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民主党蓮舫代表への執拗な批判を目にして

 今日、7月19日配信の東洋経済オンラインの安積 明子氏(「ジャーナリスト」との肩書を付している。)の『二重国籍疑惑を報じると「差別主義者」なのか 批判者を敵視する蓮舫氏の姿勢は変わらず』と題する記事を読んだ。この人が、どんな人か、私は、全く知らないが、以下の部分が気になり、敢えて論評することにした。

 「そもそも野党第一党である民進党の代表に就任することの意味は、政権交代が起こった場合は総理大臣に就任する可能性があるということだ。では総理大臣は二重国籍保有者でいいのか。現在の日本の法制度は、原則として二重国籍を認めていない。

 これを「差別」と主張する人もいるが、国民を代表し国政を担う地位に就くには、厳密なルールが必要であることも事実だ。

 (中略)

 たとえばオーストラリアでは二重国籍者が議員になることは憲法で禁じられている、米国大統領になるには「出生による市民権保有者」でなければならない。こうした例を見ても、公務就任権は天賦の人権とはいえないだろう。

 (中略)

 一方で蓮舫氏は、納得をしているわけではないようだ。国民が蓮舫氏に求めているのは戸籍の開示という行為ではなく、国や国民に対する誠意である。にもかかわらず、7月13日の定例会見で蓮舫氏はそのような国民の声を『差別主義者・排外主義者』と呼んだのだ。オバマ前大統領が出生証明書の公表にあたって、『差別主義者・排外主義者への対応』と発言していれば大問題になっていただろう。」

 この記事には、三つの疑問がある。

 一つ目は、わが国国籍法の誤解があるということ。わが国国籍法は、「国籍唯一の原則」をとっているが、結果的には二重国籍者の存在を承認せざるを得ないという立場をとっている。つまり二重国籍者は違法の存在ではない。この微妙な勘所を無視して、安積氏のように「現在の日本の法制度は、原則として二重国籍を認めていない。」と断定してしまうと、二重国籍者は、違法の存在であるという印象を読者に与えてしまう。おそらく安積氏も、それが目的ではなかろう。やはり言葉は正確に使いたいものだ。
 わが国国籍法が、このように微妙な立場をとっているのは、現在のグローバル化した国際社会において国境を超えた人の往き来が常態化していること、国よって国籍取得原因の相違(大きく分ければ出生地主義と血統主義の二つ)があり、二重国籍を防ぎようがないこと、二重国籍の禁止の大原則を打ち立てれば大混乱をきたし、実効を期し得ないこと、さらにつけ加えれば、国際社会において二重国籍を容認する国が、先進国を中心に多数であることなどが考慮されているのだろう。

注:二重国籍を認めている国
アメリカ合衆国、イギリス、アイルランド、フランス、イタリア、オランダ、デンマーク、フィンランド、スペイン、ポルトガル、スイス、カナダ、ロシア、スロバキア、チェコ、ギリシャ、イスラエル、オーストラリア、ニュージーランド、メキシコ、コロンビア、ブラジル、ペルー、パラグアイ、ウルグアイ、トルコ、ナイジェリア、モロッコ、南アフリカ共和国、コートジボワール、台湾、フィリピンなどで。
とりわけヨーロッパでは、1997年、ヨーロッパ国籍条約において、出生や婚姻などで多重国籍となった場合にはこれを容認しなければならないという規定が盛り込まれている。


 このようなことからすれば、むしろ「国籍唯一主義の原則」の建前を現実にあわせ、国籍法14条の国籍選択を迫る条項や、残存国籍を離脱する努力義務を定める同法16条1項の規定の方を改正するべきではなかろうか。

 二つ目は、政治リーダーとしてのあり方という政治的・道義的な問題と、公的地位につく者の法的資格の問題を混同しているということである。わが国は、法的規制はないのであるから、安積氏は、政治的・道義的問題を論じているのであろうが、それならそのことをはっきりさせた上で、ただ法的規制をもうけている他国の事例をあげるだけではなく、その実質的根拠を示さなければならない。

 三つ目は、蓮舫代表が、7月13日の定例会見で『差別主義者・排外主義者』に言及したことをもって、7月18日の説明も「国や国民に対する誠意」がないと評価しているらしいことである。
 どうも安積氏には、一部のネット上での論評、或いは右派マスコミでのこの問題の取り上げ方が『差別主義』的、『排外主義』的であるとは見えないようだ。だが、これらでの取り上げ方に『普通の国民』とは一線を画するものがあったことは明らかである。
 蓮舫代表は、7月18日に記者会見では、『差別主義者・排外主義者』ではなく、『普通の国民』に語りかけたものであり、私は、評価できるものであったと思う。

 民主党には、これを機に、野党の主軸、無党派と野党の結び目として、歩みを進めることを、期待したい。

                              (了)

蓮舫代表がんばれ!


 民進党・蓮舫代表は、7月11日の都議選総括のための同党幹部の会合で、支持率が上がらない要因として二重国籍問題を挙げる議員もいるとして、あらためて説明を求める声が上がったことを受けて、今日18日の夕方、記者会見を開き、戸籍を公開するなどして、説明をするとのことだ。

 民進党の中には、ヘイトスピーチまがいの主張に、いまだに毅然とした反論を加えることができない人がいることに驚くとともに、民進党の支持率が上がらない原因を、こんなことに求めている人がいることを知って、強い違和感を覚えた。民進党の支持率があがらないのは、先の民進党政権が、国民の期待を裏切ってしまったことに対する明確な総括がなされていないこと、その総括の上に立って、安倍政権を支持しない人たちを結集するための積極的な政権構想を打ち出せていないこと、この二つが原因ではないだろうか。

 そうした根本課題への対応は、今日の夕方の記者会見には無理だとしても、安倍離れの色を鮮明にしている国民の多数派の心の受け皿として、野党、無党派の人々による「国民主権、基本的人権尊重、恒久平和主義、三権分立と地方自治という憲法原則」を守る国民連合政権を呼びかけ、その実現の先頭に立つことによって、一気に支持率を挽回することができるだろう。情勢は、急転しているのだ。

 それにしても民進党はだらしがない。蓮舫代表は、個人的には、泣きたくなるほど辛く、情けない気持ちでいっぱいであろうが、大所、高所から、決断したのだろう。

 折角の機会だから、二重国籍問題に対する民進党の統一見解を示し、国民に訴えかけるべきだと思う。要点は次の二点ではないかと思う。

① わが国の国籍法2条第1号の規定により、蓮舫代表は、生来的に日本国籍を有するものである。これをそのまま尊重するのが国籍法の基本である。瑣末な言動、手続きミスなどをあげつらい、非難を浴びせかけるのは、不当である。

② 各国国籍法の相違、競合により、二重国籍は、避けようがない。わが国の国籍法は、「国籍唯一の原則」に立っているが、果たしてこれは現在のグローバル化した国際社会において、適正・妥当なのか。あわせて国籍法14条の国籍選択を迫る条項は適正・妥当か。さらには残存国籍を離脱する義務(努力義務と解される)を課している同法16条1項の規定は適正・妥当か。

 右派マスコミの記事、ネトウヨまがいのブログやツィッターでは、蓮舫代表が、中国の国籍を残しているなどとまことしやかに述べたてられている。しかし、これは日本政府の一つの中国政策に基づく台湾不承認から導き出した究極の“It's ridiculous !”ある。

 仮に中国国籍を問題にするなら中国国籍法が「外国に定住している中国公民で、自己の意思によって外国の国籍に入籍し又は取得した者は自動的に中国国籍を失う。」と定めていることから、そもそも二重国籍問題は架空の話になってしまうのである。

 蓮舫代表の政治姿勢には、私は、必ずしも賛同するものではない。しかし、蓮舫代表は、右派マスコミやネトウヨ紛いの言動に屈することなく、これを機に、国民とまっすぐ向き合う大衆政治家になって欲しい。あれやこれやと忖度することはなにもないのだ。

                             (了)

「別の道がある」("Another World is Possible.")

 祇園精舎の鐘の声  諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色  盛者必衰の理をあらわす
 おごれる人も久しからず  ただ春の夜の夢のごとし
 たけき者もついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ

 7月17日付「朝日新聞」朝刊の第二面の記事『解散、制約消えたが 衆院選区割り改正法施行』は、支持率急落後の安倍政権の混迷ぶりをレポートしている。

 「都議選惨敗と支持率急落で強気のシナリオが揺らぎはじめた今、憲法改正は首相の解散戦略にとって制約要因となりそうだ。」

 「次の衆院選で首相が大勝し、再び3分の2の改憲勢力を得るのは『非現実的』(閣僚経験者)との見方が支配的だ。そうなると、改憲勢力で3分の2以上を占める今の議席のうちに国会発議をめざすしかない。」

 「国民投票は発議後60日~180日の間に行われる。いまの衆院議員の任期は来年12月13日までで、この国民投票の周知期間をにらみながら解散時期を探ることになる。状況次第では、タイミングを見いだせないまま任期満了近くまで追い込まれる可能性もある。
 このため政権内には改憲をいったん棚上げし、『中長期的な視点で仕切り直した方がいい』(首相周辺)との声もある。8月初旬の内閣改造で政権基盤を立て直し、支持率を浮揚させ、与党で過半数の議席確保が見込めるタイミングで衆院解散に踏み切って政権維持を最優先とする抜本的な修正シナリオだ。
 ただ、首相が旗印として掲げた憲法改正のスケジュールを一時的にでも引き下げれば、保守勢力の離反を招く可能性がある。求心力がさらに低下し、党内で『ポスト安倍』をうかがう勢力が勢いづけば、総裁選での3選も見通せなくなるかもしれない。」

 「自ら掲げた憲法改正が足かせとなり、首相は前に進むのも後ろに下がるのも大きなリスクを抱えている。」

 
 安倍一強の下で、戦後最長かつ最強の保守政権への揺るぎない道を歩んでいるかに見えた安倍政権。ついこの間までは「『安倍一族』にあらずんば人にあらず」とばかりに、得意の絶頂にあった安倍首相。ついひと月ほど前までのことだ。

 今や、一転して、このありさまである。もっとも、安倍一強は、実は、見かけ倒しで、「もともと支持基盤が広いわけではない。塊のような消極的支持に支えられてきた」に過ぎないと見る向きもある。

 しかし、自民党、公明党の多数派は、まだまだ打つ手はある、よしんば安倍はだめでも自公で次の政権を担えばよいと、見ているのではないか。野党が、このていたらくでは、「この道しかないのだ(“There is no alternative.”)」と言っているようである。

 一昨日、私は、当ブログで「野党・無党派による『憲法を守る』国民連合を」と訴えたが、鍵はやはり民進党のようだ。民進党には、共産党に対して、黙って支持してくれるのなら歓迎するが、連立政権を組むことには否定的な人たちが多いようだ。だが、ここで一度考え直してほしい。「毎日新聞」は、先の都議選では、共同通信社など7社と共同で東京都議選の出口調査の結果として、。政党支持率は、都民ファースト27%、自民23%、共産10%、民進6%、無党派層18%、無党派層の投票先は都民ファースト候補30%、共産党候補20%、自民党候補13%であったと報じている。共産党は、国民の中に、完全に市民権を得ていると言ってよい。

 共産党と組むことが政治体制を一変させることを意味するものではないことは常識である。既に述べたように「国民主権、基本的人権尊重、恒久平和主義、三権分立と地方自治という憲法原則」を守る国民連合政権構想は、現実的だ。

 きっと国民の多数は、言うだろう。「別の道がある」("Another World is Possible.")と。

                            (了)

『ほたるのひかり』

 ほたるのひかり、まどのゆき、ふみよむつきひ、かさねつゝ、
 いつしかとしも、すぎのとを、あけてぞけさは、わかれゆく

 とまるもゆくも、かぎりとて、かたみにおもふ、ちよろづの、
 こゝろのはしを、ひとことに、さきくとばかり、うたふなり

 唱歌「ほたるのひかり」は、今でも卒業式には欠かせない。実際に歌われるのは、上記の一番、二番だけだろう。

 この歌がつくられたのは明治14年。同年11月に発行された文部省教科書『小学校唱歌集初編』におさめられていた。「明治六年の政変」に引き続き、大隈重信を追い落とした「明治十四年の政変」の直後、まさに薩長藩閥専制政治が確立したときである。

 同書におさめられたこの歌の三番、四番の歌詞は次のとおりである。

 つくしのきわみ、みちのおく、うみやまとほく、へだつとも、
 そのまごころは、へだてなく、ひとつにつくせ、くにのため

 ちしまのおくも、おきなはも、やしまのうちの、まもりなり
 いたらんくにに、いさおしく、つとめよわがせ、つゝがなく

 今、三番、四番まで歌うところは、ないだろうし、知っている人も殆どいないのではなかろうか。しかし、文部省唱歌として、学校教育の場で、歌われるようになった当時は、この三番、四番こそ、ひときわ大きな声で歌うように指導されたことだろう。

 四番の前半は、時代ととも、次のように変遷しているそうだ。

① ちしまのおくも、おきなわも、 やしまのそとの、まもりなり

② ちしまのおくも、おきなはも、やしまのうちの、まもりなり

③ ちしまのおくも、たいわんも、やしまのうちの、守りなり

④ たいわんのはても、からふとも、やしまのうちの、まもりなり

 一々解説するまでもなく、たいがいの人は、①と②、②と③、③と④の時代を画する出来事を了解することができるだろう。

 1872年8月、岩倉使節団の留守を預かったいわゆる「留守政府」は、「学制」を制定した。その中で、最も重要なのは、義務教育制度をもうけたことだ。大学区、中学区、小学区とピラミッド型の学区をもうけ、全国を53760の小学区に、各1校の小学校を設置、そこで上級・下級それぞれ4年、合計8年間の義務制教育を施すこととし、教育の国家統制を宣言したのである。しかし、一方で、この学制には、実学優先で、個人主義を推進する要素もあったと言われる(三谷太一郎『日本の近代とは何であったか―問題史的考察』岩波新書)。

 薩長藩閥専制の明治政府にとって、教育とはまずもって産業と戦争のよき戦士を作り出すことであった。

 1890年10月30日に発布された教育勅語は、その極北であった。

 日本国憲法の下では、教育は、民主政治の担い手である国民、この憲法が保障する「自由及び権利」を普段の努力によって保持すべき使命を負う国民を作り出していくことである。

 そのことが分かっていない人たちは、政治家失格である。

                                (了)

野党・無党派による「憲法を守る」国民連合を

 時事通信が7日~10日に実施した7月の世論調査で、内閣支持率は29.9%(前月比15.2%減)で、第二次安倍政権発足以来最低、不支持率は48.6%(前月比14.7%)で、同じく最高、となった。

 7日~9日に実施された「NNN」、「読売」、「朝日」、「NHK」の世論調査の結果も踏まえると、もはや安倍内閣は「死に体」の様相を呈している。

 問題は、こういう場合、憲政の常道は、野党が政権の受け皿を作り、倒閣運動を起こすことであるが、現実には、その力量を野党が持っていないということである。

 「朝日」が8、9日に実施した世論調査によると、政党支持率は、自民30%、民進5%、公明4%、共産4%、維新1%、自由0、社民1%、などで、支持政党なしが43%、答えない・分からないが7%であり、「仮にいま、衆議院選挙の投票をするとしたら、比例区ではどの政党に投票したいと思いますか。(択一)」への回答は、自民37%、民進12%、公明8%、共産10%、維新6%、自由1%、社民2%、日本のこころ1%などで、答えない・分からないが22%であった。

 このままでは、安倍政権の延命、もしくは仮に安倍政権が自壊しても自公による安倍亜流政権が綿々と続くことになりそうだ。

 しかし、起死回生の策はないでもない。それは、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪反対、運動を担ってきた野党と無党派の学者・市民グループが、早期に、大きく、骨太な国民連合政権構想を打ち出すことだ。

 勿論、政権構想だから、実現すべき政策を打ち出さなければならない。私は、政策の要は、憲法を守るというということではないかと思う。
 国民主権、基本的人権尊重、恒久平和主義、三権分立と地方自治という憲法原則に照らして、現状は、どこがどのように乖離してしまっているかいるかをまず俎上に乗せてみることだ。そうすればおのずからそれの是正が課題として明確になってくる。
 もう少しイメージを具体化すると、1980年代の中曽根内閣以後の新自由主義、軍拡、対米従属・一体化路線によって、憲法が、蹂躙されてきた足跡をたどり、どこをどのように是正すべきかをチェックし、そのうち当面実現すべきものを書き出してみることである。

 憲法を守るという基本線をもうけるなら、安保・外交政策や経済政策(エネルギー政策や税制を含む)など、各野党の党是に関わる分野でも、一致を見出すことは可能である。

 各野党は、自己主張を出来る限り抑制しなければならないが、それをしなければ、情勢を切り開くことはできない。

 「憲法を守る」という一点で、野党と無党派は大同団結できる筈だ。「憲法を守る」国民連合、私は、おおいに期待している。すみやかに政策検討会議と衆院選候補者調整プロジェクトチームを立ち上げて欲しいものだ。

                       (了)

漱石生誕150年 『坊っちゃん』の読み方一例(下)

 『坊っちゃん』の重要な登場人物に、山縣有朋が擬せられているらしいことがわかると、この小説は、よそ行きの顔の下から地の顔を見せてくるようである。
 よそ行きの顔とは、痛快な悪童物語、悪漢と正義漢をそれぞれコミカルに描写しつつ、正義漢が悪漢をこらしめる勧善懲悪の滑稽譚である。地の顔とは、当時の政治、政界を批判する風刺小説である。

 『坊っちゃん』が書かれた1906年3月当時といえば、万歳の声に沸き立った日露戦争も、終わってみると、多大な犠牲の上に成し遂げられた「薄氷の上の勝利」に過ぎないことがわかり、膨大な戦費調達のツケが国民生活を直撃している状況で、国民の失望、落胆、政府への批判の声は、朝野を覆っていた。

 当時の政界の上層部はどうなっていたか。

 既に二度にわたって首相を務め、帝国陸軍に不抜の政治基盤を築いていた山縣は、元老の一人として、伊藤博文さえもしのぐ実力を持ち、政界を支配していた。桂太郎は、山縣の一の子分、その温厚な人柄と巧みな政界遊泳術から、当時の新聞記者にニコポン(ニコッと笑って、肩をポンとたたく)宰相と揶揄される程で、山縣のタイコ持ち(幇間)と評されていた。その桂に協力し、日露戦争の難局を乗り切るのに貢献したのが西園寺公望であった。西園寺は、1906年1月に、山縣の仕切りの下で、桂から政権を引き継ぐ。西園寺は、フランスに留学した経験のあるハイカラ貴族である。
 以後、1913年1月まで、山縣の仕切る水面下での談合により、桂、西園寺による政権たらい回しの時代が続く。世に言う桂園時代である。

 漱石は、日露戦争中に、『吾輩は猫である』を書き始め、作家デビューを果たしたが、その中で、赫々たる戦果に沸き立ち、強国への道をひた走る当時の日本の民衆や指導者に対する強い違和感を、苦沙弥のセリフを通じて表現している。『坊っちゃん』の二年後に書かれる『三四郎』では、広田先生の口を通じて、これからの日本は「亡びるね」と言わせている。晩年の作『こころ』になるとずっと内面的で文明批判的になるが、エスタブリッシュメントへの批判精神は旺盛かつ健在である。

 1906年3月の漱石は、政治と政界の腐敗、堕落、それに敢然と立ち向かうことができない国民のありように、苛立ち、憤慨し、これを書かずにはおれない心境にあったであろうことは容易に推測できる。

 当時の出版法を見ると、表現の自由は、厳しく制限されていた。同法19条には次のように定められている。

 「安寧秩序ヲ妨害シ又ハ風俗ヲ壊乱スルモノト認ムル文書図画ヲ出版シタルトキハ内務大臣ニ於テ其ノ発売頒布ヲ禁シ其ノ刻版及印本ヲ差押フルコトヲ得」
 
 しかし、漱石ともあろうものが、こんなものにひっかけられるようなストレートな書き方をする筈はない。そこでわかる人にしかわからない記号と、記号解読のキーを散りばめつつ、よそ行きの顔の下に地の顔を埋め込むようにして書いたのが『坊っちゃん』であった。それは、今日までの『坊っちゃん』論を読むと大成功であったと言ってよい。

 さて、こうして地の顔をのぞいてみると、人物と人物との関係、描写される人物の特徴、言動、1906年3月当時の政治状況などから、校長の狸は山縣、野だは桂、赤シャツは西園寺と、次々と解き明かすことができる。

 こういう視点で、『坊っちゃん』を読みなおす。この熱い夏、これまた一興ではないだろうか。
                            (了)

漱石生誕150年 『坊っちゃん』の読み方一例(上)

 漱石は、1867年2月9日(慶応3年1月5日)生まれであるから、今年は、漱石生誕150年である。純文学では、おそらく漱石の作品が、一番多く読み継がれているのではなかろうか。

 その中でも『坊っちゃん』は、最も多く読まれている部類だろう。しかし、その読みとり方は、人それぞれである。

 たとえば吉本隆明氏は、「ひとつは典型的日本の悪童物語を書いたということです。」「赤シャツという文学士の教頭ができてきます。赤シャツは松山中学へ行ったときの漱石の分身です。知的なエリートである漱石は、赤シャツの方に投影され、幼児期あるいはもっと小さい時期の母親に育てられたときのじぶんの悪童性が『坊っちゃん』に表れています。必ずしも『坊っちゃん』が漱石の自画像ではなくて、漱石の優れた英文学者としての姿は赤シャツのなかに投影されています。」と述べている(吉本隆明『漱石を読む』ちくま文庫)。

 小説は多義的に読まれなければ優れた作品とは言えない。『坊っちゃん』の読まれ方は、本当に多義的である。

 「『坊っちゃん』は、校長の狸は山縣有朋、教頭の赤シャツは西園寺公望、画学の教師野だいこ(野だ)は山縣の子分の桂太郎と解読して読め。」

 英文学者で元慶応大学教授の赤木昭夫氏は、『漱石の遺言「坊っちゃんの」の風刺』(『世界』2016年4月号、5月号)で、このようなことを述べておられる。

 赤木氏は、『坊っちゃん』には、このようによむべき記号が三つあると言われる。「山城屋」と「松」と「マドンナ」である。

 一つめの「山城屋」。東京の坊っちゃんの生家の隣家の質屋の屋号は「山城屋」であり、坊っちゃんが松山に赴任して最初に泊った旅館の屋号は「山城屋」であった。
 坊っちゃんの生家の庭には栗の木があった。ある日、「山城屋」の息子が、栗泥棒に入り、坊っちゃんにつかまえられ、組みうちの末、一段低い質屋の敷地に転落してしまった。このことが坊っちゃんの子供時代の悪行、いたずらとしてさらりと書かれている。
 松山の旅館「山城屋」では、一日目は、品定めされたのか、階段下の暗くて熱い小部屋に押し込められたが、茶代として5円やると、二日目は15畳もの広々とした部屋に移され、下にも置かぬもてなしに変じた。

 泥棒、転落、金の力。確かにこれはただならぬ言葉的雰囲気の中で、「山城屋」という屋号が使われている。これには尋常ならざる意味が込められているようである。

 私は当ブログに書いた『明治維新という時代』の第三話『大西郷は永続革命を目指したのか』のなかで次のように書いた。

 「元長州騎兵隊幹部にして山縣の部下であった山城屋和助なる兵部省⇒陸軍省御用商人に、陸軍省は、総計64万円余りの大金(国家予算の1%ほどである)を貸し付けていた。山城屋は、これを生糸相場や遊興費に費消した挙句、1872年12月29日、陸軍省内で割腹自殺。山縣の公金横流しと同人から遊興費等を融通させていたとの疑惑があり、山縣は窮地に追い込まれたが、陸軍省の混乱を防ぐために西郷が奔走し、助けた。
 しかし、山縣は、旧長州藩御用達から陸軍省御用商人となっていた三谷三九郎なる者が陸軍省公金35万円を借り受け、返済不能となった件でも陸軍省内部で疑惑を持たれ、翌1873年4月18日、辞職を余儀なくされた。ただ、このときも西郷が陸軍省の混乱を防ぐために環境を整え、わずか11日後の同月29日、陸軍省御用掛(陸軍卿代理)として復職させた。
 なお、これらの事件については、司法卿江藤の追及の的になっていたことは言うまでもない。
 山縣にはその後も黒いうわさが絶えなかったが、やがて内閣総理大臣、帝国陸軍のドン、そして維新の元勲としてそのときどきのキングメーカーになる。みごとというべきだろうか?」

 二つめの「松」。坊っちゃんが赤シャツと野だに誘われて釣りに出かけたときに、沖合の小島に見えたみごとな一本の松の木。赤シャツと野だが、この松をめぐって、イギリスの画家ターナー談義をし、野だがこの小島をターナー島と名付けましょうと発案、赤シャツは、そいつは面白い、われわれはこれからそういおうと賛成する。
 庭園造りにかけては、玄人はだしの山縣。前出の『大西郷は永続革命をめざしたのか?』で、松本清張『象徴の設計』(松本清張全集17・文芸春秋社)の中で、伊藤が山縣自慢の邸宅・椿山荘に山縣を訪れて交わしたやりとりを引用したが、その少し前のところで、こんな場面が描写されている。

 「伊藤はまず黄昏れかける広い庭を逍遥した。背の低い伊藤と長身の有朋とはなだらかな傾斜をならんで下り、滝を眺め、小渓を渡り、池に佇んだ。『なるほどこれは大したものだ』と伊藤はほめた。『おぬしの庭づくりの腕はえらいものだ。噂には聞いていたが、こねえにええとは思わなんだ』」

 庭園造りが嵩じて、山縣は、1896年には、京都・南禅寺の西隣に無隣庵を完成させる。今は、京都を訪れる観光客の目をたのしませる場となっているが、ここには、明治天皇から下賜された二本の松が植えられていた。山縣はそのことを自慢話に吹聴しており、新聞でも大きく取り上げられたりしていた。「坊っちゃん」が書かれた1906年3月当時、松といえば、容易にこのエピソードが連想された。

 三つめは、マドンナ。「ターナー島」の松の話の続きで、野だが「あの岩の上に、どうです、ラファエルのマドンナを置いちゃ。いい画ができますぜ」と言うと、「マドンナの話はよそうじゃないかホホホと赤シャツが気味の悪い笑い方をした。」とあって、坊っちゃんが「マドンナというのは何でも赤シャツの馴染みの芸者の渾名か何かに違いない」、「なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして眺めていれば世話はない」と思う。
 山縣は、日本橋「吉田屋」の芸者大和(吉田貞子)を囲っており、1893年正妻が亡くなると入籍はしなかったものの家に入れ、後妻として扱うようになった。これも当時、知らぬものはいなかった。

 確かに、『坊っちゃん』では、山縣が、重要な登場人物に擬せられているようだ。
                               (続く)

中世史もおもしろい

 最近、明治維新史を少し論じましたが、中世史も結構おもしろいものです。なまなましい話題が続きましたので、今日は、四方山話としましょう。

 以前、NHK大河ドラマ『平清盛』で、平治の乱に破れた源義朝が、尾張野間の空海荘の荘司・長田忠致(おさだ ただむね)の館で、一の家人鎌田の次郎政清と、差し違え、自害をして果てるシーンが出てきました。
 確か、子供の頃には、風呂で斬り殺されたと聞かされていたので、調べてみたら、『平治物語』は謀殺説により詳細な描写がなされている、『平家物語』も『源平盛衰記』も簡単にしか触れていないが、謀殺説、唯一、慈円の『愚管抄』には自害したと記述されています。上記のドラマは、少数説を採用したもののようです。

 ところで、この長田忠致という男、平忠盛の前の正盛の時代(その前だったかしら?)に、伊勢から駆逐された伊勢平氏の傍流の子孫で、尾張野間に流れ着いて、再起し、空海荘の荘司となり、源氏の家人になっていた人物です。

 尾張野間とは、現在は野間、愛知県の知多半島の中ほど、西海岸にあります。私が、小学生のころには、美しい砂浜の海水浴場で、まさに白砂青松の地でしたが、今はどうなっているでしょうか。もっとも知多半島をもう少し先に行くと、内海というところがあって、そちらの方が有名な海水浴場でした。

 長田忠致は、その経歴からすれば、清盛にくしとなる筈ですが、その清盛に荷担したのは、時の流れを見たからでしょう。『平治物語』では、後に、頼朝により、義朝の墓の前でなぶり殺されることになっていますが、これはフィクションで、治承・寿永の内乱(源平の戦い)初期に戦死したというのが史実のようです。
 
 ところで清盛は、義妹の滋子を、二条天皇親政に傾く時の流れに掉をさし、二条に入内させようと画策しました。ところ男女の仲は、一筋縄ではいかぬもの、清盛の目論見は外れてしまいます。あにはからんや、二条の親父の後白河が、滋子に一目ぼれしてしまうとは。
 滋子は、はやばやと後の憲仁親王⇒高倉天皇を懐妊してしまいます。今様にうつつをぬかす大うつけもの、誰からも「治天の器」にあらずと陰口をたかれていた後白河は、次第に清盛に対抗するに足る力を身につけていきます。滋子の美貌、聡明さが、後白河を一念発起させたのでしょうか。
 
 さて、源氏は正義、平家は悪で歴史的に淘汰されるべきものという考え方は、中世史の学説史的にも興味のあるところです。

 歴史学者石母田正さんは、治承・寿永の内乱を、在地領主=武士階級を代表する源氏と国衙、荘園の貴族的専制体制の守護者である平家との内戦であったと位置づけました。これが、平家は旧体制派で没落する運命にある、源氏は正義、平家は悪と捉える考えを蔓延させることになったといえば言い過ぎでしょうか。
 しかし、その後の歴史学者からは、この「石母田領主制論」⇒「石母田平家物語史観」は、批判を受け、在地領主=武士階級だということも、源氏が武士階級の代表といのうも間違いだという指摘がなされています。武士の定義、その成立史も見直され、源氏も平家もパラレル(歴史的価値序列なし)にとらえられるようになっているようです。
                     (了)

共謀罪法施行「弁護士は国民皆犯罪者化の悪法と闘い続けなければならない」


 共謀罪法(改正組織犯罪処罰法)が、本日、施行された。これにより、一般刑法犯を主体に277もの対象犯罪について、共謀段階での処罰が可能とされることになった。

 対象犯罪には、たとえば次に掲げるように、こんなものまでがと驚くようなものがある。

 収賄、窃盗、不動産侵奪、事後強盗、詐欺、背任、横領、盗品有償譲り受け等、森林窃盗、覚せい剤の使用等、強制わいせつ、特許法違反、実用新案法違反、意匠法違反、著作権法違反、所得税法違反、消費税法違反・・・。

 これらは、果たして「テロリズムその他の組織的犯罪集団」と親和性のある犯罪だと言えるのだろうか。本法が、マグロもタイも、そして雑魚までも、巨大な大網をうって一網打尽にし、「国民皆犯罪者化」をめざす大悪法であうことをあらためて思い知らされた。

 ともあれ実行行為に着手する前の段階で、277もの犯罪類型が創出されてしまった。目的遂行犯を加えるとその2倍というべきかもしれない。あっというまの犯罪類型の粗製乱造であった。

 共謀罪法の施行は、今後、わが国の刑事司法の運用に大混乱をもたらすであろう。放置しておけば、その被害は、国民が被ることになる。

 弁護士の役割はいよいよ重大である。

 とりわけ、これまでもしばしば捜査権限を濫用し、国民の権利・自由を不当に侵害した前歴を有する、警察、検察へのチェックは、まったなしである。

 日弁連が、とりまとめ、法務大臣、外務大臣に提出した2017年2月17日付「いわゆる共謀罪を創設する法案を国会に上程することに反対する意見書」には、以下の記述がある。

「計画」(合意)は人と人との意思の合致によって成立する。したがって、その捜査手法は、会話、電話、メール等の人の意思を表明する手段及び人の位置情報等を収集することとなる。既に通信傍受やGPS(グローバル・ポジショニング・システム)による捜査が行われているところ、共謀罪の捜査のためとして、新たな立法により、更なる通信傍受の範囲の拡大、会話傍受、更には行政盗聴まで認めるべきであるとの議論につながるおそれがある。このような捜査手法が認められたなら、市民団体や労働組合等の活動を警察が日常的に監視し、行き過ぎた行動に対して、共謀罪であるとして立件するおそれもあり、市民の人権に少なからぬ影響を及ぼしかねない。」

 弁護士は、これを肝に銘じて、憲法31条、13条、19条、21条を武器に、果敢に闘わなければならない。

                          (了)

つるべ落としのアベの夕暮れ

 7月7日~9日にかけて実施された世論調査の結果が、続々発表されている。現段階の判明分は以下のとおりである。

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「日テレNEWS24」7月9日20:02配信

 NNNが週末に行った世論調査によると、安倍内閣の支持率は前月比7.9ポイント下落して31.9%となり、2012年12月の第2次安倍政権発足以来、最低を更新した。
 安倍政権で入閣経験もある自民党のベテラン議員は、この支持率に「えー」と驚きの声を上げた。政府・与党内には危機感が広がっている。

「読売新聞」7月10日02:06配信

 読売新聞は、7~9日、全国世論調査を実施した。安倍内閣の支持率は36%で、前回調査(6月17~18日)の49%から13ポイント下落し、2012年12月の第2次安倍内閣発足以降で最低となった。

 不支持率は52%(前回41%)で最高となった。支持率は2か月で25ポイントの大幅下落となり、安倍首相は厳しい政権運営を強いられそうだ。

「朝日新聞」7月9日22:39配信

 朝日新聞社は8、9日、全国世論調査(電話)をした。安倍内閣の支持率は33%で、前回調査(1、2日)の38%から1週間でさらに下落し、第2次安倍内閣の発足以降、最低となった。不支持率は47%(前回42%)だった。

 調査方法が異なるため単純に比較できないが、支持率は2015年9月、安全保障関連法の成立直後の緊急調査での35%がこれまでの最低だった。不支持率も15年7月の緊急調査の46%が最も高かったが、今回はそれと同水準となった。

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 まさに、つるべ落としのアベの夕暮れである。

 安倍首相は、都議選最終日の7月1日夕方、秋葉原駅前の街頭演説で、聴衆の中の「安倍辞めろ」「安倍帰れ」と声をあげた人たちを指差し、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と叫んだ。安倍政権に批判の声をあげている人たちは、国民の多数派であることがはっきりしてきた。「こんな人たち」の逆襲が始まっているのだ。

 安倍首相は、外遊日程を前倒しで帰国予定とのこと。「今もなお継続的に激しい雨が続いており被害の拡大も懸念される」からだと言われているが、本当は、自らを襲っている暴風雨の方が心配なのだろう。

 しかし、長靴を忘れず持参して被災地を歩いてみても、稲田防衛相や金田法相の首をすげかえてみても、もはや頽勢を挽回するのは無理だ。

 安倍政権は、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪と、わが国を戦前に復帰させるような悪法を次々と強行成立させ、森友学園、加計学園をめぐる政権スキャンダルを独裁政権そのものというべき手法で幕引きしようとしてきた。そして、今、憲法9条改憲にまで踏み込もうとしている。

 国民の声は、安倍内閣退陣である。長靴やトカゲのしっぽでは、もう間に合わないのだ。

                   (了)
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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