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核燃料サイクルから撤退を! (7)

都知事選挙の争点を脱原発か原発推進に絞るのはおかしいという意見、いやそうではないという意見。それぞれの理屈は、それぞれに立つ。少し、飛躍があるかもしれないが、大気汚染公害で、大気汚染の指標物質として、かってSoxが、その後Noxが、最近はPM2.5がとりあげられている。大気汚染物質全部を網羅的に測定するのではなく、そうした指標物質に代表させるのである。これと同じように考えることはできないだろうか。安倍政権による現在の悪政の全てを取り上げるのではなく、原発問題を指標とし、これにより悪政全般を代表させるのである。私は、原発問題は、安倍政権の悪政の指標として取り上げ、真正面からそれを問うべき値打ちはあると思う。ただ敢えて言えば憲法を暮らしに生かすということを付け加えるべきかもしれない。なんとか統一して、悪政推進派と闘っても欲しいものだ。

さて高速増殖炉の開発が破綻していることに話を進めていきたいと思う。これは2度にわけた方がよさそうである。

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「もんじゅ」事故までの歩み 
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合理的に考えれば再処理路線は、もはや維持することは不可能なところまできている。それにもかかわらず、わが国政府が、これにしがみついているのは、もはやエネルギー政策の次元を超える安全保障政策に隠れた動機があることは別に論じたところである(前掲「憲法9条から見た原発問題」)。

しかし、他方で純技術屋的・科学屋的には、原子力発電を続けながら、同時に燃えないウラン238を燃えるプルトニウムに転換させ、そしてそのプルトニウムを燃やして原子力発電をしながら再び燃えないウラン238を燃えるプルトニウムに転換させ、燃えたプルトニウムの量を上回る量の燃えるプルトニウムを取り出し・・・、これを繰り返して、本来は、わずか0.7%しか燃える成分を含まない天然ウランを100%燃やし切ってしまおうという「野望」(単純計算で実に142.8倍にしてしまおうというのであるから「野望」という表現はピッタリであろう。)に突き動かされてきたといってもよいだろう。

第1回長期計画(1956年)、第2回長期計画(1961年)には、まだその「野望」は、鮮明にはされていないが、第3回長期計画(1967年)では、使用済燃料再処理によって生産されるプルトニウムを利用する高速増殖炉の開発目標を具体的に「昭和50年代初期に原型炉の運転を開始する」(原型炉とは実験炉の次の段階で、実証炉を経て、実用炉に至る。)、「昭和60年代の初期には実用化することを目標として開発をすすめる」とし、この「野望」は明確な形を示すことになった。

その後、第4回長期計画(1972年)もこれを踏襲したが、第5回長期計画(1978年)は、「昭和70年代に本格的実用化を図ることを目標として、その開発を進める」とややスローダウン、第6回長期計画(1987年)は、「2020年代~2030年代頃における高速増殖炉によるプルトニウムの技術体系の確立を目指す」と少し現実的な見通しを示し、第7回長期計画(1994年)も「2030年頃までには実用化が可能となるような高速増殖炉の技術体系の確立を目指す」とほぼ同様の見通しを示している。 

実務面においても、1967年、高速増殖炉の研究、開発を行うために動燃が創設された。動燃は、長期計画に沿って、1971年1月、茨城県茨城郡大洗町に、高速増殖炉・実験炉「常陽」の建設を始め、1977年4月に臨界達成、1985年、福井県敦賀市に、高速増殖炉・原型炉「もんじゅ」の本体工事を始め、1994年4月に初臨界達成と、高速増殖炉の開発計画は、若干の停滞、遅延が見られるものの、着実に前進しているように見えた。

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「もんじゅ」の事故と運転停止
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着実に前進していたかに見えた高速増殖炉の開発の目論みは、思わぬところからほころび始めた。初臨界を達成した後、僅か1年半余りしか経っていない1995年12月、「もんじゅ」に重大事故が発生したのである。

「もんじゅ」の事故は、二次冷却材配管部から、液体ナトリウムが漏出したというものであった。漏出したナトリウムは約0.7トン。空気中の酸素と化合して火災事故を起こしたのである。そればかりか液体ナトリウムは、床面コンクリートを覆っていた厚さ6㎜の鋼製床ライナーに腐食作用を起こし、穴をあける寸前のところであった。もし穴があいてしまっていたら、コンクリート中の水と反応し、水素ガスの大量発生、そして水素爆発へと進展し、大惨事を引き起こす危険もあったのである。まさに危機一髪の状態であった。

事故原因は、配管に差し込んだ温度計のさや管が破損したことである。何故破損したのかというと、さや管の細管部に、循環する液体ナトリウムが繰り返し振動を与え(流力振動)、取り付け部に金属疲労が生じ、破断をしたというのである。つまりさや管の設計に初歩的なミスがあったのである。なんとおそまつなことか。

以来、「もんじゅ」は、15年間にわたって運転が停止されたままであったが、2010年5月、運転再開。しかし同年8月、燃料集合体を装荷、取り外しをするための重さ3.3トンの炉内中継装置が炉内に落下、またまた運転停止してしまい、ようやく2011年6月23日に、これが引き上げられ、事業者(独立行政法人日本原子力研究開発機構)は運転再開の機をうかがっていたが、2012年11月、保安規定に基づく機器の点検漏れが9769件あったとして原子力規制委員会が立ち入り・保安検査する、2013年2~3月にも、非常用発電機などの重要機器で13件の点検漏れ、虚偽報告が発覚するなど不祥事が相次ぎ、同年5月29日、原子力規制委員会は原子炉等規制法に基づき、「もんじゅ」の無期限の運転禁止を命じている。
(続く)

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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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