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砂川事件最高裁判決によって集団的自衛権の行使が認められるとの俗論を排す (3)

国連憲章51条

安保法制懇の「有識者」なる人たちも、高村氏も、砂川判決と並んでもうひとつ、国連憲章51条に言及している。彼らは大発見をしたかのような顔をしている。しかし、人は、ものごとを論理的に説明できないときには、なにやら権威ありそうなものを持ち出して他者を従わせようとするものだ。「これが目に入らぬか」とばかりに印籠をつきつける、あの水戸黄門の手口だ。だが、こういう手合いは、たいがいはペテン師、ハッタリ屋の類と見てよさそうだ。

砂川判決はもう十分だろう。次は国連憲章51条だ。早速条文を読んでみよう。

「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」

確かに、「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と書かれている。しかし、よく読むと無条件ではなく、「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」とこれを限定する条件が付されている。どうも単純なことではなさそうだ。ここまでは読み取って欲しいものだ。そこでほかに手がかりはないかと、国連憲章を順番に読んでいくと、重要な条文が目に入ってくる。第2条の第4だ。

「すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」

これが原則なのだ。そうすると51条は例外であるということになる。しかし、それにしても、51条は、集団的自衛権を固有の権利と言っているではないか。その点どう理解したらいいのだろうか。

まず大前提としてこの51条の規定がなされる前には、国際法上、集団的自衛権なる概念は存在していなかったということを確認しておこう。

世界にはじめて、戦争と平和に関する包括的な国際法秩序が成立したのは、欧州諸国を疲弊させた30年戦争がようやく終了した1648年のことだ。欧州諸国間で取り交わされたウェストファリア条約がそれだ。その当時、国際法上の通念として妥当していたのは無差別戦争観であった。

人類は、そこから一歩一歩前進し、第一次世界大戦後の国際連盟規約、1928年のパリ条約により、侵略戦争違法観がようやく国際社会において市民権を得るに至り、侵略戦争は違法である、しかし自衛権行使のための戦争は適法であるということになった。ここでいう自衛権とは、個別的自衛権だったのである。

それでも第二次世界大戦を防ぐことができなかった。そこで連合国主要国は、そのことの痛切な反省の上に立って、戦後の国際社会に、国際連盟よりも強力な普遍的国際組織(以下「国連」という。)を組織し、個別主権国家による戦争、武力行使を禁止し、国連の規制のもとに置く集団的安全保障体制を構築することを構想した。

この構想がハッキリ打ち出されたのは、早くも1943年10月に開催された、米・英・中・ソ四大国によるモスクワ会議であった。次いで1944年10月、米・英・中・ソ四大国によるダンバートン・オークス会議(ワシントン郊外ダンバートン・オークスで開催されたことからこう呼ばれる。)で、国連憲章の基礎となった「一般的国際機構設立に関する提案」(ダンバートン・オークス提案)が採択された。

このダンバートン・オークス提案では、武力行使の一般的禁止と地域的紛争の解決のために武力行使をするには国連・安全保障理事会(以下「安保理」という。)の許可を要することとされていただけで、現在の51条に相当する例外規定はなかった。

現在の51条に、集団的自衛権と個別的自衛権が取り入れられるに至るには紆余曲折があった。そのきっかけとなったのは1945年2月、米・英・ソ三国によるヤルタ会談である。ヤルタ会談では、千島・樺太をソ連に帰属させることを見返りにソ連が対日参戦することを内容とする不当な密約など、それまでの民主主義・国際協調を旨とする戦後構想とは異質な不純要素が持ち込まれた。安保理の大国間一致の原則もその一つである。

米国は長らくモンロー主義の伝統があったから国連によって行動の自由が制約されることを嫌い、安保理の決議には自己を含む大国間の一致の原則を求めた。これを米国とは異なる思惑からソ連が支持し、採用されたのであった。その後の米ソ対立の進行は、このような大国一致の原則を決めたことにより安保理が適時、適切な措置を決め、行動できない懸念を生じさせることになった。

同年3月、中南米諸国による米州会議(メキシコシティ郊外のチャプルテペックで開催されたので「チャプルテペック会議」と呼ばれる。)において、米州諸国のいずれか一国に対する攻撃は全ての加盟国に対する侵略行為とみなされ、一致して軍事力の行使を含む対抗措置をとることが確認された。これをチャプルテペック決議というのであるが、この決議はダンバートン・オークス提案とは抵触するものであった。

同年4月、国連憲章作成のために開催されたサンフランシスコ会議では、チャプルテペック決議に拠った中南米諸国への対応、ヤルタ会談で確認された安全保障理事における大国一致の原則に関わって、米、英、仏の駆け引きの結果、ダンバートン・オークス提案からは大きく後退した内容で妥協が成立したのであった。それが51条である。

ただ、そこでの議論を通じて、個別的自衛権については「固有の(inherent)権利」という議論はなされていたが集団的自衛権についてはそのような議論はなされていないにもかかわらず、成文において突如として集団的自衛権も「固有の(inherent)権利」であるかの如き文章とされてしまったものであること、個別的自衛権にしても集団的自衛権にしても、あくまでも51条の要件を満たす場合に、例外的・暫定的に認められるに過ぎず、その行使は安保理のコントロールのもとに置かれるとの確認がなされたことが明らかとなっている。

これらを通じて突如浮上した集団的自衛権とは、諸国家が同盟関係を結び、仮想敵国を想定して、個別に対抗しあうという勢力均衡論、パワーポリティックス的国際関係観に立つものである。一方、51条を含む国連憲章第7章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に対する行動」国連がめざす集団的安全保障体制は、そのような国際関係観の否定の上に立った普遍的平和の実現を目指すものである。集団的自衛権の野放図な容認は集団的安全保障体制の自己否定となる。集団的自衛権が暫定的・例外的な権利であると論ずる所以はここにある。

よって国連憲章51条の文言に基づいて、集団的自衛権を国家固有の権利であるなどと積極的に賞揚することは国連の墓堀人のすることであって許すべからざることである。

                                    (続く)
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プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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