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立憲君主制と象徴天皇制の間 (14)

日本降伏時点までに、米国以外の連合国諸国において、天皇及び天皇制についてどのような見解が示され、或いはどんな提言がなされていたかを丹念に調査、整理した研究は、武田清子「天皇観の相克」(岩波同時代ライブラリー)をおいてほかにないだろう。この著作は、1978年7月岩波書店より単行本で刊行され、1993年7月、岩波同時代ライブラリー版として刊行されたものである。

これに比べて米国におけるそれは有り余るほどの原資料が公開され、これらを調査、整理、研究した著作物も多数刊行されている。しかし、それらはあまりにも多岐にわたるので、いろいろな見解や提言を見ていくことはやめて、米国の対日占領政策中の天皇及び天皇制に関する見解に限定して述べることとする。

 この点について、これまでの通説とおぼしきところを概観するとほぼ以下の如くである。

米国の対日占領政策の検討は、1942年夏以後、国務省特別調査部からの要請で日本史専攻のヒュー・ボートンらが加わったころから始まった。その後、1943年3月、国務省内に設置された戦後対外政策諮問委員会(1941年12月設置)の領土小委員会が活動を開始したころから、本格的な検討がなされるようになった。
この委員会には、知日派といわれる上記ボートン、極東問題研究者ジョージ・ブレークスリー、長い滞日経験のある外交官ジョセフ・バランタイン(後に国務省に設置される極東局次長に就任)、親中派の外交官スタンリー・ホーンベックらが加わっていた。

1944年1月、国務省に極東局が置かれてホーンベックが局長に就任、同時に「戦後計画委員会」(PWC)が設置された。PWCはコーデル・ハル長官が主宰し、国務省幹部をメンバーとする対日占領政策を検討・作成することを目的とし、同年春から、活動を始めた。

同年4月、知日派優勢の同委員会から出されてきた当初原案は、ボートンの比喩を用いると「自由主義的改革に天皇制のマントを着せる」というものであった。具体的には、6ヶ月程度の軽い占領を想定し、日本国民が望むなら天皇制を残し、できるだけ天皇と日本政府を用いて占領行政を遂行し、日本帝国の解体と非軍事化を行い、それが達成されるとともに日本を国際社会の平等な一員として受け入れるという内容であった。

これに対し、親中派で、天皇制を否定する国務省幹部が優勢なPWCは、これを却下し、書き直しを命じた。しかし領土委員会からは微修正だけで、本質的には変わらない案が再び提出された。

同年5月1日、国務省では重要な人事異動があった。戦前最後の駐日大使で知日派として知られるジョセフ・グルーが極東局長に就任したのである。

グルーは、PWCにおいて、天皇ヒロヒトと天皇制を区別して、天皇ヒロヒトが、敗戦後、責任をとって退位するのはやむを得ないが軍国主義を廃し、民主的・平和的日本を建設するには天皇制は有力な資産となる、「天皇制こそ日本の隅の親石であり、頼みの大錨である」と弁じたのであった。

結局、PWCが採択した文書は「日本―政治問題―天皇制」(PWC116d)である。この文書では占領軍当局が取り得る三つの選択枝が提起されているにとどまる。第一は天皇にみずからの機能を行使する権限を全然与えない。第二は天皇にその機能をすべて与える、第三はその一部分を委任する。そのうえで同文書は、占領軍当局としては、出来るだけ融通性のある方針を立てておくべきことを勧告し、もし天皇の特定の制限された機能を行使することを許可することを決定するならば、その場合、可能であれば天皇を保護・拘束・監督下におく、日本国民に対し占領軍当局の権威は天皇のそれよりも高位にあることを示す、天皇の特定の制限された権能を行使させることが占領政策に利益にならなければ全て停止する方が有利になるかもしれないなどを配慮事項として示している。

ハル長官、その後任者ジェームス・バーンズ、後に国務次官になったディーン・アチソン、ホーンベック等の国務省幹部が天皇制廃止の考えに傾いていたこと、及びグルーをはじめとする知日派が結束して論陣をはったことをもってしてもPWCが上記の文書しか採択できなかったことは、他の連合国諸国の意見、考え方、米国内のラティモアらの親中派研究者の見解、天皇制廃止と天皇を戦争犯罪者として処罰することを求める米国市民の広範な世論や新聞論調を反映しているものであった。

とまれPWC116dは、結論先送りである。その後日本がポツダム宣言受諾するまでの若干の紆余曲折は次回とする。

※風邪のため中断。上に述べたことはあくまでも従来の通説。加藤哲郎一橋大学名誉教授の「象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦『日本計画」」(平凡社新書)は、これに挑戦する魅力的なストーリーを展開しており、私もおおいに刺激を受けた。私は、象徴天皇制が存置されたのは、戦争の論理とそれを承継する占領統治の論理であったことを明らかにしたい。
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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