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天皇神格化・新興宗教「現人神教」確立への道(7)

天皇神格化・「現人神」教の確立

 幕末の光格天皇、その孫孝明天皇の二代(その間に仁孝天皇が挟まれているが、とりたてて言うべき事績は伝えられていない。)の天皇が、危機・動乱の時代の流れに巧みに竿をさし、天皇の地位を復活させてきた経緯を見てきた。しかし、それは、危機・動乱の時代が生み出したものであって、彼らの努力、精進の賜物とまで言うと、言いすぎになるだろう。

 もっとも光格天皇も孝明天皇も、天照大神、神武天皇につらなる強烈な皇統意識を持ち、古代の神事と朝廷儀礼、格式を再興すると努力を怠らず、日本書紀をはじめとする六国史などの学習を自ら行い、公家にも課するなど、保守反動のエトスを広めたことは否めない。

 民衆レベルでは、幕府の権威が崩れつつあるとき、これにかわるものとして、この古代以来万世一系とされる天皇に新たな権威を求めることになった。そのとき、天皇は、神事と朝廷儀礼により装飾された神的存在となっていたことが、民衆統合と動員の原動力となって行った。

 討幕派は、「玉」としての明治天皇を握ることにより、幕府を倒し、維新政権を打ち立てることができた。以後、維新政権を継承した明治政府は、権力の維持・強化にも、「玉」としての天皇を最大限利用することになる。

 具体的には、民衆レベルで進んでいた天皇は神的存在なる虚構を一層推し進め、制度化することである。

 明治初年以来、明治政府は、国家神道の確立、普及に腐心し、その制度化を図ってきた。1870年(明治3年)には大教宣布の詔を発し、神道を国教とすることを宣言、宮中神事を国民的神事とすることにより、民衆に天皇崇拝の心情を植え付けて行った。

 これらの経緯は、専門の研究書(例えば村上重良『天皇制国家と宗教』講談社学術文庫)に譲ることにして、明治憲法制定過程における次のエピソードを紹介し、本小論を終えることとする。

 伊藤博文は、明治憲法制定にあたって、1882年から1883年にかけてヨーロッパを回って、調査・研究にあたったが、その際、伊藤は、プロイセンの法学者グナイストに、「日本は仏教をもって国教となすべし」と勧告されたそうである。グナイスト曰く、プロイセン憲法では、信教の自由を定めず、第14条で「キリスト教は礼拝と関係する国家の基礎」と定めている、このキリスト教とあるところを日本では仏教とすべきだ、と。

 しかし、伊藤は、明治憲法では、仏教を国教とするような愚かな選択はしなかった。1888年5月、枢密院で、明治憲法案を審議した際、彼は次のように述べた。

 「今憲法を制定せらるるにあたっては、先ず我国の機軸を求め我国の機軸は何なりやと云ふ事を確定せざるべからず。機軸なくして政治を人民の妄議に任す時は、政其統紀を失ひ、国家亦随て廃亡す。苟も国家が国家として生存し、人民統治せんとせば、宜く深く慮つて以て統治の効用を失はざらん事を期すべきなり。

そもそも欧洲に於ては憲法政治の萌芽せる事千余年、独り人民の此制度に習熟せるのみならず、又た宗教なる者ありて之が機軸を為し、深く人心に浸潤して人心之に帰一せり。然るに我国に在ては宗教なる者其力微弱にして、一も国家の機軸たるべきものなし。

 佛教は一たび隆盛の勢いを張り上下の人心を繋ぎたるも、今日に至ては已に衰替に傾きたり。神道は祖宗の遺訓に基き之を祖述すとは雖、宗教として人心を帰向せしむるの力に乏し。我国に在て機軸とすべきは独り皇室あるのみ。」


 かくして、明治憲法は、天皇を現人神として国家の根幹にすえることとしたのであった。明治憲法制定に追随して策定された「教育勅語」は、その具体化である。これに対して、核となる精神は取り戻したいとの心情を吐露する政治家が要職を占める現在のわが国のアナクロニズムは、笑い話の域を超えて、恐怖を催させるものがある。

                                 (了)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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