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「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」を読み解く (補遺)

「集団的自衛権閣議決定を読み解く (3)を以下のとおり補充する。

批判文の(4)を、(5)とし、(4)として、次の文章を挿入する。

(4)さらに「武力行使3要件」には、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」という表現を用いるが、シーレーンの機雷封鎖もこれに含まれ、「国際的な機雷掃海活動」にも自衛隊が出動することは明言されている。この「国際的な機雷掃海活動」は、国連安保理とは無関係に米国中心の多国籍軍によってなされる場合だけではなく、国連安保理決議に基づく集団安全保障措置としてなされる場合も含むことは安倍首相も度々言及しているところである。
 もともとの議論の経過からすると、集団的自衛権の行使はともかく、国連の集団安全保障措置には参加するべきだという見解が有力であった。特定国を支援する集団的自衛権よりは国連の集団安全保障措置の方が重要であり、国際貢献として必要であるという考え方である。国民にもこの方がとおりがよいだろう。

 筆者は、最近首相補佐官の礒崎陽輔氏とツィッターで次のような交信をした。

深草 湾岸戦争以後の議論で、集団的自衛権はともかく集団安全保障措置への参加は認めるべきだという意見が有力だったように思います。しかるに今般の閣議決定は、集団的安全保障措置はともかく集団的自衛権は認めるという線を打ち出しています。貴職はどう整理されますか。

礒崎 これは完全に個人の意見ですが、集団安全保障における武力の行使は、平和国家である我が国が前線で戦闘行為を行う途を開くものであり、十分慎重に検討すべきことであると考えます。

深草 ありがとうございます。勿論、貴職個人のご意見をうかがっています。「十分慎重に検討」というのは、官庁用語では、前向きに検討するという意味だと思いますが、そう理解していいですか。

礒崎 安倍総理は、我が国が湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことを完全に否定しています。

深草 かさねておうかがいします。集団的安全保障措置への参加は、前線で戦闘行為を行う途を開くので否定するということですね。それなら集団的自衛権行使も前線で戦闘を行う途を開くので否定するということでなければ一貫性がないのではありませんか。

 残念ながら最後の質問に対する回答はなかった。おそらく痛いところをつかれたのであろう。そう思っていたところ、まさに図星であった。7月6日(日)の朝日新聞は、「(検証)集団的自衛権:4「集団安保」潜ませた外務官僚」なる記事を載せた。一部抜粋してみよう。
 
 国家安全保障担当の首相補佐官を務める礒崎陽輔は、外務官僚らの野心に警戒感を持っていた。
 昨秋ごろからひそかに行われてきた政府内部の検討会で、湾岸戦争のような集団安保の容認を求めてくる外務省幹部らを「憲法の論理として無理」と押し返した。首相の安倍晋三にも「集団安保まで認めるのは相当難しい」と訴えた。
 安倍は4月、「礒崎さんの考えでいい」と裁定。5月15日の記者会見で「湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加することは、これからも決してない」と宣言した。礒崎は胸をなで下ろした。
 ところが、外務官僚らはあきらめない。「集団安保ができる理論を考えなければ」と巻き返しを図る。
 6月9日の参院決算委員会。共産党議員の質問に対し、安倍は「機雷の除去は基本的に『受動的かつ限定的』な行為で、会見で申し上げた戦闘行為とは性格を異にする」と答弁した。5月の記者会見から明らかに軌道修正し、集団安保への参加に含みをもたせた。佐藤は「あれがなければまずかった。共産党の質問のおかげだ」とつぶやいた。
 次の手も打たれた。
 6月13日の与党協議で配られた「高村試案」は、従来の「自衛権発動の3要件」が、「武力行使の3要件」という位置づけに変わっていた。礒崎は外務官僚らの執念を感じた。
 そして、6月16日。自民側と政府側の会議は集団安保をめぐる決戦の場となった。
 佐藤が口を開く。
 「『武力行使』の3要件となっているのは集団安保も読めるようにするためですか。そうでなければ、機雷除去はできませんよね」
 礒崎は即座に反論した。
 「首相にも公明側にも『自衛権』の3要件と説明した。いまさら変えられない」
 自民党副総裁の高村正彦は両氏の言い分にじっと耳を傾けていた。最終的には、佐藤に軍配を上げた。
(抜粋終わり)

要するに、「武力行使3要件」は国連の集団安全保障措置としての武力行使にも参加することを含んでいるのである。イラクやアフガニスタンのような戦闘には参加しないとの安倍首相の弁はそれを隠すイチジクの葉に過ぎない。

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「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」を読み解く (3)

3 第3項「憲法9条の下で許容される自衛の措置」

・ 憲法9条は、自衛の措置を禁じているとは解されない。この自衛の措置は、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守るためのやむを得ない措置として容認され、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これが従来から政府が一貫して表明してきた見解の基本的な論理で、昭和47年10月14日参議院決算委員会に提出した「集団的自衛権と憲法の関係」なる資料に明確に示されている。

・ この基本的な論理の下で、従来、「武力の行使」が許容されるのは、わが国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきたが、前文で述べたわが国を取り巻く安全保障の変化をふまえ、以下のように考えるに至った(筆者:見解を改めたのである。以下これを「武力行使3要件」と呼ぶこととする。)。
  
 ①わが国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、②これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、③必要最小限度の実力を行使する、ことは上記の基本的な論理も基づく自衛の措置として憲法9条の下で許容される。

・ 上記で認められる他国に対する武力攻撃に対処するための「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠になるが、憲法上は、わが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として許容されるものである。

・ これら武力行使は、原則として、事前に国会の承認を求めることを法律に明記する。

(以下は、これに対する批判である。本稿では、これまで筆者の批判は、括弧で括り、それとわかるようにしてきたが、この項に関しては、批判が長くなるので、括弧付番号を付する形にした。)

(1)自衛権に関する従来の政府見解は、一義的に明白であり、解釈の幅はない。

  それは、1954年4月、「自衛権の限界というものにつきましては、たびたび述べておりますように、急迫不正の侵害、即ち現実的な侵害があること、それを排除するために他に手段がないことと、しかして必要最小限度それを防御するために必要な方法をとるという三つの原則を厳格なる自衛権の行使の条件と考えておるわけあります。」と定式化され(同月6日衆議院内閣委員会における佐藤達夫法制局長官答弁)、以後微動もしていない。通常、これを自衛権行使3要件と称している。今、これを上記「武力行使3要件」と対応させると、①わが国に対する武力攻撃が発生し(佐藤法制局長官答弁では「わが国に対する」が省略されているが、当然の前提になっていた。また同答弁で「急迫不正の侵害、即ち現実的侵害があること」とされているが、上記決定に照らしこれを「武力攻撃の発生」と表現する。)、②これを排除するためにほかに他に手段がないときに、③必要最小限度の実力を行使すること、ということになる。
 
(2) 上記「自衛権行使3要件」は、国際法学の通説に基づいている。
 
 我が国の代表的な国際法の教科書である横田喜三郎「国際法学上巻」(1955年・有斐閣)によれば、自衛権とは、国家または国民に対して急迫または不正の危害がある場合に、その国家が実力をもって防衛する権利であり、行使される実力は当該危害をさけるためにやむを得ないものでなければならないとされている。これは我が国の国際法学における通説といってよい。

 自衛権に関しては、古くは、1837年、英国から独立を求めるカナダ独立派が利用していた「カロロライン号」を、英国艦船がナイル川に急襲し、撃破した事件(カロライン号事件)に際し、ウェブスター米国務長官が英国フォックス公使にあてた1841年4月24日付書簡において、「英国政府としては、目前に差し迫った圧倒的な自衛の必要性、及び手段の選択の余地がなく、かつ熟慮の時間もなかったことを示されなければならない」との見解が表明された。この見解がその後「ウェブスター・フォーミュラ」と呼ばれることとなった。
その後、国際連盟規約、1925年ロカルノ条約、1928年不戦条約、と平和を維持する国際取り組みがなされ、戦争を違法化する流れが強まった。その中で、自衛権に基づく戦争は、違法な戦争から区別されるとして、自衛権が注目され、それは国家の固有の権利である自己保存権に由来するものとの考え方が共有され、より精緻に定義されることとなったのである。
 即ち、「自衛権行使3要件」は国際法学の通説で認められている国際慣習法上の自衛権の定義と一致するのであり、国際法上、明確な根拠を有しているのである。

(3)歴代の内閣総理大臣や内閣法制局長官らが、国会で、憲法9条の下では集団的自衛権の行使は認められないと答弁してきた。阪田雅裕元内閣法制局長官によると、その回数は、数百回に及ぶとのことである。

 それらは、上記自衛権行使3要件に基づき、その応用として展開されたものである。質問の趣旨や答弁の重点の置きどころにより、言い回しは多少のヴァリィエーションはあるが、いずれも依拠するところは、根本的には、「集団的自衛権はとは自国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃を受けていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」であるから、上記自衛権行使3要件の①の要件を満たさないということにあった。

 たとえば、1981年5月、鈴木善幸内閣は、「国際法上、国家は集団的自衛権すなわち自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃をされていないのにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。わが国が、国際法上このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然であるが、憲法第9条の下において、許容される自衛権の行使はわが国を防衛するための必要最低限度の範囲にとどめるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。」(社会党・稲葉誠一議員の質問対する答弁書)との見解を示したが、これは、「自衛権行使3要件」との関係が不明瞭であり、「必要最小限度の範囲」にとどまる限り、集団的自衛権行使も認められると解する余地があった。
はたせるかな、集団的自衛権否定の立場に立つ公明党二見伸明衆議院議員が、1986年3月5日衆議院予算委員会において、「必要最小限度であれば集団的自衛権の行使も可能というようなひっくり返した解釈は将来できるのか」と質問したのであった。
 これに対する茂串俊内閣法制局長官の答弁は、「自衛権行使3要件」を説明した上で、「従ってその論理的な帰結といたしまして、他国へ加えられた武力攻撃を実力で阻止するということを内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない。」と答え、「自衛権行使3要件」によって、の二見議員が問い質した「ひっくり返した解釈」はできないことを明確にした。

 また安倍首相自身が、自民党の幹事長であった当時の2004年1月26日、衆議院予算委員会において、集団的自衛権について、国際法上は持っているが憲法上は行使できないということへの疑問とともに「(自衛権の行使は)わが国を防衛する必要最小限度の範囲にとどまるべきである」ということなら、数量的な概念を示しているわけで、この範囲の中に入る集団的自衛権の行使が考えられるのではないか、と質問したのに対し、秋山収内閣法制局長官は、「お尋ねの集団的自衛権と申しますのは、先ほど述べましたように、わが国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使するものでありまして、ただいま申し上げました自衛権行使の第一要件、すなわち、わが国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていないものでございます。したがいまして、従来、集団的自衛権について、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものという説明をしている局面がございますが、それはこの第一要件を満たしていないという趣旨で申し上げているのでございまして、お尋ねのような意味で、数量的な概念として申し上げているものではございません。」と安倍首相もぐうの音も出ないほどに明確に答えている。
 
 田中角栄内閣が、昭和47年10月14日参議院決算委員会に提出した「集団的自衛権と憲法の関係」なる資料で述べていることも同じである。しかるに集団的自衛権閣議決定は、これを換骨奪胎し、この文章、表現の一部を選り出し、我田引水ともいうべき強引な屁理屈をつけて、「武力行使3要件」に捏造してしまったのである。

(3)「武力行使3要件」なるものは、本来の「自衛権行使3要件」と「集団的自衛権行使3要件」とでも言うべき別の要件を無理やりくっつけている。「集団的自衛権行使3要件」とでも言うべき別の要件とは、①わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に、②これを排除し、国民の権利を守るために他に適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力を行使すること、である。

 本来、このように次元の異なる事態に関する要件を一つにくっつけてしまうことは、してはならないことで、特に法的意義のある文書では、きちんと場合わけをしなければならない。それにもかかわらずくっつけるのは、これは本来の意図を隠蔽し、読む人を混乱させ、誤魔化す場合である。

 さて上記のうち①に言う、「我が国の存立が脅かされ」と「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」とは、 国家安全保障局が作成した「自衛権などに関する政府見解の想定問答集」によると、「国家と国民は表裏一体のものであり、我が国の存立が脅かされるということの実質を、国民に着目して記述したもの(加重要件ではない)」とされている。そうすると結局①は、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされる明白な危険がある場合」ということになり、生身の国民を離れた抽象的、観念的な概念となる。そこで思い出されたい。日米同盟は、わが国の安全保障の機軸、わが国の存立の基盤と安倍政権は説明しているではないか。そこで、米国が、、戦争を開始したら、わが国もともに戦わないことは日米同盟を危殆に陥しいれ、わが国の存立を脅かすことになる。従って、当然に、わが国も「武力行使3要件」に基づき参戦を余儀なくされることにある。勿論、地理的限界はないし、他国領域(領海)を除外する理屈を見出すことはできない。

 そもそも「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」というのは、一義的明確性を欠き、政府の判断を限定することはできないし、また政府が特定秘密保護法施行により安全保障に関する重要な情報を独占する法体制の下で、誰からも検証・批判を受けないことになる。

 さらに日米同盟を「双務化」させるために集団的自衛権行使容認を呼号する安倍政権の足取りを見るとき、米国から参戦を求められてこれを拒否するということを想定することは不可能である。

 結局、米国の戦争に参戦すること、これがこの部分の読み方となる。従ってことは重大であり、集団的自衛権行使が問題とされる以下の8事例について武力の行使ができるかどうかなどという問題に目を奪われてはならない。これらも勿論軽視できないが、政府は、この程度の限定的な集団的自衛権の行使を考えているのではないことを、しっかり見抜かなければならない。

8事例
・ 邦人輸送中の米輸送艦の防護
・ 武力攻撃を受けている米艦の防護
・ 強制的な停船検査
・ 米国に向け我が国上空を横切る弾道ミサイル迎撃
・ 弾道ミサイル発射警戒時の米艦防護
・ 米本土が武力攻撃を受け、我が国近隣で作戦を行う時の米艦防護
・ 国際的な機雷掃海活動への参加
・ 民間船舶の国際共同護衛
 
(4)「武力行使3要件」に基づいて武力の行使をするときに原則として国会の承認を求めるとされていることも、何ら限定的行使につながらない。言わずもがなであるが、原則は例外があるし、特定秘密保護法が施行されれば、国会自体が、安全保障にかかわる重要な情報は特定秘密に指定され、情報が全くない状態で、審議し、歯止めの役割を果たしえないことは明らかであろう。まさに政府の思うままである。

4 まとめ

  集団的自衛権閣議決定第4項でも述べられているように、今後、国内法の整備を進めていくとのことであるが、私たち国民にとっては逆にそれをいかに阻止するかが重要な課題になる。これからは戦争をする国づくりをする勢力と平和を守る勢力のせめぎ合いが始まる。重い課題であるが、覚悟を固めるほかはない。
 NHKの報ずるところによれば、中学校用「公民」、高校用「現代社会」や「政治・経済」の教科書を発行している出版社11社を取材したところ、既に、8社が、集団的自衛権閣議決定を受けて、来年度使われる教科書の記述を見直す必要があるとして文部科学省への訂正申請を検討していることが分かったとのことである。
 フェスティナ・レンテ!

                             (了)
プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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