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砂川事件最高裁判決によって集団的自衛権の行使が認められるとの俗論を排す (4)

自衛権に関する政府見解

ではわが国政府は、憲法9条のもとで自衛権をどう位置づけてきたのであろうか。その経過をざっと見ておこう。

(自衛のための実力もしくは自衛力)

政府は、1946年6月25日に始まる第90帝国議会(憲法制定議会)における憲法改正に関わる論戦において、9条第1項は直接的には自衛権を放棄していないが、第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果自衛権の発動としての戦争も放棄したとの見解に基づき、論戦を乗り切り、日本国憲法を成立させた。

この政府見解のもとで、1950年8月・警察予備隊創設、1952年7月・保安隊及び警備隊創設と、これに反対する国民運動が展開され、国会でも論戦が繰り広げられた。そういう状況で、時の吉田内閣は、同年11月、「①9条2項の戦力とは、近代戦争に役立つ程度の装備、編成を備えるもの、②陸海軍とは、戦争目的のために装備編成された組織体、③戦力とは人的、物的に組織化された総合力で、兵器そのものは戦力ではない、④保安隊は組織目的と装備編成から判断して、近代戦争遂行の能力がないから戦力にはあたらない」とする統一見解を示し、既成事実を追認した。

さらに、1954年6月、自衛隊が創設されると、同年12月、「9条は独立国としてわが国が自衛権を持つことを認めている。従って自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のための必要相当な実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない」との鳩山内閣統一見解によって、自衛のための実力部隊保持を認めるに至った。

なお、この延長線上で、「を憲法第9条は、我が国が主権国家として有する固有の自衛権を否定しておらず、この自衛権の行使を裏付ける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、同条第2項によって禁じられてはいないというのがかねてからの政府の見解であり、この自衛のための必要最小限度の実力、すなわち自衛力の具体的な限度については、その時々の国際情勢、軍事技術の水準等により変わり得る相対的な面を有することは否定し得ないものであるということも、従来から一貫して政府が申し述べてきたところである。この解釈は、今日においても全く変わりはない。なお、いかなる場合においても、この自衛のための必要最小限度という限界を超えて防衛力を増強することが許されないことはいうまでもない。」と敷衍されることもあった(1981年5月・日衆議院内閣委員会 塩田防衛局長答弁)。

(自衛権行使の限界)

政府は、その一方で、「いわゆる自衛権の限界は・・・急迫不正の侵害、即ち現実的な侵害があること、それを排除するために他に手段がないこと、さらに必要最小限度それを防御するために必要な方法をとるという三つの原則を厳格なる自衛権行使の要件と考える」(1954年4月、衆院内閣委佐藤達夫法制局長官答弁)と自衛権について厳格な枠をはめたのであった。その後、度々、これを補強し、あるいはこれを繰り返す見解が示されている。
これが自衛権行使に関する三要件である。わかりやすくするために箇条書きしてみよう。

①わが国に対する急迫不正の侵害があること
②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

①からは、わが国に対する攻撃のおそれだけがあるということだかではだめであり、まさに攻撃が急迫もしくは現在していなければならないこと、他国や他国部隊への攻撃に関しては認められないこと、あるいは海外の日本国民が危険にさらされているとして自国民救出のために攻撃することは認められないことなどが導きだされる。
②からは、たとえば外交交渉、第三国の仲介、国際機関への提訴など相手国からの攻撃回避のためのありとあらゆる手段を尽くしても攻撃を避けられず、反撃する以外に方法がないという場合にはじめて認められることとなる。
③からは、過剰反撃は認められないこと、端的にいえば領土、領海、領空から撃退することがその限度であるということが導かれる。

(「必要最小限度」という言葉の二義性)

おわかりのように「必要最小限度」という言葉が、自衛のための実力もしくは自衛力を画するための量的・質的限度の意味にも使われているし、自衛権行使の限度、即ち反撃の限度画するためにも使われている。つまり政府見解は、「必要最小限度」という言葉を、異なる次元において使い分けをしているのである。前者の意味であれば、自衛のための実力もしくは自衛力の量的・質的限度は「その時々の国際情勢、軍事技術の水準等により変わり得る相対的な面を有する」ということになる。しかし、後者の意味であれば、自衛権行使の三要件の一つとしての反撃の限度は、一義的に定まっている。

集団的自衛権は認められないとの政府見解は確立しているが、それは自衛権行使三要件から論理的に導かれる結論であり、「必要最小限度」であれば集団的自衛権の行使も認められるというのは論理矛盾である。

一方、高村氏は「必要最小限度」の自衛権行使とか、「必要最小限度」の範囲内なら集団的自衛権も認められるという言い回しをしているが、そこでいう「必要最小限度」とは、自衛のための実力もしくは自衛力の量的・質的能力の限度を画するために用いられて来た相対的な概念であり、これを次元のことなる自衛権行使の限界の場面に、三要件と切り離して単独使用し、従来の政府見解との整合性を取り繕おうとしているのである。このデマゴギー的手法をよくよく理解していただきたい。

最後に

「朝日新聞」は4月6日付社説で、高村氏の発言、論理を牽強付会と批判した。これは正しい。しかし砂川判決は個別的自衛権を認めた判決であるとの公明党・山口委員長のコメントを肯定していること、国連憲章51条への言及がないのは掘り下げ不足である。

批判的に考察するとは、全面的かつ言葉の本来の意味でラディカルでなければならない。高村氏の発言、論理は、これまで集団的自衛権に慎重だった自民党の有力者らをコロッとまいらせてしまったようである。中途半端はだめなのだ。徹底的な批判が望まれる。
                                    (了)

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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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