「伝家の宝刀」の由来

 解散権は、内閣総理大臣の「伝家の宝刀」だと言われている。今回の安倍首相の場合には、早い段階から18日解散表明が既定のことのように取り沙汰されているので、どうも大分錆びついて切れ味が悪くなっているようではあるが、まぁ一応「伝家の宝刀」なのだろう。
 ところで内閣総理大臣が「伝家の宝刀」を確保するまでには若干の経緯があった。今となっては歴史のくずかごに埋もれてしまったことではあるが、掘り出してみることにしよう。

 憲法には解散の根拠となる条文が2箇条置かれている。第7条第3号と第69条である。

 第7条は「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う。」となっており、その第3号に「衆議院を解散すること。」とされている。
 第69条は「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に解散されない限り、総辞職をしなければならない。

 上記の2箇条をめぐって、どのような場合に解散ができるのかについて争いがあった。

 1948年7月、芦田均首相の率いる芦田連立内閣(民主党・社会党・国民協同党)は、昭和電工疑獄事件のあおりで断末魔の時を迎えていた。「朝日新聞」の世論調査では、内閣支持率は16%、不支持率は52%と、惨憺たるものであった。さすがにGHQ民政局のテコ入れもきかず、同年10月、芦田内閣は総辞職した。GHQ民政局は中道政権に未練を見せ、第二次芦田内閣樹立を画策したが奏功せず、民主党からの大量離脱、連立瓦解により、政権は、第一党・民主自由党を率いる吉田茂に転がり込んだ。ここに、第一党とはいえ少数与党の吉田民自党内閣が誕生した。

 吉田民自党内閣は国民に歓迎された。同年11月の「読売新聞」世論調査では、内閣支持率は47%、不支持率は20%と、上げ潮状況と見られた。そこで同年12月、吉田首相は、政権基盤を固めるために、早期の総選挙を実施するべく日本国憲法施行後初めての解散にうって出ようとした。

 このとき吉田首相は、憲法7条第3号により、内閣、即ち内閣総理大臣が解散を決定する権限があると考え、それに基づいて解散をしようとした。ところがこれに対し、GHQ民政局から横やりが入った。憲法の解釈として、解散は憲法69条によって衆議院において内閣不信任案が可決された場合もしくかは内閣信任案が否決された場合だけであるとのお達しが出たのである。

 そこで吉田首相は、わざわざ衆議院で不信任案を可決させ、それをまって解散を行わざるを得なかった。かくして1948年12月の解散は、世に「馴れ合い解散」と言われることになる。それに基づき実施された1949年1月の総選挙は、次の当選者数が示す如く、民自党の圧勝であった。

民自党  264名(解散時比112名増。定数466名の過半数を大幅に超える。)
民主党   69名
社会党   48名
共産党   35名
その他   50名

 政権基盤を固めた第三次吉田内閣は、再軍備の開始、講和条約と旧安保条約の締結、朝鮮戦争の特需の下での経済復興など、戦後政治の骨格を形成していくことになる。

 この第三次吉田内閣の時代、晴れて「独立」を達成した後の1952年8月、吉田首相は、今度は、自ら解散権を行使し、憲法第7条3号に基づいて衆議院を解散した。これを世に「抜き打ち解散」という。おそらくは「伝家の宝刀」なる政界用語が使われるようになったのはこのことが機縁となったようだ。

 しかし、これにはクレームがついた。苫米地義三民主党衆議院議員が、解散できるのは憲法69条の場合に限られ、憲法7条3号に基づいてなされた本件解散は、憲法の条項に違反し無効であるとの論拠で、国に対し、衆議院議員としての歳費等の支払いを請求する訴訟を提起したのである。

 簡単に裁判経過を述べておこう。

 一審・東京地裁は、1953年10月19日、憲法69条の場合以外に解散は認められないとの苫米地氏の主張は排斥したが、憲法7条3号に基づく本件解散は、内閣の助言と承認を欠いているとして、結論において違憲無効とし、国に対し、過去の歳費等の支払いを命じた。

 二審・東京高裁は、解散が出来る場合は憲法69条に限定されず、憲法7条3号に基づく解散も認められるという点は一審と同じ判断、憲法7条の内閣の助言と承認は、本件解散においては閣議決定がなされたことが認められるので、これにより満たされると判断、一審判決を取り消し、請求棄却とする逆転判決であった。

 上告審・最高裁は、1960年6月8日、大法廷判決により「現実に行われた衆議院の解散が、その依拠する憲法の条章について適用を誤つたが故に、法律上無効であるかどうか、これを行うにつき憲法上必要とせられる内閣の助言と承認に瑕疵があつたが故に無効であるかどうかのごときことは裁判所の審査権に服しないものと解すべきである。」として、いわゆる統治行為論によりつつ、上告を棄却した。
 なお本判決には多数意見として、付加的に、解散は憲法69条の場合に限定されないこと、本件においては憲法7条所定の内閣の助言と承認があったと認定している。

 「抜き打ち解散」によって行われた総選挙では、吉田首相の率いる自由党吉田派は199議席得て第一党を維持し、第四次吉田内閣を組閣したものの、左派社会党、右派社会党が大きく伸び、政権基盤は弱まった。

 解散にはいろいろ面白い呼び名がつけられている。第四次吉田内閣が行った解散は「バカヤロー解散」、第二次中曽根内閣は「死んだふり解散」、最近では第一次森内閣の「神の国解散」、小泉内閣の「郵政解散」があった。今では内閣総理大臣の「伝家の宝刀」に憲法上疑義が出されることはないだろうが、政治的には濫用だとして争われ得ることは当然だ。今回の解散は「安倍自己チュー解散」と呼ぶ報道もある。これは濫用のケースであろうが、国民にとっては安倍政権にノンを突きつける絶好の機会でもある。(了)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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