ETV特集「関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか」を見て

 9月3日(土)夜11時から、Eテレで、ETV特集「関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか」が放映されました。ご覧になった方もおられると思いますが、関係者の聞き取りや裁判資料をはじめとする公的資料等をもとに構成された実証的なドキュメンタリーで、一見の価値ありです。再放送は、9月10日(土)の午前0時からと予定されています。

 私は、関東大震災における朝鮮人等の虐殺は、戒厳令施行がもたらした災厄であったと考えますが、番組では、その視点が弱く、朝鮮人差別とデマによる煽動によってもたらされた暴走という側面にスポットがあてられていました。国家緊急権規定を憲法に創設しようという動きのある今、私は、そうした視点からのアプローチをして欲しかったと思います。

 私が、この虐殺は戒厳令施行によってもたらされたものだ、と考えるのは以下の理由によります。

①戒厳令施行の動機、目的
 9月1日の地震発生後、同月3日、関東一円に戒厳令が施行されたが、これを主導したのは、朝鮮総督府において総監を務めた水野錬太郎内相と同じく朝鮮総督府において内務局長を務めた赤池濃(あつし)警視総監であったと言われている。
 彼ら両名が朝鮮総督府の高官を務めたのは、1919年3月1日のいわゆる3.1独立運動後のことで、時あたかも彼の地では産米増殖計画が強行され、土地を取り上げられた農民大衆が流浪の民となって、日本内地に大量流入し、関東大震災当時、膨大な底辺労働者層を形成していた。
 彼ら両名は朝鮮民衆の独立への願望と怒りを肌身で感じ、朝鮮民衆に対する強い警戒心を抱いていた。
 かくして彼ら両名は、内地に流入した朝鮮人が震災に乗じて騒乱を引き起こすことを未然に防止すること、即ち主として朝鮮人対策のために戒厳令施行を企図したのであった。

②戒厳令の運用実態
 戒厳令14条には、戒厳司令官に委ねられる権限細目が規定されているが、戒厳司令官はその運用にあたっては、震災の被害の拡大、混乱防止のために必要な限度にとどめるべきところ、その限度を超えて、検問所の設置、昼夜の別なき家屋等への立ち入り検察等、まさに戦時包囲下にある地域(合囲地境)におけるに等しい秩序維持の任務と権限にまで拡大してしまった。
 同時に、戒厳司令官告諭で、民間人の自衛協同を促していた。それは現場においては検問に武装自警団を動員するという事態を招いてしまった。
 これらにより、初期の段階では、官憲の関与により武装自警団の検問が実施され、多くの朝鮮人の誰何、検束がなされ、虐殺へとつながった。

③戒厳令施行により動員された部隊への命令
 初期においては「不逞鮮人鎮圧」が公然と下命されていた。

④官制デマによる民衆扇動
 憲法学者上杉慎吉(美濃部達吉の天皇機関説に反対した右翼的論客として知られる)が『国民新聞』に書いた文章中に、官憲が「不逞鮮人」による放火・暴動のデマを盛んに流していた事実が記されている。

 災害時においては、何もなければ被災者どうしはお互い助け合うものです。それは日本人と朝鮮人であっても同じでしょう。関東大震災では、一部の人々とはいえ、被災者が同じ被災者を殺戮してしまいました。
 それは戒厳令下にあって、当局から秩序維持の任務を与えられ、官制デマによって危機感を煽られたことが大きな要因であったと思います。
 軍隊による実力行使は勿論、普段は善良な人々を殺人者に変えてしまったのは、戒厳令施行が招いた惨劇だったというほかはありません。
(了)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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