『ほたるのひかり』

 ほたるのひかり、まどのゆき、ふみよむつきひ、かさねつゝ、
 いつしかとしも、すぎのとを、あけてぞけさは、わかれゆく

 とまるもゆくも、かぎりとて、かたみにおもふ、ちよろづの、
 こゝろのはしを、ひとことに、さきくとばかり、うたふなり

 唱歌「ほたるのひかり」は、今でも卒業式には欠かせない。実際に歌われるのは、上記の一番、二番だけだろう。

 この歌がつくられたのは明治14年。同年11月に発行された文部省教科書『小学校唱歌集初編』におさめられていた。「明治六年の政変」に引き続き、大隈重信を追い落とした「明治十四年の政変」の直後、まさに薩長藩閥専制政治が確立したときである。

 同書におさめられたこの歌の三番、四番の歌詞は次のとおりである。

 つくしのきわみ、みちのおく、うみやまとほく、へだつとも、
 そのまごころは、へだてなく、ひとつにつくせ、くにのため

 ちしまのおくも、おきなはも、やしまのうちの、まもりなり
 いたらんくにに、いさおしく、つとめよわがせ、つゝがなく

 今、三番、四番まで歌うところは、ないだろうし、知っている人も殆どいないのではなかろうか。しかし、文部省唱歌として、学校教育の場で、歌われるようになった当時は、この三番、四番こそ、ひときわ大きな声で歌うように指導されたことだろう。

 四番の前半は、時代ととも、次のように変遷しているそうだ。

① ちしまのおくも、おきなわも、 やしまのそとの、まもりなり

② ちしまのおくも、おきなはも、やしまのうちの、まもりなり

③ ちしまのおくも、たいわんも、やしまのうちの、守りなり

④ たいわんのはても、からふとも、やしまのうちの、まもりなり

 一々解説するまでもなく、たいがいの人は、①と②、②と③、③と④の時代を画する出来事を了解することができるだろう。

 1872年8月、岩倉使節団の留守を預かったいわゆる「留守政府」は、「学制」を制定した。その中で、最も重要なのは、義務教育制度をもうけたことだ。大学区、中学区、小学区とピラミッド型の学区をもうけ、全国を53760の小学区に、各1校の小学校を設置、そこで上級・下級それぞれ4年、合計8年間の義務制教育を施すこととし、教育の国家統制を宣言したのである。しかし、一方で、この学制には、実学優先で、個人主義を推進する要素もあったと言われる(三谷太一郎『日本の近代とは何であったか―問題史的考察』岩波新書)。

 薩長藩閥専制の明治政府にとって、教育とはまずもって産業と戦争のよき戦士を作り出すことであった。

 1890年10月30日に発布された教育勅語は、その極北であった。

 日本国憲法の下では、教育は、民主政治の担い手である国民、この憲法が保障する「自由及び権利」を普段の努力によって保持すべき使命を負う国民を作り出していくことである。

 そのことが分かっていない人たちは、政治家失格である。

                                (了)
スポンサーサイト
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR