立憲君主制と象徴天皇制の間 (7)

敗戦処理の任務を帯びた鈴木内閣の外相となったのは、「北方領土交渉秘録 失われた五度の機会」(新潮文庫)などの著者として知られる元外務省欧亜局長東郷和彦氏の祖父・東郷茂徳氏であった。茂徳氏は、日米開戦時の東条英機内閣の外相であったが、入閣にあたって東条首相に和平交渉による開戦回避努力を約束させ、開戦に向かって驀進する軍部に対抗して最後まで和平交渉を説いた人、手堅く実直な外交官であった。彼は、鈴木首相から外相就任を要請されたときも、一日も早く戦争終結をさせなければならないと考えていた。そこで、彼は、鈴木首相の考えを質したところ、2、3年は大丈夫だという返事を受けて失望し、いったんは辞退した。しかし、周囲の強い要請と外交は一任するとの約束で、ようやく就任を承諾したのであった。彼は、東条内閣の外相就任時と同様、鈴木内閣の外相就任時にも内々に和平交渉のため腕を振るうことを認められていたのである。開戦回避には失敗したが、今度こそは早期戦争終結を成功させよう。東郷外相はきっと勢い込んだことだろう。

かくして誕生した東郷外相は、米内光政海相と木戸幸一内大臣とともにその後の戦争終結への工作の中心を担うことになるのである。

当時陸軍中枢部は、ソ連の参戦を強く危惧し、関係安定のための対ソ政策を望んでいた。たとえば参謀本部第12課課長代行種村佐孝大佐は、1945年4月29日、「今後の対『ソ』施策に対する意見」なる意見書を作成し、陸軍上層部に配布した。

それによると、ソ連の対日動向が「大東亜戦争」遂行において致命的影響を及ぼすとし、ソ連に言いなり放題となって、満州、遼東半島、南樺太、台湾、「琉球」、北千島、朝鮮をかなぐり捨て、東清鉄道の譲与、漁業条約の破棄をして日清戦争前の状態に戻すことを提言、さらには「支那における交渉の対象は延安政権とするも差し支えなきこと」、そのためには「国民政府を解消せしむ」とまで言い切っている。勿論、これはソ連を味方に引き入れ、英米との戦争を貫徹するための方策を述べたものであった。
今、読めば、これは極論であるが、当時の陸軍首脳部には、違和感なく受け入れられて行ったようである。ことほど左様に当時においてはソ連が日本の命運を握る決定的ファクターと考えられていたのである。

東郷外相は、そこを逆手にとって、ソ連へのアプローチをはかり、その仲介のもとに英米との和平、戦争終結に利用しようと図る。
それを決定付けたのは、5月11、12、14日に行われた最高戦争指導会議であった。そこにおいて、「現下日本が英米との間に国力を賭して戦いつつある間において、ソ連の参戦を見る如きことあるにおいては帝国の死命を制せらるべきを以って、対英米戦争が如何なる様相を呈するにせよ帝国としては極力その参戦防止に努むる必要あり」と決議されたのであった。さらに、その具体的な内容として、①ソ連参戦防止、②ソ連の中立確保、③戦争終結の三つの目的を図るために、対ソ交渉を進めること、その際、ポーツマス条約と日ソ基本条約を破棄し、南樺太の返還、北千島の譲渡、ソ連領海内での日本の漁業権の解消、津軽海峡の開放、東清鉄道の譲与、内蒙古におけるソ連の勢力範囲承認、遼東半島の租借権返還など、思い切った譲歩をすることをいったんは確認したのであるが、後に阿南惟幾陸相が翻意したため、上記③の目的を保留し、①、②の目的で、東郷外相は対ソ交渉をすることになった。

この会議においては、米内海相が阿南陸相に対し、「われわれは皇室の擁護ができさえすればよい。本土だけになっても我慢しなければならぬのではないか」と発言、「対ソ工作も結局するところ米英との仲介の労を取らせて大東亜戦争を終結することに最後はなると思う」とダメ押しし、梅津美治郎参謀総長も「そのとおりだ」と応じるというやり取りが記録されている。当事者がどこまで自覚的であったかはわからないが、後の進行を予告しているような一コマであった。

いずれにせよこの結果、東郷外相は対ソ交渉によって和平工作を図る路線にのめりこんでいくことになった。しかし、このことは日本政府内において和平への動きが公然と始まることになった点では特筆されるが、反面、我が国の戦時外交が硬直的で柔軟性に欠けるものとなてしまったという一面を持つことになってしまったことも否定できない。そのため米国内でのいわゆる「知日派」らが画策し、無条件降伏によらない早期戦争終結に日本を誘導しようという動きに一切着目せず、ひたすらソ連を仲介者とする和平路線に単線化してしまい、いたずらに時日を費やし、甚大な犠牲を上積みさせてしまう一因ともなってしまったのであった。

ソ連の駐日大使マリクは、日本外務省筋から働きかけを受け、それを正確に本国に報告している。上記の方針も既に本国に報告されている。たとえば5月25日には、日本外務省が日米の斡旋をソ連に依頼する試みを行っており、このために、日本はソ連領海における漁業権を放棄し、南サハリンとクリール諸島をソ連に譲渡する用意があるとしていると報告している。その報告の中で、マリクは、中国から日本軍を撤退させ、満州と朝鮮に独立を与えるだろう、そうなれば東清鉄道の帰属は日本の問題ではなくなるだろうと分析、指摘している。

しかし、ソ連はヤルタ密約に従い、着々と対日参戦の準備進める。5月28日には、モスクワを訪問した米国特使ハリー・ホプキンス(元商務長官。ルーズベルトの外交顧問の役に任じた。)との会談で、スターリンは、「ソ連軍は8月8日までに十分に対日参戦の準備を完了する、8月9日には攻撃を開始する」と豪語し、「イギリスと日本が条件付降伏に関する交渉をしているという噂を耳にしたが、日本の軍事力の完全な破壊を目差す無条件降伏が好ましい」と言明さえしたのである。つまりスターリンにとっては、ソ連参戦前の日本降伏を阻止することが至上命題であった。このようなソ連にとって、上記の如き我が国の方針は、一考にさえ価しないものであったことは確かであろう。

どうやら東郷外相と我が国は、最も頼れない国に思い入れをし、対米英和平への口利きをたのんでしまったようである。

我が国の和平条件は、本土の確保と、米内海相が予告したように、国体の護持、それも皇室の擁護に収斂していく。いよいよ6月から8月にかけての敗戦処理のヤマ場を迎えることになる。そこで示される当時の日本のトップを構成した人々の醜悪さは目をおおうばかりであった。

それはまた次回とする。
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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