安保法制懇報告書を読む (8)

 それでは、報告書が敢えて触れない集団的自衛権行使の具体的実例をみていくこととしよう。報告書の好きな言葉を使うと、「安全保障環境の激変」が認められる冷戦期と冷戦終結後とでは様相がガラッと変わるので、両者区分して論じるのが適当だろう。今回は冷戦期の状況を述べる。

(冷戦期の状況)

冷戦期の集団的自衛権の実例に数えられているものは以下のごとくである。

 ① ハンガリー動乱(1956年/ソ連)
 ② レバノン・ヨルダンへ介入(1958年/アメリカ、イギリス)
 ③ イエメンへ介入(1964年/イギリス)
 ④ ベトナム戦争(1966年/アメリカ)
 ⑤ プラハの春への介入(1968年/ソ連)
 ⑥ アフガニスタン介入(1980年/ソ連)
 ⑦ グレナダ介入(1983年/アメリカ)
 ⑧ ニカラグア介入(1984年/アメリカ)
 ⑨ チャド介入(1986年/フランス)

 これらについて、記憶に鮮明に残っているものもあればやや記憶の薄れたものもあるかもしれないので、ひととおり簡潔に説明しよう。

①は、ハンガリー勤労者党指導部のナジ・イムレを首班とする政府が、複数政党制と自由選挙、ワルシャワ条約機構から離脱することを求める国民の声を受け入れようとしたとき、親ソ派と結んだソ連が、戦車と銃剣でこれを圧殺、多くの市民・労働者を殺害し、親ソ派政権を樹立したというものである。国連総会において、非難の声が相次ぐ中、ソ連は、ハンガリー側の要請でなされた集団的自衛権の行使だと主張したが、ソ連軍の撤退を要求する決議が採択された。

②は、第二次中東戦争を経てエジプト、シリアがアラブ連合共和国を結成、アラブ世界に民主化とアラブ民族主義運動が台頭、イラクにもクーデタが発生し、共和制が宣言されるという状況下で、レバノン、ヨルダンにおいても反政府勢力の活動が活発化し、アメリカ、イギリスが軍隊を派遣してこれを鎮圧したというものであった。アメリカ、イギリスはレバノン、ヨルダン両政府からの要請と反政府側にアラブ連合の支援があったということをあげて、集団的自衛権の行使として正当化を図ろうとしたが、国連総会において、アメリカ、イギリスの主張は容れられず、アラブ諸国において問題解決にあたるとする決議が採択された。

③は、イギリスの統治下にあったアデンを中心とするアラビア半島南部地域において、イギリスの肝いりで南アラビア連邦ができるや、アデンの真の独立をめざして南イエメン民族解放戦線が結成され、反英闘争が激化する中、イギリスが、南アラビア連邦からの要請による集団的自衛権の行使を標榜して、軍隊を派遣、鎮圧をはかったものであった。これも国連総会でイギリス非難の決議が採択された。

④は第二次世界大戦後最大の戦争であり、60歳代以後の多くの日本人にはベトナム反戦運動を通じて自分史のひとコマにもなっているであろう。アメリカは、トンキン湾外の公海上で自国の駆逐艦がベトナム民主共和国から攻撃を受けたこと(トンキン湾事件)を口実として、自衛権の行使のだと主張して北ベトナム攻撃に踏み切り、南ベトナムに大軍を派遣した。次いで南ベトナム政府からの要請による集団的自衛権の行使の名のもとに軍隊を増派、北爆を拡大、継続した。アメリカが投入した軍隊は最高時には54万人を超えた。
またオーストラリア、ニュージーランド、タイ、フィリピン、韓国でなどが、アメリカの要請を受けて、集団的自衛権行使の名のもとに派兵した。
1971年、エルズバーグが極秘文書ペンタゴン・ペーパーを暴露。これによりトンキン湾事件は自作自演の謀略であったこと、さらにアメリカが南ベトナムの共産化を防ぐということだけを自己目的として遂行された戦争であったことが明らかとなった。今や、ベトナム戦争が侵略戦争であったことに疑義をはさむ者は殆どいないだろう。集団的自衛権は、侵略戦争の隠れ蓑として使われたのである。

⑤は説明するまでもないかもしれない。チェコスロバキアにおいて、チェコスロバキア共産党内の改革派ドプチェクらによる「人間の顔をした社会主義」への道の模索が始まるや、ソ連はワルシャワ条約機構軍を送り込み、改革派党幹部をソ連に連行、ソ連への忠誠を誓わせたのであった。ソ連は、この軍隊派遣をも集団的自衛権の行使として、国連安保理に報告している。一体、どこに武力行使があり、誰からの要請があったというのであろうか。

⑥は、今に続くアフガニスタン混乱のそもそもの原因である。ソ連は、アフガニスタンに大軍を送り込んで、政府首班をより親ソ派へと首のすげ替え、国民から離反されたアフガニスタン政府を軍事的にサポートしたのであった。ソ連は、国連安保理と総会において、またしても集団的自衛権の行使を主張したが、そのような主張は容れられず、80年1月の国連緊急特別総会で、外国軍隊の即時、無条件、全面撤退を求める決議が採択された。

⑦について。カリブ海の小国グレナダにおいて独裁体制を打倒し、革命政府が樹立され、アメリカ系企業の国有化政策、非同盟・中立政策が推し進められる中、グレナダも加入する東カリブ海諸国機構(OECS)からの介入要請を受けて、アメリカは軍事介入し、制圧、革命政府を転覆した。国連総会において、アメリカは集団的自衛権の行使として正当化をはかったが、圧倒的多数で「国際法およびグレナダの独立、主権、領土保全の重大な侵害」とする非難決議が採択された。

⑧はニカラグアにサンディニスタ革命政権が樹立され、国内では右派ゲリラ勢力(コントラ)の武装闘争が展開され、逆に隣国の親米国家エルサルバドルでは反政府組織が勢力を拡大し始めている中で、アメリカが、ニカラグアの港湾の機雷封鎖、港湾施設や海底パイプラインや石油貯蔵施設の爆破など、サンディニスタ革命政権に攻撃を加えたものである。ニカラグアは国際司法裁判所に提訴、アメリカはニカラグアからエルサルバドルの反政府勢力への武器援助がなされたとしてエルサルバドルへの集団的自衛権の行使だと主張したが、同裁判所はこれを排斥、アメリカの国際法に違反する違法な武力行使を認定した。

⑨について。リビアの南西に隣接するチャド。リビア、ソ連が支援する北部のイスラム勢力と、フランス、アメリカご支援する南部勢力との間で抗争が続く中、フランス空軍は、南部勢力の要請を受けて、北部を爆撃した。フランスは、これを集団的自衛権の行使と主張したが、内戦への介入であることは明らかである。

(小括)
これらの事例では、いずれも国連憲章51条による集団的自衛権の行使として正当化が図られている。しかし、どれをとっても、武力攻撃もない、誰からの要請なのかもわからない、自衛権などという言葉から遠くはずれた単なる自己の勢力圏や国益の維持・確保にしか過ぎないものばかりである。
これらから言えることは、冷戦下における集団的自衛権は、侵略、主権の侵害、敵対政権の打倒のための戦争、武力行使であることを糊塗する方便であったということである。報告書は、こういうことを隠したのである。それならば私たちが、集団的自衛権の負の遺産、影の部分を白日のもとにさらしていかなければならない。
           
                                  (続く)
スポンサーサイト
プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR