安保法制懇報告書を読む (終章)

さて少し飛ばした感もあるが、いよいよまとめにとりかかることとする。

報告書が述べる「あるべき9条解釈論」の結論は、本小論の冒頭で紹介したが、念のため再掲しておこう。

① 9条1項は、わが国が当事国である国際紛争の解決のために武力による威嚇又は武力行使を行うことを禁止したものと解すべきであり、(個別的であれ、集団的であれ)自衛のための武力行使は禁じておらず、また国連PKO等や集団的安全保障措置への参加といった国際法上合法的な活動への制約もしていないと解すべきである。
② 9条2項は、わが国が当事国である国際紛争の解決のための武力による威嚇又は武力の行使に用いる戦力の保持を禁止しているが、それ以外に、個別的又は集団的を問わず自衛のための実力保持や国際貢献のための実力保持は禁止していないと解すべきである。

しかし、報告書は、9条の背景と制定経過について歪曲と詐術を弄し、国際法における集団的自衛権の位置づけ、国連憲章51条の趣旨、国際法と憲法との関係について、独断と牽強付会の論を展開して、無理やり上記の結論に結び付けているというほかはない。

1 9条の背景と制定経過

(9条の背景)

報告書は、わが憲法9条を、1928年成立、翌年発効した不戦条約や1945年6月採択、同年10月発効した国連憲章51条と同レベルのものと捉えている。果たしてこれは妥当なのだろうか。
 
不戦条約は、「国際紛争解決のため戦争に訴えること」を禁止したもので、自衛戦争は認めている。また国連憲章は、折角、第2条第4号で、全ての武力による威嚇もしくは武力行使を禁止しようとしたのに、51条で、安保理が必要な措置をとるまでの間に限定してではあるが、加盟国が個別的又は集団的自衛の「固有」の権利を行使することを認めてしまった。これは不戦条約を観念的には前進させることを企図したものの、現実的には、不戦条約よりも独自に武力行使をする機会と範囲を、拡大してしまっており、後退と評することさえできそうである。報告書は、これらに依拠して9条解釈をしようというわけである。
ところで同じ第二次大戦の枢軸国であったイタリア憲法、ドイツのボン基本法には、以下の規定が置かれている。

イタリア憲法(1948年)第11条
イタリア国は、他国民の自由を侵害する手段として、及び国際紛争を解決する手段としての戦争を否認する。イタリア国は、他国と等しい条件の下に、諸国家の間に平和と正義とを確保する秩序にとって必要な主権の制限に同意し、この目的を有する国際組織を推進し、助成する。

ドイツ・ボン基本法(1949年)第26条第1項
諸国民の平和的共同生活を妨害するおそれがあり、かつ、このような意図でなされた行為、とくに、侵略戦争の遂行を準備する行為は違憲である。このような行為は処罰されなければならない。

因みに、大韓民国憲法(1948年)、フィリピン憲法(1987年)にも同旨の規定がおかれている。

もし戦争放棄、武力行使放棄が、不戦条約や国連憲章51条と同レベルであるならば、これら諸国の憲法の規定で十分である。しかるに、9条の文言、及び前文は、極めて厳格かつ理想主義的であり、かつ屋上屋を重ねるごとくに戦争放棄、武力行使放棄を謳っている。それは、これらありきたりの侵略戦争否定、自衛戦争肯定の憲法規定をはるかに超えたものである。
従って9条を不戦条約や国連憲章51条と同レベルのものと見ることは到底できない。

(9条制定経過に関するごまかし)

報告書は、憲法制定経過について重大な詐術を弄し、また作り話に依拠している。
一つ目は、マッカーサー三原則の第二原則。報告書はこれを「日本は自らの紛争を解決するための手段としての戦争を放棄する」であると述べるが、正しくは、「.国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。」である。
二つ目は、1946年6月26日の衆議院本会議での吉田茂首相の発言。報告書は吉田発言の引用を「本案の規定は、直接には自衛権を否定してはおりませぬ(略)」の部分だけにとどめるが、この略されてしまった部分が重要で、そこでは「が、第9条2項において、一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります。従来、近年の戦争は、多く自衛権の名において戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争また然りであります。」と述べられている。吉田首相も、この当時は自衛権の発動としての戦争、交戦権を明確に否定していたのである。
三つ目は、芦田修正に関する芦田元首相の嘘に悪乗りしていること。憲法制定時、衆議院憲法改正委員会小委員会において、芦田の発案により、政府原案の9条第1項に「国際紛争を解決する手段としては」の文言を、同第2項に「前項の目的を達するため」の文言を挿入する修正がなされた。芦田は、1951年1月14日付毎日新聞紙上で、この経緯について、「第1項で、戦争、武力の威嚇、武力の行使放棄の目的の限定をし、第2項はそうした限定された目的との関連で戦力不保持と交戦権放棄を定めたものだ」と説明した。
しかし、憲法改正委員会小委員会においても、憲法改正委員会においても、さらに衆院本会議においても、そのような説明、論議は一切なされていない。それどころか、そもそも芦田修正案が憲法改正案委員会小委員会案において再修正されていく過程でのやりとりで、芦田は、第2項の「前項の目的」とは、「日本国民の平和的希求の念慮」を指しており、そのままでは1項と重複した言い回しになることを避けて用いたものであると説明していたのである(1946年8月1日、第7回憲法改正委員会小委員会議事録)。
つまり後になされた芦田の説明は、憲法改正委員会小委員会議事録が公開されていないことをこれ幸いとばかりに、9条解釈を捻じ曲げようとしてひねりだした嘘だったのだ。天網恢恢、疎にして漏らさず。その後、議事録が公開され、芦田の嘘がばれてしまった。しかるに報告書は、そのことが今では忘れ去られてしまっているだろうとばかりに、この嘘に悪乗りをしているのである。

かくて、報告書が述べる9条解釈論が依拠する核心部分は歪曲と詐術、ごまかし以外のなにものでもないことが明らかになった。

2 国連憲章51条の理解

さて前述したとおり、確立した政府の9条解釈では、憲法制定時に野党も含めて共有されていた立場から一歩後退し、自衛権の行使とそのための実力(自衛隊)の保持を容認するものとなってしまったのであるが、それでも9条の規範性を認め、国際法の常識に依拠し、自衛隊の武力行使の機会を厳格に限定する立場に立っていることもまた事実である。
それが自衛権を定義し、かつ、その行使を制限するための「自衛権行使三要件」であり、また自衛隊の装備、編成、能力は自衛権を行使するための必要最小限度にとどまらなければならないとの、政府見解二本柱であること、その淵源ないしは論拠は、国際法慣習法上の自衛権の定義に求められること、これらの点は既に述べたので繰り返さない。
これに対し、報告書は、国連憲章51条を金科玉条の如く奉る。しかし、同規定の制定過程をつぶさに検証すると、同条は、決して積極的な意義付けを与えられたものではないことがわかる。とりわけ集団的自衛の固有の権利なるものは、瓢箪から駒で、チャプルテペック条約に結集した中南米諸国の離脱を防ぐために急遽規定されるに至ったもので、何ら成熟した議論を経ていないのである。その結果もたらされたものは、既に述べた集団的自衛権の行使事例の惨憺たる有様であり、まことに集団的自衛権とは厄介なもの、国連の集団的安全保障機能を損なう役割しか果たしていないと言ってもよい状態にある。
そこで国際法学者の主流は、集団的自衛権は、国連憲章51条により特に認められた新しい権利であって、これを「固有」の権利、国家自然権であるとは見なしていない。国際法上、固有の権利、自然権と見なされているのはいわゆる個別的自衛権だけである。

報告書は、前にあげたニカラグア介入に関し、ニカラグアがアメリカを訴えた事件の1986年6月国際司法裁判所判決を取り上げ、これをもって集団的自衛権が国家「固有」の権利、国家自然権と認められたかのように述べている。しかし、この判決は、アメリカの集団的自衛権の行使で正当との主張を排斥し、違法だと断じたものであって、集団的自衛権を積極的に認めたのではなく、むしろ認められる範囲を限定する解釈を示したのであって、集団的自衛権の濫用の現実を見据え、これに消極的位置づけしか与えていないのである。
報告書は、ニカラグア介入事件の国際司法裁判所判決を正しく読み、理解をしないまま、飛びついてしまったのであろう。

なお、わが国が国連に加盟した際に、国連憲章上の権利義務に何らの留保もしなかったとの報告書の指摘も偽りである。この点は、国連加盟にあたり加盟申請書に「by all means at its disposal」と付記されており、そのことの意味は「わが国は、憲法9条により戦争放棄し戦力を保持しないことを定めており、軍事的協力、軍事的参加を必要とするような国連憲章の義務は負担しないことをはっきりさせたものである」と、当時の西村熊雄外務省条約局長が述べている(1960年内閣に設置された憲法調査会における証言)。

3 憲法学説

政府の確立した9条解釈はあるが、最高裁の判例が存在しないのであるから、あらためて9条解釈に取り組むならば、憲法学説に触れないわけにはいかない。しかるに報告書はこれに一切触れない。何故か。あまりにも不利だからである。

9条解釈にかかる憲法学説の状況は以下のとおりである。

憲法9条の解釈として、大きく分類すると三説となる。
第一説は、そもそも9条第1項自体があらゆる戦争・武力行使等を放棄しており、自衛のための戦争・武力行使も認められないと説く。
第二説は、9条第1項の「国際紛争を解決する手段としては」との文言を重視し、第1項で放棄したのは侵略のための戦争・武力行使等であって自衛のための戦争・武力行使等は留保している、しかし第2項は戦力・交戦権を無条件に否定しているとして、結局、9条全体では一切の戦争・武力行使等が禁止されると説く。
第三説は、9条第1項を第二説と同じに解し、かつ第2項の「前項の目的を達するため」は第1項の「国際紛争を解決する手段としては」を受けるのであるから、9条の解釈としては自衛のための戦争・武力の行使等を放棄していないと説く。
芦部信喜は、第一説を有力説、第二説を通説とし、第三説については「説もある」と紹介している(「憲法新版補訂版」岩波書店)。

このような憲法学説の状況を反映もしない、あるいは説得力をもった反駁もしない、そのような報告書の9条解釈論は、到底「あるべき解釈」とはいえず、結局は、自己の願望の赤裸々な吐露、露骨な政治的主張となってしまっているのである。

4 小括

以上により報告書が述べる9条解釈の結論は採用できない。そうである以上、報告書が述べるあやしげな集団的自衛権限定容認論、つまり6条件を付した集団的自衛権行使を認めるとの論を採用できないこととなるが、念のために言えば、これは実は何らの限定もしない無制限容認論である。

報告書は、その他、武力行使を伴う自衛隊の活用の場面を想定し、これを拡大するために変化球を投じているが、本小論では一々反駁しない。それらは従来の政府見解二本柱の応用によってごく常識的に解答できるだろう。
                                    (了)
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安保法制懇報告書を読む (10)

 ここまで長々と書いてしまった。このままでは冗長なだけで中身のない批判対象たる報告書の二の舞になってしまうので、そろそろまとめたい。今回は、保留しておいた湾岸戦争と、冷戦開始直後の朝鮮戦争を検討し、できれば次回には報告書が打ち出した9条に関する「あるべき解釈」を批判して完結としようと思う。

1 湾岸戦争

イラクのフセイン政権軍は、1990年8月2日、クウェートに侵攻、占領した。「オスマン帝国の時代にクウェートはイラクのバスラ州の一部であった。イギリスの保護の下でクウェートは独立国となったが、本来はイラクに帰属すべきである」との年来の主張を実行に移した形となった。
このあからさまな侵略に対する国連の対応は機敏であった。同日、直ちに召集された安保理は、イラク代表による「クウェートの旧政府を倒した『クウェート暫定自由政府』の要請に応じて安全と秩序の確立を援助している。クウェートとの善隣関係を望んでいるのであって、秩序が回復され次第軍隊を撤退させる。」(大要)との弁明を退け、イラクのクウェート侵攻は国際平和と安全を破壊する行為であることを認定・非難し、以下の内容の決議を採択した(安保理決議660号)。

・ 安保理は、憲章第39条及び第40条に基づく権能を行使すること
・ イラクに対し、1990年8月1日の配備地点まで部隊を即時に無条件で撤退することを要求すること
・ イラク及びクウェート両国に対し、事態打開のための真摯な協議の開始を要請すること
・ 安保理はその実現ための努力、とくにアラブ連盟による努力を全面的に支援することを約束すること
・ 本決議の履行を確保するに資するその他手段を講じるため、必要に応じて理事会を招集すること

しかし、イラクはこれを無視。そこで引き続いて、同月6日、安保理は、憲章41条に従い、全加盟国に対してイラクへの全面禁輸措置の実行を求めるとともに、30日以内に本決議の履行状況の報告を要請する決議を採択した(安保理決議661号)。
その後もイラクは、部隊撤退に応じないので、安保理は、同月25日、上記禁輸措置の実効性を確保するために、当該地域に海上兵力を展開している加盟諸国に対し、海上封鎖・船舶臨検を求める決議を採択(安保理決議665号)、さらに9月25日、人道支援物資を除いた物資の空輸も禁止する決議を採択した(安保理決議670号)。

これに対し、フセイン政権は、クウェートやイラク在住の外国人を軟禁状態に置くなどして対抗措置をとり、国際世論の激しい反発を招いた。ことここに至り、11月29日、ついに、安保理は次のような重大な意味を持つ決議を採択したのであった(安保理決議687号)。

・ イラク政府に対し、安保理決議660号及びすべての後続決議の完全な履行を要求し、当理事会の最後の善意の行動として全ての決定を留保しつつ、同国がこれを行うための最後の機会を与える。
・ イラク政府が1991年1月15日当日あるいはそれまでにクウェートから部隊を完全に撤退させない限り、クウェートと協力するすべての加盟国に対し、安保理決議660号及び後続のすべての関連決議を執行し、かつ地域内の国際平和と安定を回復するため、必要とされるあらゆる措置をとることを認める。
・ すべての加盟国に対し、本決議に基づいてとられる行動に対する適切な支援を求める。

しかし、イラク軍はクウェートから撤退せず、1991年1月17日、アメリカ軍主体の多国籍軍がイラクの軍事施設や発電所などの施設を空爆し、2月24日、地上軍の投入も開始して、同月27日には、クウェートからイラク軍を撃退し、3月3日、イラク政府は、安保理決議660号以下の決議遵守を確認、停戦協定が成立したのであった。

(小括)

以上のように湾岸戦争は、国連安保理の決議に基づき、経済的制裁措置から軍事的措置へと進み、国連安保理の授権のもとに、展開海上兵力による海上封鎖・船舶臨検、及び多国籍軍の編成・武力行使がなされたものである。従って、個別国家の集団的自衛権行使とは異なり、集団的安全保障措置として位置づけることができる。
湾岸戦争は、イラクのクウェート侵略をやめさせ、イラク軍を排除し、クウェートを解放したことにより終結をした。このこと、個別国家の集団的自衛権行使による武力行使事案と比べ、抑制され合理的な対応であり、最小限度の武力行使にとどまるもので、特筆に値する。
湾岸戦争での国連の対応は、冷戦終結によって、国連による国際の平和と安定、国際秩序の確立に大きな希望をもたらしたのであったが、残念ながらその後、アメリカが、この希望の灯を消してしまったことは既に見たとおりである。

2 朝鮮戦争

今でははっきりしていることであるが、1950年6月25日、北朝鮮軍が国境線とされた38度線を越えて韓国領内に侵攻した。国連は、即日緊急安保理を召集し、北朝鮮の侵攻は「平和の破壊」であり、部隊撤退を要求した(安保理決議82号・ソ連は欠席)。しかし北朝鮮がこれに応じないので、同月27日、加盟国に対し、北朝鮮の武力攻撃を撃退し、当該地域に国際の平和と安定を回復するための援助を韓国に提供することを求める決議を採択(安保理決議83号・ソ連欠席)、さらに同年7月7日、上記決議83号に基づいて出動した加盟国の部隊・・・アメリカ軍25万人を中心として、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、コロンビア、ベルギーなどの部隊・・・をアメリカの統一司令部のもとに「国連軍」を編成する決議を採択(安保理決議84号)、「国連軍」は武力介入を開始した。

 「国連軍」の実態は今でいう多国籍軍であるが、安保理の決議に基づいて、国連の集団的安全保障措置として北朝鮮軍に対する反撃が開始された事実は争えない。「国連軍」は当初苦戦したが、ようやく同年9月末には北朝鮮軍を国境線以北に追いやることができた。

上記安保理決議83号にあるとおり、「国連軍」の目的は北朝鮮軍の撃退にあるのだから、そこでとどまっていれば、この事例は、国連の集団的安全保障措置の成功例として記録された筈である。ところがアメリカは、ここで韓国の唱える北朝鮮を壊滅させる北進統一論に与してしまった。アメリカは、国連安保理に越境攻撃を認める決議をあげさせ、それに基づいて「国連軍」の越境進撃をオーソライズさせようとしたのであった。しかし、この段階では出席に転じていたソ連の反対で、決議採択は失敗に終わってしまった。そこで同年10月7日、今度は強引に、国連総会を招集させ、朝鮮全土の安定を回復するためとして越境攻撃を認める総会決議を採択させたのである。
ここにおいて「国連軍」の性格は、安保理の決議に基づく集団的安全保障措置を実行するための軍隊から、各加盟国の集団的自衛権の行使のための軍隊に変質してしまった。

以後、「国連軍」は越境して攻撃を続け、平壌制圧、さらには10月27日には中朝国境の鴨緑江に達し、韓国の北進統一の悲願達成目前の状況に至った。こうした事態を迎え、中国人民解放軍は、義勇軍を送り込み、再び「国連軍」は押し戻され、一時は、中朝軍がソウルを制圧したが、その後一進一退、38度線付近で戦線は膠着状態となり、1952年1月以後事実上休戦状態、1953年7月、休戦協定が結ばれて今日に至っている。

(小括)

 朝鮮戦争は厚い冷戦の氷を破って噴出した熱い戦争であった。それでもソ連が、独自の目論見があって出席をしないという対応をしていた時期、国連安保理が正常に機能し、憲章39条及び第40条に基づく権能を行使している間は、集団的安全保障措置として、武力行使は、侵攻した北朝鮮軍を韓国から排除するという合理的範囲内にとどまっていた。しかし、集団的自衛権の行使に変質するや、他国を武力で殲滅するという不当な目的のための侵略となってしまった。これも歴史の貴重な教訓である。

                               (続く)

安保法制懇報告書を読む (9)

(冷戦終結後の状況) 

冷戦終結後の1993年、旧ソ連から独立したタジキスタン共和国の内戦に、ロシアが、その一方を支援して軍事介入したが、この事例のように今後も勢力圏維持、自国の権益確保のための冷戦型集団的自衛権の行使がなされる可能性はある。ただ、冷戦終結後には、従来とは全く様相を異にし、唯一の超大国アメリカが、「テロ支援国家」、「ならずもの国家」と認定し、自衛権の名の下にその政権を打倒するために武力行使を発動し、それに支援する諸国が集団的自衛権の行使を標榜する事例が大きくクローズアップされてきた。以下の2事例について検討してみよう。

なお、湾岸戦争はこれらの事例に似ている面もあるようで、実は、全く異なっている。冷戦型集団的自衛権行使の事例とも言えそうで、そうではない面もあった朝鮮戦争とともに次回に検討することにする。

① アフガン戦争(2001年/アメリカ、NATO構成諸国)
② イラク戦争(2003年/アメリカ、イギリス)

①について。

9.11テロの衝撃がいまださめやらぬ2001年9月12日、国連安保理は、以下のとおり、卑劣なテロ攻撃を糾弾する決議をあげた(安保理決議1368号)。

(前文)
・テロがもたらす国際の平和及び安全に対する脅威に対してあらゆる手段を用いて闘うことを決意する。
・国連憲章に従って個別的又は集団的自衛の固有の権利を認識する。

(本文)
・9.11同時多発テロ事件を強く非難し、そのような行為が国際の平和及び安全に対する脅威であると認める。
・犠牲者及びその家族並びにアメリカ国民に対して同情及び哀悼の意を表明する。
・すべての国に対して、テロ攻撃の実行者らを法に照らして裁くために緊急に取り組むことを求め、これらの者を支持又はかくまう者はその責任が問われることを強調する。
・9.11テロ攻撃に対応し、あらゆる形態のテロリズムと闘うため、国連憲章のもとでの同理事会の責任に従い、あらゆる必要な手順をとる用意があることを表明する。

この決議の意味するところは、国連安保理の責任において、テロ攻撃の実行者らを法に照らして裁くべきであり、テロ攻撃者らを支持又はかくまう者はその責任を問うということであり、アメリカの単独行動を容認するものではないことは明白である。

ところがアメリカは、この決議の前文に「国連憲章に従って個別的又は集団的自衛の固有の権利を認識する」とある部分をつまみ食いして、自衛権行使の名のもとにタリバン政権転覆を目的とする対テロ報復戦争に打って出たのであった。さらにNATO構成国は、アメリカに対する集団的自衛権を行使することを決め、アメリカの対テロ報復戦争に直接的な戦闘行動以外の支援を行ったのである。

実際には、アメリカの武力行使は、国連憲章51条の自衛権行使の要件(第一に違法な武力攻撃があったこと、第二にこれを排除するために他に方法がないこと、第三にそのために必要最小限度の武力行使にとどめること)を満たしておらず、自衛権行使として正当化することはできず、違法かつ不当な侵略戦争・報復戦争であった。
アメリカは冷戦終結後、国連中心主義に回帰するかのごとく見えたが、ここに至って単独行動主義、冷戦下の覇権主義に立ち戻ってしまったかのようである。
またNATO構成国も、結果的には、集団的自衛権の行使ではなく、アメリカの違法かつ不当な侵略戦争・報復戦争への加担をしたことになる。

そのことがもたらしたものは、現在のアフガニスタンの混迷、多数の人命、財産の喪失と国土の荒廃であることを見るとき、アメリカとそれに加担・追随したNATO構成諸国の罪は深いと言わねばならない。

②はどうか。

イラク戦争では、アメリカの単独行動主義、覇権主義は一層深まったといえる。アメリカのイラク攻撃の意図が明白となったのは2002年7月であった。
同月8日、ブッシュ大統領は「フセイン政権は排除されなければならない」と宣言。同時に軍関係者からニューヨークタイムズ紙に「25万の兵力を投入して、クウェートから大規模な地上戦を仕掛ける、実施時期は2003年1、2月」との情報がリークされた。それとともにブッシュ政権は、イラクの保有疑惑と国連査察への非協力姿勢を声高に非難し始める。

フセイン政権は、同年9月、アメリカの攻撃意図が固いと見たのか、それまでの態度を一変させ、国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)受け入れを表明したのであった。ところがアメリカはより強硬で厳格な大量破壊兵器査察とそれに違反した場合にはあらゆる手段を使う(つまり武力行使に訴える)との決議を安保理に提案するに至った。
しかし、アメリカはそんな変化を無視してイラク攻撃へとひた走る。

同年11月、国連安保理は、アメリカの「熱意」が実って、「決議採択から1週間以内に査察受け入れ、30日以内にすべての大量破壊兵器に関する情報を開示し、提出すべし」、(査察団が)「イラクの陸空の交通を自由に封鎖できる」、「無人偵察機を自由に飛行させられる」、「自由に口頭・文書での情報にアクセスでき、これらの情報を自由に差し押さえる」などとする無茶な条件を含み、「違反があれば深刻な事態を招く」とする決議を採択した(安保決議1441号)。それでもアメリカが提案した「違反した場合にはあらゆる手段を使う」(つまり武力行使に訴える)との表現が緩和されていることには留意されるべきである。

ところがアメリカにとって予想外のことが起こった。当然拒絶すると見ていたのに、フセイン政権は、国内の轟轟たる非難の声をおさえ、この無茶な安保理決議を受け入れたのである。

同月末から、UNMOVICのブリックス委員長とエル・バラダイIAEA事務局長らが査察団としてイラク入りしたのを皮切りに、12月中には85名~100名に及ぶ査察団がイラク入りし、査察が行われた。
2003年1月9日「大量破壊兵器保有の確証は得られなかった」とする中間報告が出され、アメリカはあせる。その後若干の怪しきものがみつかり、シロの心証は揺らぐが、同月27日の最終報告提出日までに査察は完結しないので、査察団としては一応同日までに暫定的に最終報告書を提出するが、査察は同年3月末まで継続することを決めた。
しかし、アメリカにとっては、それは都合が悪い。1月27日に提出される最終報告で決着をつけなければ、気温があがらず、砂嵐などで視界が悪くなる春前には軍事攻撃に着手しなければ具合が悪いのである。アメリカは査察短縮を迫る。しかるにフランス、ロシア、とりわけフランスが査察徹底を主張する。

1月27日、そのようなやり取りの中で、つまり暫定的な最終報告書が提出される。中間報告書よりはクロに傾いているが、決定的な証拠を欠いていた。

ブッシュ大統領は、翌日の2003年一般教書演説では、フセイン政権糾弾の力点を大量破壊兵器の開発よりは反政府勢力への弾圧、拷問、残虐性に移すという深謀遠慮をめぐらす。一方パウエル国務長官は、国連で、盗聴記録を公開してフセイン政権が大量破壊兵器を隠匿しているとの主張を繰り返した。

ここにきて、フランス、ドイツ、ロシアは、アメリカの姿勢に拒絶反応を示すことになる。2月10日、査察継続を求める共同宣言を行ったのである。これに力を得たのか、UNMOVICは、イラクには協力姿勢が認められると積極評価し、査察を継続するとの追加報告書を提出した。

このような状況のもと、アメリカ国内でも、イギリス構内でも、さらには世界各国において、イラク戦争反対の市民運動が高まり始めた。まさにそのようなさ中の2003年3月17日、ブッシュはイラク攻撃に踏み切り、ブレアは集団的自衛権の名のもとにブッシュに加担・追随したのであった。

最後まで査察を続けようとした査察団はイラクを去らねばならなかった。そのとき国連はどうしたか。アナン事務総長が「決議なく軍事行動を行うことは国連憲章違反だ」と声明するのがせめてもの抵抗であった。

その後、フセイン政権は打倒されたが、未だにイラクに平和は戻っていない。大量兵器はなかった。現在のイラクの混迷、はたまた多数の人命と財産が失われ、イラクの国土の荒廃をした。アメリカの武力行使は、アフガン戦争自衛権にあたらず違法・不当な侵略戦争、政権転覆であり、イギリスは集団的自衛権の名の下にこれに加担したのである。アメリカとイギリスの罪はやはり深いと言わねばならない。

(小括)
 冷戦終結後も、集団的自衛権はその魔性を発揮し続けている。侵略戦争に加担・追随するだけの役割を果たしているのである。

                                       (続く)

安保法制懇報告書を読む (8)

 それでは、報告書が敢えて触れない集団的自衛権行使の具体的実例をみていくこととしよう。報告書の好きな言葉を使うと、「安全保障環境の激変」が認められる冷戦期と冷戦終結後とでは様相がガラッと変わるので、両者区分して論じるのが適当だろう。今回は冷戦期の状況を述べる。

(冷戦期の状況)

冷戦期の集団的自衛権の実例に数えられているものは以下のごとくである。

 ① ハンガリー動乱(1956年/ソ連)
 ② レバノン・ヨルダンへ介入(1958年/アメリカ、イギリス)
 ③ イエメンへ介入(1964年/イギリス)
 ④ ベトナム戦争(1966年/アメリカ)
 ⑤ プラハの春への介入(1968年/ソ連)
 ⑥ アフガニスタン介入(1980年/ソ連)
 ⑦ グレナダ介入(1983年/アメリカ)
 ⑧ ニカラグア介入(1984年/アメリカ)
 ⑨ チャド介入(1986年/フランス)

 これらについて、記憶に鮮明に残っているものもあればやや記憶の薄れたものもあるかもしれないので、ひととおり簡潔に説明しよう。

①は、ハンガリー勤労者党指導部のナジ・イムレを首班とする政府が、複数政党制と自由選挙、ワルシャワ条約機構から離脱することを求める国民の声を受け入れようとしたとき、親ソ派と結んだソ連が、戦車と銃剣でこれを圧殺、多くの市民・労働者を殺害し、親ソ派政権を樹立したというものである。国連総会において、非難の声が相次ぐ中、ソ連は、ハンガリー側の要請でなされた集団的自衛権の行使だと主張したが、ソ連軍の撤退を要求する決議が採択された。

②は、第二次中東戦争を経てエジプト、シリアがアラブ連合共和国を結成、アラブ世界に民主化とアラブ民族主義運動が台頭、イラクにもクーデタが発生し、共和制が宣言されるという状況下で、レバノン、ヨルダンにおいても反政府勢力の活動が活発化し、アメリカ、イギリスが軍隊を派遣してこれを鎮圧したというものであった。アメリカ、イギリスはレバノン、ヨルダン両政府からの要請と反政府側にアラブ連合の支援があったということをあげて、集団的自衛権の行使として正当化を図ろうとしたが、国連総会において、アメリカ、イギリスの主張は容れられず、アラブ諸国において問題解決にあたるとする決議が採択された。

③は、イギリスの統治下にあったアデンを中心とするアラビア半島南部地域において、イギリスの肝いりで南アラビア連邦ができるや、アデンの真の独立をめざして南イエメン民族解放戦線が結成され、反英闘争が激化する中、イギリスが、南アラビア連邦からの要請による集団的自衛権の行使を標榜して、軍隊を派遣、鎮圧をはかったものであった。これも国連総会でイギリス非難の決議が採択された。

④は第二次世界大戦後最大の戦争であり、60歳代以後の多くの日本人にはベトナム反戦運動を通じて自分史のひとコマにもなっているであろう。アメリカは、トンキン湾外の公海上で自国の駆逐艦がベトナム民主共和国から攻撃を受けたこと(トンキン湾事件)を口実として、自衛権の行使のだと主張して北ベトナム攻撃に踏み切り、南ベトナムに大軍を派遣した。次いで南ベトナム政府からの要請による集団的自衛権の行使の名のもとに軍隊を増派、北爆を拡大、継続した。アメリカが投入した軍隊は最高時には54万人を超えた。
またオーストラリア、ニュージーランド、タイ、フィリピン、韓国でなどが、アメリカの要請を受けて、集団的自衛権行使の名のもとに派兵した。
1971年、エルズバーグが極秘文書ペンタゴン・ペーパーを暴露。これによりトンキン湾事件は自作自演の謀略であったこと、さらにアメリカが南ベトナムの共産化を防ぐということだけを自己目的として遂行された戦争であったことが明らかとなった。今や、ベトナム戦争が侵略戦争であったことに疑義をはさむ者は殆どいないだろう。集団的自衛権は、侵略戦争の隠れ蓑として使われたのである。

⑤は説明するまでもないかもしれない。チェコスロバキアにおいて、チェコスロバキア共産党内の改革派ドプチェクらによる「人間の顔をした社会主義」への道の模索が始まるや、ソ連はワルシャワ条約機構軍を送り込み、改革派党幹部をソ連に連行、ソ連への忠誠を誓わせたのであった。ソ連は、この軍隊派遣をも集団的自衛権の行使として、国連安保理に報告している。一体、どこに武力行使があり、誰からの要請があったというのであろうか。

⑥は、今に続くアフガニスタン混乱のそもそもの原因である。ソ連は、アフガニスタンに大軍を送り込んで、政府首班をより親ソ派へと首のすげ替え、国民から離反されたアフガニスタン政府を軍事的にサポートしたのであった。ソ連は、国連安保理と総会において、またしても集団的自衛権の行使を主張したが、そのような主張は容れられず、80年1月の国連緊急特別総会で、外国軍隊の即時、無条件、全面撤退を求める決議が採択された。

⑦について。カリブ海の小国グレナダにおいて独裁体制を打倒し、革命政府が樹立され、アメリカ系企業の国有化政策、非同盟・中立政策が推し進められる中、グレナダも加入する東カリブ海諸国機構(OECS)からの介入要請を受けて、アメリカは軍事介入し、制圧、革命政府を転覆した。国連総会において、アメリカは集団的自衛権の行使として正当化をはかったが、圧倒的多数で「国際法およびグレナダの独立、主権、領土保全の重大な侵害」とする非難決議が採択された。

⑧はニカラグアにサンディニスタ革命政権が樹立され、国内では右派ゲリラ勢力(コントラ)の武装闘争が展開され、逆に隣国の親米国家エルサルバドルでは反政府組織が勢力を拡大し始めている中で、アメリカが、ニカラグアの港湾の機雷封鎖、港湾施設や海底パイプラインや石油貯蔵施設の爆破など、サンディニスタ革命政権に攻撃を加えたものである。ニカラグアは国際司法裁判所に提訴、アメリカはニカラグアからエルサルバドルの反政府勢力への武器援助がなされたとしてエルサルバドルへの集団的自衛権の行使だと主張したが、同裁判所はこれを排斥、アメリカの国際法に違反する違法な武力行使を認定した。

⑨について。リビアの南西に隣接するチャド。リビア、ソ連が支援する北部のイスラム勢力と、フランス、アメリカご支援する南部勢力との間で抗争が続く中、フランス空軍は、南部勢力の要請を受けて、北部を爆撃した。フランスは、これを集団的自衛権の行使と主張したが、内戦への介入であることは明らかである。

(小括)
これらの事例では、いずれも国連憲章51条による集団的自衛権の行使として正当化が図られている。しかし、どれをとっても、武力攻撃もない、誰からの要請なのかもわからない、自衛権などという言葉から遠くはずれた単なる自己の勢力圏や国益の維持・確保にしか過ぎないものばかりである。
これらから言えることは、冷戦下における集団的自衛権は、侵略、主権の侵害、敵対政権の打倒のための戦争、武力行使であることを糊塗する方便であったということである。報告書は、こういうことを隠したのである。それならば私たちが、集団的自衛権の負の遺産、影の部分を白日のもとにさらしていかなければならない。
           
                                  (続く)

安保法制懇報告書を読む (7)

 そろそろ食傷気味になっている方もきっとおられるであろう。書いている本人も、いささかうんざりしてきているのだから。しかし、ここで手抜きをせず、最後まで続けようと思うので、是非お付き合いを。

1 10類型の具体的事例

 報告書は、確立している政府の9条解釈論(繰り返し述べている政府見解二本柱、及びそこから当然派生する専守防衛論と集団的自衛権否定論、海外派兵禁止論、PKO五原則、周辺事態対法やテロ特措法における後方支援にかかる武力行使と一体不可論等。以下同じ。)に、さまざまに揺さぶりをかけようとしているのだが、一向に効き目がないことはこれまで見てきたとおりである。
 そこで、ままよ、とばかりに持ち出してきたのが、前回報告書に盛られた4類型、今回新たに追加された6類型、合計10類型の具体的事例への対応の必要性という切り口である。この10類型、煩をいとわず書き出してみよう。

① 公海における米艦の防護
② 米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃
③ 国際的な平和活動における武器使用
④ 国連PKOなどに参加している他国の活動に対する後方支援
⑤ 近隣国有事の際における船舶検査活動、米艦等への攻撃排除及び支援活動
⑥ 米国が武力攻撃を受けた場合の攻撃国に対する反撃
⑦ わが国の船舶の航行に重大な影響を及ぼす海域の機雷封鎖への対処
⑧ 国際秩序に重大な影響を及ぼす武力攻撃発生時の国連決定に基づく活動への参加
⑨ わが国領海を潜没航行する外国潜水艦への強制措置
⑩ 海上保安庁の巡視艇で対処困難な海域や離島等における武装集団への対応

 果たしてこれらの事例により、確立している政府の9条解釈論に揺さぶりをかけられたであろうか。残念ながら、以下に述べるとおり、これまた空振りである。

 まず①、②、⑤、⑥、⑦の事例であるが、これらは素人目で見てもマニアックに走り過ぎてリアリティを欠くことを指摘したい。このような事例を考案する報告書の立場は、米軍と共同して自衛隊の持てる武力を行使したい、するべきだとの決め付け、即ち、集団的自衛権ありき、であることを示している。これはトートロジー、結論をもって結論を導き出そうとする類の議論であり、最も説得力を欠く議論である。
 なお、報告書は、いとも簡単にこのような事例で自衛隊の武力行使を認めるのであるが、それは戦争当事者の一方への加担であり、かつまた他方への敵対行為であるから、その結果、わが国全土が攻撃対象となることをお忘れではなかろうか。

 次に③、④、⑧の事例であるが、そもそもこうした活動に自衛隊を参加させるべきではないという見解が有力に唱えられ、国民の中でも賛否が大きく割れる中で、⑧は不可とされ、③、④は、厳しい制約、歯止めを課して認められることとなったのであった。その制約、歯止めの根拠になったのが従来の9条解釈論である。報告書は、こうした経緯を無視し、一歩だけしか踏み出せなかった足を、ほとぼりがさめたとばかりに二歩も三歩も先に踏み出せと言っているのである。これは空き巣が、家人に見つかり、包丁をつきつける居直り強盗に類する論理ではなかろうか。

最後に⑨、⑩は、近時、マイナー自衛権として議論される問題で、集団的自衛権や海外での武力行使に関わる問題ではなく、一見確立している政府の9条解釈論にコミットしないように見えるが、自衛権行使三要件で定義される自衛権及びその自衛権を行使するために必要最小限度の実力という自衛隊の定義から、自衛隊の使用にはおのずから制限があると言わねばならない。
 これは、すずめを撃つのには空気銃はふさわしいが、決して大砲を使ってはならないというごくごくシンプルな話である。

2 大切なのは集団的自衛権行使の実例
 
 報告書は過去の集団的自衛権行使の実例を一切検討していない。これは敢えて避けたのであろう。しかし、確立している政府の9条解釈論の現実的妥当性を検討するのには、何をおいてもこれらを検討しなければならない。
 具体的事例を次回に検証してみることとするが、冷戦時代も、冷戦終了後も、本当にひどいものばかりである。

                                            (続く)

安保法制懇報告書を読む (6)

1 「安全保障環境の変化」、これは、報告書のもちいるマジックワードである。報告書は、「わが国をとりまく安全保障環境は、一層厳しさを増している」と述べている。

 報告書は、前回報告書の時に比べてもその傾向は一層顕著になっているとして、以下の事象をあげている。

① 技術の進歩と脅威やリスクの変化
② 国家間のパワーバランスの変化
③ 日米関係の深化と拡大
④ 地域における多国間安全保障協力等の枠組みの動き
⑤ 国際社会全体が対応しなければならない深刻な事案の発生が増えていること
⑥ 自衛隊の国際社会における活動実績とその役割の増大

2 報告書は、だから従来の憲法解釈では十分に対応できなくなっていると述べている。
  だが、これはアジテーションに過ぎないのではないか。私たちは冷静に分析し、論理的に考えてみる必要がある。

①に関して言えば、戦後69年間、これらは一貫して激しく変化し続けてきた。その中でも、核兵器の大量保持と運搬手段の飛躍的発達、核拡散、正面衝突を回避しつつ展開された米ソの覇権争いと地域紛争への積極的介入、通常兵器の精度・性能と破壊力の向上させる開発競争、熾烈な諜報・情報戦争、宇宙空間の軍事的利用の研究・開発、ありとあらゆる点において冷戦時代にこそ、これらは際立っていた。

②について、パワーバランスの変化の担い手は、中国、インド、ロシア等だ、と報告書は述べている。ただ具体的な説明がされているのは中国だけであるから、中国こそパワーバランスの変化に主たるアクターだと言うのであろう。確かに、中国の軍事的膨張主義は、わが国にとっては重要な課題である。しかし、米国に一切触れないのは片手落ちだろう。米国の動向こそ、依然として世界の緊張の原動力である。
それにしても米ソの冷戦構造の時代は米ソのパワーバランスの変化に世界が振り回された。それと比べると個別国家のパワーバランスよりも、国連や地域的機構の安全保障、平和維持の役割が格段と重要視されるようになっていることは、④、⑤で取り上げられているとおりである。

③は、わが国歴代自民党政権がとってきた米国一辺倒の外交政策の結果であって、多角的、東アジア重視の外交姿勢に転ずれば、日米軍事同盟体制は相対的に重要性を減ずることになる。

④は、安全保障環境の厳しさを緩和する要因となる。

⑤について。冷戦終結後、地域紛争は、冷戦時代とは異なる形をとり、異なる原因で発生するようになった。そのため冷戦時代には無力であった国連が、その本来の役割を果たせる機会が増えたということである。

⑥について。これは、9条に関する政府見解二本柱によって、海外派兵、海外での武力行使に歯止めがかけられてきたから言えること。その歯止めがあったればこそ、自衛隊は、海外で武力行使をせず、戦闘により一人も殺されず、一人も殺してこなかった。非武装の自衛隊が、海外で平和維持活動、災害救助活動、民生活動をすることにより自衛隊は一層高く評価されることになる。

3 以上述べたところから明らかなように、「従来の憲法解釈では十分に対応することができない状況」などどこにも生じていない。しかるに報告書が「従来の憲法解釈では十分に対応することができない状況」に立ち至っているなどと強弁するのは、要するに、憲法9条の下で、集団的自衛権行使は認められないとの従来の政府見解(二本柱の政府見解から論理必然的に導かれる)を変えたいとの願望が強すぎて、真実が見えなくなってしまっているのであろう。

もっとも報告書は隠しているが、本当は、安全保障環境の変化として真っ先に指摘したかったことがあるのではなかろうか。それはかっての冷戦時代の仮想敵国ソ連と比べて、中国(あるいは北朝鮮)はより弱い仮想敵国であること、自衛隊が海外で戦争ができるほどに軍事的能力が著しく向上していること、この二つの事実。これは単なる推測に過ぎないが、当たらずといえども遠からずであろう。
 
                              (続く)





安保法制懇報告書を読む (5)

1 報告書は、次のように述べる。

① 日本国憲法前文、13条において、平和的生存権および生命、自由及び幸福追求権は基本的人権の根幹であり、また国民主権原理は根本原則とされている。それは国家、国民の安全の確保ができてはじめて成り立つものである。従って、自衛力の保持と行使は、憲法に内在する論理の帰結である。

② 日本国憲法前文、98条は国際協調主義を掲げている。その精神から国際的活動に積極的に取り組まなければならない。

③ 平和主義は日本国憲法の根本原則であり、9条に具体化されている。同じく国際協調主義も前文、98条に定める日本国憲法の根本原則である。「国家安全保障戦略」(2014年12月17日閣議決定)の「国際協調主義に基づく積極的平和主義」は、「我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定を実現しつつ、国際社会の平和と安定及び繁栄の確保にこれまで以上に積極的に寄与する」ことを目的とするものであり、ここに平和主義と国際協調主義が体現されている。

 報告書は、このように主張することにより、二本柱の政府見解により明示された9条解釈論に水をさそうとしたのである。果たしてその企図は達成されたであろうか。

2 残念ながら、三球三振に終わり、二本柱をかすりもしなかった。その理由は以下に示すとおりである。

 第一は①について。わが憲法において、平和的生存権および生命、自由及び幸福追求権、国民主権は、国政の運営において最大限尊重されなければならず、政府は、これらを侵害してはならない。このことはいうまでもないことである。だからわが国の平和と安全を守らなければならないことも当然であり、誰しも異論はないだろう。
 こうしたことで意見の対立が生じることはまず考えられない。問題はその先にある。即ち、それをどのように実現するかである。

 報告書は、軍事力と軍事同盟をバックにした力を重要視する。典型的なパワーポリティックスの立場である。その立場から、現状は危ういと見ているのである。しかし、軍事力と軍事同盟の強化は、武力衝突を誘発し、小さな武力衝突を大きな戦争に燃え広がらせたことを、私たちは歴史的に体験している。

 軍国主義国家であった我が国は、その痛切な体験を通して、戦後、軍事力と軍事同盟に頼らないでわが国の平和と安全を保持することを選択し、確認した。日本国憲法前文と9条はそのことを明確に定めている。その前文と9条の趣旨を、複雑な国際社会の力学に翻弄され、民意が揺れ動く中で、最大公約数で表現したのがかの政府見解二本柱である。

 他国に攻め入ることは勿論、海外で武力を行使しないこと、一切の紛争を平和的手段で解決する立場に徹すること及びわが国の自衛隊は専守防衛の手段であることを、堅持し、世界に鮮明にアピールし、世界平和の先頭に立って努力することこそがわが国の平和と安全を守るより確かな道である。

 第二は②について。報告書は、国際協調主義の語義を転換させている。報告書のいう国際協調主義とは、他の一国もしくは数カ国と協調して武力行使をすること、あるいは国連もしくは他の国際機関の武力行使を含む強制措置に参加することを意味している。しかし、それは国際紛争を武力で解決する立場であり、本来の国際協調主義ではない。

 本来の国際協調主義は、経済的・文化的・人的交流による信頼関係の醸成、及び後発国あるいは発展途上国における貧困・差別・抑圧の緩和のための国際援助を通じて、紛争を未然に防止し、万一紛争が発生しても平和的な交渉を通じて解決する努力をし、最後の最後まで武力でことをかまえないことを本旨とする考え方である。日本国憲法前文、9条がこの考え方を基礎としていることは明らかである。

 第三に③について。平和主義、国際協調主義については上述したところで十分であろう。
報告書は、「積極的平和主義」なる安倍政権のスローガンにいたく感激をしているようであるが、そもそも積極的平和主義とは、ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングによる、「消極的平和」は「戦争のない状態」、「積極的平和」は戦争がないだけではなく「貧困、差別など社会的構造から発生する暴力がない状態」との定義に基づき、「貧困、差別など社会的構造から発生する暴力がない状態」を実現しようとする考え方(ヨハン・ガルトゥング「構造的暴力と平和」中央大学現代政治学双書)であって、軍事力と軍事同盟を強化し、それをバックにした力で国益を追求する安倍流「積極的平和主義」とは無縁のものである。

                                          (続く)

安保法制懇報告書を読む (4)

 報告書は、砂川事件最高裁判決の判旨を抜粋引用し、「わが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然であるとの判断を司法府がはじめて示したものとして大きな意義を持つ」、「この判決、わが国が持つ固有の自衛権について集団的自衛権と個別的自衛権とを区別して論じておらず、したがって集団的自衛権の行使を禁じていない点にも留意するべきである」と論評している。

 報告書が出される前の観測からすると、砂川事件最高裁判決の位置づけは格段に低下している。事前の観測では、報告書は、集団的自衛権を認めたものとして砂川事件最高裁判決を援用するのではないかと見られていた。しかし、上記の論評は微妙である。言ってみれば、従来の政府見解にゆさぶりをかけ、そのオーソリティを少し値切るという程度の位置づけである。

 何故、そうなったのであろうか。それは砂川事件最高裁判決が集団的自衛権を認めたものと評価するのは、あまりにも憲法学、法律学の基礎をわきまえない主張であるからである。報告書は、それでも未練がましく、従来の政府見解を攻撃するその他、その他の理屈の陰に、少しとどめ置いたのである。そう私が言い切る理由は以下のとおりである。

 最高裁砂川事件判決の判決理由を分解すると次の二つに区分できる。

第一の区分
「本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであって、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。」
「果してしからば、かようなアメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法9条、98条2項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。そしてこのことは、憲法9条2項が、自衛のための戦力の保持をも許さない趣旨のものであると否とにかかわらないのである。」

第二の区分 
「先ず憲法9条2項前段の規定の意義につき判断する。そもそも憲法9条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤って犯すに至った軍国主義的行動を反省し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであって、前文および98条2項の国際協調の精神と相まって、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。すなわち、9条1項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また『国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』と規定し、さらに同条2項においては、『前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」
「われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補い、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであって、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
そこで、右のような憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」

 第一の区分では、砂川事件最高裁判決の判例としての価値が認められる部分である。
 安保条約の合憲・違憲の判断は高度の政治性を有するから、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、司法審査対象外であること、安保条約は、一見極めて明白に違憲無効とはいえないことを明示している。

 第二の区分は、いわゆる傍論であり、判例としての価値は認められず、そのようなことを述べていることを有利だと思う側がプロパガンダに用いるのはともかく、学問上、実務上、何らの効用もない。

 報告書は、アンダーラインを付した部分のみを引用するが、第二の区分全体を読めば、9条は国家固有の自衛権を否定していない(これは憲法学者の多数意見である。)こと、9条2項が自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、(仮に禁じたとしても)それは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力であることを述べ、安保条約は一見極めて明白に違憲無効とはいえないとの第一区分の判断の論拠を示しているに過ぎないことは明白である。
 報告書が、事前に観測されたような意気込みを失ったのは当然である。勿論、これによって従来の政府見解の二本柱は微動だにしていない。

                                     (続く)

安保法制懇報告書を読む (3)

(前回の補足)

5月16日に放映されたNHKスペシャル「集団的自衛権を問う」を見て、報告書が、従来の政府見解について、次のように述べている点について、もっと焦点をあて反論しなければならないと痛感した。

「政府は、憲法前文及び同第13条の双方に言及しつつ、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることができることを明らかにする一方、そのような措置は必要最小限度にとどまるべきものであり、集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの見解を示すに至った。」

前回は、この点について、報告書が陥っているドグマだと指摘したのみであったが、むしろ従来の政府見解の悪質かつ意図的な改ざんであると言うべきであった。

私は、自衛隊創設の時期をはさんで確立された従来の政府見解は、次の二点であることを指摘しておいた。

第一に「自衛権行使三要件」として示された自衛権の定義とそのような自衛権行使は9条の下でも認められる。

念のためにいうと、自衛権行使三要件とは、①わが国に対する急迫不正の侵害があること、②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、である。なお、ここでいう「必要最小限度の実力行使」とは、攻撃と均衡のとれた反撃にとどまらなければならないこと、つまり過剰防衛は許されないという意味である。

第二に「自衛権の行使を裏付ける自衛のための必要最小限度の実力」としての自衛隊を保持することは9条2項によっても認められる。

これらは従来の政府見解の二本柱である。おわかりのように第一の柱が、9条のもとにおいても認められるという自衛権を定義し、第二の柱はこれを前提として9条2項においても認められる自衛隊を定義したという関係に立つ。その意味では第一の柱が大黒柱である。

では、この大黒柱、自衛権の定義は何を根拠としたのだろうか。それは、従来、国際慣習法上認められていた伝統的な自衛権概念に基づいているのである。

横田喜三郎博士は、戦前からその著「国際法」上巻において、「自衛権は、国家または国民に対して急迫または現実の不正な危害がある場合に、その国家が実力をもって防衛する行為である。この実力行為は、右の危害をさけるためにやむを得ない行為でなくてはならない。」として、具体的に「第一に、急迫または現実の不正な危害でなければならない。(以下略)」、「第二に、国家または国民に対する危害がなければならない。(以下略)」、「第三に、危害に対する防衛の行為は、危害を防止するために、やむを得ないものでなければならない。(以下略)」と説いておられるほか、多数の国際法学者がこのような見解を唱えており、国際法学の通説と言ってよい。

この国際法学の通説は、1837年、英国から独立を求めるカナダ独立派が利用していた「カロライン号」を英国が急襲した事件、カロライン号事件に際し、ウェブスター米国務長官が英国フォックス公使にあてた1841年4月24日付書簡において、「英国政府としては、目前に差し迫った圧倒的な自衛の必要性、及び手段の選択の余地がなく、かつ熟慮の時間もなかったことを示されなければならない。」と、後に「ウェブスター・フォーミュラ」と呼ばれることになった自衛権発動の要件の定式に由来し、その後の発展を反映したものである。

政府見解の大黒柱である「自衛権行使三要件」は、こうした国際法上の自衛権に関する伝統的概念を分節・精緻化したに過ぎない。

ところで集団的自衛権とは、わが国と密接な関係にある他の国が攻撃を受けた場合に、その国と協力してその攻撃に反撃する」することを内容とする権利である。そのような権利は、自衛権を定義した「自衛権行使三要件」の①の要件に背馳し、またそのために自衛隊を用いることは、自衛権を行使するのに必要最小限度の実力なる自衛隊の趣旨、目的に反するものである。そすると従来、政府が「他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」との見解を示してきたのは当然のことであった。

報告書は、個別的自衛権と集団的自衛権を切り分けて、個別的自衛権のみが憲法上許容されるという文理解釈上の根拠は何も示されていないなどと政府見解を批判しているが、それは政府見解の改ざん者が、改ざんしたことを秘して、人を欺く論法というべく、いいがかりというほかはない。

それでは国連憲章51条「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」と、集団的自衛権を国連加盟国の固有の権利としていることがどう考えるべきか。

この点は、後に報告書の9条解釈の結論の直接的な論拠を検討する際に詳しく述べるが、ここではさしあたり、国連憲章においてはじめて認められた新しい国連加盟国の権利であり(「国際連合の規定は『集団的』自衛権を認めている。これは『固有の』の文言にもかかわらず、国連憲章でとくに認められた概念である。」高野雄一・「全訂新版 国際法概論」)、日本国憲法の憲法制定議会(第90帝国議会)においては議論の対象にもなっていなかったのであり、9条の解釈には何らの意味も持たないものだということを指摘するに留めておくこととする。
                    (続く)

安保法制懇報告書を読む (2)

 報告書は、9条に関する政府解釈の変遷を歴史的に通覧してみると、そこには首尾一貫性がなく、根拠も不明確である、と診断を下されている。手始めにこの点から検討してみることにしよう。

1 従来の政府見解にゆらぎは確かにあった。

 当初、政府は、9条第1項では自衛権を否定していない(つまり自衛権は9条1項のもとでも認められる)、しかし第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めず、自衛権の発動としての戦争も放棄したとの見解であった。

ところが政府は、米国の再軍備押し付けに応じ、1950年8月に警察予備隊を創設し、1952年7月にこれを保安隊及び警備隊を発展・拡充させたのであったが、同年11月、「①9条2項の戦力とは、近代戦争に役立つ程度の装備、編成を備えるもの、②陸海軍とは、戦争目的のために装備編成された組織体、③戦力とは人的、物的に組織化された総合力で、兵器そのものは戦力ではない、④保安隊は組織目的と装備編成から判断して、近代戦争遂行の能力がないから戦力にはあたらない」とする統一見解を確認し、憲法違反の主張に蓋をしたのであった。

さらに、政府は、1954年6月に自衛隊が創設されると、同年12月、「9条は独立国としてわが国が自衛権を持つことを認めている。従って自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のための必要相当な実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない」との統一見解によって、自衛のための実力部隊保持を認めるに至り、その後、1981年5月、「憲法第9条は、我が国が主権国家として有する固有の自衛権を否定しておらず、この自衛権の行使を裏付ける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、同条第2項によって禁じられてはいないというのがかねてからの政府の見解」とダメ押しをした。

 それとともに政府は、1954年4月、「いわゆる自衛権の限界は・・・急迫不正の侵害、即ち現実的な侵害があること、それを排除するために他に手段がないこと、さらに必要最小限度それを防御するために必要な方法をとるという三つの原則を厳格なる自衛権行使の要件と考える」との見解を示した。通常、これを自衛権行使三要件と称しているが、自衛権の意義、要件明確にしたものであり、自衛権の定義といってもよい。

 以上の政府見解は当初から一貫していると見るむきもあるかもしれない。もともと自衛権は認められると述べていたし、軍備、戦争、交戦権は認められないとしても自衛のための措置、そのために最低限度の実力を持ちえることまで否定はせず、言及を留保していた。その後、自衛権行使三要件で自衛権を定義し、その自衛権を行使するために必要最小限度の実力を保持することは認められると明確にしたのだ。こういう説明である。

 しかし、私は、やはりゆらぎがあったと考える。なぜなら、確かに、9条1項は、国家固有の自衛権は否定していないとしていたが、憲法制定過程における政府委員の説明は、今、読んでも感動を呼ぶほどに一切の武力行使を否定する絶対的平和主義を説いていたからである。それからすると上記政府見解は重大な後退であったといわざるを得ない。

2 政府見解に首尾一貫性がなく、根拠も不明確だというのは誤診

 政府見解は、上記の二つの見解、時系列に即して並べかえるが、第一に「自衛権行使三要件」とよばれる自衛権の定義見解、第二に「自衛権の行使を裏付ける自衛のための必要最小限度の実力」を保持することは認められるとの見解が明示されて以後、これら見解にはゆらぎはなく、ましてや首尾一貫性を欠くといった事態も生じていない。

 上記「自衛権行使三要件」は、国際法上の自衛権概念そのものであり、明確な根拠があるのであって、報告書がとりつかれている「必要最小限度の自衛権」なるドグマとは無関係である。

 政府は、これらの見解を、具体的事案、あるいは状況に適用し、捌く際に、その系として集団的自衛権否定論、海外派兵否定論、PKO五原則、周辺事態対法やテロ特措法における後方支援にかかる武力行使と一体不可論等を明示してきたのであって、それらは明確な根拠に基くものであり、かつ一貫性が認められる。

報告書は、ヤブ医者に特有の予断と偏見にたって、誤診をしているのである。

                              (続く)   
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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