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注釈:集団的自衛権などに関する想定問答 (1)

 6月28日付朝日新聞朝刊は、今度閣議決定される集団的自衛権などに関する政府見解の想定問答集を掲載した。これは、国家安全保障局が作成したものだとのことである。
与党協議会においては、あたかも武力行使できるケースは限定的であるとも読める玉虫色の合意内容とするようだが、これを読むと、実際には、何らの限定もないことがよくわかる。
 以下には、まず想定問答を原文どおり記載し、次いでそれに対する私の注釈を加えて行くこととする。

問1 憲法解釈を変更したのか

・ 我が国を取り巻く安全保障環境の大きな変化を踏まえ、昭和47年の政府見解の基本的な論理の枠内で導いた論理的な帰結。

・ 解釈の再整理という意味で一部変更ではあるが、憲法解釈としての論理的整合性、法的安定性を維持(「解釈改憲」ではない)。

■注釈

歴代の内閣総理大臣や内閣法制局長官らが、国会で、憲法9条の下では集団的自衛権の行使は認められないと答弁した回数は、数百回に及ぶ(阪田雅裕元内閣法制局長官)。それらは、憲法9条の下でも、①わが国対する急迫不正の侵害を、②ほかに適切な手段方法がないとき、③必要最小限度の実力を行使してこれを排除することは、自衛権の行使として認められ(自衛権行使3要件)、そのための必要最小限度の実力として自衛隊は許容される、との政府見解をもとにし、その応用として展開されたものであった。
従って集団的自衛権を昭和47年の政府見解の字面を追って、それの文言の一部を引っ張り出して辻褄あわせをしたとしても、昭和47年の政府見解の拠って立つ土台からはずれ、論理的整合性など到底認められない。解釈改憲であることは明らかである。


問2 憲法改正によるべきであり、なぜ閣議決定で解釈変更をするのか

・ 憲法改正の是非は国民的な議論の深まりの中で判断されるべきもの。

・ 他方、我が国を取り巻く安全保障環境は大きく変化。国民の命と平和な暮らしを守り抜くための法整備が急務。

・ 昭和47年の政府見解の基本的な論理の枠内で論理的な帰結を導ける以上、必ずしも憲法改正を行う必要はない。

・ 論理的な帰結の範囲にとどまるものであり、憲法の範囲内で必要な法整備をすることは政府の責務。

■注釈

昭和47年の政府見解を換骨奪胎し、似て非なるものにしてしまい、憲法9条の下で認められるという自衛権、憲法9条の下で認められるという自衛隊や武力の行使の枠組みを取り除き、集団的自衛権の行使が認められない理由に関する従来の政府見解を捻じ曲げている。

時の政権の安全保障政策は、憲法に適合する範囲でしか実施できない。それが立憲主義である。ところが安倍政権は、憲法の上に、自己の安全保障政策を置き、これを憲法なりと宣言している。これ即ち憲法無視、立憲主義に違背する専制君主の政治行動と何ら変わらない。

問3 どのような場合に集団的自衛権を行使できるのか

・ 「新3要件」を満たす場合に限り、国際法上は集団的自衛権が根拠となる「武力の行使」も憲法上許容される。「新3要件」に該当するか否かは政府が全ての情報を総合して客観的、合理的に判断する。

・ その上で、実際上、「武力の行使」の要否は、高度に政治的な決断。時の内閣が、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために何が最善か、あらゆる選択肢を比較しつつ、現実に発生した事態の個別具体的な状況に即して、総合的に判断。

■注釈

「新3要件」とは、①わが国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、②これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、③必要最小限度の実力を行使することは憲法上許容される、というもの。

米国が第三国と交戦状態に入った場合には、上に言う「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」との要件は自動的に満たされる。何故なら、政府・自民党にとっては、日米同盟はなにを措いても守らなければならず、わが国の安全保障の根幹、生命線であるから。

その上、政府の判断について、その基礎となる情報は全て特定秘密保護法により特定秘密に指定されるため、報道はされず、国民は知りようがないので批判的検討をすることができない。国会も、同じく審議できない。これでは政府の恣意的判断をチェックできず、戦前の軍部独裁と同じである。

問4 要件が曖昧(あいまい)。武力行使に「歯止め」がないのではないか。戦争に巻き込まれるのではないか
・ 「新3要件」を厳守する以上、憲法上「歯止め」がないということではない。その要件に該当するか否かは政府が全ての情報を総合して客観的、合理的に判断する。

・ その上で、集団的自衛権の行使は「権利」であり「義務」ではない。備えであり、実際に行使するか否かは政策の選択肢。時の内閣が、あらゆる選択肢を比較しつつ、国民の命と平和な暮らしを守り抜く観点から主体的に判断。

・ 事態の個別具体的な状況に即して、主に、攻撃国の意思・能力、事態の発生場所、その規模・態様・推移などの要素を考慮し、総合的に判断。

・ 実際の行使には国内法が必要。個別的自衛権と同様、国会承認も求める。民主主義国家の我が国では慎重にも慎重を期して判断される。

■注釈

「新3要件」が何ら歯止めにならないこと、政府の判断を検証する方法はなく、国会での多数による独断専行の横行は実証済みであり、政府の独裁を防ぐことができないことは上述のとおり。

集団的自衛権の行使が「権利」であり、「義務」ではないというのは詭弁。米国からの要求を断ることはあり得ない。米国が攻撃を受けているにも関わらず、何もしなければ日米同盟は持たなくなり、わが国の安全保障の根幹を揺るがすことになると強調、集団的自衛権行使容認に強引に突き進んできたのは安倍政権ではないか。それが突如、集団的自衛権の行使は「権利」であって、「義務」ではないなどと言い出しても誰も信用しないだろう。

法整備が必要だから大丈夫というもの白々しい。あの大きな反対運動を無視し、審議不尽のまま特定秘密保護法を強行可決させた安倍政権ではないか。自民、公明の多数横暴、独裁は実証済みである。


問5 昭和47年の政府見解の枠内で、なぜ結論が変わるのか

・ 「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置」について、これまでは、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される急迫不正の事態に対処」するものであるとして、「武力の行使」は我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限定。

・ しかし、パワーバランスの変化や急速な技術革新により、脅威がどの地域で発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼすことがあり得る。

・ この変化を踏まえれば、他国に対して発生する武力攻撃でも、その目的・規模・態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。

・ この現状を踏まえ、我が国に対する武力攻撃が発生していなくとも、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」であれば、従来の政府見解と同様、自衛の措置として「武力の行使」が憲法上許容されると判断。

■注釈

昭和47年の政府見解の土台にある「自衛権行使3要件」、「自衛隊合憲論」の政府見解を切り離し、字面を追って、いいとこどりをし、予め決めている結論にあうように並びかえたのである。

安全保障環境の変化、パワーバランスの変化を言うなら、冷戦時代と比べれば好転したと言えるだろうし、技術革新についても、ソ連による水爆開発した時期、その後の核拡散、大量の核兵器とミサイルの偏在という時期と比べると、言うほどのことはない。変化と言えば、安倍政権が危機を自らつくり出し、危機を煽っていることである。

「新3要件」は憲法9条の下では認められない集団的自衛権行使を認めるというものであり、解釈改憲である。また集団的自衛権を限定的に認めるものというのも事実に反する。

                                 (続く)
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安倍内閣打倒の声を

  「岸はなんと言っても伝統的なナショナリストであった。だから内乱条項があったり、期限が定まっていない安保条約の存在は、彼にとっては快いものではなかったのである。彼が、アメリカとの交渉の席で、「それではまるで満州国だ」と口走ったのは、彼の本心を案外よく表現しているのである。(中略)
 しかし、彼は日本とアメリカとの間の平等性は、安保条約の条項を変えることによって左右されるようなものではないことを認識することができなかった。もちろん、純技術的には、日米安保条約の条文を変更することは好ましいことであったが、それは基本的な相違をもたらすものではなかったのである。だいたい、アメリカとの協力に安全保障を依存することが、すでに独立についての異なった考え方に立脚することであった。そうした体制において日本の独立性を増すためには、安保条約の条文を変更するだけではなく、外交のあり方全体を問題にしなければならなかったのである。」

 これは国際政治学者・故高坂正堯氏の論文の一節である(中公クラシックス「宰相吉田茂」所収の「吉田茂以後」)。

 昭和戦前期、「革新官僚」の筆頭格として満州国総務庁次長を務めるなど、満州侵略のお先棒を担いだ岸氏が、アメリカとの交渉の席で、「それではまるで満州国だ」などとアメリカの強硬姿勢をなじったというのは、ご愛嬌だが、安保条約の条文をいじくることでアメリカとの対等性を回復しようとしたのは、時代から取り残された伝統的ナショナリストのむなしいあがき、そこはかとない悲哀を感じさせるものがあった。

 その安保条約改定によっても、わが国は、アメリカが望む時期に、望む場所に、望む限りの基地を提供する義務を負い続け、アメリカは、どこまで実効性を伴うか不明の単なる額面上のわが国防衛義務をうたいつつ、わが国から提供された基地をアメリカの世界戦略のために使用できる権利を得る結果となっていることは、安保条約と地位協定をつぶさに検討することにより、おのずから明らかとなる。即ち、鳴り物入りの改訂にもかかわらず、安保条約は、圧倒的にアメリカ本位の不平等・従属条約のままなのである。

 さて岸氏の孫、安倍晋三氏は、昨年9月26日のニューヨークのハドソン研究所で行われた会合で、「私を右翼の軍国主義者と呼びたいならば、どうぞ そうお呼びください」と発言した。これは、祖父を敬愛する孫の心情、まことにほほえましい限りであると言っておこう。だが、わが国が行ったアジアへの侵略とそれに伴う蛮行を否定し、日本国憲法を押し付け憲法と断じ、東京裁判を否認し、尖閣諸島での対立を激化させ、アメリカの忠告をも無視して靖国神社参拝をするなど、まさに八面六臂の大立ち回りを演じていることは、伝統的ナショナリストの咆哮とでも言うべきであろうか。それはアジアにおける緊張と対立の震源になっていることは確かであり、一切の好意的見方を排除しなければならない。

 その安倍氏は、わが国が米国と米国軍隊が攻撃を受けたときにともに戦えないこと、つまりわが国自衛隊員が米兵とともに血を流すことができないことは、一方的に米国にのみ義務と負担を負わせていることになるなどと、安保条約の不平等性をさかさまに描き出し、なんとしても集団的自衛権行使を認めなければならないと強調している。
安倍氏は、集団的自衛権行使容認にいたくご執心で、寝ても覚めてもその思いが頭を離れないようだ。

 「①わが国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、②これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、③必要最小限度の実力を行使することは憲法上許容される。」
「上記他国に対して武力攻撃が発生した場合に憲法上許容される「武力の行使」は、国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合もある。」
との高村改訂試案は、その安倍氏の思い、執念に応えるものだ。
 
 「平和の党」公明党も看板を捨て、すり寄ろうとしている。

 かくなる上は、安倍内閣打倒を叫ぶほかはない。安保闘争で岸内閣を打倒したように、街頭に出よう。

                              (了)

与党協議会、やっぱりこういうことだったのか

 24日の与党協議会において、自民党高村副総裁が、閣議決定案として改訂高村私案「憲法9条の下で許容される自衛の措置」を提示した。
 その要旨は次に掲げるとおりである。

(1)憲法9条に関する従来の政府の解釈と論理的整合性と法的安定性が求められ、その枠内で国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的帰結を導く必要がある。
(2)憲法9条は自衛の措置をとることを禁じていない。この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これは従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、今後とも維持されなければならない。
(3)これまで政府は、「武力の行使」が許容されるのはわが国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、根本的に変容し、変容し続けているわが国を取り巻く安全保障環境を踏まえれば、他国に対して発生する武力攻撃であっても、その目的・規模・態様等によっては、わが国の存立を脅かすことも起こり得る。
 このように、①わが国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、②これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、③必要最小限度の実力を行使することは憲法上許容される
(4)上記他国に対して武力攻撃が発生した場合に憲法上許容される「武力の行使」は、国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合もある。
(5)上記他国に対して武力攻撃が発生した場合に憲法上許容される「武力の行使」を行うために自衛隊に出動を命ずるに際しては、現行法令に規定する防衛出動に関する手続と同様、原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記する。

 アンダーラインの部分に注目して欲しい。自民党高村副総裁が13日与党協議会に提示した高村私案原案の、これに対応する文言は次のとおりであった。
  
 ①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること、②これを排除し、国民の権利を守るために他に適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力を行使すること、の三要件を満たせば「武力の行使」は憲法上許容される。

 この時点で、公明党は、同日与党協議会であ、高村私案原案を党に持ち帰り、検討するとの対応であったとのことたが、上記①を「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される事態が発生したこと」と改めさせる方向で検討を進めているとの報道もなされていた。私は、当ブログの14日掲載記事で、これは「おそれがあること」を少し重くしたとはいえるが、本質的には自民党案と同じであり、もしそれで手を打てば、自民党との共同正犯と言わねばならないと断じたのであった。

 その後の報道を見ると、公明党は、上記①の「他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される事態」を朝鮮半島有事の場合に限定させる方向で決着を模索しているとの観測記事がさかんに流されていた。これは公明党筋のリーク記事だったのだろう。北側副代表ら公明党幹部は、高村試案原案を上述したように少し手直しした程度で決着を図るために、党内及び支持母体の創価学会、世論状況を見極めようとしていたのだ。

 17日に行われた与党協議会において、シビレを切らしたかのように政府から、集団的自衛権行使を明記し、中東ペルシャ湾などを念頭に置いてシーレーンを封鎖した機雷を交戦中でも撤去できるようにすることを閣議決定することを内容とする原案を示された。
 さらに20日の与党協議会で、自民党のメンバーの一人、岩屋毅・党安全保障調査会長が、自衛隊が集団的自衛権を使って機雷を爆破して取り除いている時のケースを引き合いに出し、「集団的自衛権で自衛隊が行動していた時に、国連決議で多国籍軍による集団安全保障措置となった場合、できなくなるのか」と問題提起。つまり集団的自衛権行使だけではなく、武力行使を伴う集団的安全保障措置へ参加の必要性をも主張するに至ったのである。

 ここで、この情況を狙いすましたかのように提示されたのが今回の改訂高村試案である。公明党北側副代表ら幹部は上述のように手を打つ決断をしているが、党内、支持母体の反発もある、あるいは平和の党の看板に泥を塗ることはできれば避けたいと思い、ここは思案のしどころだと、腕組みをして見栄を切った。そこへ政府、自民党がカサにかかって攻め立て、公明党を追い詰める。絶体絶命のピンチに立ったかのようだ。舞台は回る。まさに妖刀一閃、高村改定私案が絶妙なまあいをはかって振り下ろされた。高村改訂私案は、公明党へ大幅に歩み寄ったかのような文章になっている。心にくいばかりの落しどころではないか。高村氏は狂言まわしだ。
 
 公明党は、よく頑張った、やっぱり平和の党だ。

 だが待てよ。高村改定私案、集団的自衛権行使をきっちり認めているではないか。しかも、何らの歯止めも期待できない。だから何も譲っていないのだ。

 一体何故そんな手品みたいなことができるのか。種明かしは上記の(2)にある。従来の政府の解釈と論理的整合性と法的安定性を守るなどと言ってはいるものの、実は、従来の政府見解が換骨奪胎されてしまい、似て非なるものとなってしまっているのである。

 従来の政府見解の大黒柱は、1954年の「憲法9条1項の下においても我が国は自衛権を保持しており、それは、①急迫不正の侵害、即ち現実的な侵害があること、②それを排除するために他に手段がないこと、さらに③それを防御するために必要最小限度の方法をとることの三要件のもとに行使が認められる」との見解(1954年4月6日衆議院内閣委員会・佐藤達夫法制局長官答弁)であり、これは繰り返し表明されてきた。今の政府・自民党が好んで持ち出す1972年の田中内閣の見解(注1)は、この大黒柱を集団的自衛権の問題に応用したに過ぎない。だから大黒柱から田中内閣見解のみを切り離して、その言葉尻を捉えるような解釈をするのは我田引水、三百代言の論となってしまうのだ。

 それにしても、この顛末、やっぱり猿芝居、茶番であった。

                                            (了)

注1 1974年田中内閣見解

 憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において『全世界の国民が・・・・平和のうちに生存する権利を有する』ことを確認し、また、第13条において『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については・・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする』旨を定めていることからも、わが国みずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるのであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にととまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使をすることが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。(1972年10月14日参議院決算委員会提出資料)

「国防の基本方針」と「国家安全保障戦略」

「国防の基本方針」

「国防の基本方針」は、1957年5月20日、国防会議決定を踏まえて閣議決定されて以来、2013年12月17日まで実に56年以上にわたり、わが国の防衛政策の基礎とされてきた。その内容は、以下のとおり僅か4項目からなり、簡潔明瞭である。 因みにこれを策定したときの首相は、安倍首相の祖父岸信介氏であった。

国防の目的は、直接及び間接の侵略を未然に防止し、万一侵略が行われるときはこれを排除し、もって民主主義を基調とするわが国の独立と平和を守ることにある。この目的を達成するための基本方針を次のとおり定める。

(1)国際連合の活動を支持し、国際間の協調をはかり、世界平和の実現を期する。
(2)民生を安定し、愛国心を高揚し、国家の安全を保障するに必要な基盤を確立する。
(3)国力国情に応じ自衛のため必要な限度において、効率的な防衛力を漸進的に整備する。
(4)外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果し得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する。

愛国心などという岸氏ごのみの言葉が使われているが、「外部からの侵略」に対処するには、将来は国連に期待し、それまでは米国との安保体制を基礎とすること、防衛力の整備は国力国情に応じて自衛、即ち「外部からの侵略」に対処するために必要な限度で整備することが確認されており、専守防衛の立場に立っていることは明白である。

安倍首相は、これを弊履のごとく捨て去ってしまった。祖父岸信介氏は、草葉の陰で、果たして、泣いているのだろうか、それとも喜んでいるのだろうか。

「国家安全保障戦略」

昨年12月17日、新たに編成された「国家安全保障会議」の決定を経て、「国防の基本方針」にかわるわが国の安全保障政策に関する最高指針として「国家安全保障戦略」が閣議決定された。これは「国防の基本方針」とちがい、2万4000字にも及ぶ長文の文書である。一部を紹介すると、概ね以下の如くである。

①国際協調主義に基づく積極的平和主義を推進する。そのために、
・我が国の平和と安全を維持し、我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な抑止力を強化し、 我が国に直接脅威及ぶことを防止するとともに、万が一 脅威が及ぶ場合には、これを排除しかつ被害最小化する。
・日米同盟の強化、域内外のパートナーとの信頼・協力関係の強化、実際的な安全保障協力の推進により、アジア太平洋地域の安全保障環境を改善し、我が国に対する直接的な脅威の発生を予防し、削減する。
・不断の外交努力や更なる人的貢献により、普遍的価値やルールに基づく国際秩序の強化、紛争の解決に主導的な役割を果たす。

②厳しい安全保障環境、とりわけ北朝鮮と中国の脅威を強調し、
・自衛隊の抑止・対処の体制強化をはかる。
・核兵器の脅威に対しては、核抑止力を中心とする米国の拡大抑止が不可欠であり、その信頼性の維持・強化のために、米国と緊密に連携していくとともに、併せて弾道ミサイル防衛や国民保護を含む我が国自身の取組により適切に対応する。
・領域警備に当たる法執行機関の能力強化や海洋監視能力の強化を進め、様々な不測の事態にシームレスに対応できるよう、関係省庁間の連携を強化する。またわが国領域を確実に警備するために必要な課題について不断の検討を行い、実効的な措置を講ずる。
さらに、国境離島の保全、管理及び振興に積極的に取り組むとともに、国家安全保障の観点から国境離島、防衛施設周辺等における土地所有の状況把握に努め、土地利用等の在り方について検討する。
・ペルシャ湾及びホルムズ海峡、紅海及びアデン湾からインド洋、マラッカ海峡、南シナ海を経て我が国近海に至るシーレーンは、資源・エネルギーの多くを中東地域からの海上輸送に依存している我が国にとって重要であることから、これらのシーレーン沿岸国等の海上保安能力の向上を支援するとともに、我が国と戦略的利害を共有するパートナーとの協力関係を強化する。

③米国との間で、具体的な防衛協力の在り方や、日米の役割・任務・能力(RMC)の考え方等についての議論を通じ、本戦略を踏まえた各種政策との整合性を図りつつ、「日米防衛協力のための指針」の見直しを行う。
また、共同訓練、共同の情報収集・警戒監視・偵察(ISR)活動及び米軍・自衛隊の施設・区域の共同使用を進めるほか、事態対処や中長期的な戦略を含め、各種の運用協力及び政策調整を緊密に行う。加えて、弾道ミサイル防衛、海洋、宇宙空間、サイバー空間、大規模災害対応等の幅広い安全保障分野における協力を強化して、日米同盟の抑止力及び対処力を向上させていく。

④国連のPKOや集団安全保障措置及び予防外交や調停等の外交的手段のみならず、紛争後の緊急人道支援から復旧復興支援に至るシームレスな支援、平和構築委員会を通じた支援等、国連が主導する様々な取組に、より積極的に寄与していく。

⑤防衛生産・技術基盤は、防衛装備品の研究開発、生産、運用、維持整備等を通じて防衛力を支える重要な要素である。限られた資源で防衛力を安定的かつ中長期的に整備、維持及び運用していくため、防衛装備品の効果的・効率的な取得に努めるとともに、国際競争力の強化を含めた我が国の防衛生産・技術基盤を維持・強化していく。

見られるように、厳しい安全保障環境を強調し、中国、北朝鮮、中東をにらんで、自衛隊の強化、日米同盟の深化、集団的自衛権の行使、より積極的な集団的安全保障等の国際貢献、防衛産業の育成・国際競争力の強化などを図ることが謳われている。実にこれが安倍流積極的平和主義の内実である。

これは米国との同盟を標榜している。しかし、やがて巣立ちのときを迎えようとするひなどりの羽音が聞こえるようだ。             
                                             (了)

国家安全保障基本法案 (概要)は安倍政権のロードマップである

 自民党は、2012年7月4日、国家安全保障基本法案(概要)を策定し、2012年12月・衆院選及び2013年7月・参院選で、国家安全保障基本法を制定することを選挙公約に掲げて選挙戦を戦った。
 自民党は、いずれの選挙にも、「勝利」したのであるから、いつでも国家安全保障法案を国会提出できるフリーハンドを得ているわけだが、安保法制懇の報告書を提出させ、与党の一員である公明党との調整をし、他方で準与党ともいうべき維新、みんな(及び結い)の動向を見定めてから、味付けをしようと虎視眈々の構えである。

 しかし、安倍政権発足後の1年半の実績を見ると、実は、国家安全保障基本法案(概要)に書かれていることがなし崩し的に実現し、もしくは実現されようとしており、同法案(概要)は、安倍政権の安全保障政策のロードマップとしての役割を果たしていることがわかる。
 
具体的に見ていくと以下のとおりである。

1 秘密保護法制(第3条第3項)

国は、我が国の平和と安全を確保する上で必要な秘密が適切に保護されるよう、法律上・制度上必要な措置を講ずる。

上記については、昨年12月6日、特定秘密保護法が制定され、本年12月13日施行を目ざして着々と準備作業が進められている。

2 国家安全保障に関する基本計画等(第6条第1項)

政府は、安全保障に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、国の安全保障に関する基本的な計画(以下「安全保障基本計画」という。)を定めなければならない。

別途安全保障会議設置法改正によって
・安全保障会議が安全保障基本計画の案を作成し、閣議決定を求めるべきこと
・安全保障会議が、防衛、外交、経済その他の諸施策を総合するため、各省の施策を調整する役割を担うこと
を規定。

上記については、昨年11月27日、従来の安全保障会議設置法の改正する国家安全保障会議設置法が成立、それに伴い、12月4日、従来の安全保障会議が国家安全保障会議に再編され、本年1月7日、国家安全保障会議の事務局である国家安全保障局が発足した。また昨年12月17日、国家安全保障会議及び閣議において、従来の「国防の基本方針」にかえて「国家安全保障戦略」、これを踏まえた「防衛計画の大綱」及び「中期防衛力整備計画」が決定された。

「国家安全保障戦略」には、「我が国がとるべき国家安全保障上の戦略的アプローチ」として ①我が国自身の能力・役割の強化・拡大、②日米同盟の強化、③国際社会の平和と安定のためのパートナーとの外交・安全保障協力の強化、④国際社会の平和と安定のための国際的努力への積極的寄与、⑤地球規模課題解決のための普遍的価値を通じた協力の強化、⑥国家安全保障を支える国内基盤の強化と内外における理解促進、などが定められている。

3 武器輸出の解禁(第12条)

12条1項 国は、我が国及び国際社会の平和と安全を確保するとの観点から、防衛に資する産業基盤の保持及び育成につき配慮する。

12条2項 武器及びその技術等の輸出入は、我が国及び国際社会の平和と安全を確保するとの目的に資するよう行われなければならない。特に武器及びその技術等の輸出に当たっては、国は、国際紛争等を助長することのないよう十分に配慮しなければならない。

上記は本年4月1日の閣議決定により、武器輸出三原則を事実上撤廃、防衛装備移転三原則を決定したことにより実現することとなった。

新三原則によると、①国際条約の違反国などには輸出を禁止する、②輸出を認める場合を限定し、厳格に審査し情報公開する、③目的外使用や第三国への移転が行われないよう適正管理するなどとされており、原則禁止から原則解禁となり、個別事案について問題事案をチェックするといことで、う原則、例外が逆転することになった。

4 集団的自衛権(第2条第2項4号、第10条)
 
第2条第2項4号 国際連合憲章に定められた自衛権の行使については、必要最小限度とすること。

第10条 第2条第2項第4号の基本方針に基づき、我が国が自衛権を行使する場合には、以下の事項を遵守しなければならない。
一 我が国、あるいは我が国と密接な関係にある他国に対する、外部からの武力攻撃が発生した事態であること。
二 略
三 略
四 一号に定める「我が国と密接な関係にある他国」に対する武力攻撃については、その国に対する攻撃が我が国に対する攻撃とみなしうるに足る関係性があること。
五 一号に定める「我が国と密接な関係にある他国」に対する武力攻撃については、当該被害国から我が国の支援についての要請があること。
六 自衛権行使は、我が国の安全を守るため必要やむを得ない限度とし、かつ当該武力攻撃との均衡を失しないこと。

上記については「安全保障法制の整備に関する与党協議会」において協議中である。

5 集団的安全保障等(第2条第2項1号、第11条)

第2条第2項1号

国際協調を図り、国際連合憲章の目的の達成のため、我が国として積極的に寄与すること。

第11条

我が国が国際連合憲章上定められ、又は国際連合安全保障理事会で決議された等の、各種の安全保障措置等に参加する場合には、以下の事項に留意しなければならない。
一 当該安全保障措置等の目的が我が国の防衛、外交、経済その他の諸政策と合致すること。
二 予め当該安全保障措置等の実施主体との十分な調整、派遣する国及び地域の情勢についての十分な情報収集等を行い、我が国が実施する措置の目的・任務を明確にすること。

本条の下位法として国際平和協力法案(いわゆる一般法)を予定。

上記についても「安全保障法制の整備に関する与党協議会」において協議中である。

まさに嵐である。しかし、黙って嵐が通り過ぎることを待つことはできない。ストップをかけるのは、一人ひとりの声。小さな声でも、まずノーと言おう。

                                           (了)

※本稿は、国家安全保障基本法案(概要)の全容を明らかにしたものではなく、ほかにも国・地方公共団体の責務、国民の責務など憲法改正を必至とする条項がある。以下参照。
https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-137.pdf
                      

情報監視審査会は盲腸、否、国会の機能を蝕むガンである

1 特定秘密保護法に基づき行政機関の長が行う特定秘密の指定又は解除及び適性評価の実施を審査し、並びに各議院からの特定秘密の提供要求に対する行政機関の長による提供もしくは拒絶の判断の適否等を審査することを目的とした常設の「情報監視審査会」を衆・参各院に設置する「情報監視審査会の設置等に係る国会法一部改正案」「議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律の一部改正案」「国会職員方の一部改正案」は、6月20日、第186回国会(常会)の最終日に、参議院において、民主、生活、共産、社民等の反対の声を抑え、自民、公明、維新、みんな等の賛成多数で可決され、成立した(以下まとめて「情報監視審査会設置法」という。)。
 情報監視審査会設置法は、昨年12月6日成立した特定秘密保護法の施行と同時に施行されることになる。

2 しかし、情報監視審査会は、以下の理由により、標榜するところの目的を果たせるとは到底考えられず、盲腸のような存在でしかない。

(1)情報審査会設置法と同時に成立した各院情報監視審査会規程によれば、情報監視審査会は、各8名の議員のみで構成され、会派ごとの議席数の割合に応じて委員が割り当てられることとなっている。このため情報監視審査会の決議が多数決によった場合、内閣を構成する与党会派の意向が強く反映される結果となり、そもそも内閣のもとにある行政機関の長に対する審査・監視機能が十分に発揮されるとは考えにくい。
 
(2)情報監視審査会が、特定秘密の提供を求めても、行政機関の長は、特定秘密の提供に応じない理由を疎明し、情報監視審査会がこの理由を受諾すれば提供を拒むことができる。仮に情報監視審査会がこの理由を受諾しなくても、情報監視審査会は、当該特定秘密の提出が我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがある旨の内閣の声明を要求できるにすぎず、当該特定秘密の提供をさせることはできない。

 結局、行政機関の長の特定秘密を提出しない理由に合理性がないと情報監視審査会が判断しても、行政機関の長は、特定秘密の提供を拒否できる仕組みとなっているのである。

(3)情報監視審査会は、特定秘密の指定・解除をはじめその他の行政機関の長の運用に対して、単に改善等の勧告ができるにとどまり、行政機関の長に対して、なんらの強制力も持たない。

(4)行政機関の内部者からの通報により特定秘密の指定・解除をはじめその他の問題点を浮かび上がらせる内部通報者制度が存在せず、行政機関の長が、特定秘密の指定、解除をはじめその他の権限を濫用した場合でも、情報監視審査会がこれを認知し、活動を開始することも期待できない。

3 それだけではなく、情報監視審査会制度は、以下述べるように、逆に国会の権限を制約し、その機能を蝕み、弱体化させるガンとなるおそれが大きい。

(1)行政機関の長から情報監視審査会に対し、特定秘密が提供されても、特定秘密の閲覧できる者は情報監視審査会委員、各議院が議決で定める者、その事務を行う職員に限定されている。
 情報監視審査会の事務を行う職員は適性評価を受け、秘密漏えい等の罰則が適用されるなど秘密厳守が何よりも優先され、情報監視審査会委員である議員自身も、当該特定秘密の内容の当否を判断するために他の議員や専門家の意見を確認することもできない。

(2)そもそも両議院の会議は公開であり、秘密会の開催は出席議員の三分の二以上の多数で議決した場合に限られる(憲法57条1項)。これは広く会議を国民に公開することにより国会が国権の最高機関としての権限を果たせるようにした重要な原則である。
 憲法で保障される両議院の国政調査権(憲法62条)は、広く国政全般にわたり証人の出頭及び証言並びに記録の提出等を通じ、行政機関等の保有する情報を開示させ、行政に対する監督・統制機能を確保するとともに、国民の知る権利に奉仕する重要な権限である。従って、会議公開の原則は、国政調査権の発動においても、可能な限り尊重され、保証されなければならない。

 しかるに各院情報監視審査会規程によれば、審査会は、常時、秘密会とされており、審査会の委員ら以外に特定秘密に関する情報が提供されることはない。また、委員以外の議員は、そもそも情報自体に接する機会すらないため、当該特定秘密に関連する政府の政策決定の当否についてすら、国会内で自由かつ闊達に議論することができなくなる。
 これにより国政全般、とりわけ行政権に対する監視・統制を職責とする両議院及び国会議員の権限が大きく抑制される結果をもたらす。

4 特定秘密保護法は、①秘密指定の対象が広範かつ無限定であり「特定秘密」の恣意的な指定がなされる恐れが強いこと、②現行法制度で情報保全はすでに十分になされており、今これを強化するべき理由は見出されず、立法事実が存在しないこと、③処罰範囲があいまいで罪刑法定主義に反すること、④報道機関による取材への萎縮効果を生むなど知る権利を侵害すること、⑤適正評価制度はプライバシーの権利を侵害すること、⑥日米同盟強化・集団的自衛権行使容認と連動する戦争準備法であり、さらに限りなく増殖する治安立法である、などの理由により、治癒不能の悪法であり、速やかに廃止されるべきである。
                             (了)


加藤周一・樋口陽一「時代を読む『民族』『人権』再考」(岩波現代文庫)から

 標記の本(以下「本書」という。)は、評論家・故加藤周一氏と憲法学の泰斗・樋口陽一氏が、1996年の夏から秋にかけて3回にわけて行った対談の記録である。
 あの15年戦争の終わりをどのように受け止めたかという個人的な回想から始まり、敗戦の受け止め方と日本国憲法受容の姿勢の相関性、押し付け憲法論の不毛性、戦後改革の意義、人権、改憲論と解釈改憲への反駁、国家、民族、核廃絶、国民主権と国家主権の問題、戦争、ナショナリズム、いわゆる「近代の超克」批判と近代合理主義の擁護、9条を持つ国と「普通の国」、「9条は真の近代の超克」など話は縦横無尽、お二人の深い学識と鋭くかつ柔軟な考察に引き込まれ、時間を忘れて一気に読み終えてしまった。

 本書は、是非、多くの人に読んで頂きたい本である。

 本書中で、今の集団的安全保障措置等における武力行使容認の議論に真正面から対抗する考えが示されている。おもしろいやりとりだから、以下に紹介しておくこととする。

加藤 (9条1項の「国際紛争を解決する手段として」と同条2項「前項の目的を達するため」を連結する読みにより自衛のための戦力は保持できるとの見解をあげて)それはこじつけ解釈だと思うけど、とにかく理屈はこじつけられている。ところが最近のように世界の平和を維持するために軍隊を派遣するとか協力するということになると、話はまったく違ってくる。世界の平和を維持するために軍事力が必要だというのは、もちろん国際紛争があるからでしょう。国際紛争がなければ行動しなくてよいわけだから、平和を守るということは紛争があるということだ。その国際紛争を解決するための戦力は、どうこじつけても、第9条に違反するでしょう。(以下略)

樋口 大変法律的で説得力のある議論ですが、それに対しては再び三百代言で押し返す議論が出てくると思う。というのは、こういう議論です。---国際紛争のために軍隊を使っちゃいけない、そもそも持ってはいけないというその国際紛争とは、日本が当事者である国際紛争なのだ。主権国家の憲法というのは自分の国のことを基準にして書いている。だから、第9条は、日本が国際紛争の当事者となった場合に軍隊を使ってはいけないし、またそのための軍隊を持ってはいけない、ということになる。---(以下略)。

加藤 そうすると、第9条第1項にある国際紛争というのは、日本が当事者である国際紛争と解釈するわけですね。

樋口 よそで難癖つけられて困っている人を助けにいくのは、この第9条の問題ではないというわけです。

加藤 しかし、そうすると・・・。

樋口 大変なことになります。

加藤 そういうことになると、たとえば第一次大戦が起こったのは、サラエヴォでオーストリアの皇太子が殺されたからだった。殺したのはセルビア人だ。だからイギリスは当事者ではなかった。フランスもロシアも関係なかった。ドイツさえも関係なかった。しかるに、オーストリアの戦争に英仏独露その他の国が参戦し、大戦が始まってしまう。たいていの宣戦布告は、そういう当事者でない紛争の介入から始まりますね。
 第二次大戦はヒトラーがポーランドに侵攻して英仏が参戦した。英仏はポーランドと同盟があるから宣戦布告したわけだけど、いずれにしてもイギリスやフランスが紛争の当事国ではなかった。
 国際紛争の当事国でない場合には介入するのだということになると大変だ。第一次大戦、第二次大戦をはじめ、だいたい20世紀の戦争は、むしろ国際紛争の当事国でない国が宣戦している。

(以下略)

一方、安保法制懇報告書は、以下のように述べている(要約、下線、太字は私)。

① 9条1項は、わが国が当事国である国際紛争の解決のために武力による威嚇又は武力行使を行うことを禁止したものと解すべきであり、(個別的であれ、集団的であれ)自衛のための武力行使は禁じておらず、また国連PKO等や集団的安全保障措置への参加といった国際法上合法的な活動への制約もしていないと解すべきである。
② 9条2項は、わが国が当事国である国際紛争の解決のための武力による威嚇又は武力の行使に用いる戦力の保持を禁止しているが、それ以外に、個別的又は集団的を問わず自衛のための実力保持や国際貢献のための実力保持は禁止していないと解すべきである。

 自民党が20日、与党協議会で提示したという侵略をした国などを制裁する集団安全保障の際、自衛隊が武力を使えるようにするとの案は、安保法制懇報告書の当該部分に依拠している。

 加藤、樋口対談での上記のやりとりは、安保法制懇報告書の上記部分を直撃する(とくに下線を付した太字部分)。自民党も北岡伸一氏も安倍首相も、これに反論することはできないだろう。なにせ、あなた方は憲法論ではなく、近視眼的な政策論を述べているだけだから。
                             (了)

故高坂正堯氏の至極まっとうな話

保守派の論客・国際政治学者の故高坂正堯氏の「海洋国家日本の構想」(中公クラシックス。以下「本書」という。)を読んだ。本書には1963年から1964年にかけて「中央公論」や「自由」に発表された7篇の論文が収録されているが、最も読み応えがあるのは、本のタイトルもなった「海洋国家日本の構想」(以下「本論文」という。)である。

本書は、1965年3月1日付あとがきと、1969年8月10日付増補版あとがきが付されている.。凡例によると1965年3月初版本、1969年8月増補版本として中央公論社から発行された同名の論文集を、2008年1月に、中公クラシックス(J35)におさめ、再発行したものだとわかる。

本書には初出一覧表がないので正確には言えないが、本論文は、中国核実験後(1964年10月16日)1964年11月、12月あたりに「中央公論」誌上に発表されたものであろう。学術的価値のある論文集であるから、出版社である中央公論新社には、初出一覧表を付するくらいの配慮をして欲しいものだ。

さて私は、本論文にいたく感動した。

日本のおかれた国際政治的位置の意味づけをすることにより、国民的目標がはじめて定まる。日本は、この100年間(1964年の時点で)、アジアを出て西洋大国に伍し、アジアにおいては先進国として突出していた。その様は、極東に位置するのではなく極西に位置すると言い方がピッタリする。また日本は、地理的にいうと、アジアの大国・中国にへばりついてはおらず、南シナ海と玄海灘をはさみ、東洋の奥座敷であり、西洋との関係でも「極西」であるばかりではなく、「飛び離れた西」に位置している。しかも日本は四囲を海に囲まれている。

戦後日本は、アメリカの軍事力を盾とし、アメリカから再軍備要求に譲歩しつつも軽軍備でお茶をにごし、ひたすら経済的合理主義に徹してきた。これは、第一に、核兵器の出現によって軍事力がその具体的有効性と倫理的正当性を失い始めたこと、第二に、アメリカの軍事力の傘に入っている以上は日本が独自に軍事努力をする必要もなければ意味もなかったこと、これら二点から、日本の姿勢は、戦略理論的に考えても妥当であった。

しかし、これは同時に、対米従属として誰もが知っている状態を作り出している。経済優先主義と内政中心主義は、ともに日本が防衛と外交については、アメリカに依存することを前提として成り立つものだからである。「臆病な巨人」あるいは「魂を失った日本の繁栄」などと海外のジャーナリストや国際政治研究者から揶揄される由縁である。

ところでイギリスの歴史を振り返ってみよう。イギリスも、四囲を海に囲まれ、ヨーロッパ大陸からは離れて存在する地理的位置関係にある。だが16世紀初めには、ヨーロッパ大陸縁辺に横たわる小さな島国に過ぎなかった。その文明はおくれており、政治・経済・軍事的に二、三流の国家に過ぎなかった。そこにヘンリー7世、8世及びエリザベス1世が輩出し、その地理的特性をふまえ、ヨーロッパから飛び出し、世界に目を向けた対外積極策を進めた。こうしてイギリスは、17世紀、海洋国家として著しい成功をおさめ始め、19世紀には海の女王としての地位を不動のものとし、政治的、経済的、軍事的繁栄をほしいままにしたのであった。

そこで日本は、前述の特性から、海洋国家への道を構想するべきである。

そのためには何よりも視野の広さを回復しなければならない。そこで、安全保障の問題については、防衛力完全主義と防衛力抑制完全主義のいずれの完全主義も排除するべきである。またアメリカとの関係は、軍事的結びつきを今より大幅に弱めながら、一定限度の結びつきを維持することにより、相手の意図を動かす外交能力を取り戻すことが望ましい。

具体的には日本独自の軍備については

1 現在保有している程度のかなり強力な空軍を持つ
2 陸軍については、強力な師団は二個師程度にとどめ、それは国連軍に転用するものとする。
3 海軍については、日本の周囲の海において行われる可能性のあるゲリラ活動を鎮圧しうる程度のものでよい。

アメリカとの関係については

1 日本本土の米軍基地はすべて引き揚げてもらう。
2 海軍基地は必要であるがそれは日本本土に置く必要がなく、またそうでないほうが
よい。
3 日米条約は安保条約のようなものではなく、ソ連とフィンランドの条約、即ちソ連はフィンランドの中立を認めてその地位を保障する、必要に応じて軍事協議を行う、を参考にするべきである。

政府は、低開発国の開発(①低開発国への援助政策を作り、それを貿易政策とつなげること、②日本としては、低開発諸国の援助を地域的な関係に持っていくこと、③その中心として技術援助を重視し、分野としては日本ではこれ以上発達の余地のない漁業、土木建設業、農業などを中心とすること)と海の開発の二つの方面における開発を中心として動くべきである。

1964年時点の提言であるが、柔軟であり、目から鱗ともいうべきものがある。今の安倍首相やそのブレーンに是非一読をすすめたい。そうすれば集団的自衛権狂騒劇はたちどころに幕となるだろう。もっとも彼らに理解力と心の余裕があればの話ではあるが。

(高坂氏は、その後、1983年に設置された中曽根康弘首相の私的諮問機関「平和問題研究会」で座長を務め、防衛費1%枠見直しと当時の防衛力整備の理論的根拠とされていた基盤的防衛力の見直しの提言をとりまとめたが、はたして上述した若き高坂氏の提言とご自分の中でどのように折り合いをつけたのであろうか。興味あるところである。)

                                  (了)

日米安保条約と集団的自衛権 (3)

安保条約第4条は次のように定めている。

「締約国は、この条約に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締約国の要請により協議する。」

もう一度引用するが、安保条約第5条1項は、以下のとおりである。

「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」

ここで、これらに照応する米韓相互防衛条約(以下「「米韓条約」という。」の条文を見てみることとする。

まず安保条約第4条に照応する米韓条約第2条
 
「締約国は、いずれか一方の締約国の政治的独立又は安全が外部からの武力攻撃によって脅かされているといずれか一方の締約国が認めたときはいつでも協議する。締約国は、この条約を実施しその目的を達成するため、単独に及び共同して、自助及び相互援助により、武力攻撃を阻止するための適当な手段を維持し発展させ、並びに協議と合意とによる適当な措置を執るものとする。」

次に安保条約第5条1項に照応する米韓条約第3条

「各締約国は、現在それぞれの行政的管理の下にある領域又はいずれか一方の締約国が他方の締約国の行政的管理の下に適法に置かれることになったものと今後認める領域における、いずれかの締約国に対する太平洋地域における武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」

安倍首相は、これを読み比べて、米韓条約では、韓国と米国は、それぞれ相互に、一方への攻撃に対して共同して対処することが合意されているではないか、その合意がなされていない安保条約には許容しがたい欠陥があると考えていることであろう。彼は、きっと、米韓条約は輝くばかりの存在、対して安保条約は濁ったうす汚れた存在、これでは日本は韓国にも劣る二流国ではないかと、こういう思いが募っているのだろう。地団太を踏んでいる姿が目に浮かぶようだ。

安倍首相は、何ものかにとりつかれたかのように集団的自衛権行使容認へと突っ走っている。それがこのような幼児的心的風景に根ざしていなければ幸いである。
それにしても客観的には、安倍首相の目論見は、事実上、安保条約を米韓条約に「引き上げる」ことを目ざしていることは否定できないところである。

しかし、私たちは忘れてはならない。

相互防衛をうたう米韓条約のもとで、韓国は、ベトナム戦争で、米軍支援のため延べ37万名、最高時には5万の兵士を南ベトナムに派兵し、死者4,968名、負傷者8,004名(2005年韓国国防部公表資料)の犠牲者を出したばかりか、数々の残虐行為、虐殺行為に手を染めてしまった。さらに近時では、イラク戦争において、当初600名規模の部隊を多国籍軍の一部として派遣し、その後米国からさらに大規模な派兵を要請され、2004年2月、イラク北部のクルド自治区に8000名規模のザイトゥーン部隊(イラク平和再建師団、)をイラク北部に派遣した。

安保条約に関しては、旧安保条約の時代から「巻き込まれる恐怖」と「見捨てられる恐怖」が語られてきた。長期保守政権は、米国に「見捨てられる恐怖」を軽減するために、一貫してプラクティスの場面で安保条約を強化することにより、米国の戦争に「巻き込まれる恐怖」のレベルを高めてきた。

今、安倍首相は、集団的自衛権行使に踏み込み、安保条約を「血の同盟」・米韓条約化することにより、米国に「見捨てられる恐怖」を払いのけ、米国の戦争に「巻き込まれる」ことを現実のものとしようとしているのだ。

                                     (了)

日米安全保障条約と集団的自衛権 (2)

安倍首相は、尖閣諸島で中国と武力衝突に至ったとき、安保条約第5条1項に基づき、米軍が馳せ参じ、ともに戦ってくれる、だからわが国も集団的自衛権を行使できるようにし、米国領土や米軍が攻撃された場合に自衛隊が馳せ参じて米軍とともに戦えるようにするべきだと、うるわしき友情物語を国民に語りかけた。

しかし、この友情物語には、二つの重要なことがらの切捨てと一つの意図的なごまかしがある。

切り捨てたことがらの一つ目は、尖閣諸島の危機については外交不在となってしまっていること。

そもそも尖閣諸島の現在の如き対立が、2010年9月の尖閣沖漁船衝突事件以来、日中双方それぞれが一方的かつ独断的な主張と行動を繰り返し、対立のための対立に終始してしまっている。しかし、外交とは、お互いをサンドバッグにしてたたきあうことではない。どのようにすればウィン・ウィンの結果を得ることができるか知恵と工夫を出し合わなければならない。しかるに第二次安倍政権発足後、中国側政府・軍高官からは「棚上げ論」への復帰論が幾度も非公式に表明されたにもかかわらず、わが国は、完全にシャットアウト、ただひたすら「わが国固有の領土論」を教条的に繰り返し、中国を避難するばかりの対応を続けている。わが国は外交を前面にたて、尖閣諸島に安定をもたらすための努力を放棄し、いきなり武力衝突の事態に話を飛躍させているのである。

切り捨てたことがらの二つ目は、友情物語によって犠牲にさらされるのは誰かということ。

この友情物語のアクターが、安倍首相ご自身であって、自ら武器をとり米軍支援に馳せ参じるというなら、それはドン・キホーテにみまがう騎士道精神の精華として永く歴史に名をとどめるであろうが、実際にアクターとなって血の犠牲を強いられるのは現場の若い自衛隊員たちであることを忘れてはならない。
さらには米軍支援の代償にわが国土が攻撃されて阿鼻叫喚の惨状が現出され、国民がその犠牲を強いられるおそれがあるということも忘れてはならない。

さて意図的なごまかしとは何か。それは、尖閣諸島で武力衝突が発生した場合に、米軍が支援に駆けつけてくれるということは、少なくとも安倍首相のように断言できることではないということである。

安保条約第5条1項をもう一度見てみよう。

「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」

ご覧のように米国は、「自国の憲法上の規定及び手続に従って」対処するとされている。では合衆国憲法は戦争や武力行使についてどう定めているだろうか。

まず合衆国憲法第1条「合衆国議会」第8節第11項は、次のように定めている。

「戦争を宣言し、拿捕及び報復の特許状を発し、陸上及び海上の捕獲に関する規則を定めること。」

次に合衆国憲法第2条「合衆国大統領」第2節第1項は、次のように定めている。

「大統領は、合衆国の陸軍及び海軍及び合衆国の兵役のため現に招請された各州の民兵の最高司令官である。」

これらの規定によると、宣戦を宣言して戦争に入るのは議会の権限であるが、戦争を宣言しないで軍を動員し、武力行使をするのは軍の最高司令官としての大統領の権限である。だから、尖閣諸島で武力衝突した場合、大統領は、議会の決議なしに米軍を動員できそうである。現に、米国史上、米国は多数回に及ぶ戦争をしてきたが、戦争宣言をして戦争に入ったのは6回だけ、それ以外は戦争宣言をしていない。あのベトナム戦争も朝鮮戦争も、戦争宣言なし、大統領権限で軍を動員している。
しかし、1973年11月、泥沼化したベトナム戦争の反省に立ち、議会の監視機能を強化することを目的として、「戦争権限法」が成立した。 「戦争権限法」は、第一に、大統領は可能な限り議会と事前に協議すること、第二に、宣戦布告なく軍隊を投入する場合、大統領は48時間以内に議会に軍隊の投入を必要とする状況、投入の根拠となる法的権限、投入される軍隊の規模について報告書を提出しなくてはならない、第三に、報告書が提出されてから60日以内に、議会の承認がない限り、原則として軍隊を撤収しなくてはならない、第四に、上下両院が共同決議を採択すれば大統領は撤収を命じなくてはならない、などである。

そこで、現実には、大統領は、近時の湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争では、全て事前に議会の同意を求めて、攻撃開始をしている。また昨年8月末から9月上旬におけるシリア攻撃必至という状況下において、オバマ大統領は、議会の同意を得ることが難しい状況に直面するや、一転して武力攻撃を断念するに至ったのも、記憶に新しいことである。

さて、米国は、中国との経済的関係の緊密度を強めており、軍事面での一定の緊張関係を孕みつつも、安定した関係が継続することを求めている。その立場から安倍政権の中国敵視策、歴史修正主義への批判をしている。そのような状況にある米国が、尖閣諸島で日中武力衝突の事態が発生した場合、大統領が米軍に単独で出動を命じることはないであろうし、議会も同意を求められれば反対する可能性が高い。これが現在の冷厳たる事実であり、この点について、安倍首相は意図的なごまかしをしているのである。

安倍首相の語る友情物語に、これら二つの切り捨てられたことがらを補い、一つの重要なごまかしを正してみたとき、それは、国民を集団的自衛権行使容認と戦争に引きずり込むための詐術であることが明らかとなる。

安倍さん、あなたの手口と魂胆は明らかとなった。いさぎよく矛をおさめたらどうか。

                    (続く)
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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