「再度、『朝日新聞』の吉田調書「誤報」問題を考える」

 私は、当ブログ上で、昨年11月14日、15日の2回、「『朝日新聞』の吉田調書「誤報」問題を考える」と題する記事を書いた。以下に再掲しておくので本記事をお読みいただく参考として頂きたい。

前篇 http://tofuka01.blog.fc2.com/blog-entry-181.html

後篇 http://tofuka01.blog.fc2.com/blog-category-4.html

 上記記事において、私は、吉田調書に見られる3月15日朝の吉田所長の指示、所員の行動、それをかばう吉田所長の述懐の錯綜した矛盾を、以下のように解明してみたのであった。

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 「朝日新聞」の担当記者と担当デスクは、「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」との「変更」後の指示を真実の指示とする立場から、前篇③、④で摘示された吉田調書の記載は、2Fへ退避してしまった所員らの行動が、菅首相をはじめ官邸側が弾劾・拒絶していた撤退を、しかも所長の指示に反してやってしまったと受けとめられ、その責任が問われることになるのを防ぐべく、部下をかばう心遣いからなされた弁明であり、信用できないと考え、当該記事を書いたと考えられる。

 これは一つの合理的解釈として許容できるのではなかろうか。

 しかし、私は、これを非難するつもりはないが、この解釈は誤りであったと考える。ではどう解釈するべきか。

 同日3時過ぎ頃には、東電本店から1Fに「2Fへの退避手順書」が送付されていること(門田隆将『「吉田調書」を読み解く 朝日誤報と現場の真実』PHP研究所。なお、東電事故調査委員会報告書は、この退避手順書の作成履歴により、最終更新は3時13分であったとしている。)、6時32分に、1F対策本部が保安院などに「6時0分~6時10分ごろに大きな衝撃音がしました。準備ができ次第、念のため、対策本部を福島第二原発に移すこととし、避難いたします」と通報していること、7時00分に、東電側は、監視、作業に必要な要因を除き、2Fに一時避難することを関係官庁に連絡していることなどが、客観的事実として認められる。
 そうすると吉田所長の指示は、自己を含む必要要員を除く9割方の所員らは2Fへの退避することというもので一貫していたものと認めるのが相当ではなかろうか。

 そうなると前篇③、④に摘示された調書の記載内容はどう考えたらよいのだろうか。

 一つのヒントとして、海水注入問題についての吉田氏の言動を考えてみたらいいのではないかと思う。本店側が官邸の意向だと言って海水注入にストップをかけてきたとき、吉田氏は、テレビ会議のマイクに乗らないように部下に表向きの指示に従わないで海水注入を続けるように内々の指示をしつつ、マイクに乗る声で、本店側の指示を承諾していた。

 吉田氏はご自身が正しいと思ったことは、自己が責任をひっかぶるようにしてでも、それを貫く人なのである。東電の既定の方針は2Fへの退避である。しかし、額面どおりそのような指示をすれば官邸や世論の袋叩きになるおそれがある。そこで表向きは1F構内の安全な場所への退避を指示したことにし、混乱の中で、これまでの流れに沿って所員らは2Fに退避した。後にこの行動が正しく合理的であったと評価することにより命令違反のそしりを防ぐ。見事ではないか。

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 私は、矛盾した調書の記載内容を、吉田氏に最大限好意的に解釈してみたのである。これは亡くなられた吉田氏の名誉に配慮するという極めて日本人的な情緒のなせるわざであった。今、若干の反省をしているところである。

 率直に云って、このとき逆の筋書きも頭をよぎったが、それは書くべきではないと抑制したのである。

 そのとき頭をよぎった逆の筋書きとは、東電ぐるみの批判封じの策謀と吉田所長のそれへの加担というものであった。どういうことかと云うと、東電は、1F現地対策本部を2Fに移し、全員2Fへ退避させることを一旦決定したが、菅首相自らが東電本社に乗り込み、激をとばすなどこの撤退方針を官邸側が厳しく難詰したことにより、そのまま実行しづらくなり、一芝居打ったのではないかという推測である。
 所員の大部分を2Fへ退避させ、吉田所長はじめ一部は1F所内でも最も安全な重要免震棟にひきこもる。つまり大筋において既定の方針のとおり実行したのである。しかし、官邸側や世論の批判を招かないように工夫をしなければならなかった。それが、吉田調書にみられる吉田氏の弁明であった。吉田氏は、「2Fに行けとは言っていないんです」、だが伝言ゲームの行き違いで皆2Fへ行ってしまった、「よく考えてみれば2Fに行った方がはるかに正しいと思った」とすっとぼけてみせたのではなかろうか、と。

 残念なら、確証がない。そこで書くことはやめたのである。しかし、雑誌『世界』が、『解題「吉田調書」』の連載を開始し、2015年2月号に重要なことが書かれている。これらは確証ではないが、傍証にはなり得る。

 第一に、海渡雄一弁護士が、吉田所長が原子力安全保安院などに送信した「異常事態連絡様式」と標記されたFAX送信書3通を記者会見で提示したが、1通目は「準備ができ次第、念のため対策本部を福島第二へ移すこととし、避難します」というもの、2通目は「訂正あり」と手書きされ、「対策本部を福島第二へ移すこと」が抹消され、「作業に必要な要員を残し、対策要員の一部が一時避難します」と書きかえられたもの、3通目は「念のため監視、作業に必要な要員を除き、一時退避」との指示に訂正されたものであったということである。これらは、吉田所長が、「撤退」との批判を受けないように2F避難の決定の実行の仕方、官公署への届出の仕方に苦慮していたことを示すもののように思える。

 第二に、元日本原子力研究所研究主幹・田辺文也氏が、吉田調書の問題の記述の直前に「中央操作室も一応、引き上げさせましたので、しばらくはそのパラメーターを見られていない状況です」とある部分に注目し、15日朝7時過ぎから十数時間、中央操作室には要員不在となり、原子炉の水位も圧力も計測されないまま放置されていたことを解明した。そうであれば残留した69人は、中央操作室から直線距離にして400m離れた重要免震棟に退避し、なすすべなく時間を過ごしたことになる。

 これらのことから、私は、確証はないが、かつて頭をよぎった逆の筋書きも書いておくべきだと考えるに至った。これもあり得る、と。もしこちらであれば「現代の英雄」の影はややうすくなる。はたしてどうであろうか。(了)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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