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注釈:集団的自衛権などに関する想定問答 (1)

 6月28日付朝日新聞朝刊は、今度閣議決定される集団的自衛権などに関する政府見解の想定問答集を掲載した。これは、国家安全保障局が作成したものだとのことである。
与党協議会においては、あたかも武力行使できるケースは限定的であるとも読める玉虫色の合意内容とするようだが、これを読むと、実際には、何らの限定もないことがよくわかる。
 以下には、まず想定問答を原文どおり記載し、次いでそれに対する私の注釈を加えて行くこととする。

問1 憲法解釈を変更したのか

・ 我が国を取り巻く安全保障環境の大きな変化を踏まえ、昭和47年の政府見解の基本的な論理の枠内で導いた論理的な帰結。

・ 解釈の再整理という意味で一部変更ではあるが、憲法解釈としての論理的整合性、法的安定性を維持(「解釈改憲」ではない)。

■注釈

歴代の内閣総理大臣や内閣法制局長官らが、国会で、憲法9条の下では集団的自衛権の行使は認められないと答弁した回数は、数百回に及ぶ(阪田雅裕元内閣法制局長官)。それらは、憲法9条の下でも、①わが国対する急迫不正の侵害を、②ほかに適切な手段方法がないとき、③必要最小限度の実力を行使してこれを排除することは、自衛権の行使として認められ(自衛権行使3要件)、そのための必要最小限度の実力として自衛隊は許容される、との政府見解をもとにし、その応用として展開されたものであった。
従って集団的自衛権を昭和47年の政府見解の字面を追って、それの文言の一部を引っ張り出して辻褄あわせをしたとしても、昭和47年の政府見解の拠って立つ土台からはずれ、論理的整合性など到底認められない。解釈改憲であることは明らかである。


問2 憲法改正によるべきであり、なぜ閣議決定で解釈変更をするのか

・ 憲法改正の是非は国民的な議論の深まりの中で判断されるべきもの。

・ 他方、我が国を取り巻く安全保障環境は大きく変化。国民の命と平和な暮らしを守り抜くための法整備が急務。

・ 昭和47年の政府見解の基本的な論理の枠内で論理的な帰結を導ける以上、必ずしも憲法改正を行う必要はない。

・ 論理的な帰結の範囲にとどまるものであり、憲法の範囲内で必要な法整備をすることは政府の責務。

■注釈

昭和47年の政府見解を換骨奪胎し、似て非なるものにしてしまい、憲法9条の下で認められるという自衛権、憲法9条の下で認められるという自衛隊や武力の行使の枠組みを取り除き、集団的自衛権の行使が認められない理由に関する従来の政府見解を捻じ曲げている。

時の政権の安全保障政策は、憲法に適合する範囲でしか実施できない。それが立憲主義である。ところが安倍政権は、憲法の上に、自己の安全保障政策を置き、これを憲法なりと宣言している。これ即ち憲法無視、立憲主義に違背する専制君主の政治行動と何ら変わらない。

問3 どのような場合に集団的自衛権を行使できるのか

・ 「新3要件」を満たす場合に限り、国際法上は集団的自衛権が根拠となる「武力の行使」も憲法上許容される。「新3要件」に該当するか否かは政府が全ての情報を総合して客観的、合理的に判断する。

・ その上で、実際上、「武力の行使」の要否は、高度に政治的な決断。時の内閣が、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために何が最善か、あらゆる選択肢を比較しつつ、現実に発生した事態の個別具体的な状況に即して、総合的に判断。

■注釈

「新3要件」とは、①わが国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、②これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、③必要最小限度の実力を行使することは憲法上許容される、というもの。

米国が第三国と交戦状態に入った場合には、上に言う「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」との要件は自動的に満たされる。何故なら、政府・自民党にとっては、日米同盟はなにを措いても守らなければならず、わが国の安全保障の根幹、生命線であるから。

その上、政府の判断について、その基礎となる情報は全て特定秘密保護法により特定秘密に指定されるため、報道はされず、国民は知りようがないので批判的検討をすることができない。国会も、同じく審議できない。これでは政府の恣意的判断をチェックできず、戦前の軍部独裁と同じである。

問4 要件が曖昧(あいまい)。武力行使に「歯止め」がないのではないか。戦争に巻き込まれるのではないか
・ 「新3要件」を厳守する以上、憲法上「歯止め」がないということではない。その要件に該当するか否かは政府が全ての情報を総合して客観的、合理的に判断する。

・ その上で、集団的自衛権の行使は「権利」であり「義務」ではない。備えであり、実際に行使するか否かは政策の選択肢。時の内閣が、あらゆる選択肢を比較しつつ、国民の命と平和な暮らしを守り抜く観点から主体的に判断。

・ 事態の個別具体的な状況に即して、主に、攻撃国の意思・能力、事態の発生場所、その規模・態様・推移などの要素を考慮し、総合的に判断。

・ 実際の行使には国内法が必要。個別的自衛権と同様、国会承認も求める。民主主義国家の我が国では慎重にも慎重を期して判断される。

■注釈

「新3要件」が何ら歯止めにならないこと、政府の判断を検証する方法はなく、国会での多数による独断専行の横行は実証済みであり、政府の独裁を防ぐことができないことは上述のとおり。

集団的自衛権の行使が「権利」であり、「義務」ではないというのは詭弁。米国からの要求を断ることはあり得ない。米国が攻撃を受けているにも関わらず、何もしなければ日米同盟は持たなくなり、わが国の安全保障の根幹を揺るがすことになると強調、集団的自衛権行使容認に強引に突き進んできたのは安倍政権ではないか。それが突如、集団的自衛権の行使は「権利」であって、「義務」ではないなどと言い出しても誰も信用しないだろう。

法整備が必要だから大丈夫というもの白々しい。あの大きな反対運動を無視し、審議不尽のまま特定秘密保護法を強行可決させた安倍政権ではないか。自民、公明の多数横暴、独裁は実証済みである。


問5 昭和47年の政府見解の枠内で、なぜ結論が変わるのか

・ 「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置」について、これまでは、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される急迫不正の事態に対処」するものであるとして、「武力の行使」は我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限定。

・ しかし、パワーバランスの変化や急速な技術革新により、脅威がどの地域で発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼすことがあり得る。

・ この変化を踏まえれば、他国に対して発生する武力攻撃でも、その目的・規模・態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。

・ この現状を踏まえ、我が国に対する武力攻撃が発生していなくとも、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」であれば、従来の政府見解と同様、自衛の措置として「武力の行使」が憲法上許容されると判断。

■注釈

昭和47年の政府見解の土台にある「自衛権行使3要件」、「自衛隊合憲論」の政府見解を切り離し、字面を追って、いいとこどりをし、予め決めている結論にあうように並びかえたのである。

安全保障環境の変化、パワーバランスの変化を言うなら、冷戦時代と比べれば好転したと言えるだろうし、技術革新についても、ソ連による水爆開発した時期、その後の核拡散、大量の核兵器とミサイルの偏在という時期と比べると、言うほどのことはない。変化と言えば、安倍政権が危機を自らつくり出し、危機を煽っていることである。

「新3要件」は憲法9条の下では認められない集団的自衛権行使を認めるというものであり、解釈改憲である。また集団的自衛権を限定的に認めるものというのも事実に反する。

                                 (続く)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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