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戦争責任追及の不徹底がもたらしたもの

 わが国の政治には美しさがない、というよりはっきりいって醜い。それは、一つには、政治家、特に保守的政治リーダーたちの無節操、無責任、廉潔性の欠如に原因があるようだ。

 わが国の保守的政治リーダーたちの無節操、無責任、廉潔性の欠如は一体どこから来ているのであろうか。これは保守的政治家の遺伝子ともいうべきものに由来するもので、彼ら子々孫々に連綿と受け継がれてゆくべきものなのであろうか。

 私は、これは、アジア・太平洋戦争にかかわる戦争責任の処理に起因する特殊要因が大きく影響しているように思う。昭和天皇は勿論、戦後の保守的政治リーダーたちのひな型を形成した人たちの多くは日本国民の手によって、戦争責任を厳しく追及されるべき人たちであった。

 戦争責任は、ほんのひとにぎりの軍人、政府当局者、軍国主義者もしくは超国家主義者に対する勝者の、勝者による、勝者のための裁きというかたちで処理されてしまった。そこにおいては国際法の理念である正義、公正は無視され、プラグマティックな考え方がまかりとおり、超大国の政治的打算が優先された。そして実に残念なことではあるが、日本国民の手による戦争責任の追及は不発に終わってしまった。

 極東軍事裁判及び日本の旧占領地において行われた裁判によって裁かれた人たちは、ただ運が悪かったのだ、これは単なる敗戦国の戦勝国に対する通過儀礼としてやむを得なかったのだ、と、裁きを免れた夥しい数の戦犯容疑者や戦犯候補者たちは、そう叫んだ。そしてわが国民も、「一億総懺悔」論なる国民への責任転嫁のめくらましに幻惑されて、彼らのそうした叫びをなんとなく受け入れてしまい、彼らを戦後の保守的政治リーダーとして認知してしまったのである。

 戦争責任については、既にあまたの歴史家、政治学者、思想家が論じている。私は、最もこれを誠実に、精緻かつラジカルに論じているのは、家永三郎『戦争責任』(岩波現代文庫)であると思う。家永先生は、まずは昭和天皇の戦争責任を解明し、ついで日本国家と戦争開始・継続時の諸決定に関与した当局者とこれを推進した文武の諸官、学者、政治家、思想家たちの被占領諸国、交戦諸国及びこれら諸国の人民、並びに日本国民に対する戦争責任を明確にする。さらに同時代の一般の日本国民と現代の日本国民の戦争責任とその責任のとり方についても論及している。家永先生の鉾先は、連合国諸国にも及び、それら諸国の戦争責任も決してうやむやにはしない。是非一読をされたい。

 ことを極東軍事裁判に限って、不条理の数々を見ておこう。

 第一に、天皇の戦争責任は、いちはやく追及圏外に置かれてしまった。米国の戦時における心理作戦(戦争戦術の一環としての情報・諜報作戦)の最重点は天皇の利用であったが、それが占領下においてGHQ・マッカーサーの手で発動されたのである。

 第二に、GHQが逮捕した戦犯容疑者は、起訴された28名のほかに少なくとも50名が巣鴨プリズンに収用もしくは一部自宅拘禁され、第二次起訴を待つ身であった。ところが1947年8月~10月にかけて、国際検察局は、早々と真崎甚三郎、鮎川義介、正力松太郎ら31名の起訴を諦め、彼らを釈放してしまった。残り19名の中に、「革新官僚」で戦時の閣僚に就任した岸信介、安倍源基、後藤文夫らや豊田副武、児玉誉士夫、笹川良一らの名前が確認できる。極東軍事裁判は、1948年12月12日、28名の被告中、途中死亡した松岡洋右と永野修身、精神障害により免訴となった大川周明を除く25名に対し、死刑7名(東条英機、広田弘毅ら)、終身禁固16名という重刑を科する判決で終わり、同月23日、7名に対する絞首刑が執行された。くだんの19名の容疑者らは、なんとその翌日全員釈放された。なんというクリスマス・プレゼントであろうか。

 極東軍事裁判の不条理はこれだけのことではなかった。第三に、免責の特典を得た昭和天皇は、1951年4月、マッカーサーとの最後の会見で、「戦争裁判に対して貴司令官が執られた態度に付き、この機会に謝意を表したいと思います。」と述べた。あっと驚くなんとかである。昭和天皇は、一体、どういうことに謝意を表したのであろうか。

 第四に、これまたあっと驚くなんとかであるが、岸信介が総理大臣に就任してまっさきにやったことは、終身禁固刑を受けて仮出所中のA級戦犯10名の赦免要求であった。

 サンフランシスコ講和条約11条は以下のように定めている。

 「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が科した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を科した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基づく場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基づく場合の外、行使することができない。」

 この赦免規定を活用して、岸は、かつての巣鴨プリズンの仲間たちの救済を図ったのである。この頃になると米国も、日本はアジア太平洋戦略の有力なパートナーである。多少の無理もきいてやらねばならない。岸が駐日米国大使に要求をしたのが1957年5月1日、米国は、早速かつての連合国の了解を取り付け、翌1958年4月7日付で、わが外務省に対し、終身禁固刑は「服役した期間まで刑を減刑する」との赦免決定を送付してきたのである。なんとお手軽な終身禁固刑であろうか。赦免を受けた人たちの中には、後に、自民党代議士となり、池田内閣で法務大臣をつとめた賀屋興宣がいた。

 こうした戦争犯罪の処理が、国民各層にモラル・ハザードをもたらしたのである。とりわけわが国の保守的政治リーダーにおいて、それは顕著であった。 (了)
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尻尾が頭を振り回すようなことがあってはならない

 去る11月25日、「土井たか子さんお別れの会」において、河野洋平氏は、弔詞の中で、次のように述べた。

 「細川護煕さんと2人で最後に政治改革、選挙制度を右にするか、左にするか、決めようという会談の最中、議長公邸にあなたは呼ばれた。直接的な言葉ではなかったけれども、「ここで変なことをしてはいけない。この問題はできるだけ慎重にやらなくてはいけませんよ」と言われた。あなたが小選挙区に対して非常な警戒心を持たれていた。
 しかし、社会全体の動きはさまざまな議論をすべて飲み込んで、最終段階になだれ込んだ。私はその流れの中で小選挙区制を選択してしまった。今日の日本の政治、劣化が指摘される、あるいは信用ができるかできないかという議論まである。そうした一つの原因が小選挙区制にあるかもしれない。そう思った時に、私は議長公邸における土井さんのあの顔つき、あの言葉を忘れることができません。」

 1994年1月、当時、下野した自民党の総裁だった河野氏は、細川護煕首相とのトップ会談で衆院の小選挙区比例代表並立制の導入に断を下した。そのとき衆議院議長だった土井氏を議長公邸に訪ねた際に、慎重な検討を求められたにもかかわらず強行してしまったことについて、悔恨の思いを表明したのである。

 今回の衆院選において、自民党は、小選挙区において、得票率は48.10%、対有権者比の得票率(絶対得票率)はわずか25.32%に過ぎないのに、小選挙区総議席295のうち、223、比率にして75.59%も獲得している。
 小選挙区制は、このように民意とかけ離れた議席を多数党に与えてしまうのであり、不公正極まりないものといわねばならない。

 今回の総選挙の前評判は一強多弱であったから、有権者は、選挙をする前から結果を予測し、わざわざ投票所に足を運んでも大勢は動かないと達観し、投票しない傾向が表れる。そのことが、戦後最低だった前回2012年12月総選挙の投票率59.32%を大幅に更新し、わずか52.66%の低投票率をもたらした主たる要因であろう。
 小選挙区制は、このように有権者の選挙離れを促進し、民主主義を危殆に陥れる。

 さらに小選挙区制は膨大な死票を生み出し、死票にしかならない少数政党の支持者を選挙から放逐し、少数政党を淘汰してしまう。これもまた民主主義に危機をもたらす。選挙を通じて、自己実現をすることができなければ、少数政党は議会外の過激な大衆行動や場合によっては非合法活動に走ることになり、社会的緊張と不安が進行する。

 小選挙区制導入に決着したのは、1994年3月のことであった。前年11月に細川連立政権与党案が衆議院で可決されたものの、1994年1月に参議院で否決され、両院協議会にもつれこんだ。連立与党側にも自民党側にも多数の造反者が出た。結果は全く予測できない状況にあった。そこで細川、河野トップ会談により、連立与党案の修正合意を成立させ、両院協議会で可決、さらに衆参両院本会議で可決されるという顛末をたどったのであった。

 河野氏は、このときのトップ会談で合意をし、小選挙区制導入に道を開いてしまったことを、今、誤りであったと自己批判をしているのである。

 当時、小選挙区制推進派は、

 「中選挙区制は政策上の差異のない同一政党内の議員同士が相争うことになるため、政策の争いではなく地元への利益誘導合戦により選挙の勝利を得ようと図ることになってしまう」
 「一部の地元利益団体と繋がることによって多数の有権者の支持を得ずとも当選が可能となる」
 「小選挙区制を導入すれば各政党は一人の候補しかたてられず、他党候補者との政策の争いにすることができる」
 「投票者の半数近くの票を得なければ当選できないために、利益誘導ではなく、一般市民の利益を優先する争いになる」
 「政権交代が容易になる」

などと小選挙区制のメリットを強調した。

 野党である自民党は勿論、細川連立政権与党も、各党矛盾、対立をかかえながらも、大手マスコミ、一部政治学者らが一体となった政治改革(小選挙区制促進)キャンペーン、反対派には守旧派なるレッテルはりをして反対運動の足を鈍らせるなど、ありとあらゆる策動によって、小選挙区制は導入されてしまったのであった。

 さて今に立ち戻ろう。12月21日・日曜日の「朝日新聞」に、長谷部恭男早稲田大学教授(憲法学)と杉田敦法政大学教授(政治学)の対談が載っている。その中で、長谷部氏は次のように述べている。

 「有権者の思いとは関係なく、政権交代は必要です。自らの権威主義的な体制の方が効率的だとアピールする中国に対して、日本が『我々の政治システムの方が優れている』というためには、政権交代がないといけない。」

 そこで私は長谷部氏に問いたい。あなたは小選挙区制についてどう考えるのかと。長谷部氏の論は、政権交代が必須である⇒そのためには人為的にでも政権交代をもたらすシステムをつくらなければならない⇒小選挙区制は維持するべきだとつながっていくことになるからだ。

 政権交代を人為的に作り出す小選挙区制の破綻は明白である。民意を公正に反映する選挙制度への転換を急ぐべきだ。それでないとわが国の民主主義は死に至る。政権交代は、民主主義が生きて、機能している限り必ずできる。尻尾が頭をふりまわすようなことがあってはならないのだ。(了)

このようにして財界の政治支配は確立された

 わが国の戦後政治史において、米国の対日政策がわが国の政治に決定的影響を及ぼしてきたことはいうまでもないことである。とりわけ占領下においては、米軍を主体とするGHQの権力は絶対的であったから、そのことは顕著であった。

 占領初期には、米国の対日政策は、米英ソ中が協調のシンボルともいうべきポツダム宣言に基づいて、わが国を徹底的に改革することに主眼が置かれた。軍国主義の一掃と軍事力の徹底的解体、政治、経済、社会の徹底的民主化、超国家思想・神道・天皇崇拝の打破と基本的人権の確立などやつぎばやに推し進められた。これらはわが国指導層や一般国民から、ほとんど反発、抵抗を招くことなく、むしろ歓迎されたといってもよい。

 1947年3月、トルーマン米大統領は、米国両院合同会議で、「最近、世界の多くの国の国民が己の意に反して全体主義体制を強制された。ポーランド、ルーマニア、そしてブルガリアにおける、ヤルタ協定違反の強制と脅迫に対し、合衆国はたびたび抗議してきた。他の多くの国においても同様の事態が起こっていることを、私は述べておかねばならない。」と、ソ連を激しく非難し、共産主義者勢力との内戦状態にあるギリシャとその隣国のトルコへの軍事援助を実施することを発表し、ソ連との対決路線を鮮明にした(「トルーマン・ドクトリン」)。

 これがソ連封じ込め・冷戦政策への転換の狼煙であった。この前後ころから米国の対日占領政策に変化の兆しが表れはじめたが、その転換がはっきりと示されるようになったのは、1948年10月、第二次吉田内閣成立のころからと見てよいだろう。吉田は、米国の冷戦政策の忠実な追随者であった。

 米国は、まずポツダム宣言に基づいてわが国を改革するという目標はほぼ達成されたとして、わが国の経済復興に重点を置くようになる。もっとも、この点は、実業界から陸軍次官に就任したウィリアム・ドレーパーが、既に1947年9月に来日した際に、占領目的を「改革」から日本の経済的自立化へと転換するべきだと述べているので、その前後から徐々に進んできており、第二次吉田内閣期において一気に加速されたと見るべきであろう。
 それが最も明確な姿をとって見せたものが、いわゆるドッジラインである。

 ドッジラインで知られるジョゼフ・ドッジは、デトロイト銀行の頭取であったが、トルーマン大統領からその手腕を見込まれて、日本経済の復興の指南役に抜擢された。ドッジは、早速、日本経済の復興策として、経済安定九原則を策定し、1948年12月、GHQを通じて日本政府に示された。経済安定九原則とは以下のとおりである。

① 歳出の削減による均衡予算の達成
② 徴税の強化
③ 金融機関による融資抑制
④ 賃金安定計画の立案
⑤ 物価統制の強化
⑥ 外国貿易・為替の統制強化
⑦ 配給制度の効率化
⑧ 国産原料・製品の増産
⑨ 食料統制の効率化

 ドッジは、1949年3月、来日し、GHQ経済顧問の資格で、日本政府に対し、経済安定九原則の実施を指示・指導した。ドッジは来日時の記者会見で「日本の経済は両足を地につけていず、 竹馬にのっているようなものだ。 竹馬の片足は米国の援助、他方は国内的な補助金の機構である。 竹馬の足をあまり高くしすぎると転んで首を折る危険がある。」と述べたが、日本政府に迫ったのは第一に予算均衡・健全財政の実現、第二に各種補助金の全廃、第三に復興金融公庫の新規貸し出し全廃で、まさに有言実行であった。

 ドッジラインにより、資金繰りが困難になった多くの企業が整理され、行政機関職員定員法の厳格な実施がなされ、多数の民間労働者、官公労働者が首切りされた。これにより労働争議が頻発した。不景気と下山事件、三鷹事件、松川事件などが続き、社会不安が亢進した。

 しかし、その厳しい時期が過ぎると、既に、GHQ、政府、資本の総力をあげた弾圧・攻撃、レッドパージと労使協調派の育成により労働組合の力は著しく弱体化し、その一方で日本経済は確実に復興を遂げ、財界は自信と力を取り戻した。その延長線上に、1950年6月に勃発した朝鮮戦争は、朝鮮特需を呼び、日本経済と財界は疾風怒濤の時代を向かえた。

 こうして自信と経済的力を取り戻した財界は、日本の政治を左右する力をも回復した。吉田政権期は、今日に至る財界の政治支配確立の濫觴であった。

 1951年1月25日、財界8団体(経団連、日経連、日本商工会議所、経済同友会、日本産業協議会、金融団体協議会、日本貿易会、日本中小企業連名)は、来日中の米国特使ジョン・フォスター・ダレスに対し、政府を飛び越えて、以下のごとき「講和条約に関する基本的要望書」を提出した。

(1)確固たる国連の集団的安全保障を与えられたい。
(2)集団的安全保障が確立するまで米国が日本をあくまで防衛することを確約されたい。(3)なお、それまで日米相互の協定による米国軍の駐兵を希望し、そのために必要な基地は提供する。
(4)日本として国土防衛に必要な最小限度の防衛組織を樹立する用意がある。ただし装備については米国の強力な援助を待ちたい。
(5)防衛組織は日本側の完全に自主的な機構とする。

 吉田政権が、ためらいつつ試行錯誤繰り返していたことを、ズバッとダレスに要望し、吉田政権を引っ張って行ったのである。財界による政治支配確立の嚆矢といってよいだろう。(了)

国際的な平和協力活動における武器使用の自己矛盾

 7.1集団的自衛権行使容認閣議決定は、「2 国際社会の平和と安定への一層の貢献」と題する項の中で、以下のように述べている(要旨)。

・ 国際的な平和協力活動において、「国家又は国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場しないことを確保した上で、「任務遂行のための武器使用」(従事する国際的な平和協力活動の任務遂行を武装勢力が妨害するとき、武器を使用してこれを排除すること)及び「駆けつけ警護」(離れた場所にいる他国要員、国連職員、わが国のNGO職員等が武装勢力に襲撃されたときに、駆けつけて武器を用いて警護すること)を認める。

・ 他国に在留する邦人がテロ等の緊急事態に巻き込まれ、これを当該他国の同意を得て自衛隊を派遣し、救出活動をする場合に、警察的な活動の範囲で武器使用を認める。
 
 憲法9条の下では自衛隊の海外派兵は禁止されている。これは「自衛権行使三要件」の一つの適用例であった。しかし、わが国政府は、武力の行使を伴わない形態ならば海外派兵ではないとして、「武力の行使と一体化」しないとの要件や「PKO参加5原則」の枠組みにもとづくものであれば、武力行使を伴わないので海外派兵ではなく海外派遣だとして、自衛隊を海外に送り出してきた。

 本閣議決定は、自衛隊が派遣された国において、相手方が、「国家もしくは国家に準じる団体」ではく、単なる犯罪集団に過ぎない場合には、その犯罪行為を制圧するのは警察的活動であり、武力の行使にあたらないという解釈のもとに、武器使用も可能にする道を開くことを企図している。

 本閣議決定は、従来の政府見解を大きく踏み外し、現場の実情を無視するものである。本閣議決定を現実化し、実行に移すと、派遣自衛隊を武力衝突に導くだけではなく、警護対象者や救出対象者を戦闘に巻き込んでしまう危険性が大であり、撤回することを強く求めなければならない。

 その理由の第一は、他国におけるテロ集団等が、単なる犯罪集団に過ぎないのか、あるいは「国家もしくは国家に準ずる団体」なのか、判然としない場合が多く、客観的判断基準がないことである。とりわけ非正規民兵のような武装集団は一般民衆の中に、一般民衆と同様な姿で立ち現れることが多く、単なる犯罪者もしくは犯罪集団として武器使用して制圧しようとしたところ、突如、大規模部隊が反撃をしてくるという事態も想定される。

 たとえば2011年にスーダン共和国から南スーダンが独立した当時、及びその後南スーダンにおいて内乱が発生した当時、現地で活動していた日本ボランティアセンター(JVC)に属するNGOメンバーは以下のように述べている(『世界』2015年1月号所収の谷山博史『紛争現場からの警鐘 「集団的自衛権」へのNGOの反論』)

 「私が緊急退避を行った際の状況は、政府軍と反政府軍とがともに民兵を動員し、正規兵、非正規兵の区別が曖昧な中で戦闘が行われていました。明確な指揮系統はなく、市内では戦闘と同時に、『兵士』が商店や住宅に押し入り『敵兵』を探索しながら、破壊や略奪行為が行われていました。誰が破壊・略奪を行っているかもよく分からないまま、危険はNGOや国連の施設にまで迫っていました」

 「武装した住民を含む多様な勢力が離合集散、時に『寝返り』を繰り返し、敵味方の識別も難しい紛争の現場において、果たして自衛隊が戦闘に巻き込まれずに『駆けつけ警護』をすることが現実に想定できるでしょうか。『武装勢力』と『銃を手にした住民』とをどう区別するのでしょうか。現場で対峙した相手が、その国の正規軍の制服を着ていることもおあり得る話です」

 その理由の第二は、自衛隊の装備は、警察や海上保安庁の所持する武器とは、その威力、殺傷力において隔絶しており、自衛隊は実質において軍隊である。従って、自衛隊が、部隊を形成して、武器使用することは、武力の行使に該当すると判断される場合が多いということである。

 その理由の第三は、自衛隊が武器を携行して他国政府の同意のもとに当該国に在留する邦人の救出におもむくとき、他国政府と対峙するテロ集団等は、自衛隊は敵対する政府と一体をなすものとみなされ、かえってテロ集団の武力攻撃を誘発することになる。
 この点について上記NGOメンバー、次のように報告している(同上)。

 「南スーダンの戦闘では、隣国のウガンダが『在留ウガンダ人の救出のため』と称して部隊を派遣。その後『政府軍』の同盟軍として戦闘当事者となり、『反政府軍』への攻撃を開始しました。このことは、『反政府軍』を支持する人々の間に、ウガンダ人への強烈な敵対感情を呼び起こしました。一部の地域では住民が在留ウガンダ人への襲撃を開始、多くのウガンダ人が国連施設に保護を求めました。『自国民を救出する』名目の軍隊の派遣が逆に自国民を危険にさらすことになり、結果的には多くのウガンダ人が、自国の軍ではなく中立的な国連を頼ることになったのです」

 武力や武器に頼る平和協力活動は、平和協力ではなく、かえって敵対と戦闘に端を開いてしまう。これは自己矛盾である。NGOメンバーは、「私たちを警護するために武器使用を認めるようにすることは、むしろそれはわが国の平和ブランドと現地住民の信頼を毀損し、NGOの活動を困難にすることになる」と指摘している(同上、『世界』10月号所収の原文次郎『武力行使で平和がつくれるか 「対テロ戦争」の現場から』)。安倍首相ら、武器・武力信奉者は、思い込みが激しすぎる。もう少し現実を見るべきである。(了)

※ 本閣議決定の上記部分は、現行法上認められている国連の平和維持活動(PKO)協力活動にとどまらず、広く国際平和協力活動を対象としており、この点においても自衛隊の活動範囲を広げることを企図している。この点も看過できない問題点であることを指摘しておく。

情報監視審査会は国会の変質をもたらしている

 「特定秘密保護法」が施行されるのにあわせて、「情報監視審査会設置法」も施行され、同法に基づいて、衆参両院に情報監視審査会が設置されることになった。

 情報監視審査会の任務と権限は二つある。

 一つは、行政機関の特定秘密運用を監視し、必要があると認めるときは、行政機関の長に対し、運用を改善すべき旨の勧告をすることである。勧告をした場合、情報監視審査会は、行政機関の長に対し、勧告の結果とられた措置について報告を求めることができるとされている。
 もう一つは、国会の委員会(衆院の外務委員会や安全保障委員会、参院の外交防衛委員会など)や参院の調査会などからの要請を受けて、当該委員会等に対する特定秘密の提出の求めに行政機関の長が応じないことについて審査をし、必要があると認めるときは、行政機関の長に対して、当該委員会等に対し特定秘密を提出すべき旨の勧告をすることである。

 以上から明らかなように、情報監視審査会は、単に改善等の勧告ができるにとどまり、行政機関の長に対して、なんら強制力ある措置をとることはできない。

 情報監視審査会は、上記の任務を遂行し、権限を行使するため、必要があるときは行政機関の長に対し、特定秘密の提供を求めることができるが、行政機関の長は、特定秘密の提供に応じない理由を疎明し、情報監視審査会がこの理由を受諾すれば提供を拒むことができることとされている。行政機関の長が示した拒絶理由を受諾できない場合でも、情報監視審査会は、当該特定秘密の提出が我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがある旨の内閣の声明を要求できるにすぎず、当該特定秘密の提供をさせることはできない。結局、行政機関の長の特定秘密を提出しない理由に合理性がないと情報監視審査会が判断しても、行政機関の長は、特定秘密の提供を拒否できる仕組みとなっているのである。

 衆参両院の情報監視審査会は、それぞれ8名の委員により構成される。その8名の委員は、会派ごとの議席数の割合に応じて割り当てられることとなっている。このため情報監視審査会は、内閣を構成する与党会派の意向が強く反映される構成となり、内閣のもとにある行政機関の長に対する審査・監視機能が十分に発揮されるとは考えにくい。
 
 情報監視審査会が調査対象を把握する端緒として考えられているものは、たとえば有識者会議(情報保全諮問会議)の意見を付した上で政府から提出される毎年の報告(「特定秘密保護法」19条)、行政機関の長・職員、独立公文書監理官、情報保全観察室の職員や参考人から説明聴取、スタッフによる調査、国会の各委員会や調査会からの審査要請、行政機関の長が特定秘密の指定をした場合に作成することとされている「指定に関する記録」(同法3条2項)を取りまとめたものなどとされている。
 しかし、行政機関の内部者からの通報や広く国民から情報提供を奨励し、それを積極的に受け付ける窓口を設置することなどは全く想定されていない。
 これでは情報監視審査会は、掛け声倒れに終わる可能性が強い。

 これだけのことだけなら単に無益なだけでまだ我慢もできようが、もっとだいじなことは、情報監視審査会を設置することにより、逆に、秘密主義の横行と自由な議論の封殺、刑事罰の威嚇、プライバシーの侵害など、言論の府である国会のあり方に大きな害悪をもたらすことが危惧されることである。

 行政機関の長から情報監視審査会に対し、特定秘密が提供されても、特定秘密の閲覧できる者は情報監視審査会委員、各議院が議決で定める者、その事務を行う職員に限定される。

 情報監視審査会の事務に従事する事務局職員は適性評価を受け、特定秘密漏えい等の刑事罰が科されることになる(「特定秘密保護法」23条2項)。

 情報監視審査会委員である議員自身についても以下のように大きな負担を負う。

 議院における活動に関して特定秘密を漏らしても、免責特権の適用があるので刑事罰は科されないものの、議院における懲罰の対象にはなり得る。また議院における活動を離れて、例えば演説会や講演会あるいは記者会見で、特定秘密を漏らした場合には刑事罰を科される(同上)。

 本来、両院の会議は公開であり、秘密会の開催は、個別の案件ごとに、出席議員の三分の二以上の多数で議決した場合に限られている。これは広く会議を国民に公開することにより国会が国権の最高機関としての権限を果たせるようにした重要な原則である。
 会議公開の原則は、国会の魂であり、当然国政調査権の発動においても、可能な限り尊重され、保証されなければならない。ところが情報監視審査会は、常時、秘密会とされており、情報監視審査会委員以外の議員に特定秘密に関する情報が提供されることはない。情報監視審査会委員以外の議員は、そもそも情報自体に接する機会すらないために、ある特定秘密に関連する政府の政策決定の当否について、国会内で自由かつ闊達に議論することができなくなる。
 
 つい最近、国会において衆参各院に設置される情報監視審査会のための審査室の工事が行われた。しかしその工事の内容は秘密のヴェールに包まれている。審査室の場所さえ明らかにされておらず、どうやら盗聴電波などに対するシールドなど秘密防護の工事が進められているようだが、工事業者にもかん口令しかれているそうである。情報監視審査会事務局スタッフについても責任者以外の名前は明らかしないとのことである。名前を明かすとハニートラップで狙われるからだと説明されているそうだ。

 まるで国会内に秘密諜報部門が作られたような印象を受ける。特定秘密保護法によって国会の自殺行為が進んでいるようだ。(了)

国会議員の定数削減は民主主義の形骸化を進める


 民主主義という言葉を広辞苑でひくと次のように説明されている。

 「[民主主義] (democracy)語源はギリシャ語のdemokratiaで、demos(人民)と kratia(権力)とを結合したもの。すなわち人民が権力を所有し、権力を自ら行使する立場をいう。古代ギリシャの都市国家で行われたものを初めとし、近世において市民革命を起こした欧米諸国に勃興。基本的人権・自由権・平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその主たる属性であり、またその実現が要請される。」

 わが日本国憲法のもとでは、国民主権と、基本的人権を尊重・擁護するための立憲主義にもとづく政治システムと言い換えてもよいだろう。そのためには国権の最高機関たる国会が、国民の声を可能な限り公正・平等に反映できるように構成され、活発かつ真摯な議論を通じて十分な審議を行い、少数意見の尊重を図りつつ、最終的には多数決によって決することとするという制度設計がなされていなければならない。

 かつて、わが国において、衆議院議員選挙に小選挙区制を導入するに際し、二大政党制と政権交代、多数派による安定政権づくりのための「政治改革」として称揚され、それが唯一の選択肢であり、これに反対する勢力は改革を妨害する守旧派であるかのごとく、政権政党側とマスコミ及び政治学者らが一体となったキャンペーンが展開されて。だが、そのようにして導入された小選挙区制によって、得票率と獲得議席とが著しく乖離し、民意に反するとさえいえる安定多数政権が出現することになり、その一方で、大量の死票と棄権・白票の発生による少数意見と小規模政党の切り捨てが現実化した。そしてそれがもたらしたものは、大量の有権者の反選挙・非選挙志向であり、選挙のパロディ化であり、民主主義の危機である。
 
 今、この小選挙区制導入時に展開されたことと似通ったことが起こっている。それは「身を切る改革」と称されている国会議員の定数削減問題である。2年前、2012年11月14日、当時の野田首相は、安倍自民党総裁との党首討論で、次のように述べた。

 「定数削減は、2014年に消費税を引き上げる前に、まず我々が身を切る覚悟で、具体的に定数削減を実現しなければいけないと思っております。我々は、45削減をする、ゼロ増5減含めて、45減の法案を今日提出を致しました。是非、御党におかれても、元々マニフェストで、国会議員の1割削減と訴えてたはずじゃありませんか。衆議院議員は480です。1割削減だったら48、細田試案だって30削減言ってきた。何としても一票の格差と定数削減、これも今国会中に実現をする。それを是非お約束していただければ、今日、近い将来を具体的に提示をさせていただきたいと思います。」

 これを引き取って、安倍氏は、次のように応じた。

 「定数是正の問題、そもそもこの党首討論において、野田総理、総理は、憲法違反と言われている定数是正を先行させる、そう約束したじゃないですか。それをまた違えるんですか?確かに私たちも定数削減をしようとしていますよ。しようと思いますよ。定数の削減と、選挙制度の改正というのは、民主主義の土俵ですよ。なるべく多くの政党の皆さんが議論に参加をして、賛成できる環境を、たとえば議長が斡旋をして作ってくる、ずうっとこうやってきたではないですか。これが直ちに前に進まないから、まずはゼロ増5減、定数是正、そして憲法違反の状況を解消する。直ちに皆さんがこれに賛成すれば、もう明日にもこれは成立をしますよ。決断してください。」

 本年11月20日付「朝日新聞」社説は、このやりとりをとりあげて、定数削減の約束を安倍氏がしたのに、その後政権獲得するや、実行していない、重大な約束違反であると断じている。かつての小選挙区制導入について、「朝日新聞」は、旗振り役、急先鋒であった。編集委員(政治担当)としてその一端をになった石川真澄氏は、反省の弁を述べているが、「朝日新聞」としてはほうかむりしている。「朝日新聞」は今またその轍を踏もうとしているようだ。

 また自民、民主、公明、維新、次世代は、いずれも定数削減を公言している。たとえば本年11月23日に放映されたNHK「日曜討論」で、福山哲郎民主党政調会長が、「消費税を上げることに自民党、公明党の協力をいただいた。そのときに当時の安倍晋三自民党総裁は議員定数削減を約束したのに、全く音沙汰がない」と自民党に鉾先を向け、稲田朋美自民党政調会長が「確かに約束した。自公は30定数削減案を示した」と応えている。

 しかし、定数削減は、それだけ国会をやせ細らせ、国民の意思を反映するためのパイプを細くしてしまうことになる。民主主義が、天皇主権のもとでいまだ民本主義などとしかいえなかった時代、ようやく1925年に普通選挙法が制定され、1928年に普通選挙法による最初の衆議院議員選挙が行われた。このときの衆議院議員定数は466、議員一人あたりの人口は12.8万人であった。現在は、定数475、議員一人当たりの人口は26.7万人。はるかに国民の意思を反映するパイプは細くなっている。

 議員定数削減は、「身を切る改革」の美名のもとに民主主義を一層形骸化するものである。政治家が「身を切る」というなら、議員歳費の引き下げであり、政党助成金の廃止であろう。(了)

トマ・ピケティ『21世紀の資本』から見たアベノミクス

 トマ・ピケティ『21世紀の資本』( みすず書房)がようやく発売された。英語で通読する気力もないので日本語版の発刊を待ちわびていたが、Amazonで注文したところ、年末ギリギリの配達になるようだ。今度の正月にゆっくり読むことにしよう。

 未だ本書を読んでもいないのに、本書のことを書くのはおこがましいが、アベノミクスに関して、本書は、格好の批判の視点を提供していると思われるので、敢えてかくことにした。できればおおめにみて頂きたい。

 本書については、既に新聞、雑誌等で書評や批評がなされているし、解説本も何冊か発刊されているようだ。たとえば、『世界』8月号には赤木昭夫「ピケティ・パニック 『21世紀の資本論は予告する』が掲載されており、『経済』1月号には高田太久吉「『21世紀の資本論』を読む」が掲載されている。いずれも簡にして要を得た批評である。

 本書は、題名から連想されるマルクスの『資本論』とは、理論的にも方法的にも無縁である。たとえば『資本論』が説く「利子率の低下」を結果的には誤りであり、むしろ「利子率の上昇ないし高止まり」傾向を指摘しているようだ。
 『資本論』は、利子とは、機能資本家が貨幣資本家に支払う利潤の分割部分であり、利子率は、長期的には利潤の大きさに規制されるので、資本の有機的構成が高度化して一般的利潤率が低下するのに伴い利子率は低下する傾向にあると説く。もっとも、本書には、資本と賃労働の階級関係も、剰余価値の概念も利潤率の概念もないので、「利子率の低下」とはマルクス的に理解されたものではないと考えられる。従って上記の記述は『資本論』との切り結びを意図したものではないであろうと思われる。

 上記各論文によると、本書は、1820年代からの膨大なデータを整理して、次のようにまとめているとのことである。

① 成長率が低く、資本収益率が高いという組み合わせは、富の分配の不公平をもたらす。過去を通覧すると、総じて資本収益率は4~6%のレンジで変動し、成長率は1~2%のレンジで変動してきた。まさにこの組み合わせで推移してきた。従って、富の分配の不公平は一貫して続いている。
② 1930年代~1940年代においては、先進国で軒並み貧富の格差縮小が進んだ。これは1930年代の世界恐慌と世界大戦による資産の著しい破壊と減少、戦時における所得税と相続税の大幅な増税と累進課税によってもたらされたものである。
③ 1980年代以後、金融の規制解除・自由化とグローバル化、資産課税と相続税・所得税の累進税率緩和によって、再び富の分配の不公正が進み、富の集中が生じている。

 その上で、本書は、資本主義の下では、政策的介入がなければ富の一極集中が必然的に進行するという命題を導き、そこから次のような提言をしているとのことである。

 20世紀の発明は社会民主主義と累進課税による富の再分配であったが、1980年以後それが覆されてしまった。21世紀の資本主義が貧富の格差拡大、不平等拡大の脅威を回避する唯一の文明的な政策は、相続税、贈与税、固定資産税を中心に累進課税制度を根本的に見直し、所得税の上限を現在の30%台からニューディールの時代の80%にすること、富裕税を実施することなどである。それには、タックスヘイブンや企業の生産拠点の海外流出などに配慮し、グローバルによく調整された世界共通の基準をもうける必要がある。

 私は、アベノミクス批判を、何回か当ブログで書いたので繰りかえさないが、本書の説くところも、期せずしてアベノミクス批判となっているようだ。

 アベノミクスは、富裕層・大企業への税を軽減する一方で、大衆課税である消費税増税を実行することを織り込んでいる。これは逆累進課税であり、富の不公平な分配を直接支えることになる。またアベノミクスは、株高を演出し、日銀の無際限な国債買い付けにより国債価格維持を維持することによって、経済の金融化・投機化、寄生構造の強化とカジノ化を推し進める。そのことは低い成長率のもとでも資本(資産)収益の増大を意図的に実現させるものであり、これは本書が指摘するとおり富の分配の不公平をもたらすことになる。

 アベノミクスは、まさしく究極の格差拡大策であり、富の集中、格差拡大、不平等をもたらす強者の、強者による、強者のための政策である。アベノミクスとは「別の道がある」。("Another World is Possible")。本書の提言もその一つである。(了)

今日は特定秘密保護法廃止祈念日

 私は、昨年12月6日、特定秘密保護法(以下「秘密法」)が成立したとき、少し高まる感情を抑えかねて次のように書いた。

  「多くの人々がまなじりを決して国会を包囲している。この空前の民衆の民主主義を求める高みを何にたとえるべきか。民衆はたとえ特定秘密保護法が成立しても反逆する力を確実に獲得した。灰塵の中から現代のリヴァイアサンは蘇る。傲慢な自民党、哀れな仔羊公明党。見よ、勝ち誇った顔が凍り付いているのを。
私たちは負けない。私たちには敗北という言葉はない。何故ならつねに蹉跌を乗り越える勇気があるからだ。一時の結果をものともしない継続する志があるからだ。彼らはそのことに気づかず、すぐに勝ち誇る。しかし過ぎ去った歴史は、彼らこそ歴史の屑籠に捨て去られる運命にあることを示しているのだ。」

 残念ながら、本日(12月10日)、秘密法が施行されることになってしまった。しかし、この1年、人びとはよく工夫をし、よくネバってきたと思う。そのことに率直に敬意を表したい。このネバリは、きっと今後の抵抗を支える力になるだろう。

 秘密法反対の論拠として以下のことがあげられていた。

① 現行法制度で情報保全はすでに十分に確保されており、法制定の必要性・合理性が存在しないこと
② 政府の保有情報は主権者たる国民に帰属するものであるとの視点を欠いていること
③ 秘密指定対象項が抽象的、包括的で、行政機関の長の裁量により、恣意的に秘密指定がなされる法構造になっていること。またこれを有効適切にチッェクするシステムを欠いていること
④ 報道の自由、表現の自由、学問・研究の自由及び国民の知る権利を侵害し、国民主権原理に反するものであること
⑤ 報道に従事する者だけではなく広く一般国民をも処罰対象とするものであること
⑥ 処罰範囲があいまいで、罪刑法定主義に反すること
⑦ 適正評価制度はプライバシーの侵害の危険性があること
⑧ 集団的自衛権容認と一体をなすものであり、憲法前文・9条の平和主義に反すること

 昨年12月の秘密法成立・公布以後、政府は、着々と施行に向けた準備作業を進め、本年10月14日に「特定秘密の指定及び解除並びに適正評価の実施に関し統一的な運用を図るための基準」を策定し、関係政令を制定公布して施行に至ったものであるが、これら運用基準等は8月末に実施したパブコメ募集に寄せられた多数の国民の意見を殆ど反映していない。
 有識者から構成される「情報保全諮問会議」も3回開催されたものの、これは単に意見ご拝聴の機会に過ぎなかった。

 特定秘密の指定、解除など運用の適正を確保するとされていた「第三者機関」も、内閣官房に設置される「保全監視委員会」、内閣府に設置される「独立公文書管理監」・「情報保全監察室」はいずれも名ばかり、お手盛りの機関であり、かつ特定秘密へのアクセス権もなければ改善の命令権限もない。
 また国会の各議院に設置される常設の「情報監視審査会」は、秘密会として開催される、秘密保護義務を課せられるばかりか、特定秘密へのアクセスや改善の強制権限が認められていない。むしろ公然活発に議論を行き、政府をチッェクするべき立法府を、特定秘密のくびきによって立法府を政府の風下におく弊害さえ指摘されている。
 さらに内閣総理大臣が委嘱する有識者で構成され、内閣官房が庶務を行うとされる「情報保全諮問会議」は、単に意見を述べるだけで、何ら実質的権限を持たない。

 つまり、秘密法反対の出発点においてあげられた問題点は、今日ただいまのものでもある。秘密法は、欠陥法のままに施行されることになったのである。

 特に、今、指摘しておきたいのは、政府の目論む秘密保護法制は、これが終着点ではなく、はじめの第一歩に過ぎないということである。このことは戦前秘密保全法制、及び戦後、85年に一度流産したスパイ防止法案、それぞれの内容と比べてみると明確になる。
 秘密法は本格的な秘密保護法制の第一歩であり、めざされている終着点はもっと先にある。それは犯罪となるべき行為を広くとって、まるで投網を広げたように瑣末な行為を犯罪として摘発できるようにし、罰則は死刑、無期、10年を超える有期懲役をも科することができることとする「国家秘密保護法」である。

 私たちは、眼前の秘密法のみに目を留めていてはならない。その先どうなるかを見通さなければならない。ボヤボヤしていてたら、たちまちのうちに次のステージに進められてしまう。そうならないように、必死になって秘密法の廃止のために声をあげ続けなければならない。(了)

解散・総選挙の意味がようやくわかった

「朝日新聞」12月9日付朝刊は以下のように報じている。

 内閣府は8日、2014年7~9月期の国内総生産(GDP)の2次速報を発表し、成長率を下方修正した。
 (中略)
 7~9月期のGDPの2次速報では、物価の変動をのぞいた実質成長率は、前期(4~6月)と比べて0.5%減、この状況が1年続いた場合の年率で1.9%減となった。1次速報では、年率で1.6%減だった。
 (中略)
 公共事業が詳細な統計が入って落ち込んだほか、設備投資がとくに個人事業主などで伸びず、下げ幅が広がったためだ。
 (以下略)

 アベノミクスが誇る「異次金融緩和」なる黒田バズーカ砲が轟音をとどろかせてから1年半、これは一体どう考えたらいいのであろうか。そう思って、本日発売の雑誌『世界』1月号に掲載された内橋克人『アベノミクスは「国策フィクション」である』と題する論文を読んでみた。この論文は、見事に、これを解き明かしている。

 今回とられた「異次元金融緩和」の手法は、市中銀行の保有する国債を日銀が金にいとめをつけずにドンドン買い取ることにより、通貨を市中銀行に供給し、市中に通貨を潤沢に行きわたらせるというものである。国の借金である国債を日銀が直接引き受けることは「財政ファイナンス」と呼ばれ、多くの先進国では「禁じ手」とされている。そこで迂回路を使い、市中銀行の現に保有する国債を買うというわけである。しかし、実質的には、直接引き受けとはいかほども変わらない。

 市中銀行が保有する国債は、実に770兆円、そのうち本年10月末までに118兆円弱を日銀が買った。つまり日銀から市中銀行に118兆円弱に及ぶとんでもない額の通貨が供給されたのである。さぞやあちこちで金があふれていることであろうと思いきや、そのような状況には全くなっていない。

 市中銀行は、日銀に、当座預金口座を持っており、不要不急の資金はそこに預金している。その預金額の合計と実際に市中に出回っている現金の合計額を「マネタリーベース」という。その「マネタリーベース」は、2013年3月末には134.7兆円弱であったのが2014年10月末には252.5兆円と倍近くに膨らんでいる。その差額は117.8兆円である。これらが生きて働き、経済の米になって設備投資や原材料購入、あるいは消費にまわっていれば、経済は栄養をもらって活況を呈することになる。

 安保・防衛にはめっぽう強いが経済にはからきし弱いといわれる安倍首相は、きっとそうなるものと信じこまされたのであろう。冗舌で自信家の黒田日銀総裁に、よっしゃ、頼むとばかりに任せていた。

 ところがである。なんと「マネタリーベース」のうち、日銀に開設されている市中銀行の当座預金の残高だけがブクブク膨れ上がり、市中に出回る通貨は逆に減っているのである。具体的数字をあげると以下のとおりである。

                2 013年3月末    2014年10月末
  当座預金残高         47.3兆円      167.7兆円  
  市中に出回る通貨      87.4兆円       84.8兆円

 この当座預金口座に積みおかれた預金残高を「ブタ積み」と呼ぶそうである。これは氷付けされた冷凍マネーである。冷凍マネーが膨れ上がり、生きて、働き、経済の米となるべき金はむしろ減少している。これでは景気が後退するのも当然である。

 安倍首相は、それでも、サッチャーにあやかって「この道しかない」(「There is no alternative」)とばかりに、アベノミクスを推し進めることを宣言しているが、これは「鉄の女」ではなく、「鉄面皮」というべきであろう。

 つらつらおもんぱかるに、今回の解散・総選挙は、破綻が見えすいているのに、選挙で信任を得たとばかりにアベノミクスを推し進め、破綻が現実化したら、あなた方は選挙で信任したではないか、だから私は推進したのだ、信任したあなた方が悪いのだといって、自己の責任を国民に押し付けるための悪だくみではなかろうか。 (了)

自衛隊は米軍の指揮下で行動する

 1997年に締結された日米防衛協力指針(「97年ガイドライン」)は、7.1集団的自衛権行使容認閣議決定を受けて、現在、改定作業が進められている。
 その97年ガイドラインを読んでいて、気になることがあった。

 97年ガイドラインでは、わが国に対する武力攻撃がなされた場合の対処の仕方について、概要以下のように定められている。

 まずは自衛隊が主体的に行動し、極力早期に攻撃を排除し、米軍は、これに適切に協力する。協力の在り方は、武力攻撃の規模、態様その他の状況によって異なるが、整合のとれた共同作戦の実施及びそのための準備を含む。

 その上で「作戦に係る諸活動及びそれに必要な事項」として、次のように定められている。

(イ)  指揮及び調整
 自衛隊及び米軍は、緊密な協力の下、各々の指揮系統に従って行動する。自衛隊及び米軍は、効果的な作戦を共同して実施するため、役割分担の決定、作戦行動の整合性の確保等についての手続をあらかじめ定めておく。

(ロ)  日米間の調整メカニズム
 日米両国の関係機関の間における必要な調整は、日米間の調整メカニズムを通じて行われる。自衛隊及び米軍は、効果的な作戦を共同して実施するため、作戦、情報活動及び後方支援について、日米共同調整所の活用を含め、この調整メカニズムを通じて相互に緊密に調整する。

 これを読むと、自衛隊と米軍は、共同作戦を実施する場合も含めて、それぞれの主体性が保持され、それぞれに指揮系統に従って行動することが大前提であり、必要に応じて相互調整をするだけのようである。本当に自衛隊は米軍とは別の指揮系統で行動するのだろうか。
 私が、気になることと言ったのはこのことである。

 だいぶ歴史をさかのぼることになるが、講和条約の日米交渉の際、米国側は、別途取り交わす日米安保条約に、「警察予備隊ならびに他のすべての日本軍は日本政府と協議のあと合衆国政府によって任命された最高司令官の統一司令部の下に置かれるものとする」との条項を設けることを要求し、日本側は拒否をした。しかし、日本側が拒否したのは、あくまでも国内政治情勢を考慮した表向きのポーズに過ぎず、実際には、米軍の指揮権を承諾していたのであった。
 それはクラーク米極東軍司令官が、1952年7月26日、米国統合参謀本部にあてた次のメッセージにより確認できる。

 「私は、7月23日夕刻、吉田氏、岡崎氏、マーフィー大使と自宅で夕食をともにしたのち会談した。私はわが国政府が有事の際の軍隊の投入にあたり、指令関係に関して、日本政府との間に明確な了解が存在することが不可欠であると考えている理由をある程度詳細に示した。吉田氏は即座に有事の際に単一の司令部は不可欠であり、現状の下では、その司令官は合衆国によって任命されるべきである、ということに同意した。氏は続けて、この合意は日本国民に与える政治的衝撃を考えると、当分の間、秘密にされるべきである、と表明し、マーフィーと私はこの意見に同意した。」(吉田氏とは吉田茂首相であり、岡崎氏とは岡崎勝男外相であることはいうまでもない。)

 この話には続きがある。今度は保安隊から自衛隊に改組するときのことである。1954年2月、マーフィー駐日米大使の後任であるアリソン駐日米大使は、米国下院外交委員会秘密聴聞会で次のように証言をした(1980年、同議事録は公開された。)。

 「またこれは、日本国内の政治状況により、いかなる方法においても公表できないことでありますが、吉田首相はハル将軍と私にたいし、在日米軍の使用を含む有事の際に、最高司令官はアメリカ軍人がなるであろうことには全く問題ない、との個人的な保証を与えました。しかしながら政治的理由により、これが日本において公然たる声明となった場合、現時点ではうまくないことは明白であります。ハル将軍はこの点に関し吉田首相から与えられた保証にきわめて満足し、将軍はなんら公然たる声明もしくは文書を要求しない、と述べました。」(ハル将軍とは当時の米極東軍司令官である。)

 このように有事の際の共同作戦は、自衛隊は、米軍の最高司令官の指揮下にはいることが非公式に確認されているのである。私は、この確認は今も引き継がれており、公式面で、自衛隊と米軍はそれぞれの指揮系統で行動するかのようにとりつくろっているだけだと考える。
 共同作戦において、指揮系統が別個で、単に調整するだけなどということはあり得ない話である。自衛隊は、有事において米軍に従属する部隊となる。政府は、そのことを隠しているのだ。(了)

※古関彰一『「平和国家」日本の再検討』(岩波現代文庫)参照
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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