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再び考える在日朝鮮人・韓国人差別

 韓国併合後の朝鮮からの渡航者第一波(1922年まで)の状況については、昨日の記事に示しておいた。渡航朝鮮人は、第一次世界大戦後の反動不況の中で、内地国民、中でも底辺労働者、職人層、雑業層から、鬱積する不満の捌け口として、敵視、蔑視、危険視され、差別、偏見の対象とされていく。やがて、それは暴発する。1923年9月、関東大震災後の朝鮮人大量虐殺がそれである。それは、軍・警当局者の誘導はあったにせよ、暴発する下地は既に準備されていたのだ。

 しかし、1920年代後半になると朝鮮からの渡航者は、第一波よりも一層大きな波となって押し寄せる。1920年代、わが国政府と朝鮮総督府は、内地の食料不足を解消するために、朝鮮を内地の食糧庫と位置づけ、米の増産計画を実施する。それは小規模農地を耕地整理によって大規模化し、生産性をあげることにより米の産出量を増大させるというもので、ここでも再び農民は土地から分離される。それだけではなく、収穫された米は内地へ移出され、朝鮮では、人びとは「外米」と「満州栗」を主食とすることになる。かくして朝鮮では人びとがあぶれ、半ば難民のようにして内地へ押し寄せてくる。1920年代後半には年間ほぼ十万人から十数万人を数えたとのことだ(成田龍一『大正デモクラシー シリーズ日本近現代史④』岩波新書)。

 内地へ渡航してきた朝鮮人は、多くは低賃金・3K労働に従事する最下層労働者として、都市周縁部に集団をつくって居住していた。そして苦しい、厳しい生活を、同胞たちの助け合いにより、なんとかしのいでいたのだ。

 そうした人たちも、1925年3月に成立した衆議院議員選挙法改正法(いわゆる普通選挙法。「25歳以上の帝国臣民男子」は選挙権を有し、「30歳以上の帝国臣民」は被選挙権を有することになった。)によって、選挙権・被選挙権を得ることになったと聞くと驚く人が多いかもしれない。

 内地に居住する外地籍臣民の選挙権・被選挙権については、以前から議論されてきたが、結論が得られていなかった。しかし普通選挙法において、内地で同一住居に1年以上居住していたとの居住要件を満たす外地籍臣民については、内地籍臣民と等しく選挙権・被選挙権が付与されることになったのであった。

 1928年2月20日、普通選挙法に基づく最初の選挙が実施された。このとき選挙権を認められた外地籍臣民は、朝鮮人が8府県で9983人(うち東京で1085人)、台湾人が約150人(東京)であったとのことである(成田・前掲)。

 内地に居住する朝鮮人、台湾人の選挙権・被選挙権は、社会においては大きな議論となることはなく、なんの葛藤ももたらすこともなく受け入れられていった。そのことは次の実例に見るとおり、立候補者が朝鮮人有権者に秋波を送っていた事実に端的に見ることができる(有馬学『帝国の昭和 日本の歴史23』講談社学術文庫)。

 福岡県田川郡を地盤とする社会民衆党・社会大衆党の亀井貫一郎は、4回、衆議院議員に当選している。彼の選挙用名刺には、ハングルのルビがふってあった。同地域にまとまって居住する朝鮮人有権者の票獲得のためである。

 東京都知事枡添要一氏の父君は、福岡県若松市の市会議員をしていた。彼が1930年の市会議員選挙に立候補したときの選挙ポスターが残されている。それには氏名にハングルのルビがふられている。ことほどさように朝鮮人有権者の票が欲しかったのであろう(地方議員の選挙にも普通選挙法は準用された)。

 普通選挙法では、女性の選挙権・被選挙権は認められていない。そのことだけを捉えるならば、内地に居住する朝鮮人、台湾人(男性)は、内地籍女性よりも一歩ぬきん出ていたということがいえるかもしれない。だが、やはりそれは決して朝鮮人に対する敵視、蔑視、危険視が消え去り、彼らに対する差別、偏見がなくなったことを意味するものではなかったことは、その後の歴史が証明している。

 たとえば、ずっと後、戦後のことになるが、吉田茂首相は、ダレスとの講和条約に関する交渉に際し、ダレスから、講和条約の当事者として韓国を加えるかどうか打診されたとき、「在日朝鮮人は非合法活動をしており、日本政府はこれを憂慮していること」、「日本政府は在日朝鮮人を本国へ送還することをマッカーサーに申し出たがマッカーサーが反対したこと」、「下山事件の犯人は朝鮮人だと確信していること」など、まるで見当違いの理由をあげて、これに反対をした。日本のトップであった吉田首相にして、これだけ非合理的、エモーショナルな差別の虜になっていたのである(古関彰一『「平和国家」日本の再検討』(岩波現代文庫)。
 一般国民が、根深い差別と偏見を表出した事件やそれが原因となった事件は、星の数ほどあることは周知のとおりである。

 現代のヘイト・スピーチは、差別と偏見の居直りバージョンである。  (了)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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