9条をおもちゃにさせてはならない

 前回の『憲法9条3項加憲改憲案の「闇」』では、6月21日午後3時半から行われた外国特派員協会の会見で、自民党改憲推進本部・本部長保岡興治氏が、憲法9条3項加憲改憲は、緊急性も法的必要性もないと述べたことをお伝えしましたが、6月22日、『共同通信』が以下の記事を流しました。どうやら同推進本部筋からのリーク情報のようです。

憲法9条に自衛隊 自民改憲案たたき台判明2017年06月22日 09時45分

 自民党の憲法改正推進本部が、憲法9条に自衛隊の存在を明記する安倍晋三首相(党総裁)提案を踏まえ、今後の議論のたたき台とする条文案が21日、判明した。現行9条と別立ての「9条の2」を新設し、自衛隊について「わが国を防衛するための必要最小限度の実力組織」と規定。戦力不保持などを定めた現行9条2項を受ける形で「自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない」と明示した。首相が自衛隊の指揮監督権を持つことも盛り込んだ。党関係者が明らかにした。
 推進本部は21日、全所属議員を対象とした全体会合を開き、9条への自衛隊明記案を巡って本格的な議論をスタート。賛成論が出る一方、9条2項との整合性の面などで異論もあった。条文案は示されていない。自民党は年内の改憲案策定を目指しており、早ければ秋にも具体的な条文案を巡って公明党との調整に着手したい意向だ。
 推進本部の保岡興治本部長は記者会見で、改憲の国会発議に関し「来年の通常国会が終わるまでにできればベストだ」と表明した。
 条文案で新設した9条の2のうち、自衛隊の位置付けに関する文言は内閣法制局が積み重ねてきた答弁を踏まえた。同時に、文民統制(シビリアンコントロール)も明確化すべきだと判断した。
 このため9条の2の2項として、首相が内閣を代表して自衛隊の最高指揮監督権を有すると定めた上で、自衛隊は「国会の承認その他の民主的統制に服する」とした。自衛隊法にも首相が自衛隊の指揮監督権を有するとした同様の規定がある。
 9条改正を巡り、自民党は集団的自衛権を限定的に容認した現在の政府解釈を変更しない立場。ただ「わが国を防衛するため」という表現には、あいまいで新たな解釈を生みかねないとの指摘が出そうだ。拡大解釈を防ぐため、自衛隊は何を目的とする組織なのか、現在の政府解釈を明確に書き込むべきだとの意見が出る可能性もある。
 9条の2を新設する形式を採用したのは、同3項を設けるよりも、1、2項から成る現行の9条を堅持するとした首相の姿勢が鮮明に打ち出せ、他党の理解を得やすいとの狙いがある。
 推進本部は8月末まで全体会合開催を予定しており、9条改正のほか、教育無償化や緊急事態条項、参院選「合区」解消の4項目を中心に議論を一巡させる。これを踏まえて再び9条を議論し、具体的な条文を固めたい考えだ。【共同】

 安倍自民党は、どうやら9条3項加憲ではなく「9条の2」の1箇条を新設し、「9条の2」の条文案として、以下のようなものが、たたき台として考えられているようです。

第9条の2
第1項 前条2項は、わが国を防衛するための必要最小限度の実力組織としての自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない。
第2項 内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高指揮監督権を有するものとし、自衛隊は、国会の承認その他の民主的統制に服する。


 内閣法制局は、個別的自衛権を前提として、過去、えいえいとして9条に関わる精巧なガラス細工のような政府解釈を積み上げてきました。しかし、2015年9月に強行可決された安保法制は、集団的自衛権容認へと、それからテークオフするものでした。

 上記の「わが国を防衛するための必要最小限度の実力組織」なる自衛隊の定義は、フルスペックの集団的自衛権へと、さらに高度を上げようとすることを意味しています。これでは、自衛隊は、「必要最小限度の実力組織」などというカムフラージュによっては隠すことができない普通の軍隊となることは明らかです。

 憲法9条は安倍自民党のおもちゃではない。
                         (了)
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憲法9条3項加憲改憲案の「闇」

 「非常にびっくりはしましたが、極めて鮮明で明確なご提案でした。本部長としては、総裁の意向をしっかり受け止めて、これを主要なテーマとしてまとめあげていくことが大切だなと思った次第です」

 6月21日午前、5月3日の憲法9条3項加憲改憲という安倍首相提案を受けて最初の自民党憲法改正推進本部の全体会合を終えて、同日午後3時半からの外国特派員協会の会見にかけつけた保岡興治・同本部長は、こう切り出しました。

 保岡氏といえば、元裁判官で、現在も弁護士登録を維持されているお方、その経歴を生かして、過去の自民党の憲法改正案づくりに関与し、リードしてきた自民党憲法族のドン、安倍首相の突然変異のような提案に辛口の批評があることを期待しましたが、存外、従順なお方でした。

 さて、約1時間に及んだこの会見のハイライトは、次のくだりでした。

質問者「実態として自衛隊が変わらないのであれば、なぜ改憲するのか」

保岡「おっしゃる通り、自衛隊の実態は変わらない。政府の合憲という解釈も変わらない。自衛隊の果たす役割も機能も、平和安全法制(安全保障法制)で整えた以上のものではない」

 「緊急性があるか、法的な必要性があっての改正かと言われると、それはありません。しかし、日本国の防衛の実力組織である自衛隊が、憲法にないことこそ異常なことです」

 「自衛隊は単なる実力組織ではなく、平和国家である日本の象徴であり、国民の祈りを背負ってるものだと私は思います。そういう自衛隊の存在意義を含め、国民誰一人、違憲であると言えない状況をつくることは、憲法改正において大いに意義のあることだと考えます」

 要するに、憲法9条1項、2項をそのままにして3項で自衛隊の存在を明記するという9条3項加憲なる憲法「改正」について、保岡氏は、緊急性も法的必要性もないと言い切っているのです。

 私は、当ブログ6月16日蘭の『憲法9条をグロテスクな条文にしてはならない』という記事で、硬性憲法を改正するには、「現行憲法のもとで、国の行政、国民生活の上に著しい支障が生じており、憲法を改正しなければこれを解決することができない事態に立ち至っているという状況が認められなければならない」、「これを憲法改正のための『立法事実』といいます。」と書きましたが、保岡氏は、そのような「立法事実」が存在しないことを自白してしまいました。

 その上で、保岡氏は、「国民誰一人、違憲であると言えない状況をつくる」ことを意義のあることとしています。

 私は、上記の記事で「むしろ異論の存在は、民主主義国家にあっては好ましいことで、それによって、自衛隊合憲論の立場でも、暴走を自重するという良き結果がもたらされるのです。」とも書きましたが、保岡氏は、国民は一枚岩でなければならないと考えているようです。

 どこか近くに、そのような国がありますね。安倍氏にしても保岡氏にしても、本当は、そのような国の方が居心地がいいのかもしれません。
                       (了)

普通の軍隊に変貌する自衛隊 

 私は、2015年5月20日、当ブログにおいて、『専守防衛が堅持される?それほんまかいな~?』と題する評論を書き、戦争法案が成立すると、自衛隊の海外派兵=海外での武力行使は、必至となり、政府・自民党が、専守防衛は堅持されると言っているのは虚偽であることを論証しました。

 http://tofuka01.blog.fc2.com/blog-entry-237.html

 http://tofuka01.blog.fc2.com/blog-entry-238.html

 その際、私は、海外での「武器使用」の範囲の拡大が、自衛隊の海外派兵=海外での武力行使の扉を押し開く一つの鍵であるとして、次のように論じました。

(海外での武器使用の拡大)

① 政府見解では以下のとおり、武器使用と戦闘行為、武力行使とは異なる概念とされる(政府見解では、武力行使の定義が著しく狭いことに留意されたい。)。

・戦闘行為/国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為
・武力行使/①国家もしくは国家に準ずる組織に対する②組織的・計画的な戦闘行為
・武器使用/国家もしくは国家に準ずる組織が対象とならない武器の使用(自己保存、武器防護、治安活動・警護等任務遂行のための武器の使用)

② これまでの海外派兵時の武器使用の基本形は自己防護型と武器防護型であった。
⇒戦争立法ではこれを以下のように著しく拡大
イ 宿営地での共同自己防護
ロ 安全確保活動・駆けつけ警護活動における任務遂行のための武器使用
ハ 在外邦人の警護・救出任務遂行のための武器使用
二 重要影響事態での後方支援活動中に人員・物資・補給等の活動をする合衆国軍隊等の武器防護/その他海外自衛隊と連携してわが国の防衛に資する活動に従事中の合衆国軍隊等の武器等を職務上警護するにあたっての武器使用

③ これらが単なる武器使用にとどまらず、武力行使にあたる場合もある。かりにそうでなくともこうした武器使用の拡大により、敵対勢力の反撃から戦闘行為、武力行使に発展する(武力攻撃事態、存立危機事態を招き入れる)。

 少し言葉足らずだったこの文章の趣旨を補う論文をみつけました。雑誌『世界』に連載された軍事評論家の前田哲男氏の『自衛隊変貌』と題する論文です(第1回・2016年12月号、第2回・2017年1月号、第3回・同3月号、第4回・同4月号)。
 その第2回(サブタイトルは『境界線を失う「武器の使用」と「武力の行使」』)及び第3回(サブタイトルは『「改正」自衛隊法の検証』)の中で、前田氏は、以下のように述べています(可能な限り短く要約しましたので、文意の正確性が損なわれているかもしれません。御容赦下さい。)。

① 海外での武器使用の第一歩はPKO協力法であったが、そこで、部隊隊員は、「自己又は自己と共に現場に所在する他の隊員の生命又は身体を防護するためにやむを得ない」場合に、小火器を使用することが認められた。
これは部隊隊員の自己保存権であり、憲法9条1項の「武力行使」ではないと位置付けられ、なおその趣旨を明瞭にするため、部隊の任務から、部隊の駐留、巡回、武装解除など国連が要請する「本体業務」は凍結された。その後の変化は以下のとおり。

・ 1998年のPKO協力法第一次改正により、部隊隊員の自己保存権としての武器使用は、個々の隊員の判断ではなく、原則として上官の命令によらねばならないこととされた。これにより部隊隊員の自己保存権は、部隊の自衛権という色彩を帯びることになった。

・ 2001年のPKO協力法第二次改正により、「武器使用」の要件は、「自己又は自己と共に現場に所在する他の隊員若しくは自己の管理に入った者の生命又は身体を防護するためにやむを得ない」場合と改め、さらに自衛隊法95条を適用し、「PKO部隊の管理の下にある武器等の防護」まで拡大された。
  この改正により、部隊隊員の自己保存権は、部隊の自衛権に完全に変容した。
  
  同時に、この改正において、部隊の駐留・巡回、武装解除など国連が要請する「本体業務」の凍結が解除された。
  
  これらにより「武力行使」と「武器使用」の境界線はあいまいとなった。

・ 2015年改正(「戦争法制」)により、駆け付け警護、宿営地共同防護のための「武器使用」が認められ、PKO業務として「保安のための監視、駐留、巡回、検問及び警護」が追加された。
  これらにより「武器使用」は、警告・威嚇型から突入・射殺を含むものに質的変化を遂げた。

② PKO協力法による海外における「武器使用」の創設・発展・変容・変質の流れは、周辺事態法、テロ対策特措法、イラク特措法を経て、今般の戦争法制に怒涛の如く流入する。

 周辺事態法、テロ対策特措法、イラク特措法では、派遣部隊の活動エリアは、対象区域は限定され、かつ後方地域、非戦闘地域に限られていた。重要影響事態法、国際平和支援法においては、そのような限定は取り払われた。

 さらに自衛隊法の改正により、平時から有事に至る切れ目のない米軍等の武器防護のめの「武器使用」、在外邦人等の保護措置のための武器使用が認められた。

 かくして、「武器使用」と「武力行使」の境界線は溶解し、「武器使用」なる迂回路を通って、自衛隊の海外派兵=海外における「武力行使」への扉が開かれた。

 勿論、このような事態を確認したからといって、今般の戦争法制で、集団的自衛権を認め、真正面から海外派兵=海外での「武力行使」に打って出ようとする表通りの危険性・重要性を軽視していいというわけではありません。しかし、表通りだけを見ていると、事の本質を見失うこともあります。事態は、ここまで深刻となっていることをご理解下さい。

 軍隊はどんな小さな穴でもこじ開け、自己肥大を遂げようとする衝動に突き動かされるものです。軍隊とは、不羈独立へのはてしない野望を追い求めるものです。そういうことは、既にこの5月、私が、当ブログに連載した『明治維新という時代』の第二話『ニワトリからアヒルの帝国軍隊』で述べたところです。
 自衛隊も、憲法9条があるにもかかわらず、小さな穴をこじ開けて、ここまで来てしまいました。憲法9条を変えてしまえば、どこまで暴走するでしょうか。恐るべきことです。  
                                (了)

憲法9条3項加憲案の「深層」

 安倍首相の憲法9条3項加憲案には、一分の道理もないことはお分かり頂けたと思いますが、彼なりの小賢しさはあったようです。

 5月23日のデジタル版産経ニュース『ニュースの深層』(以下「本記事」という。)は、安倍首相の憲法9条3項加憲案の背景事情を説明しています。

 本記事によると、そのでどころは、評論家・保守系シンクタンク「日本政策研究センター」代表・「日本会議」常任理事(政策委員)の伊藤哲夫氏が、「日本政策研究センター」の情報誌「明日への選択」昨年9月号に書いた論文にあるようです。

 伊藤氏は、その論文で、憲法9条1項、2項をそのままにして、3項として「但し前項の規定は確立された国際法に基づく自衛のための実力の保持を否定するものではない」とする条文案を示しています。

 本記事は、「伊藤氏は首相のブレーンと報じられることもあり、首相はその国家観や政策を信頼しているとされる。伊藤氏の論文発表と、首相が側近議員らを通じて公明党に自衛隊加憲案を打診し始めた時期は一致する」と指摘し、さらに以下のように深掘りしています。
 
  「首相と近い憲法学者の八木秀次麗澤大教授は『戦力不保持と自衛隊の存在の整合性をどう表記するかなどクリアすべき課題はある』としながらも、『現状追認だが、憲法改正を一度経験するという意味でも自衛隊加憲は何歩か前進だ』と述べ、憲法改正の展望が開けたと評価する。」
  「首相がビデオメッセージを寄せた『公開憲法フォーラム』の主催団体の一つである『民間憲法臨調』(櫻井よしこ代表)の関係者は『メッセージの内容を事前に知らされていなかったので、首相が9条2項改正ではなく加憲を言って驚いた』としながらも、『緊迫した東アジア情勢を考えると、建て替えより、まず耐震補強をという考えは支持できる』と賛同する。」
  「民進党幹部も同じことを発言してきた。前原誠司元外相は昨年の党代表選で、9条3項で自衛隊を位置付けるべきだと提案。党の憲法調査会長を務める枝野幸男前幹事長も平成25年に『自衛権に基づく実力行使のための組織』を規定すべきだとした私案を文芸春秋で発表した。」
 「(民進党)代表代行を先月辞任した細野豪志元環境相は4日のブログで『“違憲かも知れないが命張れは無責任”との総理のコメントには、一理ある。9条2項までを維持して自衛隊を明記するというのも、これまでの自民党と総理のアプローチからすると柔軟だ。私も、いつかは憲法に書かなければならないと考えている』と書いた。」


 「維新の会」の名前は出てきませんが、既に、この党が安倍首相の第五列であることは、誰しも認めるところでしょう。

 安倍首相は、極右・超保守勢力の後押しで、自民、公明、維新、民進の一部の大連合による圧倒的多数の賛成を得て、9条に3項を追加するという、如何にも無害そうな憲法「改正」案(教育の無償条項案も抱き合わせにして)を発議し、国民の反対の矛先をかわしつつ、まずお試し改憲をやる、そして今度はそのどうしようもない坐りの悪さをあげつらって、9条2項の書き換えと、3項による国防軍創設へと誘導する、そんな小賢しさが透けて見えます。

 私は、これを称して猫だまし改憲案だと言いたいと思います。

 伊藤論文で示された「但し前項の規定は確立された国際法に基づく自衛のための実力の保持を否定するものではない」との3項例文は、私が示した例文と同様に、あらたな異論が噴出すること必定ですが、なお性質(たち)が悪い代物です。何故なら、「確立された国際法に基づく自衛」とすれば、他国防衛のための集団的自衛権の全面的容認を含意するからです。

 私たちは、安倍首相の下で、かってない民主主義の危機、憲法の危機を迎えています。まさに、今が正念場、それに打ち克つ力を、下から構築していくことが求められていると思います。
                               (了)

在日米軍の概要―これでも独立国か?

 日本に駐留する米軍の現状について調べようと思って、外務省と防衛省のホームページにアクセスしたが、非常にわかりづらい。どうも政府は、国民に周知徹底を図ろうとする姿勢がないようだ。
 辛うじて知り得たことは以下のようなことである。

(米軍基地)

 まず、米軍基地について知り得たこと。

 現在、日米地位協定第2条1(a)に基づき、米軍に使用許可されている施設及び区域(以下単に「基地」という。)は、以下のように分類できる。

A.日米地位協定2-1-(a)に基づいて在日米軍が専用で利用している基地
B.日米地位協定2-4-(a) に基づいて日米で共同使用している基地
C.日米地位協定2-4-(b) に基づいて米軍が一時的に利用可能な基地


 防衛省は、この区分ごとの面積を明らかにせず、A+Bと、A+B+Cに区分した面積を公表している。それは以下のとおりである(いずれも2017年3月31日現在)。

A+B     約 2万6400ha(うち沖縄は約1万8600ha)
           
A+B+C    約 9万8100ha(うち沖縄は1万8800ha)
          
残念ながらAのみの数字は不明である。

注:A+Bについてみると、国土の0.6パーセントを占めるに過ぎない沖縄に、全国にある基地の70.6パーセントもの面積の基地が置かれていることになる。この面積は、東京23区のうち、東側、南側の13区をカバーすることになるという。私たちは、ここに沖縄問題の今日的本質があることを直視しなければならないだろう。

(兵員数)

 次に、兵員数等について知り得たこと。

 防衛ハンドブック平成26年度版(朝雲新聞社)によると、2013年12月31日現在の兵員数は以下のとおりである(括弧内は、沖縄配備の兵員数で、沖縄県公表資料による、2014年3月31日現在のものである。)。

 合計  5万0341人 (2万6883人
 陸軍    2316人  (   1547人)
 海軍  1万9688人 (   3199人)
 空軍  1万2354人 (   6772人)
 海兵隊 1万5983人 ( 1万5365人)

(在日米軍駐留経費負担)
     
 防衛省は、1970年代から在日米軍の駐留を円滑かつ安定的にするための施策として、財政事情など十分配慮しつつ、わが国が駐留経費を自主的に負担してきた説明している。いわゆる「思いやり予算」なる珍名で始められた経緯を説明しているのであるが、実際には、1971年6月の沖縄返還協定に関わる密約の延長線上で、アメリカが、駐留経費の肩代わりを求め、わが国は「強いられて」、1978年度から、負担をするようになったものであった。当初は、文字どおりつかみ金であったが、順次、日米協定などで潤色され、範囲も額もどんどん増えて行った。

 現在、その内訳は、施設整備費、労務費、光熱水料等、訓練移転費、米軍再編関係費などであり、2017年度予算では、総額5875億円となっている。

(日米地位協定)
 
 日米地位協定とは、正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」であり、具体的にどこを米軍基地として提供するのか、提供手続はどのようにして行うのか、駐留した後の米軍、米兵・軍属、その家族は、わが国において、どのような取扱いを受けるのか、等を定める条約であり、1960年1月19日、国会で、強行可決されて以後、その根幹部分については改定されていない。

 地位協定には、以下のような問題があり、現代の不平等条約であると言っても過言ではない。

 一つめは、米軍基地の提供・返還の手続・内容が米軍の都合のよいものとなっていること。いつでも、どこでも、期限の定めもなく、使用目的・条件を厳しく限定しないまま、基地が提供され、しかも、国会の関与がなく、密室で合意される非民主的な仕組みとなっている。

 二つめは、米軍基地や米軍の活動が、基本的にはわが国の法のコントロール(規制)を受けない仕組みとなっていること。

 三つめは、様々な特権が米軍や米兵・軍属に与えられていること。特に、刑事事件に関わる特権によって、法的正義を害する事態が生じているし、行政上の特権によって市民生活を圧迫し、不公平な事態が生じている。

 こうした在日米軍をどう見るか。何を読み取るか。

 私は、日本は、独立国とは言えないのではないかと考えるのであるが、いかがであろうか。
                        (了)

憲法9条をグロテスクな条文にしてはならない

 安倍首相は、憲法9条1項、2項をそのままにして、3項に自衛隊の存在を明記する条項を置くとの憲法「改正案」を提起しました。彼は、その理由としてこんなことを述べています。

 「自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきだ」

 おかしな理屈ですね。確かに、国民の中には、自衛隊が憲法9条に反するとの意見が根強く存在し、また憲法学者の中でも自衛隊違憲説は決して少数とは言えません。しかし、政府は、内閣法制局を通じて、自衛隊の活動に関わる個々の問題ごとに政府の解釈を示し、自衛隊と憲法9条との整合性を、ひとつずつ積み上げてきました。それらの政府解釈は、膨大な数になり、元内閣法制局長官阪田雅浩氏が、一冊の本にして出版されています(『政府の憲法解釈』有斐閣)。
 安倍首相は、これらに基づいて、行政府の長として行政権を行使し、「自衛隊の最高指揮監督権」を行使してきたのではなかったのでしょうか。

 安倍首相がどういうふうに認識しているか知りませんが、従来、政府は、多様な意見の存在にもかかわらず、一貫して憲法9条の下で、自衛隊の存在を認め、その活動を各種法令により根拠づけてきました。

 そもそも憲法は、国の最高法規です。それが軽々に変えられるようなことがあってはなりません。憲法学では、このことをさして硬性憲法と言っていますが、これは憲法の性質上当然のことなのです。

 さて硬性憲法がそうであるためには、まず改正手続が厳格でなければなりません。このことは憲法96条1項に定められていますね。
 でも、もっと重要なことがあります。それは憲法には書かれていませんが、現行憲法のもとで、国の行政、国民生活の上に著しい支障が生じており、憲法を改正しなければこれを解決することができない事態に立ち至っているという状況が認められなければならないということです。これを憲法改正のための「立法事実」といいます。
 国民や学者に異論がある。こんなことは憲法改正のための「立法事実」となりません。むしろ異論の存在は、民主主義国家にあっては好ましいことで、それによって、自衛隊合憲論の立場でも、暴走を自重するという良き結果がもたらされるのです。もし安倍首相が、異論封じのために憲法改正をすると言うのなら、それは憲法をファシズムの露払いにしようとするものと厳しく糾弾しなければなりません。

 さてそんなに危ない橋を渡ってまでして、安倍首相の目論見通り、憲法9条3項で、自衛隊の存在を明記するとしましょう。その3項はどういう規定ぶりになるでしょうか。具体的文言を考えてみましょう。

 まず9条の条文を確認しておきます。

第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 それでは第3項はどうなるか。

 第一に考えられるのは、「前2項の規定にかかわらず自衛隊の存在は認められる。」という規定です。しかし、これですと、存在を認められた自衛隊は例外としての戦力なのかそれともやはり「実力」なのか、それはどの程度の規模でどの程度の装備が認められるのか、その活動はどこまで許されるのか、交戦権はやはり認められないのか等々、1項、2項との整合性をめぐって、現在と同じように議論を呼び起こすことになります。そうしてその議論に応えて、現在と同じように膨大な政府解釈によって補わなければなりません。当然、異論は現在と同じように続くでしょう。事態は何も変わらないのです。
 そんな愚かな憲法「改正」に多大な時間と費用を空費し、国民を投票動員することに果たして正当性が認められるでしょうか。答えは明らかですね。

 そこで第二に考えられるのは、異論を予め封じるような書きぶりをすることです。具体的には、自衛隊の存在を認め、その任務として自衛隊法に書き込まれている自衛隊の任務を列記することです。

 一例をあげると、以下のとおりです。

 前2項の規定にかかわらず、自衛隊を存置し、以下の任務を遂行させる。

1 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
  我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態において、当該武力攻撃を排除するために必要な範囲の武力行使は、この任務に含まれる。
  
2 自衛隊は、前項に規定するもののほか、同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、かつ、武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において、次に掲げる活動であって、別に法律で定めるところにより自衛隊が実施することとされるものを行うことを任務とする。
① 我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応して行う我が国の平和及び安全の確保に資する活動
②  国際連合を中心とした国際平和のための取組への寄与その他の国際協力の推進を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の維持に資する活動


 憲法9条はこんなグロテスクな規定になってしまいそうです。

 しかし、それでも議論は百出するでしょう。存立危機事態の具体的意味、海外で武力行使をすることが許されるのか、敵基地攻撃は許されるのか、先制的攻撃は許されるのか、核兵器保持は許されるのか、交戦権はどうなるのか、自衛隊の規模、装備はどこまで許されるのか等々。結局、安倍首相の目論見は達成できないでしょう。

 安倍首相の、憲法を「改正」したいとの妄執につきあうことは、愚かなことというほかありませんね。

                                     (了)

「文武両道」を廃した日本国憲法

 今の時代、「文武両道」というと、勉強もスポーツも両立させるという意味で、よいイメージが持たれますね。わが子、わが孫であれば、是非、そうあって欲しいと願う人は多いのではないでしょうか。

 しかし、国のあり方として、「文武両道」というのはいただけません。

 雑誌『世界』は、6月号から、『文一道でゆく』と題する評論(筆者は元東京新聞・中日新聞論説委員の桐山桂一氏)を連載しています。日本国憲法制定時の憲法担当大臣・金森徳次郎の議会答弁に基づいて、日本国憲法の成り立ちを説き明かし、憲法改悪の企みに異を唱える内容で、多くの方に是非読んで頂きたいと思います。金森の答弁は、そっくり今日の状況に転用されることをご理解頂けるでしょう。

 個人的なことをいいますと、金森は、私にとって高校、大学の大先輩、遠くから仰ぎ見る存在です。

 金森は、愛知一中(現在の愛知県立旭丘高等学校)、一高、東大を経て、1912年大蔵省入省、その後法制局に転じ、1934年、岡田啓介内閣で法制局長官を務めました。
 1935年、右翼・軍部が天皇機関説事件で騒ぎ立てると、議会でも、普段はコンコンとしか鳴かない筈のキツネ議員どもが、このときとばかりに虎の威を借り、ウォー、ウォーと吠えまくります。答弁に立った金森は、「学問のことは政治の世界で論じない方がよい」とはねつけますが、右翼・軍部の攻撃はますます盛んになり、1936年、金森は退官に追い込まれました。
 退官後の金森は、文字通り警察や憲兵の監視下に置かれます。

 雌伏10年、1945年12月、元法制局長官の資格で、貴族院議員に勅任され、1946年5月に、吉田内閣で、憲法担当の国務大臣に就任、憲法制定議会となった第90帝国議会で、日本国憲法の意義、精神を情熱的かつ説得的に語る数々の名答弁を生み出すことになりました。

 その金森が、日本国憲法第9条を評して、これからの日本は「文一道で行く」ことを選択したのだと述べているのです。

 戦前、日本は、「文武両道」と言いつつ、「武一道」で突っ走ったことを思い起こしてみると、この言葉はみごとに憲法9条の趣旨を言い表していると思います。

 今年の5月3日は、憲法施行70周年の記念すべき日でした。この日、安倍首相は、憲法9条1項、2項をそのままにして、新たに3項として自衛隊の存在を明記する規定を置く、東京オリンピックが開催される2020年には、新しい憲法を施行できるようにしたいとの決意を表明しました。

 わが国は、憲法9条により、これからの日本は「文一道で行く」と世界に宣言しました。これは、武のもたらす悲惨を目の当たりにした国民の心に強い共感を与え、深く、広く支持され、現在に引き継がれています。

 ところが安倍首相は、再び、「文武両道」を唱えているのですこれは、「武一道」への第一歩。東京オリンピックに軍靴の足音を忍びこませてはなりません。

明治維新という時代

大西郷は永続革命をめざしたのか?(24)  最終回
 
(まとめ)その3


―アーネスト・サトウの見た最後の西郷の印象から―

 ながながと書き綴ってきた本小論も、いよいよ最後を迎える。

 ここで種明かしをしておこう。この小論のタイトル『大西郷は永続革命をめざしたのか?』は、橋川が引用した『現代の理論』1968年1月号の司馬・萩原対談中で萩原が発した「パーマネント・レボリューション」という一語からとったものである。

 萩原は、この対談から8年後の1976年10月から、「朝日新聞」夕刊で『遠い崖』の連載を開始した。この連載は、延々1947回という最長不倒距離を記録して、1990年12月に終わった。私も、時々、拾い読みしたことはあったが、本年3月、この連載ものをまとめた『遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄』(朝日文庫全14冊)を通読してみて、強い感銘を受けた。これほどに幕末・維新の時代を、膨大な資料を駆使し、広く見渡し、かつ深く抉った著作は、かつてあっただろうか。失礼ながら、司馬遼太郎の一群の幕末・維新を描いた諸作品と比べると、知的刺激力という点においてこの著作の方が格段に勝っていると私は思った。これは、歴史ドキュメンタリーと歴史小説というジャンルの違いにのみ帰せしめられないように思われる。

 『遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄』の主要登場人物の筆頭は、なんと言ってもアーネスト・サトウである。最後の話に入る前に、彼が、どんな人物であったかざっと見ておくこととする。

 サトウは、1843年6月30日、ロンドンで生まれた。父は元スウェーデン人の貿易商で、ナポレオンの興亡時代に、スウェーデン、ドイツ、フランス、ロシアと国籍や住居を転々と変え、1825年以後イギリスに定住、イギリス国籍を取得した。サトウというと、日本名ではと訝る人もいるかもしれないが、そのスペルはSatow、日本名ではない。ハンザ同盟で有名なリューベックとロストックの中間あたり、バルト海に臨むところにヴィスマールという港町がある。そこにSatow(「種をまく人の村」という意味だとのこと。)という地名のところがあるそうである。サトウの出自はこのあたりのようである。
 サトウは、ロンドンのユニバーシィティ・カレッジで学んでいた18歳のとき、イギリス外務省の通訳生試験に合格、同校卒業と同時に、希望通り日本駐在を命じられ、1861年11月、イギリスを立った。途中、北京での研修があったりして、横浜に着いたのは、1862年9月8日のことであった。ここに在日本イギリス公使館日本語通訳官としてのサトウのキャリアが始まる。
 サトウは、類まれな語学力と探究心、それに誰よりも秀でた行動力を生かし、勝海舟をはじめ幕府要人、西国雄藩の諸大名やその近臣たちとの接触だけではなく、薩摩、長州を中心とする討幕派志士たちと交わりを持った。その中には、勿論、西郷もいれば、大久保、伊藤もいる。サトウは、こうした活動を通じて、イギリスに、対日政策策定のための貴重な情報をもたらした。
イギリス公使パークスは、本国の指示もあって、公的には、幕末動乱期にも外交実務においては条約締結当事者である幕府とのパイプは維持するが、政治的には、幕府、討幕派のいずれにも加担しないという慎重な姿勢をとっていた。しかし、サトウは、自由奔放に活動し、来日後間もない時期に著した「英国策論」で、日本の主権者は天皇であり、大君(将軍)は、多くの大名諸侯のうちの首座の位置にあるに過ぎないと論じ、討幕派志士たちの間に、イギリスは討幕派に好意的であるとの風評を高めた。
 サトウは、1870年、日本語通訳官から日本語書記官に昇進、名実ともに在日本イギリス公使館の対日外交実務を取り仕切る地位につく。それから25年後の1895年7月に、駐日公使となり、三国干渉の時代に、後に日英同盟に発展する良好な日英関係形成に努めた。しかし、サトウの真骨頂は、なんと言っても西欧における当代随一の日本学者であったことである。
 サトウは日本女性との間に二人の子をもうけている。二男は武田久吉。著名な植物学者であり、日本山岳会の創立者でもある。

 さて、そのサトウが、1877年2月、一触即発状態にある鹿児島の情勢視察と、旧友で鹿児島県立病院の院長として病院経営と医師の指導・教育にあたっていたウイリアム・ウィリスの状況確認のために、鹿児島に赴いた。到着は、2月2日のことだった。既に、現地は、警視庁大警視川路利良が送り込んだとされる警官らの摘発が進み、西郷暗殺計画なるものが既定の事実となって鹿児島士族を激昂の渦に呑みこんでいた。私学校生徒による陸軍砲兵廠の火薬庫襲撃も起きていた。動乱はもはや止めようがなくなっていた。

 2月11日、西郷は、ウィリス宅を訪ねてきた。ウィリスが面談を申し入れていたからだが、おそらく旧知のサトウが、はるばる鹿児島まで来ていることを知って、別れの挨拶をしておきたいということもあったであろう。サトウは、このときのことを次のように日記に書きとめている。

 「西郷には約二十名の護衛が付き添っていた。かれらは西郷の動きを注意深く監視していた。そのうちの四、五名は、西郷が入るなと命じたにもかかわらず、西郷について家の中へ入ると主張してゆずらず、さらに二階へ上がり、ウィリスの居間に入るとまで言い張った。結局、一名が階段の下で腰をおろし、二名が階段の最初の踊り場をふさぎ、もう一名が二階のウィリスの居間の入り口の外で見張りにつくことで、収まりがついた。」
 「会話は取るに足りないものであった。」


 これは西郷の出陣六日前のことである。

 ようやく結論を書くときが来た。西郷は、決して自ら立ったのではない。旧知のなつかしいサトウ、戊辰戦争末期に傷病を負った薩摩藩兵の治療でひとかたならず世話になったウィリスとの別れのあいさつの場にさえ、護衛という名の監視下に置かれ、「取るに足りない」会話しかできなくなっている西郷は、もはや決起した鹿児島士族の虜囚にしか過ぎなかった。

 西郷は、幕末・維新の時代を一革命家として駆け抜けた。しかし、それは明治六年の政変までのことであった。西南戦争は、西郷にとっては永続革命の戦場ではなかったのである。

 提一灯行暗夜   一灯をささげて暗夜を行く
 勿憂暗夜     暗夜を憂うることなかれ
 只頼一灯     ただ一灯を頼め


 これは江戸時代の儒者・佐藤一斎の『言志晩録』にある言葉である。西郷の座右の銘だったという。1877年2月17日に出陣してから、同年9月24日、城山に果てるまで、西郷の脳裏に、この言葉が去来することはもはやなかっただろう。

                       (完)

明治維新という時代

大西郷は永続革命をめざしたのか?(23)

(まとめ)その2

―橋川文三『西郷隆盛の革命性と反動性』から―

 丸山真男の異端の弟子、橋川文三が『西郷の革命性と反動性』という興味深い一文を書いている(『橋川文三セレクション』岩波現代文庫所収)。

 橋川は、遠山茂樹『明治維新』(橋川が読んだのは岩波全書版であるが、今は、岩波現代文庫で読める。)の次の文章を引用して考察を深めていく。

 「『此時に当り、反するも誅せらる。反せざるも誅せらる』の窮地に追い込まれた西郷は、ついに二月、逸る部下に擁せられて挙兵した。西郷起つの報は、自由民権派に大きなショックを与えた。熊本民権派は、ルソーの民約論を泣き読みつつ、剣をとって薩軍に投じた。」
 
 多くの歴史家から不平・没落士族の最後の反動的で無謀な決起によって引き起こされたとされているこの西南戦争が、そのように単純なものではなく多様で雑多なエネルギーが流入していたことを知る思想家橋川にとっても、なおルソーの名と結びつく一面をもっていたということは、刺激的なことであった。

 このルソーの民約論を泣き読みながら西郷軍に投じた人物は、橋川によると、孫文を支援し、辛亥革命の成功に寄与したアジア主義者・宮崎滔天の長兄・宮崎八郎である。八郎は、東京で中江兆民に師事し、兆民訳の『民約論』を熊本にもたらした。彼は、帰郷した後、熊本において、これを普及させ、自由民権運動の先頭に立っていた。
 
 橋川は、八郎から、中江兆民へ、更にはその弟子幸徳秋水へと連想の糸を伸ばしてゆき、秋水全集から、秋水の師兆民を評した次の一文を引用する。

 「先生が平生いかに革命家たる資質を有せしかは、左の一話を以て知るべし。先生仏国より帰りて幾ばくもなく、著すところの策略一篇を袖にし、故勝海舟翁に依り、島津久光公に謁せんことを求む。(略)先生拝伏して曰く、嚮日献ずるところの鄙著(筆者注:「先日献呈した私の著書」)清覧賜えりや否や。公曰く、一閲を経たり。先生曰く、鄙見幸いに採択せらるるを得ば深甚なり。公曰く、足下の論甚だ佳し、只だこれを実行するの難きのみと。先生乃ち進んで曰く、何の難きことこれあらん、公宜しく西郷を召して上京せしめ、近衛の軍を奪うて直ちに太政官を囲ましめよ、こと一挙に成らん、今や陸軍中、乱を思うもの多し、西郷にして来る、響の応ずるが如くならんと、云々」

 兆民の革命的ロマンティシズムを秋水はみごとに描き出している。橋川は、この一文を引用した上で、兆民が、いかに西郷を敬愛していたか、西郷の死をどれだけ惜しんでいたことかと論を進める。

 橋川の言わんとするところは、西郷の革命性、西南戦争の革命性という側面にも正当に目配りをしなければならないということにあるように思われる。

 橋川は、今はもう廃刊となってしまった雑誌『現代の理論』1968年1月号にのった司馬遼太郎・萩原延壽の対談中の、萩原の次の発言を引用している。

 「“明治維新はこれじゃない”という西郷をどういうふうに考えられるかという問題ですね、いわばデモクラットの先駆だという形で西郷を見ることもまったく不可能ではないわけです。それからパーマネント・レボリューションという形の、一種のアナーキズムと見ることも可能であろうし、云々」

注:西郷の談話を記録した『西郷南洲翁遺訓』に、「今となりては、戊辰の善戦もひとえに私に営みたる姿になり行き、天下に対し戦死者に対して面目なきぞとて、しきりに涙を催されける」という有名な記述がある。萩原の発言は、これに関連してのコメントであろう。

 橋川はこの発言を肯定的に受け止め、たしかに西郷を一種独特のラジカル・デモクラットと考えることも不可能ではない、逆にいえば、大久保⇒伊藤の路線が日本を最も好ましい国家に作りあげたわけではなく、西郷の一見空漠たる東洋的な道徳国家のヴィジョンの中にあり得べきもう一つの国家像を見出すこともできる、と言う。

 ここまでお読みいただいた方々は、橋川のいうところを了とされるであろう。
  
                                (続く)

明治維新という時代

大西郷は永続革命をめざしたのか?(22)

(まとめ) その1

 話は、西郷という一政治家の問題から、明治六年の政変の本質論、明治十四年の政変論、さらには伊藤らの採用したプロシア流疑似立憲主義の弊害や後遺症の問題にまで広がってしまった。そろそろ本小論のタイトル『大西郷は永続革命をめざしたのか?』の守備範囲に戻ろうと思う。
 その前に、一点だけ補足しておきたい。

―西郷は遣朝使節早期派遣に何故こだわったか?―
 
 ここまでお読みいただいた方の中には、西郷は、征韓論に敗れたから下野したのではないということはわかったが、何故、あれほどまでに遣朝使節早期派遣にこだわったか、この点がモヤモヤしている方もおられるのではなかろうか。何を隠そう、わたし自身もそうである。

 この点について、私は、当該部分を書き綴っているときには、不義の戦いを仕掛けられたら後退しないで徹底的に戦うというのが激動の幕末の修羅場を駆け抜け、王政復古のクーデター、戊辰戦争を戦い抜いた志士、西郷の本性であり、また時の勢いというものもあったのだろうと考えていた。しかし、これだけのことでは、伊藤の描いた絵にまんまと乗せられたことを自認するに等しく、癪ではないか。
 そこで、もうひとひねり考えてみた。西郷は、もっともらしい理屈をつけて西郷の平和的遣朝使節の派遣を延期させ、時期を見て、武力による威嚇によって手っ取り早く朝鮮を屈服させようという大久保、伊藤、岩倉の奇手(事実はそのとおり進んだ。)をきちんと読み切っていたが故に、敢えて形になずまず愚直な手を選んだのではないかと。
 だが、それでもまだしっくりしない。西郷は、もう少し先のところまで手を読んでいたのではないだろうか。

 以下述べることは、疑問符をつけたままとせざるを得ないが、一応の読み筋を明らかにしておくこととする。

 検討してみる必要があるのは、西郷が次ように語っていることの意味である。これは、戊辰戦争時の西郷の寛大な処置に感激して西郷を慕っている旧庄内藩藩士酒井玄蕃が、1874年1月、わざわざ鹿児島を訪れ、下野後の西郷に面談した時の西郷の談話を書きとめたものである(同人の『心覚えの大意』と題する覚書)。わかりにくい表現があり、解読するのが難しいが、原文カタカナをひらがな表記にあらためるにとどめた。

 「今日の御国情に相成り候ては、所詮無事に相済むべき事もこれなく、畢竟は魯と戦争に相成り候外これなく、既に戦争と御決着に相成り候日には、直ちに軍略にて取り運び申さずば相成らず。只今北海道を保護し、夫にて魯国に対峙相成るべきか。左すれば弥以て朝鮮の事御取り運びに相成り、ホセットの方よりニコライ迄も張り出し、此の方より屹度一歩彼の地に踏み込んで北地は護衛し、且つ聞くが如くんば、都留児へが魯国よりも是非此の儘にては相済み申さず、震って国体を引き起こせと、泣いて心付け候由、又英国にても同じく泣いて右の通りにいたし候趣、此れ何故に候や。」
 「兼ねて掎角の勢いにて、英・魯の際に近く事起こり申すべきと、此の頃亜国公使の極内の心付けもこれにあり、且つ欧羅巴にては、北海道は各国雑居の地に致し候目論見頻りにこえありと相聞き、大方其の事も近々懸け合いに相成るべく、兎に角英にて、海軍世界に敵なく候間、却って北海道は英・仏へ借し候方は如何などと申す事にて、欧羅巴においても魯の北海道目懸け候は、甚だ以て大乱に関係いたし候。右故趣向も付け候には相違これなく、右の通りの事情に候得ば、日本にて其の通りに奮発いたし候とならば、都留児においても是非一と憤発は致すべく、左すれば弥英にて兼ねてよりのホー蘭土より事を起こすには相違なく、能能(よくよく)英国と申し合わせ、事を挙げ候日には魯国恐るに足らずと存じ奉り候。」


 まず文意を確認しておこう。
 ホセットはポシェット、ニコライはニコライエフスク、いずれもロシア沿海州の港湾である。都留児はオスマン・トルコ、掎角の勢いとは相争う状態。ロシアの南進策により、樺太への圧迫が強まり、現地に居住する日本人の安全が確保できない状態となっている。それだけではなく、やがて北海道にまでロシアの勢力が及ぶ勢いである。これを阻止するためには、戦争は避けがたい状況にある。
 ロシアは強国である。しかし、ロシアはイギリスと、ポーランド、トルコをめぐって一触即発の状態である。従って、断然、ロシアとの開戦も辞せず、断固たる措置をとるべきだ。
 言わんとしていることは、こんなふうなことではなかろうか。

 既に見たように、政変前の1873年9月19日付鮫島宛ての手紙では、岩倉もロシアによる樺太圧迫が緊急課題で、すぐに談判を始めなければならないとの認識を示していたし、10月14日の閣議でもその趣旨の発言をした。ただ彼の場合は、日和見的で当面の弥縫策を考えていたに過ぎなかった(それは1875年5月、千島樺太交換条約として実現される。)。
 一方、西郷の認識は、ロシアの南進は不可避であり、その侵略を阻止するために、強国ロシアとの戦争は避けがたいというところまで追いつめられているという差し迫ったものである。西郷は、イギリスとの連携に言及しているが、ロシアとの戦争を覚悟するということになれば、それだけでは不足があると考えた。

 ここで1875年10月8日付の西郷が篠原冬一郎こと国幹に送った手紙の次の文面を思い起こしてみよう。

 「朝鮮の儀は数百年来交際の国にて、御一新以来、その間に葛藤を生じ、既に五、六ヶ年談判に及び、今日その結局に立ち至りそうろうところ、全く交際これなく人事尽くしがたき国と同様の戦端を開きそうろう儀、まことに遺憾千万に御座そうろう。」

 既に清国とは対等・平等の日清修好条約に締結し、友好協力関係を確立しているが、それに引き続き、朝鮮とも同様の条約を締結し、友好協力関係を確立することが喫緊の課題だ。これによりロシアの侵略と戦うことができる。

 このように西郷は考えたのではなかろうか?


                (続く)
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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