中世史もおもしろい

 最近、明治維新史を少し論じましたが、中世史も結構おもしろいものです。なまなましい話題が続きましたので、今日は、四方山話としましょう。

 以前、NHK大河ドラマ『平清盛』で、平治の乱に破れた源義朝が、尾張野間の空海荘の荘司・長田忠致(おさだ ただむね)の館で、一の家人鎌田の次郎政清と、差し違え、自害をして果てるシーンが出てきました。
 確か、子供の頃には、風呂で斬り殺されたと聞かされていたので、調べてみたら、『平治物語』は謀殺説により詳細な描写がなされている、『平家物語』も『源平盛衰記』も簡単にしか触れていないが、謀殺説、唯一、慈円の『愚管抄』には自害したと記述されています。上記のドラマは、少数説を採用したもののようです。

 ところで、この長田忠致という男、平忠盛の前の正盛の時代(その前だったかしら?)に、伊勢から駆逐された伊勢平氏の傍流の子孫で、尾張野間に流れ着いて、再起し、空海荘の荘司となり、源氏の家人になっていた人物です。

 尾張野間とは、現在は野間、愛知県の知多半島の中ほど、西海岸にあります。私が、小学生のころには、美しい砂浜の海水浴場で、まさに白砂青松の地でしたが、今はどうなっているでしょうか。もっとも知多半島をもう少し先に行くと、内海というところがあって、そちらの方が有名な海水浴場でした。

 長田忠致は、その経歴からすれば、清盛にくしとなる筈ですが、その清盛に荷担したのは、時の流れを見たからでしょう。『平治物語』では、後に、頼朝により、義朝の墓の前でなぶり殺されることになっていますが、これはフィクションで、治承・寿永の内乱(源平の戦い)初期に戦死したというのが史実のようです。
 
 ところで清盛は、義妹の滋子を、二条天皇親政に傾く時の流れに掉をさし、二条に入内させようと画策しました。ところ男女の仲は、一筋縄ではいかぬもの、清盛の目論見は外れてしまいます。あにはからんや、二条の親父の後白河が、滋子に一目ぼれしてしまうとは。
 滋子は、はやばやと後の憲仁親王⇒高倉天皇を懐妊してしまいます。今様にうつつをぬかす大うつけもの、誰からも「治天の器」にあらずと陰口をたかれていた後白河は、次第に清盛に対抗するに足る力を身につけていきます。滋子の美貌、聡明さが、後白河を一念発起させたのでしょうか。
 
 さて、源氏は正義、平家は悪で歴史的に淘汰されるべきものという考え方は、中世史の学説史的にも興味のあるところです。

 歴史学者石母田正さんは、治承・寿永の内乱を、在地領主=武士階級を代表する源氏と国衙、荘園の貴族的専制体制の守護者である平家との内戦であったと位置づけました。これが、平家は旧体制派で没落する運命にある、源氏は正義、平家は悪と捉える考えを蔓延させることになったといえば言い過ぎでしょうか。
 しかし、その後の歴史学者からは、この「石母田領主制論」⇒「石母田平家物語史観」は、批判を受け、在地領主=武士階級だということも、源氏が武士階級の代表といのうも間違いだという指摘がなされています。武士の定義、その成立史も見直され、源氏も平家もパラレル(歴史的価値序列なし)にとらえられるようになっているようです。
                     (了)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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