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安保法制懇報告書を読む (9)

(冷戦終結後の状況) 

冷戦終結後の1993年、旧ソ連から独立したタジキスタン共和国の内戦に、ロシアが、その一方を支援して軍事介入したが、この事例のように今後も勢力圏維持、自国の権益確保のための冷戦型集団的自衛権の行使がなされる可能性はある。ただ、冷戦終結後には、従来とは全く様相を異にし、唯一の超大国アメリカが、「テロ支援国家」、「ならずもの国家」と認定し、自衛権の名の下にその政権を打倒するために武力行使を発動し、それに支援する諸国が集団的自衛権の行使を標榜する事例が大きくクローズアップされてきた。以下の2事例について検討してみよう。

なお、湾岸戦争はこれらの事例に似ている面もあるようで、実は、全く異なっている。冷戦型集団的自衛権行使の事例とも言えそうで、そうではない面もあった朝鮮戦争とともに次回に検討することにする。

① アフガン戦争(2001年/アメリカ、NATO構成諸国)
② イラク戦争(2003年/アメリカ、イギリス)

①について。

9.11テロの衝撃がいまださめやらぬ2001年9月12日、国連安保理は、以下のとおり、卑劣なテロ攻撃を糾弾する決議をあげた(安保理決議1368号)。

(前文)
・テロがもたらす国際の平和及び安全に対する脅威に対してあらゆる手段を用いて闘うことを決意する。
・国連憲章に従って個別的又は集団的自衛の固有の権利を認識する。

(本文)
・9.11同時多発テロ事件を強く非難し、そのような行為が国際の平和及び安全に対する脅威であると認める。
・犠牲者及びその家族並びにアメリカ国民に対して同情及び哀悼の意を表明する。
・すべての国に対して、テロ攻撃の実行者らを法に照らして裁くために緊急に取り組むことを求め、これらの者を支持又はかくまう者はその責任が問われることを強調する。
・9.11テロ攻撃に対応し、あらゆる形態のテロリズムと闘うため、国連憲章のもとでの同理事会の責任に従い、あらゆる必要な手順をとる用意があることを表明する。

この決議の意味するところは、国連安保理の責任において、テロ攻撃の実行者らを法に照らして裁くべきであり、テロ攻撃者らを支持又はかくまう者はその責任を問うということであり、アメリカの単独行動を容認するものではないことは明白である。

ところがアメリカは、この決議の前文に「国連憲章に従って個別的又は集団的自衛の固有の権利を認識する」とある部分をつまみ食いして、自衛権行使の名のもとにタリバン政権転覆を目的とする対テロ報復戦争に打って出たのであった。さらにNATO構成国は、アメリカに対する集団的自衛権を行使することを決め、アメリカの対テロ報復戦争に直接的な戦闘行動以外の支援を行ったのである。

実際には、アメリカの武力行使は、国連憲章51条の自衛権行使の要件(第一に違法な武力攻撃があったこと、第二にこれを排除するために他に方法がないこと、第三にそのために必要最小限度の武力行使にとどめること)を満たしておらず、自衛権行使として正当化することはできず、違法かつ不当な侵略戦争・報復戦争であった。
アメリカは冷戦終結後、国連中心主義に回帰するかのごとく見えたが、ここに至って単独行動主義、冷戦下の覇権主義に立ち戻ってしまったかのようである。
またNATO構成国も、結果的には、集団的自衛権の行使ではなく、アメリカの違法かつ不当な侵略戦争・報復戦争への加担をしたことになる。

そのことがもたらしたものは、現在のアフガニスタンの混迷、多数の人命、財産の喪失と国土の荒廃であることを見るとき、アメリカとそれに加担・追随したNATO構成諸国の罪は深いと言わねばならない。

②はどうか。

イラク戦争では、アメリカの単独行動主義、覇権主義は一層深まったといえる。アメリカのイラク攻撃の意図が明白となったのは2002年7月であった。
同月8日、ブッシュ大統領は「フセイン政権は排除されなければならない」と宣言。同時に軍関係者からニューヨークタイムズ紙に「25万の兵力を投入して、クウェートから大規模な地上戦を仕掛ける、実施時期は2003年1、2月」との情報がリークされた。それとともにブッシュ政権は、イラクの保有疑惑と国連査察への非協力姿勢を声高に非難し始める。

フセイン政権は、同年9月、アメリカの攻撃意図が固いと見たのか、それまでの態度を一変させ、国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)受け入れを表明したのであった。ところがアメリカはより強硬で厳格な大量破壊兵器査察とそれに違反した場合にはあらゆる手段を使う(つまり武力行使に訴える)との決議を安保理に提案するに至った。
しかし、アメリカはそんな変化を無視してイラク攻撃へとひた走る。

同年11月、国連安保理は、アメリカの「熱意」が実って、「決議採択から1週間以内に査察受け入れ、30日以内にすべての大量破壊兵器に関する情報を開示し、提出すべし」、(査察団が)「イラクの陸空の交通を自由に封鎖できる」、「無人偵察機を自由に飛行させられる」、「自由に口頭・文書での情報にアクセスでき、これらの情報を自由に差し押さえる」などとする無茶な条件を含み、「違反があれば深刻な事態を招く」とする決議を採択した(安保決議1441号)。それでもアメリカが提案した「違反した場合にはあらゆる手段を使う」(つまり武力行使に訴える)との表現が緩和されていることには留意されるべきである。

ところがアメリカにとって予想外のことが起こった。当然拒絶すると見ていたのに、フセイン政権は、国内の轟轟たる非難の声をおさえ、この無茶な安保理決議を受け入れたのである。

同月末から、UNMOVICのブリックス委員長とエル・バラダイIAEA事務局長らが査察団としてイラク入りしたのを皮切りに、12月中には85名~100名に及ぶ査察団がイラク入りし、査察が行われた。
2003年1月9日「大量破壊兵器保有の確証は得られなかった」とする中間報告が出され、アメリカはあせる。その後若干の怪しきものがみつかり、シロの心証は揺らぐが、同月27日の最終報告提出日までに査察は完結しないので、査察団としては一応同日までに暫定的に最終報告書を提出するが、査察は同年3月末まで継続することを決めた。
しかし、アメリカにとっては、それは都合が悪い。1月27日に提出される最終報告で決着をつけなければ、気温があがらず、砂嵐などで視界が悪くなる春前には軍事攻撃に着手しなければ具合が悪いのである。アメリカは査察短縮を迫る。しかるにフランス、ロシア、とりわけフランスが査察徹底を主張する。

1月27日、そのようなやり取りの中で、つまり暫定的な最終報告書が提出される。中間報告書よりはクロに傾いているが、決定的な証拠を欠いていた。

ブッシュ大統領は、翌日の2003年一般教書演説では、フセイン政権糾弾の力点を大量破壊兵器の開発よりは反政府勢力への弾圧、拷問、残虐性に移すという深謀遠慮をめぐらす。一方パウエル国務長官は、国連で、盗聴記録を公開してフセイン政権が大量破壊兵器を隠匿しているとの主張を繰り返した。

ここにきて、フランス、ドイツ、ロシアは、アメリカの姿勢に拒絶反応を示すことになる。2月10日、査察継続を求める共同宣言を行ったのである。これに力を得たのか、UNMOVICは、イラクには協力姿勢が認められると積極評価し、査察を継続するとの追加報告書を提出した。

このような状況のもと、アメリカ国内でも、イギリス構内でも、さらには世界各国において、イラク戦争反対の市民運動が高まり始めた。まさにそのようなさ中の2003年3月17日、ブッシュはイラク攻撃に踏み切り、ブレアは集団的自衛権の名のもとにブッシュに加担・追随したのであった。

最後まで査察を続けようとした査察団はイラクを去らねばならなかった。そのとき国連はどうしたか。アナン事務総長が「決議なく軍事行動を行うことは国連憲章違反だ」と声明するのがせめてもの抵抗であった。

その後、フセイン政権は打倒されたが、未だにイラクに平和は戻っていない。大量兵器はなかった。現在のイラクの混迷、はたまた多数の人命と財産が失われ、イラクの国土の荒廃をした。アメリカの武力行使は、アフガン戦争自衛権にあたらず違法・不当な侵略戦争、政権転覆であり、イギリスは集団的自衛権の名の下にこれに加担したのである。アメリカとイギリスの罪はやはり深いと言わねばならない。

(小括)
 冷戦終結後も、集団的自衛権はその魔性を発揮し続けている。侵略戦争に加担・追随するだけの役割を果たしているのである。

                                       (続く)

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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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