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外務官僚が取り仕切った「集団的自衛権閣議決定」

 2013年11月27日成立した国家安全保障法に基づき、同年12月4日、外交・安全保障政策の司令塔となる国家安全保障会議が発足した。

 国家安全保障会議は、①首相、官房長官、外相、防衛相によって構成され、定常的に開催されて安全保障に関する政策を協議して、対外政策の基本的な方向性を決定する「四大臣会議」、必要に応じて開催され、多角的な観点から国防の指針や緊急時の対処といった安全保障の重要事項について審議する 「九大臣会議」(四大臣のほかに副総理、総務大臣、財務大臣、経産大臣、国交大臣、国家公安委員長が加わる。)、及び緊急事態の際に開かれ、首相と官房長官のほかに首相が定めた大臣が出席する「緊急事態大臣会合」とから成る。

 その国家安全保障会議の頭脳、心臓の役割を果たすのが内閣官房に設置された国家安全保障局である。2014年1月7日、外務省、防衛省、警察庁、自衛隊出身者ら67名の体制で発足した。その幹部人事は以下のとおりである。

事務局長 谷内正太郎(外務省総合外交政策局長、内閣官房副長官補、外務事務次官など)
事務局次長(兼内閣官房副長官補)
兼原信克(外務省日米安保条約課長、同国際法局長など)
髙見澤將林(防衛省防衛政策課長、同防衛政策局長など)
審議官 山崎和之(外務省北米1課長、麻生首相秘書官など)
武藤義哉(防衛省国際企画課長、同官房審議官など)
長島純(航空自衛隊情報本部情報官、同ベルギー駐在官など)

 国家安全保障局は、どうやら谷内事務局長、兼原事務局次長兼内閣官房副長官補の二人三脚体制のようである。
なかでも、2012年12月、第二次安倍政権発足と同時に、当時外務省国際法局長から内閣官房副長官補に、「三階級特進」と評される大抜擢をされた当年55歳の兼原氏が、その中心を担っているようである。

 兼原氏は、第一次安倍政権の当時も、安倍首相のNATO本部訪問に同行し、同本部で安倍首相が行った「憲法の諸原則を固守しつつ、世界の平和・安定のためであれば、もはや自衛隊を含む海外諸活動遂行をためらわない。一層安全な世界構築の目標の実現には、長年当然としてきた教条の束縛を捨てることを決して恐れてはならない」とのスピーチの原稿を書いたものと思われる。
 その兼原氏が、今回の「集団的自衛権閣議決定」を取り仕切ったことは、以下の7月6日(日)付朝日新聞の記事に照らし、間違いないだろう。

(検証 集団的自衛権:4)「集団安保」潜ませた外務官僚

(前略)
 与党協議では、集団的自衛権を使わなければ対応できないケースを盛り込んだ事例集が政府から示された。外務省の精鋭が数多く送り込まれている国家安全保障局が作ったものだ。
「『武力行使』に当たり得る活動」という項目の事例として「国際的な機雷掃海活動への参加」があった。中東ペルシャ湾のホルムズ海峡を想定し、海中にまかれた機雷を自衛隊が除去するという内容だ。
(中略)

 中東での紛争に関わる米国を守るための機雷除去は「集団的自衛権」だが、国連から要請されると「集団安全保障」になる。しかし、集団安保は、国連決議に基づいて侵略国に制裁を加える措置だ。身を守るために武力行使する自衛権とは根本的に異なる。集団的自衛権の議論に集団安保をこっそりもぐり込ませようと、外務官僚らが画策していた。
事例集を中心になって作ったのは外務省出身で国家安全保障局次長の兼原信克だ。外務省には、1991年の湾岸戦争で国際社会から「カネだけ出した」と批判されて以来、自衛隊の活動範囲を広げて「外交カード」を増やしたい考えがあった。
 一方の佐藤(ヒゲの隊長こと自民党佐藤正久参議院議員)は96年にゴラン高原PKOで初代隊長を、2004年には陸上自衛隊のイラク派遣で先遣隊長を務めるなど、自衛隊の国際貢献の重要性を身に染みて感じている。
外務省きっての戦略家の兼原と佐藤の思いが一致した。佐藤はたびたび、議員会館の自室に兼原を呼び寄せ議論を重ねた。そして、自民党の会議で、佐藤が問題提起して流れを作る。いつしか、そんな連係プレーが出来上がった。
(中略)

 国家安全保障担当の首相補佐官を務める礒崎陽輔は、外務官僚らの野心に警戒感を持っていた。
昨秋ごろからひそかに行われてきた政府内部の検討会で、湾岸戦争のような集団安保の容認を求めてくる外務省幹部らを「憲法の論理として無理」と押し返した。首相の安倍晋三にも「集団安保まで認めるのは相当難しい」と訴えた。
安倍は4月、「礒崎さんの考えでいい」と裁定。5月15日の記者会見で「湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加することは、これからも決してない」と宣言した。礒崎は胸をなで下ろした。
ところが、外務官僚らはあきらめない。「集団安保ができる理論を考えなければ」と巻き返しを図る。
(中略)

 6月13日の与党協議で配られた「高村試案」は、従来の「自衛権発動の3要件」が、「武力行使の3要件」という位置づけに変わっていた。礒崎は外務官僚らの執念を感じた。
そして、6月16日。自民側と政府側の会議は集団安保をめぐる決戦の場となった。
佐藤が口を開く。
 「『武力行使』の3要件となっているのは集団安保も読めるようにするためですか。そうでなければ、機雷除去はできませんよね」
 礒崎は即座に反論した。
 「首相にも公明側にも『自衛権』の3要件と説明した。いまさら変えられない」

 自民党副総裁の高村正彦は両氏の言い分にじっと耳を傾けていた。最終的には、佐藤に軍配を上げた。
反発する公明党に配慮し、閣議決定文に「集団安全保障」の文字は書き込まれなかった。しかし、国家安全保障局が作った想定問答には、武力行使の3要件を満たせば、「憲法上許容される」と記された。

 戦前、外交と軍事・防衛は一つながりのものとして、軍事に首をつっこみ、日本をあの愚かな戦争に導いた外交官がいた。日・独・伊三国同盟体制を志向した松岡洋右と白鳥敏夫などはその筆頭である。軍事・防衛を放棄している筈の日本国憲法の下で、軍事・防衛問題にちょっかいを出す外務官僚は退場願いたいものだ。

                                           (了)
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プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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