戦前秘密保全法制 (5)

今回は少し長くなり、しかも無味乾燥な法律論文調になってしまった。少し、辛抱して読んで頂きたい。軍機保護法の具体的適用事例に基づく考察から、再び時代を動きを見ながら、国防保安法まで終えるのはあとひと頑張り。乞うご期待。


軍機保護法の適用状況

適用概況

旧内務省警保局が集計した1937年から1941年までの軍機保護法違反検挙人数(もしくは件数)は以下のとおりである。

   1937年   1938年  1939年  1940年  1941年
     38人     50人   289人    不明    149件
          出典:内務省警保局編「外事警察概況」第7巻(1941年)

これら検挙された者(事件)が全て起訴され、裁判にかけられたわけではない。否、むしろ起訴され、裁判にかけられた者(事件)はごく少数であり、大半は不起訴となっている。上記の統計にあるように1937年から1939年までに検挙された者は377名であったが、有罪判決を受けた者はわずか14名であった。また別の調査によると、施行後2年間余りで、受理件数159件、人数280人、うち起訴されたのは31件44人、不起訴127件235人であった(伊達秋雄「軍機保護法の運用を顧みて」ジュリスト1954年6月)。つまり、起訴せずに終わる、或いは起訴されても裁判の結果相当数が無罪となるという結果を示している。

適用概況に基づく考察

上記概況に見られる事実は一体何を意味しているであろうか。それは特高警察による濫用の事実を雄弁に物語っていると考えていいだろう。通常、統計データにあがるのは実際に発生した事件の一部であり、氷山の一角であると言っても言い過ぎではない。そのことも加味して推測するに、特高警察は、法違反が疑われる者は勿論、理屈をつけて動員や配給不足に不満を漏らす者や外国人と接触のある者など評判芳しくない者に目星をつけて引っ張ってくる、たいしたこともなく純朴に頭を下げればそれで終わる、しかし少しでも反抗的であれば徹底的に絞り上げる、そして少しでも法違反が疑われる者は検事局に送致する、検事局は特高警察のてまえ不起訴ばかりにはできないので一部は起訴する、その結果有罪判決はごく少数に終わる、こういう構図ではなかろうか。
我が先祖を含む少国民が、ただひたすら大本営発表を信じるばかりの卑屈な精神構造を植え付けられたのは、このようにして強権的に耳も口もふさがれたことも一つの原因をなしていたと言えるのである。
軍機保護法が実際に示したこのような効用は、我が特定秘密保護法においても決して忘れてはならないことである。

具体例

では実際にどんなケースが軍機保護法違反として検挙されたり、有罪判決を下されたりしたのであろうか。以下、煩瑣にわたるが具体的に見て行くこととする。

① 北海道の電力会社員A(当時33歳)が、北海道某駅構内待合室で、偶然、北海道某村住民40数名に対する召集令状が上級官庁職員から某村職員に交付されたときの状況を目撃、それを友人に話したとの事案。Aは、「偶然の原因により軍事上の秘密を知得領有した者がこれを漏えいした」との罪(法5条。前述のとおり法定刑は6月以上10年以下の懲役)にあたるとして検挙され、検事局に送致された。結果は不起訴(起訴猶予)。

② 福井県の漁協役員B(当時54歳)が、舞鶴湾外の冠島に設けられた軍事施設を偶然発見、これを漁協組合長らに話したという事案。Bは、上記同様法5条違反として検挙、起訴され、福井地方裁判所において懲役6月の判決が宣告された。

③ 大分県の無職C(当時28歳)が、走行中の列車内から海軍航空隊所属施設を無許可撮影したという事案。Cは、「軍事上の秘密を探知収集した」との罪(法2条。前述のとおり法定刑は6月以上10年以下の懲役)にあたるとして検挙、起訴され、大分県中津区裁判所で罰金30円の宣告を受けた。

④ 広島県の船員D(当時28歳)が、航行中に呉軍港に停泊中の艦船等を、個人的興味から日誌に記載したという事案。Dは、上記同様法2条違反として検挙され、検事局に送致された。結果は不起訴(起訴猶予)。

⑤ 大阪の船員E(当時54歳)が、門司海軍武官より公布を受けて保管していた図書を、某駅構内に不注意により長時間遺留したという事案。Eは、「業務により軍事上の秘密を知得領有者した者が過失によりの漏えいした」罪(法7条。法定刑は3年以下の禁固亦は3000以下の罰金)にあたるとされ検挙、起訴され、山口県下関区裁判所で罰金300円の宣告を受けた。

⑥ 最後は有名な宮沢・レーン事件。実名をあげて事件概要を紹介しよう。

北海道帝国大学工学部2年生宮沢弘幸(1918年8月8日生)は、灯台監視船羅州丸に便乗して千島諸島を旅行した帰途の汽車内で、たまたま乗り合わせた乗客から根室の海軍飛行場施設とそこの指揮官に関する話を聞いた。旅行から帰った宮沢は、北大予科で英語を教えてもらい交流のあった外国人講師ハロルド・レーン及びその妻ポーリン・レーン(いずれも米国人)との雑談の中で、その話をした。

宮沢は、「軍事上の秘密を探知収集し、かつ漏えいした」罪(法4条2項。法定刑は無期若又は2年以上の懲役)を犯したとされ、日米開戦当日の1941年12月8日、逮捕、札幌、夕張、江別警察署で特高警察の手により「逆さ吊り」の拷問を伴う激しい取り調べを受け、1942年3月25日、札幌地方裁判所検事局送致、同年4月9日に起訴、同年12月16日、札幌地方裁判所は懲役15年の判決を宣告した。この判決は、1943年5月27日、上告棄却により確定した。

一方、レーン夫妻は、宮沢から聞いた話を米国大使館駐在武官に伝えたなどと虚偽の事件をでっち上げられ、「軍事上の秘密を探知収集し、かつ外国へ漏えいした」罪(法4条2項。法定刑は前述のとおり死刑又は無期若しくは3年以上の懲役)を犯したとして逮捕され、これまた特高警察の手により激しい拷問を伴う取り調べがなされた。
1942年12月14日、札幌地方裁判所は、夫のハロルド・レーンに懲役15年の判決を宣告(1943年5月5日上告棄却により確定)、妻のポーリン・レーンに対しては、1942年12月16日、懲役12年の判決を宣告(1943年6月11日上告棄却により確定)。
(続く)
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プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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