緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(6)

                
平和主義と自衛権(その1)

 現代立憲主義においては、戦争と武力行使を違法とする平和主義が、その重要な構成要素となることを述べた。
 ところで、一般にそのような平和主義の例外として、国際法上、自衛のための戦争と武力行使(以下「自衛権の行使」という。)は認められるとされている。
 検討すべき課題は二つある。一つは、国際法上、自衛権の行使は、どのように位置づけられるかということ。もう一つは日本国憲法では、自衛権の行使はどのように取り扱われるかということ。

 早速、一つ目の問題からみていくことにする。

聖戦論、正戦論、無差別戦争論

 近代国際法の成立・展開は、17世紀ヨーロッパにおける中央集権的主権国家群の成立及びそれら相互の国際関係の展開と軌を一にしていた。

 わが国で、1615年(慶長20年)大阪夏の陣が終わり、応仁の乱以来150年に及ぶ戦乱の世が幕を閉じた。この年、元和と改元、元和偃武と号して「武を偃(ふ)せて文を修む」時代の幕開けが、天下に知らしめられた。

 その頃、ヨーロッパにおいても、ようやくにして宗教戦争の形をとった封建諸侯たちの戦いが収束し、絶対君主を支配者とする中央集権的主権国家群が形成されつつあった。
 30年にわたり中央ヨーロッパを席巻した宗教戦争が終結し、ウェストファリア条約が締結されたのは1648年、「国際法の父」と後世に呼ばれることになったフーゴ・グロティウスの著作『戦争と平和の法』が刊行されたのは1625年のことであった。これらは、そのことを示す象徴的な出来事であった。

 ウェストファリア条約によって、オランダ、スイスなど新教国家の独立が承認され、中央ヨーロッパの新教圏と旧教圏の主権国家群のバランス・オブ・パワーによる平和共存体制を構築された。グロティウスの『戦争と平和の法』では、「法なくして存在しうる社会はないとするならば、すべての人類よりなる社会(深草注:ヨーロッパ国際社会のこと)においても法は無視されない」と諸国家間の関係に適用される国際法の存在を唱えた。
 しかし、グロティウスはその一方で、「君主ならびに君主と同等の権利をもつものは、自己またはその臣下に対して加えられた危害に対するだけではなく、直接彼らに関係はしないが、いかなる者に関しても、甚だしく自然法または国際法を破ってなされた危害に対して、処罰を要求する権利をもっている」と、君主が「自然法または国際法」の侵犯に対して、戦争に訴えることができる権利をもつことを主張した。それが「正戦論」である。

 18世紀後半になると、ヨーロッパにおいて、絶対王政の退行と近代市民社会に基盤をもった国民国家への編成が進行する。それは、一方で主権国家間の自由と平等の観念を生成させるとともに、他方で、主権国家の絶対性の観念に基づく戦争の自由、すなわち無差別戦争論を確立させる。戦争には正しい戦争も邪悪な戦争もない。主権国家の政策として行われるすべての戦争は正しい、と。国際法においては、このようにヨーロッパ主権国家群は、激烈な世界市場の争奪戦のアクターとして、互いに戦争をする自由、権利を同等に持つと認められたのである。
 その一方で、アジア、アフリカ、中南米の領域国家は、いまだアクターとして登場しておらず、せいぜい国際法の拡張適用の対象に過ぎないか、もしくはその対象でさえなかった。国際法は、徹頭徹尾、差別的であった。

戦争・武力行使の違法化への胎動

 やがてそのような文明国の野蛮の底から、理性と人間性の覚醒が始まる。国際法の新たな展開が始まる。

 第一の動きは、戦争における人道主義の貫徹をめざすもの、第二の動きは戦争そのものをできるだけ制限しようとするものであった。第一のものは、戦時国際法といわれる一群の国際条約と国際慣習法である。第二のものは戦争制限法と呼ばれる一群の国際条約と国際慣習法として、次第に確立されていくことになる。(続く)

プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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