命のせんたく

 11月21日絶好の日和に誘われて、一日、命のせんたくをしてきた。

 この日午後、衆議院解散となり、いよいよ安倍政権・悪政の2年間を問う選挙戦が始まった。いつ見てもぶざまで、没知性のきわみともいうべき万歳三唱が行われているころ、私は、高雄・神護寺に向かう山中に居た。

 嵐山の雑踏を抜け出し、北嵯峨野のはずれ、竹林の中にたたずむ直指庵の東に流れる沢に沿って山道に分け入る。行けども行けども、人一人いない険しい山道、40分ほど登り、ようやくへばりかけた頃に、急に視界が開けた。そこが急峻な登り道の終わるところであった。なんとそこに、昼食弁当中の中年女性二人組がいるではないか。人一人いない、まるで山賊にでもでくわしはしないかというような場所で、思いがけず人に出会ったものだから、つい多弁になり、45年前に一度来たことがあるのですが、全く道を覚えていなくて四苦八苦しました、とつい余分なことまでしゃべってしまった。あとで思い出して赤面の至りだ。
 聞くとそこは京見峠と言うそうだ。こちらで見るときれいですよと親切な誘いに図々しくも素直に応じて、行ってみると、確かにきれいだった。晩秋の嵯峨野一帯、そこからさらに南の方に京の町が遠望できた。
 礼を言いつつ先を急いだ。あとは下り坂、30分ほどで菖蒲谷に到着。池畔に一軒だけあった食堂で遅い昼食をとる。夫婦で店を切り盛りしているのだが、行楽シーズンにもかかわらず、閑古鳥が鳴いているようだった。そんなわけでここでもひとしきり話し込む。やはり人間は、コミュニケーションなしではやっていけないようだ。45年前に来たときのことを思い出し、丁度目の前を走っている嵐山高雄パークウェイは、その頃工事中だったと話すと、奥さんが、感慨深そうに、そのころ私は中学生でしたとおっしゃる。歳はバレバレである。
 さらに先を急ぐ。また30分余り山の中を歩いて、ようやく高雄に到着。このころになると流石の健脚も、かなり悲鳴をあげていた。神護寺に行ったことがある人ならおわかりだろうが、そこから神護寺境内までは、心臓破りの石段がある。余力がなくなった足には、これがこたえた。紅葉を見るふりして何度も立ち止まった。勿論、紅葉はきれいではあったが、それよりも足の痛みがきつくて、とてもそれを愛でている状態ではなかった。

 神護寺は、和気清麻呂が創建した高雄山寺に始まり、源平末期、寿永3年(1184年)、荒れ放題であったのをあの文覚上人が再興したということである。平家物語をひもとくと、次のような一節がある。

 「後には高雄といふ山の奥に、おこなひすましてぞいたりける。かの高雄に神護寺といふ山寺あり。昔称徳天皇の御時、和気の清丸が建てたりし伽藍也。久しく修造なかりしかば、春は霞にたちこめられ、秋は霧にまじはり、扉は風にたふれて落葉の下にくち、甍は雨露にをかされて、仏壇さらにあらはなり。住持の僧もなければ、まれにさし入る物とては、月日の光ばかりなり。文覚是をいかにもして、修造せんといふ大願をおこし、勧進帳をささげて、十万旦那をすすめありきける程に・・・」

 これが治承3年(1179年)の清盛のクーデタのころのこと。やがて文覚は、捕らえられ、伊豆に流される。勧進にかこつけて、平家政権に対する不穏な風説を流す怪しからん悪僧だというわけである。

 「『あっぱれこの世の中は、只今乱れ、君も臣もみなほろび失せんとする物を』なんど、おそろしき事をのみぞ申しありくあひだ、『この法師、都にをひてかぬうまじ、遠流せよ』とて、伊豆の国へぞ流されける」

 その伊豆で、頼朝と出会い、懐から布に包んだ頼朝の父義朝の髑髏だというものを取り出し、頼朝に、これを見せて、決起を促したのは余りにも有名な話である。

 「さる程に兵衛佐殿へ常は参って昔今の物がたりども申してなぐさむ程に、或時、文覚申けるは、『平家には小松の大殿こそ、心もこうに、はかり事すぐれておはせしか、平家の運命が末になるやらん、こぞの8月薨ぜられぬ。今は源平のなかに、わとの程将軍の相持ったる人はなし、はやはや謀反おこして日本国従へ給へ』
 「文覚重ねて申けるは「『天の与ふるをとらされば、かへって其のとがをうく。時いたっておこなはざれば、かへってそのわざわいをうく』という本文あり。かう申せば、御辺の心をみんとて申なんど思ひ給ふか。御辺に心ざしのふかい色を見給へかし」とて、ふところよりしろいぬのにつつんだる髑髏を一つとり出す」
 「『これこそわとのの父、故左馬頭殿のこうべよ。・・・・・』」

 文覚上人のような激越な決起の呼びかけは、今の時代、受け入れられないだろう。しかし、必要なときに立ち上がらないと、「天の与ふるをとらされば、かへって其のとがをうく。時いたっておこなはざれば、かへってそのわざわいをうく」は、今もあてはまる。もって銘すべしである。  (了)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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