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憲法9条のアルケオロジー

 憲法9条は、無謀な戦争により悲惨な末路をたどったことをふまえ、わが国自身が、平和国家への再生の誓いのもとに、主体的に選び取った絶対的平和主義を世界に公約し、宣言したものでありました(たとえば幣原喜重郎『外交50年』中公文庫参照。当時の日本政府の指導層には天皇を象徴的存在として存続させることに連合国諸国の承認を得るとためにはその誓いが不可欠であったという特殊事情があったことは、その誓い意義をなんら減じるものではありません。)。
 以下では、そのように絶対的平和主義をうたう9条が、日本国民に、受容され、法的確信に支えられるようになったことを見ておきたいと思います。

1 絶対的平和主義を意味する9条は、第90帝国議会における衆議院憲法改正委員会、同小委員会、及び本会議における議論を通じて、吉田茂首相をはじめ政府関係者及び芦田均衆議院憲法改正委員会委員長らは、繰り返し、絶対的平和主義の理想を強調し、衆院。貴族院各議院において圧倒的な支持を受け、受容された。
 またそれは、広く国民に支持され、受容された。そのことは、既に1946年3月7日、日本政府の「憲法改正草案要綱」が新聞発表され、更には同年4月17日には口語体の「憲法改正草案」も発表され、国民に日本国憲法の条項が広く周知された後に行われた毎日新聞世論調査の結果(同年5月27日、同紙発表)において、「戦争放棄の条項を必要と答えた者」の割合は70パーセント、「不要と答えた者」28パーセントであったことに端的に示されている。なお「不要と答えた者」の実数568人のうち、「侵略戦争は無論放棄するべきだが、自衛権まで捨てる必要はない者」が101人あったことは興味深い結果である。当時、国民の中では、自衛権の行使まで否定することについて議論がなされ、危惧する者もいたのであるが、それは圧倒的に少数で、大多数はそれをのりこえ、積極的に自衛権の行使までも捨てる絶対的平和主義を支持し、これを受容したのである。

2 日本国憲法は、1946年8月24日、賛成428、反対8の圧倒的多数で衆議院で可決、貴族院送付され、同年10月6日、貴族院で一部修正のうえ可決、衆議院に回付、同月7日、衆議院で可決し、枢密院の議を経て、同年11月3日、公布された。
 上記公布後、同年12月1日には、帝国議会内に芦田均を会長として「憲法普及会」が組織され、政・官・学を総動員して、日本国憲法普及の運動が展開された。広く国民を対象とする啓蒙のための講演会の開催、公務員を対象とする研修会の実施、日本国憲法の解説書の刊行、「新しい憲法 明るい生活」と題する手帳大の小冊子を全世帯に行き渡るように2000万部発行、文部省による中学1年生用の社会科教科書「あたらしい憲法のはなし」の刊行、各新聞社の協力による日本国憲法に関する懸賞論文募集・発表、はては日本国憲法啓蒙のための映画、「憲法音頭」までありとあらゆる手段で、日本国憲法を国民に普及し、定着させる運動により、絶対的平和条項は、空気や水のごとく、国民に浸透して行った。

3 一方、連合国極東委員会は、GHQの憲法改正への係り方に疑念を抱き、GHQの介入による憲法改正手続は、ポツダム宣言の「日本国民の自由に表明する意思」に反するとの一部の国の主張に配慮し、同年10月17日、日本国憲法施行後1年以上2年以内(1948年5月3日から1949年5月2日の間)に再検討をすることを決定し、マッカーサーに伝達した。
 マッカーサーは、遅ればせながら、これに基づいて、1947年1月3日付吉田茂首相宛書簡で、「(前略)。施行後の初年度と第2年度の間で、憲法は日本人民ならびに国会の正式な審査に再度付されるべきであることを、連合国は決定した。もし、日本人民がその時点で憲法改正を必要と考えるならば、彼らはこの点に関する自らの意見を直接に確認するため、国民投票もしくはなんらかの適切な手段を更に必要とするであろう。換言すれば、将来における日本人民の自由の擁護者として、連合国は憲法が日本人民の自由にして熟慮された意思の表明であることに将来疑念が持たれてはならないと考えている。(後略)。」と勧告した。
 これに対し、吉田首相は、同月6日付で、マッカーサーに対し、「1月3日付の書簡たしかに拝受致し、内容を仔細に心に留めました。敬具  吉田茂」との返書を送っただけで、黙殺した。善解すれば、日本国憲法は国民の圧倒的支持を得ているので再検討には及ばないということであろう。
 吉田内閣から片山哲内閣、そし芦田均内閣へと、めまぐるしく政治は転変するが、1948年8月、芦田内閣のもとで、上記マッカーサー勧告に従い、ようやく日本国憲法改正の要否が論じられるようになった。その議論を通じて、憲法9条を改正せよという見解は皆無で、いくつか技術的な問題点が提起されたにとどまり、そのような問題で国民投票までして改正するようなことは疑問であるとの意見が大勢を占め、憲法改正論議は収束した。こうした経過から言えることは、日本政府は、自らの判断で、憲法を改正する必要なしと判断したということである。勿論、これに対して、国民の間から、積極的な反対意見が提起されることはなかった。

 かくして日本国憲法、なかんずく絶対的平和主義条項たる9条は、おそくとも1948年の終わりころまでには、わが国に定着し、国民の間に不動の地位を占め、法的確信によって支えられるに至ったのである。

※ 東アジアにおける冷戦構造の形成は、ドイツ、東欧の戦後体制をめぐって米ソが激突したヨーロッパよりも少し遅れました。それでも米国の対日占領政策は、1948年に入ると転換の兆しが次第に見られるようになります。民主化と非軍事化というポツダム宣言の掲げる占領目的は達成されたとして、わが国の経済復興に重点を置くということが占領政策転換の第一歩でした。特に、国家安全保障会議(NSC)が、1948年10月、ソ連問題専門の外交官・ジョージ・ケナンの日本視察報告に基づき、「①日本の防衛力について、講和成立まで戦術的目的をもつ兵力を駐留させるが、兵力量は限定し、日本への経費負担は最小限に抑える。②講和後に軍隊・基地・軍事施設を確保するかどうかは将来の決定に委ねる。しかし沖縄における長期駐留は決意すべきである。したがって沖縄島民の経済的安定、正常な政治的状態回復には米国が全責任を負うべきである。日本の警察機構の強化、沿岸警備隊、海上警備隊の設置。 ③GHQの日本政府に対する支配機能の限定と日本政府の権限と責任の強化。④経済復興の最優先とそのための経済援助、海外貿易の振興措置、占領費の縮減、賠償の原則的停止。 ⑤新たな改革の停止と実施段階にある改革の修正。経済力の集中排除や公職追放の調節、減速、終了等。」との文書(NSC13/2)を採択してからは、これまで本国にたてつきてこずらせてきたマッカーサーも次第に押さえこまれるようになっていきます。さらに1949年に入り、中国の内戦が中国共産党の勝利で終結する見通しがはっきりすることとなると、それが決定的な転換の潮目となり、米国は、民主化と非軍事化の獲得物を掘り崩し、わが国を共産主義に対する防壁として、軍事的、政治的、経済的に利用するという方向にはっきりとシフトして行きました。

 日本国憲法が定着し、9条が輝きを発揮し始めたまさにその瞬間、逆向きのベクトルが働き始めたのです。その後、9条のたどった道は、要約すると以下のようになります。

 米国への卑屈なまでの従属と、そのことに蓋をして戦後レジームを米国からの押しつけられた日本国憲法体制としてそこからの脱却を声高に叫ぶアンシャンレジーム願望とが奇妙な同棲生活を続ける保守党政権下の「永続敗戦」レジームの小宇宙で、9条の絶対的平和主義が、変質させられる一方、それが国民の側からの抵抗で、踏みとどまるという綱引きが行われてきました。それは、今なお保守反動と国民との闘いの緊迫したフロンティアを形作っているのです。(了)
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ゾルゲ事件断章 その2

 評論家松本健一氏は、『尾崎秀実 ゾルゲ事件上申書』(岩波現代文庫 2003年2月14日第一刷発行)に解説の一文を書いておられる。

 その中で、松本氏は、「この第一回目の上申書が、尾崎秀実の真実の転向を示すものなのか、それとも偽装転向なのか、については、現在でも議論がわかれているところである。ただ、その論理展開のしかたじたいは、当時の転向書の典型をかたちづくっている。翻っていると、そこにのべられている『転向』は型どおりのもので、尾崎秀実の精神の内面の動きがうかがえるものとはなっていないのである。ところが半年後の第二回目の上申書になると、その『転向』ははるかに具体的、というより自身の精神の内面を見つめる、ある意味では告白書の趣きを呈してくるのである。」と述べている。

 もっとも松本氏は、一方で、「かれが『転向』したのか、それとも偽装転向だったのか、などということは、わたしにはどうでもいいことのようにおもわれる。すくなくとも、共産主義=革命のみを正しい、絶対的な基軸と考え、尾崎はそこから離れていったのかどうかという『転向』議論は、何の意味ももたないとおもえるのである。」とも云っており、上申書(2)における尾崎秀実が、偽装転向であったかどうかの最終判断を回避(もしくは放棄)している。

 松本氏の見解に敢えて異を唱えるわけではないが、松本氏は上申書(2)の「精神の内面を見つめる」記述に着目して、「真実の転向」説に傾斜しているように思われるので、私は、むしろ同上申書中の「戦局の前途を想う」と題する第六章で展開されている戦局に関する大胆な提言に注目することにより、上記傾斜を「偽装転向」説側に少し戻しておきたいと思う。

 尾崎秀実は、第一章「重ねて上申書を呈上するにあたりて」、第二章「我が家、我が郷」、第三章「我が国土・我が国体を仰ぐ」、第四章「死に直面して」、第五章「悠久の大義に生きん」と綴ってきて、

 「今や私は日々の生活に満足し、我をして一日々々生かしめている総ゆるものに感謝しつつ悠々たる天地の中に生きつつあることを感じております。生物としての私は死によって、また個体を形成していた一切の原素に解体し去って跡なく消え去るでありましょう。しかしながら、それは宇宙の生命のうちに融化し去ることであります。」

と、超然として、死を迎える心境を語り、一旦ペンをおいたのであった。

 しかし、彼は、「現在上記のごとき心境に断罪の日を待ちつつある私もまた、眼前に迫り来る国家の逼迫せる危機を思っては、ただ黙し得ざるものがあるのを覚え、戦局の前途に考慮を馳せざるを得ないのであります。私は一度投じた再び取り上げて、この手記を続けます。」と述べて、第六章「戦局の前途を想う」を追加したのである。司法省刑事局思想課をして「今次大東亜戦争に対する被告としての見透対策が大胆率直に語られている」と言わしめた部分である。

 彼は、ここで、世界情勢の最近の発展を考察し、ドイツが本年度内(1944年内)に降伏に至るとの見通しをたて、そのもとで日本のとるべき根本態勢として、「総ゆる忍苦をもって現状を守り抜く」ことの重要性を提起している。彼は、その上で、長期戦を戦い抜くには、第一に、国民生活への配慮が大切であり、食うことの安心を保障することにより、国民生活に明るさを取り戻すことが必要であるとして以下のように述べる。

 「当局は真に謙虚に、かつ真剣に、何よりも自ら下層一般民衆の中に身を置いてこのことを考える必要があろうと思われます。」

 彼は、続ける。長期戦を戦うのに必要なことは、第二に勤労者層の政治的関心を高め、進んでその政治参与を実現する必要があると主張する。コミュニストたる尾崎秀実の面目躍如である。

 尾崎秀実は、さらに大東亜共同体にも敷衍し、中国問題の解決には中国の自主性を尊重すること、太平洋戦線においては守旧的防御に専念し、ソ連との良好な関係を維持して、ドイツ敗北後にヨーロッパ戦後体制をめぐり米ソの対立が生じることを待つべきである、そのとき米国も英国も疲弊をするだけではなく、国内には厭戦思想がひろがり、かつまた平和を希求する勢力が大きく進出するだろうから、わが国にとって米国とも妥協的収拾をはかる機会がおとずれるだろうと述べている。

 こういうことを堂々と述べる人が、ただひたすら懺悔をし、死一等を賜るを日を静かに迎えようとしていたとは到底思えないのである。(了)

ゾルゲ事件断章 その1

 ゾルゲ事件(当局発表では「国際諜報団事件」)に連座し、1944年11月7日、43歳の若さで刑死した尾崎秀実の、一審裁判所に提出した上申書(以下「上申書(1)」という。)、最終審の大審院に提出した上申書(以下「上申書(2)」という。)及び逮捕後約半年経過した1942年4月14日付検事調書(第27回)を読んだ(いずれも『尾崎秀実 ゾルゲ事件上申書』岩波現代文庫所収)。

 各上申書は、転向者としての真情を吐露したと認められた文書であり、いずれも内務省警保局発行の『特高月報』誌上に研究資料として掲載されたものである。

 上申書(1)は1943年6月8日付となっている。『特高月報』誌上には、内務省警保局保安課の手になる長い「はしがき」が付されている。抜粋すると以下の如くである。

 「尾崎秀実は、共産主義者として、国際共産党並びにその祖国ロシアに忠誠を尽くすために、日本の運命を売らんとした憎むべきスパイであった。そのスパイ生活は昭和5年から昭和7年までの『大阪朝日新聞』上海特派員時代、および昭和9年より昭和16年10月検挙されるまでの国際共産党諜報団時代の二時期に画される。」
 「その諜報内容には尾崎が、新聞記者として、あるいは内閣嘱託として、満鉄嘱託として、近衛公ないし風見章のいわゆるブレーンの一人として、かつまた昭和研究会の役員として、各その地位を利用し、(中略)『独ソ開戦前後の御前会議の状況』満鉄輸送関係等より推断して『年内に対ソ攻撃なし』との情報を送り、あるいは昭和16年8-9月頃世界各国の異常なる関心を集めて極秘裡に進められつつあった、日米交渉に関する日本の対米申入事項を提報する等、約90件に達している。」
 「尾崎が第一審において死刑を言い渡されたのは昭和18年9月29日であり、それが確定したのは、昭和19年4月5日、大審院において上告棄却となった時である。而して刑の執行はゾルゲと共に11月7日に行われたのである。」
「何れにしても、この上申書を書いた時は、まだ生きる希望を全然捨てねばならぬという時期ではなかった。しかしながら、それは極めて淡い希望であり、尾崎といえども当然死すべき運命を覚悟していたであろう。この上申書はこういった環境と心境の下に書かれたものであることを前提として、味わうべきであろう。」
 「死に直面して我が家、我が故郷、我が祖国を憶い、遂には我が国体の尊厳に触れて、これまでに犯した罪の怖ろしさに慄然となり、苦悩する思想犯の転向過程には、まことに味わうべきものがあろう。」

 上申書(2)は1944年2月29日付となっており、『特高月報』誌上には、以下の如き司法省刑事局思想課による「はしがき」が付されている。

 「本上申書は昭和19年4月5日上告棄却となった尾崎秀実が大審院の係判検事に提出したもので、大審院刑事部では昭和19年3月8日に受付けている。死に直面した被告が、悠久の大義に生きるべく思想的発展に懸命の努力を為していることが詳細に述べられているとともに、今次大東亜戦争に対する被告としての見透対策が大胆率直に語られているので、一読の価値あるものと認め印刷に付した次第である。」

 ご覧のように、各上申書は、当局公認の転向文書であるが、印刷に付し、あるいは「特高月報」誌上へ転載するという異例の扱いといい、「はしがき」の書きぶりといい、当局者さえも胸打つものがあったのであろう。

 一方、検事調書は、家族や交友関係あるいは仕事上の関係者への複雑な心境を語る部分もあるが、その他は自己の世界観、国体観、世界情勢の把握など自己の信念を決然と貫いた供述がしたためられた文書である。逮捕後約半年、第27回目の検事調書に至って、厳しく長く執拗な取調べにもかかわらず、非転向を貫き、堂々たる供述を展開している尾崎秀実の不屈の意思は、読む人に感動を呼び起こすであろう。
 彼は、やがて転向し、転向者として刑事裁判を受けることになったのであるが、上申書(1)、上申書(2)の行間、裏にまで目配りして読むと、これらからは、死刑の威嚇を伴って屈服を迫る国家権力に遂にこうべを垂れた真の転向者の姿とは異なる姿が浮かび上がってくる。彼は、たぐい稀な情勢分析能力により、日本の敗北が近いことを確信し、何としても生きのびることを選択し、そのために必至になって、当局者さえも心を動かされるほどに転向者を演じ通したのではなかろうか。日本敗北と世界大戦の終結は、世界革命の始まりである。生きて、世界革命を見届けよう。私には、彼がそのように考えたに違いないように思われる。

 あにはからんや、日本が敗北する前に、尾崎秀実は、死刑を執行された。しかし、それはむしろ幸いなことではなかったろうか。偉大な世界革命の根拠地となるべきソ連が、過渡期のプロレタリアート独裁を変じて醜悪なまでに国家権力を肥大させ、世界革命の反対物に転化したのだから。彼は、美しい世界革命の夢に生き続けることができたのだ。(了)

ヘイトスピーチ規制法をすみやかに制定するべきである

 ドイツ連邦共和国基本法(通常、ボン基本法と呼ばれる。ドイツの憲法典と考えてよい。)は、意見表明の自由で総括される基本権につき「自由で民主的な基本秩序を攻撃するために濫用する者」はこれらを喪失するとの条項(18条)、「自由で民主的な基本秩序を侵害もしくは除去し、またはドイツ連邦共和国の存立を危うくすることを目指す」政党の違憲条項(21条)を定めている。これらの決定は連邦憲法裁判所が行う。さらに、「教授の自由は、憲法への忠誠を免除しない」(5条3項)といった規定も存在する。詳細は以下のとおりで、これを「たたかう民主制」と呼んでいる。

第18条 [基本権の喪失]
意見表明の自由、とくに出版の自由(第5条1項)、教授の自由(第5条3項)、集会の自由(第8条)、結社の自由(第9条)、信書、郵便および電気通信の秘密(第10条)、所有権(第14条)または庇護権(第16a条)を、自由で民主的な基本秩序を攻撃するために濫用する者は、これらの基本権を喪失する。喪失とその程度は、連邦憲法裁判所によって宣告される。

第21条 [政党]
(1) 政党は、国民の政治的意思形成に協力する。その設立は自由である。政党の内部秩序は、民主主義の諸原則に適合していなければならない。政党は、その資金の出所および使途について、ならびにその財産について、公的に報告しなければならない。

(2) 政党で、その目的または党員の行動が自由で民主的な基本秩序を侵害もしくは除去し、または、ドイツ連邦共和国の存立を危うくすることを目指すものは、違憲である。違憲の問題については、連邦憲法裁判所が決定する。

(3) 詳細は、連邦法で定める。

第5条 [表現の自由]
(3) 芸術および学問ならびに研究および教授は、自由である。教授の自由は、憲法に対する忠誠を免除しない。

 わが国憲法学の泰斗・樋口陽一氏は、かつて「『憲法の敵』『自由の敵』に憲法上の自由を与えないことによってはじめて守られる『憲法』や『自由』は、いったいその名に値するだろうか」と反問し、ボン基本法の「たたかう民主制」に対し、決然たる批判の姿勢をとった(『比較の中の日本国憲法』岩波新書)。樋口氏が、「たたかう民主制」を批判したのは、1956年に、連邦憲法裁判所がドイツ共産党を違憲とする判決によって解散に追い込んだことを踏まえたものであり、それは同時に、わが国の破防法の制定とその運用の危険性への危惧が人々の念頭に覆いかぶさっていた時代の特殊性を幾分かは反映したものであったとも考えられる。

 実際、レッドパージ事件に関する『明白な憲法破壊』の企図が看取される目的をもつ思想は、その限りにおいて『憲法第19条、第21条』に依る保障を援用することができない。」というような判決(1950年9月9日福岡地裁判小倉支部判決)などを見ると、樋口氏の「たたかう民主制」批判ももっともなことと思われる。

 憲法の教科書でも、たとえば、浦部法穂『全訂 憲法学教室』日本評論社』は、以下のように述べ、わが国では「たたかう民主制」をとりえないことを指摘している。

 「ドイツ基本法は、表現の自由につき、『自由な民主的基本秩序を攻撃するために濫用する者は、これらの基本権を喪失する』として、いわゆる『たたかう民主制』の姿勢を明らかにしている。憲法というものは、たしかに、それじたい、一つの政治理念の表明であり、したがってあらゆる思想に対して完全に中立の立場をとっているとは考えられない、という見方も成り立ちえないわけではない。そして、そうであるならば、憲法に敵対するような思想に対しては憲法の保障は及ばない、と解する余地もないではない。またファシズムの経験に学んだドイツが、民主制を守るという強固な意思の表明として『たたかう民主制』の立場を打ち出したことは十分に理解できる。
 しかし、『自由な民主的基本秩序』や『憲法体制』を擁護すべきことは当然であるとしても、それにとって危険な思想を禁じ排斥することができるかは、別問題である。というのは、ある思想につき、それが『自由な民主的秩序』や『憲法体制』にとって危険であるからというので禁止できる、ということになれば、それは権力にとって危険なすべての思想を抑圧することになりかねないからである。民主制を守るという名目のもとに、権力にとって都合の悪い思想が抑圧されるというようなことになれば、民主主義にとっての基本的な前提基盤が民主主義の名において破壊されることになってしまうのである。思想というものは、どんなものであれ、どこまでも自由であるということが確認されなければならないと思われる。」

 日本国憲法は、「たたかう民主制」に関わる規定を置いていないし、解釈上もこれを採用できないことは以上のとおりである。しかし、法律の次元ではそれに似た規定が置かれている(例えば、国家公務員法38条第5号・・・「日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、これに加入した者」は「官職に就く能力を有しない」。ほかにも電波法107条、破防法39条・40条に同様な規定がある。)。

 「表現の自由」に関する米国憲法判例の法理を強く支持するわが国憲法学の主流は、表現行為の法律による規制について、「明白かつ現在の危険」、「ブランデンバーグ原則」、「明確性の原則」、「より制約的ではない他の方法(LRA)の原則」など、厳密なテストを要求する。たしかに表現の自由は民主制の基礎であり、最大限尊重されなければならない。しかし、表現の内容、それの向けられた対象者の境遇、表現行為の場、方法など諸般の客観的事実に照らし、「個人の尊厳」からの違背の程度が著しいものまで、民主制の基礎として尊重されなければならないいわれはない。

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① 「明白かつ現在の危険」・・・ある表現行為が他者の権利・利益や平穏な生活を侵害する明白で現実的、具体的な危険が存在する場合にのみ当該表現行為の規制が許されるという基準

② 「ブランデンバーグ原則」・・・①ををさらに進め、ある表現行為がそのような危険をもたらすことを企図した扇動にあたる場合にのみ規制が許されるという基準

③ 「明確性の原則」・・・規制の対象と規制の態様が客観的に明確でなければならず、あいまいな場合には「あいまいなゆえに無効」と判定すべという基準。①もしくは②とあわせて検討される。

④ 「より制約的ではない他の方法(LRA)の原則」・・・LRAとはLess Restrictive Alternativeのこと。同じ目的を達するために、表現行為に対する別のより制限的でない手段・方法がある場合にはそれによらなければならないという基準。①ないし③の基準と併用される。

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 今、在特会などが在日朝鮮・韓国人に対して行っているいわゆるヘイトスピーチは、弱者、マイノリティへの威嚇・脅迫・侮辱・悪意をこめた差別であり、言葉の暴力に過ぎず、民主制の基礎とはなんら関わりない。これらは唾棄すべきものであって、「日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張」などと比較することさえおこがましい。速やかにヘイトスピーチ規制法を制定するべきである。(了)

沖縄は「自己決定権の確立」を模索している

 昨年10月18日、10月19日と続けて、当ブログにおいて、わが国政府の沖縄に対する理不尽な措置について、論評した。

 1回目は、明治政府が行った琉球処分。これは、沖縄を住民の意思を無視してわが国に併合したものであり、沖縄に対する侵略であった。
 http://tofuka01.blog.fc2.com/blog-entry-161.html


 2回目は、戦後における第二の琉球処分。これは、沖縄をわが国から切り離し、米国の統治に委ねつつ、名目上のみ主権を留保して紐をつけておくという姑息な措置であった。
 http://tofuka01.blog.fc2.com/blog-entry-160.html

 沖縄は、アジア太平洋戦争下、本土の盾としてわが国唯一の地上戦の戦場とされ、壊滅的な犠牲をこうむり、さらにはソ連を介した和平工作において捨石として利用されようとし、その上戦後ずっと米軍基地を殆ど一手に引き受けさせられ、本土の防波堤の役割を担わされてきた。
 このような理不尽かつ不当な扱いで煮え湯を飲まされ続けたにもかかわらず、沖縄の人たちは、一度は、日本を祖国として選び、祖国復帰の闘いに一致して取り組み、形の上では、日本への復帰を成し遂げた。だが、日本への復帰によって、沖縄の人たちは、何らやすらぎを得ることはできなかった。

 1995年9月、三人の米兵による少女暴行事件によって、沖縄では、米軍基地整理縮小を求める声が津々浦々に沸き起こった。時の大田昌秀知事のもとで、史上空前の大運動が展開された。この大運動は、1996年4月、日米政府間において、普天間基地の返還・名護市辺野古沖への移設の合意により、一旦収束をみた。

 しかし、普天間基地の辺野古移設は、沖縄の人たちにとっては、到底、受け入れがたいものであり、その後、日米政府を揺さぶり続ける震源地となっている。日米政府は揺れ続けている。中でも日本政府の振幅の激しさと異常性は、沖縄の人々の怒りを沸点にまで高めている。そして今や、沖縄の人たちは、一度は選び取った祖国日本が、それに値するかどうか、そのことを深く考え始めている。

 沖縄の地元紙、沖縄タイムスは、昨年8月から9月にかけて歴代基地担当記者9名による『普天間基地の本質』と題する特集記事を連載した。その中で、「自己決定権の確立」なる言葉を用いて、沖縄の新しいスタートを語っている。同じく地元紙、琉球新報も、昨年5月連載した『道標(しるべ)求めて-琉米条約百六十年 主権を問う』の中で、「日本国への併合後も沖縄住民への差別や人権が無視される状況が続き、そのたびに自治権拡大や自立論、独立論など、沖縄の『主権』を追及する主張が叫ばれてきた。沖縄が目指すべき『主権』やその実現への道筋を考える上で、条約をめぐる歴史から学ぶ教訓は多い。歴史は今の沖縄に何を語りかけるのか、現在の視点から歴史を捉えなおし、沖縄が歩むべき将来像を探る」と書いている。
(仲里効『南のエッジから日本を揺さぶる変革の波(下)』世界2014年12月号より)

 沖縄の人たちは、真剣に、自らの将来を見定めようとしている。そんなところに次のニュースが舞い込んだ。

【2014年9月13日 11時12分配信の沖縄タイムス・デジタルニュース】

 「米元副大統領で、クリントン政権下で駐日米大使を務めたウォルター・モンデール氏が1995年当時、米軍普天間飛行場の返還交渉で、日本側が在沖縄米海兵隊の駐留継続を望んでいたと述べていたことが12日までに分かった。同年に発生した少女暴行事件の重大性を米側が認識し、海兵隊の撤退も視野に検討していたが、日本側が拒否し、県内移設を前提に交渉を進めていたことになる。

 モンデール氏の発言は米国務省付属機関が2004年4月27日にインタビューした口述記録に記載。1995年の少女暴行事件について「県民の怒りは当然で私も共有していた」と述べ、「数日のうちに、問題は事件だけではなく、米兵は沖縄から撤退すべきかどうか、少なくともプレゼンスを大幅削減すべきかどうか、米兵の起訴に関するガイドラインを変更すべきかどうかといったものにまで及んでいった」と回顧している。

 その上で「彼ら(日本政府)はわれわれ(在沖海兵隊)を沖縄から追い出したくなかった」と指摘し、沖縄の海兵隊を維持することを前提に協議し、「日本政府の希望通りの結果となった」と交渉過程を振り返った。交渉相手として橋本龍太郎首相(当時)と河野洋平外相(同)の名前を挙げているが、両氏の具体的な発言は入っていない。

 当時、ペリー国防長官は米議会で「日本の全ての提案を検討する」と発言。ナイ国防次官補(当時)も「兵力の本土移転も含む」と述べるなど日本側が希望した場合は本土移転も検討する意向を示していた。」

 なんと米国は現在のような規模の沖縄基地の存続には何ら固執していなかったというのだ。現状規模の米軍のプレゼンスを望んでいたのは日本政府だったのである。冷戦終結後の、米軍再編成、世界的規模での米軍のプレゼンスの縮小という流れの中で、みたび琉球処分が行われたのだ。仏の顔も三度までという。沖縄の人たちの意識において、本土離れは確実に進むであろう。

 辺野古では、連日激しい抵抗が繰り返されている。日本政府は、これを圧殺しようとしている。顧みて、私は、一度は日本を祖国として選んだ沖縄の人たちを同胞として遇するに果たしてどれだけのことをしてきたであろうか、恥じ入るばかりである。 (了)

自由、尊厳、「表現の自由」に関するメモ

 14日、仏週刊新聞「シャルリー・エブド」が、テロ事件に屈せず、「表現の自由」を断固として守ることを表明して、イスラム教の預言者ムハンマド風刺画をはじめ、イスラム風刺「特別号」を発行した。

 報道(1月15日05時00分配信の朝日新聞デジタル)によると、「特別号」は通常通り16ページあり、以下のようなものであったという。

 表紙には「すべてが許される」というタイトルで、涙をうかべる預言者ムハンマドの風刺画が描かれている。胸の前で連続テロに抗議する合言葉「私はシャルリー」が書かれたプラカードを掲げている。中面では、「聖戦」を実行する「ジハーディスト」が職探し中に「スーパーの警備は?」と提案される様子や、イスラム風の衣装をまとう女性が下半身や胸をさらす姿も描かれている。

 これをパリ市民はこぞって買い求めた。「新聞を買うことが、『表現の自由』を守ることにつながる」と語るパリ市民。表紙の預言者ムハンマドの風刺画を描いた風刺漫画家レナルド・ルジエさんも「表現の自由は、表現の自由だ。『自由だ。だけれど……』なんて留保をつける必要はない」とも語っている。
 同日午前10時までに70万部が売れ、2万7千カ所の売店などで「売り切れ」になったそうだ。「シャルリー・エブド」社は、700万部まで増刷して販売する方針だという。これは「表現の自由」というよりも商魂たくましき「営業の自由」の断固たる行使というべきか?

 まさに熱病のごとき「表現の自由」の謳歌である。

 さて「表現の自由」は、フランスにおいて、現行憲法と一体をなすフランス人権宣言において、もっとも重要な人権の一つとして定められている。条文を見てみよう。

 第11条
 思想や見解の自由な意思の疎通は、人間の最も大切な権利の一つである。したがって市民は自由に話し、書き、出版することができるが、ただし、法によって明確な場合において、この自由の濫用には責任を負う。

 ところで「自由」には、ルソー流に言えば、市民社会以前の自然的欲求に基づく放縦な自由と市民社会における社会契約を介したよりよき共生のための自由がある。フランス人権宣言の定める人権としての自由は、よりよき共生のための自由である。
 人権宣言以来のフランスにおける「自由」はよりよき共生のための自由である。そのために内在的な制約を受けることを予定されている。人権宣言は以下のように規定している。

 第4条
 自由は、他人を妨げない限りにおいて すべてのことができる ということにある。したがって、各人の生れながらの権利の行使は、他の社会の構成員に対して同じ権利を享受することを保証する以外に 限度がない。この限度は 法律によってのみ 決定することができる。

 「表現の自由」においてもしかりである。これを人権宣言11条では「この自由の濫用には責任を伴う。」と表現したのだ。それは絶対無制限のものではなく、よりよき共生のために行使する責任を伴う。

 フランス人権宣言の人権規定は「個人の尊厳」を根底にすえている。「個人の尊厳」とは何か。「尊厳」とは元来貴族など高貴な身分に相伴うものであった。アンシャンレジームを粉砕したフランス革命はその「尊厳」を全ての個人に行きわたらせた。それが「個人の尊厳」である。しかし、それは「尊厳」を下方に分配し、安売りしたのではない。逆だ。全ての個人を、「尊厳」に値する人間に引き上げたのである。「尊厳」に値する人間とはよりよき共生のための社会を作り上げる市民である。「自由」は、そのような市民が手にしたものであって、市民社会以前の自然的欲求に基づく放縦の自由とは一線を画している。

 我が日本国憲法では、「表現に自由」について次のように定めている。

 第21条
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 これを読むと何らの制限も付されていない。しかし、絶対無制限ではないことは言うまでもなく内在的制約を伴うことは当然のことである。日本国憲法は、「個人の尊厳」を定めている。

 13条
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 これは日本国民を個人として尊重される人間に、より高次の存在に引き上げた規定である。そのような個人は、もはやを自然的欲求に基づく放縦な自由の行使主体ではない。在日朝鮮・韓国人に対するヘイトスピーチは、「尊厳」の主体である個人に認められる「表現の自由」の範疇に入らないことは明らかである。(了)

まだまだ出てくる特定秘密保護法の問題点

 私は、朝日新聞を基本紙とし、喫茶店で地元の神戸新聞を読み、その他ネット上で各紙のニュースや論評を拾って、政治、経済、社会に関する諸問題を考える材料としているが、当今、「赤旗」の紙面を参照することも多くなった。政治的立場はともかくとして、「赤旗」が報ずる情報にも目配りが必要なようだ。

 昨年12月28日と本年1月5日の「赤旗」は、これまで知られていなかった特定秘密保護法の法案作成過程で隠蔽された重要な事実を報じている。「赤旗」が情報開示させた資料に基づくものだ。こんなことが国会審議の場で明らかになっていたら、大きな波乱を呼んだことであろう。

その1
「内閣情報官が特定秘密保護法の運用に関与し、重要な役割を果たすことに対し、内閣法制局担当官が疑問を提起していた事実」

 2013年9月13日作成の特定秘密保護法素案の付則第5条に、内閣法を一部改正して、内閣情報官の事務権限に「『特定秘密の保護に関するもの(内閣広報官の所掌に属するものを除く)及び』を加える」とされていることに対して、内閣法制局担当官が、「何をやるのか」、「そういうものを情報官がやっていいのか」と書き込み、疑問を提起していたことがわかった。
 内閣情報官とは、日本版CIAともいうべき内閣情報調査室のトップであり、歴代、警察庁の警備・公安畑の幹部経験者が就任しており、その職務は、従前、「内閣の重要政策に関する情報の収集調査に関する事務」を掌理することとされていた(内閣法18条2項、12条2項6号)。そのような隠微な情報収集事務を掌理する内閣情報官が、特定秘密の保護に関する事務を担当することに、内閣法制局担当官は、政府の法律顧問的な立場で、おそらくコンプライアンスの観点から疑問を提起したのであろう。
 しかしながら、政府は、内閣情報官の事務に「特定秘密の保護に関する事務を掌理」することを追加する内閣法の一部改正を強行してしまった。内閣法制局の担当官の疑問は無視されたのである。

その2
 「有識者委員から、本法制が国民の重要な権利利益に対する重大な脅威となり得ることが指摘されていた事実」

 特定秘密保護法の基礎となった2011年8月8日付「秘密保全のための法制の在り方について(報告書)」(秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議)の作成過程で、以下のやりとりがあったことが明らかになった。
 同会議の事務方を務めた内閣情報調査室が用意した文案には、「本法制は、その趣旨に従って運用されれば、国民の知る権利との関係で問題を生じたり、取材の自由を不当に制限したりするものではない」と書かれていた。これに対し、有識者委員らは、「むしろ危険性は指摘しておく方が、説得力がある。絶対安全という論調は、今となってはとり得ない」とコメントをし、上記記述を削除し、「ひとたび運用を誤れば、国民の重要な権利利益に対する制約する重大な脅威となる可能性が皆無とはいえず、国民主権のもと、国民による不断の監視が求められる制度であるということは、とくに強調しておくべできあると考える」(原文のママ)と記述するべきだとした。
 実際の成案では、この部分は、有識者委員の意見はややトーンダウンされ、「ひとたび運用を誤れば、国民の重要な権利利益を侵害するおそれがないとは言えないことから、国民主権の理念の下、政府においてはその趣旨に沿った運用を徹底することが求められ、また、国民においてはその運用を注視していくことが求められる制度であることは、特に強調しておきたい」と記述されるに至った。

 特定秘密保護法の運用事務を内閣情報官が掌理することは特定秘密法制の運用を秘密のヴェールで覆うことになる。内閣法制局担当官の疑問は正当であった。これを無視し、あるいは国民に隠蔽して国会審議を強行し、成立させられた本法には重大な瑕疵がある。

 本法案の審議において、安倍首相らは、特定秘密保護法制は、国民の権利利益を侵害することはあり得ないとの安全神話をふりまいたことは記憶に新しいところである。しかし、有識者委員らから上記のごとき指摘がなされていたことは極めて重大である。これを隠蔽して成立させられた本法には重大な瑕疵がある。

 政府は1月9日、特定秘密保護法に基づいて指定した特定秘密が、昨年末現在で計382件)にのぼると発表した。行政機関別で最も多いのは防衛省の247件、その他は内閣官房49件、外務省35件、警察庁18件、海上保安庁15件、公安調査庁10件、経済産業省4件、総務省2件、国家安全保障会議1件、法務省1件だった。しかし、本法は、廃止に至るまでずっと欠陥法であるとの追及を受け続けるであろう。(了)

佐藤優『創価学会と平和主義』(朝日新書)を読む

 以前、佐藤優氏の『獄中記』(岩波現代文庫)を読んで、彼が、鈴木宗男氏とともに政治的スケープゴートに仕立て上げられ、苦難の法廷闘争を闘いつつ、獄中生活の大半を多方面にわたる書物を読破することに費やしている姿にふれ、感動を覚えたものである。挫折の時代を終えて、社会に戻った後の佐藤氏の活躍ぶりは、そのときに私もはっきりと感じ取ることができた彼の不屈の精神が花開いたものだと、私は一人得心し、快哉を叫んでいた。

 その佐藤氏が、「7.1集団的自衛権行使容認閣議決定」について、以下のように述べている。

 「私は、閣議決定の全文を5回繰り返して読んだ。この文章は、外交実務を経験した人間でなければ読み解きが難しい部分がいくつもある。その結果わかったのは、閣議決定、むしろ『集団的自衛権行使による自衛隊の海外派兵は遠のいた』ということだ。」(『創価学会と平和主義』朝日新書)

 いかに優れた資質と能力を持っている人でも、売れっ子になり、多作になると、誤りが多くなり、愚にもつかないことを平気で書いてしまうもものだ。あの松本清張氏でも、GHQ参謀二部(G2)の部長であったウィロビーの情報操作に乗って、伊藤律スパイ説を世に伝播させてしまうという大きな誤りを犯した。読書の達人であり、眼光紙背に徹する読みで定評があるとはいえ、失礼ながら松本清張氏の域には達しない佐藤氏が、これだけ次から次へと書きまくっていれば、こんなことまで書いてしまうのもやむを得ないのかもしれない。

 しかし、ことはこれから戦争をする国づくりを進める安倍政権とこれを阻止せんとする平和を愛する人々との攻防の最前線にかかわる問題であるから、黙って見過ごすわけにはいかない。私は、佐藤氏に、「5回も読んで、こんなことを書くようでは、あなたの眼は節穴か?」と詰問せざるを得ない。

 佐藤氏は、昨年7月2日の、「朝日」、「毎日」、「読売」、「産経」の紙面を引用し、次のように講評している。

 「集団的自衛権行使容認に賛成の立場であっても、反対の立場であっても、四紙とも閣議決定は『海外の戦争に日本(自衛隊)が参加できる契機になった』と受けとめているように見える。」

 佐藤氏はこのような全国紙四紙の見かたに敢えて異論をさしはさむのであるが、それは以下の理由によるもののようだ。

 武力行使三要件の第一要件で「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から脅かされる明白な危険がある場合」とされている。これは厳しい縛りである。ほかにも「我が国の支援対象となる他国軍隊が『現に戦闘行為を行っている現場』では支援活動を実施しない」、「『武力の行使』を行うために自衛隊に出動を命ずるに際しては、現行法令に規定する防衛出動に関する手続と同様、原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記する」などの縛りがある。

 佐藤氏によれば、このような縛りがあるために、旧知の安全保障に詳しい外務省OBが困惑しているそうだ。「こんなに縛りがついているんじゃ米国に要請されても、自衛隊を派遣することができない。今までは憲法上できないという言い訳ができたが、文言の上では集団的自衛権を認めているので、今後は政治判断で自衛隊を派遣しないことになる。日米の信頼関係にマイナスになる危険をはらんでいる。」と。しかし、これはおかしな話だ。これらの縛りが仮に厳しいために自衛隊を派遣できないとして、それは憲法上の要請からくる縛りであり、その縛りに抵触するなら堂々と要請を断ることができるのであって、何も政治的判断によるものではない。政治的判断で要請を断るのは、縛りに抵触しない、つまり縛りが全然機能しないこと意味するのだ。

 実際、以下述べるとおり、これらは何の縛りにもならないのだ。

 武力行使三要件の第一要件で、「我が国の存立が脅かされ」と「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」とは、 国家安全保障局が作成した「自衛権などに関する政府見解の想定問答集」によると、「国家と国民は表裏一体のものであり、我が国の存立が脅かされるということの実質を、国民に着目して記述したもの(加重要件ではない)」とされている。そうすると結局は、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされる明白な危険がある場合」ということになり、生身の国民を離れた抽象的、観念的な概念となる。一方、日米同盟は、わが国の安全保障の機軸、わが国の存立の基盤だと政府は一貫して述べている。そうであれば、米国が、戦争を開始したら、わが国もともに戦わないことには日米同盟を危殆に陥しいれ、わが国の存立を脅かす明白な危険が存在することになる。従って、当然に、わが国も「武力行使3要件」に基づき参戦を余儀なくされることにある。
 そもそも「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」というのは、一義的明確性を欠き、政府の判断を限定することはできない。
また国会の原則事前の承認(緊急の場合には事後承認)というのも、佐藤氏も認めるとおり現行法令と同じ規制であり、その上政府が特定秘密保護法により安全保障に関する重要な情報を独占する法体制の下で、国会のチェック機能が働くとは思われない。

 さらに日米同盟を「双務化」させるために集団的自衛権行使容認を呼号する安倍政権の足取りを見るとき、米国から参戦を求められてこれを拒否するということを想定することは不可能である。

 ところで、佐藤氏が、この文脈で「我が国の支援対象となる他国軍隊が『現に戦闘行為を行っている現場』では支援活動を実施しない」との縛りがあるように言うのは、完全なる誤解である。これは国際貢献活動としての有志連合国の対テロ戦争をはじめとする戦闘ないし国連の集団的安全保障措置に対する後方支援活動に関するもので、集団的自衛権行使とは異なる次元に関することだ。当該閣議決定は、従来の規制を緩め、後方支援活動を戦闘現場に限りなく近い場所で行うことを可能にし、武力行使と一体化させ、さらには戦闘に転化させる危険をもたらすもので、それ自体厳しい批判にさらされなければならない。

 なお、佐藤氏は、憲法学者の木村草太氏の「武力行使三要件は、集団的自衛権という言葉を使っているが、実際には個別的自衛権で説明できる武力行使に限定している」との所説を、援用し自説の補強としているが、これについては既に以下の論文において反駁したので、ご参照頂きたい。

 「武力行使三要件に関する誤った説明を排す」
 http://tofuka01.blog.fc2.com/blog-entry-133.html

(了)

「7.1集団的自衛権行使容認閣議決定」に基づく法整備の骨格

 「7.1集団的自衛権行使容認閣議決定」は、以下のことを確認している。

1 武力攻撃に至らない侵害への対処
 ① 従来、警察、海上保安庁が対処していたグレーゾーン事態(外国の艦船、航空機、武装集団等のわが国領海、領空における不法行為)に対し、自衛隊も臨機応変に対処できるようにする
 ② 上記グレーソーン事態のうち、安保条約に基づいてわが国の防衛等に係る活動をしている米軍艦船や部隊に対し、武力攻撃に至らない攻撃がなされた場合に、自衛隊が武器使用してこれを制圧できるようにする。

2 国際社会の平和と安定への貢献
 国際の平和と安全を守るための特定国もしくは有志連合国の武力行使、国連による集団的安全保障措置に対する後方支援活動、及びPKO協力活動において、より積極的役割を果たせるようにする。

3 集団的自衛権の行使容認
 わが国密接な関係にある外国に対する武力攻撃に対しても、「武力行使三要件」に基づいて、自衛隊の武力行使することを認める。

 政府・与党は、これらの法整備について、今月下旬以後、与党間で協議を進め、統一地方選後速やかに法案を国会に提出するとの方針を明らかにしている。しかし、実際には、水面下において着々と検討が進んでいるようである。いくつかの新聞報道を総合すると、現時点で、以下のような骨格が浮かび上がっている。

 1①については、当該閣議決定において、新規立法をすることなく、治安出動(自衛隊法78条~81条)、海上警備行動(自衛隊法82条)を発令して行うこと、その命令手続を簡素化して現場の判断で臨機応変の対応ができるようにすること、自衛隊を即時に投入できるように日頃から、警察、海上保安庁との連携を密にし、情報共有をはかることなどが確認されている。これは見方を変えれば、治安、海上警備なる警察活動の武力行使への吸収である。

 1②については、「武器防護のための武器使用」(自衛隊法95条)の規定を、このような場合にも適用できるように、法改正をする。これは米軍と一体となった武力行使へ道を開く。

 2に関しては以下のとおりである。

 まず従来の法体制を見ておこう。まず周辺事態法により、自衛隊は、周辺事態(「そのまま放置すればわが国に対する直接の武力攻撃に至る事態等わが国周辺の地域におけるわが国の平和と安全に対する重要な影響を与える事態」)において、米軍の後方支援活動をすることが認められている。もっとも、これが認められるのは「後方地域」(「わが国領域並びに現に戦闘行為が行われておらず、かつそこで実施される活動の期間を通じて戦闘が行われることがないと認められるわが国周辺の公海及びその上空の範囲」)なる厳密な場所的限定が付されている。

 上記以外には、特定の事態に対して、後方支援活動のため自衛隊を海外に派遣する必要がある場合には、特別措置法をその都度制定して対応してきた(テロ特措法、イラク特措法)。その場合にも、自衛隊を派遣できる場所について、周辺事態法と同様、後方地域(もしくは非戦闘地域)なる限定(「現に戦闘行為が行われておらず、かつそこで実施される活動の期間を通じて戦闘が行われることがないと認められる地域」)がなされていた。

 さらにPKO協力活動については、武器使用は、正当防衛型が採用されていた。

 これについて、次のように法整備をすることが考えられている。

 後方支援のための派遣・・・有志連合国の国際の平和と安全を守るための武力行使、国連による集団的安全保障措置に対する後方支援活動のため自衛隊を海外派遣することを認める恒久法を新たに制定する。当該法には、自衛隊を派遣する地域として、従来のような「後方地域もしくは非戦闘地域」なる場所的限定を行わず、単に「現に戦闘が行われている地域以外」とするにとどめる(おそらく、これに伴い周辺事態法の「後方地域」の規定も改正することになるのであろう。)。これにより自衛隊の後方支援活動は、現に戦闘が行われてる場所に接着して行われることになる。後方支援活動はまさに武力行使と一体のものとなり、さらには戦闘そのものへと転化する。

 PKO協力活動・・・PKO協力活動自体の妨害を排除するための武器使用、駆けつけ警護を認めるようにPKO協力法を改正する。これはPKO協力活動を戦闘に引きずり込むことになる。

 3については、自衛隊法及び武力攻撃事態法に、「存立事態」(仮称)という概念を新たに盛り込むことが構想されている。「存立事態」(仮称)とは、いうまでもなく「武力行使三要件」の第一要件を要約した概念である。日米同盟のもとで自衛隊は、世界の隅々で、米軍の指揮下に入り戦闘行動を行う時代が切り開かれる。

 自衛隊を文字通り戦闘マシーンとし、海外派兵と世界で戦闘に参加できる体制が、着々と用意されつつある。佐藤優『的を創価学会と平和主義』 (朝日新書)は、空中にゆらめくイリュージョンに過ぎない。決して幻惑されてはならない。(了)

テロを憎み、糾弾するのは当然だが・・・

 フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」のパリ事務所が、イスラム過激派と思われるカラシニコフ自動小銃で武装した男二人に襲撃され、発行人のステファン・シャルボニエ氏ら編集幹部、記者、風刺画家ら12人が殺害され、多数がけがを負うという凄惨極まりないテロ事件が発生してから4日たつ。フランスをはじめ、世界各地で、暴力、テロを糾弾する行動が広まっている。勿論、そのような行動には道理がある。たとえどんな理由をもうけても、このようなテロが許されることなどあり得ないことは当然だ。

 しかし、ただ暴力、テロを憎み、非難し、糾弾するだけでは問題の解決にはならない。私たちは、彼らを非難、糾弾するとき、国際社会が、中東とイスラム世界の問題の本質に目をそむけ、「正義」「公正」「人間の尊厳」からかけ離れた対応に終始してきた過去を振り返り、そのことを自省しつつ、おそまきながら中東とイスラム世界に、「正義」「公正」「人間の尊厳」を回復させるにはどうするべきかを模索する決意を伴うものでなければならない。

 被害を受けた「シャルリー・エブド」は、刺激的な風刺画によって反権威、反権力の立場を鮮明にしている新聞で、しばしばイスラム主義を批判したり、揶揄したりしていたそうだ。酷なような言い方になるが、「シャルリー・エブド」は、先進国に普遍化された表現の自由の上にあぐらをかき、その特権を行使して、「正義」「公正」「人間の尊厳」から疎外された人たちを笑い飛ばしていたに過ぎないのではなかろうか。イスラム主義を批判するのであれば、中東とイスラム世界にほかならぬ先進国が作り出した「不正義」「不公正」「非人間性」を、何をおいても批判しなければならなかったのではないか。

 ところで、1月9日付朝日新聞社説は、次のように述べている。

 「イスラム教徒の多いアラブ諸国からも、テロを非難する声明が相次いでいる。国内に過激派を抱える国々が多くあり、テロの拡散は自身にかかわる深刻な問題だ。イスラム諸国の側からも、積極的に実態解明と再発防止の営みに加わるべきだ。
 フランス国内で、特に右翼などがこれを機に、反イスラムの言動を増やす懸念は拭えない。差別や偏見が強まり、ヘイトスピーチのような現象が起きるかもしれない。
 そのような事態に陥らないためにも、イスラム教徒や移民など少数派と多数派市民とが共生できる社会づくりに向けて、取り組みの強化が欠かせない。
 パリだけでなく、欧米各地の主要都市で多くの人々が連帯の集会を開いているのは、心強い反応である。この悲惨な事件を、共生社会の建設に向けた議論が広まるきっかけへと、転じたいものだ。」

 ここに述べられていることそれ自体に異論をはさむ人はいないだろう。いちいちもっともである。しかし、私には、どうもこれは無難に、ことの表面をなぞっているにすぎないように思えてならない。心を打つものがないのだ。

 中東とイスラム世界は、今から100年ほど前、先進国が勝手に国境線を定め(サイクス・ピコ協定)、また先進国がパレスチナの地にユダヤ国家建設を容認し(パルフォア宣言)、後押しし、蹂躙され続けてきた。先進国は、植民地として収奪しつくし、イスラエルは、パレスチナ人を排除し、侵略と膨張により大量の殺害をし、あるいは難民としてただ生きのびるだけの生を強い、湾岸石油産出国においては先進国は石油利権確保のために開発独裁を支援し、1%の王侯貴族のような人々の対極に99%の貧民を生み出している。

 ヨーロッパ各国は、今、1500万人のイスラム人口を抱えているという。フランスに450万人、ドイツに400万人、イギリスに200万人等々。彼らは、ほんの一握りの、オイルマネーを手にした金満家と、大多数の貧しく、疎外され、抑圧された人々とに、二極分解している。金満家たちは、高級住宅に住み、高級ブランド店で高価なものを買い漁り、優雅なレストランで金に糸目をつけず、美食にうつつをぬかしている。そしていまやオイルマネーは、先進国の企業買い占めに注ぎ込まれている。一方、大多数の貧困層は、出稼ぎ労働と不法滞在の沈殿物で、ようやく市民権を得た後も、差別され、屈折した生活を余儀なくされている。

 イラク、アフガンは言うに及ばず、つい最近のことを言えば、昨年、イスラエルのガザ地区攻撃で、2000名をはるかに超えるパレスチナ人が虫けらのように殺されていった。その圧倒的多数は民間人であり、多数の女、子どもも犠牲になった。
 国際社会は、このイスラエルの蛮行にどれだけの抗議をしたであろうか。どれだけの制裁を加えたであろうか。今回の被害者である「シャルリー・エブド」は、どれだけイスラエルに刺激的な風刺画を掲載したのであろうか。

 私たちは、イスラエルが、1969年に「ニクソン-メイヤ秘密協定」によって、アメリカから、秘密のうちに核開発を容認され、NPTに参加することなく、既に多数の核を保有しているのに、イラク、イランが核開発をしようとしていることをそのアメリカに咎められ、イラクが武力攻撃により解体され、イランは永らく武力攻撃の危険に曝されてきたことを、果たして「正義」、「公正」なこととして見逃してはいないだろうか。私たちは、イラク、アフガン、ガザで虫けらのように殺され、犠牲になった人々の「人間の尊厳」を等閑視しておりはしないだろうか。求められるのは、差別、疎外に呻吟している人たちにもあまねく「正義」、「公正」、「人間の尊厳」が行き渡らせることである。(了)
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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