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憲法9条、ますます健在なれ!

昨年は、安倍政権の憲法96条の憲法改正案発議要件緩和の企図を、反対論が世を席巻し、断念させることができたが、残念ながら国家安全保障会議設置法と特定秘密保護法の成立を許してしまい、集団的自衛権容認・9条死文化への道を開かせてしまった。しかし、多くの人が、国会に、街頭に足を運び、特定秘密保護法反対の声を、満天下にこだまさせ、さらに同法廃止への声を強めている。これは、今年本格的に始まる安倍政権の国家安全保障基本法制定において集団的自衛権容認を明文で規定し、9条を死文化させようとする企みを阻止する大きな力となるであろう。

折あたかも、「世界各国に平和憲法を広めるために、日本国憲法、特に9条、を保持している日本国民にノーベル賞を授与してください」という訴えに対する署名運動がなされていることを知った。私は、一も二もなく、署名した。是非とも、この「ノーベル賞受賞運動」を成功させたいものである。

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ノルウェー・ノーベル委員会 御中

 日本国憲法は前文からはじまり 特に第9条により 徹底した戦争の放棄を定めた国際平和主義の憲法です。特に
第9条は、戦後、日本国が戦争をできないように日本国政府に歯止めをかける大切な働きをしています。そして、この日本国憲法第9条の存在は、日本のみならず、世界平和実現の希望です。しかし、今、この日本国憲法が改憲の危機にさらされています。

 世界各国に平和憲法を広めるために、どうか、この尊い平和主義の日本国憲法、特に第9条、を今まで保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください。

http://chn.ge/1hUeutj

「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会

共同代表:石垣義昭、鷹巣直美、竹内康代、星野恒雄

実行委員:落合正行、岡田えり子、福島一雄、高橋勝、深津さおり

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このような積極的な市民運動に接することは、痛快なことである。しかし、その一方で、9条をないがしろにせんとする空理空論が、東大法学部の教授陣の一角から聞こえてくるのはまことに残念なことである。

昨年10月26日付「朝日」オピニオン欄に、東大法学部教授井上達夫氏(法哲学専攻)のインタービュー記事が載った。タイトルは「あえて、9条削除論」、リードは「タカ派の平和ボケ 護憲派の他人頼み 己の欺瞞を顧みよ」とある。以下はその要旨である。

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「押しつけ憲法」を改正して日本の国家的主体性を回復するのだと息巻く改憲派は、占領の主役だった米軍に軍事基地を忠実に提供し続けている。さらに、集団的自衛権容認に向けた9条の解釈改憲で対米従属構造を一層強化しようと。これは究極の自己欺瞞だ。

(集団的自衛権行使容認を)「解釈改憲だ。許されない」とする護憲派の安倍政権批判にも、私は違和感を覚る。「自衛隊は9条2項に禁じる戦力ではない」という歴代自民党政権の詭弁を追認した内閣法制局の見解は明白な解釈改憲であるのに、護憲派はそれを黙認ないし是認している。これも自己欺瞞だ。

右も左も欺瞞だらけ、じゃあどうするべきか。9条は固守するでも改正するでもなく、端的に削除すべきである。

国際情勢の変化に応じて見直す必要のある安全保障戦略を憲法に取り込むと、憲法自体が時々の政治力学の変動に翻弄され、解釈改憲へのインセンティブを生み、立憲主義は形骸化する。
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井上氏は、安倍政権に観念論の刀をもって切りかかり、返す刀で護憲派にも切りかかる。目くそと鼻くその類、五十歩と百歩だなどと速断して、安倍政権のみならず護憲派をも切り捨てる井上氏の態度に、うつろい定まらぬ傍観者の危うさを私は感じる。

護憲派は9条を守るために営々と灯をともし続けてきた。そのことをもって「良心を満足させる」などとマスタベーションに陥っている者は一人もいないであろう。9条の会の運動は現実的に大きな力を発揮しているし、今回の「ノーベル賞受賞運動」も、9条を、日本の憲法規範として確立させるとともに、世界各国の憲法規範としようという現実的な意志と力を持った運動である。

井上氏は「既成事実の拡大を止められない責任を深刻に自覚せずに済ませてきた。その積み重ねが、集団的自衛権の行使容認という新しい局面に対して、大規模な対抗運動を組織できない現状を生んでいる」と嘆く。これは自らを傍観者の位置に置く者のアイロニーである。しかし、護憲派は、現実の修羅場の中で、地道に9条を守る輪を広げてきた。それが社会的力となり、政府の暴走を抑え、これまでの政府見解(内閣法制局見解)に結実し、自衛隊の武力行使を阻んできたのだと見るのが正しい見方であろう。

井上氏の主張と軌を一にするのが、長谷部恭男教授(憲法学)の次の見解である。

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憲法9条の文言にもかかわらず自衛のための実力の保持を認めることは、立憲主義を揺るがす危険があるという議論があるが、これは手段にすぎない憲法典の文言を自己目的化する議論である。立憲主義の背後にある考え方からすれば、特定の生き方を「善き生き方」として人々に強制することは、許されない。(略)
自衛のための実力を保持することなく国民の生命や財産を実効的に守ることができるかといえば、それは非現実的といわざるを得ない。となると、それを憲法が命じているという解釈は、それでもそれが唯一「善き生き方」であるからという理由で、国民の生命・財産の保護という社会全体の利益の実現の如何とはかかわりなく、特定の価値観を全国民に押しつけるものと考えざるを得ない。(略)
9条が「原理」ではなく、「準則」であるとする解釈は、立憲主義とは相容れない解釈である。(「憲法とは何か」(岩波新書))
   ※「原理」とはある問題に対する答えを一定の方向に導こうとする基本的考え方
   ※「準則」とは特定の問題に対する答えを一義的に定める規範
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長谷部氏は、要するに9条は法規範ではなく、平和の方向に導こうとする基本的考え方なのだと言っているのである。9条は本来憲法に書き込むべきではない「国際情勢の変化に応じて見直す必要のある安全保障戦略」だとする井上氏の見解となんと近似していることであろう。

しかし、9条は、井上氏、長谷部氏が何と言おうと、日本国憲法の根本規範、武力を持たず、紛争は平和的に解決することを定めた法規範であり、これによって全ての基本的人権の根柢をなす平和を確保することを政府に義務付けた立憲主義の眼目ともいうべき法規範である。このことを否定する井上氏、長谷部氏のいう立憲主義とは似而非立憲主義である。

勿論、既成事実の積み重ねにより9条の理想の灯は薄く、細くなってしまった。また多くの人々が専守防衛の範囲で自衛のための最小限度の実力を保持することに賛同する状況となっている。それでも9条の灯はまだ消えてはいない。私たちは、9条を、集団的自衛権容認と海外での武力行使に突き進むのを阻止する規範として、大切に守り抜かねばならない。そして「ノーベル賞受賞運動」で9条を再び輝かし、真に「美しい日本を取り戻す」ために、憲法9条、ますます健在なれと叫びたい。
以上
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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