アフガン国際治安支援部隊(ISAF)について (2)

 佐瀬昌盛氏や小川和久氏の朝日新聞2014年6月15日付朝刊記事に対する批判は、ISAFが、2001年12月の国連安保理決議1386号により、その設置が承認され、オーソライズされたものであるという形式面を捉え、これを集団的自衛権と混同するような記事はミスリードであり、国連の集団的安全保障措置であることを明確にするよう訂正されなければならないというものである。

 アメリカ軍とNATO諸国軍によるアフガン攻撃開始後、それらの大規模な空爆とアフガン国内の反タリバーン政権勢力と連携した圧倒的軍事力による地上攻撃の結果、2ヶ月足らずでタリバーン政権は崩壊し、その組織的反撃は収束した。それを見はからうかのように、同年11月、国連事務局は、アフガンの反タリバーン政権勢力4グループを招いて、ドイツ・ボン郊外において国際会議(ボン会議)を開催した。そして同会議において、アフガン暫定政府の樹立とISAF等の設立が合意されたのであった(ボン合意)。
 安保理決議1386号は、このボン合意を受けて、国連の統括のもとにISAFを設置することを承認し、「・・・(安保理は)アフガニスタン情勢が依然、国際の平和と安全に対する脅威であると断定し、ボン合意によって樹立されたアフガン暫定行政機構と協議しつつ、国際治安支援部隊のマンデートの全面的な履行を保障することを決意し、これらの理由に基づき国際連合憲章第7章のもとに行動する」と宣命している。

 確かに、アフガン戦争の全経過からこれだけを切り取るならば、ISAFは、国連憲章第7章に基づく、安保理の「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」、即ち安全保障措置であると言えそうだ。しかし、アフガン戦争の全経過の中で、ISAF設置を考察するならば、必ずしもそうとは言えなくなるのである。

 アル・カーイダによる9.11同時多発テロの翌日、ブッシュ大統領は、テロとの戦いを宣言し、イスラム過激派に対する憎悪と復讐心に沸き立つ国民の拍手喝采を浴びた。
 一方、国連では、同日、安保理において、決議1368号採択された。アメリカ国民に対する深い哀悼の意を表明した同決議は、被害を受けたアメリカ国民への思い入れから誤解を生む表現がなされた部分もあったが、冷静に読むならば、決して加盟国に対して、アル・カーイダへの武力行使を呼びかけたものではないことは明瞭で、同時多発テロ事件を厳しく非難し、テロ犯罪者を法に照らして処罰すべことを訴えるとともに、テロ行為を防止・抑止するための一層の努力を加盟国に呼びかけたに過ぎないものであった。ましてや同決議からアフガンのタリバーン政権に対する武力行使を引き出す余地は寸毫もなかった。
 国連においては、引き続いて、同月28日には安保理決議1373号、11月12日には安保理決議1377号が採択されたが、それらも到底、タリバーン政権に対する武力行使の根拠となり得るものではなかった。

 しかるに、ブッシュ政権は、テロ犯罪者の処罰という安保理が設定した枠を逸脱し、自国軍隊とNATO諸国軍を、テロとの戦いを標榜してアフガンのタリバーン政権に対する武力攻撃に動員し、同年10月7日、ついに「不朽の自由作戦」なる今日の中東における混乱の出発点となる最悪の愚行を開始したのであった。この武力攻撃は、国土の9割を実効支配するタリバーン政権を抹殺しようとするもので、アフガニスタンに対するあからさまな侵略であり、それを、アメリカは、単独で侵略者となる汚名を少しでも打ち消そうとして、NATO諸国軍を巻き込んで遂行したのである(ドイツ軍は、直接戦闘には加わらず、兵站活動に従事した。なお、NATO諸国は、アメリカに対する集団的自衛権の行使を名目としたが、ここでも集団的自衛権は侵略の便法として使用されていることに留意したい。)。

 この侵略によって、瀕死の状態にあったアフガンの反タリバーン政権勢力が助け起され、前述のとおり、ボン会議に招請されたのである。しかし、彼らは、実際には、アフガン国民からは支持されておらず、言ってみれば傀儡に過ぎなかったのである。しかも、アメリカは、タリバーン政権側の組織的抵抗が収束した後も、陸軍と空軍の計2万人をアフガン国内に駐留させ、対テロ作戦と称してタリバーン政権側の武装勢力に対する索敵・戦闘を継続していた。

 このような時点で国連事務局がボン会議を開催し、ボン合意を成立せしめたことは不可思議というほかはない。国連のとるべき措置は、アメリカとNATO諸国軍の行動は国連憲章2条4項に反する武力行使であり、侵略の定義に関する国連総会決議にいうところの侵略にあたることを宣言し、直ちに戦闘行動を停止し、軍隊をアフガン国内から撤退すべきことを勧告することであった。それと正反対の取り組みを容認した安保理決議1386号は国連憲章に違反し、国際立憲主義に反するものであった。よって、事の本質を見れば、国連は、安保理決議1386号により、自ら侵略に加担する集団的自衛権行使に踏み切ったものと厳しく批判をされなければならない。

 実際、その後のISAFのアメリカ軍や暫定政府にまとめ上げられた現地反タリバーン政権勢力と一体となったアフガン国内における武力行使は、アフガンを疲弊させ、テロリズムの温床を増殖・拡大させ、中東を混乱の坩堝と化す一因となったのである。
 かくしてISAFは、国連憲章第7章の「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」の名を汚すもの、決して集団的安全保障措置として正当化されてはならないのである。
                               (了)
スポンサーサイト

アフガン国際治安支援部隊(ISAF)について(1)

 朝日新聞5月30日付朝刊は、「独軍と同じ道、野党懸念 憲法解釈変えアフガン派兵、55人犠牲 PKO法改正案」との見出しで、5月28日の衆院特別委員会において共産党・志位和夫委員長がアフガンの国際治安支援部隊(ISAF)に参加し、計55人の死者を出したドイツ軍の例をあげて、PKO法改正案で新たに認めようとする国連の統括しない国際連携平和安全活動、とりわけ治安維持業務の危険性を指摘したことに関連し、以下の解説記事を載せた。

 「01年9月の米同時多発テロで、NATOが密接な関係にある他国のために武力を使う集団的自衛権を行使して米国主導のアフガン戦争の支援を決めると、当時のシュレーダー政権も軍を派遣。その後、同年12月に国連安全保障理事会決議が採択され、加盟国が一致して制裁を加える集団安全保障の枠組みで治安維持と復興支援を目的としたISAFが発足すると、ドイツは02年1月から参加した。

 ドイツは治安が比較的安定しているとされたアフガン北部を担当したが、次第に現地の情勢は悪化。戦闘に巻き込まれる事例も生じ、ドイツ軍によると02年からISAFの任務が終了する昨年までに、帰還後の心的外傷後ストレス障害による自殺者などを含めて兵士55人が死亡し、このうち6割強の35人は自爆テロや銃撃など戦闘による犠牲者だったという。」

 この解説記事には、次の釈明文が付け加えられていた。

 「朝日新聞は昨年6月15日付朝刊にシリーズ企画「集団的自衛権 海外では」の一つとして「平和貢献のはずが戦場だった/後方支援、独軍55人死亡」などの見出しでドイツ軍のアフガニスタン派遣に関する記事を掲載しました。ドイツ軍は当初、NATOによる集団的自衛権で兵士を派遣し、集団安全保障の枠組みに切り替えましたが、記事ではそうした経緯に触れなかったため、派遣全体が集団的自衛権に基づくという誤解を招きました。今回、関連の記事を掲載するにあたり、記事の中で経緯を詳しく説明しました。」

 この記事を読んで、私は、これは一体何を意味しているのだろうかと、ずっと違和感を持ち続けていたが、今日(6月27日)の朝刊の「パブリック エディターから」欄に掲載された小島慶子『安全、正確な情報の提示を』の論評を読んでようやくその意味がわかった。だが、私の違和感は、朝日新聞は、またまた一部の批判に屈して、筆を折ったのかと、深い失望感に変じることになってしまった。

 児島氏の論評によれば、顛末は以下のようなことだった。

 アフガン国際治安支援部隊(ISAF)の活動を取り上げた昨年6月15日の記事について、防衛大学名誉教授佐瀬昌盛氏、軍事アナリスト小川和久氏から、集団的自衛権と集団安全保障を混同している」「集団的自衛権行使で55人の死者が出たかのようにミスリードしている」との批判がなされ、小川氏からは訂正記事を出すべきだとの主張もあった。
 朝日新聞では、昨年の「誤報」問題への真摯な反省に立ち、読者目線に立った紙面づくりを推進するための一方策として、パブリック・エディター(以下「PE」という。)制度が、本年4月に発足した。具体的には4人のPEが選任され、毎週PE会議を開催し、紙面のチッェクをしている。
 佐瀬氏と小川氏の批判、訂正記事を出すべきだとの主張は、PE会議でも取り上げられ、訂正と集団的自衛権と集団安全保障の違いについての説明をすることを求め、上記5月30日付朝刊の解説記事と釈明文は、これに応じたもののようである。

(ISAFは正真正銘の集団的安全保障措置か)

 ISAFについて、昨年6月15日の記事は、集団的自衛権の範疇に属するのか集団的安全保障の範疇に属するのか不分明だという立場で書かれていたようであるが、本年5月30日の記事は、はっきりと集団的安全保障の範疇に区分している。これは、佐瀬氏や小川氏の批判とPEの意見を容れた結果である。

 しかし、本当に、ISAFは正真正銘の集団的安全保障措置なのだろうか。はたまたISAFを、集団的自衛権、集団的安全保障のいずれかの範疇に区分しないと現在の安保法制の理解をミスリードすることになるのだろうか。佐瀬氏や小川氏の批判は、アフガン戦争の全経過に照らして、はたして正しかったのであろうか。

 大いに疑問がある。私は、朝日新聞の過度のものわかりのよさを危惧するものである。

 私自身は、ISAFは、形式的には集団的安全保障の範疇に区分できるかもしれないが、本質も実態も集団的自衛権の範疇に属するものであると理解するものである。その理由を次回に説明したいと思う。
                              (続く)

戦争立法を骨太に解読し、批判するための講演要旨

(基本的な視点)

・憲法9条に関する確立した政府見解を押さえておくこと

 次の二本柱からなる

① 自衛のための最小限度の実力保持は9条2項に反しない
②「自衛権行使3要件」のもとに自衛権を行使することは9条の下でも認められる

 ②が主柱である。これは憲法9条の下では「最小限度の自衛権」しか認められないからそうなのだということではない。国際慣習法上、憲法9条があろうがなかろうが自衛権とはそういうものなのだ。

 「自衛権行使3要件」・・・当時の国際法の常識に基づく

・・・ 当時の国際法の常識・・・「自衛権は、国家または国民に対して急迫または現実の不正な危害がある場合に、その国家が実力をもって防衛する行為である。この実力行為は、右の危害をさけるためにやむを得ない行為でなくてはならない。」⇒具体的に「第一に、急迫または現実の不正な危害でなければならない。(以下略)」、「第二に、国家または国民に対する危害がなければならない。(以下略)」、「第三に、危害に対する防衛の行為は、危害を防止するために、やむを得ないものでなければならない」(横田喜三郎「国際法」上巻ほか当時の国際法学における通説に基づいて整理されたもの

・・・政府見解は、非軍事平和主義の歪曲であったが、50年代前半の進歩・平和愛好勢力の闘いが反動政府の逸脱を抑え、歯止めをかけたもの

・・・どのように歯止めがかけられたか⇒専守防衛、海外派兵禁止、集団的自衛権否定、「武力行使との一体化」しない限度での自衛隊海外派遣、

・7.1閣議決定はどのような論理で集団的自衛権行使容認に転じたか

(砂川事件最高裁判決の曲解)

(判決理由の主要部)
「(旧安保条約が)違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、それは第1次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。」

 「果してしからば、かようなアメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法9条、98条2項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。そしてこのことは、憲法9条2項が、自衛のための戦力の保持をも許さない趣旨のものであると否とにかかわらないのである。」

(判決理由の傍論の一部抜粋)
わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補い、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであって、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。」

ゴチック部分に法匪三人組が飛びついた。

(72年田中内閣見解の改ざん)

憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。
 しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。

そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。

ゴチックの部分に法匪三人組が飛びついた。

・集団的自衛権を疑う・・・国際法上確たるものとはいえないこと/国連憲章51条の解釈

2条4項〔武力行使禁止〕
 すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
   
第51条〔自衛権〕
 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国が措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基づく権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

・・・思い切って単純化してしまうと、国連は、武力行使を禁止原則のもとで、その例外として安保理の決定に基づく平和の破壊者に対する措置として実行される武力行使、「個別的又は集団的自衛の固有の権利」=「自衛権」に基づく暫定的な武力行使のみを認めているのである。

ダンバートン・オークス提案・・・ヤルタ会談⇒チャプルテペック協定を経て変更

 戦後国際法学は、国連憲章51条の「・・・個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って」とあることを捉えて、国際慣習法上も確立していた従来の自衛権(即ち「個別的自衛権」)とは別に、新たに国際条約法上の「集団的自衛権」なる概念が認められることとなったと現実追随してしまった。
 
その国際法上の意義・法的性質について、従来から、①自衛権共同行使説、②他国防衛説、③自国防衛説の三説が唱えられている。

 ①説は、武力攻撃を同時に受けた複数の国が、共同して自衛権を行使するのが「集団的自衛権」だという立場で、「集団的自衛権」否認論に近い。著名な国際法学者バウエットが、この説を唱えた。しかし、例えば田岡良一京大名誉教授は「この説の背後にあるのは、第二次大戦後の流行現象たる多辺的防衛条約の群立が、そのうち一つの条約の一締約国と他の一つの条約の一締約国との間に起こった戦争をたちまち大戦にまで発展せしめる危険を孕むことに対する憂慮であり、これらの条約の所謂集団的自衛権の発動を、国際連合の統制の下に置くことによって、右の危険を防止しようとするのが彼の狙いであると想像される。故に彼の説は平和のために望ましいものであると言わねばならないが、しかし、理想としてどれほど望ましいものであるといっても、彼の説は、1945年のサン・フランシスコ会議で第51条が作られ、『集団的自衛権』という語がそこに用いられた由来から考えれば、立法者の意図にそぐわない解釈であり、またその後の国連組成国が、彼ら相互間に結ぶ条約の中に、憲章第51条を援用し集団的自衛権に言及する場合に、この語に付与している意義にも反する解釈である。」として、この説に後ろ髪引かれる思いを抱きつつ排斥している(田岡良一「国際法上の自衛権」勁草書房)。

 ②説は「集団的自衛権」とは、文字通り攻撃を受けた他国を防衛するために武力行使に訴える権利であると捉える。「集団的自衛権」の現実を直視した把握である。

 ③説は、密接な関係にある他国が攻撃を受け、それが自国の安全に重大な影響を及ぼすときに武力行使に訴える権利であると説く。例えば高野雄一東大名誉教授は、「集団的自衛権」と国連の集団的安全保障体制の理念との矛盾に悩み、苦渋しつつ「集団的自衛権は、他国に対する武力攻撃が同時に自国をも危うくする場合に、自国が自衛(集団的自衛)のために、実力をもって右の武力攻撃に対抗する権利である」と述べている(高野雄一「集団安保と自衛権」東信堂所収の第2論文・1957年筆)。

 かつては③説が主流であった。国連の集団的安全保障体制を擁護するために、それと矛盾・対立をきたす「集団的自衛権」を、むしろ本来の自衛権に近づけ、濫用を防ごうとしたのであるが、かえって自国防衛説は大国の国益を守るための侵略戦争の論理となってしまった。国際司法裁判所ニカラグア事件判決以来、②説に基づいて抑制的な判断をして以来、主流となっている。

 私見 国連憲章制定過程において「集団的自衛の固有の権利」とは何かとの議論はなされておらず、国連憲章においても、その意義、目的、根拠、定義、要件について何も書かれていない。そうすると、国連憲章51条は、従来の「自衛権」概念を何ら変更していない筈であり、従来どおりの「自衛権」を確認したに過ぎない。
国際法上認められるのは、自衛権しか存在しない。しかし、そのような自衛権を行使し得るに足る軍備を保有しない国も当然あるだろう。そのような国は、本来であれば、自ら加盟する国連に侵略を排除してもらうことを期待するのであるが、国連の現状では、国連はその負託に必ずしも応えられない。そこで、そのような国は、一定の関係国の支援により、自国に対する侵略を排除してもらうことが認められる。その趣旨で「集団的自衛の固有の権利」を書かれたのである。つまり、非武装もしくは軽武装の国が、他国に守ってもらう権利である。侵略排除のために支援し、武力行使をする国は、反射的利益で受動的に違法性を阻却されるに過ぎない。しかも、これは暫定的なものだ。

(戦争立法はあらゆる回路で集団的自衛権行使にふみこもうとするもの)

①よりどりみどり海外派兵のメニュー

・国際平和支援法   国際平和共同対処事態  協力支援活動と捜索救助活動
                           対象は「当該活動を行う諸外国の軍隊」

・重要影響事態法   重要影響事態      後方支援活動と捜索救助活動
                           対象は「合衆国軍隊等」と拡大

・国際平和協力法   国連の統括しない国際連携平和安全活動
                           (特に安全確保活動、駆けつけ警護)

・米艦・航空機等の防護のための武器使用

・事態対処法      存立危機事態     武力行使(防衛出動)
                       わが国と密接な関係にある他国・無限定

・国連決議、国会の承認は歯止めにならない

②これらはいずれも集団的自衛権行使である

・協力支援活動・後方支援活動と「武力行使」・・・兵站活動と国際法、武力行使との一体化論からの遁走

・国際連携平和安全活動とは有志連合の戦争(相手国の解体後の処理、形式的停戦合意後の干渉、内戦勃発防止のための干渉作戦)への参加である。特に安全確保活動、駈け付け警護は「武力行使」

・米艦等の武器防護は、自己保存もしくは自衛隊の武器防護とは一線を画するもの。米国のROEに基づくユニット・セルフディフェンスの転用

・存立危機事態での防衛出動だけが集団的自衛権行使ではない。これら海外派兵全てが集団的自衛権行使である

③それらにより戦闘に入り込み、存立危機事態、武力攻撃事態に進展する

(海外での武器使用の拡大)

・政府見解では武器使用と、戦闘行為、武力行使とは異なる概念とされる

戦闘行為 国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為
武力行使 ①国家もしくは国家に準ずる組織に対する②組織的・計画的な戦闘行為
武器使用 国家もしくは国家に準ずる組織が対象とならない武器の使用/自己保存、武器防護、治安・取締り・警護等任務遂行のための武器の使用

・海外派兵時の武器使用の基本形・・・自己防護型と武器防護型
⇒これを著しく拡大
 イ 宿営地での共同自己防護
 ロ 安全確保活動・駆けつけ警護活動における任務遂行のための武器使用
 ハ 在外邦人の警護・救出任務遂行のための武器使用
 二 重要影響事態での後方支援活動中に人員・物資・補給等の活動をする合衆国軍隊等、その他海外自衛隊と連携してわが国の防衛に資する活動に従事中の合衆国軍隊等の武器等を職務上警護するにあたっての武器使用

これらは単なる武器使用にとどまらず、反撃から戦闘行為に発展し、武力攻撃事態、存立危機事態を招き込む

(大が小を兼ねるという倒錯)

武力攻撃に至らない低レベルの侵害行為に自衛隊を迅速に投入するシステム構築
⇒ドロボウを捉えるのに大砲を使う、の類

自衛隊は、頭書にあげた確立した政府見解に基づくきわめて限定的な実力部隊

それから逸脱することは違憲

周辺国の艦船、航空機の警戒監視活動⇒反撃から戦闘行為、武力行使に発展する(武力攻撃事態、存立危機事態を招き入れる)

(存立危機事態と地方公共団体)

存立危機事態における防衛出動等それ自体では防御施設構築(自衛隊法77条の2)、都道府県知事の土地、施設、物資の徴発・収用、特定業種への業務動員・徴用(同法103条)等、及び国民保護法による諸措置の対象にはならないが、武力攻撃事態等の並立的認定によりいつでもこれらは適用される。

存立危機事態における防衛出動だけでも、米軍行動関連措置、特定公共施設利用法等が起動し、道路、港湾、空港に対する地方公共団体の権限は統制される。また対処基本方針に定められた対処措置は地方公共団体、指定公共団体(民間企業も含む)に適用される。

既存有事立法は、ソフトな国家総動員法制であり、現在は神棚に祭られているが、それが機能し始める。

            (了)

「刑事司法改革法案」に異議あり (その4)

 刑事司法改革法案の内容を項目のみ再掲します。

① 取調べの録音・録画制度の導入
② 捜査・公判協力型協議合意制度及び刑事免責制度の導入
③ 通信傍受(盗聴)の合理化・効率化
④ 身柄拘束に関する判断の在り方についての規定の新設
⑤ 弁護人による援助の充実化
⑥ 証拠開示制度の拡充
⑦ 犯罪被害者及び証人を保護するための方策の拡充
⑧ 公判廷に顕出される証拠が真正なものであることを担保するための方策等
⑨ 自白事件の簡易迅速な処理のための方策

(どこが問題か)

 私は、上記のうち、うち①、④、⑤、⑥は改革であり、②、③、⑦ははっきりした反改革だと考えます。⑧、⑨もどちらかというと反改革です。
 ⑤において、勾留段階では全て国選弁護人を選任することができることとしたのは、日弁連・単位弁護士会・弁護士が永年取り組んできた刑事弁護の充実のための実践活動が実を結びつつあるものと評価することができます。日弁連・単位弁護士会及び弁護士は、永年にわたり、手弁当で当番弁護士制度(各弁護士会が身柄拘束された全被疑者に申し出に基づき、弁護人を1回、無料で派遣する制度)を実践してきました。その上にたって、法定刑が死刑又は無期若しくは長期3年を越える懲役若しくは禁錮に当たる事件の被疑者について、勾留段階で国選弁護人を付する制度が実現されました。またそれ以外の事件については、申し出あれば「刑事被疑者弁護援助」として、一定の資力基準を満たし、弁護士による援助の必要性・相当性が認められた被疑者について、法テラスが弁護士費用を立て替える制度も実現しています(日弁連の法テラス=日本司法支援センターに対する委託事業。費用は日弁連が拠出)。勾留段階の全被疑者に国選弁護人を付することになれば、それは大きな前進であることは間違いありません。

 しかし、以下述べるにように改革は、質量ともに反改革に圧倒されており、しかもその反改革は耐えがたいほどに我が国の刑事司法に歪をもたらすものだといわざるを得ません。私は、三点にわたって具体的に問題点を指摘したいと思います。

 第一は、①に関することです。刑事司法改革の要をなすべき取調べ可視化(録音・録画)は惨憺たるものです。その対象事件は統計によると全事件のおよそ3パーセントに過ぎません。村木事件は検察単独捜査事件でしたから録音・録画の対象になりえますが、警察をかませることにより潜脱することもできます。志布志事件や全く身に覚えのない人が虚偽の自白により有罪判決を受けたパソコン遠隔操作冤罪事件、多くの冤罪事件を生み出している痴漢事件は対象になりません。さらに、たとえば「記録したならば被疑者が十分な供述をすることができないとき」などのように捜査官の不確かな判断によって記録されない場合や暴力団の構成員が係っている場合には関連事件全部について記録をしないことなど例外事由が定められており、運用次第では録音・録画がなされないことが広げられてしまい、尻抜けのザル法になってしまうおそれがあります。公判において、被告人の捜査段階における供述調書の任意性が争いになったとき、録音・録画対象事件では検察官はその記録に基づいて任意性を立証しなければならないという規定がなされ、それによって録音・録画を励行させる担保としているのですが、裁判所は、場合によっては、記録がないときでも職権で当該供述調書を採用できるという運用がなされる余地があることも重大問題です。被疑者の取調べに限定し、参考人の取調べは対象とされていないことも疑問があります。そもそも法案には、何故、取調べを可視化(録音・録画)しなければならないのかを深く考え、刑事司法の歪みを正すという確固たる思想がありません。
 特別部会では、既に述べたように、改革勢力は、対象事件の範囲は限定されても、ともかく取調べの全過程にわたり実施させるということで押し、将来の確かな発展へつながる第一歩を確保しようとの考えのもとに対応したのでしょうが、そのような考えからも果たしてこれを受け入れるべきであったかどうかさらに熟慮の余地があったのではないでしょうか。

 第二は、②に関することです。正式には「捜査・公判協力型協議合意制度及び刑事免責制度」といいますが、一般には、司法取引とも呼ばれています。これは、有罪を認めることにより罪を軽くしてもらう「アメリカ版型司法取引」とは全く異なります。「日本版司法取引」は、他人の犯罪に関して供述する、あるいは証言することにおいて、当該供述者もしくは証人の事件について有利な取り扱いを受け、或いは免責を得たりするというものです。他人の犯罪に関して供述することにより有利な取り扱いを受けるということは、実は、現在もヤミ取引として行われています。最近の例でいえば、2015年3月5日に名古屋地裁で無罪判決が言い渡された岐阜県美濃加茂市長冤罪事件が記憶に新しいところですが、村木氏の事件でもそのようなヤミ取引がなされた疑いがあります。  過去に幾多の冤罪事件において、ヤミ取引により作られた供述や証言が、誤判の一つの原因にさえなっています。本法案において採用されている「日本版司法取引」は、これをヤミの世界から、表の世界に引き出し、正規の取引に格上げしようとするものです。「日本版司法取引」は、正規の手続に組み入れ、虚偽供述を防止するために、「虚偽供述罪」を新設し、或いは証言の場合には宣誓と偽証罪の威嚇によって、真正の供述、証言を確保できると言われていますが、このようなこと素直に受け入れるわけにはいきません。冤罪事件の歴史をひもとくと、虚偽供述を強要してきたのは警察・検察でした。また偽証がなされても検察の有罪立証に沿うものが立件され、処罰された事例を私は知りません。この制度は、「供述、証言買収型司法取引」だと言ってもいいでしょう。これの導入により、警察、検察の捜査や検察の公判対策には便利で使い勝手がいいオプションがもたらされるかもしれませんが、それは結局、堂々と冤罪を生み出していくことになりかねません。

 第三は、③に関することです。通信傍受(盗聴)制度は、2000年8月施行された通信傍受法により導入されましたが、通信の秘密・プライバシーの侵害であり、憲法違反だとして、日弁連をはじめ大きな反対の声に押され、対象犯罪を上記のとおり4類型に絞り、しかも令状主義による厳しい手続的制約を課するなど、極めて限定的な制度とすることによりようやく同法は成立を見たのでした。施行後、実際には警察・検察からは、非常に利用しにくいものであるとの不満が出され、対象犯罪拡大・手続的制約を緩和するための法改正の機会が虎視眈々狙われてきました。
 しかし、通信傍受(盗聴)は、市民生活の隅々にまで犯罪捜査の網の目を張り巡らすものであり、健全な市民社会を閉塞させてしまいます。特定秘密保護法、共謀罪創設と並んで、通信傍受(盗聴)は、自由社会を根底から覆す三種の神器と言っていいでしょう。従って、警察・検察も、単独で通信傍受(盗聴)の拡大と緩和をし、彼らにとって使い勝手のいいものに改めるには、日弁連の反対や国民の大きな反対にあうことは必定で、おいそれとはその狙いを持ち出すことができないできました。警察・検察にとっては、検察犯罪による轟々たる非難の嵐の中で、刑事司法改革の試みが始まったことはまさに僥倖でした。彼らは、日弁連が長きにわたり訴え続けてきた刑事司法改革への提言のうち上記の如き僅かな譲歩をする見返りにと言おうか、あるいはドサクサまぎれにと言おうか、かねての狙いをもぐりこませて来たのです。
 もう一度、前回に書いた③の内容を見て下さい。「現住建造物放火・同未遂、殺人・同未遂、傷害・傷害致死、逮捕監禁・同致傷、未成年者略取誘拐をはじめとする誘拐関連事犯、窃盗・強盗・強盗致傷及びこれらの未遂、詐欺・恐喝等及びその未遂、爆発物取締罰則所定の爆発物使用・同未遂、児童買春・児童ポルノ法違反など犯罪のうち一定の組織性をもって遂行される場合」へと対象犯罪を飛躍的に拡大しているではありませんか。「自動的に通信傍受(盗聴)を記録し、再生することができる装置(「特定装置」)を用いて、記録、再生、廃棄についての簡便な手法を導入する」として、厳密な令状主義による制約を潜脱することになっているではありませんか。通信傍受(盗聴)については、通信傍受法施行前の最高裁判所平成11年12月16日第三小法廷決定において、検証許可状により実施された電話傍受の適法性に関し、「重大な犯罪に係る被疑事件」に限定してこれを認めています。しかし、本法案は、けっして「重大な犯罪」とは言い難い犯罪をも対象とすることができるようにしています。反改革勢力は、火事場ドロボウ、まさに転んでもただでは起きない、の類です。

(国会審議に望むことなど)

 法制審議会「新時代の刑事司法特別部会」では、答申採択には一括採択と全員一致の枠をはめられてしまいました。そのため改革勢力は、一歩でも刑事司法改革を前進させ、確かな足がかりを確保するとの考えのもとに、答申案に賛成しました。それはまずい饅頭ではあるが背に腹はかえられないとの思いであったのでしょう。改革勢力の委員らは大変な努力されたわけですから、安易に批判をするのは慎まなければならないかもしれません。ただ敢えて言えば、私は、答申案は、まずい饅頭だが我慢して食べることができるようなものではなく、とんでもない毒饅頭であったと思います。まずくても食べれば空腹を充たし、栄養となるなどというのは甘かったのではないかと思います。

 さて本法案はとにかく国会に上程され、審議がなされています。5月19日の衆院本会議では、野党議員の意見、質疑では、私が指摘した三つの問題点、即ち通信傍受(盗聴)の拡大・緩和、日本版司法取引制度の導入、余りにも現状糊塗的な取調べ可視化(録音・録画)についてはっきりと異議が述べられています。
6月4日には、民主党、維新の党、日本共産党の議員らが、院内で、村木厚子氏を招いて合同勉強会を行っています。国会議員らは、本法案の審議において、特別部会のような一括賛成でなければならないとの制約はありませんし、勿論、全員一致でなければならないということもありません。私が、指摘した問題点だけではなく、その他の問題点についても慎重の上にも慎重に検討し、審議を尽くし、修正して前進を図るように尽力して欲しいと思います。そしてどうしても前進が図られないときには、本法案に断固反対するという対応も迫られるかもしれません。

 いまだマスコミも本法案に注目していません。たとえば朝日新聞が5月20日付けの社説で、取調べ可視化(録音・録画)が不十分であるとし、「通信傍受の拡大や司法取引の導入など、人権やプライバシーとの関係で疑念がある内容も含まれている」との指摘をして、「国会論議で前進をはかれ」と呼びかけていますが、まだまだマスコミの関心は低いと言わねばなりません。
国民にとってもそうでしょう。刑事司法改革は、地味な分野です。その上、世はまさに「戦争法案」をめぐって沸騰しています。それでも私たち国民は、本法案審議をこれまで以上に注視し、個別の論点について声をあげ、意見を集約していかなければなりません。冤罪根絶のために。冤罪を根絶することなくして公正な社会はありません。
                                  (了)

「刑事司法改革法案」に異議あり (その3)


 法制審議会「新時代の刑事司法特別部会」(「特別部会」)は、2014年7月9日、答申案「新たな刑事司法制度の構築についての調査審議の結果〔案〕(最終的なとりまとめ)」を全員一致で採択しました。しかし、この全員一致は、前回述べたように、あらかじめ定められた答申案一括採択と全員一致での採択という枠組みにより、無理やり作りだされたものですから、この答申案の価値を高めるものではありません。
 その後、同年9月18日、上記答申案は、法制審議会において、これもまた全員一致により採択され、正式に法務大臣への答申として確定、提出されました。答申には、「要綱(骨子)」が別紙として添付され、本文で審議の経過と別紙の「要綱(骨子)」の内容が摘記されています。刑事司法改革法案は、この別紙「要綱(骨子)」に従い、法文化され、本年3月13日、閣議決定されて、今国会に提出されたのです。

(法案の内容)

 法案の内容を、ポイントだけ摘記して紹介します。それは以下の如くです。わかりにくいかもしれませんが、次回に論評する中で、少しはイメージをつかんでいただけるようにしたいと思います。

① 取調べの録音・録画制度の導入

 対象事件を裁判員裁判対象事件、検察独自捜査事件(いずれも身柄拘束がなされた場合のみ)に絞りこみ、原則として取調べの全過程をカバーするが、一定の例外事由にあたる場合には録音・録画しないことも認められる。

② 捜査・公判協力型協議合意制度及び刑事免責制度の導入

・ 被疑者・被告人が他人の犯罪事実(対象事件は、経済財政関係犯罪及び薬物銃器犯罪であり、具体的にその範囲が別記されている。実際には相当広い範囲に及んでいる。)についての知識を有する場合に、検察官は、当該被疑者・被告人との間で、その弁護人の同意のもとに、当該他人の事件について供述もしくは証拠物の提出を得、その見返りとして公訴を提起しないこと(起訴しないこと)、公訴提起済みの場合には公訴を取り消すことなど被疑者・被告人に対する有利な取り扱いをすることを協議し、合意することができる(合意に至った場合にはその内容を被疑者・被告人及び弁護人と検察官が連署した書面を作成する。)。
・ 検察官は、証人尋問において、当該証人がその尋問結果に基づいて刑事訴追を受け、もしくは有罪判決を受けないこととする免責決定を受けた上で、尋問を実施することができるものとする。

③ 通信傍受(盗聴)の合理化・効率化

・ 対象犯罪を現行の4類型(薬物事犯、集団的密航等出入国違反、武器製造法・銃刀法違反等及び組織犯罪法所定の組織的殺人・同未遂)に、現住建造物放火・同未遂、殺人・同未遂、傷害・傷害致死、逮捕監禁・同致傷、未成年者略取誘拐をはじめとする誘拐関連事犯、窃盗・強盗・強盗致傷及びこれらの未遂、詐欺・恐喝等及びその未遂、爆発物取締罰則所定の爆発物使用・同未遂、児童買春・児童ポルノ法違反など犯罪のうち一定の組織性をもって遂行される場合を追加する。
・ 自動的に通信傍受(盗聴)を記録する装置し、再生することができる装置(「特定装置」)を用いる場合に、記録、再生、廃棄についての簡便な手法を導入する。

④ 身柄拘束に関する判断の在り方についての規定の新設

・ 裁量保釈(刑事訴訟法90条)の判断にあたっての考慮事情を明記する。

⑤ 弁護人による援助の充実化

・ 被疑者に国選弁護人を付する範囲を、現行の死刑、無期若しくは長期3年を超える懲役・禁固の法定刑の定めのある事件で勾留状が発せられている場合から、勾留状が発せられている全ての場合に拡大する。
・ 弁護人の選任の申し出ができる旨の教示を拡充する。

⑥ 証拠開示制度の拡充

・ 公判前整理手続に付された事件において、検察官は証拠の取調べ請求をした段階で、弁護人・被告人の請求があったときは取調べ請求をした証拠以外の手持ち証拠の一覧表を交付しなければならないこととする。
・ 現在は、公判前整理手続に付するかどうかは裁判所の職権事項であるが、検察官、被告人若しくは弁護人に公判前整理手続の請求権を付与することとする。
・ 公判前整理手続で検察官が証拠調べ請求をした段階で被告人若しくは弁護人が証拠開示請求できる対象証拠を拡大する。

⑦ 犯罪被害者及び証人を保護するための方策の拡充

・ ビデオリンク方式による証人尋問の拡充
・ 証人の氏名・住居の開示を制限する措置の導入
・ 公開の法廷における証人の氏名等を秘匿する措置の導入

⑧ 公判廷に顕出される証拠が真正なものであることを担保するための方策等

・ 証人の不出頭、宣誓・証言拒絶の罪の法定刑を重くする。
・ 証人の勾引を可能とする。
・ 犯人蔵匿等、証拠隠滅等、証人等威迫、組織的犯罪に係る犯人蔵匿等の罪の法定刑を重くする。

⑨ 自白事件の簡易迅速な処理のための方策

・ 利用頻度の少ない現行の即決裁判手続の利用を促進するための措置

                                 (続く)

「刑事司法改革法案」に異議あり (その2)



 法制審議会「新時代の刑事司法特別部会」(特別部会)での、刑事司法改革問題の審議の進み具合を見ていきましょう。

 残念ながら、すでに江田法務大臣(設置当時)のアジエェンダ・セッティング(諮問事項)において「取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方の見直し」という抽象的で曖昧な表現がなされており、それは多義的に解釈されてしまうという弱点が孕まれていました。このため、事務当局(法務省)と検察関係、警察関係の委員ら及び一部の刑事法学者委員ら(以下では、これらの人たちを「反改革勢力」ということとします。多数派と言っていいでしょう。これに対し日弁連委員らとこれと大筋において共同歩調をとった村木氏・周防氏をはじめ有識者委員及び一部学者委員らを「改革勢力」ということとします。こちらは少数派ということになるでしょう。)による、改革抑え込みと捜査の多様化・合理化の名分とする捜査本位の反改革ための執拗な策動が繰り広げられることとなってしまいました。

 弁護人の立ち合い権保障については、意見の隔たりが大きく合意を得ることが困難であるとして、早い段階でふるい落されてしまいました。取調べの可視化(録音・録画)については、全事件、全過程にわたり実施をするべきだという改革勢力の訴えに対し、反改革勢力から、対象事件をごく一部に抑え込み、かつ取調べ過程の一部分(弁解録取書の作成と供述調書作成の最終段階である読み聞かせ(「読み聞け」といいます。)と署名)のみの義務付けに限定し、あとは取調官の裁量に任せることとするなどというように猛然たる巻き返しがなされました。証拠開示制度についても、全面開示への抜本的制度改正の要求と現行制度を前提とした一部手直し論との攻防、あるいは再審手続における証拠開示制度をもうけるかどうかをめぐっての対立・攻防がありました。

 さらに調書裁判から公判中心主義への転換に関して言えば、反改革勢力は、その名分を逆手にとって巧妙なカウンター攻撃に転じました。彼らは、通信傍受(盗聴)を会話傍受(盗聴)にまで広げ、さらに対象犯罪を現在の4類型(薬物事犯、集団的密航等出入国違反、武器製造法・銃刀法違反等及び組織犯罪法所定の組織的殺人・同未遂)から大幅に拡大し、傍受方法も大量かつ長時間の継続的傍受を可能とするように合理化して令状主義を骨抜きにすること、さらには共犯者らに刑の減免や免責をエサに供述を引き出し、捜査・公判に協力させるための制度を導入すること、など捜査の便宜に資する方策を提起し、採用をさせようとしたのです。

 特別部会の終盤にあたる2014年3月27日には、無実の死刑囚袴田巌さんの再審請求事件について、静岡地裁が再審開始決定を出しました。その決定において前回述べた再審事件の上にまた同様な構造(身柄拘束を利用した密室での取調べによる虚偽自白の強要及び証拠捏造と証拠隠し)の冤罪で、人の一生が台無しにされた事実が白日の下にさらされることになりました。しかるに反改革勢力の動きはそれによっても何らブレーキがかかることはありませんでした。

 ところで、特別部会においては、答申案の採択は、個別の問題ごとに賛否を問うのではなく、各論点一括して賛否を問うという枠組みが設定されてしまいました。これでは、ある論点には賛成、ある論点には反対という場合、反対の論点には目をつぶって答申案に賛成するか、賛成の論点も泣いて切り捨て答申案に反対するかどちらかしかなくなります。しかも事務当局は、全会一致で答申案を上げることとしていましたから、答申案に反対すれば結局答申案は成立しないことになってしまっていたのです。このようなルール設定により、反改革勢力と改革勢力の攻防が展開された特別部会は、各委員の自由な討論、意見表明及び最終態度決定に大きな制約がかけられることになってしまったのです。

 そのような困難な状況のもとで、改革勢力は次第に押されて行き、取調べ可視化(録音・録画)については、小さく生んで大きく育てるというたとえの如く、対象事件の範囲は限定されても、ともかく取調べの全過程にわたり実施させるということに重点を置くこととするなど、将来の確かな発展へつながる第一歩を確保しようとの守りの姿勢に転じることを余儀なくされました。証拠開示制度についても、全面開示は諦め、日常の弁護活動において少しでもプラスになるようにする、あるいは弁護活動の実践を通じて全面証拠開示を実現させていく足がかりを獲得することに目標を移して行くことになりました。さらに反改革勢力による捜査手法拡大のためのカウンター攻撃に対しては防戦しつつ譲歩をすることを余儀なくされました。

 こうして特別部会においては、はやばやと全事件・過程の取調べを可視化(録音・録画)する、証拠全面開示制度を導入する、調書裁判から公判中心主義への転換という今次刑事司法改革の根幹ともいうべき目標は放棄され、それらを限定的な範囲と低いレベルの改善にとどめつつ、他方でそれに対する見返りとして検察・警察が、使い勝手がよく効率的な捜査の武器をどれだけ獲得するかという逆立ちしたバーゲニングの場となってしまったのです。

                                 (続く)

「刑事司法改革法案」に異議あり (その1)


 本年3月13日、「刑事訴訟法等の一部を改正する法律案」(以下「刑事司法改革法案」といいます。)が閣議決定され、今国会に提出されました。その後、5月19日に、衆院本会議で趣旨説明と質疑が行われ、審議入りしています。
 刑事司法改革法案は、「戦争法案」の陰に隠れてあまり注目されてはいませんが、わが国の刑事司法に大きな歪をもたらし、ひいては国民の人権に重大な悪影響を及ぼす極めて問題の多い法案です。
 私たちは、もっとこの法案を知らなければなりません。そこで以下、何回かにわけて刑事司法改革法案をとりあげることにします。

 まずは刑事司法改革法案が今国会に提出されるに至った経緯を整理しておきたいと思います。

(発端について)

 2009年6月、大阪地方検察庁特捜部は、自称障害者団体「凛の会」による郵便不正事件(郵便の障害者割引制度の不正利用)に関連し、厚生労働省雇用均等・児童家庭局長(当時)村木厚子氏を、虚偽有印公文書作成・行使罪の容疑で逮捕し、同年7月、大阪地方裁判所に起訴しました(以下「村木事件」といいます。)。
 村木氏は、同年11月24日、保釈決定により釈放されるまでの間、実に約5ヶ月にもわたって勾留により身柄拘束をされたまま公判に臨みました。
 村木事件の公判審理において、主任検事前田恒彦が村木氏の部下らから虚偽供述をさせていたばかりが重要な証拠を改ざんしていたことが判明、同事件は前田検事の見込みにあわせて捏造されたものであることが明らかになりました。また同検事による村木氏に対する強引で詐術的な取調べも暴露されています。
 翌2010年9月、大阪地方裁判所判決。当然のことながら、村木氏には無罪の言い渡しがなされました(検察側の上訴権放棄により確定)。この村木事件の決着とともに、最高検察庁は、前田検事を証拠隠滅容疑で逮捕、上司の大阪地方検察庁特捜部長と同副部長らも前田検事の証拠改ざんを知りながら隠ぺいしたとして犯人隠避容疑で逮捕、いずれも起訴しました。
 それだけにとどまらず関連事件の被告人の公判で、前田検事とともに郵便不正事件の捜査にあたっていた別の大阪地検特捜部検事が脅迫的取調べを行ったことが認定され、同検事取調べに係る被告人の供述調書12通の証拠取調べ請求が却下されるというおまけまでつきました。
 ごうごうたる検察非難の嵐。その嵐の中で、二度とこのようないまわしい事件を生まないようにするための試みが開始されたのです。

(「検察の在り方検討会」)

 2010年11月、上記の試みの第一歩として、法務大臣の私的諮問機関として「検察の在り方検討会」が設置されることになりました。検察の重大犯罪というあり得べからざる事態の中、急遽スタートした同検討会には、作家や評論家、ジャーナリスト、刑事弁護人として声望高い弁護士なども加わり、村木事件をはじめとする一連の郵便不正事件における検察の犯罪の再発防止だけではなく、氷見事件、足利事件、布川事件等の再審事件や踏み字をはじめ心理的圧力をかけて自白を強要した志布志事件など噴出した刑事司法の諸問題をも検討の俎上に乗せ、抜本的改善への提言がなされることが期待されました。

 これらの事件を通じて浮き彫りになってきた刑事司法の問題点は、なんと言っても密室における取調べ、とりわけ身柄拘束を伴う取調べによる自白、虚偽供述の強要であり、そうした取調べによって得られた供述調書に依存した公判の在り方であり、さらには検察による証拠隠しなどでした。従って、同検討会において議論、検討されるべき中心課題は、それらをいかに改めるかということでした。それはとりもなおさず、日弁連が長きにわたって提唱してきた取調べの全面可視化(全事件の取調べの全過程の録音・録画)、弁護人の取調べ立ち合い権の保障、調書裁判から公判中心主義への転換、捜査当局手持ちの証拠の全面開示などである筈でした。

 ところが同検討会では、検察関係、警察関係及び一部の学者委員らの消極的姿勢もあって、議論が拡散し、明確で確かな改革の方向性を打ち出すことは困難な状況に陥りました。
 それでも2011年3月に法務大臣に提出された提言書では、「捜査・公判の在り方については、被疑者の人権を保障し、虚偽の自白によるえん罪を防止する観点から、取調べの可視化を積極的に拡大するべきである」、「検察の在り方を考える過程で、捜査における供述調書を中心としてきたこれまでの刑事司法制度が抱える課題を見直し、制度的にも法律的にも解決するための本格的な検討の場が必要であるとの認識が生まれ、直ちに検討の場を設けて検討を開始するべきである。」などとする提言がなされました。

(「新時代の刑事司法特別部会」)

  「検察の在り方検討会」の提言を受けて、2011年5月、当時の江田五月法務大臣は、「時代に即した新たな刑事司法制度を構築するため、取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方の見直しや、被疑者の取調べ状況を録音録画の方法により記録する制度の導入など、刑事の実体法及び手続法の整備の在り方」についての審議・答申を求め、法務省・法制審議会の下に「新時代の刑事司法特別部会」(以下単に「特別部会」といいます。)を新設しました。

 特別部会には映画「それでもボクはやってない」で名を馳せた映画監督の周防正行氏や上記事件で濡れ衣をかけられた被害者の村木氏など異色の経歴をもつ人たちも非法律家有識者として委員に加えられ、新時代の刑事司法というにふさわしい刑事司法改革を実現するために新風を吹き込むことが期待されました。

 実際、その期待を担って、周防氏や村木氏ら有識者委員5名は、度々貴重な問題提起を行い、そもそもの原点から逸脱しがちな議論を、原点に回帰させるために、ときには共同で意見書を提出するなど重要な役割を果たし続けました。特に村木氏は、自己の経験に基づいて次のように語り、現在の取調べと公判の問題点を鋭く抉り出し、その改善を図るべきことを強調し、特別部会の審議に大きなインパクトを与えました。

・ 取調官は、被疑者が供述したとおりに供述調書に記載するわけではなく、取調官が想定した供述内容をもとに調書を作成する。
・ 内容虚偽の供述調書が大量に作成される。
・ 被疑者と取調官との間には圧倒的な力の差があり、一人で対峙するのは困難、である。
・ 現行の証拠開示制度は、検察、警察がどういう証拠を持っているか分からない中で証拠開示請求をしなければならず、被告人・弁護人にとって困難を強いるものである。
・ 身柄拘束が自白の強い誘因になるような運用が行われており、虚偽の供述、虚偽の自白の原因となっている。
・ 刑事訴訟法321条1項2号により、検察官の面前で作成された事件関係者の供述調書があるとき、その事件関係者が後に証人として公判に出廷し、供述調書で述べたことと異なる供述をしても(つまり被告人・弁護人側が検察官の立証を切り崩したときでも)、検察官が当該供述調書を証拠請求すると、簡単に採用されてしまう。これによっては公判での成果が打ち消されることになり、公判中心主義に適合しない。

                               (続く)

愚論・珍論で安保法制法案を押し切ってはならない

 礒崎陽輔氏は、かつて小泉内閣時代に総務省大臣官房企画官から転じて内閣官房参事官となり、「武力攻撃事態法」(2003年6月成立)や「国民保護法」(2004年6月成立)の制定において、法案作成から国会審議乗り切りに至るまで諸事万般にわたり、事務方の中心を担った人物である。
 「武力攻撃事態法」によって、自衛隊は、それまで抜くことがなく錆びついた刀であったが、立派に磨き上げられ、いつでも抜いて人斬りに使えるようになった。また「国民保護法」によって、有事の際には、国民は保護の美名のもとに銃後で自衛隊・米軍の戦闘を支える存在とされることになった。
 これらを通じて、礒崎氏は、有事法制制定のノウハウを身につけ、それを売りにして出世を遂げた。彼は、今や自民党参議院議員・国家安全保障担当首相補佐官であり、安倍首相の懐刀として、現在進行中の安保法制法案制定のドタバタ劇の脚本を書き、演出をし、かつ観客動員と観る目の肥えた客からの批判や注文に応接する役目に任じている。

 その礒崎氏であるが、ツイッターで安保法制法案の情宣活動を買って出ているようだ。何気なく見ていたら、少しきつい返信を受け取るや、行儀が悪いなどとお説教に及んでおられるのを目にした。意外とナイーブで雑な人のようである。まぁ、そんなことは、人それぞれだから、どうでもいいことだが・・・。

 さて、砂川事件最高裁判決が永田町界隈を徘徊してる。安保法制法案制定のドタバタ劇の主役、脇役を演じる高村正彦氏、北側一雄氏、安倍晋三氏、中谷元氏らによって、安保法制法案を推進するための切り札の如く、繰り返し用いられているのだ。「砂川判決」なる言葉は今年の流行語大賞にノミネートされそうな気配さえある。

 かの礒崎氏はどうだろうか。彼も砂川判決について何か言っているのだろうか。そう思って、彼のホームページを覗いてみた。すると次の文章があった。やっぱり彼も表舞台の役者らに負けじとばかりに砂川判決を論じていた。

 「昭和34年に砂川判決が下され、我が国の存立を全うするための『自衛の措置』が国家固有の権能として認められました。もちろん、この『自衛の措置』が集団的自衛権を射程に入れていたとは言えませんが、それを明確に否定したものでもありません。

 砂川判決により、憲法第9条は『武力の行使』を禁止しているが、『自衛の措置』は例外として認められることが明らかになったのです。この判決は自衛隊に関する唯一の最高裁判所判例であり、これ以降『自衛の措置』の内容については、全て政府の憲法解釈によって示されることになりました。」

 うん、これは前回、「砂川事件最高裁判決に関する愚論・珍論」http://t.co/XnEWjI22oS

で取り上げた北側一雄氏と完全に同じ言い回しではないか。はてさてどちらがオリジナルでどちらが剽窃なのだろうか。それとも両者グルで口裏あわせをしているのだろうか。

 どちらにしても愚論・珍論であることにはかわりがない。

 礒崎氏は、『武力攻撃事態対処法の読み方』(ぎょうせい・2004年8月発行)という「武力攻撃事態法」の解説本を書いている。定価は、税別1905円。この本は、絶版となっている。ネットで古本市場を見てみたら、お値段はなんと税別14000円ほどに跳ね上がっている。そんな大枚はたいて買う気もしないので、知人から借りて読んでみた。

 同書で仕入れた知識を披瀝すると、「武力攻撃事態法」は、本文27か条のコンパクトな法律であるが、2002年4月16日に法案が閣議決定されてから1年2ヶ月後の2003年6月6日成立、衆参両院で140時間を超える審議が行われ、通常国会2回、臨時国会1回、実に3会期を費やし、与野党協議を経て9割の国会議員の賛成により成立したとのことである。

 翻って安保法制法案を見てみると、その「武力攻撃事態法」をはじめ10本の法律の改正案からなる「平和安全法制整備法案」と新法である「国際平和支援法案」とからなる膨大な法案であり、その内容も複雑多義である。短期間のうちに、これらの全体を正しく理解するのは、国民は勿論、審議にあたる国会議員にとっても至難の業である。のみならず、これまでの国会論戦を通じて、法案の危険性が浮き彫りになり、さらに法文の意味、解釈、適用をめぐる多くの技術的な問題点も明らかになってきった。その上、6月4日の衆院憲法審査会において、著名な憲法学者らが、一致して安保法制法案は憲法9条違反と断言し、その後の「報道ステーション」のアンケート調査により全国の大多数の憲法学者が同様の見解だということが判明した。ここに来て安保法制法案の違憲性がクローズアップされてきたのだ。

 国民の間でも、批判の声は満ち満ちている。わが日弁連も、憲法の在野におけるお目付け役として、違憲法案制定阻止に全力を上げ、各地弁護士会は、かってない危機感をもって反対運動に取り組んでいる。各種世論調査を見ても、安保法制法案に反対する人の割合は賛成する人の割合を凌駕し、政府の説明は不十分だとする人の割合は80パーセントを超え、今国会で通してしまうことに反対する人の割合は60パーセントに及んでいる。

 このような状況を無視し、今国会で、大多数の国会議員の賛成を得られないまま、愚論・珍論の合憲論をふりかざして、これを強引に成立させることがあってはならない。上記『武力攻撃事態対処法の読み方』の著者である礒崎氏ならそんなことはわかっているだろうから、ボスに進言してみてはどうだろうか。
(了)

砂川事件最高裁判決に関する愚論・珍論

1 はじめに

 公明党北側一雄副代表は、弁護士出身である。その北側氏が、6月11日、衆院憲法審査会に出席して、砂川事件最高裁判決(以下「砂川判決」という。)について、次のように論じた。

 「9条の下で許される自衛の措置について一番最初の最高裁判決が、この砂川判決である。そこでは、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置を取り得ると言っている。59年の判決なので、当然、45年の国連憲章51条に個別的自衛権または集団的自衛権という言葉があることを分かった上で、個別的自衛権とも言わず集団的自衛権とも言わず今のように表現をしている。
 いわば集団的自衛権、個別的自衛権という観念ではなくて、また集団的自衛権と言われている観念を排除しているものではないと少なくとも言えるだろうと思う。ただ、この砂川判決で言っているのはこの部分だけ。自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置を、さらに憲法9条の下でどこまで許されるのか、その限界をさらに検討する必要が当然あるわけで、砂川判決はそれを内閣、政府、また国会に委ねたと私は思う。」

 多くの人は、法律家である弁護士が公の場で述べるのであるから、多少とでもあたっているところがあるだろうと思うかもしれない。しかし、さにあらず、これは徹頭徹尾愚論・珍論の類である。

2 砂川事件最高裁判決要旨

 砂川判決の要旨を腑分けしてみよう。

(1)結論への筋道

 「(旧安保条約が)違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、それは第1次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。」

 「果してしからば、かようなアメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法9条、98条2項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。そしてこのことは、憲法9条2項が、自衛のための戦力の保持をも許さない趣旨のものであると否とにかかわらないのである。」

 「原判決が、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法9条2項前段に違反し許すべからざるものと判断したのは、裁判所の司法審査権の範囲を逸脱し同条項および憲法前文の解釈を誤ったものであり、従って、これを前提として本件刑事特別法2条を違憲無効としたことも失当」
 
(2)結論への筋道からはずれた部分=傍論部分

 「(憲法9条は、戦争を放棄し、戦力の保持を禁止している。)しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない」

 「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補い、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであって、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。」

 「そこで、右のような憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」

3 砂川判決の判例としての意義
 
 砂川判決の判例としての意義は、あくまでも上記「2(1)結論への筋道」において論じられているところから抽出される「旧安保条約とそれに基づく米軍の駐留は一見極めて明白に違憲無効とは認められず、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査にはなじまない」という法理及び結論である。

 これに対し、「2(2)結論への筋道からはずれた部分=傍論部分」で述べられているところは、判例としての意義はなく、いわば無意味な文章である。

4 なぜ愚論・珍論か

 北側副代表は、その無意味な文章に飛びついて、ああだこうだと論評しているのである。それでもその論評が適確であれば、「独自の見解」なる慣用的に用いられる評価を与えてもよいのであるが、その論評が全くの的外れとあっては、愚論・珍論としか言いようがないのである。

 私が、北側副代表の論評は的外れであると言うのは、砂川判決は、国連憲章51条で個別的自衛権、集団的自衛権が定められていることがわかっているのに、両者を区別しないで、憲法9条の下においても「自衛権」「自衛の措置」が認められるとしている、だから集団的自衛権の観念を排除していないと述べていることである。

 これは自衛・自衛権に関する当時の憲法9条論争及び国際法学者の見解に関する完全な無知を露呈している。当時、自衛・自衛権といえば、当然の了解があった。即ち、1954年4月・衆院内閣委において佐藤達夫法制局長官が「いわゆる自衛権の限界は・・・急迫不正の侵害、即ち現実的な侵害があること、それを排除するために他に手段がないこと、さらに必要最小限度それを防御するために必要な方法をとるという三つの原則を厳格なる自衛権行使の要件と考える」と答弁し、その後、以下のように、「自衛権行使三要件」として定式化され、その概念は明確になっていたのである。

①わが国に対する急迫不正の侵害があること
②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

 これは今日いうところの個別的自衛・個別的自衛権である。このような自衛・自衛権概念は、当時の国際法学者の見解に依拠していたのであった。

 たとえば横田喜三郎博士は、戦前からその著「国際法」上巻において、「自衛権は、国家または国民に対して急迫または現実の不正な危害がある場合に、その国家が実力をもって防衛する行為である。この実力行為は、右の危害をさけるためにやむを得ない行為でなくてはならない。」として、具体的に「第一に、急迫または現実の不正な危害でなければならない。(以下略)」、「第二に、国家または国民に対する危害がなければならない。(以下略)」、「第三に、危害に対する防衛の行為は、危害を防止するために、やむを得ないものでなければならない。(以下略)」と説いていた。これと同様な見解は、ほかにも有力な国際法学者が唱えており、通説となっていた。

 このことを踏まえて砂川判決の上記判決要旨をもう一度読んでみて頂きたい。同判決が、個別的自衛権と集団的自衛権とを区別せず、自衛権、自衛の措置と言っているその自衛権、自衛の措置とは、個別的自衛権、個別的自衛の措置という意味であることを明瞭に読み取ることができるであろう。

 なお、北側副代表は高村正彦自民党副総裁と一緒になって、集団的自衛権行使を否定した1972年田中内閣見解を、砂川判決解釈と同様の愚論・珍論に基づいて、集団的自衛権行使を容認する見解に改変している。かくして公明党北側副代表は安倍首相の暴走にはずみをつけているのである。
(了)
プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR