戦後憲法9条論争こぼれ話

 憲法9条第1項中の「国際紛争を解決する手段」の意味について、①国際法上の用語例では、不戦条約において明らかな如く、「侵略のための手段」ということであり、「自衛のための手段」は当然除外されると解する憲法学説と、②およそ戦争はすべて国際紛争を解決する手段としてなされるのであるから、従来の国際法上の解釈にとらわれずに、そのような限定はされるべきではないという、二つの憲法学説の対立があること、及び不戦条約を素材にして、国際法上の用語例において、そのような意味付けがなされているとの事実は認められず、①の学説は事実誤認に基づいていることを、昨日、当ブログで紹介した。

 ②の学説を唱える有力な憲法学者らが、不戦条約をきちんと検討し、不戦条約において、自衛戦争を留保し、侵略戦争のみを禁止、放棄したことになる根拠は、同条約第1条に、「国家間の紛争の解決のため」とか「国家政策の手段として」という語句が用いられているからではなく、各国が批准に際し取り交わした交換公文において「自衛戦争を放棄しない」ことを明示し、条件付で批准をしたことにあることを論証していたならば、論争はたちどころに終わっていたはずである。そうしなかったのは、②の学説を唱える有力な憲法学者らの、①の学説を唱える憲法学者らに対する惻隠の情とでも言うべきか。しかし、私は、きっちり咎めておいて欲しかったと思う。

 ①の学説を唱える憲法学者らは、国際法上の用語例についての事実誤認をしたに過ぎず、ペテンを弄したということはないと思うが、政治家には、①の学説を悪用し、これと9条第2項の「前項の目的を達するため」とを連動させて、9条2項では、自衛のための戦力は放棄していないと喧伝するペテンの徒がいた。1946年6月開会の第90帝国議会において、憲法改正案特別委員会の委員長をつとめた芦田均がその代表例である。

 芦田は、上記特別委員会内にもうけられた小委員会の委員長でもあったが、小委員会において、自ら提案して政府原案に対する修正案を作った。それは以下のとおりである。

(政府原案)
1項 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項  陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。

(修正案)
1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 この修正案どおり可決され、現行の9条になっていることは言うまでもない。
 芦田は、この修正の意味について、1951年1月14日付毎日新聞に寄稿して、以下のように書いている。

 ・・・憲法9条の2項には、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」とある。前項の目的とは何を意味するか。この場合には、国策遂行の具としての戦争、または国際紛争解決の手段としての戦争を行うことの目的をさすものである。自衛のための武力行使を禁じたものとは解釈することは出来ない。
 ・・・第9条の第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文字を挿入したのは、私の提案した修正であって、これは両院でそのまま採用された。従って戦力を保持しないというのは絶対にではなく、侵略戦争の場合に限る趣旨である。

 さらに芦田は、1956年3月30日付東京新聞に、自己の日記、メモに基づいて書いたという小文を寄稿したが、そこには上記と同趣旨の記述がなされた上、修正案に関するやりとりは上記小委員会(秘密会)の議事録に全部記録されているはずであるとまで述べられていた。芦田は政府に設置された憲法調査会第7回総会においても同趣旨のことを陳述している。

 それよりずっと後になるが、東京新聞は、1979年3月12日付紙面において、これを証する決定的資料だとして、1946年7月27日の芦田日記の抜粋なるものを載せた。そこには確かに、上記毎日新聞及び東京新聞への芦田寄稿文を裏付ける事実が記載されていた。

 しかし、どんなにうまく仕組んでも虚偽は露見するものだ。

 一つめは、1986年に、「芦田均日記」が岩波書店より公刊されたことによる。芦田日記によると1946年7月27日の項には、東京新聞が芦田日記抜粋だとして報じたような内容の記述は一切認められなかった。勿論、それ以外の日の項にもない。そこで東京新聞は、社内で調査をし、問題の日記抜粋は東京新聞記者が芦田の記憶を聞いて書いた作文であったことを認め、「お詫び」と「虚報記事」を削除する措置をとった。
 
 二つめは、上記小委員会(秘密会)の速記録が、GHQ側に英訳版が提出されており、それが1983年に公刊された(森清監訳「憲法改正小委員会秘密議事録-米国公文書公開資料」第一法規出版)ことによる。そこにも芦田が指摘したような事実の記載は一切なされていなかった。芦田は、秘密会の議事録が公開されることは決してないものと踏んでいたのであろう。米国の公文書公開原則にまで思いが至らなかったのは芦田にとって悔やまれる。

 ところで、その後1995年に、わが国においても上記憲法改正案特別委員会の議事録が全て開示された。それによると、芦田は、上記修正の理由について、以下のように説明している。

 前項のというのは、実は双方ともに国際平和を念願しておることを書きたいけれども、重複するような嫌いがあるから、前項の目的を達するためにと書いたので、つまり両方ともに日本国民の平和的希求の念慮から出ておるのだ、こういうふうに持っていくに過ぎなかった。 (筆者注:「双方ともに」とは1項、2項ともにという意味である。つまり芦田は、2項にも「国際平和を誠実に希求し」と書きたいのだが、重複を避けて「前項の目的を達するため」としたのだと述べているのである。)

 おそらくこれが真相であろう。芦田は、再軍備の流れを意識して、これを加速させるために嘘を平然と突き通したのである。そして嘘がばれたときにはご本人はきっとあの世から「あかんべー」をしたことだろう。
                                    (了)
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戦後憲法9条論争の盲点

 日本国憲法第9条は、以下のように規定している。

1項  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2項  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 第1項は、武力の行使を永遠に放棄している。しかし、「国際紛争を解決する手段としては」なる語句があることから、以下のように解釈されている(芦部信喜「憲法 新版補訂版」岩波書店57頁、58頁)。

 従来の国際法上の通常の用語例(たとえば不戦条約1条参照)によると「国際紛争を解決する手段として戦争」とは、「国家の政策手段としての戦争」と同じ意味であり、具体的には、侵略戦争を意味する。このような国際法上の用例を尊重するならば、9条1項で放棄されているのは侵略戦争であり、自衛戦争は放棄されていないと解されることになる(甲説)。これに対して、従来の国際法上の解釈にとらわれずに、およそ戦争はすべて国際紛争を解決する手段としてなされるのであるから、1項において自衛戦争も含めてすべての戦争が放棄されていると解すべきであると説く見解(乙説)も有力である。
 
 芦部教授の説明を代表例として引用したが、上記についてはおそらく全ての憲法学者に異論は見られないだろう。そこで甲説をとって、①第2項の「前項の目的を達するため」とは「国際紛争を解決手段としては、永久にこれを放棄する」を受けていると解すると、自衛のための戦力は保持できるという解釈になり、②甲説をとりつつも第2項の「前項の目的を達するため」とは「国際平和を誠実に希求する」という部分を受けていると解すると、戦力一切を保持しないという解釈になる。勿論、③第1項で乙説ならば、第2項は一切の戦力を保持しないと解するのは当然である。

 政府見解は、形式論としては②説をとりつつも、第1項は主権国家の固有の権利である自衛権を否定していない、従って自衛のための最小限度の実力を保持することは第2項に違反しないとして自衛隊は合憲であると解釈していることは周知のとおりである。ただし、その実質をみると、政府見解は、①説に限りなく近い。

 ところで、従来の国際法上の通常の用語例では、「国際紛争を解決する手段としての戦争」とは、侵略戦争を意味し、自衛戦争は含まれないというのは本当であろうか。この点について、誰も疑問を呈する人はいなかったのではないか。しかし、これは重大な事実誤認であったように思われる。

 国際法上の用語例としては1928年に成立した不戦条約が最も重要なものであり、上記甲説もここでの用語例に基づいているのであるから、これを検討してみよう。

 不戦条約は本文3か条のうち、第3条は手続規定であるから、正味は、第1条、第2条のみである。

第1条 締約国は国家間の紛争の解決のために戦争に訴えることを非とし、かつ締約国相互の関係において、国家政策の手段としての戦争を放棄することを、各々の人民の名で厳粛に宣言する。

第2条 締約国は、締約国相互の間に起こる全ての争議または紛争は、その性質又は原因の如何を問わず、平和的手段以外の方法で処理または解決を求めないことを約束する。

 第1条は非常にわかりにくい条文である。「国家間の紛争の解決のため」とか「国家政策の手段として」とかの語句があり、戦争放棄は条件付のようにも読める。このために、ここでは侵略戦争の放棄をしているだけであって、自衛戦争は放棄されていないと読み取る余地が生じる。しかし第2条は単純明瞭である。全ての争議または紛争を、性質、原因の如何を問わず、平和的手段以外の方法で処理または解決を求めないとある。そこでわかりにくい第1条を第2条とともに解釈すると全ての戦争を放棄する趣旨だと解さざるを得ない(田岡良一「国際法上の自衛権」勁草書房157頁以下)。

 どうやら「国際紛争を解決する手段としての戦争」は、侵略戦争を意味し、自衛戦争を含まないというのは違うようである。しかし、不戦条約では自衛戦争までも放棄されていないということは間違いない。ではどこでそうなるのか。実は、各国は、不戦条約批准に際し、「自衛戦争を放棄しない」との趣旨を明示した交換公文を取り交わしていたのだ。つまり各国は、「自衛戦争を放棄しない」との条件で批准をしていたから、不戦条約においては自衛戦争は放棄されていないということになるのであって、「国家間の紛争の解決のため」とか「国家政策の手段として」が、侵略戦争に限定し、自衛戦争を排除する趣旨の用語例だからというわけではないのである。

 戦後の憲法9条論争に重大な盲点があったことになる。

                       (了)

国際法事始め その5

 国連憲章51条をどう読むべきかという核心部分に一気に突っ込みかけたが、やはり、これは最後までとっておこう。

 国際法のテキスト、論文集を読み始めて4週間がたった。今、4冊目、田岡良一「国際法上の自衛権」(勁草書房)の半ばまで読み進めている。この本は、著者が京大教授定年退官の時期をはさんで、5年の歳月をかけて書き上げ、1964年の終わりに公刊された著者渾身の力作である。その内容たるや、当時の通説である伝統的自衛権論に対する徹底した批判と自説の展開にあてられており、本文379ページ、全部が一本の論文と言ってよいほどに、論争的かつ刺激的である。

 だが私は、読みながら、ある一点において、これは違う、賛同できないとの思いが募っている。それはどういう点かというと、著者の論が、国内法と国際法を同次元におき、国内刑法における正当防衛、緊急避難の対比もしくはアナロジーで国際慣習法(以下、「一般国際法」という。)上の自衛権を解明するという観点に立っておられることである。

 著者は言う。

 まず違法行為の排除について。

 国内法においては、公権力によって違法行為が排除され、制裁として刑罰が課される仕組みが出来上がっている。その反面として私人が、違法な行為を自らの実力で排除し、制裁を課する自力救済は禁じられている。ただ公権力が出動し、違法行為を排除することが間に合わないような緊急事態において、自己もしくは自己と密接な関係のある第三者の法益を守るために、やむを得ずに違法行為を排除するために必要かつ相当な実力を行使した場合には、例外的に、正当防衛として違法性が阻却される。
 これに対し、伝統的国際社会は、主権国家によって構成されており、公権力により一元的な秩序が維持される状況にはなっておらず、ある国家の違法行為を公権力で排除し、制裁を課する仕組みとはなっていない。そこで、主権国家は、他の国家の違法行為に対して、原則として自力救済により、自らこれを排除することが認められる。

 次に違法ではない害悪の排除について。

 国内法においては、国によって違いがあるが、基本的には自己の身体、生命、財産等の重大な法益が危殆に瀕し、公権力による救済を待てないほどに緊急やむをえないとき、相対的に重要度の低い他者の法益を侵害することは、緊急避難として許される。
 国際法においても、上記の自力救済とは別に、このような緊急避難が認められる。

 過去、自衛権の事例として、国際法のテキストに取り上げられてきたカロライン号事件、アメリア島事件、ヴァージニアス号事件等々は、いずれも相手国に違法行為があったわけではなく、正当防衛即ち自衛権行使の事案ではない。

 通説は、カロライン号事件に関するウェブスター・フォーミュラをもとに、自衛権とは、自国に対する他国からの急迫不正の侵害、これを排除するために他にとり得る手段がない、必要最小限度において武力を行使すること、と定義し、一般国際法上、国家の固有の権利だとしてきた。通説を説く学者の中には、その一方で自力救済を認めるものもいる。これでは、自衛権と自力救済を区別する意味がないではないか。
 通説が、自衛権が問題になった事案とする上記のケースは、いずれも緊急避難の事例であり、一般国際法上の自衛権とは、実は、緊急避難の言い換えに過ぎない。他国の違法行為に対しては自力救済で対処することができる。

 私見。今のところ以下のように考えている。

 上述の如くに著者は、国際法と国内法とを同一次元に置き、結局、一般国際法においては自力救済を認めてしまう。しかし、近世初頭、ヨーロッパにおいて国際法の定立、体系化が始まって以来、国際法は、国内法とは異なる基盤の上に、異なる法思想のもとに、成長、発達した。主権国家内においては、公権力への国民の統合を前提として、統治のありようをめぐる闘争の中で法体系が形成される。しかし、国際社会においては、そもそも公権力への統合など問題にはなりようがなく、諸国家の国際関係は、絶対主義の時代、資本主義勃興期における諸国家の経済的発展の時代、帝国主義の時代に応じた色調を帯びた諸国家の対立、拡散を前提として成り立っている。そこにおいて対立と抗争を適正化し、合理性を持ったものとし、紛争を予防・調整し、平和を維持・発展させ、国際的な交易と人的交流を発展させるルールとして、規範化してきたものが国際法である。

 私は、その流れの中で、戦争や武力行使についても、自力救済、正当防衛、緊急避難などという国内法上の道具概念とは異なる次元で、無差別戦争観による無秩序、非合理性な国家実行を抑制するための道具概念として自衛権の概念が形成され、法思想的根拠をもってその一般国際法化が意識的に推し進められたと考えるのである。通説は、カロライン号事件は、典型的な自衛権の事案ではないと承知しつつ、敢えてこれを異化し、その処理をめぐって確認されたウェブスター・フォーミュラを足がかりに、自衛権概念を発展せしめたのでではなかろうか。

 一般国際法上の権利として自力救済を認めることは、無差別戦争観への逆戻りである。なお、緊急避難についても国内法のアナロジーではなく、国際法に即したデコンストラクションがなされなければならない。

                                 (続く)

特定秘密保護法パブコメ・続き

 先に、「特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施に関し統一的な運用を図るための基準(仮称)(案)」に対する意見を書いたが、引き続いて、「特定秘密の保護に関する法律施行令(案)」に対する意見及び「内閣府本府組織令の一部を改正する政令(案)」に対する意見を書いたので、これからパブコメを書いてみようという人の参考に供したい。

1 「特定秘密の保護に関する法律施行令(案)」に対する意見

 ① 本政令の目的を最初に明示するべきである。
その目的には、政府・行政機関の保有する情報は国民共有のものであり、政府・行政機関は国民の付託によりこれを管理するに過ぎないこと、国民主権原理の下で、それらは全て国民に開示されるべきことは原則であること、政府・行政機関は、その例外として我が国の安全保障に著しい支障を与えるとおそれがあると認められ最小限度の情報について特定秘密の指定をし、管理するものであること、特定秘密と指定された情報は、最終的には全て国民に開示されるものであること及び政府・行政機関の判断で廃棄してはならないことなどを盛り込むべきである。
 ② 第8条
   有効期間満了後に講ずるべき措置として「保存期間満了後も廃棄してはならない旨表示すること」を追加する。
 ③ 第11条
   指定の解除に伴い講ずる措置として「保存期間満了後も廃棄してはならない旨表示すること」を追加する。
 ④ 第12条
   第7号末尾に、「なお、公文書管理法第5条5項、第8条1項の規定にかかわらず、廃棄を認めない。」の文言を付加する。
  
2 「内閣府本府組織令の一部を改正する政令(案)」に対する意見 

 パブコメ募集要領では「内閣府本府組織令の一部を改正する政令(案)」に対する意見となっているので、形式的には内閣府独立公文書管理監と情報保全監察室に関する意見のみを求めているようであるが、別途、18条4項に基づき、保全監視委員会が設けられることになっており、これらあわせて特定秘密の指定、解除等の適正を確保する重層的な仕組みとされているので、以下、両者あわせて意見を述べることとする。

①  第三者機関がその責務を果たすには、全ての情報にアクセスすることが保証されているかどうかが第一関門である。
保全監視委員会、独立公文書管理監・情報保全監察室は、全ての「特定秘密」へのアクセスが保証されておらず、第一関門をクリアしていない。
  ②  第三者機関が責務を果たすには、十分な調査能力と解析能力を持ち、実行力と意欲あるスタッフを養成する必要がある。そのためには身分保障と適正な処遇が必要である。
保全監視委員会、情報保全監察室の制度設計においては、そのようなことは全く考えられていない。
  ③  第三者機関は「特定秘密」制度の実施機関たる行政機関からの独立性が確保されなければならない。
内閣官房に設置される保全監視委員会とその事務部門、内閣府に設置される独立公文書管理監・情報保全監察室は独立性が全くなく、お手盛り機関に過ぎない。
  ④  第三者機関は、「特定秘密制度」の実施機関である行政機関に対し、不適切な運用を直接是正させる権限を付与されなければならない。
保全監視委員会も独立公文書管理監・情報保全監察室もそのような権限を与えられていない。
  ⑤ 保全監視委員会の事務局、独立公文書管理監・情報保全監察室の人的給源を何も明らかにしていないが、少なくとも内閣情報調査室において法制定作業に携わった者は排除すること、省庁からの出向者を宛てることをやめ、プロパー職にするべきである。
⑥  第三者機関は市民をカヤの外においている。これでは特定秘密の指定、解除等の適正を確保することは期待できない。米国の大統領令による制度の如く、広く市民から、「特定秘密」の指定、解除など行政機関の長に対し、異議、解除請求等を認め、その裁定に不服があるときにはさらに第三者機関への不服申立て手続を認めるようにするべきである。
    これは公文書公開法に基づく行政文書の開示請求とは趣旨、目的を異にした制度であるから、別途制度化しておくべきである。米国も情報自由法による開示請求とは別の、この制度を設けている。
  ⑦  独立公文書管理監と行政機関の長は、行政機関の職員等の通報を受け付ける窓口を設置し通報を受け付ける仕組みを作ることとしているが、窓口を設けただけでは通報はされない。不適正な「秘密指定」等を知った行政機関の職員等に対し通報する責務を課すことが絶対必要である。
  
   以上により、抜本的に検討しなおすべきであると考える。

                                                               (了)
 

「特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施に関し統一的な運用を図るための基準(仮称)(案)」に対する意見

今回の特定秘密保護法に関するパブコメにおいて、中心となるべき「特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施に関し統一的な運用を図るための基準(仮称)(案)」に対する意見をまとめてみた。こういのものを出したからといって、特定秘密保護法の廃止を諦めることを意味するものではない。改良ための努力も、廃止を求めることと並行、並列して行うべきである。

Ⅰ(基本的な考え方)
2(1)拡張解釈の禁止並びに基本的人権及び報道・取材の自由の尊重
ア 「特定秘密保護法が定める各規定を拡張して解釈してはならないこと」を「特定秘密保護法が定める各規定を厳密かつ限定的に解釈するべきこと」と改める。
 理由: 拡張解釈してはならないことは言うまでもないこと。厳密かつ限定的に解釈するということでなければ指針としての意味がない。
イ 「憲法に規定する基本的人権を不当に侵害することのないようにすること」から「不当に」を削除、「国民主権原理」追加し、「憲法に規定する基本的人権及び国民主権原理を侵害することのないようにすること」と改める。
 理由: 国政に関する情報を例外的に特定秘密として指定し、管理すること自体既に基本的人権及び国民主権原理に対する重大な制約である。そのことを十分に認識した上で運用されるべきで、「基本的人権を不当に侵害することのないようにする」では、運用権者への戒めとはならないし、違法もしくは不当な運用を抑制することはできない。

2(2)公文書管理法と情報公開法の適正な運用
 ・ 現行法令では、特定秘密である情報を記録する行政文書のうち、公文書管理法5条5項により歴史公文書等に該当するものとして国立公文書館等へ移管・保存されるもの及び法4条6項により国立公文書館等に移管・保存されるもの以外に、廃棄される膨大な文書群が存在することになる。行政文書は国民の共有に属する文化的財産である。行政機関の長と内閣総理大臣の協議で廃棄されてしまうこと自体問題であるが、とりわけ重要であるべき特定秘密である情報を記録する行政文書は廃棄されてしまってはならない。この点はⅢ.3で再度述べる。
 ・ 「わが国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要である」として特定秘密の指定がされた情報を記録する行政文書であっても、情報公開法に基づく開示請求において、同法5条第3号に該当せず開示することができるという趣旨を含むのであれば、そのことを明らかにし、開示をするか否かの判断基準を明示するべきである。そうしないのであれば、行政機関の長は、事実上、特定秘密指定判断に拘束されるであろうから、いくら開示、不開示の決定にあたって厳格に判断する必要があると言ってみたところで、何の効果もない。情報公開法に基づく行政文書開示請求に対する行政機関の長の決定の実情をふまえし、それを反映した基準が策定しなければならない。  

3特定秘密を取り扱う者らの責務
(2)に以下のとおりを付加する。
  「特定秘密を取り扱う者は、自己の職務上の良心に従い、特定秘密の指定、解除及びその管理に適性を欠くと判断したときは、後記内部通報制度に基づき、遅滞なく通報しなければならない。」
 理由: 内部通報制度を効果的に働かせるためには、内部通報を「特定秘密を取り扱う者等の責務」としなければならない。

Ⅱ(特定秘密の指定等)
1(1)別表該当性
イb 「及びアメリカ合衆国の軍隊(以下「米軍」という。)」を削除する。 
二c 「及び米軍の」を削除する。
 理由: いずれも法別表1のイ、二の拡大解釈であり、不当である。

1(2)非公知性
  「・・・・公表されていると認定する場合には、・・・・」を「・・・・公表されている場合には、・・・・」と改め、なお書き部分は削除する。
 理由: 公表されている場合には非公知性を欠く。それは客観的な事実の問題である。行政機関の長による認定、判断などを要件とすることは不当である。

1(3)特段の秘匿の必要性
  末尾文章を「など我が国の安全保障に個別的、具体的に記述し得る著しい支障を与える事態が生じるおそれがあるか否かにより行うものとする。」と改める。
 理由: 「我が国の安全保障に著しい支障を与える事態」とは極めて漠然としており、行政機関の長の主観的判断に流れてしまうおそれが大きい。そこで米国大統領令に倣い、「個別的、具体的に記述し得る」という字句を挿入する。

1(4)特に遵守すべき事項
 ア 指定漏れがないようにというようなことを書く必要はない。
 理由: 行政機関の特性として、指定過剰はあっても指定漏れなどということはあり得ない。
 イ 「公益通報の通報対象事実その他の行政機関による法令違反」を「公益通報の通報対象事実その他の行政機関による法令違反、及び行政機関の先行する失策、職権濫用、資源の不適切な管理又は浪費その他一切の行政機関の過誤の隠蔽を目的として」と改める。
 理由: 指定してはいけない場合を可能な限り漏れなく明示する。  
 ウ 「・・・指定する情報の範囲が明確になるよう努めること。」を「・・・指定する情報の範囲が明確にしなければならない。」と改める。
 理由:これを単なる努力義務にしてはならない。
 
Ⅲ(特定秘密の指定の有効期間の満了、延長、解除等)
3指定解除、又は有効期間満了後の行政文書の取り扱い
 (1)は法4条6項を書き下しただけのことであるが(2)は問題がある。現行公文書管理法5条5項では、歴史公文書等に該当するものとして内閣総理大臣と協議し、国立公文書館等へ移管・保存されるもの以外は廃棄されてしまう。そのこと自体問題であるが、行政文書のうちでもとりわけ重要であるべき特定秘密である情報を記録する行政文書は廃棄されてはならない。そのための措置を講じておく必要がある。

Ⅳ(適性評価の実施)
1適性評価の実施に当たっての基本的な考え方 
 (5)として、「適性評価に関わる者は、威迫、強制、不利益の示唆など不当な言動をしてはならないのは勿論、職制上の地位を利用した事実上の強要と誤解を招くような言動をしてはならない。」を付加する。
 理由: 事実上の圧力、心理的強制力を排除しなければならない。

2(3)関与の制限
  ・・・を除き、適性評価に関する事務に関与することができない。」を「・・・を除き、適性評価に関する事務及び調査に関与することができない。」と改める。
 理由: 調査関与者も限定する必要がある。

4(2)同意の手続
  評価対象者の家族及び同居人の氏名、生年月日、国籍及び住所の調査については、評価対象者の同意を得るだけでは足りない。
 理由: 家族及び同居人のプライバシーの権利を尊重しなければならない。

5(2)上司等に対する質問
  調査票の提出を求められた評価対象者の上司、人事担当課の職員らは、自己の職務上の知見及び職務上アクセスすることができる記録の記載のみに基づいて、これを作成するものとする。
 理由: 上司や人事担当課の職員らがさらに調査することにより評価対象者のプライバシーを侵害してはならない。
 
Ⅴ(特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施を確保するための措置等)
 4の特定秘密の指定及びその解除並びに特定行政文書ファイル等の管理の適正に関する通報が機能するには、前述のとおり特定秘密取扱業務者等が、自己の職務上の良心に従い、特定秘密の指定、解除及びその管理に適性を欠くと判断したときは、行政機関の通報窓口もしくは内閣府独立公文書管理監督の通報窓口に対し、遅滞なく通報することを責務として明記するべきである。
 さらに行政機関の長もしくは内閣府独立公文書管理監は、調査の結果どのような措置をとったか当該通報者に告知することとし、その措置に不服があるときの不服申し出制度を定めるべきである。
 さらに5の(1)内閣総理大臣の報告事項、(2)の情報保全諮問委員会への報告事項、(3)の国会への報告事項及び公表事項に、上記通報とそれに対する措置の経緯を含めることとする。
 理由: 通報制度を単に絵に描いた餅にしないための措置、工夫が必要である。

                                               以上
                    

続・日本と朝鮮の関係

 日本と朝鮮とは、徳川政権期には、「朝鮮通信使」来訪と、対馬藩宗氏による特許交易という形で、互いに鎖国政策をとりながらも細々と交流を平穏に続けていた。

 「朝鮮通信使」は、儒学者、絵師、楽団も加わる500名もの大人数の使節団で、幕府側も第一級の知識人からなる接待役をたててもてなしをした。あの新井白石も通信使接待役として手腕を発揮したとか。江戸への行列は、衝撃のショーで、唐人行列、唐人踊り、馬上才(曲馬)などに道中の日本人は目をみはった。ひと頃はやった還流ブームどころの騒ぎではなかったようだ(寺島実郎氏による。)。
 対馬藩宗氏は、朝鮮王家に臣下の礼をとり、特許状を得て、朝鮮との交易を独占した。宗氏は、釜山近くの草粱に倭館を設け、藩士を常駐させていた。丁度、長崎の出島、あるいは唐人屋敷のようなものである。
 少なくとも日本側には、朝鮮に対する蔑視や敵視はなかったと言ってよい。

 日本政府高官、あるいは日本国民の中に、朝鮮に対する蔑視や敵視が芽生えたのは明治元年12月(1869年1月)の国書不受理事件後のことである。維新政府は、維新変革を通告し、天皇の名で国交を求める国書を送ったのであるが、そこに「皇」と「勅」の文字が使用されていたために、そのような文言の文書は、清国皇帝に臣従する朝鮮としては受け入れがたいというのが受理拒絶の公式の理由であった。しかし、攘夷政策をとる朝鮮にとっては、西洋化を進める隣国日本を警戒したという面もあったのであろうし、徳川政権を打ち倒した維新政権に対する警戒もあったのであろう。朝鮮の立場も理解できるところであり、普通に考えれば、穏やかに、粘り強く交渉すればよいことではなかろうか。

 ところが強烈な攘夷主義から、欧米列強の実力を目の当たりにして、にわかじたてに開国論者に転向した西国雄藩の下層武士と1000年の安穏を貪ってきた中下級公家からなる維新政権高官は、屈折した思いを朝鮮にぶつけることになってしまった。攘夷主義の当て返しである。

 明治2年12月(1970年1月)、政府は、対朝鮮政策を検討するために、久留米藩の強烈な攘夷主義者佐田白茅(さだはくぼう)らに、13項目からなる調査項目を与え、訪朝し、調査することを指示した。その13項目の調査項目の一部を以下に摘記する。

 ①皇使派遣の際に軍艦が入れる港の有無、②朝鮮の軍備、③朝鮮内治の状況、④朝鮮がロシアに誼を通じているとの情報の真偽、⑤草粱から内地への旅行の可否、⑥竹島・松島が朝鮮付属となった理由、等々。ここに松島とあるのは、現在、問題になっている竹島のことである。なんと維新政権は、竹島は朝鮮の領土であるとの認識だったことになる。

 まさにこれは朝鮮に武力で攻め込むための調査であると言ってよいだろう。

 一行は、明治3年2月(1970年3月)、草粱着。約2週間の現地調査をして、佐田から政府に送られた手紙には、次のように書かれていた。

 朝鮮が国書を受理しないのは皇国に恥辱を与えるもの。その罪を問い、大使を送って一挙に攻めれば50日を出ずに国王を捕虜にできる。清国が兵を出して朝鮮を援助すればこれも討つべし。そうすればルソン、台湾も唾して取ることができる。朝鮮征服の費用は樺太開拓をやめてその費用をあてる。ひとたび朝鮮を取れば、朝鮮は金穴であり、米麦も豊かであるから、日本の富強のもととなる。現在、皇国は兵が過剰となっている。諸藩の兵は、強く乱を願っているから、これを外征にむけて内乱を外に転ずれば一挙両得である。

 征韓論は、このような品性下劣な輩がうごめき、政府の現実の対外政策になる。露骨なアジア侵略の妄想となっていく。政府は、帝国臣民の選良意識をくすぐり、アジアの同胞への蔑視感を生み、増殖させながら、台湾、琉球、朝鮮、中国へ食指を伸ばして行ったのであった。

 私たちの心に巣くうアジア同胞への敵視、蔑視は、いままた蠢いている。

                              (了)

「『武力行使3要件』に関する誤った説明を排す」をめぐって

当ブログの7月30日付記事「『武力行使3要件』に関する誤った説明を排す」に関し、非常にいいコメントを頂いた。理解を深めるために紹介に値するコメントだと思うので、これを全文掲載したい。

はじめまして。最近木村説が一部で注目の的ですので、それに関連して、理論的な点での質問失礼します。

木村先生の論旨は9条及び73条の下で集団的自衛権行使が認められないことを前提に、それと整合的に閣議決定を理解するのであれば、個別的自衛権でも説明できる部分に限って認めたに過ぎないとするものだと要約できると思います。木村先生が「重なり合い」の話をした後、「政府答弁は閣議決定の範囲を逸脱している」と説明されるのはこの趣旨だと思います。

他方、深草弁護士の御説明は、本閣議決定は集団的自衛権の意義について述べたかつての有力学説に由来するものであるから、集団的自衛権を認めたものなのだという見解だと拝見しました。そうすると、本閣議決定のうち、集団的自衛権を認めた部分の違憲無効が帰結されるということでしょうか。
そうした場合、政府はグレーゾーンまたはPKO関係及び個別的自衛権について、新たに閣議に基づき法制化することを許されることになるので、結局個別的自衛権の部分のみ認められるという木村説と同趣旨ではないかと思いました。

つまり、私の理解では、木村説は「集団的自衛権」という閣議決定の文言を9条及び73条に照らして合憲限定解釈するものだと考えています。そして、合憲限定解釈も違憲部分を確定しているので(合憲とされた部分以外違憲)、これが木村説だとすると、単に結論が同じという意味ではなくて、部分違憲を主張される深草弁護士の説との違いが見出せないと思ったのです。従って、木村説が間違っていると断定できないのではないかと。

長々と失礼しました。御見解を伺えれば幸いです。2014-08-03 01:44


上記コメントに対する私の回答は以下のとおりである。これも参考のために掲載したい。

Re: 質問コメント拝見するのが遅れ、申し訳ありません。

私も、木村見解を公明党や政府見解と同列には見ていません。政府のプラクティスを限界づけようという意図は承知しています。その上で、それでも間違いではないかと申し上げているのは、閣議決定の目的、客観的意義を軽視するものだと思うからです。また、それは公明党、政府の詭弁を応援する客観的役割を果たすことを危惧しているからです。
私は、憲法上、かろうじて認められるのは「自衛権行使3要件」、領域的な意味での専守防衛の範囲の個別的自衛権(私はそもそも国際法上の自衛権とは、個別的自衛権のみである、いわゆる集団的自衛権は認められないと思います。従って集団的自衛権、個別的自衛権という用語は使いたくないのですが、それを言い出すとややこしくなりますから、別途、「国際法事始め」の中で書くことにしいたいと思います。それはともかくとして)であると考えます。ですから閣議決定は憲法9条に違反するので、それに基づくプラクティスは、無効であると解します。そのように解した上で、閣議決定は認められないと、反対運動をするべきだと思います。

木村説は、閣議決定は、憲法に反しない範囲で策定したものだという説明です。しかし、それは政府、与党の真意に反しています。限定解釈をした上で、というよりも閣議決定を起草した官僚の意図は、もともとそうだと言って、政府のプラクティスを縛るというのは技巧的に過ぎるのではないでしょうか。彼らにとって、集団的自衛権容認こそがかれらのアルファでありオメガであるからで、官僚の意図云々は関係ないことです。また官僚の意図も、外務官僚と内閣法制局官僚の意図は違うでしょう。むしろ前者が主導的で、集団的自衛権を認めることに主眼があると思います。
                       
                                                         (了)

日本と朝鮮の関係

 平成天皇は、歴史に謙虚なお方である。そしてアジア諸国との平和的関係が維持されるように、政治への関与を疑われない程度に抑制しつつ、極めて適切な発言をしている。

 1990年5月24日、韓国の盧泰愚(ノ・テウ)大統領(当時)の訪日の際に催された宮中晩餐(ばんさん)会の席で、盧大統領に、「韓国と相当なゆかりがあるように感じます」と語りかけ、そのあと「私どもの家系を見ると、母方に韓国系の人物がいるようです」と続けた。

 2001年12月23日の誕生日の記者会見で、「日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されている。韓国から移住した人々や招聘された人々によってさまざまな文化や技術が伝えられた」、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じている」、「武寧王は日本との関係が深く、この時に五経博士が代々、日本に招聘されるようになった」、「武寧王の子・聖明王は日本に仏教を伝えたことで知られている」などとし、宮内庁楽部の楽士の中には当時の移住者の子孫で、代々、楽士を務め、今も折々に雅楽を演奏している人がいる」等、縷々詳細な歴史認識を披瀝した。

 古代、わが国と朝鮮半島との政治的、経済的、文化的交流は濃密であり、当然のことながら人的往来も頻繁であった。そのことは日本書紀の記述をざった見ればおおむね了解できるところである。日本古代史の研究者・東北大学名誉教授関晃氏は、名著「帰化人 古代の政治・経済・文化を語る」(講談社学術文庫)のはしがきで、「古代の帰化人は、われわれの祖先だということ、日本の古代社会を形成したのは主に彼ら帰化人の力だったということ、この二つの事実が、とくに本書ではっきりさせたかったことである。」と述べている。同書は、見事に、中国大陸、朝鮮半島からの帰化人、とりわけ後者こそが、われわれの祖先であり、わが国古代国家形成の中心を担ったことを、論証しきっている。現代日本人必読の書であると言ってよい。

 平成天皇の発言は、むしろ控え目と言ってもよいほどである。これを口汚く非難する右派系の人たち、民族主義系の人たちには、少しは勉強せよというほかはない。

 ところでわが国と朝鮮との関係は、モンゴルの軍門に降り、その属国とされた高麗が、モンゴルに使役され、モンゴル軍とともにわが国に来襲した文永、弘安の役を除いて、朝鮮が、わが国に武力行使をしたことはない。一方、わが国が、朝鮮に対して武力行使をしたことは古代にもあるし、戦国時代末にもあった。明治以後の歴史はその拡大再生産である。また中世においては倭寇なる武装集団が朝鮮半島沿岸を荒らしまわっている。
 
 寺島実郎氏は、世界4月号で、「朝鮮通信使」に触れ、江戸期の日朝関係を書いておられる。小論であるが、実に、考えさせられる一文である。

 李氏朝鮮が建国されたのは1392年のこと。それより1世紀余り前、高麗は、1259年にモンゴルに屈服し、次第にモンゴル化が進行する。モンゴルによる高麗王朝への血の注入である。第27代忠粛王になると四分の三をモンゴル人の血がしめることになってしまった。文永、弘安の役で高麗軍がモンゴル軍とともにわが国に来襲したのはそのような高麗のモンゴル化の過程における出来事であった。これに対し、倭寇の鎮圧にあたっていた高麗の将軍李成桂が、モンゴル化した高麗王朝を打倒し、李氏朝鮮を建国したのであった。
 その李氏朝鮮に、わが豊臣秀吉は二度にわたり出兵した(文禄、慶長の役)。しかし、朝鮮軍民の激しい抵抗で苦戦を強いられた。秀吉が、野望は遂げられないまま死亡すると、もともと朝鮮出兵には批判的であったかった徳川家康が、前田利家とともに撤兵を主導し、完了した。その間、実に、5万人ともいわれる捕虜が、わが国に連行されている。
 関が原の勝利により、事実上、徳川政権が樹立されると、家康は、直ちに日朝関係の緊張緩和に手をつけた。その結果、1607年に国交回復され、朝鮮使節が来訪する。朝鮮使節は、「通信使」ではなく、「回答兼刷還使」と呼称されている。わが国の国書への回答及び刷還、即ち捕虜取り戻しを任務とする使節であった。この使節は、1400人もの捕虜を連れ帰っている。2回目の朝鮮使節が来訪したのが1617年。このときの使節も321人の捕虜を連れ帰っている。文字通り「通信使」として純粋な交流のための使節が送られたのは第4回、1636年のことであった。朝鮮使節が「通信使」として訪問するようになった後、1719年、8回目の使節訪問時には、方広寺大仏前招宴拒否事件が起こる。方広寺の大仏は、秀吉が建立したものだが、慶長大地震で倒壊し、その後家康の深謀遠慮で、秀頼に再建させたものであった。そのそばには、朝鮮出兵時に朝鮮軍民の鼻や耳をそいで塩漬けし、持ち帰って埋めたという耳塚がある。「朝鮮通信使」は、その大仏前で催される歓迎宴への出席を拒んだのである。耳塚を幕で遮蔽するなどしてなんとかその場を取り繕われたが、1748年、10回目の使節訪問時より、方広寺大仏前での歓迎宴は取りやめになっている。文禄、慶長の役(朝鮮側は「壬辰倭乱」と呼んでいる。)は、実に、100年以上にもわたって恨みを残したことになる。
 徳川政権期、朝鮮からの使節は、12回目、1811年の「通信使」をもって終了する。「通信使」来訪は、鎖国体制をとる徳川政権において、数少ない異国文化交流の機会であり、朝鮮とわが国の友好関係を示す国際的なイベントであった。また徳川政権下の鎖国体制にあっても、対馬藩を通じて朝鮮との交易が細々とではあるが続けられたことは特筆されてよい。

 以上、私見をまじえた寺島氏の論文のあらすじである。その後、王政復古を果たし、天皇専制体制構築を急いでいた維新政府は、1868年、朝鮮に対し、維新変革を通告し、天皇の名で、国交を求めた国書を送ったが、朝鮮は、その文書中に、「皇」及び「勅」なる文言が使用されており、清国と冊封体制をとり、清国皇帝に臣従する李王朝の朝鮮としては受け入れがたいものであるとの理由で、受理を拒んだ。これは、あるいは朝鮮は、徳川政権に親近感をもっていたことを示しているのかもしれない。
 その朝鮮の対応が無礼である、朝鮮撃つべしという短絡的な反発が木戸孝允ら維新政府高官の中に生じたことがそもそもの始まりで、その後、不平士族対策の征韓論へと高まり、、朝鮮への干渉、武力行使に突き進み、領土的野望となる。朝鮮侵略は、些細な出来事から始まり、これにいんねんをつけ、ついでわが国の矛盾のはけ口として利用し、さらには領土的野望へと拡大、深化をして行ったという歴史であった。そこには一遍の理もないと思うがどうであろうか。 
                                                                (了)

国際法事始め その4

 1944年10月といえば、ヨーロッパでは未だドイツと連合国との戦闘が続いていたし、アジア・西太平洋では日本と連合国との戦闘が続いていが、いずれも既に山を越え、連合国の勝利の見通しがはっきりと見えてきたときである。その時、連合国が主体となって永久平和を志向する国際連合を組織し、加盟諸国家に対し武力不行使の原則を承認させることにより、国際紛争を国連の安保理の下で一元的に、かつ国連軍の強力を背景に解決するという集団安全保障措置の制度・仕組みの原案、ダンバートン・オークス提案が公表されたのである。これは、どれだけ多くの人びとに、希望と勇気を与えたことであろうか。

 しかるにそれから4ヵ月後、早くも逆流現象が生じることとなってしまった。1945年2月4日から11日までソ連・クリミア半島の保養地ヤルタに、米英ソの首脳、ルーズヴェルト、チャーチル、スターリンが集い、会談した。世にいうヤルタ会談である。

 ヤルタ会談ではヨーロッパにおける戦後処理の問題が話し合われ、何とか合意に至ったものの、大きなしこりを残すこととなった。対日戦についてもヤルタ密約と言われる、不明朗な密約が取り交わされた。これはソ連は、ドイツ降伏後2ヶ月から3ヶ月のうちに対日戦争に参加することし、その見返りに英米は、①南樺太領有権をはじめポーツマス条約によって日本がロシアから得た諸権益をソ連に返還させる、②千島列島をソ連に引き渡させること密かに確認しあったものであり、大西洋憲章、カイロ宣言、モスクワ宣言で重ねて確認された、領土不拡大の原則なる今次大戦における連合国の国際公約に違背すること明らかであった。

 それにもまして重大なことは、ヤルタ会談で、国連の運営に大きな桎梏となる合意がなされたことである。米国は長らくモンロー主義の伝統があったから国連によって行動の自由が制約されることには強い懸念を抱いていた。そこで米国がまず、安保理の決定には5大国(米英ソ仏中が想定されていた。)の一致の原則を求めた。これをソ連は支持してした。ソ連は、多数を占める資本主義国が安保理を牛耳り、ソ連の国益に反する決定を押し付けてくることを危惧していたのである。米ソの同床異夢の思惑が、5大国一致の原則を採択させたのである。なお、この安保理の決定に5大国一致を要するとの規定は、国連憲章第5章第27条3項として成文化されている。

 ダンバートン・オークス提案によると、強制措置をとる場合、安保理の下に組織される国連軍によって実行する方法と、ある一定地域内の諸国が、国連の目的に適合する集団安全保障のための地域機構を作っている場合には、これを利用し、もしくはその地域機構の強制措置発動を許可するという道も用意されていた。現在の国連憲章でいうと第8章第52条、第53条である。

 ヤルタ会談から1ヵ月後の1945年3月、メキシコシティ郊外のチャプルテペック城で開催された中南米諸国のチャプルテペック会議において、この集団的安全保障のための地域機構を組織するためのチャプルテペック協定が成立を見た。
 同年4月、国連憲章作成のために開催されたサンフランシスコ会議では、チャプルテペック協定に拠った中南米諸国から、このままでは5大国の対立が生じたときには、自分たちのチャプルテペック協定が無効となってしまうおそれがあると猛然と異議申し立てがなされ、このままでは脱退するとの動きになって行った(「ラテン・アメリカの危機」といわれた。)。そこに、1945年3月、アラブ連盟を結成し、地域的結束を深めていたアラブ諸国が中南米諸国の異議申し立てを支持た。さらに米ソの微妙な駆け引きがその上に展開される。

 ダンバートン・オークス提案から国連憲章調印に至る歴史的顛末をざっと見た。次回には、もう少しこれを補足した上で、先送りになっている課題、国連憲章51条をどう読むかを、私なりに解決したい。

                                  (続く)

国際法事始め その3

 国連憲章は、第7章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に対する行動」として第39条から第51条の13カ条をもうけている。

 第39条から第50条には、国連が、安保理のもとで、各加盟国に、決定で義務付けをし、もしくは勧告・要請により協力を求めて、「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為」に対する集団的行動をとることとし、その内容と手続が具体的に定められている。これが集団安全保障措置と言われる画期的な仕組み・制度である。

 安保理決定で、安保理指揮下に国連軍をもうけ、武力行使を伴う措置(軍事的措置)をとることを定める第42条は、その前提たる第43条の各加盟国と安保理との間の兵力提供などの特別の協定が成立していないため、これまでに発動されたことはなく、今後も、当分、発動されることは期待できないが、第41条の非軍事的措置や、勧告により加盟国の協力を得て行う軍事的措置(朝鮮戦争、湾岸戦争)、勧告・要請により各加盟国の協力と対象国の同意のもとに実施される平和維持活動などは、数多くの実績が積み重ねられている。

 このような集団安全保障措置の前提として、国連憲章2条4項は、以下のように規定している。

 「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」

 ここには「慎まなければならない」と穏やかな表現がされているが、実は、これは武力不行使の原則と言われ、国連加盟国は、武力による威嚇と武力行使を原則禁止されているのである。

 各加盟国は、武力不行使の原則のもと、安保理が、平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為を抑え、除去し、平和の維持、回復を達成すること、これが1944年10月公表された国連憲章の原案であるダンバートン・オークス提案の骨子であり、そこには現在の第51条に相当する条項はなかった。

 ところが、1945年6月、サンフランシスコ会議において調印された国連憲章には、上記のとおり第7章の末尾に第51条が置かれている。その第51条には以下のように書かれている。

 「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」

 「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」ということは、上記武力不行使の原則に対する重大な例外をもうけたことを意味している。もっとも安保理が必要な措置をとるまでの間と限定し、安保理への報告と安保理の権限を侵さないことを条件とするなど、安保理による集団安全保障措置との整合性をはかってはいるが、「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を野に放ってしまった後にはもはや無力な引止め策であると言わざるを得ない。

 はたしてダンバートン・オークス提案から国連憲章調印に至るまでの間に、一体何があったのであろうか。次回には、その間のできごとを整理した上で、この「個別的又は集団的自衛の固有の権利」なる世にも不思議な文言を、どう読むのが正しいのか述べてみたいと思う。
                                           (続く)
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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