砂川事件最高裁判決に関する愚論・珍論

1 はじめに

 公明党北側一雄副代表は、弁護士出身である。その北側氏が、6月11日、衆院憲法審査会に出席して、砂川事件最高裁判決(以下「砂川判決」という。)について、次のように論じた。

 「9条の下で許される自衛の措置について一番最初の最高裁判決が、この砂川判決である。そこでは、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置を取り得ると言っている。59年の判決なので、当然、45年の国連憲章51条に個別的自衛権または集団的自衛権という言葉があることを分かった上で、個別的自衛権とも言わず集団的自衛権とも言わず今のように表現をしている。
 いわば集団的自衛権、個別的自衛権という観念ではなくて、また集団的自衛権と言われている観念を排除しているものではないと少なくとも言えるだろうと思う。ただ、この砂川判決で言っているのはこの部分だけ。自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置を、さらに憲法9条の下でどこまで許されるのか、その限界をさらに検討する必要が当然あるわけで、砂川判決はそれを内閣、政府、また国会に委ねたと私は思う。」

 多くの人は、法律家である弁護士が公の場で述べるのであるから、多少とでもあたっているところがあるだろうと思うかもしれない。しかし、さにあらず、これは徹頭徹尾愚論・珍論の類である。

2 砂川事件最高裁判決要旨

 砂川判決の要旨を腑分けしてみよう。

(1)結論への筋道

 「(旧安保条約が)違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、それは第1次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。」

 「果してしからば、かようなアメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法9条、98条2項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。そしてこのことは、憲法9条2項が、自衛のための戦力の保持をも許さない趣旨のものであると否とにかかわらないのである。」

 「原判決が、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法9条2項前段に違反し許すべからざるものと判断したのは、裁判所の司法審査権の範囲を逸脱し同条項および憲法前文の解釈を誤ったものであり、従って、これを前提として本件刑事特別法2条を違憲無効としたことも失当」
 
(2)結論への筋道からはずれた部分=傍論部分

 「(憲法9条は、戦争を放棄し、戦力の保持を禁止している。)しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない」

 「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補い、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであって、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。」

 「そこで、右のような憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」

3 砂川判決の判例としての意義
 
 砂川判決の判例としての意義は、あくまでも上記「2(1)結論への筋道」において論じられているところから抽出される「旧安保条約とそれに基づく米軍の駐留は一見極めて明白に違憲無効とは認められず、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査にはなじまない」という法理及び結論である。

 これに対し、「2(2)結論への筋道からはずれた部分=傍論部分」で述べられているところは、判例としての意義はなく、いわば無意味な文章である。

4 なぜ愚論・珍論か

 北側副代表は、その無意味な文章に飛びついて、ああだこうだと論評しているのである。それでもその論評が適確であれば、「独自の見解」なる慣用的に用いられる評価を与えてもよいのであるが、その論評が全くの的外れとあっては、愚論・珍論としか言いようがないのである。

 私が、北側副代表の論評は的外れであると言うのは、砂川判決は、国連憲章51条で個別的自衛権、集団的自衛権が定められていることがわかっているのに、両者を区別しないで、憲法9条の下においても「自衛権」「自衛の措置」が認められるとしている、だから集団的自衛権の観念を排除していないと述べていることである。

 これは自衛・自衛権に関する当時の憲法9条論争及び国際法学者の見解に関する完全な無知を露呈している。当時、自衛・自衛権といえば、当然の了解があった。即ち、1954年4月・衆院内閣委において佐藤達夫法制局長官が「いわゆる自衛権の限界は・・・急迫不正の侵害、即ち現実的な侵害があること、それを排除するために他に手段がないこと、さらに必要最小限度それを防御するために必要な方法をとるという三つの原則を厳格なる自衛権行使の要件と考える」と答弁し、その後、以下のように、「自衛権行使三要件」として定式化され、その概念は明確になっていたのである。

①わが国に対する急迫不正の侵害があること
②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

 これは今日いうところの個別的自衛・個別的自衛権である。このような自衛・自衛権概念は、当時の国際法学者の見解に依拠していたのであった。

 たとえば横田喜三郎博士は、戦前からその著「国際法」上巻において、「自衛権は、国家または国民に対して急迫または現実の不正な危害がある場合に、その国家が実力をもって防衛する行為である。この実力行為は、右の危害をさけるためにやむを得ない行為でなくてはならない。」として、具体的に「第一に、急迫または現実の不正な危害でなければならない。(以下略)」、「第二に、国家または国民に対する危害がなければならない。(以下略)」、「第三に、危害に対する防衛の行為は、危害を防止するために、やむを得ないものでなければならない。(以下略)」と説いていた。これと同様な見解は、ほかにも有力な国際法学者が唱えており、通説となっていた。

 このことを踏まえて砂川判決の上記判決要旨をもう一度読んでみて頂きたい。同判決が、個別的自衛権と集団的自衛権とを区別せず、自衛権、自衛の措置と言っているその自衛権、自衛の措置とは、個別的自衛権、個別的自衛の措置という意味であることを明瞭に読み取ることができるであろう。

 なお、北側副代表は高村正彦自民党副総裁と一緒になって、集団的自衛権行使を否定した1972年田中内閣見解を、砂川判決解釈と同様の愚論・珍論に基づいて、集団的自衛権行使を容認する見解に改変している。かくして公明党北側副代表は安倍首相の暴走にはずみをつけているのである。
(了)
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プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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