安保法制懇報告書を読む (10)

 ここまで長々と書いてしまった。このままでは冗長なだけで中身のない批判対象たる報告書の二の舞になってしまうので、そろそろまとめたい。今回は、保留しておいた湾岸戦争と、冷戦開始直後の朝鮮戦争を検討し、できれば次回には報告書が打ち出した9条に関する「あるべき解釈」を批判して完結としようと思う。

1 湾岸戦争

イラクのフセイン政権軍は、1990年8月2日、クウェートに侵攻、占領した。「オスマン帝国の時代にクウェートはイラクのバスラ州の一部であった。イギリスの保護の下でクウェートは独立国となったが、本来はイラクに帰属すべきである」との年来の主張を実行に移した形となった。
このあからさまな侵略に対する国連の対応は機敏であった。同日、直ちに召集された安保理は、イラク代表による「クウェートの旧政府を倒した『クウェート暫定自由政府』の要請に応じて安全と秩序の確立を援助している。クウェートとの善隣関係を望んでいるのであって、秩序が回復され次第軍隊を撤退させる。」(大要)との弁明を退け、イラクのクウェート侵攻は国際平和と安全を破壊する行為であることを認定・非難し、以下の内容の決議を採択した(安保理決議660号)。

・ 安保理は、憲章第39条及び第40条に基づく権能を行使すること
・ イラクに対し、1990年8月1日の配備地点まで部隊を即時に無条件で撤退することを要求すること
・ イラク及びクウェート両国に対し、事態打開のための真摯な協議の開始を要請すること
・ 安保理はその実現ための努力、とくにアラブ連盟による努力を全面的に支援することを約束すること
・ 本決議の履行を確保するに資するその他手段を講じるため、必要に応じて理事会を招集すること

しかし、イラクはこれを無視。そこで引き続いて、同月6日、安保理は、憲章41条に従い、全加盟国に対してイラクへの全面禁輸措置の実行を求めるとともに、30日以内に本決議の履行状況の報告を要請する決議を採択した(安保理決議661号)。
その後もイラクは、部隊撤退に応じないので、安保理は、同月25日、上記禁輸措置の実効性を確保するために、当該地域に海上兵力を展開している加盟諸国に対し、海上封鎖・船舶臨検を求める決議を採択(安保理決議665号)、さらに9月25日、人道支援物資を除いた物資の空輸も禁止する決議を採択した(安保理決議670号)。

これに対し、フセイン政権は、クウェートやイラク在住の外国人を軟禁状態に置くなどして対抗措置をとり、国際世論の激しい反発を招いた。ことここに至り、11月29日、ついに、安保理は次のような重大な意味を持つ決議を採択したのであった(安保理決議687号)。

・ イラク政府に対し、安保理決議660号及びすべての後続決議の完全な履行を要求し、当理事会の最後の善意の行動として全ての決定を留保しつつ、同国がこれを行うための最後の機会を与える。
・ イラク政府が1991年1月15日当日あるいはそれまでにクウェートから部隊を完全に撤退させない限り、クウェートと協力するすべての加盟国に対し、安保理決議660号及び後続のすべての関連決議を執行し、かつ地域内の国際平和と安定を回復するため、必要とされるあらゆる措置をとることを認める。
・ すべての加盟国に対し、本決議に基づいてとられる行動に対する適切な支援を求める。

しかし、イラク軍はクウェートから撤退せず、1991年1月17日、アメリカ軍主体の多国籍軍がイラクの軍事施設や発電所などの施設を空爆し、2月24日、地上軍の投入も開始して、同月27日には、クウェートからイラク軍を撃退し、3月3日、イラク政府は、安保理決議660号以下の決議遵守を確認、停戦協定が成立したのであった。

(小括)

以上のように湾岸戦争は、国連安保理の決議に基づき、経済的制裁措置から軍事的措置へと進み、国連安保理の授権のもとに、展開海上兵力による海上封鎖・船舶臨検、及び多国籍軍の編成・武力行使がなされたものである。従って、個別国家の集団的自衛権行使とは異なり、集団的安全保障措置として位置づけることができる。
湾岸戦争は、イラクのクウェート侵略をやめさせ、イラク軍を排除し、クウェートを解放したことにより終結をした。このこと、個別国家の集団的自衛権行使による武力行使事案と比べ、抑制され合理的な対応であり、最小限度の武力行使にとどまるもので、特筆に値する。
湾岸戦争での国連の対応は、冷戦終結によって、国連による国際の平和と安定、国際秩序の確立に大きな希望をもたらしたのであったが、残念ながらその後、アメリカが、この希望の灯を消してしまったことは既に見たとおりである。

2 朝鮮戦争

今でははっきりしていることであるが、1950年6月25日、北朝鮮軍が国境線とされた38度線を越えて韓国領内に侵攻した。国連は、即日緊急安保理を召集し、北朝鮮の侵攻は「平和の破壊」であり、部隊撤退を要求した(安保理決議82号・ソ連は欠席)。しかし北朝鮮がこれに応じないので、同月27日、加盟国に対し、北朝鮮の武力攻撃を撃退し、当該地域に国際の平和と安定を回復するための援助を韓国に提供することを求める決議を採択(安保理決議83号・ソ連欠席)、さらに同年7月7日、上記決議83号に基づいて出動した加盟国の部隊・・・アメリカ軍25万人を中心として、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、コロンビア、ベルギーなどの部隊・・・をアメリカの統一司令部のもとに「国連軍」を編成する決議を採択(安保理決議84号)、「国連軍」は武力介入を開始した。

 「国連軍」の実態は今でいう多国籍軍であるが、安保理の決議に基づいて、国連の集団的安全保障措置として北朝鮮軍に対する反撃が開始された事実は争えない。「国連軍」は当初苦戦したが、ようやく同年9月末には北朝鮮軍を国境線以北に追いやることができた。

上記安保理決議83号にあるとおり、「国連軍」の目的は北朝鮮軍の撃退にあるのだから、そこでとどまっていれば、この事例は、国連の集団的安全保障措置の成功例として記録された筈である。ところがアメリカは、ここで韓国の唱える北朝鮮を壊滅させる北進統一論に与してしまった。アメリカは、国連安保理に越境攻撃を認める決議をあげさせ、それに基づいて「国連軍」の越境進撃をオーソライズさせようとしたのであった。しかし、この段階では出席に転じていたソ連の反対で、決議採択は失敗に終わってしまった。そこで同年10月7日、今度は強引に、国連総会を招集させ、朝鮮全土の安定を回復するためとして越境攻撃を認める総会決議を採択させたのである。
ここにおいて「国連軍」の性格は、安保理の決議に基づく集団的安全保障措置を実行するための軍隊から、各加盟国の集団的自衛権の行使のための軍隊に変質してしまった。

以後、「国連軍」は越境して攻撃を続け、平壌制圧、さらには10月27日には中朝国境の鴨緑江に達し、韓国の北進統一の悲願達成目前の状況に至った。こうした事態を迎え、中国人民解放軍は、義勇軍を送り込み、再び「国連軍」は押し戻され、一時は、中朝軍がソウルを制圧したが、その後一進一退、38度線付近で戦線は膠着状態となり、1952年1月以後事実上休戦状態、1953年7月、休戦協定が結ばれて今日に至っている。

(小括)

 朝鮮戦争は厚い冷戦の氷を破って噴出した熱い戦争であった。それでもソ連が、独自の目論見があって出席をしないという対応をしていた時期、国連安保理が正常に機能し、憲章39条及び第40条に基づく権能を行使している間は、集団的安全保障措置として、武力行使は、侵攻した北朝鮮軍を韓国から排除するという合理的範囲内にとどまっていた。しかし、集団的自衛権の行使に変質するや、他国を武力で殲滅するという不当な目的のための侵略となってしまった。これも歴史の貴重な教訓である。

                               (続く)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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