緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(19)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その7)

日本国憲法は緊急事態条項を拒否し、排除した

 ご承知のとおり、日本国憲法には緊急事態条項は設けられていない。これを目して憲法に不備があると主張する人たちがいる。その急先鋒は自民党であり、安倍首相である。だがこの主張はデマゴギーに類するものである。日本国憲法は、意識的・積極的に緊急事態条項を拒否し、排除しているのだ。

 まず、恒久平和主義を基本原理として採用した憲法が、戦争や武力抗争など有事を想定とした緊急事態条項を排除したことは言うまでもない。

 では自然災害などその他の非常事態に関してはどうだろうか。その場合にも、日本国憲法は緊急事態条項を拒否し、排除しているのである。そのことは、憲法制定過程における議論によって確認できる。

 日本国憲法制定において八面六臂の活躍ぶりを示した金森徳次郎国務大臣(憲法問題担当)は、第90帝国議会(憲法制定議会)衆議院憲法改正案委員会において、いくたびか政府を代表して答弁に立ったが、その中で、緊急事態条項に係る重要なやりとりがなされている。煩を厭わず議事録によって確認しておこう。

第3回委員会(1946年7月2日)金森憲法担当相答弁

「緊急勅令其の他に付きましては、緊急勅令及び財政上の緊急処分は行政当局者に取りましては実に調法なものであります、併しながら調法と云ふ裏面に於きましては、国民の意思を或る期間有力に無視し得る制度であると云ふことが言へるのであります、だから便利を尊ぶか或は民主政治の根本の原則を尊重するか、斯う云ふ分れ目になるのであります、そこで若し国家の仲展の上に実際上差支へがないと云ふ見極めが付くならば、斯くの如き財政上の緊急措置或は緊急勅令とか云ふものは、ないことが望ましいと思ふのであります、併し本当に言って、国家には色々な変化が起り得るのでありまするが故に、全然是等の制度なくして支障なしとは断言出来ませぬ、けれども我我過去何十年の日本の此立憲政治の経験に徴しまして、間髪を待てないと云ふ程の急務はないのでありまして、さう云ふ場合には何等か臨機応変に措置を執ることが出来ます、随て緊急の措置を要しまするのは稍々余裕のある事柄であります、して見れば、さう云ふ場合には、臨時に議会を召集すると云ふ方法に依って問題を解決することが出来る、又臨時に議会を召集することが出来ない場合が考へられます、それは衆議院が解散され、末だ新議員が選挙せられない所の三、四十日の期間ガ予想せらるるのでありますが、其の時には何ともしやうがない、そこで参議院の緊急集会を以て暫定的に代へる、斯う云ふことが考へられます、尚且つ考ましても色々御意見は起り得ると思ひます、例へば咄嗟の場合に交通断絶其の他の場合に、如何に適当の処置をするかと云ふ時には、今後色色な工夫を致しまして、さう云ふ非常の場合に処する僅がばかり臨時措置の規定を必要なる法律等に編込み、大体是は警察法規等が主眼をなすものと思ひまするが、特別な場合ニ梢々臨時措置をなし得るやうな規定を平素から予備して置くと云ふのも、一つの考へ方であらう思ひます、或は又財政上の緊急処分の点に付きましては、例へば議会に於て必要なる予算の成立を見ることが出来ない、而も経費を支弁すべき時期は差迫って居る、どうするかと云ふやうな場合が考へられますが、是は議論で解決するのではなくして、政府と議会とが一心の如く合体して居りますならば、そこに自ら途が開かれて来るのでありまして、今期議会に於て始まりました所の此の暫定の予算と云ふが如きは、此の方法に於て一道の光を与へて居るものと思ふ訳でございます」

第13回委員会(1946年7月15日)金森憲法担当相答弁
「現行憲法に於きましても、非常大権の規定が存在して居ったことは今御示しになった通りであります、併しながら民主政治を徹底させて国民の権利を十分擁護致します為には、左様な場合の政府一存に於て行ひまする処置は、極力之を防止しなければならぬのであります、言葉を非常と云ふことに藉りて、其の大いなる途を残して置きますなら、どんなに精緻なる憲法を定めましても、口実を其処に入れて又破壊せらるる虞絶無とは断言し難いと思ひます、随て此の憲法は左様な非常なる特例を以て――謂はば行政権の自由判断の余地を出来るだけ少くするやうに考へた訳であります、随て特殊の必要が起りますれば、臨時議会を召集して之に応する処置をする、又衆議院が解散後であって処置の出来ない時は、参議院の緊急集会を促して暫定の処置をする、同時に他の一面に於て、実際の特殊な場合に応する具体的な必要な規定は、平素から濫用の虞なき姿に於て準備するやうに規定を完備して置くことが適当であらうと思ふ訳であります」


 金森答弁が単なる方便ではなく、真実をありのまま述べたものであることは、憲法改正草案確定に至るまでの政府担当者らとGHQ担当者らとの数次にわたる話し合いの経緯からも裏付けられる。即ち、災害など突発事態が生じて緊急な立法もしくは予算措置を講ずる必要が生じたときへの対処方法について、GHQ側が内閣のemergency powerで処置すればよいと述べたのに対し、政府側は「憲法をこれから作ろうという際に、超憲法的な運用を予想するようでは、明治憲法以上の弊害の原因となる」と反論し、現在の参議院の緊急集会(憲法第54条2項)と内閣の政令制定権(第73条6号)を定めることになったのであった(佐藤達夫・佐藤功『日本国憲法成立史』第3巻 有斐閣)。

 重要なことは上記の議論を日本国憲法が血肉化していることである。勿論、立法者意思は金科玉条ではない。しかし、これを変更する格別の合理的な論拠が示されない限りは、これを尊重すべきことは、法解釈学のイロハである。

 憲法学者の中にも、イ.憲法自体に緊急事態条項は定められてはいないが厳格な要件の下に不文の国家緊急権を認める説、ロ.緊急事態条項が定められていないことを憲法の欠缺とみなし、国家緊急権の要件・効果を明確に定めること、その発動は国会の認定によること、終期を明示すること、国家緊急権の効力は必要最小限度を超えてはならないこと及び事後責任を追及する仕組みをもうけることなどの条件の下に緊急事態条項をもうけるべきだとの説を唱える人がいる。しかし、これらは上記の趣旨から多数の賛同を得られるものではない。

 この項の最後に、私が、ひそかに師と仰ぐ憲法学者・小林直樹元東大教授の見解を掲げておこう。多くの憲法学者の支持を得ている見解である。

 「憲法が緊急権規定をもたなかったのは、ある種の人々が考えるように、憲法の欠缺(リュッケン)でも欠陥でもなくて、旧体制の経験にかんがみてその遺物を払拭するという過去に対するネガティブな側面と、平和原則および民主主義に徹するというポジティブな意味を有するといわねばなるまい。立法者意思をも考慮してこのように総合的解釈すれば、緊急権に関する憲法の沈黙は、憲法の基本原則に憲法自ら忠実であろうとする規範的意味とともに、自由と平和を守るという高度に積極的な政治=社会的意義も認められるであろう。」(『国家緊急権』学陽書房)

注:リュッケン ドイツ語 Lücken im Rechtは法の欠缺

(続く)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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