伴いながらジグザグに前進するものである。このことは既に戦争と平和の問題を論じたところで述べたことである。
 思い起こして欲しい。自衛権の概念は、無差別戦争論(戦争の自由、同盟の自由)の殻を突き破って生まれてきた戦争と武力行使の違法化・禁止の時代の子であったことを。国家緊急権なるものは、まさにこれと表裏の関係に立つものであり、やがて歴史の舞台からフェードアウトして行くことになるだろう。

 このことをいくつかの国の実情によって確認しておくこととする。

「緊急事態条項は世界の常識」は揺らいでいる・・・いくつかの国の実情

フランス

 フランスは、憲法に緊急事態条項を定めている。しかし、それはアルジェリア独立戦争時にド・ゴールによって発動された以後、既に封印されて50年以上に及んでいる。
 先般のパリ連続テロ事件に際しても緊急事態条項は発動されておらず、危急状態法という憲法の下位に立つ法律が適用されている。

注:フランスでは、2015年11月に発生したパリ連続テロ事件の後、危急状態法を適用して危急事態を宣言、テロ危険人物に対する指定場所での事実上の軟禁、劇場や居酒屋など多数の人の集まる場所の強制閉鎖、令状なしの捜索・押収、メディア規制など、警察権限の強化がなされている。危急状態法はその後、改正され、軟禁措置が取られた者に1日3度の警察への出頭義務を課する、前科のある者に発信装置付きのブレスレッドを装着して監視する、危険団体の強制解散、深夜帯でも無令状の捜索・押収を可とする等、きわどい措置までとれるようになっている。
 オランド大統領は、この改正法が憲法院(憲法裁判所)に憲法違反と判断されることを危惧して、その根拠条項をもうけるべく憲法改正案を国会に提出した。この憲法改正については強い異論もあり、帰趨が注目されていたが、憲法院が、この法改正を合憲と判断をしたところからオランダ大統領も憲法改正案を取り下げることになった。
 しかし、元老院(上院)は、政府による濫用を危惧して、国会によるコントロールを強化する決議をした。
 1789年に、「人及び市民の権利宣言」を発したフランスは、テロ攻撃にさらされて、人権よりも安全にギアチェンジしようとする圧力が強まる一方で、人権との折り合いをつけなければならないとブレーキをかける良識も未だ健在で、この綱引きのなかで、苦悩しているようだ。


ドイツ

 ドイツでは、ボン基本法(憲法)に、自然災害に対処する条項が置かれているが、これは、被害を受けた州は他の州や連邦の支援を要請できること、被害を受けた州が対処できないときは連邦が救援することを定めているに過ぎず、緊急事態条項には該当しない。
 また1968年に、戦争や内乱・騒擾に対して詳細を極めた緊急事態条項を定めたが、これは憲法を改正して再軍備をした後の選択であり、我が国には参考とはならない。それにしてもその規定ぶりは、防衛事態、緊迫事態等の事態認定を連邦議会の権限とし、人権制限も、職業選択の自由や人身の自由に対する最小限度の範囲に限定し、連邦憲法裁判所による司法審査も害されないなど、濫用防止に対する慎重な配慮がなされている。

イギリス、アメリカ

 イギリスやアメリカについては、martial law(「マーシャル・ロー」)なる不文の憲法律により国家緊急権の発動が認められていると言われるが、必ずしも当を得ていないように思われる。マーシャル・ローとは、軍法であり、一般に、戦乱もしくは事変に見舞われた地域において、軍司令官に一時的に当該地域の秩序維持の全権を委ねるというものと理解されている。そのようなものが、本当に、現在も認められているのであろうか。

 まず、イギリスの場合。20世紀初頭まで活躍したイギリスを代表する憲法学者アルバート・ヴェン・ダイシーは、その著書において、イギリスにおいては法の支配(立憲主義)が確立しており、包囲状態の下で秩序と公安を維持するために、通常はcivil powerに委ねられている権限を全面的に軍事当局に委ねるような不文律は認められていないと述べている。実際、第一次世界大戦時の国土防衛法以後、憲法の下位に立つ議会制定法により、緊急事態に対処してきており(現在は1964年制定の「緊急権法」と2000年制定のテロ防止対策法が適用される。)、立憲主義の停止という事態は生じていない。

 次にアメリカの場合。イギリスからの独立直後の戦乱期や南北戦争下において特定地域の治安維持を軍司令官に委ねた例はあるが、その後はない。憲法上、大統領は、軍の指揮権及び行政の執行権が認められ、法律の忠実執行義務が課されている。大統領はそれに付随して大統領令制定権が当然に認められている。その大統領の権限が、ある時期に広く解され、議会や司法と悶着を引き起こすこともあった。しかし、議会は立法権その他により大統領の権限をチェックし、司法は違憲審査権を行使することにより、立憲主義が貫かれてきたと言ってよい。特に大統領の軍指揮権を制約する「戦争権限法」(1973年制定)や過去の大統領令を整理し、新たに緊急事態を宣言する手続き定めるなど大統領の執行権を制約する国家緊急事態法(1976年制定)などは注目に値する。
(続く)
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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