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立憲君主制と象徴天皇制の間 (22)

1945年8月28日、首相・東久邇宮は、日本人記者に対するはじめての記者会見に臨んだ。そこで、東久邇宮は、敗戦を招いた原因について問われ、「余りにも多くの規則、法令が発せられ、またわが国に適しない統制が行われた結果、国民は全く縛られて、何も出来なかったことも、戦敗の大きな原因」、「お国のためにしていると思いながら、実はわが国は動脈硬化に陥ってしまった」などとなかなか核心には迫らぬ抽象論を長々と述べ、最後に「ことここに至ったのはもちろん政府の政策がよくなかったからでもあるが、また国民の道義のすたれたのもこの原因の一つである。この際私は、軍・官・民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。全国民的総懺悔をすることがわが国再建の第一歩と信ずる」と結論づけた(8月30日付「朝日」)。
この3日前に緒方竹虎内閣書記官長がラジオ放送で用いた「一億総懺悔」なる言葉がこの東久邇宮発言に転用され、東久邇宮の「一億総懺悔論」と揶揄され、天皇をはじめ真の戦争責任者を擁護するものとして批判を受けることになった。
パリのエコール・ポリティクで学び、社会主義者とも交流があったという東久邇宮にしては、余りにも浅薄皮相な戦敗原因論ではないか。皇族のエースを起用した天皇の秘策も、早くもここに暗雲がたちこめたようだ。

9月18日は、これもはじめての試みであるが、首相の外国人記者会見が行われた。東久邇宮は、フランス人記者と流暢なフランス語で会話をかわし、さすがは国際通だと注目を浴びていた。しかし、オーストラリアやニュージーランドなどの記者から、紙や鉛筆を突きつけるようにして、「天皇陛下その他責任者等は真珠湾の奇襲に関して事前に知っていたか」、「民主主義国の一部では天皇陛下も犯罪者の一部と見ているが所見如何」、「日本の制度としては天皇陛下が知ることなくして戦争を始めることが出来るか」などと追及されるや、突然、調子が狂った。

問われているのは、天皇の「開戦責任」である。これに対し、東久邇宮は、混乱、矛盾した回答を続けた。「詳細は自分にはわからない」、「研究してお答えする」、「天皇陛下は責任者ではないと確信する」等々。記者らは「コンプリートリー・フール」と騒いだ。会見に密かに潜り込んだ警視庁係官も、「大部にありては、今次会見は記者団側においてわが国の急所とも称すべき所を大胆に質問せるに対し、総理宮殿下の御答弁は確信と自信に満ちたものとは解せられずとし、失望の念を表明しおれる状況」と率直に報告をしているところをみると余程珍妙だったのであろう(粟屋憲太郎編「資料日本現代史2」大月書店)。

国内外に展開する約700万人の武装将兵の整然たる武装解除、軍の解体と復員の進行は、確かに天皇と天皇制の大きな威信なくしては進められなかったかもしれない。それは目をみはるものであった。天皇と天皇制を利用することによって占領目的を早期に成功裡に達成することができる可能性は高い。いや間違いない。しかし、天皇の名のもとになされた日本軍の真珠湾奇襲をはじめとする数々の忌まわしい蛮行、バターン死の行進などの捕虜虐待、特攻攻撃などに直面してきた。本国政府においても天皇と天皇制の取り扱いに関して慎重な検討がなされており、指示がされている。アジア・太平洋戦争において天皇と天皇制の果たした役割は、重大である。決して無罪放免というわけにはいかないところがある。またその責任を厳しく問う連合国諸国政府およびその諸国の国民世論もある。だから軽々に結論を下すわけにはいかない。日本進駐以来の事態の推移、既に会見した東久邇宮や外務大臣の挙措・態度等から、日本のキーマンはやはり天皇である。いよいよ直接天皇に会ってみるべきだ。マッカーサーは、きっとこう考えたに違いない。

わが国の指導者の中にも、東久邇宮のこれら一連の対応に危機感を抱く者がいた。東久邇宮内閣に副首相格国務大臣として入っていた近衛文麿である。近衛は、「真珠湾攻撃は東条の独断であって、陛下は知らなかった」という主張をアメリカ国民にアピールすることを目論んでいた。東条へ全責任を押し付ければ、天皇および天皇制への影響を和らげることができる。これは近衛の確信であり、早くも1944年4月12日に、この考えを吐露している(細川護貞「細川日記 上」中央公論社)。

その近衛の深い関与のもとに、1945年9月25日、「ニューヨークタイムズ」記者、フランク・クルックホーンの天皇への単独記者会見が実現した。会見といってもわずか5分間のこと、実際には、事前に質問書を提出し、それに外務省や宮内省の関係者が回答文を起草し、天皇が裁可し、書面で回答するという方式であった。その一問一答の一部は次のとおりであった。

問 「陛下は東条大将が宣戦の詔書をしようとせる如くこれを使用せらるる御意向を有せられたりや否や」
答 「陛下は東条大将が宣戦の詔書を使用せる如く之が使用せらるることは予想して居られませんでした」

要するに真珠湾奇襲のあとで、宣戦の詔書が発表されたことは、天皇は知らなかったし、その意図するところでもなかったというのであり、東条への責任押し付け論である。1941年11月5日、軍令部総長から上奏された「対米英蘭戦争帝国軍事作戦計画」には真珠湾奇襲攻撃が明記されており、これを天皇が裁可したのであったから、これは奇妙な言い訳である。

なお、この会見記は、1945年9月25日付「ニューヨークタイムズ」一面トップで「ヒロヒト、インタビューで奇襲の責任を東条に押し付ける」との大見出しのもとに報じられた。それが同月29日に日本の新聞各紙に転載されるという事態になってしまった。内閣情報局は、その直前、「このままでは天皇自身が東条大将を非難したかのように思われる」と横やりを入れ、日本の新聞各紙が掲載することを止めようとした。しかし、新聞社側が抗議、GHQも日本政府の措置を制止したので、そのまま掲載された。

以上の経過から、天皇の開戦責任、特に真珠湾奇襲攻撃への天皇の関与の程度が、極めてシリアスな問題であったことは容易に理解することができる。

9月27日のマッカ-サー・天皇の第1回会見は、9月20日に行われた吉田茂外相とマッカーサーの会談で話題に上り具体化したようであるが、どちらから持ち出したのかは正確なところはわからず、その後どういう経過で実現に至ったのか明確ではない。

ただ上述の線の上に位置づけられるものであり、勝者と敗者のけじめをつけるため、天皇にマッカーサーを訪問させる形で会見をすること、そしてかのシリアスな問題について天皇に語らせること、さらには天皇と天皇制の利用価値の値踏みをすること、それらがマッカーサーの求めるところであったと推認することは許されるだろう。
る。

9月27日午前10時過ぎ、天皇は、シルクハットにフロックコートのいでたちで、米国大使館に到着した。玄関先では、あのフェラーズ准将が、敬礼で出迎えた。天皇は、シルクハットを取り、彼に握手の手を差し出した。フェラーズは奥の応接間にいるマッカーサーのもとに天皇と通訳の奥村勝蔵を案内した。
そこで両手を腰にあて、ゆったりと構えた大柄なマッカーサーの横に緊張しきって直立不動の姿勢をとり、小柄で貧弱そうにさえ見える天皇が並び、ツーショットの写真が撮影された。この勝者と敗者のコントラストを際立たせた写真は全世界に発信されたが、とりわけ日本国民にとっては感慨ひとしおだったことであろう。忖度するに神格化された天皇の実像を見て覚醒させられた国民も少なからずいたのではなかろうか。
マッカーサーにしてみれば、天皇を従えた一瞬であり、巧みな演出にきっと満足したことであろう。フェラーズも席をはずし、約40分にわたってマッカーサー・天皇の会談が行われた。いつにもましてマッカーサーは雄弁に語ったようだ。会談が終わると、今度は、マッカーサーは手のひらを返すように、天皇に寄り添うように、玄関まで見送りに出た。

この会見の内容は、実にさまざまに憶測されてきた。それは既に述べた真珠湾奇襲の責任を東条に負わせる内容の回答をしたクルックホーンによる単独記者会見の直後になされたものであること、クルックホーンが報じた「ニューヨークタイムズ」の記事が国内で報道されないように内閣情報局が介入しようとした、およびこの会見がマッカーサーによる天皇および天皇制温存・利用の出発点となったようであることなどから、大きな関心を呼んだのである。

通訳の奥村は外務官僚であり、当然正式記録をとり、宮内省および外務省に提出していると思われたが、永らく公表されていなかったのである。ついに外務省は2002年10月17日、これを公表し、1週間後宮内庁も公開した。両者は当然のことながら同文であった。

次回には正式記録公開までにオープンにされていた非公式間接資料を整理し、正式記録との異同、その解釈をしてみよう。それを経て、フェラーズが勲二等瑞宝章を授与される直接の理由となった1945年10月2日付マッカーサーへの覚書に入って行くことにする。
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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