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続・集団的自衛権を疑う

 6月10日、当ブログに、「集団的自衛権を疑う」と題する小論を載せた。

 そこでも冒頭述べたところであるが、集団的自衛権なるものは、国連憲章51条により、はじめて歴史の舞台に立ち現われた法的概念であるが、国際法学上も未だ法的確信に支えられた説得力のある主張がなされるには至っていないように思われる。

 わが国政府は、従来から、集団的自衛権とは、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」であって、国際法上の権利として認められているが、憲法9条の下では、わが国に対する武力攻撃を排除するために行使する実力との自衛権の要件(①わが国に対する武力攻撃の発生、②これを排除するための方法がほかにない、③侵害を排除するための必要最小限度の実力の行使なる「自衛権行使3要件」の①の要件)に反し、認められないと解されてきた。

  今回の集団的自衛権閣議決定は、これを根本的に覆す解釈改憲であり、立憲主義に背馳し、無効であることは多くの識者が指摘するとおりで、私も「集団的自衛権行使を容認する閣議決定」なる論文を書いたところである。
 http://t.co/yxnv5IdgXW

  ところで、私は、上記小論「集団的自衛権を疑う」で、従来の集団的自衛権に関する定義に根本的な疑問を提起しておいた。

 そもそも自衛権とは、古くから国際法上唱えられており、戦争違法化の流れが定着した第一次大戦後において、自衛権に基づく戦争は国際法上も認められるとして、おおむね上記「自衛権行使3要件」と同様な定義がなされるに至り、国際慣習法上の権利として認められるようになっていたのに対し、集団的自衛権なるものは、国連憲章51条に次のように規定されただけのことである。

  「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基づく権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」

 確かに、暫定的にではあるが、「個別的又は集団的自衛の固有の権利」とかかれており、集団的自衛権を加盟国の固有の権利として認めているようでもある。しかし、私は、国連憲章制定過程に、国際法上、これまで主張されたこともない「集団的自衛の固有の権利」を国連憲章に書き込むのであれば、その意義、目的、根拠、定義、要件について十分な議論と整理がなされ、憲章の本文に明記されなければならないのに、それは一切なされていないことから、別の解釈をするべきではないか、これが私の上記小論で提起した疑問である。

 私は、そのような疑問に基づき、国連憲章51条は、従来の自衛権概念を何ら変更していないと解するべきで、従来どおりの自衛権を認めたに過ぎず、それを集団的に行使すること、具体的には、各加盟国に対する武力攻撃がそれぞれになされたために共に戦う、或いは各加盟国の国家連合として構成国に対する武力攻撃と戦うというようなレア・ケースを想定していると解するべきではなかろうかとの見解を示しておいた。

 今回、私は、もう一つの考え方を示したい。国際法上は、従来から認められている自衛権しか存在しない。しかし、そのような自衛権を行使しえる軍備を保有しない国も当然あるだろう。そのような国は、本来は、自ら加盟する国連に侵略を排除してもらうことを期待するのであるが、国連の現状では、国連はその負託に必ずしも応えられない。そこで、そのような国に、一定の関係国との条約に基づき、自国に対する侵略を排除してもらうことを認めるという趣旨で、「集団的自衛の固有の権利」を書かれたのではないか。つまり、非武装もしくは軽武装の国が、他国に守ってもらう権利、それが集団的自衛権ではないのか。侵略排除のために条約に基づいて武力行使をする国は、集団的自衛権の反射的利益で受動的に違法性を阻却されると考えることになる。

 このように解釈することは、より国連の重要性を高め、やがて諸加盟国の個別の自衛権行使も不必要とし、国連による本来の集団安全保障措置の確立を招き寄せることになるように思われ、国連設立の目的にも沿うものであると考えるがいかがなものであろうか。
 世界の恒久平和のための学問、国際法学の研究者の検討をお願いしたいものである。
 
                                             (了)
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見習うべき見事な外交交渉

 嘉永6年(1853年)6月3日(旧暦)、ペリー率いるアメリカ合衆国東インド艦隊の軍艦4隻が来航し、浦賀沖に投錨した。旗艦サスクェハナ号は、2450トン、当時、和船は最大の千石船でも100トン程度、日本人には途方もなく巨大な恐るべき代物であった。

久里浜の海辺で西洋式砲術訓練をしていた浦賀奉行所の武士たちはこれを目撃し、肝をつぶして奉行所に注進した。奉行はすぐさま与力中島三郎助ら一行をこの怪物船団に差し向けた。中島は石高100石クラスの中級武士だが、学もあり、なかなか肝の据わった男であった。

 ペリー艦隊側は、小舟でこぎ寄せた中島ら一行に、「われらは合衆国大統領から将軍に宛てた書翰を所持しており、日本高官でなければ話をしない」と乗船を拒絶したのに対し、中島は、「日本の国法では、奉行が異国船に直接応接することはない」と一歩も引かない。実力行使してでも大統領書翰を直接将軍に手渡すとなおも言い張るペリー艦隊側に、中島は、国には「その国の法」があると切り返す。まさにアヘン戦争の際に活躍した清国の開明派官僚林則徐が国際法を漢訳させ手元においていた「各国禁律」の法理である。

 中島は、その上「自分は副奉行である」と詐術を弄して、ようやく同行のオランダ通詞とともにサスクェハナ号に乗船することを認めさせ、ペリーとの面談に及んだ。

 ペリーは、「一文明国」が他の文明国にとるべき儀礼的態度とるべしと、大統領書翰を将軍に直接手渡せるように措置することを、高飛車に要求する。これに対して、中島は、わが国にはわが国の国法があると一歩も動じず、要求を丁重にかつ毅然と拒絶する。しかも、艦内の様子を仔細に観察、去り際には艦上の巨砲を見て、「これはバクサンズ砲ではないのか。射程距離はいかほどか」などと尋ねるほどに沈着冷静であった。

 文明国の儀礼的態度を説法したペリーは、翌日から、軍艦ミシシッピー号に護衛された測量船4隻を江戸湾内に繰り返し侵入させた。これは「武力の行使」と評してもよい文明国の慣行、国際法に違反する行為であった。浦賀奉行所側は、衝突を回避しつつ、これを「かねて国禁」を犯すもの、「不法の致し方」と厳しく抗議をし続けた。

 6月6日、幕閣の評議は、衝突回避に帰し、浦賀奉行に大統領書翰の受け取りを命じた。こうして6月10日、浦賀奉行所の西洋式砲術訓練場となっていた久里浜において、ペリー東インド艦隊指令長官兼遣日特使から浦賀奉行に対して、大統領フィルモアの書翰が手交され、当面の目的を達したペリー一行は浦賀沖から去って行った。

 なお、大統領書翰には、通商和親の基本要求とともに、漂流民の保護、航海のための 補充、薪水食料の提供などが当面の要求として記載されていた。またこの大統領書翰とともに交付されたペリーの書面には、「この国書の返事を受け取りに、来年の春、再びこの江戸湾に来る」と記してあった。

 翌年1月中旬、予告どおりペリーは、初来航時の旗艦サスクェハナ号と同型船のボーハタン号を旗艦とする7隻の艦隊で、来航した。今度は勝手知ったる江戸湾内海自ら「アメリカ碇泊所」と名づけた金沢沖の深い小湾に投錨した。再び武威を見せつけるべく艦隊航進を繰り返した。

 2月はじめ、幕府側は林大学頭を全権に任命して、ペリーとの正式交渉にあたらせた。ペリーは、前年の大統領書翰によって示され要求、とりわけ当面の要求として提起された人道的課題を押し出した。そして17年前に、異国船打ち払い令により日本人漂流民引取りを求めた米国船モリソン号を追い返した、いわゆるモリソン号事件を引き合いに出し、このような漂流民引取りという人道的要求さえも拒絶するのであれば「断固として応懲する」と居丈高に通告した。対する林全権は、既に異国船打ち払い令は撤回され、日本近海での他国船の遭難に対しては、人道的対応をしている、また薪水給与令も実施していると、事実を示し、「貴国も人命を重んずるということであれば・・・さして累年の遺恨を結んでいるというのでもないところ、強いて戦争に及ばなければならないという程のこととも思われない。使節にても、とくとあい考えられてしかるべき儀と存じそうろう」と反論した。
       (以上井上勝生「幕末・維新 シリーズ日本近現代史」岩波新書による)

 幕末、幕府方の外交、小国の武威を誇る大国相手の堂々たるものではないか。これまでの幕末史では、幕府方は弱腰外交に終始したかのように描かれることが多かったが、上記の井上本では、ペリー初来航から1858年日米修好通商条約締結に至る外交において、幕府方は、世界の動向を見据え、国際法を研究し、また手続き的にも諸大名の意見を繰り返し聴取するなど、開明的、先見的外交を行ったこと、これに対して孝明天皇を筆頭に、朝廷側は、「神武帝よりの皇統連綿の事、他国に例がない」、「ひとえに天照大神の仁慮」、「血脈違わざる」日本は「神州」であり、清国より優れている、日米修好通商条約は「神州の瑕瑾」であり「許すまじき事」と愚かな歴史観に立って、歴史の歩みを押しとどめようとしたことが示されている。

 世界史の発展方向を見定め、知を武器に、平和を旨として外交を進めること、幕末、幕府方の外交はそのことを実践したようだ。さしずめ孝明天皇の姿勢に通ずるかのごとき現代の安倍政権に、爪の垢でもせんじてのませてやりたいものだ。

                                     (了)
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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