安保法制懇報告書を読む (4)

 報告書は、砂川事件最高裁判決の判旨を抜粋引用し、「わが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然であるとの判断を司法府がはじめて示したものとして大きな意義を持つ」、「この判決、わが国が持つ固有の自衛権について集団的自衛権と個別的自衛権とを区別して論じておらず、したがって集団的自衛権の行使を禁じていない点にも留意するべきである」と論評している。

 報告書が出される前の観測からすると、砂川事件最高裁判決の位置づけは格段に低下している。事前の観測では、報告書は、集団的自衛権を認めたものとして砂川事件最高裁判決を援用するのではないかと見られていた。しかし、上記の論評は微妙である。言ってみれば、従来の政府見解にゆさぶりをかけ、そのオーソリティを少し値切るという程度の位置づけである。

 何故、そうなったのであろうか。それは砂川事件最高裁判決が集団的自衛権を認めたものと評価するのは、あまりにも憲法学、法律学の基礎をわきまえない主張であるからである。報告書は、それでも未練がましく、従来の政府見解を攻撃するその他、その他の理屈の陰に、少しとどめ置いたのである。そう私が言い切る理由は以下のとおりである。

 最高裁砂川事件判決の判決理由を分解すると次の二つに区分できる。

第一の区分
「本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであって、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。」
「果してしからば、かようなアメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法9条、98条2項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。そしてこのことは、憲法9条2項が、自衛のための戦力の保持をも許さない趣旨のものであると否とにかかわらないのである。」

第二の区分 
「先ず憲法9条2項前段の規定の意義につき判断する。そもそも憲法9条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤って犯すに至った軍国主義的行動を反省し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであって、前文および98条2項の国際協調の精神と相まって、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。すなわち、9条1項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また『国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』と規定し、さらに同条2項においては、『前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」
「われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補い、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであって、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
そこで、右のような憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」

 第一の区分では、砂川事件最高裁判決の判例としての価値が認められる部分である。
 安保条約の合憲・違憲の判断は高度の政治性を有するから、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、司法審査対象外であること、安保条約は、一見極めて明白に違憲無効とはいえないことを明示している。

 第二の区分は、いわゆる傍論であり、判例としての価値は認められず、そのようなことを述べていることを有利だと思う側がプロパガンダに用いるのはともかく、学問上、実務上、何らの効用もない。

 報告書は、アンダーラインを付した部分のみを引用するが、第二の区分全体を読めば、9条は国家固有の自衛権を否定していない(これは憲法学者の多数意見である。)こと、9条2項が自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、(仮に禁じたとしても)それは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力であることを述べ、安保条約は一見極めて明白に違憲無効とはいえないとの第一区分の判断の論拠を示しているに過ぎないことは明白である。
 報告書が、事前に観測されたような意気込みを失ったのは当然である。勿論、これによって従来の政府見解の二本柱は微動だにしていない。

                                     (続く)
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プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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