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戦後憲法9条解釈論争・米国に尻尾をふった最高裁長官(その2)

 昨日は、読みながら、かつ書きながら、次第に血圧があがっていくのが感じられたので、適当なところでやめてしまった。今日も、おそらくそうなるだろうと思いつつ、続きを書くことにする。自己流判断によってドクターストップするまでの間、しばしお付き合い願いたい。

 伊達判決から、まだ二日しかたっていない。4月1日のマッカーサー大使と藤山外務大臣の密談の記録は、外務省側にも「極秘」文書として保存されていた。砂川事件の元被告らが、2010年7月に秘密指定解除されたことを知って開示を求め、入手している。それには以下のとおり記載されている。

日 時 昭和34年4月1日午後3時半―5時50分
    於帝国ホテル第1255号室
出席者 藤山大臣、山田時間 森米局長、東郷文彦米保長(※米局安全保障課長)
    マッカーサー大使、レンハート公使、ハーツ書記官
大 臣 (冒頭部分省略)目下最高裁に直接提訴するや否や検討中で、検事総長の帰京を待って決定する。
大 使 最高裁に行った場合その時期の見通し、うけたまわりたし。
大 臣 最高裁でも優先的にあつかうと聞いているが、自分にははっきりしたことはいえない。まず3、4ヶ月はかかるべし。(以下略)

 米側の「秘」電文の内容は、これにより裏づけられる。密談の場所となった帝国ホテルの客室は、安保改訂の秘密交渉にも使われていた。秘密交渉では、その都度客室を変え、出席者は一人ずつ人目を避けて入室していたとのこと。新橋、日比谷公園界隈の雑踏を利用し、ひとり、またひとりと客を装い、日本を代表する高級ホテルの客室に入り、会議が終わると、ひとり、またひとりと去ってゆく。まるでスパイ映画の世界のようなことが、外務省高級官僚らと米国大使館のお偉方らによって演じられていたことを、さしものどの新聞社の猛者もかぎつけることはできなかったようである。

 1日おいて4月3日、政府は、飛躍上告することを決定した。マッカーサー大使に、この第一報をもたらしたのは当時の与党自民党幹事長福田赳夫であった。同日、マッカーサー大使は国務長官に対し、次のように、「秘」公電で報告した。

 「自民党の福田幹事長は、内閣と自民党が今朝、政府は日本における米軍基地とべ軍駐留に関する東京地裁判決を直接上告することを決定した、と私に語った。」

 この「秘」公電の7時間後、午後9時発の「秘」公電で、マッカーサー大使は国務長官に対し、さらに詳細な報告をした。次のとおりである。

 「法務省は本日、砂川事件に関する東京地裁伊達判決を、東京高裁を飛び越して直接最高裁に上告することに決めたと発表した。外務省当局者がわれわれに語ったところによると、法務省は近く最高裁に提出予定の上告趣意書を準備中だという。最高裁が本件をどのくらいの早さで再審理するかを予測するのは不可能である。判決の時期をめぐる観測者たちの推測は、数週間から数ヶ月もしくはそれ以上まで広範囲に及んでいる。
 政府幹部は伊達判決がくつがえされることを確信しており、案件の迅速な処理に向けて圧力をかけようとしている。」

 外務省の官僚たちの忠勤ぶりが目に浮かぶようだ。それにしても「圧力をかけようとしている」とは聞き捨てならない言葉であるが、田中耕太郎が長官をつとめる最高裁は別に圧力をかけなくとも、十分に政治的であり、自ら日米両国政府の意を汲んで動き出した。

 ながらくお待たせしたが、ようやく田中長官が登場する。彼の名前が、マッカーサー大使の国務長官報告宛にはじめて現われるのである。4月24日午後4時発の「秘」公電である。そこには次のように書かれている。

 「最高裁は4月22日、最高検察庁による砂川事件の東京地裁判決上告趣意書の提出期限を6月15日に設定した。これに対し、被告側は答弁書を提出することになる。
 外務省当局者がわれわれに知らせてきたところによると、上訴についての大法廷での審理はおそらく7月半ばに開始されるだろう。とはいえ、現段階では判決の時期を推測するのは無理である。
 内密の話し合いで田中最高裁長官は大使に、本件は優先権が与えられているが、日本の手続では審理が始まったあと判決に到達するまでに、少なくとも数ヶ月かかると語った。」

 なんとマッカーサー大使と田中長官は、「内密の話し合い」していたのである。おそらくこの公電が発信された当日のことであろう。短い文章であるが、「内密の話し合い」では、田中長官は、司法部内の秘密をベラベラしゃべり、さかんに売り込んでいるような印象を受ける(彼は、大きな論功行賞を受けたことは、後に述べる。)。 

 当時、私は、中学1年生になったばかり、4月10日の皇太子成婚パレードを、アルバイト先の豆腐屋さんのテレビに釘付けになって見ていた。その年の9月26日には伊勢湾台風の直撃を受けて、避難生活を始めた。そんなことは話のすじとは何の関係もないことだが、何故か情けなく、感傷的になってしまった。この話は、人を物悲しい思いに沈ませるようである。

 そのころわが国行政と司法のトップ、まぁ国家の首脳と言っていいだろう、彼らは、セッセと米国に媚を売っていたのである。ネトウヨ的に言えば、売国奴どもだ。失礼。

                                  (続く)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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