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与党協議会、やっぱりこういうことだったのか

 24日の与党協議会において、自民党高村副総裁が、閣議決定案として改訂高村私案「憲法9条の下で許容される自衛の措置」を提示した。
 その要旨は次に掲げるとおりである。

(1)憲法9条に関する従来の政府の解釈と論理的整合性と法的安定性が求められ、その枠内で国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的帰結を導く必要がある。
(2)憲法9条は自衛の措置をとることを禁じていない。この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これは従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、今後とも維持されなければならない。
(3)これまで政府は、「武力の行使」が許容されるのはわが国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、根本的に変容し、変容し続けているわが国を取り巻く安全保障環境を踏まえれば、他国に対して発生する武力攻撃であっても、その目的・規模・態様等によっては、わが国の存立を脅かすことも起こり得る。
 このように、①わが国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、②これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、③必要最小限度の実力を行使することは憲法上許容される
(4)上記他国に対して武力攻撃が発生した場合に憲法上許容される「武力の行使」は、国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合もある。
(5)上記他国に対して武力攻撃が発生した場合に憲法上許容される「武力の行使」を行うために自衛隊に出動を命ずるに際しては、現行法令に規定する防衛出動に関する手続と同様、原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記する。

 アンダーラインの部分に注目して欲しい。自民党高村副総裁が13日与党協議会に提示した高村私案原案の、これに対応する文言は次のとおりであった。
  
 ①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること、②これを排除し、国民の権利を守るために他に適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力を行使すること、の三要件を満たせば「武力の行使」は憲法上許容される。

 この時点で、公明党は、同日与党協議会であ、高村私案原案を党に持ち帰り、検討するとの対応であったとのことたが、上記①を「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される事態が発生したこと」と改めさせる方向で検討を進めているとの報道もなされていた。私は、当ブログの14日掲載記事で、これは「おそれがあること」を少し重くしたとはいえるが、本質的には自民党案と同じであり、もしそれで手を打てば、自民党との共同正犯と言わねばならないと断じたのであった。

 その後の報道を見ると、公明党は、上記①の「他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される事態」を朝鮮半島有事の場合に限定させる方向で決着を模索しているとの観測記事がさかんに流されていた。これは公明党筋のリーク記事だったのだろう。北側副代表ら公明党幹部は、高村試案原案を上述したように少し手直しした程度で決着を図るために、党内及び支持母体の創価学会、世論状況を見極めようとしていたのだ。

 17日に行われた与党協議会において、シビレを切らしたかのように政府から、集団的自衛権行使を明記し、中東ペルシャ湾などを念頭に置いてシーレーンを封鎖した機雷を交戦中でも撤去できるようにすることを閣議決定することを内容とする原案を示された。
 さらに20日の与党協議会で、自民党のメンバーの一人、岩屋毅・党安全保障調査会長が、自衛隊が集団的自衛権を使って機雷を爆破して取り除いている時のケースを引き合いに出し、「集団的自衛権で自衛隊が行動していた時に、国連決議で多国籍軍による集団安全保障措置となった場合、できなくなるのか」と問題提起。つまり集団的自衛権行使だけではなく、武力行使を伴う集団的安全保障措置へ参加の必要性をも主張するに至ったのである。

 ここで、この情況を狙いすましたかのように提示されたのが今回の改訂高村試案である。公明党北側副代表ら幹部は上述のように手を打つ決断をしているが、党内、支持母体の反発もある、あるいは平和の党の看板に泥を塗ることはできれば避けたいと思い、ここは思案のしどころだと、腕組みをして見栄を切った。そこへ政府、自民党がカサにかかって攻め立て、公明党を追い詰める。絶体絶命のピンチに立ったかのようだ。舞台は回る。まさに妖刀一閃、高村改定私案が絶妙なまあいをはかって振り下ろされた。高村改訂私案は、公明党へ大幅に歩み寄ったかのような文章になっている。心にくいばかりの落しどころではないか。高村氏は狂言まわしだ。
 
 公明党は、よく頑張った、やっぱり平和の党だ。

 だが待てよ。高村改定私案、集団的自衛権行使をきっちり認めているではないか。しかも、何らの歯止めも期待できない。だから何も譲っていないのだ。

 一体何故そんな手品みたいなことができるのか。種明かしは上記の(2)にある。従来の政府の解釈と論理的整合性と法的安定性を守るなどと言ってはいるものの、実は、従来の政府見解が換骨奪胎されてしまい、似て非なるものとなってしまっているのである。

 従来の政府見解の大黒柱は、1954年の「憲法9条1項の下においても我が国は自衛権を保持しており、それは、①急迫不正の侵害、即ち現実的な侵害があること、②それを排除するために他に手段がないこと、さらに③それを防御するために必要最小限度の方法をとることの三要件のもとに行使が認められる」との見解(1954年4月6日衆議院内閣委員会・佐藤達夫法制局長官答弁)であり、これは繰り返し表明されてきた。今の政府・自民党が好んで持ち出す1972年の田中内閣の見解(注1)は、この大黒柱を集団的自衛権の問題に応用したに過ぎない。だから大黒柱から田中内閣見解のみを切り離して、その言葉尻を捉えるような解釈をするのは我田引水、三百代言の論となってしまうのだ。

 それにしても、この顛末、やっぱり猿芝居、茶番であった。

                                            (了)

注1 1974年田中内閣見解

 憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において『全世界の国民が・・・・平和のうちに生存する権利を有する』ことを確認し、また、第13条において『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については・・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする』旨を定めていることからも、わが国みずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるのであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にととまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使をすることが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。(1972年10月14日参議院決算委員会提出資料)
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Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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