小川和久氏の参考人陳述批判(6)

 戦力投射能力なき自衛隊そのものが、自衛隊の武力行使の歯止めになるとの小川氏の主張は、しっかりと検討する必要がある。何故なら、彼の主張は、戦前の軍隊ならともかく、今の自衛隊が、海外進出して世界の紛争に首を突っ込む、あるいは戦争を引き起こすなどということはあり得ないとの楽観論を、軍事アナリストなる専門家の知見をもって、支える効果を持っているように思われるからである。

自衛隊の能力に対する厳しい診断

 最初に彼の著書『日本人が知らない集団的自衛権』(文春新書)から、この文脈で言わんとしていることを正確に引用して紹介しておこう。

 まず「戦力投射能力」とは、「多数の戦略核兵器によって敵国を壊滅させることができる能力」又は日本のような島国で非核政策をとっている場合には「海を渡って数十万規模の陸軍を上陸させ、敵国の主要地域を占領して戦争目的を達成できるような構造を備えた陸海空軍の能力」のことだそうである。

 こう言っただけではわからないと思ってか、続けて、「仮に朝鮮半島を本格的に攻めるとすれば、50万人ほどの陸軍を上陸させて敵軍を粉砕し、首都を占領しなければ、戦争目的を達成できない」、「そのための作戦をしようとすれば3000機規模の作戦用航空機を持つ空軍力が必要」、「海軍は、数十万人規模の陸軍に応じた揚陸作戦能力を持つ空軍と、それを援護する戦闘艦艇、航空機が必要」、「数万人規模の空挺部隊と、それに見合う輸送機も必要」等々と大きな話が展開される。

 それに対して、現在の陸上自衛隊は定員15万1000人(現員13万7000人)、海上自衛隊は主要艦艇約140隻(45万トン)、一度に運べるのはわずか2000人ほどという兵員輸送能力しか保有していない、航空自衛隊は戦闘機など作戦用航空機は約440機を保有するのみで、兵員輸送能力はどんなにがんばっても3000人程度しかない。だから、「自衛隊は、本格的な海外派兵をしたり、戦力を投入して外国を占領できる構造を持つ軍事力ではない」、「限られた国土防衛における戦闘、つまり『専守防衛』だけで、侵略戦争などできるはずもない」と。

 さらに自衛隊の現実の能力を見ると、海上自衛隊の対潜水艦戦能力と掃海能力は世界トップクラスだが、空母も巡洋艦も原子力潜水艦もない「単能海軍」であるし、航空自衛隊の防空戦闘能力も対地・対艦攻撃能力は限られている。これはアメリカの求めに応じて整備されてきた結果である。自衛隊は自立できない構造であり、わが国防衛も独自にはできず、日米同盟によってはじめて成り立つのであると厳しい診断が下される。

戦前日本の侵略戦争は「戦力投射能力」を備えた上で敢行されたか

 戦前日本は、日露戦争での形ばかりの勝利で、新参の帝国主義国として華々しく国際舞台に登場することになったが、そこで日本が確保できたものは遼東半島(南満州)の租借権と鉄道経営権のみであった。戦果を華々しく報じる新聞に煽られて「勝った!勝った!」と提灯行列に沸いた民衆は、無賠償が報じられるや一転して、怒り狂い、暴徒と化して日比谷公園を焼き討ちした。しかし、それは如何ともし難いことであった。日本は、ときすでに戦争を継続する力を失い、米英の仲立ちで辛うじてポーツマス条約を締結、メンツを立てることができたというのが事の実態であり、日本にとっては、ロシアにおける革命の進展と帝政の動揺、米英の仲立ちという僥倖に助けられた薄氷の勝利あったからだ。
 日露戦争における兵員の犠牲者は、戦死者では日本88,429人、ロシア 25,331人、戦傷病死者では日本 27,192人、ロシア11,170人とされているが、日本がロシアのおよそ3倍である。これは日本軍の戦力不足を物語っており、小川氏流に言えば「戦力投射能力」なき無謀な戦争であったと評価できるのではなかろうか。

 日本が日露戦争に投じた直接戦費は、当時の国家予算の約8倍、それらの80パーセントは外債によりまかなわれた。そのために、日露戦後の国家予算は、長期にわたって歳出の部の30パーセントが国債費、その上にさらに30パーセントが軍事費として積み上げられることになり、国民生活は逼迫の度を進めた。

 当時の日本を、夏目漱石は次のように活写している。

 「第一、日本程借金を拵えて、貧乏狂いしている国はありゃしない。この借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国をもって任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りしようとする。だから、あらゆる方面に向かって、奥行きを削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争する蛙と同じ事で、もう腹が裂けるよ。」(『それから』より)

 政府も軍部も、このようなあい路を打開する術として、「満蒙の特殊権益」なるものを発明し、国民をしてそれに執心せしめる策をとった。遼東半島(南満州)の租借権と鉄道経営権が、「満蒙の特殊権益」なるものに目いっぱい膨らませられ、国民にとって神聖なる権利に転化して行った。

 父祖の血をもってあがなった「満蒙の特殊権益」を守るためとのスローガンで国民は動員される。満州駐在の関東軍が、それを声高に叫び突っ走る。「戦力投射能力」?そんなものクソ喰らえだ。かくして柳条湖事件が引き起こされ、満州事変が始まった。事態は、常に、現地派遣軍が戦争の引き金を引き、あとから軍中枢部と政府が追認するかたちで進行する。盧溝橋事件後の日中全面戦争もしかりである。これらの戦争は「戦力投射能力」を備えた上で進められたものだとでも言うような人は誰もいないだろう。

 そのどん詰まりが日米開戦であった。

天皇 「もし日米開戦となった場合、どのくらいで作戦を完遂する見込みか?」
杉山 「太平洋方面は3ヶ月で作戦を終了する見込みでございます。」
天皇 「汝は支那事変勃発当時の陸相である。あのとき事変は2ヶ月程度で片付くと私にむかって申したのに、支那事変は4年たった今になっても終わっていないではないか。」
杉山 「支那は奥地が広うございまして、予定通り作戦がいかなかったのであります。」
天皇 「支那の奥地が広いというなら太平洋はなお広いではないか。いったいいかな  る成算があって3ヵ月と言うのか?」

 これは日米開戦を決定づけた「帝国国策遂行要領」(1941年9月6日御前会議)の策定の前日における昭和天皇と陸軍参謀総長杉山元とのやりとりとして、一般に知られているところである。果たしてこのようなやりとりが本当にあったのかどうか、資料は、近衛文麿の手記だけなので、確証できているわけではないが、これが本当であったとすれば、日米開戦決定は、陸軍最高首脳において3カ月程度戦えばなんとかなると何ら成算もなく、なされたことを示して余りある。

 実際、戦後になってアメリカが、対日戦における空襲の効果について調査した「米国戦略爆撃調査団報告書」によると、何故日本が日米開戦に踏み切ったのかという調査項目に対してインタビューに応じた旧軍人、旧指導者、官僚らの説明を要約して、①ヨーロッパ戦線におけるドイツの圧勝とイギリスの敗退の見通し、②アメリカが反転攻勢に移るまでには3、4ヶ月はかかるのでその間にできるだけ兵力を展開し、占領地域を拡大する、③そうすることによって民主主義国家アメリカは国民の間に厭戦気分が蔓延し、妥協を図ることを余儀なくされるとの分析に立っていたことが示されている。

 日米開戦決定直前における日本とアメリカの戦力比、工業生産力、資源調達量、マンパワー、いちいち数字をあげないが、いずれを見ても大人と子供の違いがある。「戦力投射能力」など戦争をするか否かの決定に、何の影響も与えることはなかったのである。

現代の戦争、武力紛争

 ましてや現代における戦争は、旧来型の大国どうしの全面戦争の形をとることはないだろう。それは、一極化した超大国アメリカの世界戦略に基づく世界秩序維持のための強権行使とそれに対する反抗としての武力紛争となる。戦争は、戦争ではなく武力紛争と呼ぶにふさわしく非対称な形態のものとなっている。そこにおけるアメリカの同盟国の役割は、最初から機能分担がなされている。もっともそれは超大国アメリカの都合にあわせて、時には伸張し、時には縮小する。1990年代においてアメリカの世界戦略と軍事展開は激しく揺れ動いた。しかし、今や、悪化する財政の圧力から、世界各地における武力紛争への対処の仕方はできる限り同盟国の軍事力に肩代わりさせる方向に進んでいる。
 その中で、わが国の自衛隊の役割も大きな転機を迎えている。アメリカ軍を補完する軍事力として世界に展開して行くことが鮮明になってきている。日米新ガイドラインと今回の安保法制はまさにそれを示している。そのときに「戦力投射能力なき自衛隊」には武力行使は歯止めがビルトインされているなどとどうして言えるのであろうか。またはアメリカの求めに応じて整備されてきたから自衛隊は自立できない構造だ、だから日米同盟によってはじめて機能することになるのだということが、日本の海外における武力行使の歯止めになるなどとどうして言えるのであろうか。むしろアメリカの要求に応じられる構造となっている自衛隊だからこそ、もっと言えば日米調整メカニズムという名でアメリカ軍の指揮命令系統に組み込まれる軍事組織であるからこそ、自衛隊はより一層世界の武力紛争にアメリカ軍とともに介入して行けることになるのである。将来はともかく、少なくとも、現時点では、安倍政権は、それを喜んで買って出ている状況であり、自立・自主の道を歩むことはなかろう。

グレーゾーン事態への自衛隊の投入

 小川氏は、中国の武装船による尖閣海域への侵入と武装「民間人」上陸の危険を盛んに煽りたて、それらは海保の巡視船の武器では到底対応できない武力を備えているから、海保に任せていれば皆殺しにあうだろう、だから海保に任せていてはだめだ、速やかに自衛隊を投入できるようにしなければならない、また外国公船に対しても、単に警告だけではなく毅然と対処できるようにしなければならない、などと主張し、そのような法整備をすることを提唱している。
 しかし、戦闘的軍事アナリスト小川氏の主張に従っていては中国との間に何回もの小競り合いを繰り返し、それが大きな武力紛争に発展してしまうおそれ大である。

 中国とは一衣帯水、どんなに気に入らなくても平和を第一義において粘り強く交渉を続け、もつれにもつれた相互の関係を友好と信頼、互恵と互譲の関係に復元させるほかはない。
 グレーゾーンはあくまで治安・警察問題であり、海保を含む警察力で対応し、自衛隊は極力しゃしゃり出るべきではない。それが本連載の2回目で述べた「自衛権行使3要件」で定義される自衛権行使の主体たる自衛隊の務めである。

まとめ

  以上、小川氏の参考人陳述は、いずれの点から見ても採用しがたく、安保法案支持者の弁はここでも無効であった。政府は、少数の勇ましい賛成意見を進軍ラッパとして猪突猛進するもではなく、圧倒的多数の憲法学者、歴代内閣法制局長官の違憲論、国民多数の反対意見に耳を傾け、速やかに安保法案を撤回して、出直すべきである。

最後に一言。小川氏の参考人陳述に対する批判は図らずも6回にも及んでしまった。別に私は小川氏に遺恨があるわけではなく、むしろ、かつて政府からも独立した軍事アナリストとして活躍された小川氏の著作を読み、私なりのイメージがあった。しかし、それは残影であったのかもしれない。それを追うあまりやや言葉が走ったところもあっただろう。失礼の段お許し願いたい。
 小川氏が、かつて書かれたものについて、それらは若気の至りであったと言われればそれまでだが、それらには本当に時代にマッチした提言があったことを小川氏の名誉のために記しておきたい。
                               (了)
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小川和久氏の参考人陳述批判(5)

「国連憲章、集団的自衛権、戦力投射能力なき自衛隊という3点が全て歯止めになる。」

 いよいよ終わりに近づいた。小川氏は、突然歯止めの問題を提起する。話の筋から言うと、それは、わが国の武力行使に対する歯止めという意味であろう。
 小川氏は個別法令による歯止めの前に、大きな枠組みとして、国連憲章、集団的自衛権、自衛隊の軍事力という三つの歯止めがあると述べているのであるが、果たしてそれらは歯止めとして機能するのであろうか。

国連憲章は無視され続けてきた

 小川氏は国連憲章の精神に反することはできない、それに反した場合には国連が対応措置をとると言うのであるが、それは全くの空論である。そのことは、国連設立後70年の歴史の一コマ一コマが実証しているところであり、ホゾをかむ思いを抱き続けてきたことは、私たち戦後に生きた者の共通体験ではないか。東西冷戦時代しかり、冷戦終結後のアメリカ一極支配確立後しかりである。
 大国の横暴により、武力行使禁止原則と国連関与の下での集団的安全保障による国際の平和と安全の確保という国連憲章の真髄は、いかに無残に踏みにじられてきたことか。とりわけ国連生みの親とも言うべきアメリカの、育児放棄とネグレクトは顕著なものであった。アメリカが国連憲章に背馳する単独行動で武力紛争を引き起こし、国連憲章を侵犯したことは幾たびに及んだであろうか。すぐにはその回数を答えられない程である。
 国連憲章は、かつて違法、不当な武力行使の歯止めになったためしがないのだ。

集団的自衛権が歯止めになる?

 小川氏は集団的自衛権が歯止めになると言うが、その意味するところはよくわからない。ここは小川氏の言葉をなぞるが如く論じることにする。

 小川氏は、参考人陳述の中で、二つの例をあげている。一つはドイツの例、もう一つはアメリカの例。

 まずドイツの例について。戦後ドイツはNATOに包摂されることによってのみ再軍備が認められたのであり、単独で軍事行動はできない、これは集団的自衛権による歯止めだとおっしゃっている。しかし、ドイツは、再軍備をしてNATOにドイツ国軍の指揮権を委ねる、即ち主権の一部譲渡をすることが戦後国際社会に復帰するための唯一の道であったのであり、大きな国民的議論の末、ドイツ国民はその道を選択したのであった。集団的自衛権がドイツ国軍の武力行使に対する歯止めであるなどという小川氏の論は、戦後ドイツの政治史を正しく見ておらず、牽強付会と言うほかない。

 次にアメリカの例について。アメリカは湾岸戦争のとき、同盟国からの意見噴出により単独行動にブレーキがかけられた、それは集団的自衛権による歯止めが働いたからだとおっしゃる。しかし、これは全くの見当はずれである。戦後アメリカは一貫して単独行動主義をとってきたことは上述のとおりであり、湾岸戦争では、冷戦終結後、たまたま国連を自己の世界戦略に利用できる状況が生まれたため、これを奇貨として、国連の疑似的な集団的安全保障措置に乗っかったに過ぎないのであって、集団的自衛権がアメリカの武力行使の歯止めになったなどいう小川氏の論はこれまた牽強付会と言うほかはない。その後、時を経ずしてアメリカが単独行動主義に回帰したことは周知のとおりである。

 小川氏の集団的自衛権が武力行使の歯止めになるという主張は、彼の著書『日本人が知らない集団的自衛権』(文春新書)を読むと、もうひとつ集団的自衛権行使を約束しあった軍事同盟の対峙が平和共存をもたらすということをも根拠にしているようである。しかし、これはすでに破綻済みの古典的なパワー・ポリティクス論である。バランス・オブ・パワーによってつかの間の平和共存が現出されても、あい対峙する超大国、あるいは相互の同盟ブロックにおけるあくなき軍拡競争を呼び起こし、やがて世界大戦の破局を迎えるか、一方がその負担を担い切れずに体制崩壊するが、そのいずれかに帰することになる。小川氏は、歴史の教訓から何も学んでいないのだ。

 ところで戦後、集団的自衛権を根拠として、どれだけの違法、不当な武力干渉、武力行使がなされてきたことだろう。以下の事例は全てを網羅しているわけではないが、これらを一瞥するだけで、小川氏の主張がいかに的外れであるか一目瞭然であろう。

(冷戦期)

① ハンガリー動乱(1956年/ソ連)
② レバノン・ヨルダンへ介入(1958年/アメリカ、イギリス)
③ イエメンへ介入(1964年/イギリス)
④ ベトナム戦争(1966年/アメリカ)
⑤ プラハの春への介入(1968年/ソ連)
⑥ アフガニスタン介入(1980年/ソ連)
⑦ グレナダ介入(1983年/アメリカ)
⑧ ニカラグア介入(1984年/アメリカ)
⑨ チャド介入(1986年/フランス)

注:朝鮮戦争については、38度線まで北朝鮮軍を押し戻す過程は国連の集団的安全保障、そこから中国国境線近くまで攻め入った北朝鮮せん滅作戦は集団的自衛権と見るべきだろうか。さらに研究を深める必要がある。

(冷戦終結後)
   
① アフガン戦争(2001年/アメリカ、NATO構成諸国)
② イラク戦争(2003年/アメリカ、イギリス)

注:イラク戦争は勿論であるが、アフガン戦争も、同国は一目1兆ドルの豊富な鉱物資源の宝庫であり、これらは古典的な帝国主義戦争という側面も有しているように思われる。ブッシュの対テロ戦争論は、ハゲタカの論理を覆い隠す方便であったかもしれない。

 さて今回で終える予定でいたが、歯止め論の最後、戦力投射能力なき自衛隊そのものが歯止めになるという主張は、少し面白いのでもう1回とって論じたい。また小川氏は律義にもグレーゾーン問題に言及しているので、それにも少し応接することとして、次回には、小川氏の参考人陳述にお別れをしようと思う。

                              (続く)

小川和久氏の参考人陳述批判(4)

「日米同盟は世界最高レベルの安全をもたらしており、費用対効果に優れている。『米国の属国』と言うのは日本人が悪い。米国から見て最も対等に近い唯一の同盟国は日本。日本列島という戦略的根拠地を提供し、米軍の本社機能が日本に置かれている。84ヶ所の米軍基地と日米共同使用施設が50ヶ所あり、喜望峰まで活動する米軍を支えている。だから米国は日米同盟の解消をずっと懸念してきた。既に対等平等の同盟関係なのだ。」

「本社機能を持つ日本列島を攻撃しないで米国を攻撃するということはない。抑止力として日米同盟に勝るものはない。東シナ海でも中国は極めて抑制的に動いて気を遣っている。沖縄の海兵隊は抑止力でないと言うが、尖閣や台湾有事などで1000人が駆けつける。中国に米国と全面戦争するのをためらわせる抑止力になる。」


 小川氏は、7月1日、衆院安保特別委に公明党推薦の参考人として招かれ、標記のごとく、陳述した。その小川氏は、1985年3月に書いた『在日米軍―軍事占領40年目の戦慄―』(講談社)では、同じ論点に関して、一体どう述べていたのであろうか。

 小川氏は、同書の中で、NATO諸国と日本の実情とを比べている。

 たとえば核兵器の問題について。NATO諸国ではアメリカは核兵器の配備状況を詳しく通知しなければならないことになっている。そればかりか、イギリスでは、アメリカ軍に承認なしに配備された核兵器を使用する動きが見られた場合、イギリス軍は国内にある米軍基地を攻撃する旨の通知さえしていたことが判明している。ドイツでも、テロ対策のプロ集団たる国境警備隊の特殊部隊は、国内にある米軍基地に突入し、アメリカによる核兵器の無断先制使用を抑止することが極秘任務とされている。それにひきかえわが国では、アメリカは、核兵器の配備状況や運用については一切明らかにしないという説が常識であるかのようにまかり通ってきた。わが国政府は、一方で、非核三原則を宣言しておきながら、「アメリカから事前協議の申し入れがないからには、日本に寄港する艦艇は核兵器を信頼するほかない」などと頬かむりし、無責任な態度に終始している。

注:わが国政府は、米軍の核に関する有名なテーゼである「NCND(neither confirm nor deny)」を真に受けていた。否それは「真に受けて」というよりは「隠れ蓑にして」という方がより正確かもしれない。実際には、日本政府は、核兵器を搭載した艦船や航空機のわが国領域内の通過、寄港、立ち寄り(trannsit)については事前協議の対象としないこととする密約を交わして黙認していたこと、沖縄返還に際して緊急時の再持ち込み・貯蔵を認める密約を交わしていたことが、開示された日米双方の文書により確かめられていることは周知のとおりである。 

 小川氏は、こうしたわが国政府の無責任な態度は、折角批准したNPT条約上の「核兵器を持たない国を核によって攻撃し、又は攻撃してはならない」との特典を放棄するに等しいものであったことを痛烈に批判している。曰く「核戦力に密接に関連した在日米軍の駐留を許してきたことによって、核による攻撃や脅迫を招いてもしかたのない立場を、みずから選択してしまったのである。」と。

 そうした考察をもとに、小川氏は、日本は本当の意味での独立国家ではないとの実感を吐露し、超大国であるアメリカとソ連に互して生存の道を探るしたたかな独立心を持つべきことを政府と国民に求め、「これまでの分析であきらかなように、日本は“赤い標的”ソ連を撃つための米軍の巨大な出撃基地であり、同時に補給、情報の基地としても、アメリカの対ソ戦略に欠くことのできない一大軍事基地を形作っていた。そこでは、戦後40年にわたるアメリカの軍事占領がピークを迎えつつあり、国家としての日本の独立性はきわめて疑わしい限りだということを強調しておきたい。」と結んでいる。

 さて上記の如く主張した当時と標記の参考人陳述をした現在とでは、小川氏の主張は180度転換している。この30年の間に、彼がそのようにドラスティックな転換を遂げてしまうほどに、国際環境や日本の地位に大きな変化があったのであろうか。

 日本列島に置かれた米軍施設(基地)の状況は殆ど変っていない。小川氏は、現在も「日本列島という戦略的根拠地を提供し、米軍の本社機能が日本に置かれており、84ヶ所もの米軍基地と日米共同使用施設が50ヶ所あり、喜望峰まで活動する米軍を支えている。」と指摘しているではないか。
 ただ、変化したことと言えば、いまや冷戦体制の一方の雄でありアメリカに匹敵する強大な軍事力を有し、わが国にとっても軍事的脅威として現前していたソ連は解体してしまい、世界はアメリカ一極支配の構造となったということだろう。中国が軍備を急速に拡大しつつあるとはいえ、何せ元が小さかったので、アメリカの足元にも及ばず、到底アメリカに対峙できるような力はない。いずれにせよ、これは小川氏が主張を大転換するに足る客観的事情の変化にはならないだろう。

 アメリカは、一極支配構造の下で、なんの自制もなく、世界のあらゆる紛争に武力介入をし、武力による威嚇、武力行使によって強引に自己本位の世界秩序の形成を進めている。これに対するさまざまな抵抗が噴出し、それらは非対称の武力紛争の形態をとりつつ、アメリカのさらなる武力鎮圧にあって、分散し、拡散してウイルスが蔓延するがごとく世界を蝕みはじめている。アメリカに自制を促す強大国がない状況のもとで、アメリカは、自国の安全と国益を最大化することに血道をあげている。アメリカは、いまや世界の抑圧された民衆の怨嗟の的になっている。アメリカ国民とその同盟国の国民は、見えない敵の攻撃にさらされることになる。日米同盟が世界最高レベルの安全をもたらしているなどと、呑気なことを言ってもらっては困るのだ。日米同盟が中国に対する抑止力になるなどと風が吹けば桶屋がもうかるという類のほら話をする前に、日米同盟の深化を叫び、自衛隊を米軍の肩代わりとする道を突き進むことにより、再稼働されれば、原発がテロ攻撃の標的になることを心配した方がいいのではなかろうか。

 在日米軍施設の運営や在日米軍の活動の自由を定める日米地位協定は、日本を植民地並みの不平等な地位に貶めている。米軍の活動は、日本の国内法の規制外に置かれている。今も、アメリカからの新たな施設(基地)の設置要求があれば従わなければならない。犯罪捜査や刑事裁判を筆頭に米軍の軍人・軍属はさまざまな特権を付与されている。米軍施設(基地)の管理は米軍の専権事項である。まさに治外法権である。これを「対等平等」などと言うのは悪い冗談だ。

 1985年の小川氏は、日本は独立国ではないと慨嘆していた。彼はこうも言っていた。「一般的にいわれる日米軍事同盟にしても、米軍と自衛隊が共同して作戦行動をするといった対等の関係ではなく、あきらかに自衛隊を米軍のひとつの戦闘単位として組み込んだ現実が浮かび上がってくる」と。
 今の小川氏は、「『米国の属国』と言うのは日本人が悪い。」とのご託宣を下している。

 これは早い話が単なる変節ではないか。その変節ぶりたるや、見事である。

                             (続く)

小川和久氏の参考人陳述批判(3)

「集団的自衛権の行使か、日米同盟を解消し独自の防衛力を整備するか、の選択肢しかなく、今のレベルの独自防衛には防衛大学の教授の3年前の試算で23兆円が必要とされる。これは選択の余地なしである。」
「同盟を選択した以上集団的自衛権は認めざるを得ない。集団的自衛権は戦争抑止のための制度である。」


 上記は小川氏が参考人陳述で最も力説したポイントである。日本の安全保障政策の基本は、日米同盟の維持か、日米同盟の解消・自主防衛かという二者択一の選択肢しかない、仮に日米同盟の解消・自主防衛を選択すると年間23兆円ものコストを要することになり、到底その負担には耐えられない、従って日米同盟の維持しかないが、日米同盟維持のためには集団的自衛権を認めるのは当然のことである、と言うのである。

 前回紹介した『在日米軍―軍事占領40年目の戦慄―』(1985年3月・講談社)では、小川氏は、社会党が提唱していた非武装中立論にシンパシーを持ちつつ、「闘争心という人類の属性と世界の現状」を考えるとき、それはとり得ないとして、「スイスやスウェーデンのような武装中立国家」こそ日本のとるべき道だとの考えを示していた。小川氏は、少なくとも当時は、非同盟・中立主義の立場で最小限度、自国防衛(専守防衛)の限りで軍備を保持することを是としていたのであった。その小川氏が、一体どのような思想的遍歴の結果、日米同盟至上主義に立ち至ったのかは興味深いテーマである。その点はさておき、彼の歩んだ道は、彼にとってまっすぐな登り坂であり、外交・安全保障・危機管理の分野でときどきの政府の政策立案に深く関わり、「軍事に関する専門家」としての地歩を踏み固めてきたものであったことは確かであろう。

「日米同盟解消によるコストは年間23兆円」はブラフの類

 小川氏は、日米同盟解消によってもたらされるコストは年間23兆円だと述べ、国民に思考停止を強要しようとしているのであるが、その論拠としているのは、武田康裕・武藤功『コストを試算!日米同盟解体』(2012年6月・毎日新聞社)である。
 同書の著者らは、防衛大学校教授であり、防衛大学校安全保障研究会のメンバーであり、強固な現体制維持派であるから、実証的に、日米同盟維持と日米同盟解消・自主防衛選択の場合のコストを比較し、日米同盟維持のコスト面における優位性を論証しようとしたのであろう。
 同書において、日米同盟解消によりコストがどれだけ増加するかという計算は、(日米同盟解消・自主防衛の場合の直接経費増加分)+(同盟解消・自主防衛の場合に発生する経済的損失)-(日米同盟維持に要している直接経費)-(日米同盟維持に要している間接経費)によって示されている。同書が示すこの計算の詳細については、別途十分に読み込んで、検討する必要があるが、ざっと見た限りでも以下のように問題点を指摘することができる。

 第一に、日米同盟解消・自主防衛に必要な直接経費として①島嶼防衛能力の強化に2993億円、②空母機動部隊の保持に1兆7676億円、③戦闘機に1兆1200億円、④敵基地攻撃能力のための情報収集衛星に8000億円、⑤民間防衛組織の強化に2200億円を見込んでいるが、これらは専守防衛の範囲を超える軍備増強であり、憲法9条の規制のない普通の国の軍備に転換しようとするものである。

 第二に、日米同盟解消・自主防衛を選択した場合の間接経費として①貿易の縮小によるGDPの縮小が6兆8250億円、②株・国債・為替の下落により12兆円、③エネルギー価格の上昇1兆~2兆5000億円をコスト増要因として計上しているが、いずれも日米同盟解消との直接的な因果関係があるものかどうか不明であるし、推測の域を出ないものと言ってよい。

 第三に、日米同盟維持の場合の直接経費である在日米軍関係経費を4374億円としているが、本当にこれだけにとどまっているのであろうか。これは全体から見ると些少な部分であるが、こういうところがおろそかにせず財政学の専門家によるチェックが必要である。

 第四に、日米同盟維持に要する間接経費を1兆3824億円と計上しているが、在日米軍施設が存在する場合と返還された場合との経済効果の差し引き勘定や在日米軍施設の存在よってもたらされる被害額、自立した中立国家となった場合に国際社会で得られる信頼度の変化とそれの経済効果なども、検討の余地があるように思われる。

 かつての小川氏なら、こういう検討を自ら行った筈である。しかるに小川氏は、それを丸呑みしてしまい、オーム返しにして、国会における参考人陳述で、国民に対し、ブラフを投げつけたのである。これがかつての武装中立論者小川氏の現在の立ち位置である。

「日米同盟を選択した以上集団的自衛権は当然」か?

 私は、小川氏のブラフにかかわらず、日米同盟解消にチェンジして行くべきだと考える。しかし、それは急激にはできないだろうから、次のような段階をふむべきである。まず、日米同盟のもたらす弊害の極小化を図り、国家主権の自主・自立性を漸次的回復することに努力を傾注する(たとえばドイツ、イタリア、韓国の例を参考に、地位協定を全面的に改訂するとか在日米軍施設の整理縮小を図る。)。それと並行しつつ尖閣・竹島問題の平和解決、日ロ平和条約締結による北方領土問題の合意・解決、さらには東アジアにおける包括的な平和を確立するために、プロアクティブ・コントリビューション・ツー・ピースという「衣の下に鎧」のごとき積極的平和主義ではなく、軍事を極小化し、世界の人民の平和的生存権の擁護、世界の人民の構造的暴力からの解放、人間の安全保障を旨とするポジティヴ・パセフィズムとしての積極的平和主義を提唱して、憲法九条による平和外交に徹する。しかる後に、国際情勢の変化、潮時を見計らって、日米同盟の解消・を提起する。

 さて話が少し横道にそれたが、小川氏が参考人陳述で断言したごとく、日米同盟を選択した以上は、集団的自衛権は必然のことなのだろうか。小川氏がそのようにいう根拠は、参考人陳述では論じられていないが、彼の著書(『日本人が知らない集団的自衛権』文春文書)を参照するとわかる。彼は、同盟関係とは相互防衛体制であり、当然に相互に集団的自衛権の行使しあうことを約束しあうものだというドグマに固執しているのである。その上で、小川氏は言う。わが国は、米国のために在日米軍施設を供与することによって既に集団的自衛権を行使しているのだ、と。

 しかし、小川氏の主張は、あまりにも大雑把すぎる。まず同盟関係といってもいろいろな成り立ちがあり、またその関係形成に至った状況を反映して、千差万別、決して普遍的内容を持つものではない。日米同盟に即して言えば、占領体制の事実上の継続としての旧安保条約下の関係、わが国の施政権下にある地域における共同防衛を謳った現行安保条約下で1990年代まで維持された関係、1990年代以後アジアから世界に展開する米軍の支援に踏み込んだ安保再定義路線上の日米同盟、そして今、安倍政権が世界における米軍との共同作戦行動に踏み出そうとしている新たな段階の日米同盟というように、各段階に応じて個別的に検討しなければならない。しかるに、小川氏は、それらをいっしょくたにしているのである。

 国際法上、集団的自衛権をどう捉えるかについては既に当ブログで述べたところであるから繰り返さない(たとえば『フルスペックの集団的自衛権も限定的な集団的自衛権も単なる言葉の綾である』http://t.co/vUUMCoKWc8を参照されたい。)。

 少なくとも国際法上の集団的自衛権は、他国に対する武力攻撃の存在とそれに対する反撃としての武力行使が必須の要素であり、在日米軍施設の提供だけでは集団的自衛権の行使とはみなされない。またこれまでは米国に対する武力攻撃があってもわが国が武力行使に踏み出すことはなかった。

 日米同盟という言葉が、公式の場ではじめて用いられたのは、1979年5月末のこと。訪米した大平正芳首相が、ホワイトハウスの歓迎式典でのスピーチではじめて用い、カーター大統領の会談でも用いた。次いで次の鈴木善幸首相が1981年5月に訪米したときに初めて日米共同声明に盛り込まれた。それ以前は、日米関係とか日米安保体制という言葉が用いられていた。鈴木首相は、記者会見で、日米同盟という言葉には軍事同盟という意味はないとコメントし、当時の外務省高官に安全保障の素人呼ばわりされたというエピソードもある。
 同盟と言っても千差万別である。そのことを無視して、小川氏が、国会の参考人陳述の場で堂々と極論を披歴し、安倍政権の集団的自衛権行使容認を称えたことは、わが国が、今、とりかえしのつかない道に踏み込もうとしていることのグロテスクな象徴である。
                             (続く)

小川和久氏の参考人陳述批判(2)

 「保安隊が自衛隊へとドラスティックに変更されたことに比べれば、昨年7月の閣議決定は解釈改憲にはほとんど抵触しない。安倍政権は日本的議論を整理して日本の安全を確立しようとしており高く評価する。」

 小川氏は、『日本人が知らない集団的自衛権』(文春新書。以下単に「著書」という。)の中でも、1950年代における政府の解釈改憲について詳しく述べている。彼の「著書」も参照しながら、上記陳述がいかに一面的であるか見ていきたい。

 当時、今の安倍首相と同様の役回りを演じたのは吉田茂元首相であった。だが、安倍首相は、軍事大好き人間、自ら主体的に率先して解釈改憲の道を突っ走っているのに対し、吉田元首相は、アメリカの有無をいわせぬ要求に押し切られ、逐次再軍備への道に踏み出し、乙女のごとく恥じらいつつ、あるいはためらいつつ、解釈改憲を進めることを余儀なくされたのであった。

1950年代解釈改憲の道程

 吉田元首相は、帝国憲法改正=日本国憲法制定のために招集された最後の帝国議会(第90帝国議会)の衆議院本会議で、憲法9条について、自衛権を否定するものではないが、第2項において、一切の軍備と保持しない、交戦権は認めないと定めてあるから自衛権の発動としての戦争も認められないと断じた。日本共産党の野坂参三議員から自衛のための戦争まで放棄することの是非を問われ、近年の戦争は自衛を標榜したなされたのであり、自衛のための戦争を認めることは有害であると論じた野坂・吉田ディベートを知らない人はいないだろう。

 その「絶対平和主義者」吉田元首相に、乙女の恥じらいとためらいを味あわせたのは、朝鮮戦争勃発2週間目の1950年7月8日付のGHQ最高司令官マッカーサーから吉田元首相に宛てた1通の書簡であった。そこには「7万5,000名の国家警察予備隊の創設と,海上保安庁既存定員の8,000名増加に必要な措置をとることを許可する」としたためてあった。勿論、これは日本政府が自主的にとろうとする施策を許可するというのではなく、日本政府への指令である。このあまりにも有名なマッカーサー指令を、小川氏は、「著書」中で、文字どおり「許可」と紹介している。これをもって、小川氏に歴史改ざんの意図ありと断じるのは酷であろうか。

 吉田元首相は、再軍備の第一歩であったこの警察予備隊について、国会で追及されるや、その目的は治安維持であり、その性格は「警察力を補うため」の組織で軍隊ではないと述べた。駐留米軍が朝鮮戦争に出役することにより「間接侵略」への備えであり治安維持が目的の警察組織だと言い逃れをしたのである。憲法9条への抵触の可能性を形式論理によって糊塗したと言ってよい。

 ついで吉田元首相は自ら全権代表として、サンフランシスコ平和条約と旧安保条約に調印してきた後の1951年10月16日、旧安保条約で独立が達成された後も米軍の駐留を認め、基地提供を続けることについて「国が独立した以上、自衛権は欠くべからざるものであり、当然の権利である。この自衛権の発動の結果として、安全保障条約を結ぶのは当然のことである。」と言明するまでに至った。

 1952年10月、警察予備隊は保安隊にグレードアップされる。その目的は「わが国の平和と秩序を維持し、人命及び財産を保護する」とされ、「警察力を補うため」との性格規定の文言は廃された。吉田元首相は、保安隊は憲法9条に違反するとの野党の追及に対し、一旦は、憲法9条は自衛のための戦力の保持は禁じていないと大見え切った(1952円3月6日参議院予算委)ものの、世論の猛反発の前に、4日後、たとえ自衛のためであっても戦力を持つには憲法改正を要するが、保安隊は戦力ではないから憲法9条に反しないと言いなおした(同月10日参議院予算委)。その振幅の大きさは、逆に、再軍備の推進者が誰であるかを示すものであったと言ってよい。

解釈改憲の限界と歯止め

 自衛隊の発足は1954年7月。遮二無二再軍備をせかせるアメリカの要求と吉田元首相がこれに屈し、追随していく過程は、再軍備反対の国民的運動の高揚をもたらし、政権基盤の弱体化をもたらす過程でもあった。吉田政権末期には、こうした国民的運動の高揚に押されて、今日まで重要な意味をもつ政府見解が打ち出されている。一つは自衛権行使3要件、もう一つは憲法9条の下では集団的自衛権は認められないという見解である。ここに解釈改憲の限界と歯止めが設定されているのである。

(自衛権行使3要件)

 「いわゆる自衛権の限界は・・・たびたび述べておりますように急迫不正の侵害、即ち現実的な侵害があること、それを排除するために他に手段がないこと、さらに必要最小限度それを防御するために必要な方法をとるという三つの原則を厳格なる自衛権行使の要件と考える。」(1954年4月6日衆議院内閣委員会・佐藤達夫法制局長官答弁)

 この見解は、その後幾度となく、国会において、また政府実践において確認され、「自衛権行使3要件」と呼ばれることとなった。「自衛権行使3要件」を整理すると以下のとおりである。

①わが国に対する武力攻撃があること
②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

(集団的自衛権の否定)

 「平和条約でも、日本国の集団的、個別的の両者の自衛権というものは認められているが、しかし、憲法の観点から言えば、憲法が否認していないと解すべきものは、既存の国際法上一般に認められた固有の自衛権、つまり、自分の国が攻撃された場合の自衛権であると解すべきである。集団的自衛権、これは換言すれば、共同防衛又は相互安全保障条約、あるいは同盟条約ということであって、つまり、自分の国が攻撃されてもいないのに、他の締結国が攻撃された場合に、あたかも自分の国が攻撃されたと同様にみなして、自衛の名において行動するということは、一般の国際法からはただちに出てくる権利ではない。それぞれの同盟条約なり共同防衛条約なり、特別の条約があって初めて条約上の権利として生まれてくる権利である。ところが、そういう特別な権利を生み出すための条約を日本の現憲法下で締結されるかどうかというと、できない。(中略)日本自身に対する直接の攻撃あるいは急迫した攻撃の危険がない以上は、自衛権の名において発動し得ない。」(1954年6月3日衆議院外務委員会下田武三外務省条約局長)

 自衛権行使3要件のコロラリーとして集団的自衛権は認められないことがはっきりと示されている。

1950年代解釈改憲の完成 

 1950年代の解釈改憲は、吉田政権崩壊後、自主防衛・自主憲法制定を党是とする日本民主党総裁鳩山一郎を首班とする鳩山内閣において完成した。

(鳩山内閣統一見解・・・1954年12月22日衆議院予算委・大村清一防衛庁長官の答弁)

 第一に、憲法は、自衛権を否定していない。自衛権は、国が独立国である以上、その国が当然に保有する権利である。憲法はこれを否定していない。したがって、現行憲法の下で、わが国が、自衛権を持っていることは、極めて明白である。

 第二に、憲法は、戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。

① 戦争と武力の威嚇、武力の行使が放棄されるのは、「国際紛争を解決する手段としては」ということである。

② 他国から武力攻撃があった場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであって、国際紛争を解決することとは本質が違う。したがって、自国に対して武力攻撃が加えられた場合に国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。

 小川氏も指摘するように1950年代に、アメリカの再軍備要求のゴリ押しに屈して推し進められた再軍備過程で、時の政府は、ドラスティックに憲法9条の解釈改憲をした。しかし、そこには明確な限界と歯止めが設定されていた。鳩山内閣統一見解で完成することになったいわゆる自衛隊合憲論は、許されざる解釈改憲ではあったが、「自衛権行使3要件」とそのコロラリーである「集団的自衛権否定」とワンセットとなったものであった。爾来、その下で専守防衛原則が連綿として守られてきたと言ってよい。それによって辛うじて憲法9条・平和憲法の命脈が保たれてきたのだ。

安倍政権の愚行

 しかるに安倍政権の7.1閣議決定は、安全保障環境の激変なるお題目を唱えて、いとも簡単に集団的自衛権行使を認めてしまった。確かにそれは日本的議論の整理であったかもしれない。しかし、その日本的議論の核心は、憲法9条の下では、「自衛権行使3要件」に基づく自衛権の行使しか認められず、従って「集団的自衛権」は認められないという憲法の規範的拘束を厳格に守るというものであった。それを切り捨てた安倍政権は、立憲主義と法の支配を否定してしまったのである。

 これは憲法9条にとどめをさす解釈壊憲以外のなにものでもない。
                              (続く)

小川和久氏の参考人陳述批判(1)

 7月1日、衆院安保法制特別委員会において、軍事アナリストで静岡県立大学特任教授の肩書をもつ小川和久氏が公明党推薦で参考人陳述をした。小川氏の陳述内容は、以下に要旨を摘記するが、おおむね同氏が昨年12月に出版した『日本人が知らない集団的自衛権』(文春新書)を、要約して述べたものであった。

(小川氏の陳述要旨)

① 「保安隊が自衛隊へとドラスティックに変更されたことに比べれば、昨年7月の閣議決定は解釈改憲にはほとんど抵触しない。安倍政権は日本的議論を整理して日本の安全を確立しようとしており高く評価する。」

② 「集団的自衛権の行使か、日米同盟を解消し独自の防衛力を整備するか、の選択肢しかなく、今のレベルの独自防衛には防衛大学の教授の3年前の試算で23兆円が必要とされる。これは選択の余地なしである。」

③ 「同盟を選択した以上集団的自衛権は認めざるを得ない。集団的自衛権は戦争抑止のための制度である。」

④ 「日米同盟は世界最高レベルの安全をもたらしており、費用対効果に優れている。「米国の属国」と言うのは日本人が悪い。米国から見て最も対等に近い唯一の同盟国は日本。日本列島という戦略的根拠地を提供し、米軍の本社機能が日本に置かれている。84ヶ所の米軍基地と日米共同使用施設が50ヶ所あり、喜望峰まで活動する米軍を支えている。だから米国は日米同盟の解消をずっと懸念してきた。既に対等平等の同盟関係なのだ。」

⑤ 「本社機能を持つ日本列島を攻撃しないで米国を攻撃するということはない。抑止力として日米同盟に勝るものはない。東シナ海でも中国は極めて抑制的に動いて気を遣っている。沖縄の海兵隊は抑止力でないと言うが、尖閣や台湾有事などで1000人が駆けつける。中国に米国と全面戦争するのをためらわせる抑止力になる。」

⑥ 「国連憲章、集団的自衛権、戦力投射能力なき自衛隊という3点が全て歯止めになる。」

⑦ 「日本でしか通用しない議論で自衛隊や警察、海上保安庁を出さないでほしい。向き合う相手はフリーハンドなのだから。」

 しかし、私に言わせれば、小川氏の上記の陳述は、軍事アナリストとして、さまざまな知識を披歴し、並みいる議員諸氏を煙にまくだけの効果はあったであろうが、いずれも単なる独断に過ぎない。そればかりか、肝心の7.1閣議決定と安保法案についてはもろ手を挙げて賛成するだけで、具体的にその根拠は何も明らかにしていない。言ってみれば政治好きの横町の御隠居さんの政治談議の類であった。

 小川氏は、1980年代に、在日米軍基地を調査し、『在日米軍―軍事占領40年目の戦慄』(講談社)を書いた。同書には、在日米軍基地が米国の世界を睨んだ軍事戦略のための世界最大の兵站基地としての機能を担っていることが記されている。これは在日米軍基地が、日米安保条約から大きく逸脱した実態にあることを客観的資料に基づき明らかにしたもので、小川氏の主観的意図とは関わりなく、安保体制を批判する見地からも有益であった。

 また小川氏は、1980年代に、「平和国家モデル」と自ら呼んでいる独立国家の外交・安全保障構想を提起した。これによると平和国家がまずなすべきことは周辺諸国との「信頼関係の醸成」であり、これをベースとし、その上に専守防衛に特化した防衛力、国連の平和維持活動への参加、途上国援助、文化・学術・労働力の交流などの「平和創造力」を積み上げ、その積み上げの頂点として必要とあらば「同盟関係の選択」をするいう整理がなされ、ピラミッド型の模式図を示して説明されていた。その考察の上に立って、我が国は、先に「同盟関係の選択」という頂点の上に逆立ちした成り立ちとなっており、国家の安全と繁栄を順序正しく組み上げていくという思想を欠ける原因となっていることを批判していた。

 かつての小川氏は、独立した軍事アナリストとして、国民に有益な知見を提供してくれることもあったのである。しかしながら、小川氏は時の政権に請われて、政策形成に関与するうちに、かつての良質な側面をすっかり削ぎ落としてしまったようだ。小川氏の現在の立ち位置は、味噌でも糞でも安部政権のやることは全て賛成し、賛成する理屈を長年培った軍事に関する知識を総動員してひねり出すという、卑屈な安部政権追随者に堕してしまっているのだ。

 次回から、上記陳述に対し、逐次反論してみることとする。

                         (続く)

フルスペックの集団的自衛権も限定的な集団的自衛権も単なる言葉の綾である

 昨年7月1日の閣議決定で、集団的自衛権の行使が認められることとなった。もっとも同閣議決定では、「武力行使3要件」を示し、あくまで限定的な集団的自衛権行使を認めたものであるとの弁明がなされている。

 この閣議意決定を受けて、武力攻撃事態法に、新たに「存立危機事態」が設けられようとしている。そこで言う「存立危機事態」とは、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」と定義される。内閣総理大臣は、「存立危機事態」が認定され、「国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な方法がない」とき、自衛隊法の改正規定により自衛隊に防衛出動を命じることができることとなる。出動を命じられた自衛隊は、当該他国への攻撃を排除するため「事態に応じて合理的必要と判断される限度」の武力を行使することができる(現行の自衛隊法88条)。

 武力攻撃事態法改正と自衛隊法改正により認められる限定的な集団的自衛権は、フルスペックの集団的自衛権とは違うのだ、そのほんの一部を認めたに過ぎないのだと、安倍首相、中谷防衛相、及び与党関係議員は、口を酸っぱくして繰り返している。しかし、フルスペックの集団的自衛権とは一体何だろうか。国際法上、そんなものが果たして確固たるものとして存在しているのであろうか。この点を十分に検討してみる必要があるように思われる。

 元海上自衛隊自衛艦隊司令官(海将)といういかめしい肩書きを持つ香田洋二氏の『賛成・反対を言う前の集団的自衛権入門』(幻冬舎新書)という本をパラパラと読んでいたら、「20世紀に入り国際関係が複雑になるにつれて、自国が攻撃を受けたときだけでなく、自国と密接な関係にある他国が攻撃を受けたときにも、加勢・救援として武力を行使する権利がある、という考え方が登場します。これが『集団的自衛権』です。」と書かれているのを目にした。残念ながら、これでは落第である。

 国際法上「自衛権」が確立するのは、第一次大戦後、戦争違法化の流れが顕著になって以後のことである。それまでは17世紀中葉に近代国際法が形成されて以後、無差別戦争観、つまり戦争自由の時代であった。その時代においても、人類は、外交交渉上において自衛権に言及して相手国の行動を批判したり、ユス・イン・ベローと言われる戦時における国際ルールづくりをしたりと、わずかずつ戦争自由の聖域に正義と理性のメスを入れ始め、芋虫の如くチマチマとした前進を続けた。

 大きな転機となったのは第一次世界大戦であった。第一次大戦はヨーロッパ世界に未曾有の惨害をもたらした。戦争の悲惨さ、非人間性は、世界の人々に人間の魂を覚醒させた。戦線膠着とともに、ヨーロッパ、北米大陸、日本で、反戦運動が澎湃と沸き起こり、革命ロシアが産み落とされた。戦後、国際連盟が設立され、戦争違法化の流れが加速した。1928年パリ不戦条約の締結は、その延長線上に建てられた人類の巨大な進歩を示す金字塔であった。いまや、自衛権による以外の武力行使は国際法上認められなくなったのである。

 パリ不戦条約で、例外として認められた自衛権による武力行使とは、「武力攻撃を受けた当該国が、他に適当な方法がないとき、これを排除するために必要最小限度」のものであり、これが国際法(一般国際法もしくは国際慣習法と言われるもの)上の自衛権として確立したのであった。国際法の視点で大きく見れば、第二次世界大戦は、侵略諸国による違法な侵略戦争、被害諸国による自衛権行使の正当な戦争であったと言うことができる。

 違法な侵略戦争が敗退し、正当な自衛権行使による戦争の勝利で終わることが明白となった第二次世界大戦末期から、戦後世界の平和と安全は、包括的国際機構(国連)を設立し、個別国家による一切の武力行使を禁止し、国連がこれを確保するという集団的安全保障が模索された。しかし、1945年6月、連合国によって開催された国連憲章の制定のためのサンフランシスコ会議において、次第に対立を深める米ソの思惑とこれに起因する小国の不安が交錯する中で、集団的安全保障とはあい矛盾する国連憲章51条が採択されてしまった。

 国連憲章51条は、集団的安全保障の例外として、加盟国の自衛権行使を「個別的又は集団的自衛の固有の権利」として認めた。しかし、国連憲章制定過程ではこの「個別的又は集団的自衛の固有の権利」の定義、意義、目的、要件については何ら議論もなされてはいないし、規定もなされていない。これは、いわばさまざまな思惑の妥協の産物だったのである。

 戦後の国際法学者は、「個別的自衛の固有の権利」を従来の国際慣習法上の自衛権(今では個別的自衛権と呼ばれることが多い。)、「集団的自衛の固有の権利」を国連憲章が新たに認めた集団的自衛権と解し、諸国家及び国連もその趣旨で国際政治、外交、国際紛争に対処することになっていった。
 
 このように集団的自衛権は、当初から不明確なものだったのである。従って、政府・与党或いは一部の論者が言うようにフルスペックの集団的自衛権なるものが国際法上、明確に存在しているわけではなく、国際法学者の中でも、その定義、意義、目的、要件等について共通した理解が存在したわけでもない。

 戦後から1950年代にかけて活躍した英国の著名な国際法学者バウエットは、こう説明いている。集団的自衛権とは、武力攻撃を同時に受けた複数の国が、共同して自衛権(今でいう個別的自衛権です。)を行使することであると。これは国際慣習法上の自衛権行使が競合する現象を捉えたものであり、第二次大戦に、その原型がある。
 これに対して、日本の著名な国際法学者である高野雄一東大名誉教授は、集団的自衛権は国連の集団的安全保障体制を危殆に陥れるものとの認識のもとに、これを限定する趣旨で、他国に対する武力攻撃が同時に自国をも危うくする場合に、自国の自衛のために、この武力攻撃に反撃することを集団的自衛権であると説明している。
 さらに1986年の国際司法裁判所ニカラグア事件判決は、集団的自衛権として正当とされるのは、他国からの武力攻撃が存在し、その被害国が武力攻撃を受けたことを宣言し、かつその被害国の真摯な支援要請があったときに、その被害国に対する武力攻撃を排除するため支援国がなす必要最小限度の武力行使であると判示している。

 ①バウエットの説は個別自衛権共同行使説、②高野教授の説は自国防衛説、③ニカラグア事件判決は他国防衛説と言われている。①は実質的には個別的自衛権に対置される集団的自衛権を否認するに等しい。②は他国への武力攻撃があっただけではなく、自国を危うくする場合に認めるというもので、安倍政権の打ち出した集団的自衛権限定行使論の原型である。しかし、この考え方の下で、「自国を危うくする」との断定のもとに集団的自衛権が、事実上侵略を正当化する根拠とされたことは周知の如くである。③はそのことをふまえ、他国防衛目的に純化することにより不純な自己の目的を排除し、集団的自衛権が行使できる範囲を限定せんとする新たな限定行使論であると言ってよい。

 このように見てくると、政府・与党や一部論者が言うフルスペックの集団的自衛権などというものは、米国とその同盟国、旧ソ連とその衛星国が勝手に濫用し、実行してきたものを、都合よく整理したものに過ぎないことがわかる。さらに言えば安倍政権が限定的だという集団的自衛権も、決して特殊なものではなく、言ってみれば一人前の集団的自衛権なのである。それは限定的であるかのような文言を散りばめているが、実際にはそれらの文言は多義的で不確定であり、総合判断を要するものであるのみならず、上述した集団的自衛権の歴史に照らしても決して限定的なものとはならないことは、疑問の余地がないところである。(了)
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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