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戦後政治外交史こぼれなし―その1

ダレスが説いた「日本国憲法9条は『集団的自衛権』を認めていない」との正論

 しばらくお休みしていたが、この間、戦後日本の政治外交史の勉強をしてきた。沖縄密約問題を、総合的に検討してみたいと思ったからだ。そんなわけで、前回の記事で予告したように、横田喜三郎・尾高朝雄『国際連合と日本』(有斐閣)をまだ読んで続稿を書くところまでには至っていない。そのかわり、少し面白いことに気付いたので、忘れないうちに書いておきたい。

 旧安保条約は、米国がわが国全土に、望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させるという一方的かつ片務的な「駐軍協定」であった。それだけではなく、本文わずか5カ条の条文には、以下のようなわが国が独立国家であることを疑わせるような定めがなされていた。

・大規模な内乱及び騒擾を鎮圧するために駐留米軍を出動させ得ること
・米国の同意なしに第三国に基地・駐兵・通過などの軍事的権利を認めないこと
・駐留米軍及び軍人・軍属などの地位と権利を行政協定で定めること
・期限の定めなし(米国が認めない限りは失効しない)

 サンフランシスコと講和条約と旧安保条約を締結した当時、外務省条約局長として、事務方を取り仕切った西村熊雄氏は、交渉過程でズルズルと後退をし、このような結果になってしまったことに切歯扼腕し、これを「国連憲章にいう地域的取り決め、そして恒久的取り決めとして、憲章の原則に従った」新条約に置きかえることを願った。

 一方、政治家のドンたちは、そうした本質論的考察よりも、対等性の回復という目に見える成果が欲しかったようだ。その点において、さしずめドンキホーテとでもいうべく敵陣突破を試みたのは保守合同前の民主党・鳩山政権であった。
 1955年8月、鳩山政権の重光葵外相は、訪米し、ダレス国務長官に以下のように激しく迫った。

 「日米間の現在の共同防衛組織は、当時の事情によって日本が自衛のためにも武装兵力をもち得ないという独立否認に等しい誤った憲法解釈によってつくられたために、全く不平等の関係にできている。(中略)国防問題に関する日米不平等の位置は日本が自衛能力を欠くことからくるところであってもとより米国の責任ではない。しかし、この点が日本の米国への隷属関係であるといって左翼勢力の反米思想鼓吹の根源をなしている。」
 「(日米間の新たな関係を創始するため)安保条約及び行政協定の如きは相互主義を基礎とする対等者間の同盟に置き換えられなければならぬ。(中略)米華又は米比もしくは米韓間のそれと同様の形式の相互防衛条約に改められるべきである。」

 私は、この重光外相の発言を読んで、1945年2月の近衛上奏文のことを思い出してしまった。近衛文麿は、昭和天皇に、共産革命の危機を煽って早期戦争終結の決断を促した。しかし、昭和天皇は、一撃を与えた上ででなければ難しいと近衛の憂国の情を軽くいなしたのであった。歴史は繰り返す。二度目は喜劇として。重光外相は、共産党の勢力増大に対抗する武器として旧安保条約を相互防衛条約に置き換えることを強く迫ったが、ダレスから次のように諌められた。まるで子供を諭すように。

ダレス「現憲法下において相互防衛条約が可能であるか。(中略)日本は米国を守ることができるか。たとえばグァムが攻撃された場合はどうか。」
重光「そのような場合は協議すればよい。」
ダレス「憲法がこれを許さなければ意味がないと思うが如何。」
重光「自衛である限り協議できるとの我々の解釈である。」
ダレス「それは全く新しい話である。日本が協議によって海外出兵出来るという事は知らなかった。」

 かくしてダレス国務長官は、「集団的自衛権」は日本国憲法9条の下では認められないとの正しい見解のもとに旧安保条約を相互防衛条約に置き換えることを求めた重光外相を一蹴したのであった。

                              (了)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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