憲法九条は幣原喜重郎元首相の発案によるもの

 雑誌『世界』5月号に、教育学の重鎮堀尾輝久東大名誉教授の『憲法九条と幣原喜重郎』という論文が掲載されています。

 戦争放棄・戦力不保持を謳う憲法九条は、1946年1月24日、当時の首相、幣原喜重郎とマッカーサーとの会見の場で、幣原が提案したものだという説が有力であることはご存じだと思います。これまでにもマッカーサー回想録をはじめ、当事者や関係者の話や証言等がその論拠として引証されています。

 堀尾さんは、この問題ずっと追究されていたのですね。上記論文で、1957年、内閣に設置された憲法調査会の高柳信三会長が、九条制定経緯を解明する目的で、マッカーサーに出した質問とそれに対する回答を綴った往復書簡の原本を発見し、あらためて九条幣原起源説を論証しています。老いてますます盛ん、堀尾さんの九条にかける熱い思いに感銘を受けました。

 公平を期するために、これに対する疑問説も紹介しておきます。

 たとえば古関彰一『平和憲法の深層』(ちくま新書・2015年5月刊)は憲法九条幣原起源説に以下の理由をあげて疑問を呈しています。

 ①幣原の肝煎りで内閣に設置された憲法問題調査会が1945年12月8日に発表した「松本四原則」では九条につながるものは微塵もなかった。
 ②上記憲法問題調査会の憲法改正案にもなかった。
 ③GHQ草案を受けた後の最初の閣議で、幣原はじめその他の閣僚が「我々はこれを受諾できない」と述べたこと。この閣議後マッカーサーを訪ね、GHQの真意を確認(天皇の戦争責任追及をめぐる情勢、天皇を守るにはこれしかない)、はじめて閣議を受諾する方向に転じさせたこと。
 ④「幣原さんは閣議では一度もああした信念や憲法の条項にしたいとなどという発言をしていませんでした。」との金森徳次郎談
 ⑤幣原の生の直接証言がないこと。

 もっとも私は、当時の風潮、内閣の構成、憲法上は未だ天皇は統治権の総攬者であったことなどを考えると、以上は幣原の深謀遠慮の苦労のあとを物語るものとはいえ、疑問を呈する論拠としては空振りではないかと思います。

 私は当ブログで、以前、この件を天皇制存続との絡みで取り上げたことがあります。幣原喜重郎という人物紹介もザッとしていますので興味のある方は覗いてみてください。

http://tofuka01.blog.fc2.com/blog-entry-59.html

 1946年1月24日の会談で、幣原がマッカーサーに申し入れた要点は、①憲法に戦争放棄・戦力不保持を明記すること、②実権を持たない象徴としての天皇を残すことでした。マッカーサーにとっては①については青天の霹靂でしたが、②はかねて占領政策遂行のためには民主主義と天皇制の存続が不可欠との考えと完全に一致する考えでした。
 マッカーサーは、中国、オーストラリア、オランダ、ソ連が天皇制廃止、天皇の戦争責任追及の態度を示しており、極東委員会が動き出すとやっかいなことになると焦っていました。そこに①の申し入れ。マッカーサーにとって、青天の霹靂は、すぐさま大いなる希望の星として光を発したのです。強硬派諸国は、天皇制を残すことにより日本が再び武力をもって戦う日が再来することを恐れているのだから、①を憲法に規定すれば、難局を乗り切ることができると。

 マッカーサーは、感動し、幣原の手を握り締めたとのことですが、さぞかし幣原の手は、赤く腫れあがっていたことでしょう。

 九条の発意は昭和天皇にあるとして、1946年1月1日の人間宣言をあげる人もいますが、この人間宣言こそ、幣原が前年のクリスマス・イブに夜なべをし、精魂を傾けて書いた一世一代の名文。それを言うならむしろ幣原に帰することになるでしょう。

 なお、幣原は老骨鞭打ってのこの夜なべ作業により肺炎を発症し、GHQに供与されたペニシリンで一命を取りとめた由、そのペニシリンのお礼の名目で、1月24日の幣原・マッカーサー会談が実現したのですから、これも歴史の巧緻というべきでしょうか。(了)
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緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(最終)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その13)

自民党改憲草案の緊急事態条項批判

 2012年4月27日、自民党は、日本国憲法改憲草案を公表し、その後部分的修正をしつつ、現在もこれを改憲案として維持している。そこには以下の緊急事態条項が置かれている。

第98条(緊急事態の宣言) 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。

第99条(緊急事態の宣言の効果) 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。


 これについての批判は、ここまでお読みいただいた読者には、簡単なことだろう。敢えて指摘するならば、以下のとおりである。

 第一に悪用もしくは濫用のおそれが大きいこと。緊急事態の認定・宣言は内閣総理大臣に委ねられており、国会は事後審査をするに過ぎず、しかもその時期の明示もなければ、不承認の場合の法的効果の定めもない。

 第二に、緊急事態宣言の継続期間が不当に長期化するおそれがあること。まず最長100日はそもそも長い。それに国会の承認を得さえすれば何回でも更新できてしまう。

 第三に、内閣独裁を招くこと。内閣単独で発令できる緊急政令の対象事項に限定がなく、これにより法律を改廃することも可能である。このような強力な立法権を内閣に持たせることは、ナチスの全権委任法にも匹敵する。

 第四に、過度の人権侵害が行われ得ること。99条第3項では、制限を受ける人権に限定はなく、最大限の尊重などというが、「公益及び公の秩序」による人権制限を認める自民党改憲草案(第12条、13条)の規定とあいまって人権侵害の歯止めは何もない。

 第五に、解散の制限、国会議員の任期及び選挙の特例をもうける必要はないこと。

 そして最後に、これが一番重要であるが、この緊急事態条項は、憲法9条を国防軍創設と海外派兵の承認、国防軍審判所設置と一体をなすものであること。自民党改憲草案は、日本国憲法の採用する現代立憲主義を骨抜きにし、いつか来た道を歩むことにつながるものである。

まとめ
 
 『緊急事態条項と憲法9条・立憲主義』を延々25回にわたって連載してきたが、いよいよ最終回となった。緊急事態条項は、現代立憲主義に反し、危険・有害かつ不必要であることが論証できたかどうか、その成否はともかくとして、私の、緊急事態条項創設の目論見をなんとしても阻止しなければならないとの思いはお伝えすることができたのではなかろうか。
  
 参院選の結果、はからずもというか、計略どおりというべき、改憲勢力は国会両院で三分の二を超える議席を確保した。しかし、自民党の悲願である第9条にいきなり手をつけられるという情勢にないことも明白だ。彼らの戦術は、おそらく緊急事態条項の創設、それもそのうちの自然災害とテロに限定する、あるいはさらに限定して国会議員の任期と選挙の特例をもうけるなどといったところから手をつけていき、徐々に国民を改憲に「訓育」するという迂回作戦であろう。

 国民投票は、国の重要な政治課題について国民の意思を問う直接民主主義の手法であり、議会制民主主義を補完する重要な制度である。日本国憲法には、憲法改正の可否を問う国民投票がおかれている。
しかし、国民投票には二面性があることを私たちはしっかり学習しておく必要がある。それは民主主義の重要なツールであるという面と、権力者によって、その権力基盤を固めたり、政治目標を実現したりするための大衆操作の手法として悪用されるという面である。前者の積極面からはレフェレンダム、後者の悪用の側面からはプレビシットという言葉が用いられている。
 先にイギリスで行われたEC離脱の是非を問う国民投票は、プレビシットだっただろう。そのような手法を好んで用いたのはヒットラーであった。
 今、私たちの足もとには改憲のプレビシットの波が押し寄せようとしている。これを押し返し、断じて「訓育」を拒否しようではないか。
                              (了)



  
                                

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(24)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その12)

「緊急事態条項は世界の常識」は揺らいでいる・・・序

 確かに諸外国の憲法の多くは緊急事態条項を定めている。

 改憲論者は、このことを過度に一般化し、国家緊急権は国家の自己保存権であり、国家固有の権能である、などとの理由で緊急事態条項をもうけるのは当たり前のことだと声高に叫んでいる。

 しかし、そもそも国家緊急権なるものは、絶対君主制の時代には、そうした概念さえもなかった。それは絶対君主制が揺らぎ、あるいは解体されたときに浮かび上がってきた概念である。言い換えるならば、絶対君主制から近代立憲主義への移行時おけるアンシャン・レジームと新体制との鬩ぎあいの中で、新体制に刻み付けられたアンシャン・レジームの母斑である。
 歴史は飛躍するものではない。新しい高みといえども古いものをかかえている。また世界は一直線に前進するものでもない。必ず、現状維持や後退を志向する逆流があり、停滞と混乱を伴いながらジグザグに前進するものである。このことは既に戦争と平和の問題を論じたところで述べたことである。
 思い起こして欲しい。自衛権の概念は、無差別戦争論(戦争の自由、同盟の自由)の殻を突き破って生まれてきた戦争と武力行使の違法化・禁止の時代の子であったことを。国家緊急権なるものは、まさにこれと表裏の関係に立つものであり、やがて歴史の舞台からフェードアウトして行くことになるだろう。

 このことをいくつかの国の実情によって確認しておくこととする。

「緊急事態条項は世界の常識」は揺らいでいる・・・いくつかの国の実情

フランス

 フランスは、憲法に緊急事態条項を定めている。しかし、それはアルジェリア独立戦争時にド・ゴールによって発動された以後、既に封印されて50年以上に及んでいる。
 先般のパリ連続テロ事件に際しても緊急事態条項は発動されておらず、危急状態法という憲法の下位に立つ法律が適用されている。

注:フランスでは、2015年11月に発生したパリ連続テロ事件の後、危急状態法を適用して危急事態を宣言、テロ危険人物に対する指定場所での事実上の軟禁、劇場や居酒屋など多数の人の集まる場所の強制閉鎖、令状なしの捜索・押収、メディア規制など、警察権限の強化がなされている。危急状態法はその後、改正され、軟禁措置が取られた者に1日3度の警察への出頭義務を課する、前科のある者に発信装置付きのブレスレッドを装着して監視する、危険団体の強制解散、深夜帯でも無令状の捜索・押収を可とする等、きわどい措置までとれるようになっている。
 オランド大統領は、この改正法が憲法院(憲法裁判所)に憲法違反と判断されることを危惧して、その根拠条項をもうけるべく憲法改正案を国会に提出した。この憲法改正については強い異論もあり、帰趨が注目されていたが、憲法院が、この法改正を合憲と判断をしたところからオランダ大統領も憲法改正案を取り下げることになった。
 しかし、元老院(上院)は、政府による濫用を危惧して、国会によるコントロールを強化する決議をした。
 1789年に、「人及び市民の権利宣言」を発したフランスは、テロ攻撃にさらされて、人権よりも安全にギアチェンジしようとする圧力が強まる一方で、人権との折り合いをつけなければならないとブレーキをかける良識も未だ健在で、この綱引きのなかで、苦悩しているようだ。


ドイツ

 ドイツでは、ボン基本法(憲法)に、自然災害に対処する条項が置かれているが、これは、被害を受けた州は他の州や連邦の支援を要請できること、被害を受けた州が対処できないときは連邦が救援することを定めているに過ぎず、緊急事態条項には該当しない。
 また1968年に、戦争や内乱・騒擾に対して詳細を極めた緊急事態条項を定めたが、これは憲法を改正して再軍備をした後の選択であり、我が国には参考とはならない。それにしてもその規定ぶりは、防衛事態、緊迫事態等の事態認定を連邦議会の権限とし、人権制限も、職業選択の自由や人身の自由に対する最小限度の範囲に限定し、連邦憲法裁判所による司法審査も害されないなど、濫用防止に対する慎重な配慮がなされている。

イギリス、アメリカ

 イギリスやアメリカについては、martial law(「マーシャル・ロー」)なる不文の憲法律により国家緊急権の発動が認められていると言われるが、必ずしも当を得ていないように思われる。マーシャル・ローとは、軍法であり、一般に、戦乱もしくは事変に見舞われた地域において、軍司令官に一時的に当該地域の秩序維持の全権を委ねるというものと理解されている。そのようなものが、本当に、現在も認められているのであろうか。

 まず、イギリスの場合。20世紀初頭まで活躍したイギリスを代表する憲法学者アルバート・ヴェン・ダイシーは、その著書において、イギリスにおいては法の支配(立憲主義)が確立しており、包囲状態の下で秩序と公安を維持するために、通常はcivil powerに委ねられている権限を全面的に軍事当局に委ねるような不文律は認められていないと述べている。実際、第一次世界大戦時の国土防衛法以後、憲法の下位に立つ議会制定法により、緊急事態に対処してきており(現在は1964年制定の「緊急権法」と2000年制定のテロ防止対策法が適用される。)、立憲主義の停止という事態は生じていない。

 次にアメリカの場合。イギリスからの独立直後の戦乱期や南北戦争下において特定地域の治安維持を軍司令官に委ねた例はあるが、その後はない。憲法上、大統領は、軍の指揮権及び行政の執行権が認められ、法律の忠実執行義務が課されている。大統領はそれに付随して大統領令制定権が当然に認められている。その大統領の権限が、ある時期に広く解され、議会や司法と悶着を引き起こすこともあった。しかし、議会は立法権その他により大統領の権限をチェックし、司法は違憲審査権を行使することにより、立憲主義が貫かれてきたと言ってよい。特に大統領の軍指揮権を制約する「戦争権限法」(1973年制定)や過去の大統領令を整理し、新たに緊急事態を宣言する手続き定めるなど大統領の執行権を制約する国家緊急事態法(1976年制定)などは注目に値する。
(続く)

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(23)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その11)

世界の常識化と日本の常識

 著名な改憲論者・西修駒澤大学名誉教授は、1990年から2014年の間に制定された世界の102カ国の憲法を調べたところ、全てに緊急事態条項がもうけられていたと述べているとのことである。2015年5月7日衆院憲法審査会で、船田元自民党幹事(当時)は、早速これを持ちあげて、次のように主張している。

 特に、緊急事態条項におきましては、今後高い確率で起こると指摘されるいわゆる東京直下型地震などの大規模自然災害発生時などに国会議員の任期が延長できることなど、憲法においてあらかじめ規定しておくことが急務となっています。このような措置は、防災における最大の課題でもあり、統治システム整備の基本でもあります。しかも、これは憲法によってのみ規定できるものと考えております。
 ちなみに、駒沢大学名誉教授西修先生の調査では、1990年から2014年までに新たに制定された102カ国の憲法のうち、国家非常事態に関する規定は100%に達しているとのことであります。(同審査会議録)


 改憲勢力は、緊急事態条項は世界の常識であるとばかりに、その創設を推進しようとしているのである。しかし、戦争と武力行使の違法・禁止と国連による集団点安全保障を国際法の原則として打ち立てながら、未だその道半ばにして、軍事力による抑止力を頼みの綱とし、パワーポリティクスの真っただ中で試行錯誤している国際社会における常識は、必ずしもわが国の常識ではない。
 わが国は、そのような国際社会から一歩抜け出して、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」、軍事力によらない国際平和を追求することを誓い、かつ明治憲法下にあって緊急勅令をはじめとする緊急事態条項の悪用、濫用によって軍部独裁とファシズムを招き、侵略と亡国の道を突き進んだことの反省に立って、明確な意思をもって緊急事態条項を拒否、排除したのである。

 既に述べたように第90帝国議会(憲法制定議会)衆議院憲法改正案委員会における金森徳次郎国務大臣(憲法問題担当)の緊急勅令や非常大権に関わる答弁は、制定時の審議を通じて日本国憲法に血肉化している。前に引用した同答弁を要約すると、以下のとおりである。

 ①緊急事態条項は民主主義の根本原則を侵すものである。
 ②立憲主義に反するものである。
 ③緊急事態に対しては、平素からの法令の整備によって対応できるようにするべきである。
 ④過去に経験に照らし、間髪をいれないような事態はなく、臨時議会、参議院の緊急集会によって対処できる。
 
 これらの前に、大前提として、そもそも日本国憲法の恒久平和主義の下では戦時や内乱など軍事力を用いた緊急事態条項はあり得ない。

 わが国においては、これらがのことが常識である。

 このことを確認した上で、次回には、改憲勢力がよりどころとしている世界の常識なるものについても一瞥しておくこととする。
(続く)

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(22)

国会議員の任期や選挙の特例をもうけることは必要か

 大災害が発生したとき、当該被災地において、国政選挙の執行に支障が生じる事態があり得ることは、まぎれもない事実である。このような事態に対処するために、公職選挙法は「繰延投票」という方法を用意している。

注:公職選挙法第57条(繰延投票)
① 天災その他避けることのできない事故により投票を行うことができないとき又は更に投票を行う必要があるときは、都道府県の選挙管理委員会(市町村の議会の議員又は長の選挙については、市町村の選挙管理委員会)は、更に期日を定めて投票を行わせなければならない。ただし、その期日は、当該選挙管理委員会において、少なくとも五日前に告示しなければならない。
② 略
 

 被災地の都道府県選挙管理委員会は、この規定を適用して、被害の実情、復旧の見通しを勘案し、投票日を定めればいいのである。従って、近藤議員が言うように「国政選挙の選挙期日を延期するとともに国会議員の任期を延長することができないならば、大災害の発生という不可抗力によって、被災地では実際上選挙が行われなくなるおそれがある」などということはあり得ない。

 もっともこの場合、衆議院議員の総選挙であれば、当該被災地の小選挙区と比例ブロックからの議員選出が、参議院議員の通常選挙であれば、当該被災地の選挙区の議員選出と比例区全体の議員選出が、それぞれ繰延投票の結果を待たなければならない。

 そこで近藤議員は、この点にくらいつく。先の質問主意書、再質問主意書に引き続いて、翌2012年3月15日、さらに質問主意書を提出し、以下のように問いを発している。

 緊急事態が発生し、これによって大きな被害を受けた被災地の代表が最も求められている時に、その被災地から繰延投票が行われるまで衆議院議員が選出されないという事態は、まさに被災地の国民の参政権、憲法第十五条第三項で保障されるべき参政権が侵害されている事態であって、憲法上きわめて大きな問題であると考える。
これらを踏まえてもなお、緊急事態時に衆議院が解散されている場合、現行の規定の下で、憲法第十五条第三項に規定されている参政権は保障されていると言えると考えているのか。改めて、政府の見解如何。


 これではもはや憲法論、法律論ではなく、一政治家の心情吐露に過ぎない。案の定、野田内閣総理大臣の答弁書では、「国会の在り方に関することを前提としていることから、政府としてお答えすることは差し控えたい」と、またもやするりとかわしている。

 ここで繰延投票が実施された場合、各議院の構成がどうなるか確認しておこう。繰延投票の結果確定前でも、いずれの院も大半の議席は埋められており、国会の機能は、何ら問題なく働くことになる。

衆議院
繰延投票の結果確定前・・・繰延投票が実施されない大半の小選挙区、比例ブロック選出議員により構成
繰延投票の結果確定後・・・全議員により構成
参議院
繰延投票の結果確定前・・・非改選の半数の議員と改選議席中繰延投票が実施されない大半の選挙区選出議員により構成
繰延投票の結果確定後・・・全議員により構成

 以上に対し、一地方ではなく、巨大な首都直下型地震が発生し、全国規模で選挙が執行できなくなる場合が皆無とは言えないではないか、その場合にはどうなるのかと突っ込んでくるかもしれない。だが、そのような事態は、果たしてあり得るであろうか。国政選挙の歴史は、明治憲法制定以来、実に120年以上に及ぶが、大災害のためにその執行があやうい事態になったことは一度もない。

注:なお、わが国では、衆議院議員の任期を1年延長し、予定された国政選挙を延期したことが一度だけある(明治憲法下にあっては衆議院議員の任期は憲法上定められておらず、衆議院議員選挙法により4年と定められていた。)。1937年4月30日の第20回総選挙で選出された衆議院議員の任期は本来1941年4月30日をもって終了し、同日総選挙が行われる予定であったが、東条内閣は帝国議会で「衆議院の任期延長に関する法律」を可決させ、任期を1年間延長、第21回総選挙を1942年4月30日に執行した。これは「今日のような緊迫した内外情勢下に、短期間でもでも国民を選挙に没頭させることは、国政について不必要な議論を誘発し、不必要な摩擦競争を生ぜしめて、内治外交上はなはだ面白くない結果を招くおそれがあるのみならず、挙国一致防衛国家体制の整備を邁進しようとする決意について疑いを起さしめぬとも限らぬので、議会の議員の任期を延長して、今後ほぼ1年間選挙を行わぬこととした」と説明されているように、今日とは異次元の議会無視、軽視の考え方に基づいている。

 それでも万が一にもその可能性をあり得るではないか。そのときのために国会が機能できるようにしておくことがベターではないか。ここまで言うとすればもはや強迫観念以外のなにものでもない。だが、日本国憲法は、そうした強迫観念に基づいて迫ってくる人に対しても、以下により対応できるようにしているから安心しなさいと諭している。

① 参議院議員を半数ずつの改選とし、恒常的に機能するようにした。
② 各議院の定足数を総議員の三分の一とした。
③ 参議院の緊急集会を用意した。なお、憲法の条文上は、「衆議院が解散されたときは」となっているが、解散のときだけに限定する合理性はなく、任期満了の場合も利用できる。

 憲法に、国会議員の任期や選挙に関して、大災害時の特例をもうけるべきだとの主張は失当である。
(続く)

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(21)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その9)

国会議員の任期や選挙の特例をもうけることは必要か・・・序論

 憲法に、国会議員の任期や選挙に関して、大災害時の特例をもうけるべきだという議論がなされている。

 ご承知のように、憲法は、国会議員の任期を、衆議院議員4年(解散の場合には解散と同時に終了)、参議院議員は6年(3年ごとに半数改選)と定め、ごとに、衆議院が解散されたときは解散の日から40日以内に総選挙を行い、その選挙の日から30日以内に、国会を召集すべきことを定めている。

注:参考までに憲法の関連条文を掲げておくこととする。

(衆議院議員の任期)
第45条 衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。
(参議院議員の任期)
第46条 参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに議員の半数を改選する。
(総選挙、特別会及び緊急集会)
第54条 衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、国会を召集しなければならない。
2 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
3 前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、次の国会開会の後十日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。
(議事の定足数と過半数議決)
第56条 両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
2 両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。


 大災害のときに、これでは不備があるのではないかという議論である。

 たとえば、自民党の近藤三津枝衆議院議員は、2011年11月2日、民主党・野田内閣に対し、次のような質問主意書を提出している。

 今回のような大災害(注:東日本大震災)が国政選挙の公示日の直前に発生した場合、「東日本大震災に伴う地方公共団体の議会の議員及び長の選挙期日等の臨時特例に関する法律」のような法律を制定することにより、国政選挙の選挙期日を延期するとともに、国会議員の任期を延長することは、日本国憲法に照らして許されるかどうか、政府の見解如何。

 これに対する野田内閣総理大臣の答弁書は、「できないものと考える」とすげないものであった。そこで近藤議員はさらに、同年11月29日、次の再質問主意書を提出した。

一 東日本大震災のような大災害が国政選挙の公示日の直前に発生した場合においても、国政選挙の選挙期日を延期するとともに国会議員の任期を延長することができないならば、大災害の発生という不可抗力によって、被災地では実際上選挙が行われなくなるおそれがある。その場合、被災地の住民にとっては実質上参政権が奪われてしまうことにならないか。また、憲法前文では、「国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来」するとされているが、これでは、そのような国民主権や、憲法第十四条の法の下の平等という憲法の根本の原理が侵されることにならないか。このようなことになるのは、やむを得ないものと考えるか、政府の見解如何。
二 一に述べたような観点から考えれば、現行憲法の下でも、大災害が発生した場合等の非常時においては、必要最低限の範囲で、国政選挙の選挙期日を延期するとともに国会議員の任期を延長することが必要ではないか。これを踏まえても、法律によってこれらを行うことは許されないか、政府の見解如何。


 野田内閣総理大臣の答弁書は、一に対しては「ご指摘のような場合であっても公職選挙法の下で選挙が執行されることになると考えている」、二に対してはやはり「できないものと考える」、であった。野田さんは、するりとドジョウにように身をかわしたつもりだったのだろう。

 このような瑣末な問題を議論することにどれだけの意味があるかと疑問に思われる方も多いだろう。私もそう思う。国会議員の任期と身分に関して言えば、衆議院解散権の所在に関わる問題の方がずっと重要であった。

 憲法第7条第3号に、天皇の国事行為の一つとして、「衆議院を解散」が掲げられている。天皇の国事行為は、形式的、儀礼的行為であるし、天皇は国政に関する権限を有しないとされている(第4条第1項)。だから天皇に真実の解散決定権があるわけではない。ありていにいえば「名ばかり解散」である。
 内閣は、この「名ばかり解散」について、「助言と承認」という形で関与することになっている(第3条、第7条柱書き)。このことを根拠として、内閣の代表者である内閣総理大臣が、真実の衆議院解散権を持っているのだという憲法解釈がまかり通っている。これは、無から有が生じるというまるで手品みたいな不思議な解釈である。
 憲法第69条には、衆議院で不信任案が可決された場合又は信任案が否決された場合、内閣は衆議院が解散されない限り、総辞職しなければならないと定められている。解散がされる場合は、憲法上、これ以外には規定されていない。そうすると、この場合以外には解散は認められないと考えるのがまっとうな解釈ではないか。
 伝家の宝刀ともてはやされて内閣総理大臣が、自己の権力基盤を固めたり、与党有利な情勢を斟酌したりして解散権を行使することが、どれだけ議会制民主主義を損なっているか。このような解釈を問題にしないで、国会議員の任期や選挙に関して、大災害時の特例をもうけるべきだという議論は何と瑣末なことか。

 だが近藤議員の質問に根本的な誤りがあるので、次回、私も蚤取り眼になってこの瑣末な議論に分け入ってみることにしようと思う。
(続く)

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(20)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その8)

戦後わが国は金森答弁を指針としてきた  

 緊急事態条項を拒否、排除した日本国憲法が制定されて以後、わが国は、いみじくも金森国務大臣(憲法問題担当)が答弁したとおり、「特殊の必要が起りますれば、臨時議会を召集して之に応する処置をする、又衆議院が解散後であって処置の出来ない時は、参議院の緊急集会を促して暫定の処置をする、同時に他の一面に於て、実際の特殊な場合に応する具体的な必要な規定は、平素から濫用の虞なき姿に於て準備するやうに規定を完備して置く」主義を貫いてきた。
そして、実際、各種の非常事態に対処するため、憲法の下位に立ち、憲法に適合することをそれなりに慎重にチェックされた諸法令が整備されてきた。それは以下に概観するとおりである。

非常事態に対処する諸法令・・・自然災害、テロ、戦争等に関して

①まず自然災害等に関して

 災害に関連するものとしては、災害救助法、災害対策基本法、大規模地震災害特別措置法、原子力災害対策特別措置法などを中心に災害法制が整備され、災害時の緊急対策が可能となっており、消防法、警察法、自衛隊法(災害出動)などによるマンパワーの動員も可能となっている。
 災害対策基本法には、内閣総理大臣の「災害緊急事態」布告により買い溜め、売り惜しみによる生活物資の不足を解消する、価格つり上げによる被災者の生活困窮と復旧・復興のための物資の滞りを防ぐ、差し迫った金銭債務弁済期を猶予して事業や生活の破綻を防ぐ、海外からの支援物資の救急受け入れを可能とするなど内閣に4項目の緊急政令制定権を付与するほか、内閣総理大臣に権限を集中する規定が置かれており、また被災地の市町村長に一定の強制権限が与えられている。
 災害救助法には、被災地を管轄する都道府県知事に一定の強制権限が与えられている。
 これらは、大災害に遭遇して、試行錯誤で作り上げてきた法制度であり、未だ百パーセント完璧なものとは言えないかもしれない。しかし、問題点があれば、それに即して改善をするというこれまでの行き方は決して誤りではなく、今後もその努力を続けるべきであろう。
 ただ問題なのは、法制度上の不備よりも、これらの法令を杓子定規に適用しようとしたり、逆に法令の趣旨に反する解釈、慣行がまかり通ったりして、被災地と被災者に混乱を招く事態がまま生じていること、日ごろの準備や訓練をおざなりにし、いざという時にスムースな対処ができない事態が生じていることなどである。

 大災害が発生するたびに、自民党のお偉方は、ここぞとばかりに緊急事態条項が必要だとご託宣を下し、右派メディアはこれを奉っている。しかし、これはなんとか憲法「改正」に手をつけたいという願望の吐露に過ぎない。

 ここに興味深いデータがある。日弁連が昨年9月、岩手、宮城、福島3県の太平洋沿岸37自治体に実施したアンケートの集計結果である(回答を寄せたのは、24自治体。本年4月390日弁連主催で実施されたシンポジウム「大規模災害と法制度~災害関連法規の課題、憲法の緊急事態条項~」で発表された。)。
被災地自治体は災害対策・災害対応のための緊急事態条項を必要としていないと見てよいだろう。

質問 災害対策・災害対応について市町村の権限は強化すべきか軽減すべきか
回答
権限強化     6自治体 25%
現状維持    17自治体 71%
権限軽減     1自治体  4%
   
質問 災害対策・災害対応について市町村と国の役割分担をどうすべきか
回答
市町村主導   19自治体 79%
場合による    3自治体 13%
国主導      1自治体  4%
無回答      1自治体  4%
   
 この分野で「緊急事態条項」は必要ないことは、明らかである。

②ではテロ対策としてはどうか

 テロとは、特定秘密保護法の定義によれば「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動」とされている。これは、もともと刑法、爆発物取締法、ハイジャック防止法その他の刑事罰を定める法令に違反する犯罪であるから、警察法、海上保安庁法及び警職法によって防止措置、取り締まり、強制措置が可能であった。
 しかるにこれまで、有事法制の一環として、「武力攻撃事態等における我が国の安全と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」(事態対処法)と「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」(国民保護法)において、大規模なテロの発生を想定した「緊急対処事態」なる事態を設定し、災害救助法と災害対策基本法を模した仕組みがつくられ、武装した自衛隊を出動させることまでも予定されている。
 これらは、現実の必要性を検証することなく、有事法制の制定の論理・・・自衛隊のプレゼンスを鮮明にし、自衛隊の活動する場面をできるだけ拡大し、自衛隊の活動をよりスムース、容易にすること・・・に符節をあわせたもので、憲法9条に反する過剰な法制度である。
 
③戦争及び内乱に関して

 戦争や内乱は、外には憲法9条を基礎とした平和外交、内には立憲主義を実践することにより防止できるし、しなければならない。

 それでも万万が一、突如外国からの武力攻撃を受けた場合にはどうするのか。そのような事態が生じるとすれば政府の失敗以外の何物でもないが、多くの国民からすれば座して攻撃に任すということにはならないだろう。当面、自衛隊が存続する限りは、従来の武力行使三要件に基づく反撃をし、撃退に努めつつ、国民の力によって失敗した政府を新しい政府に取り換え、停戦と平和確立の外交を推進させるべきである。その場合、有事法制制定前の自衛隊法と、警察法、海外保安庁法及び警職法によって対処することは可能であり、緊急事態条項をもうける必要はない。
 漸次、軍事力としての自衛隊の縮小・解消が進むにつれて、政府の役割は一層重要になる。政府は、国際関係の緊張激化を招かず、国際社会から信頼と尊敬を得られる力量を持たねばならず、国民もそのような政府をつくる重い責任を負う。

 しかるに現在、突出した有事法制ができあがっている。これらは、日米同盟を何よりも重視し、外国からの武力攻撃を受けた場合を超えて自衛隊を出動させる道を開いており、限りなく戦争遂行法制となってしまっている。その中で、事態対処法と国民保護法に、内閣総理大臣が「武力災害事態」なるものを認定することにより、災害救助法と災害対策基本法を模した仕組みがもうけられているが、これは憲法9条に反する過剰な法制度である。

 また万万が一内乱が発生した場合には、警察法と警職法基づく警察の適切な活動により、これを抑制し、刑法の内乱罪その他の罰条により措置すればよいのである。自衛隊法には内乱の規模によっては警察を補完するために自衛隊の治安出動をさせる規定もあるが、同胞あい撃つ事態は何としても避けるべきである。
 内乱に関してもテロと同じく、「事態対処法」及び「国民保護法」所定の「緊急対処事態」を適用するのであろうか。そうだとすれば同じ批判があてはまる。

 現在の有事法制は既に過剰であり、緊急事態条項など論外であることを再度確認しておきたい。これらは憲法9条と立憲主義に照らして、再度厳密に検討しなおす必要がある。2015年9月に成立した安保法制の廃止はその第一歩である。
(続く)

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(19)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その7)

日本国憲法は緊急事態条項を拒否し、排除した

 ご承知のとおり、日本国憲法には緊急事態条項は設けられていない。これを目して憲法に不備があると主張する人たちがいる。その急先鋒は自民党であり、安倍首相である。だがこの主張はデマゴギーに類するものである。日本国憲法は、意識的・積極的に緊急事態条項を拒否し、排除しているのだ。

 まず、恒久平和主義を基本原理として採用した憲法が、戦争や武力抗争など有事を想定とした緊急事態条項を排除したことは言うまでもない。

 では自然災害などその他の非常事態に関してはどうだろうか。その場合にも、日本国憲法は緊急事態条項を拒否し、排除しているのである。そのことは、憲法制定過程における議論によって確認できる。

 日本国憲法制定において八面六臂の活躍ぶりを示した金森徳次郎国務大臣(憲法問題担当)は、第90帝国議会(憲法制定議会)衆議院憲法改正案委員会において、いくたびか政府を代表して答弁に立ったが、その中で、緊急事態条項に係る重要なやりとりがなされている。煩を厭わず議事録によって確認しておこう。

第3回委員会(1946年7月2日)金森憲法担当相答弁

「緊急勅令其の他に付きましては、緊急勅令及び財政上の緊急処分は行政当局者に取りましては実に調法なものであります、併しながら調法と云ふ裏面に於きましては、国民の意思を或る期間有力に無視し得る制度であると云ふことが言へるのであります、だから便利を尊ぶか或は民主政治の根本の原則を尊重するか、斯う云ふ分れ目になるのであります、そこで若し国家の仲展の上に実際上差支へがないと云ふ見極めが付くならば、斯くの如き財政上の緊急措置或は緊急勅令とか云ふものは、ないことが望ましいと思ふのであります、併し本当に言って、国家には色々な変化が起り得るのでありまするが故に、全然是等の制度なくして支障なしとは断言出来ませぬ、けれども我我過去何十年の日本の此立憲政治の経験に徴しまして、間髪を待てないと云ふ程の急務はないのでありまして、さう云ふ場合には何等か臨機応変に措置を執ることが出来ます、随て緊急の措置を要しまするのは稍々余裕のある事柄であります、して見れば、さう云ふ場合には、臨時に議会を召集すると云ふ方法に依って問題を解決することが出来る、又臨時に議会を召集することが出来ない場合が考へられます、それは衆議院が解散され、末だ新議員が選挙せられない所の三、四十日の期間ガ予想せらるるのでありますが、其の時には何ともしやうがない、そこで参議院の緊急集会を以て暫定的に代へる、斯う云ふことが考へられます、尚且つ考ましても色々御意見は起り得ると思ひます、例へば咄嗟の場合に交通断絶其の他の場合に、如何に適当の処置をするかと云ふ時には、今後色色な工夫を致しまして、さう云ふ非常の場合に処する僅がばかり臨時措置の規定を必要なる法律等に編込み、大体是は警察法規等が主眼をなすものと思ひまするが、特別な場合ニ梢々臨時措置をなし得るやうな規定を平素から予備して置くと云ふのも、一つの考へ方であらう思ひます、或は又財政上の緊急処分の点に付きましては、例へば議会に於て必要なる予算の成立を見ることが出来ない、而も経費を支弁すべき時期は差迫って居る、どうするかと云ふやうな場合が考へられますが、是は議論で解決するのではなくして、政府と議会とが一心の如く合体して居りますならば、そこに自ら途が開かれて来るのでありまして、今期議会に於て始まりました所の此の暫定の予算と云ふが如きは、此の方法に於て一道の光を与へて居るものと思ふ訳でございます」

第13回委員会(1946年7月15日)金森憲法担当相答弁
「現行憲法に於きましても、非常大権の規定が存在して居ったことは今御示しになった通りであります、併しながら民主政治を徹底させて国民の権利を十分擁護致します為には、左様な場合の政府一存に於て行ひまする処置は、極力之を防止しなければならぬのであります、言葉を非常と云ふことに藉りて、其の大いなる途を残して置きますなら、どんなに精緻なる憲法を定めましても、口実を其処に入れて又破壊せらるる虞絶無とは断言し難いと思ひます、随て此の憲法は左様な非常なる特例を以て――謂はば行政権の自由判断の余地を出来るだけ少くするやうに考へた訳であります、随て特殊の必要が起りますれば、臨時議会を召集して之に応する処置をする、又衆議院が解散後であって処置の出来ない時は、参議院の緊急集会を促して暫定の処置をする、同時に他の一面に於て、実際の特殊な場合に応する具体的な必要な規定は、平素から濫用の虞なき姿に於て準備するやうに規定を完備して置くことが適当であらうと思ふ訳であります」


 金森答弁が単なる方便ではなく、真実をありのまま述べたものであることは、憲法改正草案確定に至るまでの政府担当者らとGHQ担当者らとの数次にわたる話し合いの経緯からも裏付けられる。即ち、災害など突発事態が生じて緊急な立法もしくは予算措置を講ずる必要が生じたときへの対処方法について、GHQ側が内閣のemergency powerで処置すればよいと述べたのに対し、政府側は「憲法をこれから作ろうという際に、超憲法的な運用を予想するようでは、明治憲法以上の弊害の原因となる」と反論し、現在の参議院の緊急集会(憲法第54条2項)と内閣の政令制定権(第73条6号)を定めることになったのであった(佐藤達夫・佐藤功『日本国憲法成立史』第3巻 有斐閣)。

 重要なことは上記の議論を日本国憲法が血肉化していることである。勿論、立法者意思は金科玉条ではない。しかし、これを変更する格別の合理的な論拠が示されない限りは、これを尊重すべきことは、法解釈学のイロハである。

 憲法学者の中にも、イ.憲法自体に緊急事態条項は定められてはいないが厳格な要件の下に不文の国家緊急権を認める説、ロ.緊急事態条項が定められていないことを憲法の欠缺とみなし、国家緊急権の要件・効果を明確に定めること、その発動は国会の認定によること、終期を明示すること、国家緊急権の効力は必要最小限度を超えてはならないこと及び事後責任を追及する仕組みをもうけることなどの条件の下に緊急事態条項をもうけるべきだとの説を唱える人がいる。しかし、これらは上記の趣旨から多数の賛同を得られるものではない。

 この項の最後に、私が、ひそかに師と仰ぐ憲法学者・小林直樹元東大教授の見解を掲げておこう。多くの憲法学者の支持を得ている見解である。

 「憲法が緊急権規定をもたなかったのは、ある種の人々が考えるように、憲法の欠缺(リュッケン)でも欠陥でもなくて、旧体制の経験にかんがみてその遺物を払拭するという過去に対するネガティブな側面と、平和原則および民主主義に徹するというポジティブな意味を有するといわねばなるまい。立法者意思をも考慮してこのように総合的解釈すれば、緊急権に関する憲法の沈黙は、憲法の基本原則に憲法自ら忠実であろうとする規範的意味とともに、自由と平和を守るという高度に積極的な政治=社会的意義も認められるであろう。」(『国家緊急権』学陽書房)

注:リュッケン ドイツ語 Lücken im Rechtは法の欠缺

(続く)

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(18)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その6)

フランスの場合・・・立憲主義に分け入った「民主独裁」の伝統

 究極の緊急事態条項である戒厳令のプロトタイプは、フランス革命さなかの1791年7月制定された「合囲状態法」(état de siègeエタ・ド・シェジュ)である。意外に思われるかもしれないが、戒厳令の母国はフランスなのだ。フランス革命は、一方でフランス人権宣言、1791年憲法により立憲主義を高らかに宣言したものの、内外の敵から革命の成果を守るために「民主独裁」で武装したのである(因みに、歴史は、ロシア革命後のソ連でも「プロレタリアート独裁」の名の下により悲劇的な軌跡を描いた。)。
 そのフランスの現行憲法第五共和制憲法にもその伝統は、色濃くその母斑を留めている。
 フランスでは、アルジェリア独立戦争による危機を乗り切るために強い大統領を標榜したシャルル・ド・ゴールが大統領に選出され、その下で1958年10月、現在の第五共和制憲法が制定され、第16条に「大統領緊急措置権」(緊急事態条項)が設けられた。

注:フランス憲法第16条
① 共和国の制度、国の独立、その領土の一体性あるいは国際協約の履行が重大かつ直接的に脅かされ、かつ、憲法上の公権力の適正な運営が中断されるときは、共和国大統領は、首相、両院議長、ならびに憲法院に公式に諮問したのち、これらの事態によって必要とされる措置をとる。
② 大統領は教書によりこれらの措置を国民に通告する。
③ これらの措置は、最も短い期間内に、憲法上の公権力に対してその任務を遂行する手段を確保させる意思に則ってとられなければならない。憲法院はこの問題について諮問される。
④ 国会は当然に開会する。
⑤ 国民議会は緊急権の行使の間は解散されない。
 

 1961年4月22日、アルジェリア独立戦争のさなか、アルジェリアにおいて、独立に対し柔軟姿勢に転じたド・ゴールに反対し、4名の退役将軍が部隊を率いて決起した。彼らは、「最高司令部」の設立を宣言し、アルジェリア全土に「戒厳令」を布告した。それにとどまらず、反乱軍は本国の軍内極右分子と連繋し、パリ進撃の気配を見せた。
 これに対し、23日、ド・ゴールは「緊急権」を発動し、反乱軍の鎮圧を宣言した。同時にフランス本土では労働者、学生、市民が反乱を糾弾する行動に立ちあがった。こうした状況で、反乱軍は孤立し、25日には反乱軍は崩壊するに至り、最終的に26日までには完全に鎮圧された。しかし、23日に発動された緊急権は9月30日になるまで維持された。
 この「緊急権」の発動について、フランスでも日本でも憲法学者らから市民の自由、人権が極端に制約されたとの緊急事態条項の悪用例として批判されている。その現場を目撃した憲法学の泰斗樋口陽一氏の話を引用しておこう。樋口氏は、東北大学の大学院生であったころ、1960年から2年間、フランス政府給費留学生としてフランスに学んでいるが、その時期の体験談である。彼は以下のように述べる。

 「フランスでは1961 年10 月17 日、私は実地でそれを目撃していたのですが、アルジェリア独立運動の大デモストレーションが警官隊と衝突して3人が死んだと公表されていました。ところが最近になって政府の求めによって作成された報告書では、少なくとも48人が警察によって殺されたとなっている。これは憲法16条の緊急権の発動によるものです。40年近く経ってから、政府筋が公式にこういった事件の真相を追究しようとするような国でも、緊急権というのはこれだけ危ないことを引き起こすのです。」(『世界』1999年11月号)。

その他の諸国・・・小括を兼ねて

 以上のほか中南米、東アジア、東南アジア、中東、アフリカ諸国及び社会主義国における緊急事態条項、あるいは裸の国家緊急権の悪用もしくは濫用の事例は、この50年程の間でも、韓国、インドネシア、チリ、中国、ビルマ、タイ等々、記憶に鮮明に刻みつけられている。
 悪用もしくは濫用事例をおしなべて見てみると、独裁体制確立、体制の危機や弱さを取り繕うための治安強化、政敵の封じ込めなど不当な目的のために、不当に長期間にわたり、人権を過度に侵害するという共通項があるようである。
 緊急事態条項の危険・有害性はもはや多言を要しないだろう。

 付言すれば、災害対策に絞ってみても緊急事態条項により政府に権限を集中させることは危険・有害である。

 4月14日夜に発生した最大震度7の地震のあと、熊本県の被災地では難を逃れて多くの人々が屋外避難をしていた。翌15日午前、閣議のあと河野太郎防災担当相は記者会見で、「熊本県を震源とする地震の避難者が約4万4千人に上ることを明らかにし」、「(熊本)県庁に現地対策本部を立ち上げる予定。避難されている方を今日中に屋内にきちんと収容できるよう準備を進めているところだ。」と述べた(朝日新聞4月15日午前9時44分配信のデジタルニュース)。
 これをもう少し詳しく確認してみると、河野担当相は、15日、安倍首相の指示を受けて屋内避難の方針を決め、各自治体に周知させようとしたころ、熊本県知事から「避難所が足りなくてみなさんがあそこに出たわけではない。余震が怖くて部屋の中にいられないから出たんだ」と反発され、沙汰やみになったとのことである(4月16日付毎日新聞朝刊)。政府の方針が地元各自治体に周知されずに済んだわけであるが、それによって多くの人たちの命が救われたといってよい。16日未明に再び最大震度7の本震が熊本地方を襲ったのである。
 現場から遠く離れた政府に権限を集中させてはならないことが証明された一事例である。
(続く)

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(17)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その5)

ドイツの場合・・・パーペンの虜囚から独裁者へ

 1933年1月、偉大な奇跡が起こった。日の目を見る筈もなかったヒットラー内閣が、パーペンとヒンデンブルグの介助によって産み落とされたのだ。
 だがヒットラー内閣には、ナチスからはヒットラーのほかには2名しか入閣しておらず、ヒットラー自身もパーペンの虜囚になったのだとさえうそぶいていたということだし、パーペンはヒットラーを雇ったと豪語している。ヒンデンブルグも、以前からヒットラーを「ボヘミアの伍長」と呼んで蔑んでいたことは有名な話である。 きっとパーペンもヒンデンブルグも、殊勝なヒットラーの態度を見て、ヒットラーを、当面、利用できるだけ利用し、時がくれば手を切ればよいと踏んでいたに違いない。彼らはヒットラーの狡猾さとナチスの突破力をあなどっていたようだ。
 ヒットラーは首相になるや、ナチス突撃隊(SA)に暴力的街頭行動を展開させ、その圧力のもとに暴走を始める。高齢のヒンデンブルグも野心家のパーペンも、逆にヒットラーとナチスの虜囚になってしまった。
 ヒットラーが首相に就任してからナチス独裁体制とワイマール憲法の安楽死までわずか2カ月弱、まさに一瞬の間のできごとであった。その梃子になったのがワイマール憲法48条の大統領非常措置権なる緊急事態条項であり、これこそ緊急事態条項を悪用もしくは濫用した顕著な事例である。

注:ワイマール憲法48条(大統領非常措置権)
① ドイツ国内において、ドイツ国憲法あるいはドイツ国法律に付随する諸義務が履行されない事態が発生した場合、ドイツ国大統領は武力を用いて事態に対処することができる。
② ドイツ国内において公共の安全や秩序が著しく乱され、公共の安全や秩序を回復するための措置をとる場合、ドイツ国大統領は、必要ならば、武力を用いて介入することができる。この目的のためにドイツ国大統領は一時的に、114条(人身の自由)、115条(住居の平穏・不可侵)、117条(信書等の秘密)、118条(表現の自由・検閲の禁止)、123条(集会の自由)、124条(結社の自由)及び153条(財産権の保障等)で規定された基本権利の全て、またはその一部を停止することができる。
(以下略)

 ヒットラーは、今やナチスの陰謀説が定着している同年2月27日の国会放火事件を最大限利用した。ヒットラーは、翌日、この大統領非常措置権に基づき、虜囚として思いのままに動かせる存在と化したヒンデンブルグをして、上記の七箇条の基本権を停止し、無令状による逮捕、捜索、押収及び予防拘禁を認める「民族及び国家の防衛に関する大統領令」を発令せしめた。

注:ドイツ国会放火事件についてはドイツ共産党のテロだとするナチスの主張は、ディミトロフらの裁判の結果否定されている。有罪を認定され処刑された元オランダ共産党員のファン=デル=ルッペによる単独犯行説もあるが、現代史の通説は、ナチス陰謀説である。

 これに基づきおよそ5000名ともいわれる多数の共産党員、社会民主党員などが拘禁され、収容所に入れられた(このとき設置された収容所は後に絶滅収容所となり、人類史上かってない大量の「人間廃棄処分」が行われることになった。)。
 こうした弾圧と、ナチスの突撃隊や親衛隊の暴力的街頭行動により共産党や社会民主党の活動は完全に封じ込められた。しかし、そのさなかに行われた3月5日の総選挙で、ナチスは議席数を大幅に増やしたものの、それでも過半数に及ばなかったことは、特筆しておかなければならない。

注:1933年3月5日総選挙の結果は以下とおりであった。
 ナチス:288注議席 社会民主党:120 共産党:81 中央党:74 国家人民党:52 バイエルン人民党:18 諸派:14
 

 ヒットラーが独裁を確立するにはもうひと山越えなければならなかった。それは、通常「全権委任法」と呼ばれる「民族と国家の危難を除去する法律」の獲得である。

注:「民族と国家の危難を除去する法律」(1933年3月24日成立)は以下のとおり。
① 憲法に規定されている手続き以外に、政府も法律を制定する。
② 政府によって制定された法律は、国会及び第二院の制度そのものにかかわるものでない限り、憲法に違反することができる。
③ 政府によって定められた法律は、公布の翌日からその効力を有する。
④ 条約も、政府が単独で締結し、政府は条約の履行に必要な法律を発布する。
⑤ 本法は公布の日を以て発効し、1937年4月1日もしくは現政府が他の政府に交代した日のいずれか早い方の日に失効する。


 全権委任法は、ワイマール憲法76条に定められている「憲法改正法」に該当するから、これを国会で議決するには「3分の2の出席で、その3分の2の賛成」という特別多数を必要とする。そこでここでも狡猾なヒットラーはかの緊急事態条項(大統領非常措置権)を悪用し、新たな大統領令を発令させて、拘禁中の共産党等の議員を存在しないものとして総議員の定数を減じることとし、保守政党、中間政党の議員の抱き込みにより、ようやく成立させることができたのであった。
 緊急事態条項のあわせ技で一本、ワイマール憲法は見事に踏み越えられた。この後、ヒットラーとナチスが人類史上例を見ない蛮行に突き進んだことは天下周知の事実である。
(続く)
プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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