安保法制懇報告書を読む (1)

 安保法制懇報告書(以下「報告書」という。)が全文公表された。本報告書はまるで憲法9条を論じた論文ででもあるかのように9条の解釈論を包括的に展開している。しかし、それは憲法解釈論の形をとってはいるが、実のところは政策論に過ぎず、憲法解釈論の体をなさないものである。即ち、憲法解釈論としては落第である。

以下、その理由を順次述べていくこととする。

1 報告書は、憲法9条を以下のように解釈するべきだと結論づける。

 第一に、9条1項は、わが国が当事国である国際紛争の解決のために武力による威嚇又は武力行使を行うことを禁止したものと解すべきであり、自衛のための武力行使は禁じておらず、また国連PKO等や集団的安全保障措置への参加といった国際法上合法的な活動への制約もしていないと解すべきである。

 第二に、9条2項は、わが国が当事国である国際紛争の解決のための武力による威嚇又は武力の行使に用いる戦力の保持を禁止しているが、それ以外に、個別的又は集団的を問わず自衛のための実力保持や国際貢献のための実力保持は禁止していないと解すべきである。

2 報告書が、このような結論を導き出す筋道はやや複雑であるから整理しておいた方がいいだろう。

(1)結論を導き出す前提条件として以下のように主張している。

① 9条に関する政府解釈の変遷を歴史的に通覧してみると、そこには首尾一貫性がなく、根拠も不明確である。
② 砂川事件最高裁判決の判旨の一部を抜粋して引用し、最高裁は、「わが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわねばならない」との法律判断を示したことは重要で、この判決は集団的自衛権の行使を禁じていない点に留意するべきである。
③ 9条解釈は、基本的人権の根幹としての平和的生存権および生命、自由及び幸福追求権、国民主権原理、国際協調主義及び平和主義という憲法原則をふまえ、それらと整合性を持たなければならない。
④以下の如く安全保障環境に著しい変化が認められ、従来の9解釈では十分に対応できなくなっている。

・技術の進歩と脅威やリスクの変化
・国家間のパワーバランスの変化
・日米関係の深化と拡大
・地域における多国間安全保障協力等の枠組みの動き
・国際社会全体が対応しなければならない深刻な事案の発生が増えていること
・自衛隊の国際社会における活動実績とその役割の増大

⑤ 前回報告書(2008年6月)の4事例に加え、今回追加された6事例を健闘した結果、いずれも自衛隊による武力行使、自衛隊の出動、自衛隊の派遣、自衛隊の武器使用が認められるべきで、9条に反しないことを明らかにする必要がある。

(2)その上で以下のことを直接の論拠として上記結論を導いているのである。

① 9条は集団的自衛権に言及していないが、サンフランシスコ平和条約は集団的自衛権と集団的安全保障への参加を認めていること。
② 国連加盟にあたり国連の集団的安全保障措置や集団的自衛権の規定に何ら留保を付さなかったこと。
③ 9条は不戦条約に体現された戦争違法化の歴史をふまえた解釈
④ 国連憲章51条の規定・・・集団的自衛権は国家固有の権利であること。
⑤ 憲法起草時において自衛権はどのように取り扱われたか。
⑤ 憲法制定過程においてなされたいわゆる芦田修正の意義
⑥ 集団的自衛権論を否定する政府見解の論拠が不明確であること。

⑦ 安全保障環境の変化と現実の要請に適合する

3 次回以後、これらの点について順次検討、批判をしていくこととする。ただ、今日の段階で、ひとことだけ言っておきたいことがある。
本報告書では、大きなスペースをとって9条解釈論を展開しているにもかかわらず、憲法学説の検討は全くなされていない。この懇談会にもただ一人憲法学者がいるのであるが、この方は憲法学界では少数異端説である。憲法学説をとりあげなかったのは、だからというわけでもなかろうが、不可解である。  
後に述べるように9条解釈を主題とした最高裁判決が存在しないもとで、憲法学説こそがもっとも重要な解釈指針となるものである筈である。しかるにこれを検討の俎上にさえのせていないということは、致命的な欠陥であると言わねばならない。
                                              (続く)

北岡伸一氏を素描する

1 北岡伸一氏は、私より2年後、1971年に東大法学部を卒業、同期生にあの枡添要一氏がいる。枡添氏は、卒業と同時に、同大学法学部政治学科助手として採用され、研究者として華々しいスタートを切ったが、北岡氏は、卒業後、同大学法学部大学院・法学政治学研究科に進学、1976年に法学博士の学位を取得している。

北岡氏の初期の研究課題は、日本陸軍の組織、政策であったらしく、博士論文は、「日本陸軍と大陸政策1906年-1918年」である。

研究者の略歴において、特筆されるのは、立教大学法学部専任講師、助教授、教授を経て、1997年に東京大学法学部教授に抜擢されたことである。それに先立つ数年前から、北岡氏は、研究者としての業績よりも学識経験者もしくは有識者としての政治・行政分野への進出で名前を売ることになる。。
いってみれば北岡氏の研究者としての業績のバブル現象である。

2 著書目録を見ると、博士論文「日本陸軍と大陸政策1906年-1918年」が1978年11月、東京大学出版会から出版されたのを皮切りに、最近の単著「官僚制としての日本陸軍」(筑摩書房・2012年9月)及び編著「国際環境の変容と政軍関係」(中央公論新社・「歴史のなかの日本政治」2・2013年12月)まで多数に及ぶ。その数の多さだけで評価するならば、北岡氏は一流の研究者の部類に入るのであろう。

私も、そのうちの一部を読ませていただいたが、たとえば「清沢洌―外交評論の運命 増補版」(中公新書・2004年7月、初版本は1987年1月)を読むと、戦前・戦中の自由主義評論家・清沢洌を時代背景とともに深く、適確に捉え、読者に呈示し、蒙を啓かれとともに、政治史研究者・北岡氏のみずみずしい感性に触れることができ、印象深い。

3 北岡氏は、1990年代初めころから、現代政治にかかわる論評を積極的に行い、時の政権の安保・外交政策を支持する発言が目立つようになった。時には自ら、安保・外交政策の政策リーダーと見まがうばかりの姿勢を示すこともある。
それとともに時の政権に学識経験者もしくは有識者として重用されるようになった。

具体的には、小泉政権のもとで、長期的な外交戦略検討のために設置された小泉首相の私的諮問機関「対外関係タスクフォース」委員(2001年9月から2002年11月)、外務省改革の一環として、過去の外交政策の政策評価を行うため設置された「外交政策評価パネル」座長(2002年8月から2003年8月)、外務省へ出向し、日本政府国際連合代表部次席大使としてニューヨークに赴任(2004年4月から2006年9月まで)、第一次安倍政権のもとで、日本版NSC設置検討のために設置された「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」委員(2006年11月 から2007年2月)、日本の集団的自衛権保持の可能性について考える安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」有識者委員(2007年4月から2008年8月)、福田政権のもとで、福田首相の私的勉強会「外交政策勉強会」委員(2007年12月から2008年9月)などを歴任、政権交代後も、鳩山のもとで、日米間の密約を調査するための外務省の有識者会議の座長を務めた。

また、第一次安倍政権のもとで設けられ、その後引き継がれた「日中歴史共同研究委員会」の日本側座長もつとめている(2006年12月から2009年12月)。

なお、2012年、民主党政権下で、防衛計画の大綱に関する関係閣僚会議に参加したが、その際に、軍事が専門でないにもかかわらず、この会議で自衛隊の装備・編成にまで口を出し、物議をかもしたと言われている。

4 北岡氏の近況は以下のとおりである。
2012年3月、東京大学教授を辞職(定年退官直前?)し、同年4月より政策研究大学院大学教授に就任、同年10月国際大学学長就任。現在、国際大学学長、東京大学名誉教授。

第二次安倍政権のもとで、2013年2月再発足した安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」において、座長代理に就任し、憲法9条の下で集団的自衛権行使を容認し、あるいは自衛隊の武力行使の機会拡大を容認するため、屁理屈をこね、非学術的な発言をさかんに行っている。

内緒の話であるが、私は、妻との会話では、北岡氏のことを、自衛隊オタク、武力行使マニアの「とっちゃんぼーや」と呼んでいる。

5 前記著作「清沢洌―外交評論の運命 増補版」(中公新書)の増補版への序文において、北岡氏は「それとともに、私は現代について書く機会が増えた。巨大な変化を分析するには歴史的視野が必要だからという要請がある一方、私の方でも、これまで歴史を分析してきた枠組みで目の前の巨大な変化が分析できるかどうか、興味深い知的チャレンジだと感じたからである。」と書いている。

北岡氏の最近の言動に、歴史的視野ならぬ「視野狭窄」と「没知的・蛮勇のチャレンジ」を見るのは私だけではなかろう。

北岡氏は、同書・旧版部の「おわりに」で、「逆境を切り抜けることに比べ、順境にスポイルされないことの方が容易だとは決していえない」との戒めの言葉を書いている。これは今の北岡氏にこそふさわしい言葉ではなかろうか。
                                     (了)

特定秘密保護法は廃止しかない―歴史に学びつつ―  (4)

4 終章

まだ考えておかなければならないことがある。

第一に、平常時においては、本法の恐るべき効用は、政府がこれを手にしていること自体により、既に生じているということである。

平常時の政府は、全ての特定秘密漏えい事件、全ての特定秘密不正取得事件に、無差別に本法を適用するわけではない。そんなことをしていると、国民もマスコミも、常にこれに反対する声を上げ、世論は常に沸騰し、悪法撤廃の運動が途切れることなく続くことになる。抜き身の刀を持ち続けると、自らが大怪我をするのだ。

平常時の政府は、本法があること自体で、公務員にも、国民にも、またマスコミにも、十分に萎縮させるに足りる効果が及んでいることを知っている。だから、雑魚をいちいち採るような愚かなことはしない。あるいは耐え難い実害がなければ立件しない。そして、これぞと思う事件を選んで本法を発動し、一部マス・メディアにリークし、これを使役して許しがたい重大スパイ事件としてキャンペーンをはらせる。

丁度、いずれも毎日新聞がからんだ1946年2月と1971年6月の二つの西山事件のように。

政府は、1946年2月の西山事件は放置し、1971年6月の西山事件には牙をむいて襲いかかった。前者は、GHQ・政府関係者の意に沿う秘密漏えいであったから西山柳造記者も毎日新聞も無傷であったが、後者は時の権力者佐藤栄作首相に極めて不都合な情報の漏えいであり、虎の尾を踏んでしまったのだ。

1972年3月27日、衆議院予算委員会。日本社会党衆議院議員横路孝弘氏は、沖縄返還協定に係る違法・不当な密約を暴露し、佐藤栄作首相と政府を追い詰めた。しかし、詰めと防御が甘かったために逆襲されてしまった。佐藤首相は、西山太吉記者が逮捕された後の1972年4月8日、参議院予算委員会において、「国家の秘密はあるのであり、機密保護法制定はせひ必要だ。この事件の関連でいうのではないが、かねての持論である。」述べた。彼は、余裕を取り戻し、得意の目玉でぎょろりと周囲を睨み、凄みをきかしたそうである。

この逆襲によって西山太吉記者は記者生命を失い、毎日新聞は経営危機に陥り、事件の打撃はマスコミ全体に及んだ。佐藤首相は、後にノーベル平和賞に輝いた。

※二つの西山事件については、私の5月5日のブログの記事「二つの西山事件―権力はここぞというときに牙をむく―」を参照して頂きたい。

第二に、政府にとっては本法がゴールでないことは既に述べたとおりであり、次のステージに進めることを虎視眈々と狙っているということである。即ち、政府は、上述のスパイ防止法案程度に処罰される行為と罰則を整備しようとしているのだ。そのためには最大限ずる賢くふるまうであろう。

国民弾圧の奥義は、古来、泳がせ政策である。政府は、特定秘密の漏えいや不正取得事件を適当に起させ、或いは見て見ぬふりをする。その上で、チャンス到来と見れば、突如として、本法には不備があると騒ぎ立てるのである。丁度、本法制定過程において、わが国はスパイ天国、現行法には不備がある、秘密保護法がどうしても必要だと騒ぎ立てたように。

そしてグレードアップした秘密保護法を、今度は非常時、戦時に濫用し、国民を沈黙させる。そのときにこんな筈ではなかったのにと嘆いてももう遅い。

だから私たちは声を上げ、叫ばなければならない。特定秘密保護法廃止!
 
                           (了)

特定秘密保護法は廃止しかない―歴史に学びつつ― (3)

3 ターゲットは一般国民である

(1)軍機保護法の適用状況から

軍機保護法の制定過程で、政府委員は「狙いどころは他から来るところのスパイ、極めて稀に本邦人が彼らから唆されてそういうことをやる、ある極めてごく少数の一部、この一、二の欲望のために犯す、こういうのでございまして、他の国民全部は、この味方であり、全力を挙げて国家の不利なることは防ぐという日本国民の特性を十分信頼しての案でございます」と胸を張った。

にもかかわらず帝国議会衆議院軍機保護法改正法律案特別委員会はその濫用を懸念して「本法において保護する軍事上の秘密とは不法の手段に非ざれば之を探知収集することを得ざる高度の秘密なるを以て政府は本法の適用に当たりては須らく軍事上の秘密なることを知りて之を侵害する者のみに適用すべし」との附帯決議をし、歯止めをかけようとしたたのであった。

しかるに、軍機保護法は、いったん成立し、施行されるや、こんなことには頓着なく一人歩きを始め、一般の善良なる国民に激しく襲いかかった。政府委員の言明や議会の附帯決議はなんと虚ろに響くことか。

統計資料や具体的な事例がそのことを証明している。

特高警察は、些細な事件で引っ張る、素直に頭を下げれば厳重説諭して帰す、しかし反抗的ないし日ごろの素行芳しからざる者は立件が無理な事案であっても身柄拘束して強引な取調べをして検事局に送致する、検事局は多くは不起訴とするが、特高警察のてまえ不起訴ばかりにはできず一部は起訴する、しかし、もともと些細な事件であるから有罪判決はごく少数に終わっている。
また特高警察は、敵国人がからんだ事件では、そもそも法違反が疑わしくても、徹底的に拷問を加え、重大犯罪事件に仕立て上げた。

具体的な事例を見てみよう。

① 北海道の電力会社員A(当時33歳)が、北海道某駅構内待合室で、偶然、北海道某村住民40数名に対する召集令状が上級官庁職員から某村職員に交付されたときの状況を目撃、それを友人に話した。「偶然の原因により軍事上の秘密を知得領有した者がこれを漏えいした」(軍機保護法5条。法定刑は6月以上10年以下の懲役)にあたるとして検挙され、検事局に送致されたが不起訴(起訴猶予)となった。

② 福井県の漁協役員B(当時54歳)が、舞鶴湾外の冠島に設けられた軍事施設を偶然発見、これを漁協組合長らに話した。上記同様軍機保護法5条違反として検挙、起訴され、懲役6月の刑に処せられた。

③ 大分県の無職C(当時28歳)が、走行中の列車内から海軍航空隊所属施設を撮影した。「軍事上の秘密を探知収集した」(軍機保護法2条。法定刑は6月以上10年以下の懲役)にあたるとして検挙、起訴され、罰金30円の判決を受けた。

④ 広島県の船員D(当時28歳)が、航行中に呉軍港に停泊中の艦船等を、個人的興味から日誌に記載した。上記同様軍機保護法2条違反として検挙され、検事局に送致されたが結果は不起訴(起訴猶予)となった。

⑤ 大阪の船員E(当時54歳)が、門司海軍武官より交付を受けて保管していた図書を、某駅構内に不注意により置き忘れた。「業務により軍事上の秘密を知得領有者した者が過失によりの漏えいした」(軍機保護法7条。法定刑は3年以下の禁固亦は3000以下の罰金)として検挙、起訴され、罰金300円の判決を受けた。

⑥ 最後は有名な宮沢・レーン事件。少し詳しく事件紹介をしよう。

宮沢弘幸(1918年8月8日生)は、北海道帝国大学工学部生、柔道部に所属する剛毅で健康そのものというべき人であった。1941年夏、単身、灯台監視船羅州丸に便乗して千島諸島をめぐる旅行をした。その帰途の汽車で、たまたま乗り合わせた乗客から、根室には海軍飛行場施設とそこの指揮官は兵曹長であるとの話を聞いた。
旅行から帰った宮沢は、北大予科時代から英語を教えもらい交流のあった外国人講師ハロルド・レーン及びその妻ポーリン・レーン(いずれも米国人)に会い、見たまま、聞いたままに旅の土産話をした。その中に際に汽車の中で聞いた根室空港の話にも及んだ。

なんとこれが重大スパイ事件仕立て上げられ、日米開戦当日の1941年12月8日、強制捜査が始まったのである。

宮沢は、「軍事上の秘密を探知収集し、かつ漏えいした」罪(軍機保護法4条2項。法定刑は無期若又は2年以上の懲役)に犯したとして逮捕された。そして、札幌、夕張、江別警察署で特高警察の手により「逆さ吊り」の拷問を伴う激しい取り調べを受け、筋書き通り自白させられた。

一方、レーン夫妻は、宮沢から聞いた話を米国大使館駐在武官に伝えたなどと虚偽の事件をでっち上げられ、「軍事上の秘密を探知収集し、かつ外国へ漏えいした」罪(軍機保護法4条2項。法定刑は死刑又は無期若しくは3年以上の懲役)を犯したとして逮捕され、これまた特高警察の手により激しい拷問を伴う取り調べがなされ、これまた筋書きどおり自白させられた。

驚くべきことに宮沢は懲役15年、ハロルド・レーンは懲役15年、ポーリン・レーンは懲役12年の刑に処せられてしまった。

問題になった根室の海軍飛行場は実は世間に広く知られた存在であった。たとえば1931年、リンドバーグの太平洋横断後の着陸地として世界中に報道されたし、1940年発行の大阪毎日・東京日日新聞社編の「ニッポン世界一周大飛行」に随所に書かれていた。また1934年、根室の地域新聞「根室日報社」が発行した新聞紙に添付された変わり絵はがき「根室千島鳥瞰図」(縦約15センチ、横約50センチのカラー印刷で、はがき状に折りたたんで添付されてあった)にも明記されていた。ほかに根室駅や土産物店などで広く売られていた絵はがきや根室町(当時)が1933年に発行した「根室要覧」(自治体の要覧)にも記載されて住民に広く知られていた。
レーン夫妻も、宮沢が話した根室空港はリンドバーグの着陸地点としてかねて知るところであったと供述している。

だから客観的にみて、そもそもこれが「軍事上の秘密」にあたるという認識を持つことを期待することはできないものであったのである。

さらに問題であったのは、宮沢は、汽車の中で乗り合わせた客が話すのをたまたま聞いただけであるから、探知収集したわけではない。ましてや上記附帯決議にいう「本法において保護する軍事上の秘密とは不法の手段に非ざれば之を探知収集することを得ざる高度の秘密なるを以て政府は本法の適用に当たりては須らく軍事上の秘密なることを知りて之を侵害する者のみに適用すべし」に照らせば、探知収集罪に問疑すべき行為は存在しなかったのである。

このような恐るべき猛威をふるった軍機保護法の下で、一般の善良なる国民は、災いを避けるために、自ら耳や口を塞ぎ、ただひたすら大本営発表を信じるばかりの境地に追い込まれた。軍機保護法が実際に示したこのような効用は、本法に関しても決して忘れてはならない。 

(2)「一般の人は『特定秘密』に触れることはありません」は本当か
  
政府・自民党は、本法は一般の人を対象にするものではないかの如き趣旨の答弁、説明をした。
それが特定秘密取り扱い業務者など特別の地位・職務にある人の特定秘密漏えいのみを対象とし、一般市民はそもそも処罰対象とはならないという意味であれば、法24条、25条に明確に反する。よって虚偽答弁、虚偽説明である。
またそれが善良な一般市民は、本法で規定する犯罪行為をなすことは想定されていないという意味であれば、既に述べた軍機保護法の経験に照らし、にわかに信じるわけにはいかない。

具体例を見てみよう。

自民党のWEB版ニュース「The Jimin NEWS」No167(ニュース167)という。)は、以下のケースをとりあげて、「このような場合A子さんが処罰の対象となることはありません」と断じている。しかし、これは空手形である。

A子さんとB男さんは大学時代の同窓会で再会した。A子さんから「今何しているの」と尋ねられ、B男さんは「防衛産業で・・・」と近況報告を始めた。
「もっと聞かせて」とA子さんに促され、酔ったB男さんは「ミサイルを研究していてね。実はあまり知られていない話だけれど」と続けた。数年前、北朝鮮から発射されたミサイルが途中で失速して海に落ちたが、「もし失速していなかったらこの辺に落ちていたかもしれないよ」と披露。
 翌日、A子さんはブログに「同窓会で再会したB男さんビックリする話をしてくれた」と書き込んだ。ある防衛マニアがブログを見て、「ミサイルの飛ぶコースを推測して描き、ネット上で拡散させた」

B男さんは防衛省からミサイル関連業務を委託された防衛産業の勤務先で、北朝鮮のミサイルの軌道計算もしくは関連の業務に従事し、落下地点の予測情報を知得していたこと(特定秘密取り扱い業務者であること)及び対象となる情報は、法・別表1のロ、ハにより、特定秘密に指定されること(安倍首相が参議院特別委で「ミサイルの軌道計算を民間にやってもらうことはある。そこには守秘義務がかかる。」と答弁している。)ことが前提である。

このケースで、警備公安警察が、牙をむいたとしよう。彼らにとっては、A子さんを犯罪者に仕立て上げるのはいとも簡単なことなのである。

まずB男さんが、本法において、特定秘密漏えい罪に該当し、10年以下の懲役(情状により10年以下の懲役及び千万円以下の罰金)に問われることになるだろう。
一方、A子さんは、酒に酔って調子に乗ったB男さんに「もっと聞かせて」と促し、情報を取得したことが「特定秘密漏えい教唆」(もしくは「特定秘密不正取得」)にあたるかどうかを検討することになる。
上記ニュース167はA子さんに問題の情報が特定秘密であることの認識がないから「故意」がないと安易に断定をしている。しかし、これは捜査過程で「故意」がどのように自白させられているか、或いは刑事裁判において「故意」がどのようにして認定されるのかという捜査、裁判実務を全く無視した子供だましの議論である。

「故意」には確定的故意と未必の故意がある。たとえば人を包丁で刺した場合、「殺害することまでは考えていませんでした」といくら弁明に努めても、使用凶器が刃体の長さ30㎝の刺身包丁で、腹部を刺したとなれば、「腹部を刺せば死ぬかもしれないとは思いましたが、怒りにまかせてどうでもいいやと思って刺しました。」などという自白をとるのは捜査官のお手のものである。

裁判になってから争っても裁判所は、「殺害する」との確定的故意は認めなくても「刺せば死ぬかもしれない」との認識・認容はあったとして、未必の殺意を認定してしまうのである。

突然の逮捕、あるいは逮捕ではなくとも警察署に呼び出され、警察官からの取調べで、A子さんは動揺し、追い詰められている。警察官によって、B男さんが酔っているのを幸いにもっと聞かせてと促し、北朝鮮ミサイルの落下地点の話を聞き出したのだろうと追及される。B男さんは防衛産業に勤務していること、北朝鮮のミサイルの落下地点などということは新聞、テレビでも一切報道されておらず、ミサイル破壊命令が出ているかどうかも防衛省は秘匿していると新聞で報道されていたことなどを捜査官から示唆される。

警察官がA子さんに、「これは我が国の安全保障にかかわる重要な情報であり、ひょっとすれば特定秘密に指定されているかもしれないということはわかりました。それでも抑えきれず、B男さんが酔っているので話を続けさせようと思いました。」というようなことをA子さんに自白させることはいとも簡単なことである。裁判所もその自白を認めてしまうことは十分に考えられる。

そうするとA子さんは、「特定秘密漏えい教唆」に該当し、5年以下の懲役刑に問われることになる。(状況によっては「我が国の安全を害する目的」があったと認めさせられて「特定秘密不正取得罪」にあたるとされるおそれもある。その場合には10年以下の懲役もしくは情状により10年以下の懲役及び千万円以下の罰金))に問われることになる。

仮に、幸運にして、A子さんの犯罪が不成立であっても、A子さんは被疑者として、或いはA男さんの重要な参考人として厳しい取り調べを受けることであろう。

軍機保護法の恐ろしい歴史から学ぶべきことはこういうことなのだ。本法もきっと善良なる一般国民に襲いかかるであろうこと、ゆめゆめ忘れてはならない。
                            (続く)

特定秘密保護法は廃止しかない―歴史に学びつつ― (2)

2 戦前秘密保全法制とスパイ防止法案から学ぶべきこと

戦前秘密保全法制の双璧は、盧溝橋事件から日中戦争に突入した直後の1937年8月成立、同年10月施行され改正軍機保護法(以下単に「軍機保護法」という。)と、中国戦線の泥沼化と日米開戦に向かう1941年2月成立、同年5月施行された国防保安法である。

(1)軍機保護法の概要

(保護される秘密)
第1条第1項「軍事上の秘密と称するは作戦、用兵、動員、出師其の他軍事上秘密を要する事項又は図書物件」
同条第2項で「前項の事項又は図書物件の種類範囲は陸軍大臣又は海軍大臣命令を以て之を定む」
これを受けて陸軍軍機保護法施行規則及び海軍軍機保護法施行規則で以下のように広範かつ抽象的に「軍事上秘密の事項又図書物件の種類範囲」が定められ、さらに陸軍大臣、海軍大臣が具体的な指定をすることとされた。このような法律構造のもとで「軍事上秘密の事項又図書物件」が無制限に拡大されてしまった。

陸軍軍機保護法施行規則
①宮闕守衛に関する事項、②国防、作戦又は用兵に関する事項、③編制、装備又は動員に関する事項、④国土防衛に関する事項、⑤諜報、防諜又は調査に関する事項、⑥運輸、通信に関する事項、⑦演習・教育又は訓練に関する事項、⑧資材に関する事項、⑨軍事施設に関する事項、⑩図書物件に関する事項の10項目

海軍軍機保護法施行規則
①国防、作戦又は用兵に関する事項、②出師準備に関する事項、③軍備に関する事項、④諜報又は防諜に関する事項、⑤艦船部隊、官衙、又は学校に於ける機密(「軍機」又は「軍極秘」に属するものに限る)に属する教育訓練、演習又は研究実験の計画、実施若は其の成果、⑥通信に関する事項、⑦軍事施設に関する事項、⑧艦船、航空機、兵器又は軍需品に関する事項、⑨図書物件に関する事項の9項目

(処罰される行為と罰則)
単純探知収集は6月以上10年以下の懲役、公表目的又は外国若しくは外国のために行動する者に漏えいする目的の探知収集は2年以上の有期懲役、業務上知得領有者の漏えいは無期又は3年以上の懲役、業務上知得領有者の公表又は外国若しくは外国のために行動する者への漏えいは死刑、無期又は4年以上の懲役、探知収集かつ漏えいは無期又は2年以上の懲役、探知収集かつ公表又は外国若しくは外国のために行動する者への漏えいは死刑又は無期若しくは3年以上の懲役、偶然の原因で知得領有した者の漏えいは6月以上10年以下の懲役、業務上知得領有者の過失漏えいは3年以下の禁錮又は3000円以下の罰金等。

行為類型が細分化され、死刑、無期も含む重罰が科された。

(2)国防保安法の概要

(保護される秘密)
第1条「国防上外国に対し秘匿することを要する外交、財政、経済其の他に関する重要なる国務に係る事項にして」、以下のいずれかに「該当するもの及び之を表示する図書物件」
① 御前会議、枢密院会議、閣議又は之に準ずべき会議に付せられたる事項及其の会議の議事
② 帝国議会の秘密会議に付せられたる事項及其の会議の議事
③ ①、②の会議に付する為準備したる事項其の他行政各部の重要なる機密事項

本法では、ただこれだけの規定がなされているである。まるで巨大な投網を投げ放った如く、広範多岐に亘る事項及び図書物件が「国家機密」とされてしまうことになった。

(処罰される行為と罰則)
業務上知得領有者の単純漏えいは5年以下の懲役又は罰金、業務上知得領有者の外国若しくは外国のために行動する者への漏えい又は公表は死刑又は無期若しくは3年以上の懲役、公表目的又は外国若しくは外国のために行動する者に漏えいする目的の探知収集は1年以上の有期懲役、外国若しくは外国の為に行動する者に漏えいし又は公表する目的で探知収集探知しかつ外国若しくは外国のために行動する者への漏えいし又は公表は死刑又は無期若しくは3年以上の懲役、一般の知得領有者が外国又は外国のために行動する者に漏えい又は公表は無期又は1年以上の懲役、国防上の利益を害する目的で「その用途に供される虞あることを知って」外国に通報する目的による外交、財政、経済その他に関する情報を探知収集は10以下の懲役、外国通謀又は外国の利益のため治安を害する事項の流布はハ無期又は1年以上の懲役、外国通謀又は外国の利益のために金融界の撹乱、重要物資の生産又は配給の阻害など国民経済の運行を著しく阻害する虞のある行為は無期又は1年以上の懲役、情状により罰金併科。

このようにおよそ想定される行為がこれでもかこれでもかと処罰対象とされ、罰則は死刑、無期懲役を含む重罰が科された。

(3)GHQ指令による廃止とスパイ防止法制定の企み

国民の権利・自由を不当に抑圧した戦前の治安・立法弾圧諸法令は、1945年10月13日、GHQ指令によってすべて廃止された。秘密保全法制もその中に含まれ、軍機保護法及び国防保安法も廃止されたのは当然であった。

GHQの廃止指令の根拠は、わが国の降伏条件を定めたポツダム宣言の第10条「 日本政府は、日本の人民の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって障害となるものはこれを排除するものとする。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重はこれを確立するものとする。」との条項に基づいている。
この内容は、日本国憲法に引き継がれ、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重なる憲法三原則により、一層厳格に規定されるに至っている。従って、日本国憲法の下では、軍機保護法や国防保安法のような法律は認められないことになる筈である。

ところが戦後30年余り経過した1979年2月、自民党は、「スパイ防止法制定促進国民会議」を結成、それ以後スパイ防止法制定の「国民運動」を進めた。この「国民運動」は、「国際勝共連合」を実働部隊とし、神社本庁、成長の家、旧軍関係や自衛隊関係の団体(日本郷友連名、防衛協会、隊友会等)の全面的バックアップのもとに、地方レベルから積み上げていくという草の根運動として、地道に着実に展開された。その集大成として1985年6月、自民党単独の議員立法として「国家機密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(スパイ防止法案)が国会に提出されたのであった。

(4)スパイ防止法案の概要

(保護される秘密)
第1条「この法律において『国家機密』とは、防衛及び外交に関する別表に掲げる事項に係る文書、図画並びに物件で、わが国の防衛上秘匿することを要し、かつ公になっていないものをいう」
 
防衛事項は軍機保護法の「軍事上の秘密」とオーバーラップし、外交事項は国防保安法の「国家機密」の一部と重なる。

(処罰される行為と罰則)
①外国(外国のために行動する者を含む。以下同じ。)通報目的又は不当な方法による探知、収集した者が外国に通報し、わが国の安全に著しい危険を生させたとき死刑又は無期懲役、②国家機密取り扱い業務者等が業務上知得・領有して外国に通報し、わが国の安全に著しい危険を生させたときも同罪、③外国通報目的又は不当な方法による探知、収集した者が外国に通報したとき無期又は3年以上の懲役、④国家機密取り扱い業務者等が業務上知得・領有して外国に通報したとき同罪、①、②以外の者が外国に通報し、わが国の安全に著しい危険を生させたとき同罪、⑤外国通報目的で探知、収集した者2年以上の有期懲役、単純外交通報者同罪、⑥不当な方法で探知、収集した者10年以下の懲役、国家機密取り扱い業務者が漏えいしたとき同罪、⑦国家機密取り扱い業務者以外の者が漏えいしたとき5年以下の懲役

行為類型と罰則は、軍機保護法及び国防保安法に極めて相似している。

しかしながら、スパイ防止法案は、野党、労働組合、日弁連、その他の団体、学者、知識人、マスコミ関係者を先頭に広範な市民の運動で廃案に追い込んだのであった。

(5)本法は、自民党の積年の野望の第一歩

本法は、「保護される秘密」は、スパイ防止法案よりは広く軍機保護法と国防保安法を足した範囲に近づいている。しかし、「処罰される行為と罰則」は、スパイ防止法案と対比するとよくわかるが、上記の⑥、⑦だけである。

そうすると本法は、自民党やスパイ防止法制定に狂奔した草の根右翼からはゴールではなく、ほんの第一歩に過ぎない。
だから、私たちは、目を本法のみに留めていてはならない。その先どうなるかを見通さなければならない。
今、本法の廃止のために必死になって声をあげ、政府の描く本法施行のスケジュールを阻止しないと、たちまちのうちに次のステージに進められてしまうことになる。
(続く)

※戦前秘密保全法制については、私の論文「戦前秘密保全法制に学ぶ」を参照して頂きたい。

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特定秘密保護法は廃止しかない―歴史に学びつつ― (1)

1 特定秘密保護法の現況

(1)特定秘密保護法(以下単に「法」という。)は、昨年12月13日公布され、公布後1年以内に施行ということで、着々と準備が進められている。準備作業を担っているのは内閣官房・特定秘密保護法施行準備室(以下「準備室」という。)、その室長は同・内閣情報調査室次長が兼務している。

法18条②、③に規定する有識者7名が選任され、その7名からなる情報保全諮問会議(以下「諮問会議」という。)の第1回会議が、本年1月17日に開催された。

第1回諮問会議では、出席した安倍首相から、「特定秘密の指定、解除や適性評価の実施に関する運用基準」や「特定秘密保護法の政令案」について議論をお願いしたい、委員から頂いた意見をしっかり受けとめると挨拶があったあと、各委員から意見がだされた。

各委員からは、国際的に遜色のない運用基準にすることが重要、ツワネ原則も参照しつつ議論を進めるべきだ、諮問会議が密室で行われているとの批判を受けることがないよう議事運営してもらいたいなど積極的な意見も出されたが、渡辺恒雄座長が、会議として意見をまとめることはしない、様々な意見があるということで総理大臣に検討していただけばよいと述べ、議論を打ち切った。

会議時間は全体で1時間ほど、森雅子担当大臣の締めの挨拶、事務方の準備室からは配布された「今後のスケジュール(イメージ)」と題するペーパーなど合計9点の資料の説明もあったであろうから、委員らによる議論の時間はそんなになかったのではないかと思われる。

いずれにしても諮問会議は、各委員は一方的に意見を述べるだけで意見のとりまとめをしない、内閣総理大臣はそれを「しっかり受けとめる」だけ、実質的には内閣情報調査室の別働隊である準備室が全て取り仕切るというもので、早くも有名無実の存在であること明らかとなった。

(2)その後の動きであるが、4月16日付準備室発表によると、以下のとおりで、第1回諮問会議で配布された「今後のスケジュール(イメージ)」と題するペーパーどおり進行している。

準備室において、「特定秘密の指定、解除や適性評価の実施に関する運用基準素案」と「法施行のための政令素案」を、委員の意見を聞きながら作成中である。その素案ができあがった段階で、第2回諮問会議を開催してこれら素案についての意見を聞くことになる。そして夏ころにはパブコメを実施し、パブコメの意見を踏まえ、第3回諮問会議を開催、しかる後に閣議決定をする。

(3)18条④は、「特定秘密の指定及び解除並びに適性評価の実施」について内閣総理大臣が行政各部を指揮監督する旨定めている。準備室は、その実施機関として、官房長官をヘッドにインテリジェンス・コミュニティ(内閣官房、外務省、防衛省、警察庁、公安調査庁の各省庁)次官級で構成する仮称「保全監視委員会」を内閣官房に設置するという構想を描いている。このような機関を、法律上何らの独立性保障、権限付与もなしに作ったとしても、特定秘密を多く取り扱う仲間内の談合機関に過ぎず、何らチェック機能を果たせないことは火を見るより明らかである。

法附則9条は、特定秘密の指定及び解除の基準等を検証、監察するための独立した公正な新たな機関の設置、その他、特定秘密の指定及び解除の適正を確保するために必要な方策を検討し、所要の措置を講ずることを定めている。これに基づいて、準備室は、内閣府に審議官級(局長級)の仮称「独立公文書官吏監」を置き、その下に情報保全観察室をおいて、指定・解除の適否等を検証・監察、行政文書の管理・廃棄を検証・監察させるという構想を描いている。しかし、これも法律上何らの独立性保障、権限付与の手当てもなされていないのであるから、有効に機能するとは到底思えない。

さらに特定秘密を取り扱う関係行政機関の在り方及び特定秘密の運用の状況等について審議、監視する委員会を国会に置くとの、昨年12月5日付自民、公明、維新、みんなの4党合意に基づいて、仮称・情報委員会について、自民、公明から案が出され、検討が進められている。報道されているところによると、自民案、公明案及び議論の状況は以下の如くである。

自民党案は、各院それぞれに設置し、法10条1項1号イの規定による各常任委員会、特別委員会等への特定秘密の提供が拒否された場合にのみその当否を審査することとしている。公明党案は、両院合同で設置し、法101項1号イの規定による各常任委員会、特別委員会等への特定秘密の提供が拒否された場合だけではなく、常時、特定秘密の運用状況を監視することとしている。これら両者の案をどう調整するかが課題であるがなかなか容易ではなかろうと。

しかし、そのような矮小化された議論ではどうしようもない。私は、①法10条1項1号の規定を改正し、仮称・情報委員会は全ての情報にアクセスできるようにしなければならないこと、②広く国民から特定秘密の指定、解除、適正評価に関する苦情申し出を受け付けること、③是正に関する強制権限を持つこと、④相当な調査スタッフをもつことなど、実効的監視機能を持つように本法を抜本的に改正する必要があると考える。

(4)ところで本法の廃止、抜本的改正を求める動きは粘り強く進められてはいるが、先の国会で反対した野党、即ち民主、生活、共産、社民の間で共同歩調がとれているように思われないし、昨年12月初めのころの反対運動と比べると、勢いを欠くと言わねばならない。このままでは、政府の思うままに施行されてしまうことが強く危惧される。
 
そこで今一度、本法の危険性を確認しておく必要がある。
                                  (続く)

「二つの西山事件」・権力はここぞというときに牙をむく

1 はじめに

特定秘密保護法が成立してから5ヶ月経過した。政府は、施行に向けて着々と駒を進めているが、これに反対する野党側の動きがなかなか見えてこない。日弁連をはじめ国民各層の運動も、一服状態のようにも見える。今ひとたび、廃止もしくは抜本的改正の大きな声をあげなければ、安倍政権の強攻策が功を奏してしまうことになる。
今は胸突き八丁、自らも含めて気合を入れなおさなければならない時ではなかろうか。

ところで特定秘密保護法の本当の恐ろしさは、逆説的ではあるが、それがあらゆる「秘密漏えい」もしくは「秘密不正取得」の事案に無差別に適用されるのではないというところにあるのだ。

特定秘密保護法が普段から全ての事案に無差別に適用されるのであれば、国民もマスコミも、常にこれに反対する声を上げ、世論をたかめて悪法撤廃の運動が途切れることなく続くことになる。それは、ついには政府を追い込み、政権交代にまで至らしめることになる。そのようなことは愚の骨頂である。

そこで賢い政府は、普段は刀を鞘に大切に納めて、めったにこれを抜こうとはしない。雑魚を獲ってもしょうがない。多くの小さな社会的影響のない事案は見逃してやればよい。賢い政府は、そのように考えるだろう。
切れ味鋭い刀は、使うにふさわしいときにだけ使えばいい。実は、特定秘密保護法が、存在するだけで、十分に、公務員にも、国民にも、またマスコミにも萎縮させるに足りる威嚇効果が及んでいるのだ。

そして権力はここぞというときに牙をむく。そのことを示す好例が、二つの西山事件である。二つの西山事件とは、憲法改正案スクープにかかる取材活動、もう一つが沖縄返還協定にかかる取材活動(事件)である。

2 憲法改正案スクープにかかる取材活動

1946年2月1日、毎日新聞朝刊は、当時、政府が設置した憲法問題調査委員会が検討していた憲法改正草案をスクープした。これは同委員会が検討していたいくつかの案のうちの一つで、一番ましだといわれる宮沢甲案といわれるものであった。しかしそれでさえも「第1条 日本国は君主国とす」、「第2条 天皇は君主にしてこの憲法の条規に依り統治権を行う」などと、天皇主権を定めており、毎日新聞の記事中でも「あまりにも保守的、現状維持的のものにすぎないことを失望しない者は少ないと思う」と厳しい批判がなされていたほどであった。
この報道をきっかけとして日本政府に草案を提出させることなく、先にGHQ草案作成を作成して日本政府に交付したこと、GHQ草案をもとに日本国憲法制定されることになったことは周知のとおりである。

このスクープをしたのが西山柳造記者である。同記者は、後に次のように取材の顛末を説明している。

「誰もいない首相官邸1階の憲法問題調査委員会の事務室の机の上に放置された草案の冊子を社に持ち帰って大急ぎで手分けして筆写したうえ、約2時間後に誰もいない事務所に戻り、元の机に返した。」

この件が、当時、秘密漏えい事件もしくは違法又は不正な取材活動事件なりとして問題にされた形跡は全くない。スクープ記事が載ったのは2月1日朝刊だから、西山記者が「誰もいない」憲法問題調査委員会室に立ち入り、草案の冊子を失敬したのは、その前日、木曜日の午後のできごとであろう。このようなことを誰にも見咎められずにできるなどとは到底考えられない。だから憲法問題調査委員会の事務局担当者らの関与があったとしか考えられない。
当時の官吏服務規律(明治20年勅令39号)には、秘密漏えいの禁止規定はあったがこれを処罰する規定は置かれていなかった。しかし、官吏服務規律違反で懲戒処分はあり得た筈。また取材活動も住居不法侵入を問うことができたかもしれないし、少なくとも毎日新聞社への抗議、警告くらいはできたであろう。何もなされていないのは、まことに不思議なことである。

3 沖縄返還協定にかかる取材活動

故佐藤栄作首相は、1971年6月17日、沖縄返還協定調印にこぎつけた。佐藤首相は、沖縄の核抜き・本土並み返還をかち取ったと誇らかに国内外に宣言した。
ところがその裏でとんでもない密約を取り交わしていたことが発覚した。一つは、緊急時の核持ち込み容認と朝鮮半島有事に際し、沖縄の基地を自由使用できるという事前協議条項(60年安保条約に付随する岸・ハーター交換公文)をスルーする密約、もう一つは沖縄返還による基地再編のための費用や過去の基地使用に伴うさまざまな補償金などの支払いに関する密約である。

毎日新聞の西山太吉記者は、親密な関係にあった女性外務事務官を通じて、後者の密約の一部である軍用地復元補償費400万ドルの支払いに関する密約の存在を示す極秘外務省公電の写しを入手した。
米国側は、沖縄の施政権返還に関して一切米側負担なしという強硬な姿勢をとっていた。一方日本側は、軍用地復元補償費は地位協定上からも過去の経緯からも米国側負担であることは譲れないとの主張を繰り返していた。そこで日本側は、窮余の一策として、表に出る沖縄返還協定においては米国側が軍用地の復元補償費用として400万ドルを自発的に支払うことを確認する、しかし裏約束でその400万ドルを日本政府が負担することを確認することとした。こうしてできたのが上記密約である。

当時、佐藤首相は、沖縄返還協定を調印し、これを手土産に参議院選挙を有利に戦うという政治日程を組んでいた。だから沖縄返還協定の早期調印にこぎつけたいが、さりとて米国側が負担するのが当然である軍用地復元補償費を、日本側の負担にすることを認めてしまえば、国民から大きな批判を受け、選挙戦にマイナス要因となる。そこで上記の如きトリックを使ったのである。

西山記者は、これは国民を欺瞞するやり口であると考え、入手した極秘公電の写しに基づき、同年6月18日、毎日新聞に3500字ほどの長文の署名入り記事を書いた。もっとも西山記者はその中では露骨に密約を公表するのではなくその存在を示唆するにとどめ、佐藤内閣自らが国民に説明するように仕向けたのであった。

しかし、国会では、野党の密約追求に対し、佐藤首相、福田赳外務大臣らは、ノラリクラリ答弁でシラを切り通した。そこで野党議員は、仲介者を介し西山記者から間接的に入手していた外務省公電文書写しを動かぬ証拠とばかりに、これを突き付けた。それが翌1972年3月。一旦、守勢にまわった佐藤首相は、直ちに反撃を開始、同年4月初め、漏えい元の女性外務事務官と西山記者を逮捕させ、ここに日本の言論史上に残る西山事件が始まったのであった。

西山事件は、奇妙な展開を遂げる。

共同被告人である女性外務事務官は、逮捕後数日して自白を始め、態度を一変、西山記者を攻撃する立場にまわった。公判でも検察側に協力して西山記者を攻撃した。検察側は、女性外務事務官を利用し、同女を一方的な被害者に描きだし、西山記者は情交関係を利用し、同女を強要し、極秘公電文書写しを交付させたとして、取材の手段・方法の不当性を主張・立証した。

一方、西山記者側は、取材源の秘匿ができず、女性外務事務官に大きな苦痛を与えたとの自責の念から、一切、こういう主張・立証に反撃をせず、密約の存在を示す外務省公電文書は秘密として保護されないものである、取材活動は憲法21条の表現の自由・知る権利に不可欠であり、正当業務行為として違法性が阻却されるとの主張・立証に絞った。


西山記者に対する判決は、一審無罪、控訴審逆転有罪(懲役4月、執行猶予1年)、上告審は上告棄却で、有罪が確定した。

西山事件最高裁判決(1978年5月31日)は「(報道機関の取材活動は)それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会通念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為だというべきである」が、「(報道機関の取材活動が)一般の刑罰法令に触れる行為を伴う場合は勿論、(略)一般の刑罰法令に触れないものであっても、(略)法秩序全体の精神に照らし社会通念上是認することができない態様のものである場合にも正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びる」との判断を示し、検察側のストーリーを採用、西山記者の取材方法を社会通念上是認できないものだと断定したのであった。

西山事件は、ある黒いプロデューサーによって、女性外務事務官は一方的な犠牲者である⇒西山記者は当初から機密文書を取得する目的でH事務官と情交関係を持ち、その後も拒絶できない状態のH事務官をあやつり、機密文書を人倫に反する方法で取得した⇒よって西山記者の取材活動は著しく不当であった、とのストーリーがつくられた。

ある黒いプロデューサーとは誰か。それは時の政府である。

4 まとめ

二つの西山事件、一方は諸般の事情を勘案して摘発されなかったが、他方は、権力の虎の尾を踏んでしまったために摘発された。

その結果、西山太吉記者にも、毎日新聞にも、その後のマスコミ取材にも計り知れない被害を与えた。権力は、時と場合を考え、狙いすまして刀を抜く。

                                    (了) 

司法は確実に制度疲労を招いている

瀬木比呂志「絶望の裁判所」〈講談社現代新書〉を読んだ。

瀬木氏は、最高裁事務総局民事局付判事補、最高裁調査官を経験された元エリート裁判官である。そのような方が、激しく裁判所、裁判官の実情を批判し、もはや現在のキャリアシステム(司法研修所を修了と同時に判事補として採用し、裁判所内部で裁判官を純粋培養していくシステム)のもとでは裁判所の再生は不可能であり、その変革のために法曹一元制(司法研修所修了者は全員弁護士とし、10年ないし15年経験を積んだ有能な弁護士を判事として採用するシステム)を導入するほかはないと断じるには大きな勇気と決断を必要としたことであろう。

本書は平易に書かれているが、重い課題を提起している。多少とも司法に関心のある方は是非、お読みいただきたい。

私は、今から37年前に、司法研修所を終えて弁護士登録したのであるが、その際に、一般の人向けに「司法研修所で何が行われているか―昭和50年から52年の実情」と題する文章を書いた。長文だが以下にあげた文章がそれである。実務経験もない時期に書いた拙い現状告発だけの一文であるが、これから、本書を読んで見ようと思われる方、あるいは既に読まれた方に、なにがしかの参考になれば幸いである。



「司法研修所で何が行われているか ― 昭和50年から52年の実情」
                  弁護士 深 草   徹

(司法研修所とは?)
司法研修所とは、弁護士、裁判官、検察官を養成する日本で唯一の機関です。司法試験に合格した者は、ここに入り、2年間、弁護士、裁判官、検察官の実務を平等に勉強して、法律家として、それぞれの分野に巣立っていくことになります。
司法研修所による法律家養成制度は、昭和22年に発足しました。それまでは裁判官、検察官になる者と弁護士になる者は別々に養成されていました。そのことが、裁判官、検察官と弁護士との地位に差別を生み、弁護士は裁判官、検察官の後塵を拝することとなる一因となっていましたし、ひいては弁護士による人権を守る活動に支障をもたらしていました。
そうした歴史をふまえて、司法研修所は、弁護士、裁判官、検察官の三者を、統一、公正、平等に養成することを眼目として発足したのです。ですから統一、公正、平等こそが司法研修所のあるべき姿です。
昭和29年に作成された司法修習生指導要綱の冒頭には「司法修習生の修習については、すでに修得した学識の深化及びその実務への応用とともに一般教養を重視し、もって法曹たるにふさわしい品位と能力を備え、かつその社会的使命を自覚させるように指導しなければならない」と修習の基本的なあり方が謳われています。法律家の職務は、国民の基本的人権に影響するところが大きいので、その使命を自覚させ、広い視野と豊かな識見を持つように指導、養成しなければならないとされているのです。
そのためには、修習生の自主性を尊重し、のびのびと修習できるようにすることが最も大切なことです。

(希望に胸ふくらませて入所したけれど・・・)
昭和50年4月、私たちは、さまざまな抱負と期待をもって司法研修所の門をくぐりました。しかし、そこで待ち受けていた修習生活は、私たちの期待を裏切り、重苦しく、陰鬱なものでした。

事務局長(司法研修所のナンバー・ツー)は、私たちの入所直後の訓話で、酔っ払ってアイスクリームを盗ったという事件など過去にあったいくつかの事例をとりあげて「こういう場合は罷免だ」とこともなく言い放ちました。私たちは、いきなり頭をガツンと殴られたようなショックを受けました。このあと修習生の間では、「罷免」という言葉が流行語になりましたが、そう言い合うことで重圧から逃れようとしたのでしょう。

寮で自分の部屋の前に貼り紙したらその日のうちに事務局長から呼び出されて注意を受けた、教官が自宅に招いた修習生にクラスの青法協会員の数・氏名を聞いた、教官が特定の修習生の動静を聞いた等々、修習生の日常生活は研修所当局の監視体制の下に置かれていることを示すできごとが相次ぎました。

司法研修所の施設使用についても庁舎管理権による厳しい制約がありました。講義終了後に、少し残って話し合っていると「集会だから教室使用願いを出せ」といわれたたり、寮では「左がかった印刷物の印刷は許可しない」という発言が公然となされたりしました。

(起案、起案と追い立てられて)
修習生活を重苦しくしているもう一つの原因は過密な起案中心の技術教育です。起案というのは、通常、白表紙と呼ばれる過去の事件に題材をとった記録に基づいて、判決などの裁判書面を実際に書くことです。

技術を身につけることは法律家として当たり前のことですから、起案それ自体の必要性は認められます。しかし、司法研修所における教育をそれだけに限定することは、先の司法修習生指導要綱の冒頭の一文で明らかにされた修習の基本的あり方に沿うものとは言えません。

本当に国民の役に立つ法律家になるためには、社会の実情を勉強しなければなりません。一つ一つの裁判が、どういう社会的背景に基づいて提起されているのか、そのことがわからなければ本当に正しい解決などできるものではありません。そういう意味で、修習生が自主的に、社会の実情を勉強する機会を持つことは非常に大切なことです。

また修習生もさまざまな人間的要求を持つことは認められなければなりません。たとえば、ちょっと旅行したり、たまには赤提灯で一杯やったりして気晴らししたい。友人の結婚式に出席してお祝いの言葉の一つでも言ってあげたい。

しかし、私たちにはそういうこともままならぬような起案ラッシュが続きました。まじめに起案に取り組めば、提出日の明け方5時、6時までかかることはザラです。その日の講義は、出席してもまともに聞けない状態です。

(まかりとおる教官の暴言)
昭和51年4月から6月にかけて私たちの一期下の30期修習生に対してなされた教官らの一連の女性差別発言は、マスコミでも大きく取り上げられ、司法研修所内の人権無視、憲法無視の実態の一部が明かされ、国民の顰蹙を買いました。

「男が生命をかける司法界に女の進出を許してなるものかというのが自分の信念だ。」とうそぶく教官。たまりかねて修習生が反論したら「そういう考えをもつ修習生はいじめてやる」と食ってかかる。「勉強好きの女性は好きではない。勉強好きの女性は議論好きで理屈っぽいので嫌いだ。」「女子修習生は研修所が終わったら、家庭に入って2年間で得た能力をくさらせるのが女として最も幸福だ。2年間終わったら、結婚して家庭に入ってしまいなさい。」「女性が裁判官になることは、生理休暇などで周囲に迷惑をかけることになるので好ましくない。弁護士になるとしても迷惑をかけることは同じだ。」等々。

これらの暴言はたまたま表に出てきたに過ぎません。氷山の一角というのが実感です。修習生がさまざまな締め付けでおとなしくしていることをよいことに、これが教官の言うことかと疑われるような暴言はあとを絶ちません。

「一人の無辜をも罰してはならないという法格言があるが、一人の有罪者も逃がしてはならないぞという心構えも大切だ。」「人一人殺したら死刑になっても当然だ。事件を起して逃げのびようとする魂胆に問題がある。」「修習生の中には判例に逆らうのを趣味にしている者がいるが、このような者は落第する。判決起案は必ず判例に従って書くように。」「公害、公害というが公害で一番金をもうけたのは弁護士だ。」「弁護士の客は企業だから、企業を守る立場でものを考えるべきだ。」「朝鮮人の事件は受任しない方がいい。」等々々。

(「修習生心得」)
司法研修所は、これだけ修習生を締め付け、押さえつけてもまだ足りないと考えたのか、昭和51年4月から6月にかけて、「修習生心得」というパンフレットを全修習生に配布しました。平均年齢が28歳くらいの修習生に対し配布する文書の表題が「心得」などとまるで小学生に教え諭すような文言が使われているのはご愛嬌として、早速その内容を見ていくこととします。

第一章は「司法修習生の身分」と題されています。この中で「法律家を法の支配の担い手」と持ち上げてエリート意識をくすぐり、「修習生は法の支配の担い手となるように修習に専念すべき義務を負う」とわき目もふらずに、前に述べたような過密な技術主義的内容の修習に専念すべきことを求め、「規律保持の面においても、法の支配の担い手に要請される厳しさ」を説教しているのです。

そもそも「法の支配の担い手」というのがマヤカシものです。「法の支配」とは、基本的人権を定めた憲法に従って政治を行うことを意味しています。「法の支配」を確立し、権力の乱用を抑えるのは国民です。ですから「法の支配の担い手」というのは国民にほかなりません。どうやら司法研修所は、修習生に対し、「法の」を抜いた「支配の担い手」になることを求めているようです。

またこの中には、修習生に書かせている日誌から、次の一文が引用されています。

「我が身を振り返って自己が最善をなしているのか、与えられたものに感謝しているのか。・・・自らに対しては社会の指導者になるのなら厳しくあらねばならない。・・・日本人が伝統的な道徳や義務の観念を捨て去り、欧米的になるのなら日本の存在価値がなくなる。」

修習生がどういう考え方を持とうとそれは自由です。しかし、司法研修所が特定の修習生の考えを模範として取り上げ、他の修習生に押し付けるようなことはするべきではなりません。それはともかくとして上記に引用された一文は、司法研修所が好む思想とはどんなものか露骨に示しており、興味があります。

第二章は「規律の保持」という題がついています。「司法修習生には休暇の概念がない。」「友人の結婚式への参列は(休むことの)正当理由とはならない。」「旅行しようとするときは、(休日であっても)監督権者の許可を受けなければならない。」等、修習生の自由、人権を制約するさまざまな規制が書かれています。

第三章では、「修習生の心構え」です。ここでは、「(修習生には)基本型を徹底的に理解させることに主眼が置かれている」と述べ、ある修習生が書いた文章を悪しき例として取り上げて、誤字、脱字の類をあげつらっています。基本型の修得とはなんと瑣末なことなのかとうんざりします。

第四章は「エチケット」です。この部分はマスコミでも取り上げられて有名になった箇所です。
「ノーネクタイはだめ。」環境庁の石原さんもビックリです。
「長髪やひげはだめ。」現代の若者のスタイルはどうにも我慢ならないようです。
教官宅訪問時には「手土産を持参するのは当然。」賄賂要求かと評判になりました。

(職安活動に狂奔する教官)
教官はめぼしをつけた修習生に対して、個別的に任官勧誘に奔走します。修習生が実務地に配属された後も、なんだかんだと名目をつけて出張し、わざわざ実務地に訪ね、酒食の供応をして勧誘をするなど、その強引さにはあきれるばかりです。しかし、勧誘を受けた当の修習生はあきれているわけにもいかず、ことは深刻です。へたに断ろうものなら、そのリアクションがこわいので、一応口づらあわせをしたものの、さてどうしたものかと悩むのです。
あまり任官志望者が多くないクラスでは、教官が任官勧誘に熱を入れすぎて、講義をなおざりにするという現象も生じて、修習生が、このままで大丈夫だろうかと不安をもつところもありました。
そうかと思うと、青法協会員、多少年齢のいった人や女性が裁判官任官志望すると、肩たたきといってやめさせようと説得する例も出ています。

所長と修習生代表との話し合いの席で、修習生側が、こういう任官勧誘の事実を指摘すると、所長は「先輩が後輩にこういう方面に向いていると助言することはありがたいことだ。親心だ。」などと言って平然としています。しかし、これはとんでもない親心です。
こういうことによって、修習生が、弁護、裁判、検察のそれぞれの実務をまんべんなく修習することが妨げられ、修習生の間に分断が持ち込まれているのです。つまり、最初に述べた統一、公正、平等の修習という司法研修所のあるべき姿に反することを教官たちは平然とやっているわけです。

(鬱積する修習生の不満)
ではこうした研修所の実情に対し、修習生は一体どう考え、感じているのでしょうか。クラス委員連絡会が実施したアンケートに書かれた生の声を拾ってみましょう。

・常に起案を背負った休日になるように仕組まれている。完全に休める日が必要だ。
・これでは自主的な精神をもった法律家は育つまい。
・きついスケジュールは自主的な活動への締め付けだ。
・自由時間が欲しい。
・しらずしらずのうちに人権感覚や人間性が眠り込まされ、上に従順、下にエリート意識を持った人間になるようだ。
・一見、紳士的に取り扱っているように見えるが、その実は子供扱いである。常に罷免という伝家の宝刀をちらつかせて我々をおどしつけて秩序を保とうとしている。
・断片的な知識をやみくもに詰め込まれた感じ。じっくり考える時間が足りない。
・萎縮したまま前期が終わった感じ。起案が遅れないよう、遅刻しないよう、寮に無断宿泊が発覚しないように・・・。疲れた。教官がこと細かに修習生の情報を持っているのに驚いた。
・表現の自由がない。
・修習生の私生活にあまり干渉するな。
・修習生の健康管理にもっと考慮を払って欲しい。
・研修所は犬の訓練所のようだ。法曹の教育の場とは言えない。表現の自由、幸福追求の権利を無視している。
・修習生の自治を認めよ。
・弁護修習が迫害されている。民事裁判は細かい法律論にたっぷり時間をかけ、弁護は基本的な問題を走りながらやっているという感じ。

あげればきりがないのでこの程度にしますが、要するに司法研修所には自由がない、本当に国民の役に立つような教育が行われていない、過密なスケジュールで健康が無視されているという趣旨の不満が圧倒的に多いのです。

(修了式は修習生が騒ぐといけないからやらない!)
お茶や生け花の公衆でも始めと終わりはなんらかの形でけじめをつけるものです。学校であれば、勿論、入学式と卒業式が行われます。しかし、司法研修所では、開始式はあっても修了式は行われていません。こういう異常事態について司法研修所側はどのように説明しているのでしょうか。

昭和52年2月12日に、修習生代表(クラス委員連絡会)と所長との間で話し合いがもたれました。その際に、所長は「皆さん方のそのときの心理というのが集団的に特別な状態になり、先生方に失礼な言動をするチャンスが多くなる。衝動的な行動で教官に失礼なことがあったりしてはいけない。」と修了式をやらない理由を説明しました。つまり、皆が集まる機会をつくれば、集団心理に駆られ、まかり間違えば大騒ぎになるというのです。全く修習生をバカにした話しではないでしょうか。権力者は、デモや集会を規制する理由として、「暴徒と化す危険」なる理屈を持ち出しますが、それと全く同じなのです。

そもそもこの問題の発端は昭和46年に遡ります。この年度には、7名もの大量の裁判官任官拒否が行われ、修習生のみならず、マスコミにも大きく取り上げられて全国民的規模で大きな抗議行動が展開されました。修了式において、当時、クラス委員連絡会の代表であった阪口徳雄氏が、同委員会の意思に基づき所長に許可を得た上で、裁判官大量任官拒否の説明を求めるべく発言しようとしたのです。そこに事務当局者が割って入ってそれを制止しました。こういうほんの小さなトラブルが発生したのです。ところがなんと阪口氏は、一方的にその責任をとらされ、罷免されてしまったのです。

その翌年、つまり昭和47年から、司法研修所はトラブルを避けるとの名目で全体修了式を廃止し、クラス別の修了式に切り替えてしまいました。
ところがそれさえも昭和51年から廃止されてしまいました。その結果、裁判官任官者は最高裁へ、検察官任官者は法務省へ、弁護士登録予定者は司法研修所と、それぞれ別々に修了証書を受け取りに行くといく歪な形になってしまったのです。後で見るように、昭和51年から、大量落第者が出されるようになりましたが、そのことと無関係ではないようです。司法研修所は、大量落第者を出す布石として修了式を全面的に廃止してしまったのです。
同じ釜の飯を食った同期の桜が、弁護士、裁判官、検察官のいずれの道を進もうとも、最後、一つ箇所に集まり、修了証書を受け取り、今後の健闘を誓い合うという素朴かつ健全な願いをあえて切り捨てたところに今日の司法研修所のたどりついた姿があるといってよいでしょう。

(落第と追試)

下の表を見て下さい。

   年 度   昭和46  47  48  49  50  51  52 
   落第者      0   1   0   0   1   5   7 

昭和51年、52年と落第者が激増しています。このことはなにも昭和51年度、昭和52年度に修習修了した修習生の出来が悪かったことを意味するものではなりません。
実は、落第者について、従来は、1年間修習期間が延長されたのですが、昭和51年度からは当該年度の6月に追試がなされ、修了させる扱いをすることになりました。ある教官に何故こういうことにしたのか聞いていみたら、1年間かかるところを修習生のためを思って2ヶ月に短縮したのだと答えました。しかし、真意はそんなところにあるわけではありません。

そもそも6月などという中途半端な時期に司法研修所を修了しても当該修習生にとってはなんのためにもなりません。任官希望者は任官の道を閉ざされ、弁護士事務所が決まっていた者はご破算となってしまい、狭い弁護士世界では一生落第者であったことがついてまわり肩身の狭い思いをすることになるのです。
敢えて司法研修所が6月追試をすることになったのは大量落第を出すとの政策に転換したからであることは見えすいたことです。それはどういうことかと言うと、1年間延ばすのであれば、給料を1年分出さなければなりませんが、2ヶ月延期であれば給料はその六分の一で済むわけです。つまり従来一人の落第者を出すのにかかったのと同じ費用で6人の落第者を出せるようになったのです。
ところでこの落第者というのは、本当に法律家になるのにふさわしい力を持っていないのでしょうから。司法研修所側は、箸にも棒にもかからない人だけ落第にするのだと言っていますが、それは本当なのでしょか。今年度落第になった7人についてクラスの多くの証言を集めてみましたが、決してそうではありません。以下に示すのはその証言の一部です。

S君 まじめで講義中よく意見を発表する。まさか落ちるとは信じられない。
K君 まじめに努力していた。起案の講評の評価はいつも非常によかった。
O君 長く大蔵省と勤めていた人手、弁護士としてすぐにでもやっていける。実務修習中には弁護士のかわりに相談を受けたこともある。
A君 クラスのまとめ役で人望が厚かった。成績もクラスで中位と見られていた。意外だ。
N君 成績は中以上。みんな意外だと言っている。
o君 前期クラス委員をやっていた。後期はやりすぎといわれるくらい、よく勉強していた。この落第は成績によるものではない。
n君 誤報ではないかと思った。

ざっと以上のとおりです。どうやら司法研修所側が言うような箸も棒にもかからないような人たちが落第させられているのではなさそうです。それでは何故落第をさせているのでしょうか。それはみせしめとするためです。修習生を司法研修所の組んだカリキュラムのみに縛りつけ、2回試験(修了試験)にのみ目を向けさせ、自主的な研究活動をやらせないようにする、それにはなんらかの目に見える威嚇が必要である、というわけです。
ついでながら修習修了の可否の判定の仕方も見ておきましょう。2年間の修習の仕上げとして、毎年2月下旬から3月上旬の約2週間、2回試験(修了試験)が行われます。筆記試験は、民事裁判、刑事裁判、検察、民事弁護、刑事弁護、一般教養の6課目について、試験日には一日8時間カンヅメの状態(食事も試験を受けながらとる)で行われます。これは体力試験という異名もとっており、医者と看護婦も待機している中で行われる異常なものです。ですから、そもそもこんな試験だけで、法律実務家としての資格の有無を判定されたのではたまったものではありません。実際、日常の成績や修習態度なども合否判定資料とされ、総合的に合否判定をする取り扱いでした。ところが、今年からはこの試験で一課目でも不可があったら落第することに取り扱いが変更されてしまったのです。
合否判定は、従来のように法律実務家としての実力を総合的になされるべきことでしょう。その際には実務修習を指導した担当者の意見が重視されるべきです。異常な体力試験といわれるたった1回のペーパー試験の結果で判定ことは大きな誤りです。

(またまた裁判官任官拒否)
今年もまた最高裁は任官拒否を強行しました。下の表を見て下さい。

 年    度 昭和45 46 47 48 49 50 51 52
 拒否された者    2  7  3  2  2  4  3  3
 内青法協会員    2  6  2  2  0  2  3  1

昭和45年にはじめて任官拒否がなされるようになってから、毎年連続しており、累計すると28名、そのうち青法協会員が18名に及んでいます。

今年度拒否されたT君は、青法協会員で、入所前から積極的に自主的な研究会活動に参加していました。成績は誰の目から見ても抜群によく、人格的にも申し分ない人でした。まさに裁判官適確者として文句のつけようのない人です。ところが今年1月ころ、「彼は目が悪いから任官志望を取り下げた」といううわさがある教官から流されました。本人に確認すると多少近眼だが眼鏡をかければなんともないとのことで、全く根も葉もない嘘だと言っていました。そのほか昨年12月にある教官に呼び出され、たまたま奇矯な行動をとがめられた鬼頭判事補の配属部で修習したことから鬼頭問題を取り上げられ、裁判官には「公正らしさ」が必要だとして、青法協に所属していることは「公正らしさ」という点から見てどうかと問いかけられ、暗に青法協脱会を迫られたことがありました。また同じクラスに青法協29期修習生部会の議長をした人がいたのですが、彼とはつきあうなとも言われています。

最高裁はT君の任官拒否の理由を明らかにしていませんが、青法協を脱会しなかったことが唯一の理由であることは明らかです。T君以外の2名についても一切理由は明示されていません。彼らの一名S君は、どうしても納得がいかないので教官宅へ何度も電話しましたが、教官本人は応対せず、奥さんに代返させるばかりで、取り付く島もなかったそうです。

(裁判所はどうなるか)
司法研修所がそのあるべき姿から大きくはずれ、当初の理念とかけ離れた修習を行っていることは以上に見たところから明らかになったでしょう。私が敢えて司法研修所の実態を広く知っていただこうとしたのは、それが国民生活とかけ離れたところで起こっている問題ではなく、もろに国民が被害を受ける結果をもたらすと考えるからです。下の表を見て下さい。
 
 労働事件労働者側勝訴率(東京地裁)

  年度  昭和42  43  44  45  46  47  48  49  50
  %   67.8  60.0   50.0 52.9  40.9 39.1 31.2  30.0 33.3

 昭和46年というのは宮本判事補が再任拒否され、上記のとおり7名もの大量任官拒否がなされ、阪口修習生が罷免された年です。その年度から東京地裁における労働事件労働者側勝訴率が急落していることがわかります。
 また特に最近は、労働事件だけではなく一般刑事事件、一般民事事件でも裁判官の訴訟指揮が硬直化・強権化し、当事者の言い分に十分に耳を傾けないで、迅速処理の掛け声のみが空しく響くようになってきたと言われています。また裁判官は、判決でも、判例や先例を絶対化し、形式的整合性のみを追及するようになってきたと言われています。
 司法研修所で起こっていることは、裁判所内部に確実に反映し、納得せぬままに刑に処せられる被告人、必至の思いで裁判所に救済を求めているのにそれにまともに答えようとせず木で鼻をくくったような判決を下される民事事件の当事者に被害が及んでいるのです。
 一人でも多くの方が、司法研修所の現状を知り、その変革に立ち向かって頂くことを強く訴えるものです。以上

                                     (了)

世論に背を向ける安倍首相

1 はじめに

5月2日付「朝日」朝刊によると、安倍首相は、閣議決定をしないで「集団的自衛権」行使容認の憲法解釈変更の見解をまとめて「政府方針」に明記する方針を固めたとのこと、不可解千万というほかはない。同紙は、続けて、まず安倍首相限りで「政府方針」を決め、その後6月22日会期末の今国会会期中に閣議決定を目指すと報じている。これは公明党に踏み絵を踏ませようというものである。
そもそも政府方針とは閣内で協議し、一致して決定するものではないのか。それをしないで首相限りで「政府方針」を決定するとしたら、まさしくそれは独裁政治そのものではないか。公明党に、その決定に従うか、連立解消かを迫ろうとは、今や、安倍首相は、宗門改めの小役人の陰湿な役割までも演じようとしているのである。

2 世論の状況

この1ヶ月ほどの間に報道された「集団的自衛権」行使容認の是非をめぐる世論調査の結果を見てみると以下のとおりである。世論は「集団的自衛権」行使容認に反対、とりわけ憲法9条の解釈を変更して「集団的自衛権」行使できるようにすることには、圧倒的に反対していると言ってよい。

さらに注目すべきことは、朝日新聞社が行った中国と韓国での調査結果に示された両国国民の声である。「集団的自衛権」行使容認に踏み切った両国との大きな摩擦が生じることを予感させる。

(4月6日配信「朝日新聞デジタル・ニュース」)

集団的自衛権について「行使できない立場を維持する」が昨年の調査の56%から63%に増え、「行使できるようにする」の29%を大きく上回った。

安倍内閣支持層や自民支持層でも「行使できない立場を維持する」が5割強で多数を占めている。

安倍晋三首相は政府による憲法解釈の変更で行使容認に踏み切ろうとしているが、行使容認層でも「憲法を変えなければならない」の56%が「政府の解釈を変更するだけでよい」の40%より多かった。首相に同意する人は回答者全体で12%しかいないことになる。

また行使容認層に、行使できるようにするためには近隣諸国の理解を得ることが必要かと聞いた質問では、「必要だ」が49%、「必要ではない」が46%と見方が割れた。

朝日新聞社が今回、現地の調査会社を通じて中国と韓国でも面接世論調査を実施すると、日本の集団的自衛権について「行使できない立場を維持する方がよい」と答えた人が中国で95%、韓国でも85%と圧倒的だった。安倍政権が行使容認に踏み切る場合、中韓両政府だけでなく、両国民からも大きな反発を受けることが予想される。

(5月2日「NHK」報道)

NHKは、先月18日から3日間、全国の18歳以上の男女を対象に、コンピューターで無作為に発生させた番号に電話をかけるRDDという方法で世論調査を行い、2667人のうち60%に当たる1600人から回答を得た。

政府が憲法解釈では認められないとしている集団的自衛権の行使を認めるべきだと思うか聞いたところ、

「憲法を改正して、行使を認めるべきだ」が13%、「これまでの政府の憲法解釈を変えて、行使を認めるべきだ」が21%、「これまでの政府の憲法解釈と同じく、行使を認めるべきでない」が27%、「集団的自衛権自体を、認めるべきでない」が14%であった。

この結果、2つを合わせた「行使を認めるべきだ」という回答は34%に、2つを合わせた「行使を認めるべきでない」という回答は41%となった。

去年4月の調査と比べると、「憲法を改正して行使を認めるべきだ」は6ポイント減り、「これまでの政府の憲法解釈を変えて行使を認めるべきだ」も8ポイント減り、「これまでの政府の憲法解釈と同じく行使を認めるべきでない」は10ポイント増え、「集団的自衛権自体を認めるべきでない」も5ポイント増えた。

(4月30日配信「北海道新聞」デジタル版)

5月3日の憲法記念日を前に、北海道新聞社は憲法に関する道民世論調査を行った。憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使容認を目指していることについては「集団的自衛権の行使を認めない」が45%で、「行使できるようにする」の40%を上回った。

なお、産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が4月26、27両日に実施した合同世論調査の結果として、集団的自衛権の行使容認について「必要最小限度で使えるようにすべきだ」との回答が64・1%、「全面的に使えるようにすべきだ」(7・3%)をあわせて、7割以上が行使容認に賛意を示していると報じられたが、これは世論誤導調査であり、無視する。

3 「集団的自衛権」行使容認のシナリオ再論
 
安倍政権の描く「集団的自衛権」行使容認のシナリオは次の三つである。最近までは(3)が有力となっていたが、5月2日付「朝日」朝刊報道では、安倍首相は(1)もしくは(2)の方向を追及しようとしているようだ。しかし、これまで繰り返し述べてきたように「必要最小限度の自衛権」行使論によって正当化しようとすることは、従来の政府見解の根本をなす「自衛権行使三要件」論を踏みにじり、憲法9条に死をもたらすことになる。

(1)第一の想定―集団的自衛権の概念を用いる場合・その1

①従来の自衛権に関する政府見解によれば、憲法9条の下でも「必要最小限度の自衛権」行使を認めるとしている。
②自衛権には個別的自衛権も集団的自衛権も含まれる。
③従って「必要最小限度の自衛権」の範囲内であれば集団的自衛権行使も認められる。
④従来の政府見解である「自衛権行使三要件」論は、「必要最小限度の自衛権」行使の範囲を示したものである。これは安全保障環境の変化によって変わるものであり、不動のものではないから、現在の安全保障環境にふさわしい内容に変えるべきである。

(2)第二の想定―集団的自衛権の概念を用いる場合・その2

①従来の自衛権に関する政府見解によれば、憲法9条の下でも「必要最小限度の自衛権」行使を認めるとしている。
②自衛権には個別的自衛権も集団的自衛権も含まれる。
③従って「必要最小限度の自衛権」の範囲内であれば集団的自衛権行使も認められる。
④従来の政府見解である「自衛権行使三要件」論は個別的自衛権行使に関する要件であり、集団的自衛権行使についてはこれとは異なる要件が考えられるべきだ。

(3)第三の想定・集団的自衛権の概念を用いない場合

①従来の自衛権に関する政府見解によれば、憲法9条の下でも「必要最小限度の自衛権」行使を認めるとしている。
②従来の政府見解である「自衛権行使三要件」論は「必要最小限度の自衛権」行使の範囲を示したものである。これは安全保障環境の変化によって変わるものであり、不動のものではないから、現在の安全保障環境にふさわしい内容に変えるべきである。

4 軍事力の自己主張

安倍首相にしても、自民党石破幹事長にしても、軍事力至上主義に立ち、その軍事力をバックにしてわが国が国益を追及できる国際秩序と国際環境を作り上げようとしているのである。それが積極的平和主義のエッセンスである。
しかし、軍事力は、量的拡大が進むと質的転化を遂げ、自己主張を始めることになる。そのことを、わが国は、戦前昭和期に経験をしている。軍事力の虚妄と危険は歴史が証明している。
私たちは、彼らの企図を阻止するために、「必要最小限度の自衛権」論などというトリックにたじろがない確固不抜の世論を打ち立てるほかにない。
                                  (了)
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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