南沙諸島海域を東南アジアの平和と協調の海に

 1938年、大日本帝国は、南沙諸島を「新南群島」と命名して領有を宣言、台湾・高雄市に編入した。

 中国は、この大日本帝国のとった措置を前提にして、南沙諸島の領有の根拠を組み立てているようだ。たとえば王冠中・中国人民解放軍副参謀長は、2014年6月1日、シンガポールで開催されたアジア安全保障会議において次のように述べている。

「1946年、中国政府は『カイロ宣言』と『ポツダム宣言』に基づいて、日本の侵略者から両諸島(注:南沙諸島及び西沙諸島)の主権を奪回。中国政府は1948年に『九段線』(注:当時は十一段線)の設定を宣言した。」

 果たして、カイロ宣言とポツダム宣言により、中国が南沙諸島の領有権を大日本帝国から「奪回」したと言えるだろうか。ことはそれほど単純ではなさそうである。まず両宣言の該当箇所を見てみよう。

カイロ宣言

第3項 右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ

ポツダム宣言

第8項 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ

 見れば明らかなように、1938年以後大日本帝国が領有するに至った南沙諸島(新南群島)は、カイロ宣言にいう「太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼」にも「満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域」にも該当しない。
 一方、ポツダム宣言は、「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とあるだけで、どのように局限するかは後の決定に委ねられているし、「日本国ノ主権」からはずされた地域をどうするかについては何も定められていない。

 では、サンフランシスコ講和条約においては、どのように取りきめられているだろうか。

サンフランシスコ講和条約

第2条b項 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

第2条f項 日本国は、新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

 サンフランシスコ講和条約では、日本は、台湾と南沙諸島(新南群島)を放棄することとしているが、条項はわざわざ別立てにされており、南沙諸島(新南群島)を台湾に付属させた大日本帝国の措置を追認せず、南沙諸島(新南群島)は、台湾とは別コースを歩むこととされているのである。
 勿論、中国も台湾も排除して締結された条約であるから、これを金科玉条とするわけにはいかないが、少なくとも、中国の主張のごとく、ことは単純ではないとは言えるだろう。

 南沙諸島をめぐっては、中国、ベトナム、フィリッピン、台湾、マレーシア、ブルネイなどがその全部もしくは一部について領有の主張をし、対立をしている。その間隙をぬって、アメリカが、アジア・リバランスの試金石とばかりに介入を強めている。そこで、南沙諸島問題をどう解するべきか、その解決の道筋を考えてみたい。

                               (続く)
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プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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