日米安全保障条約と集団的自衛権 (1)

「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」

これは、日米安全保障条約(以下「安保条約」という。)第5条1項の文言である。この文言を読めば、わが国が実効支配している尖閣諸島が、この規定の適用対象地域となることは当然のことで、実際、これまでも米国政府高官から、度々、その領有権の帰属についてはコミットできないが、この規定の適用対象地域である旨の言明がなされてきたところである。

ところがなんと、本年4月25日のオバマ・安倍「日米共同声明」中に、ことあらためて以下のような表現で、尖閣諸島が、この条項の適用対象地域となることが明記された。

「米国は、最新鋭の軍事アセットを日本に配備してきており、日米安全保障条約の下でのコミットメントを果たすために必要な全ての能力を提供している。
これらのコミットメントは、尖閣諸島を含め、日本の施政の下にある全ての領域に及ぶ。この文脈において、米国は、尖閣諸島に対する日本の施政を損なおうとするいかなる一方的な行動にも反対する。」

4月24日のオバマ・安倍共同記者会見では、安倍首相がまるで鬼の首でもとったかのようにこの一文について、以下のように、その意義を得意満面に述べたてている。

「オバマ大統領との会談を通じまして、さきほど、大統領からも冒頭の発言があったとおりでありますが、日米安全保障条約のもとでのコミットメントを果たすため、全ての必要な能力を提供している、このコミットメントは尖閣諸島を含め、日本の施政下にあるすべての領域に及ぶ。米国は尖閣諸島に対する日本の施政を損なおうとするいかなる一方的な行動にも反対するとの考えで一致をいたしました。
また、集団的自衛権の行使については、えー…ま、現在、日本において、えー、安全保障の法的基盤を整備するための議論を行っていること、そしてそれは、日本や地域の平和と安定のために、さらにはまた日米同盟を有効に機能させ、地域の平和と安定に貢献…そして寄与できるようにするために…検討を行っているという説明をしたところでありますが、この日本の検討について、日本が検討を行っていることについて、えー…歓迎し、支持するとの立場から、えー、オバマ大統領より示されました。」

しかし、オバマ大統領は、以下のように極めて控えめで実務的な発言に終始している。

「私たちの立場は新しいものではありません。ヘーゲル国防長官が、日本を訪れたときも、ケリー国務長官がこちらを訪れたときも、両方ともわれわれは一貫してこの立場をとっております。領有権に関しての決定的な立場は示しません。けれども、一方的な変更をすべきではないと思っています。これまでも一貫して述べきたのは、われわれの日米同盟が、この、つまり日米安保条約は、日本の施政下のすべの領域に当てはまるということであって、これはなにも新しい立場ではありません。これまで一貫して述べてきたことです。」
「アメリカと日本の条約は、わたしが生まれる前に結ばれたものです。ですから、私が越えてはならない一線を引いたわけではありません。これは、標準的な解釈をいくつもの政権が行ってきたわけです。この同盟に関してです。日本の施政下にある領土は、すべて安全保障条約の適用範囲に含まれているわけです。そしてデッドライン、越えてはならない一線は引かれていません。そして、同時に安倍総理に申し上げましたが、この問題について、事態がエスカレートし続けるのは正しくないということです。日本と中国は信頼醸成措置を取るべきでしょう。そして、できる限りのことを外交的に、私たちも協力していきたいと思います。」

この一文は、上記の安倍発言が集団的自衛権の問題にも言及していることから見て、集団的自衛権行使容認へと憲法解釈をかえることを急ぐ安倍首相のたっての願いで入れられたものであろう。オバマ大統領は、これにつきあわされた形だが、中国への配慮、安倍首相への戒めともとれる発言をしていることに注目するべきである。

さて、この一文が日米共同声明に入れられたことについて、多くのメディアは、米国大統領としてはじめて、尖閣諸島に安保条約が適用されることを認めたなどとカマトトを装う報道をした。しかし、それが安倍首相の目論みどおり集団的自衛権行使容認支持へと世論を誘導せんとするキャンペーンの片棒かつぎであったことをメディア関係者は自覚し、反省して欲しいと私は思う。

中国が尖閣諸島で攻勢に出て、武力紛争が発生した場合には、米軍がかけつけ自衛隊とともに戦ってくれることになっている。だから、わが自衛隊も、米国領土や艦船・部隊が攻撃された場合、ともに戦えるようにするべきではないかという次第である。

しかし、これほど美しそうで、実はいかがわしい作り話はない。そのことを次回に見て行きたい。

                           (続く)

憲法解釈にご都合主義は許されない

1 はじめに

 「安全保障法制整備に関する与党協議会」の雲行きが怪しい。過去の政府見解の全体像を正しく把握し、これを継承しようというのではなく、与党間で手を打つのに都合のいいように、全く異質の文言をつぎたしたり、或いは肝心な部分を無視して一部分のみを切り取って貼りつけたりして、新見解を打ち出そうとしているようだ。

ちかごろ、都にはやるもの、手抜き、切り貼り、使いまわし、裏で手を打つ闇取引

かりそめにも国の行く末を決定づける憲法9条の解釈に関して、こんないいかげんなことがあってはならない。

2 自民党の持ち出した「武力行使三要件案」

13日付「朝日」紙夕刊によると、同日の協議会で、以下の「武力行使三要件案」なるものを提案したとのこと。
  
「憲法第9条の下において認められる「武力の行使」については、
(1)我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること
(2)これを排除し、国民の権利を守るために他に適当な手段がないこと
(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
という三要件に該当する場合に限られると解する。」

これは分解すると、我が国が武力行使できる場合は次の二つの場合ということになる。

第一
(1)我が国に対する武力攻撃が発生したこと
(2)これを排除し、国民の権利を守るために他に適当な手段がないこと
(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

第二
(1)他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること
(2)これを排除し、国民の権利を守るために他に適当な手段がないこと
(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

上記第一は、自衛権の意義、要件を明示した従来の政府見解である「自衛権行使三要件」である。

上記第二は、まさしく「集団的自衛権行使三要件」であり、これによって従来の政府見解を根本的に変えようという魂胆である。なお、「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」とは死活的同盟関係にあるとされる米国もしくはその艦船や部隊が攻撃を受けた場合やホルムズ海峡が機雷封鎖された場合等にはそれにあたると解釈されるであろうし、さらには「おそれがあること」というのも軽い要件だ。

3 公明党の対応
 
公明党は党に持ち帰り、議論するとのことで、来週以降に決着はずれ込むことになった。しかし、既に、公明党は、自民党が提示した案(上記分解第二の(1))に、1972年田中内閣見解の中から、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」を切り取り、これを貼り付ける方向で検討を進めているとの報道がなされている。

これが事実であるなら、公明党は、「おそれがあること」を少し重くしたとはいえるが、本質的には自民党案と同じであり、自民党との共同正犯と言わねばならない。

4 従来の政府見解の正確な把握を

政府は、1954年、憲法9条1項の下においても我が国は自衛権を保持しており、それは、①急迫不正の侵害、即ち現実的な侵害があること、②それを排除するために他に手段がないこと、さらに③それを防御するために必要最小限度の方法をとることの三要件のもとに行使が認められるとの見解を打ち出し(1954年4月6日衆議院内閣委員会・佐藤達夫法制局長官答弁)、以後これを維持している。
これは、国際法上、ほぼ一致して認められる、「自衛権とは、国家または国民に対して急迫または不正の危害がある場合に、その国家が実力をもって防衛する権利であり、行使される実力は当該危害をさけるためにやむを得ないものでなければならない。」との自衛権の定義、要件に関する見解に沿うものである。

以下の1972年の田中内閣見解はここからが導かれたのである。

「憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において『全世界の国民が・・・・平和のうちに生存する権利を有する』ことを確認し、また、第13条において『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については・・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする』旨を定めていることからも、わが国みずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるのであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にととまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使をすることが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」(1972年10月14日参議院決算委員会提出資料)。

かくして、この田中内閣見解の一部だけを取り出し、切り貼りするようなことは三百代言の行いといわざるを得ない。
高村さん、北側さんも弁護士、弁護士たるものこのようなことを絶対してはならない。

 
                                  (了)

新井章「体験的憲法裁判史」(岩波同時代ライブラリー)を読みなおす

 標題の本(以下「本書」という。)は、1992年7月15日第1刷発行となっている。私の書き込みによると、私は、これを同年8月12日に読み終えている。以来ずっと本棚の片隅に隠れていたが、砂川事件最高裁判決が話題になったので、気になって引っ張り出してきて読みなおしてみた。実に22年ぶりである。
初めて読んだときのように新鮮だった、というと聞こえがいいが、白状すると、殆ど忘れてしまっていたのだ。

筆者の新井章弁護士は、人間裁判と言われた「朝日訴訟」弁護団の中心を担った人としてこの世界では、知らないなどという人はモグリかと言われるくらいの著名弁護士である。私も、弁護士を志したとき以来の憧れの人であるが、実は、残念ながら全く面識はない。

筆者は、本書で、「門出」と題するごく短いプロフィールのあと、ご自身が取り組んだ数ある憲法裁判の中から「砂川裁判」、「朝日訴訟」、「メーデー事件裁判」、「教科書検定訴訟」の4件を選び出して解説している。このうち「朝日訴訟」に関する記述部分が150ページ余りで、本書の半分ほどを占めているのは、わが国憲法裁判史上に「朝日訴訟」とともに「新井章」の名を永遠ととどめることになる筆者とすれば当然のことであろう。

本書の中から、「砂川裁判にとり組む」の部分を、私見をまじえつつ、紹介したいと思う。

1956年4月、ボスの指示で、砂川闘争の現地に飛んだ。司法研修所を終えたばかり、ようやく25歳になろうかという筆者は、ピッカピッカの弁護士バッジがなければ支援の学生と見間違われてもいたしかたないような年恰好であった。

東京都北多摩郡砂川町(現在は立川市に編入)は、1954年までは砂川村で、戸数3000戸弱、人口12000名、桑畑の広がる農村であった。この平和な町に、1955年5月、突如、米軍立川基地拡張計画の話が降ってわいた。基地拡張用地として、農地等約18万㎡の強制買収もしくは強制借り上げをするとの通告が町長に対してなされたのである。
この日から、「安全保障条約に第3条に基づく行政協定の実施に伴う土地等の収用等に関する特別措置法」に基づく土地収用を進める政府・調達庁・警察と、これに対して町をあげての反対運動に取り組む地元住民、全国から支援にかけつける労働者、学生らが四つに組む大闘争が始まった。これが戦後史にエポックを画した砂川基地反対闘争である。

筆者が、砂川基地反対闘争の現場に入ったのは、闘争2年目に入ろうとするころで、既に機動隊員の実力行使、弾圧が行われていた。筆者は、来る日も来る日も現場に出向き、地元農民への法的知識の普及、機動隊や調達庁職員の弾圧監視、被逮捕者への接見・釈放要求、調達庁職員の土地立ち入り禁止仮処分申立てや収用認定処分の執行停止申立などの裁判手続の活用などさまざまな取り組みをした。こうした活動を通じて、筆者は、人間的にも弁護士としてもきっと並みの新人弁護士の数倍の成長を遂げたことであろう。

この闘争の現場で、1957年7月8日、調達庁の強制測量に抗議していたデモ隊の一部が、アメリカ軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数m立ち入ったとして、デモ隊のうち7名が、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法」違反で起訴された事件について、第一審、東京地方裁判所は、安保条約は憲法9条に違反するとして全員無罪の判決(伊達判決)、それに慌てふためいた国・検察庁が、米国の意向を受けて、最高裁に飛躍上告をし、これをくつがえさせたのが砂川事件最高裁判決である。筆者は、勿論、この裁判に弁護人として加わっている。
(なお、砂川事件最高裁判決については、私の小論「砂川事件最高裁判決によって集団的自衛権が認められるとの俗論を排す」http://t.co/yxnv5IdgXWを参照されたい。)

筆者は、立川基地拡張計画が、美濃部都政への転換(収用委員会の手続中断)、米軍基地再編によって、最終的に断念され、砂川闘争は完全勝利したことにも触れている。1976年7月、既に基地内に取り込まれていた土地も返還され、その土地に桑畑の植樹祭が行われたとのこと。このとき25歳になろうかという歳で砂川基地反対闘争の現場に鮮烈デビューした筆者も、今や45歳、感慨ひとしおだったことであろう。因みにこのとき、私は司法修習2年目、労働事件や公害事件に取り組むことを思い描く弁護士の卵であった。

憲法論争の陰で忘れがちなことだが、砂川基地反対闘争は、全国を席巻した基地闘争の中でも稀な完全勝利の事例である。

統一し、知恵と工夫を出し合えば、どんなに難敵でも勝てるものだ。

                             (了)

自己陶酔はどこに行き着くか

11日に行われた党首討論、相変わらず安倍氏のエモーショナルな発言が目立った。この人は、自らのエモーショナルなの言葉とバックの拍手声援に陶酔し、目が虚ろになって、とめどもなく話を続けてしまうようである。

安倍氏は、集団的自衛権行使容認は、確実に自衛隊員に血を流させる道に入り込むことになるとの海江田氏の指摘に、むきになって、米軍兵士は、血を流す決意をもっている、それが抑止力になっているのだと述べた。
これは聞き捨てならない発言だ。

抑止力という言葉は、軍事力の抑止的機能を意味している。通常、抑止的機能とは次のように説明される。

「抑止機能とは、軍事的報復を威嚇することで、潜在的な敵対行動を事前に防止することである。抑止が有効に機能するには、第一に、抑止する側と抑止される側の双方が費用対効果を合理的に計算し評価する能力を持っていなくてはならない。その点で、玉砕を厭わない国家や自爆を尊ぶテロリストなどに対して、軍事力の抑止効果は期待できない。第二に、威嚇した報復が確実に実施される信憑性がなくてはならない。そのため、抑止者は報復の意思と決意を正確に被抑止者に伝えねばならない。同時に、当然のことながら威嚇した報復を実施するに足る軍事力が必要であるが、それは抑止したい行動と釣り合っていなくては信憑性が低下する。」(防衛大学校安全保障研究会編著「安全保障学入門・新訂第4版」〈亜紀書房〉100~101頁)。

これによると、抑止力は、客観的で冷徹な計算に基づく自己抑止を前提にし、対立国相互もしくは対立陣営相互が軍事力の均衡をとることにより確保されるということになる。従って血を流す決意などというエモーショナルな要素は一切捨象しなければならず、そういうものを強調する人たちには、「玉砕を厭わない国家や自爆を尊ぶテロリスト」同様に、「抑止効果」は期待できないことになる。
安倍氏は、どうも抑止力は効果がないようで、これを無視した不可解な行動を採りそうな危なっかしい人だ。

上で述べたように軍事力による抑止機能は、要するに軍事力の均衡を確保することによってもたらされるのであるから、相互に軍事力均衡を求め続けること、即ち、軍拡競争を必然的に伴うことになる。

ところでM.D.ウォーラスの研究によると、1833年から1965年までに発生した99件の大国間紛争を対象に実証分析をしたところ、軍拡競争を伴う紛争の82パーセントが戦争に帰着したのに対し、軍拡競争を伴わない紛争で戦争に結びついたのは4パーセントで、軍拡競争と戦争との間には高い相関性が示されたとのことである(前掲書38~39頁)。

そういえば、わが国も、かって、日独伊三国同盟による英米両国に対する抑止力のドグマに首を突っ込み、破滅への戦争に突き進んだ。爾来75年、今、再び自己陶酔に浸る安倍首相により、集団的自衛権の名の下に、血を流す抑止力が高唱されるに至っている。

彼にとっては積極的平和主義とは、抑止力万能主義である。

これは戦争への道、私たちは、これに決然としてノーを突きつけなければならない。

                (了)

これはおかしな話だ

 「安全保障法制整備に関する与党協議会」に関する話だが、おかしなことがある。

本日(2014年6月10日付)「朝日」紙朝刊で、大要次のように報じられた。

「政府は、『自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置を認める』という閣議決定案を準備している。これは1972年に田中内閣が示した見解の一部を採用したものだ。」
「これについて、安倍首相は、9日の参院決算委員会で、『この中に個別的自衛権は入るが、集団的自衛権は丸ごと入らないということだった。しかし果たしてそれがすべて入らないのかについて研究している』と語った。」


これを読むと、もともと反対の人は「けしからんな」、もともと賛成の人は「そうか」で終わってしまうだろうし、さらにもともとよくわからない人はますますわからなくなってしまうのではなかろうか。

「いや、私はよくわかったよ」という人。あなたはよほどの精通者だ。

その後、共同通信が、14時59分に次のニュースをネット上で配信した。

「内閣法制局が、集団的自衛権行使を限定的に認めて憲法解釈の変更を提起する閣議決定の原案を了承していたことが10日、分かった。安倍晋三首相が今国会中の解釈変更を目指していることを踏まえ、『憲法の番人』として政府内で歯止め役を担ってきた法制局が、行使容認への方針転換に踏み出す。政府関係者が明らかにした。
 閣議決定原案は集団的自衛権行使を『わが国の存立を全うするために必要な自衛の措置』として容認する内容。9日に政府側が自公両党幹部に非公式提示した。」

これを読んでようやくもやもやが解消した。どうやら礒崎陽輔安全保障問題担当首相補佐官をはじめとする官邸サイドと内閣法制局との間で協議して、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置を認める」ことにより集団的自衛権行使にも踏み込むことができるようにする、との閣議決定案を練り上げ、自民、公明両党に非公式に提示した、安倍首相はこれに手ごたえを感じている、こういうことのようだ。

そういうことがわかると、安倍首相が、今国会中に閣議決定をすると突然表明し、与党協議会を急がせたこと、及び、集団的自衛権行使8事例について、かたや、集団的自衛権行使を認めなければ対応できないから集団的自衛権行使を認めるべし(これはトートロジーで結論だけしか述べていない)、こなた、いや個別自衛権の範疇で対応できる余地がないか検討するべきだなどと世にも不可思議な議論をしている(これの正しい答えは集団的自衛権行使は認められない、である)こと、これらの裏も読めてくるようだ。

「安全保障法制整備に関する与党協議会与党協議会は、猿芝居、茶番だ。

さて、伝えられる閣議決定案、1972年の田中内閣の示した見解の一部をパクッてきたとのことだが、参考までに田中内角見解の全文を引用してみよう。

「憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において『全世界の国民が・・・・平和のうちに生存する権利を有する』ことを確認し、また、第13条において『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については・・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする』旨を定めていることからも、わが国みずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるのであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にととまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使をすることが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」(1972年10月14日参議院決算委員会提出資料)。
 
伝えられる閣議決定案なるものを作成した人たちは、アンダーラインの箇所にいたく感動したようだが、これは単なる枕詞、重要な部分は太字で示した部分だ。これこそまさしく確立し、定着している「自衛権行使三要件」、つまり自衛権の定義と要件なのだ。

安倍さん、もう国民をだますのはよそうではないか。

                    (了)

集団的自衛権を疑う

1 はじめに
  
集団的自衛権の根拠をきちんと説明することは難しい。なぜなら集団的自衛権なるものは、自衛権とは異なり、主張されることとなったのは比較的新しく、また集団的自衛権の名の下になされた戦争、武力行使の悪行の数々(私の小論「安保法制懇報告書を読む」http://t.co/k0yl8s9lZW)が、法的確信をもって主張できるほどにこれを正当化することを阻んでいるからである。
 
2 自衛権

我が国の代表的な国際法の教科書である横田喜三郎「国際法学上巻」(1955年・有斐閣)によれば、自衛権とは、国家または国民に対して急迫または不正の危害がある場合に、その国家が実力をもって防衛する権利であり、行使される実力は当該危害をさけるためにやむを得ないものでなければならないとされている。これは我が国の国際法学における通説といってよい。

政府は、1954年、憲法9条1項の下においても我が国は自衛権を保持しており、それは、①急迫不正の侵害、即ち現実的な侵害があること、②それを排除するために他に手段がないこと、さらに③それを防御するために必要最小限度の方法をとることの三要件のもとに行使が認められるとの見解を打ち出し(1954年4月6日衆議院内閣委員会・佐藤達夫法制局長官答弁)、以後これを維持している。

上記の自衛権の要件に関する政府見解は、国際法学の通説に基づいており、おおかたの支持を得ているように思われる。

自衛権に関しては、古くは、1837年、英国から独立を求めるカナダ独立派が利用していた「カロロライン号」を、英国艦船がナイル川に急襲し、撃破した事件(カロライン号事件)に際し、ウェブスター米国務長官が英国フォックス公使にあてた1841年4月24日付書簡において、「英国政府としては、目前に差し迫った圧倒的な自衛の必要性、及び手段の選択の余地がなく、かつ熟慮の時間もなかったことを示されなければならない」との見解が表明された。この見解がその後「ウェブスター・フォーミュラ」と呼ばれることとなった。

その後、国際連盟規約、1925年ロカルノ条約、1928年不戦条約、と平和を維持する国際取り組みがなされ、戦争を違法化する流れが強まった。その中で、自衛権に基づく戦争は、違法な戦争から区別されるとして、自衛権が注目され、より精緻に定義されることとなったのである。その際、自衛権の根拠は、国家の固有の権利である自己保存権に由来するものとの考え方が共有されたといってよい。

3 集団的自衛権
 
国連憲章は、以下のように定めている(51条)。

 「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基づく権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」

 この規定において、はじめて集団的自衛権なるものが歴史の舞台に立ち現われた。

分解すると、上記定めは、①武力攻撃の発生、②安保理が必要な措置をとるまでの間、③ただちに安保理に報告すること、との三つの制限のもとに、各加盟国は、「個別的又は集団的自衛の固有の権利」=自衛権を行使できるということになる。

ところで自衛権とは前項で述べたように定義がなされ、定着している。これと国連憲章51条とはどういう関係になるのだろうか。

一つの考え方は、国連憲章51条は、自衛権の伝統的概念をふまえ、これをあらためたというものであり、この考え方が従来なんとなく受け入れられてきたようだ。国連憲章51条は、伝統的自衛権概念は個別的自衛権に関するものであり、これとは別に集団的自衛権を認めることを宣言したのだというわけである。

しかし、私は、これは不思議な考え方だと思う。何故なら、国連憲章が、新しい権利として集団的自衛権を認めるのであれば、その根拠について議論がなされ合意が形成されなければならないし、その定義規定を置かなければならない。しかるに国連憲章を定めたサンフランシスコ連合国会議(1945年4月25日~6月26日)において、そのような議論は一切なされていないし、国連憲章中にはそのような定義規定は置かれていない。

そうすると国連憲章は、従来の自衛権概念を何ら変更していないと解するべきだというもう一つの考え方があってもよさそうである。いやそう考えるべきではなかろうか。

国連憲章51条は、「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を「自衛権」とひとくくりにしている。つまり自衛権を認めたに過ぎない。だから、個別的であれ、集団的であれ、自衛権行使をするには、当該加盟国において伝統的自衛権概念、即ち「国家または国民に対して急迫または不正の危害がある場合に、その国家が実力をもって防衛する権利であり、行使される実力は当該危害をさけるためにやむを得ないものでなければならない」とされる要件(もしくは政府見解の「自衛権行使三要件」)を満たす場合でなければならない。そのように規定している。

このように考えると「集団的自衛の固有の権利」といっても、それはあくまでも自衛権であり、伝統的自衛権が、複数の国家に同時に認められる特殊かつレア・ケース(たとえば同時に複数の国家に攻撃がなされたために複数の国家が同時に自衛権を行使する、あるいは複数の国家が国家連合を形成し、うち一つの構成国への攻撃が国家連合に対する攻撃として複数の国家が一体的に自衛権を行使するなど)ということになる。

 集団的自衛権は自明ではない。

                     (了)

続・「安全保障法制整備に関する与党協議会」

協議会での議論の状況は、その細部にわたって公表されるわけではないから、私たち国民は、マスコミの報道を通じて知るほかはない。マスコミには、是非、私たち国民の目となり、耳となって正確に報道し、かつ適確な論評をして欲しいものだ。
 
さて前回は、過去4回の協議会の概要をフォローしたが、今回は、私の意見を述べてみようと思う。

1 第3回協議会で、集団的安全保障(4事例・・・④侵略行為に対抗するための国際協力としての支援、⑤駆けつけ警護、⑥任務遂行のための武器使用、⑦領域国の同意に基づく邦人救出)につき、国連PKOを含む国際協力活動で海外派遣された自衛隊員の武器使用について、政府側は、自己又は自己とともに現場に所在する者の生命、身体を守るために必要と認められる相当の理由があり、そのために必要最小限の範囲で認められるとしてきたのを、「国または国に準ずる組織」に対する武器使用には制限はなく、派遣する相手国の政府を承認があり、相手国の政府が権力を維持し実効支配しておる場合には、相手国の政府以外に「国または国に準ずる組織」は存在しないから、状況に応じて武器使用を認めるとの新たな見解を提示した。

「自衛権行使三要件」及び「自衛のために必要最小限度の自衛力」なる確立した政府見解二本柱から、そもそも自衛隊とは、ⅰ我が国に対する急迫不正の侵害があり、ⅱこれに対処するのにほかにとり得る方法がなく、ⅲ侵害者を我が国領土、領海、領空から撃退する等必要最小限度の範囲で反撃するための実力であり、それ以外の目的に転用することはできないのであるから、武器使用が認められるケースはおのずから限定される。政府側が提示した案は、これを逸脱し、また実際上も派遣自衛官らが戦闘に巻き込まれるおそれが大となる危険を伴うもので、到底認めるわけにはいかない。

2 第4回協議会で、以下のとおり、グレーゾーン事態(3事例・・・①離島等における不法行為への対処、②公海上で訓練などを実施中の自衛隊が遭遇した不法行為への対処、③ 弾道ミサイル発射警戒時の米艦防護)について大筋合意成立したことが報じられている。

①、②は、治安出動(自衛隊法78条)、海上における警備行動(同法82条)の活動範疇に含まれるもの政府命令を早めるなど運用の改善によって対応すること、③につい武器等防護のための武器使用(同法95条)において米艦も防護対象とすることができるような改正をすること。

しかし、③についてもし本当に合意したとなれば、由々しき問題である。

武器等防護のための武器使用とは、自衛官が、自衛隊の武器、弾薬、船舶、航空機等を職務上警護するに当たり、人又これらの物を防護するために必要があると認める相当な理由があるとき、その事態に応じて合理的に必要と判断される限度で武器使用を認める(人への危害は正当防衛又は緊急避難に該当する場合に限る)というもので(自衛隊法95条)、防衛出動には至らない警察的な活動として位置づけられる。
ところが、自衛艦が、公海で、弾道ミサイル発射警戒活動中の米艦を警護するのは、どう見ても警察的な活動ではない。これは、まさしく集団的自衛権行使の事例に該当する。これを政府側がグレーゾーンの事例として持ち出したのは一種のトリックである。また公明党もそれに異議をのべないで、早々と、自衛隊法85条を改正する方向で大筋合意したとすれば、集団的自衛権の行使は容認しないと繰り返し言明してきたことは単なる方便に過ぎなかったことになる。

3 6月7日付、「朝日」紙朝刊から、要約して以下引用する。

第4回協議会、残り10分を切った段階で、突然、岩屋毅自民党安全保障調査会長が、集団的自衛権(8事例の「武力の行使」に当たり得る活動・・・⑧邦人輸送中の米輸送艦の防護、⑨武力攻撃を受けている米艦の防護、⑩ 強制的な停船検査、⑪米国に向け我が国上空を横切る弾道ミサイル迎撃、⑫弾道ミサイル発射警戒時の米艦防護、⑬米本土が武力攻撃を受け、我が国近隣で作戦を行う時の米艦防護、⑭国際的な機雷掃海活動への参加、⑮民間船舶の国際共同護衛集団的)を取り上げ、「これらを集団的自衛権以外でどう説明するのか。できないでしょう。問題はどういう制約をかけるべきだ」とまくしたてたのに対し、慌てた公明党北側氏が「ちょっと待って。首相が言う『必要最小限度』とは何か基準を示して欲しい」と切り返したが、自民党にとってはこれで十分であった。

いよいよ集団的自衛権論に入ろうとしているが、自民党は知ってか知らないでか、「必要最小限度の自衛権行使」論で押してくる。対する公明党北側氏も、「必要最小限度とは何か」などと、なにやら安倍首相や自民党側が設定した危うい議論の土俵に乗っかっているようだ。

この点については、私は、4月以来、幾度となく警鐘を鳴らしてきた。
集団的自衛権が認められないのは、集団的自衛事態は、「自衛権行使三要件」の第一要件「我が国に対する急迫不正の侵害」に当たらないからである。かって公明党の大先輩、二見伸明衆議院議員が、折角、「必要最小限度であれば集団的自衛権の行使も可能というようなひっくり返した解釈」に封印をしたのに、今、北側氏らは、その封印を解こうというのであろうか。

私たちは座視するわけにはいかない。監視、批判を強めていかなければ、安倍首相、自民党の思い通りになってしまうだろう。
                               (了)

「安全保障法制整備に関する与党協議会」 

「安全保障法制整備に関する与党協議会」(以下単に「協議会」という。)なるものが行われている。この協議会、どうもネーミングからして、既に、自民党の圧倒的優越性が滲み出し、一定方向を志向していることが明らかである。

協議会は、5月15日、「安保法制懇」から報告書の提出を受けた安倍首相は、ただちに以下の「基本的方向性」を打ち出し、これを受けて、与党間の合意に基づいて開催されることになったものである。

・「限定的な集団的自衛権行使容認」を求めた安保法制懇提言については今後研究を進める
・与党協議の結果、憲法解釈変更が必要と判断されれば閣議決定する
・武装集団が日本の離島に上陸する事態などの「グレーゾーン事態」への対処を強化する

 私は、公明党が立党の精神である平和憲法擁護の立場に徹するなら、広く国民に呼びかけ、協議会が開催される前にはその都度、意見交換をするための集会を持つこととし、そこでの意見聴取を踏まえて協議するという原則を確立する努力をするべきであったと思う。

なぜなら、公明党は、白紙もしくは集団的自衛権を認めないとの姿勢で協議会に臨むつもりであったかもしれないが、首相宛て提出された安保法制懇報告書と安倍首相の打ち出した上記「基本的方向性」に基づき、自民党は、既に、明確な方向性を持って臨むことは明らかであり、力関係においても優る自民党と対等平等に協議をするためには、国民的バックアップがどうしても必要だからだ。

既に協議会は、5月20日、27日、6月3日、6日と既に4回行われた。その概要をフォローしてみよう。

第1回 5月20日

自民党が①)武力攻撃に至らないグレーゾーン事態、②国連平和維持活動(PKO)での「駆け付け警護」など国際協力、③集団的自衛権の限定容認、の三分野一体的協議・決着を急ぐ姿勢を示したのに対し、公明党は、拙速な協議は避けるべきだと主張、公明党も協議の必要性を認めたグレーゾーン事態から議論に入ることを確認。

協議終了後の記者会見でも、自民党の高村正彦副総裁は、三分野一体での閣議決定が望ましいとの考えを強調したのに対し、公明党の北側一雄副代表は「私どもは、そういう認識ではない」と発言した。

第2回 5月27日

政府側が、現在の憲法解釈・法制度では対処に支障があると考える想定事例として、以下の15事例(プラス1参考事例)を提示した。

(1)グレーゾーン事態(3事例)・・・武力攻撃に至らない侵害への対処

① 離島等における不法行為への対処
② 公海上で訓練などを実施中の自衛隊が遭遇した不法行為への対処
③ 弾道ミサイル発射警戒時の米艦防護
 (参考事例)領海内で潜没航行する外国の軍用潜水艦への対処)・・・撤回

(2)集団的安全保障(4事例)・・・国連PKOを含む国際協力等

④ 侵略行為に対抗するための国際協力としての支援
⑤ 駆けつけ警護
⑥ 任務遂行のための武器使用
⑦ 領域国の同意に基づく邦人救出

(3)集団的自衛権(8事例)・・・「武力の行使」に当たり得る活動

⑧ 邦人輸送中の米輸送艦の防護
⑨ 武力攻撃を受けている米艦の防護
⑩ 強制的な停船検査
⑪ 米国に向け我が国上空を横切る弾道ミサイル迎撃
⑫ 弾道ミサイル発射警戒時の米艦防護
⑬ 米本土が武力攻撃を受け、我が国近隣で作戦を行う時の米艦防護
⑭ 国際的な機雷掃海活動への参加
⑮ 民間船舶の国際共同護衛

グレーゾーン事態の①、②の2事例を中心に意見交換された。
政府・自民党は、離島に武装集団が上陸した 場合、自衛隊の治安出動や海上警備行動に「時間がかかる」として、発令手続きの簡素化が必要と主張。政府側の出席者は、中国漁船が大挙して日本領海に侵入 する事態などを念頭に「尖閣諸島も大丈夫ではない」と指摘した。これに対し、公明党北側一雄副代表は「海上保安庁で対処が困難なとき、スムーズに海上警備行動が出ることは当然やっているのではないか」と強調。あくまで海上保安庁が主導的役割を果たすべきで、自衛隊出動の手続きは現行の枠組みで十分との認識を示した。
また公明党北側氏は、海上保安庁の巡視艇が周辺におらず、付近にいる海上自衛隊ならば速やかな対応が可能とする状況設定に、「たまたまの話が挙がっている。かなりレアな話との印象を受けた」と不満を示した。公明党からはさらに、「どういう離島を想定しているのか」、「海上自衛隊に平時から警察権を持たせる考えなのか」などの質問が出された。
政府側が法整備の具体的な方向性を明確には示さなかったため、両党が「次回会議では政府の考え方を示してほしい」と要請したとのこと。

第3回 6月3日
 
政府側から、自衛隊の国際協力活動に関して、「武力行使と一体化」したものと許されないのは以下の4条件を全て満たす場合であり、「戦闘地域」であっても多国籍軍等の後方支援活動を認める案を提示した。

ⅰ 現に戦闘中の他国部隊を支援する
ⅱ 提供する物品・役務が直接戦闘に使われる
ⅲ 活動場所が、他国部隊が現に戦闘中の現場にあたる
ⅳ 後方支援活動が戦闘行為と密接な関係がある

これに対し、公明党から、「米国が戦争を始め、補給や医療をやってくれと頼まれたら断れない。自衛隊が活動中に攻撃されれば応戦せざるを得ず、結局、戦闘と一体化する」と危うさを懸念する意見が出た。また自民党も「政府の論理は緻密でない」と批判的な意見が出された。

さらに政府側から、自衛隊が「国または国に準じる組織」に襲撃され、武器を使用した場合に「海外での武力行使」と認定される恐れがあることから、「国または国に準じる組織」の定義を改め自衛隊が武器を使用できる対象を緩和する考えが示された。

第4回 6月6日

グレーゾーン事態(3事例)について、①、②については「運用の改善」で対処、③については自衛隊法改正で対応する、ことに大筋合意した模様。

政府側は、自衛隊の国際協力活動について、前回提示した案を撤回して、新たに以下の基準案を提示した。

ⅰ 現に戦闘中の現場では支援しない
ⅱ 戦闘現場となった場合は支援を中止する
ⅲ 人道的な捜索・救助は例外とする

政府側は、「(自衛隊イラク派遣などで設けた)非戦闘地域の概念は取らない」とも説明しているし、上記基準もあいまいである。他国部隊が現に戦闘中でさえなければ、戦場などの危険地帯で戦闘準備中の他国部隊に対する後方支援が可能になり、戦闘行為に限りなく近づくこと、突然起きた戦闘に自衛隊が巻き込まれることなど、懸念される。

政府側は、集団的自衛権(8事例)を説明、「いずれも集団的自衛権に当たり、これまでの憲法解釈を変える必要がある」とした。これに対し、公明党北側氏らは「現行法や現行憲法解釈でどこまで可能なのか議論する必要がある」と述べ、次回以降に政府が想定する「『必要最小限』の基準を示して欲しい」と、詳細な資料を示し、説明するよう求めた。

自民党は、安倍首相の指示に従い、6月22日の国会会期末までに与党協議を整え、三分野一体で閣議決定することを目指し、協議を急ぐ。
安倍首相、自民党は、「朝日」紙の表現にならうと公明党への北風政策に出た。公明党よ、大丈夫か!

                                   (続く)

国連加盟と日本国憲法第9条

安保法制懇報告書は「我が国が1956年9月に国連に加盟した際も、国際連合憲章に規定される国連の集団的安全保障措置や、加盟国に個別的又は集団的自衛の固有の権利を認める規定(第51条)について何ら留保は付さなかった」と述べている。

我が国が国連に加盟申請をしたのが1952年6月、最終的に加盟承認されたのは1956年12月である。 
かりそめにも「高名な」有識者らが名前を連ねた文書である。正確を期すべきであることは当然であるが、人間誰しも間違いはあることだから小さなミスは大目に見ておこう。

しかし、嘘、ごまかしは絶対に許すわけにはいかない。

我が国が国連加盟申請をした当時、外務省条約局長をつとめその事務を取り仕切った故西村熊雄氏は、後に、内閣に設置された憲法調査会において、参考人として以下のように陳述している(1960年8月10日/憲法調査会第三委員会第24回議事録)。
 
国際連合事務総長あて加盟申請文の最後に日本政府の声明として、日本は国連に加盟したあとは国際連合憲章から生ずる義務を忠実に果たす決意があることを宣言いたし、そのあとに、ただし日本政府はこの機会に戦争を放棄し、陸海空軍三軍を永久に所持しないということを明らかにしている憲法九条に対し注意を喚起するという一項をつけ加えておいたわけです。当時はまだ占領管理のもとにありましたので―占領管理がはずされましたのは翌年の昭和25年(ママ)4月でございます。私どもがこの案文を書きましたのはその前でございます―(GHQの)外交部の友人から、日本政府として直接憲法九条に注意を喚起するまでいう必要はないではないか、間接的にそれをいった方がいいのではないかというサゼッションがございましたので、確定した文書では間接にいうことになりました。

(ここで故西村氏は次の加盟申請原文を示した)

   Declaratoin             Tokyo ,June 16,1952

Kazuo Okazaki, Minister for Foreign Affairs, having been duty authorized by the Japanese Government, states that the Government of Japan here accepts the obligations contained in the Charter of the United Nations, and undertakes to honour them, by all means at its disposal, from the day when Japan becomes a Member of the United Nations.
(signed)
Minister for Foreign Affairs of Japan

(故西村氏は、上記のby all means at its disposalについて説明を続けた)

そこでは第九条を直接言わないで、日本政府はその有するあらゆる手段によって国際連合憲章から生まれる義務を遵守するが、日本のディスポーザルにない手段(注:日本が自ら行使できない手段という趣旨)を必要とするような国際連合憲章の義務は負担しないことをはっきりいたしたのであります。

以上の故西村氏の陳述で指摘されているのは、直接的には国際連合憲章上の義務についての憲法九条に基づく留保であるが、義務について留保しつつ権利について留保していないという解釈は成り立ち得ない。

さて安倍さん、安保法制懇報告書の述べるところと、誠実な外務官僚・故西村氏の陳述と、どちらを信じるかはあなたの自由だというわけにはいかないだろう。
                                    (了)

情報監視審査会なるもの

 自民・公明両党は、5月30日、衆、参各議院に情報監視審査会を設置することなどを内容とする国会法改正案を衆議院に提出した。

 この法案は、特定秘密保護法付則第10条と、12月5日、自民、公明、維新、みんなの四党間で取り交わされた四党合意書の下記項目にもとづいている。特定秘密保護法は、この四党合意書が取り交わされた当日、参院安全保障特別委員会で強行採決がなされ、翌日、参院本会議で強行採決がなされて成立させられたのであった。

「政府から特定秘密の提供を受けた場合における国会での特定秘密の保護に関する方策についての付則10条の規定に基づく検討に当たっては、特定秘密を取り扱う関係行政機関の在り方及び特定秘密の運用の状況等について審議し及びこれを監視する委員会その他組織を国会に置くこと、国会において特定秘密の提供を受ける際の手続その他国会における特定秘密の保護措置全般について早急に検討を加え、本法施行までに結論を得るものとする。」

1 法案の概要は以下のとおりである。

① 特定秘密の保護に関する制度を常時監視するため、特定秘密の指定及び解除並びに適性評価の実施状況を調査し、各議院又は各議院の委員会若しくは参議院の調査会からなされた特定秘密の提出要求に対する行政機関の長の判断の適否を審査するために、各議院に情報監視審査会を設ける。
  情報監視審査会の調査又は審査は公開しない。

② 情報監視審査会が、調査のため、必要な特定秘密の提出(提示を含む。以下同じ。)を求めたときは、行政機関の長は、これに応じなければならない。

③ 行政機関の長が特定秘密の提出に応じないときは、その理由を明らかにしなければならない。
情報監視審査会においてこれを受諾できるときは、行政機関の長は、その特定秘密を提出しなくてもよい。
情報監視審査会においてこれを受諾できないときは、情報監視審査会は、更にその特定秘密の提出が我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがある旨の内閣の声明を要求することができる。その声明があつた場合は、行政機関の長は、その特定秘密の提出をする必要がない。
上記要求後10日以内に、内閣がその声明を出さないときは、行政機関の長は、求められた特定秘密の提出をしなければならない。

④ 情報監視審査会は、調査の結果、必要があると認めるときは、行政機関の長に対し、行政における特定秘密の保護に関する制度の運用について改善すべき旨の勧告をすることができる。
  情報監視審査会は、行政機関の長に対し、上記の勧告の結果とられた措置について報告を求めることができる。

⑤ 情報監視審査会は、各議院又は各議院の委員会若しくは参議院の調査会からなされた報告又は記録の提出要求につき行政機関の長が応じないとき、各議院の求めにより審査する。
 以下②、③と同じ。

⑥ 情報監視審査会は、上記の審査の結果に基づき必要があると認めるときは、行政機関の長に対し、報告又は記録の提出をすべき旨の勧告をすることができる。

⑦ 議院証言法による手続に関しても⑤、⑥と同様、情報監視審査会が関与する。

2 この法案も厚化粧で、一読しただけではわかりにくい。なにやら大仰なことがかかれている。しかし、「我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがある旨の内閣の声明」によって、行政機関の長は情報監視審査会へ特定秘密を提出することを免れることができること、情報監視審査会ができるこてとは強制力のない改善勧告を発することだけであること、この二点は明瞭に読み取ることができる。

 これでは特定秘密の運用の監視にもならないし審査でもない。あってもなくてもどちらでもいい、まさに盲腸のようなものである。

 私は、第一に特定秘密保護法10条1項1号の規定を改め、情報監視審査会に対しては行政機関の長は「我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれ」を理由として特定秘密の提供拒絶ができないことを明確にすること、第二に、広く国民から特定秘密の指定、解除、適正評価に関する苦情申し出を受け付けることできるようにすること、第三に、審査の結果、改善命令を発することができることとし、行政機関の長はこれに従う義務があることを明記すること、これらが最低限度必要ではないかと思う。
 国会は国権の最高機関である(憲法41条)。上記の程度の権限付与がなされないと、国会は、特定秘密保護法により、権限が狭められ、弱体化されて、その地位を蔑ろにされ、三権分立のバランスを崩されてしまうことになるだろう。
                                     (了)
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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