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明らかになった安倍首相の「ポツダム宣言」に対する強い反感

 5月20日に行われた志位和夫氏との党首討論で、安倍晋三首相が、ポツダム宣言を「つまびらかに読んでいない」と答弁したことが話題を呼んだが、それ以上に驚くべきことは、その安倍首相が自民党幹事長代理だった当時、月刊誌「Voice」2005年7月号の対談で、「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えた後、『どうだ』とばかり(に)たたきつけたものだ」と語っていたと報じられたことだ(朝日新聞デジタル 2015年5月22日08時36分)。

 どうやら安倍首相はポツダム宣言に対し、ひそかに敵意と言っていいほどの強い反感を抱き続けていたようだ。戦後レジームの出発点はポツダム宣言であるから、戦後レジームからの脱却を悲願とする安倍首相が、ポツダム宣言に対し、強い反感を抱き続けていたのは当然かもしれない。

 折角の機会だから、ここで、ポツダム宣言について、少しおさらいをしておきたい。

 1945年7月26日、無条件降伏し、連合国(ソ連)の占領下にあったドイツのポツダムの地より、米英中三カ国連名で、対日降伏勧告文が発せられた。これがポツダム宣言である。

 ポツダム宣言の骨子は、以下のとおりであった。

◎我ら(合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣)は、日本国に対し戦争を終結する機会を与える。
◎我らの条件は以下のとおりであり、これについては譲歩しない。
・日本国民をして世界征服の戦争へと導いた勢力を除去する。
・平和、安全及び正義の新秩序が確立され戦争能力が失われたことが確認されるまでの日本領域の諸地点の占領
・カイロ宣言の条項の履行。日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我らの決定する諸小島に限られる。
・日本軍武装解除。兵士は各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る。
・日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないこと。戦争犯罪人の処罰。民主主義的傾向の復活強化。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されること。
・日本は経済復興させ、公正な賠償の義務を履行するために産業を維持することができること。戦争と再軍備のためのそれは認められないこと。
・これらの条件が達成せられ、日本国国民が自由に表明した意思により平和的傾向の責任ある政府の樹立せられたことが確認されたら占領は解かれること
・全日本軍の無条件降伏と日本国政府による保障が提供されること。これ以外の選択肢は、壊滅あるのみ。

 我が国政府がこれを確認したのは同月27日のことであった。

 政府部内では、東郷茂徳外相は、「無条件降伏を求めたるものにあらざることは明瞭」、「占領も地点の占領」であり「保障占領であって広範なる行政を意味していない点は、ドイツ降伏後の取り扱いとは非常なる懸隔がある」と評価し、慎重かつ前向きに検討することを求めた。鈴木貫太郎首相も、一旦はこれに賛同したが、陸海軍内に強硬な反対意見が噴出したため、同月28日に至り、記者会見の場で「何ら重大な価値あるものとは思わない。ただ黙殺するだけである。我々は断固戦争完遂に邁進するだけである。」と強硬姿勢をとることとなってしまった。

 鈴木首相の上記発言が、ポツダム宣言受諾を拒絶したものと受け取られたのは当然である。これによって降伏の機会を逸した我が国が、8月6日の広島、8月9日の長崎と、相次いで原爆投下され、人類史上かってない惨禍をこうむったことは周知のとおりである。その惨禍とソ連の対日参戦を見届け、ようやく我が国政府は、ポツダム宣言受諾に動く。それでも、同月10日に、発した声明文は以下のとおりであった。

 「帝国政府は天皇陛下の一般的平和克服に対する御祈念に基づき戦争の惨禍を出来得る限り速やかに終始せしめんことを欲し左のとおり決定せり
帝国政府は1945年7月26日「ポツダム」に於いて米、英、華三国首脳者により発表せられ爾後「ソ」連政府の参加を見たる共同宣言に挙げられたる条件を右宣言は天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含しおらざることの了解の下に受諾す
 帝国政府は右了解にして誤りなきを信じ本件に関する明確なる意向が速やかに表示せられんことを切望す」

 これに対して対日参戦をしたソ連を含め、米英中ソ4国を代表して米国務長官バーンズ名でなされた同月11日付回答書は以下のとおりであった。

 「我らの立場は左の通りなり。降伏の時より天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項実施の為其の必要と認むる措置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かるるものとす」

 見られるとおり、我が国が求めたのは国体護持。しかし、それについては、ポツダム宣言本文で、政治形態は日本国民の自由に表明する意思により決定されると述べていること、及びポツダム宣言第12項「日本国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且責任ある政府を樹立せらる」ことを占領軍撤収の条件としていることから、国民主権原理に反する天皇大権を否定していることは明らかであり、求めるだけヤボというものである。恐らく日本政府が注目したのはバーンズ回答が「天皇・・・の権限は、・・・・・・・連合国最高司令官の制限の下に置かるるものとす」としたことであろう。どうやら天皇及び皇室は安泰だとほのめかしているように読めるのだ。
 我が国政府にとって国民の命などどうでもよい、唯一つの要求は、「天皇と皇室の安泰」であったのだ。どうやらそれは認められそうだと胸を撫で下ろして、我が国政府は、同月14日、ポツダム宣言を受諾するに至ったのであった。この間には累々たる原爆犠牲者の屍が積み重ねられた。その犠牲者とその後現在までつながる被爆者の生と死のことを思うと、当時の我が国政府高官らは、万死に値すると言わなければならない。このことは、いかに善良で、忘れっぽい日本国民といえども、子々孫々に至るまで、ゆめゆめ忘るまじきことだ。

 さて我らが安倍首相は、当時の我が国政府高官の系譜に属するようである。私たちは、そのような安倍首相のもとで戦争立法の企てが進められているのだということに格別の注意を払う必要がある。平和、安全の美名の下には、戦前回帰の狙いが隠されているのだ。   (了)
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「存立危機事態でも、他国領域に派兵することはない」との安倍発言を解剖する

 5月20日の党首討論で、岡田克也民主党代表と安倍晋三自民党総裁との間で次のようなやりとりがあった。

岡田:存立危機事態について。武力行使の新3要件が満たされれば、日本の自衛隊も出ていって戦う。その場所は相手国の領土、領海、領空に及ぶか。

安倍:今までと同様、海外派兵は一般に禁止されている。他国の領土に戦闘行動を目的に自衛隊を上陸させて武力行使をさせる、領海、領空でそういう活動をする、派兵をするということはない。(中東・ホルムズ海峡での)機雷除去は、いわば「一般に」ということの外において何回も説明している。

 はたして安倍氏は、真実を述べているのであろうか。嘘に決まっているではないかとおっしゃるなかれ。少し論理的に検討してみようではないか。

 「眼にタコ」ができてしまっている人も多いと思うが、昨年7月1日閣議決定中の「武力行使三要件」を確認しておこう。

① 我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合であること
② これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
③ 必要最小限度の実力を行使すること

 ①については、二つの場合が一緒に書き込まれている。「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」というのは、従来からある「武力攻撃事態」のことであり、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」というのが、今回、「武力攻撃事態法」あらため「事態対処法」に盛り込まれる予定の「存立危機事態」である。
 このやりとりでは、「存立危機事態」への対処がテーマとなっている。

 「存立危機事態」に関し、予定されている政府のとるべき措置は次の如くである。

① 内閣総理大臣が「存立危機事態」を認定する。
② 内閣総理大臣は事前に国会の承認を得て、自衛隊の全部又は一部に出動(「防衛出動」)を命じる。もっとも国会の承 認は特に緊急の必要があり事前に国会の承認をえるいとまがない場合には事後でもよい。
 内閣総理大臣が防衛出動命令について国会の承認を得る場合、別途、対処基本方針を作成して提出し、承認を得なければならない。その対処基本方針には以下に関する事項が記載される。
・事態の経緯、事態が存立危機事態であることの認定及び当該認定の前提となった事実
・事態が存立危機事態であると認定する場合にあっては、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がなく、事態に対処するため武力の行使が必要であると認められる理由
・当該武力攻撃事態等又は存立危機事態への対処に関する全般的な方針、対処措置に関する重要事項

 もっとも実際にはこのように進むことはないと考えた方がいいだろう。武力衝突・武力の行使・戦争は、法の描くストーリーに従い、法的概念と法的根拠に従って発生するものではなかったことは歴史の教えるところである。柳条湖事件後の満州における関東軍をはじめ出先の軍隊の暴走、盧溝橋事件後の現地軍の独断進撃、太平洋戦争開戦に至る過程での軍と政府一体の暴走など、武力衝突・武力の行使・戦争は法的な手続き・ルールに従いなされたのではなく、de factoに(事実上)進行したことを歴史は教えている。このことは何も我が国だけのことではない。

 今回の戦争立法において、自衛隊の部隊が、国際共同対処事態における協力支援活動(国際平和支援法)、重要影響事態における後方支援活動(重要影響事態法)、国連の統括しない国際連携平和安全活動(国際平和協力法)及び在外邦人の救出・警護活動(自衛隊法84条の3)など、なし崩し的に海外派兵されて行き、かつ派兵部隊の活動がこれまでのように抑制的なものではなくより危険なものに質的変化を遂げようとしている。
 従って、そのことによって、現地部隊が否応なく武力衝突に巻き込まれ、武力行使を余儀なくされる事態、つまり武力衝突・武力行使・戦争が、de factoに進行する事態の可能性が著しく広がってくる。政府は後追いをして、それに法的な外皮をかぶせていくだけ、という進行を考えておくべきであろう。

 それはともかくとして、事態対処法案の進行予定表に従って進むとしよう。その場合、法文上、「存立危機事態」における内閣総理大臣の防衛出動命令に地理的限定がなされることを想定した規定はどこにも認められない。

 「武力行使三要件」が打ち出される前段において、首相の私的諮問機関である安保法制懇が、昨年5月15日に提出した報告書では、集団的自衛権を次の要件のもとに認めることを提案していた。

① 我が国と密接な関係にある国が武力攻撃を受ける。
② 攻撃を受けた国から要請がある。
③ 放置すれば日本に重要な影響を及ぼす。
④ 第三国の領域を通過する際はその国の許可を得る。
⑤ 原則として国会承認を受ける。
⑥ 内閣総理大臣が行使の有効性を総合的に判断する。

 ここにおいては部隊が第三国の領域を通過する際には当該国の同意を得ることされている反面、武力行使をする場所、即ち戦闘の場所については何も書かれていない。というよりは、それは書けないのである。それを予め限定することはできないのである。何故なら、我が国と密接な関係にある国が武力攻撃を受けて戦っているとき、我が国は、後方支援をするのではなく、我が国と密接な関係のある国とともに、その敵と武力を行使して戦わねばならないからである。その場合、既に土俵は設定されており、かつ戦闘の展開とともに変動していくことになる。いきおい他国領域に戦闘の場が移っていくこともあるだろう。ともに戦う我が国が、土俵を自ら決定するわけにはいかないのは誰が考えてもわかることである。

 一方、「武力行使三要件」では、何も書かれていないから、地理的問題には一層無頓着である。しかし、戦闘現場を自ら設定できないことは同じである。このことは以下のことからも明瞭である。
 昨年7月15日参院予算委でのやりとで、日本共産党・小池晃議員は、「武力行使三要件」の2番目の要件「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと」の「これ」とは何かという質問をしたのに対し横畠裕介内閣法制局長官は、「他国に対する武力攻撃のこと」であると答弁した。つまり、我が国と密接な関係のある国への攻撃を排除するのに必要な武力行使をしなければならないと答えたのである。それはとりもなおさず、戦闘の展開に応じて、我が国が戦う場所も、敵の攻撃を撃退するのに必要な場所に移動していかなければならないことになるということを意味している。

 もし、それでも安倍氏が「他国の領域に戦闘行動を目的に自衛隊を派兵しない」と言い張るのであれば、そのように事態対処法案に明記しなければならない。そのとき「武力行使三要件」は、事実上従来の政府見解である「自衛権行使三要件」に復元されることになり、集団的自衛権行使は否定されたにほぼ等しくなる。残るのは「ホルムズ海峡その他における機雷掃海」のみを単独に俎上に乗せてその可否を問えばよい。そうしない以上は、安倍氏が述べるところはやはり虚言と言わざるを得ない。
                             (了)

専守防衛が堅持される?それほんまかいな~? (続き)

 「専守防衛」とは、要するに、「①わが国に対する武力攻撃があり、②これを排除するために他に適当な手段がない場合に、③必要最小限度の実力行使にとどまる」ことを要件とする自衛権を行使するための必要最小限度の実力として、憲法9条の下でかろうじて市民権を得た自衛隊の身体表現そのものである。従って、自衛隊の実力(軍備及び組織の力であり、ありていに言えば軍事力である。)を「専守防衛」以外の目的のために運用することは自衛隊の自己否定である。これにより自衛隊は憲法9条に違反する存在へと転落することを意味する。

  また「専守防衛」が具体的に意味するところは明瞭であり、以下の各要件を全て満たすことが要求される(前述の1972年10月31日・田中角栄首相答弁も、1981年版から2014年版に至る防衛白書の記述も同趣旨である。)。

第一にわが国に対する武力攻撃があったときにこれを排撃することである。
第二にわが国領域(領土、領海、領空)及びその周辺から攻撃をする敵を排除することである。
第三に敵の武力攻撃を排撃するのにほかに適切な方法がなく、かつ必要最小限度の武力行使にとどまること。

 さて「専守防衛」は、過去、幾度が国会等における議論の対象となってきた。その概略を示すと以下のとおりである。

 1956年2月29日、鳩山一郎内閣は、「誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲内に含まれる可能性がある」との政府統一見解を示した。しかし、これに対して社会党議員からの追及があり、時の防衛庁長官が政府を代表して「(政府統一見解で述べられた事態は)今日においては現実の問題として起こりがたいのであり、そういう仮定の事態を想定して、その危険があるからといって平生から他国を攻撃するような、攻撃的な脅威を与えるような兵器を持つことは、憲法の趣旨とするところではない」と答弁することにより、先の政府統一見解を事実上撤回した。

 他国に攻撃的脅威を与える兵器の導入について、野党議員やマスコミの批判を受けて、攻撃性を抑制する措置がとられることがあった。たとえば1972年から導入開始された航続距離の長いF4ファントム戦闘機について爆撃装置をはずし、空中給油装置を地上給油用に改修され、また1980年代の主力戦闘機F15イーグル、空中給油装置は当面使わないこととして導入された。

 2003年1月、北朝鮮がNPT脱退を表明したことに端を発した第二次朝鮮半島危機に際して、ミサイル発射準備段階で、発射基地を攻撃できるのかどうか、あるいは敵地攻撃能力を持つべきだという議論が起きた。しかし、最終的に政府は、「相手国の攻撃意図が分かったときに相手をたたく攻撃兵器を持つべきだという防衛専門家の議論は承知しているが、政府にそのような考えはない。必要最小限の専守防衛に徹し、足らざるは日米安保条約、アメリカの抑止力によって、日本の安全を確保すべきである」(同年3月28日参院予算委における小泉純一郎首相答弁)と、議論を収束させた。
 もっとも同年3月、アメリカが対テロ戦争を呼号して未だ武力攻撃もないのにイラク戦争をしかけたことが呼び水となって、上記政府見解を示された後も、国会議員や民間団体から「専守防衛」を見直し、敵基地攻撃能力及び先制攻撃論を容認することを求める提言が相次いだ。しかし、政府は、2010年防衛大綱においても2013年防衛大綱においても、基本的には「専守防衛」を維持したのであった。

 「専守防衛」は、このように憲法9条の制約下にある自衛隊の装備及び運用の限界を画するものであるが、一面では、国民の支持を確保し、わが国による侵略の被害を受けた近隣諸国の警戒感をおさえ、良好な関係を保つために有効なキャッチフレーズでもあった。
 実際、最近の世論調査(内閣府実施)では、自衛隊によい印象をもつ、もしくはどちらかといえばよい印象をもつ人の割合は90%を超えているが、その理由として圧倒的多数の人が、「災害出動」や「わが国の安全を守る活動」をあげている。「わが国の安全を守る活動」というのは、「専守防衛」ということであろう。また近隣国もことあるごとに「専守防衛」に期待を寄せている。

 ではこの度の戦争立法では、どうなるのであろうか。戦争立法が通れば、以下のようになる。

(海外派兵の目いっぱいの拡大)

①海外派兵法制のよりどりみどりのメニューがつくられる。

・国際平和支援法/国際平和共同対処事態/協力支援活動と捜索救助活動
・重要影響事態法/重要影響事態/後方支援活動と捜索救助活動(対象は合衆国軍隊等に拡大)
・国際平和協力法/国連の統括しない国際平和安全活動
・事態対処法/存立事態/防衛出動(わが国と密接な関係にある他国・無限定)

 これらは重なり合う。政府は状況に応じて選択することができる。従来に比べて自衛隊の海外派兵の範囲及び活動の質・量は飛躍的に増大する。

②海外派兵法制のいずれにおいても集団的自衛権行使に入り込んでいくことになる。

 協力支援活動・後方支援活動・捜索救助活動は兵站活動であり、その多くは国際法上「武力行使」にあたると通常は考えられている。わが国政府は、それを武力行使ではないと主張しつつ、「武力行使との一体化論」によりほころびを避けてきたが、戦争立法では「武力行使との一体化論」をも形骸化させようとしている。

 また国際平和協力法により安全確保活動、駈け付け警護をメニューに入れ、当該任務推敲のための武器使用を認める。これらは武力行使に限りなく近づく。

③仮にそれらが武力行使ではなくても、それらの危険な活動により、反撃と戦闘が始まり、集団的自衛権行使にはいりこむことになる。

(海外での武器使用の拡大)

①政府見解では以下のとおり、武器使用と戦闘行為、武力行使とは異なる概念とされる(政府見解では、武力行使の定義が著しく狭いことに留意されたい。)。

・戦闘行為/国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為
・武力行使/①国家もしくは国家に準ずる組織に対する②組織的・計画的な戦闘行為
・武器使用/国家もしくは国家に準ずる組織が対象とならない武器の使用(自己保存、武器防護、治安活動・警護等任務遂行のための武器の使用)

②これまでの海外派兵時の武器使用の基本形は自己防護型と武器防護型であった。
⇒戦争立法ではこれを以下のように著しく拡大
イ 宿営地での共同自己防護
ロ 安全確保活動・駆けつけ警護活動における任務遂行のための武器使用
ハ 在外邦人の警護・救出任務遂行のための武器使用
二 重要影響事態での後方支援活動中に人員・物資・補給等の活動をする合衆国軍隊等の武器防護/その他海外自衛隊と連携してわが国の防衛に資する活動に従事中の合衆国軍隊等の武器等を職務上警護するにあたっての武器使用

③これらが単なる武器使用にとどまらず、武力行使にあたる場合もある。かりにそうでなくともこうした武器使用の拡大により、敵対勢力の反撃から戦闘行為、武力行使に発展する(武力攻撃事態、存立危機事態を招き入れる)。

(大が小を兼ねるという倒錯)

 武力攻撃に至らない低レベルの侵害行為に自衛隊を迅速に投入するシステム構築することが予定されている。軍事力をつかってはならない事態に、迅速果断に使用できるようにするというわけである。それ自体自衛隊の任務を逸脱するでであるが、さらに、これにより反撃から戦闘行為、武力行使に発展する(武力攻撃事態、存立危機事態を招き入れる)危険が高まる。

 見られるようにわが国の領域もしくはその周辺において、わが国対する武力攻撃に反撃し、排除することをはるかに超えている。自衛隊は、世界のどこにも、ことあるごとに派兵され、武力行使をすることとなる。このような戦争立法において、「専守防衛」はもはや廃棄されることは明らかである。しかるに政府、自民党は堅持されると言い張っている。それの意味するところは、ただ一つ、国民が反対にまわるのを防ぎ、近隣国の反発を避けるために、死滅する「専守防衛」の名前を騙っているに過ぎないということだ。政府、自民党はペテン師である。
     (了)

専守防衛が堅持される?それほんまかいな~?


東京新聞5月13日付朝刊に載った次の短い記事に目がとまった。

 「中谷元・防衛相は十二日の参院外交防衛委員会で、日本が掲げてきた『専守防衛』の定義に関し、他国が攻撃されたときに反撃する集団的自衛権の行使も含まれるとの考えを明らかにした。これまでの政府見解を事実上変更した発言だ。
 『専守防衛』は戦争放棄と交戦権の否認などをうたった憲法九条に基づく日本の防衛政策の根幹となる考え方。政府は『相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使する』と定義、防衛白書にも明記している。
 しかし、中谷氏は憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を認めた昨年の閣議決定に基づき、専守防衛は『他国への攻撃でも国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合も含むと解している』と述べた。政府は集団的自衛権の行使も『自衛の措置』と説明しており、中谷氏は『(集団的自衛権は)他国防衛が目的でなく、専守防衛の定義に何ら変更はない』と強調した。質問した民主党の小西洋之氏は『こうした読み替えは許されない。専守防衛の精神が安倍政権によって変えられてしまった』と批判した。」

 昨年7月1日の閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(以下「7.1閣議決定」という。)は、切れ目ない自衛隊を海外派兵と世界各地の武力紛争へのわが国のコミットメントを進めるためのマスタープランであった。その後10ヶ月をかけて作成された「戦争法案」は、7.1閣議決定をめいっぱいふくらませ、おなかをパンパンにした状態で、5月15日に、国会提出された。

 こうして、今、作られようとしている「戦争法制」の下では、わが国の防衛の基本方針たる「専守防衛」は公然と廃棄される運命にあると私は考えている。ところが、上記の記事によると、政府は「専守防衛」は、なんらの変更もなく維持すると言い張っているようである。

 では自民党はどうだろうか。自民党安全保障法制整備推進本部は「切れ目のない『平和安全法制』に関するQ&A」なる文書を、同日作成している。これに目を通してみたら以下の問答が記されていた。

問18 「専守防衛」の変更になるのですか?
答18 昨年7月1日の閣議決定においても、憲法第9条の下で許容されるのは、あくまでも、国民の命と平和な暮らしを守るため、必要最小限度の自衛の措置としての「武力の行使」のみです。引き続き、「専守防衛」を堅持していくことには変わりはありません。

 政府も自民党も、「専守防衛」は堅持すると言っている。関西では、「それ、ほんまに言うてんの~?」と突っ込まれそうだが、本当である。

 さらに、日米両政府が4月27日に合意した新たな日米防衛協力のための指針(以下「新ガイドライン」という。)には、第二章「基本的な前提及び考え方」において、「(新ガイドラインで合意された)日本の行動及び活動は専守防衛、非核三原則等の日本の基本的な方針に従って行われる」と明記されている。新ガイドラインは、7.1閣議決定と上記「戦争法案」の対米約束版である。そこでも「専守防衛」堅持となっているのだ。

 さて、これをどう理解するべきであろうか。上記の記事によると、民主党の小西洋之議員は、「こうした読み替えは許されない。専守防衛の精神が安倍政権によって変えられてしまった」と批判したとのことであるが、もう少し掘り下げて考えてみよう。

 まず「専守防衛」の沿革をざっと見てみよう。

 わが国で、「専守防衛」なる用語がはじめて政治の場に登場したのは、1955年7月のことであった。航空自衛隊の戦闘機その他の航空機の整備にかかわる国会論戦の中で、杉原荒太防衛庁長官が、次のような答弁をしたのが嚆矢である。

 「厳格な意味で自衛の最小限の防衛力を持ちたい。・・・決して外国に対し攻撃的・侵略的空軍を持つわけではない。もっぱらの専守防衛という考え方でいくわけです。」

 1970年10月に、わが国初の「防衛白書」が発行されたが、そこにおいて「わが国の防衛は、専守防衛を本旨とする」と記載された。

 ここまでは、憲法9条の下で許される必要最小限度の実力という文脈で、「専守防衛」なる用語が用いられていることはわかるが、その意味について解説はなされていなかった。それが具体的に示されたのは、1972年10月31日、参議院本会議における田中角栄首相の次の答弁であった。

 「専守防衛は、防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行うことであって、わが国防衛の基本的な方針であり、この考え方を変えるということはまったくない」

 「防衛白書」における記述はその後、1981年版において、「専守防衛とは相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限度のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいう」と説明されるに至り、2014年版に至るまで、この説明は踏襲されている。

 以上の沿革をたどるとき、「専守防衛」とは、自衛隊を憲法9条に適合するとなす長年にわたる国家実践の要諦をなす次の二つの政府見解の射程において構成された防衛政策の大原則であったと認めることができる。

(1)「いわゆる自衛権の限界は・・・たびたび述べておりますように急迫不正の侵害、即ち現実的な侵害があること、それを排除するために他に手段がないこと、さらに必要最小限度それを防御するために必要な方法をとるという三つの原則を厳格なる自衛権行使の要件と考える。」(1954年4月6日衆議院内閣委員会・佐藤達夫法制局長官答弁)

 これは「自衛権行使3要件」を述べたものであり、整理すると次のようになる。

① わが国に対する武力攻撃があること
② この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

(2)「①9条1項は国家固有の権能としての自衛権を認めている、②9条2項では戦力の保持は禁止されるが、自衛のための最小限度の実力の保持は認められるとの鳩山内閣統一見解(1954年12月22日衆議院予算委員会)

 ここでいう自衛権は、「自衛権行使3要件」の範囲内のものである。

                             (以下続く)

安倍首相の「戦争立法」記者会見を斬る

5月14日、安倍首相は、戦争立法閣議決定後に記者会見を行いました。その発言全文が内閣官房のHPにアップされています。合計約9500字、まぁ、なんと冗舌なことでしょう。この程度のことを言うだけなら、1000字もあれば十分足りるでしょう。彼の冗舌は、戦争立法の恐るべき真実の露見を防ぐめくらましなのでしょう。

安倍氏曰く、「70年前、私たち日本人は一つの誓いを立てました。もう二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。この不戦の誓いを将来にわたって守り続けていく。」と。
日本国憲法はその誓いの結晶です。しかるに、あなたは、それを押し付け憲法とののしり、その改変を呼号しています。こういのを二枚舌と言うのです。

安倍氏は「国民の命と平和な暮らしを守り抜く。この決意の下、本日、日本と世界の平和と安全を確かなものとするための平和安全法制を閣議決定いたしました。」と言っています。「平和安全法制」とは、またみごとにきれいな花で飾ったものですね。でもねぇ、昔からきれいな花にはトゲがあるって言うでしょう。また衣の下に鎧ともいいますね。

安倍氏は、一転して国際社会の厳しい現実を語ります。そして「私たちはこの厳しい現実から目を背けることはできません」と不安をあおりたてます。でもしっかり見抜きましょう。考えてもごらんなさい。日頃、言い争いばかりしている人が、まわりにいっぱい敵をつくり、「厳しい現実」を語っても、誰も相手にしませんよね。ご自分で「厳しい現実」を招きこんでおいて、それで人々の不安をあおろうとしても、そうはいきません。

安倍氏は、総理就任以来、近隣諸国との対話を重視し、地球儀を俯瞰した平和外交を展開してきたと自画自賛しています。しかし、お忘れですか?それとも敢えてフタをしようとされているのですか?あなたは、アジア侵略の事実を否定し、慰安婦問題、靖国参拝、さらに河野談話と村山談話の見直しに言及し、近隣国との対立を深めてきましね。ISの人質虐殺を招き寄せたカイロでの挑発演説もありましたね。私たちは決して忘れたりしませんよ。

安倍氏は、「厳しい現実」をあおりたて、「同時に、万が一への備えも怠ってはなりません。そのため、我が国の安全保障の基軸である日米同盟の強化に努めてまいりました。」と述べます。延々と枕詞が続きましたが、ここからが安倍氏の言いたい本論に入るのですね。さて、早速、言葉を返すようですが、今の日本の防衛体制や日米軍事協力の実態は、「万が一への備え」をはるかに凌駕しています。重武装をしながら、「万が一への備え」もあったものではないでしょう。

安倍氏「〈米軍は〉安保条約の義務を全うするため、日本近海で適時適切に警戒監視の任務に当たっています」。そうでしょうか。米国はそんなに善たる国ではありませんよ。戦後の日米関係の歴史をひもとけば、米国は、一貫して、わが国をその世界戦略、国益伸張の道具にしてきたことがわかります。米軍の展開と活動が、無条件にわが国の防衛の任務にあたるものだという見解は、あまりにも現実無視、戦後日米関係史の無知に基づくものと言わざるを得ません。米軍の展開と活動は、米国独自の世界戦略と国益伸張のためのものであると見るべきことは常識ですね。

安倍氏は続けます。「私たちのためその任務に当たる米軍が攻撃を受けても、私たちは日本自身への攻撃がなければ何もできない・・・本当にこれでよいのでしょうか」。待ってくださいよ。わが国は、戦後70年の今日も米軍に広大な基地を提供し、膨大な国費を注入してきました。沖縄では県土の面積の18%もが、米軍基地に接収されたままですよ。それによってどれだけの犠牲を強いられてきたことでしょうか。逆に私は安倍氏に問いたい。「本当にこれでよいのでしょうか」と。

安倍氏は「日本近海において米軍が攻撃される、そういった状況では、私たちにも危険が及びかねない。人ごとではなく、まさに私たち自身の危機であります。」と得意のきびす返しをして、国民に迫ります。しかし、それならそんな米軍にはサッサと退去願おうと反論しようではありませんか。米国の世界戦略と国益伸張のためにわが国を危険にさらすようなことはやめてもらいましょうと。

安倍氏は、存立危機事態で自衛隊を防衛出動させる許し難い憲法9条蹂躙に対し、「3つの要件による厳格な歯止めを法律案の中にしっかりと定めました。さらに、国会の承認が必要となることは言うまでもありません。極めて限定的に集団的自衛権を行使できることといたしました。」などとあっさり片付けています。なんと空しい言葉でしょうか。ごまかしですね。まぁ、はじめから米国とともに戦うためだなどは言えませんからね。

追い討ちをかけるように安倍氏は「それでもなお、アメリカの戦争に巻き込まれるのではないか。漠然とした不安をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。」と続けます。しかしねぇ、むしろそれが健全な常識を持つ多数の国民が抱く不安ではないでしょうか。それは漠然とした不安ではありません。それには確たる根拠があります。米国は、戦後、殆ど途切れることなく、世界で戦争を続けてきましたからね。北東アジア、東南アジア、中南米、中近東と、本当に世界をまたにかけてね。

安倍氏は「日本が武力を行使するのは日本国民を守るため。これは日本とアメリカの共通認識であります。」と言います。つい口がすべったのでしょうか。ご自分が直前で「私たちのためその任務に当たる米軍が攻撃を受けても、私たちは日本自身への攻撃がなければ何もできない・・・本当にこれでよいのでしょうか」と述べたことを忘れてしまったようですね。

「もし日本が危険にさらされたときには、日米同盟は完全に機能する。そのことを世界に発信することによって、抑止力は更に高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなっていくと考えます。」と安倍氏は、高潮してご託宣をしています。しかし、これはまぁなんと古い考えでしょうか!これは力の均衡論、パワー・オブ・ポリティックスです。この考え方は、古来、「安全保障のジレンマ」といわれる困難な事態を招き、結局は雌雄を決する戦争に至ります。

 
安倍氏曰く、「ですから、戦争法案などといった無責任なレッテル貼りは全くの誤りであります。」と。しかし、今回の安全保障法制は戦争立法であるというのは無責任なレッテル張りではありません。まさに本質をついています。私の下記小論をご一読下さい。きっとおわかり頂けるでしょう。

「『戦争立法の恐るべき真実』
http://t.co/nULN1oMXIS

あわせて5月14日付け下記日弁連会長声明もご覧ください。

http://t.co/DmacNCNZs6
                                                          (了)

複雑でわかりにくい戦争立法を骨太に解読し、批判するために

(基本的な視点

・憲法9条から
自衛のための最小限度の実力なる政府見解の要は「自衛権行使3要件」である⇒専守防衛論、海外派兵禁止論、「武力行使との一体化」論、集団的自衛権否定はそのコロラリー

戦争立法は憲法9条のこの足枷を完全に解き放とうするもの

・集団的自衛権を疑う  国際法上確たるものとはいえないこと・国連憲章51条の解釈

戦争立法はあらゆる回路で集団的自衛権行使にふみこもうとするもの

(海外派兵の目いっぱいの拡大)

① 海外派兵法制のよりどりみどりのメニューがつくられる

・国際平和支援法   国際平和共同対処事態 協力支援活動と捜索救助活動

・重要影響事態法   重要影響事態      後方支援活動と捜索救助活動
                       対象は合衆国軍隊等と拡大

・国際平和協力法   国連の統括しない国際連携平和安全活動

・事態対処法      存立危機事態     武力行使(防衛出動)
                       わが国と密接な関係にある他国・無限定

これらは実は重なり合う・国連決議・国会の(事前)承認の無意味性

② しかもいずれも集団的自衛権行使に入り込む

協力支援活動・後方支援活動・捜索救助活動と「武力行使」・・・兵站活動の通常の理解

安全確保活動、駈け付け警護と「武力行使」

⇒それらの活動は武力行使もしくは限りなく武力行使に近くなる

又はそれらの危険な活動により集団的自衛権行使にはいりこむ

(海外での武器使用の拡大法制)

① 政府見解では武器使用と、戦闘行為、武力行使とは異なる概念とされる

戦闘行為 国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為
武力行使 ①国家もしくは国家に準ずる組織に対する②組織的・計画的な戦闘行為
武器使用 国家もしくは国家に準ずる組織が対象とならない武器の使用/自己保存、武器防護、治安・取締り・警護等任務遂行のための武器の使用

② 海外派兵時の武器使用の基本形・・・自己防護型と武器防護型
⇒これを著しく拡大
 イ 宿営地での共同自己防護
 ロ 安全確保活動・駆けつけ警護活動における任務遂行のための武器使用
 ハ 在外邦人の警護・救出任務遂行のための武器使用
 二 重要影響事態での後方支援活動中に人員・物資・補給等の活動をする合衆国軍隊等、その他海外自衛隊と連携してわが国の防衛に資する活動に従事中の合衆国軍隊等の武器等を職務上警護するにあたっての武器使用

③ これらは単なる武器使用にとどまらず、武力行使にあたる可能性あり。かりにそうでなくとも反撃から戦闘行為、武力行使に発展する(武力攻撃事態、存立危機事態を招き入れる)

(大が小を兼ねるという倒錯)

武力攻撃に至らない低レベルの侵害行為に自衛隊を迅速に投入するシステム構築 ⇒反撃から戦闘行為、武力行使に発展する(武力攻撃事態、存立危機事態を招き入れる)
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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