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立憲君主制と象徴天皇制の間 (2)

今日は、建国記念の日だ。

「国民の祝日に関する法律」第2条によると、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と、その趣旨が定められている。同条は、「国民の祝日を次のように定める」として、「元日」から天皇誕生日まで14ケ日の祝日を定めている。そのうち唯一、「建国記念の日」だけが、法文自体からは日が特定できず、「政令で定める日」とされている。

日本書紀で神武天皇即位の日とされている日が紀元前660年2月11日にあたるそうで、1873年10月14日、太政官布告第344号により、その日を紀元節とし、我が国第一の大祭日とされた。万世一系の天皇神話である。

日中戦争が泥沼化し、戦時下で物資が不足し、さまざまな統制が強まり、対英米関係も険悪化しつつあった1940年は、何もなければ東京オリンピックや万国博覧会が開催される計画があったが、全て中止。かわって同年11月10日には、紀元2600年の大式典が行われ、人々はつかのまの憂さ晴らしをしたという。紀元2600年、それはまさに壮大なる虚構であった。

敗戦後の1948年7月、片山内閣は「国民の祝日に関する法律」を制定した。当初の法案には、2月11日を「建国の日」とすることが盛り込まれていたが、GHQ民間情報教育局(CIE)宗教課の介入により、削除された。その後保守派・右派から執拗な紀元節復活運動が展開された。それを受けて政府は「国民の祝日に関する法律」改正案、つまり「2月11日を建国記念日」と定める改正案を、9回にわたり提出、その都度廃案となるという繰り返しが続いた。

1966年6月に至り、紀元節から切り離し、「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であると解釈できるようにし、附則において、具体的な日は、各界の有識者から組織される審議会に諮問し、その答申をもとに政令で定めることにして、ようやく改正案が成立した。それが現行法である。

ただちに建国記念日審議会が総理府に設置され、約半年の審議を経て、「建国記念の日」の日を「2月11日」とする答申が、1966年12月、時の政府・佐藤内閣に提出された。佐藤内閣は、ただちに「建国記念の日は、2月11日とする。」とする旨の「建国記念の日となる日を定める政令」(1966年政令第376号)を定め、即日施行した。

はじめての建国記念の日は1967年2月11日であった。私は、当時大学2年生の最後の時期を送っていた。学生自治会が、同盟登校を呼びかけ、その呼びかけに応えて雪のそぼ降る中を多くの学生が登校したことを記憶している。

偶然のめぐりあわせであろうか。昨日、津田左右吉博士が創刊間もない雑誌「世界」編集部の求めに応じて書いた論文「建国の事情と万世一系の思想」を読んだ。1946年4月号に、論文をレヴューして驚いた編集部が津田博士宛に差し出した手紙の写しとともに載せられたいわくつきの論文である。
その紹介は明日することにしよう。
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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