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「菊と刀」のバーター―日本国憲法第9条を考える―その10

1946年1月24日の幣原・マッカーサー会談―幣原の証言録

 マッカーサー回想録は、読者をひきつけるためレトリック、誇張はあるにしても、骨格部分については真実を語っていると、私は、素直に考える。

 その骨格部分とは

①幣原が、新憲法において「戦争放棄」と「軍事機構は一切もたない」との条項を設けたい、と提案した
②マッカーサーがこの提案に同意した

ということである。

 しかし、世の中には、マッカーサーは、9条を「押しつけた」との批判をかわすための弁明に過ぎないと、一笑に付す人もいないではないだろう。そこで、もう一方の当事者・幣原の証言にもあたってみたい。

 本稿の冒頭部分で引用した葉室メモは、幣原と、大阪中学校(途中で学制改革で第三高等学校となる)、東京帝国大学を通じて同級で、親友中の親友であった大平駒槌(おおだいらこまつち)が、会談当日に、会談内容を幣原から聞き、それを娘のミチ子がまた聞きして筆記したものであり、多少の疑わしさもある。

 しかし、直接幣原の語ったことを文章化した録取書となれば、話は別である。そのような文書が、実に、存在するのであった。それは自民党衆議院議員、岐阜県知事を歴任した平野三郎が作成した『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について』と題する文書である。平野は、1949年1月の衆院選で民主自由党(1955年11月、保守合同で自民党となる。)から初当選し、同党幣原派に属し、衆議院議長に就任した幣原の秘書官を務め、幣原を師とも仰いでいる人物である。
 作成経緯は、1956年6月、内閣に設置された憲法調査会の高柳賢三会長の求めに応じて、整理し、文章化したということで、1964年2月、同会に提出され、同会事務局の「この資料は、元衆議院議員平野三氏郎が、故幣原喜重郎氏から聴取した、戦争放棄条項等の生まれた事情を記したものを、当調査会事務局において印刷に付したものである。」との「はしがき」が付されている(国立国会図書館憲政資料室所蔵・憲法調査会資料(西沢哲四郎旧蔵)文書番号165)。

 文書は一問一答の問答式で書かれている。一部を抜粋してみよう。

問 かねがね先生にお尋ねしたいと思っていましたが、幸い今日はお閑のようですから是非うけたまわりたいと存じます。
実は憲法のことですが、私には第9条の意味がよく分りません。あれは現在占領下の暫定的な規定ですか、それなら了解できますが、そうすると何れ独立の暁には当然憲法の再改正をすることになる訳ですか。

答 いや、そうではない。あれは一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論というようなものだ。

問 そうしますと一体どういうことになるのですか。軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうする訳なのですか。

答 それは死中に活だよ。一口に言えばそういうことになる。

問 死中に活といいますと・・・・・。

答 たしかに今までの常識ではこれはおかしいことだ。しかし原子爆弾というものができた以上、世界の事情は根本的に変わって終ったと僕は思う。何故ならこの兵器は今後更に幾十倍幾百倍と発達するだろうからだ。
恐らく次の戦争は短時間のうちに交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰してしまうことになるだろう。そうなれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。

そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。(略)

(中略)

問 よく分りました。そうしますと憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています。
 もっとも草案は勧告という形で日本に本に提示された訳ですが、あの勧告に従わなければ天皇の身体も保証できないという恫喝があったのですから事実上命令に外ならなかったと思いますが。

答 そのことは此処だけの話にしておいて貰わねばならないが、(略)、豪州その他の国々は日本の再軍備化を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。故に戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は廃止されたと同然である。

(中略)

 この構想は天皇制を存続すると共に第9条を実現する言わば一石二鳥の名案である。もっとも天皇制存続と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。元来天皇は権力の座になかったのであり、またなかったからこそ続いていたのだ。もし天皇が権力をもったら、何かの失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。
 日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を維持する神主のようなものであって、むしろそれが天皇本来の昔に戻ったものであり、その方が天皇のためにも日本のためにも良いと僕は思う。

 この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。

 そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。
 松本君(憲法問題調査委員会委員長)にさえも打ち明けることのできないことである。

(中略)

問 元帥は簡単に承知されたのですか。

答 マッカーサーは非常に困った立場にいたが、僕の案は元帥の立場を打開するものだから、渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。しかし第9条の永久的な規定ということには彼も驚いていたようであった。僕としても軍人である彼が直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった。

(略)

 なお念のためだが、君も知っている通り、去年金森君から聞かれた時も僕が断ったように、このいきさつは僕の胸の中だけに留めておかねばならないことだから、その積りでいてくれ給え。


 1960年代半ばに達せんとしたこの時期、太平洋を間に挟んだ日米の距離は、今と比べて格段に遠かった。奇しくもこの同じ時期に、洋の東西において、1946年1月24日の幣原・マッカーサー会談の当事者が語り、公にされた証言が、先に示した骨格部分において、完全に一致していることが確認できた。

 平野は、正真正銘の保守政治家である。その平野が、再軍備の流れが定着し、憲法「改正」の動きが活発であった時期に、このような文書を敢えて作成し、憲法調査会に提出したことは、実に、歴史への貴重な貢献であったといってよい。
                                    
                                (続く)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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