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続々・「集団的自衛権」を疑う

 当ブログで、6月10日、7月12日の2回にわたり、国際法上の「集団的自衛権」の定義に疑問を提出、その再検討を提起した。

 要約すると、国際法上、「集団的自衛権」とは、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」であると解されているが、これは国際慣習法において確立している「自衛権」を逸脱するものである、「集団的自衛権」もあくまでも「自衛権」の一態様として捉えるべきである、具体的には①いくつかの国に対し、同時に武力攻撃があったとき、これに対抗するために共通的に共同して戦う、或いは単一国家を形成する連合国家の構成員に対する武力攻撃に対し、連合国家として戦うというようなレア・ケースにおける権利、②非武装もしくは軽武装の国が、武力攻撃を受けたとき、自らの力だけではこれを排除する能力がないため他国の支援によってこれを排除する権利と考えるべきである、という主張である。

 私は、「集団的自衛権」といっても「自衛権」の行使態様の一つに過ぎないと考えるのである。その「自衛権」とは、国際慣習法上、解釈はほぼ統一されている。それによると①自国が武力攻撃を受けたとき、これを、武力を行使して排除する権利であり、②武力を行使して排除する以外に方法がないこと、③武力攻撃を排除するのに必要最小限度の武力の行使にとどめられるべきこと、とされている。

 そもそも「自衛権」とは、古くから国際法上唱えられており、戦争違法化の流れが定着した第一次大戦後においても、「自衛権」に基づく戦争は違法ではないとされてきたのである。そこでいう「自衛権」とは、1928年不戦条約の立役者、米国務長官ケロッグ、仏外相ブリアンが、「攻撃または侵入に対して自国の領土を防衛する自由」だとしているように、自国に対する武力攻撃があることが核心をなしている。

 国連憲章は、加盟国に対し、あらゆる個別の武力行使を禁じ、加盟国に対する武力攻撃に対しては、国連(安保理)の下でこれを排除する(これを集団的安全保障措置という。)ことを確認しつつ、その例外として、かつ暫定的に、加盟国の「自衛権」行使を認めた。それが51条である。そこには以下のように書かれている。

  「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基づく権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」

 従来、国際法学において、「個別的又は集団的自衛の固有の権利」とあるうちの「集団的自衛の固有の権利」を、従来認められてきた「自衛権」とは別の「集団的自衛権」を加盟国の固有の権利として認めたものと解されてきた。これが「集団的自衛権」の歴史の舞台への登場であった。
 しかし、国連憲章制定過程において「集団的自衛の固有の権利」とは何かとの議論はなされておらず、国連憲章においても、その意義、目的、根拠、定義、要件について何も書かれていない。そうすると、国連憲章51条は、従来の「自衛権」概念を何ら変更していない筈であり、従来どおりの「自衛権」を認めたに過ぎない、だからこそ「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って」と書かれているのではないか、というのが私の疑問の根拠であり、私は、その解を上記のように求めたのである。

 勿論、それは単に形式論理、法的論理であるだけではなく、「集団的自衛権」に関する従来の国際法上の定説が、戦後の殆ど全ての戦争、武力の行使を担った諸国家から援用・悪用されてきたこと、それが冷戦構造を支え、覇権構造を支える法的・理論的な論拠とされてきたこと、それは要するに軍事同盟、軍事ブロックを認めるものであって、国連による集団的安全保障体制を崩壊させるものである、との実質論に基づいている。

 ところで、元外務次官竹内行夫氏は、「集団的自衛権」の国際法上の論拠として、「自国防衛説」なる論を立て、「集団的自衛権」は「自衛のための措置」の一つであるとし、「集団的自衛権閣議決定」で掲げる「武力行使3要件」を擁護する論を展開している(「朝日」2014年7月20日朝刊)。

 曰く、「武力行使3要件」でいう、「①わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、②これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」とは、②に重点があり、あくまでもわが国防衛が目的であると。しかし、これが屁理屈であり、結局①が武力行使の主たる要件となり、自衛権ではなく「他衛権」を認める結果となることは明らかである。

 即ち、第一に、上記②には、日米同盟を守ることが含まれる、経済的打撃を受ける場合も含まれるというのが政府答弁である、第二に「これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」とは解釈によりいくらでも広げられるおそれがある、第三に、より根源的であるが「自衛権」は自国への武力攻撃があったときにはじめて認められるものであり、「これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」には認められない、それは先制的自衛権として国際法上違法である。

 似た論理でもよく吟味しなければならない。

 また、その意図も目的も全く異なる。竹内氏の考えは、抑止論であり、日米同盟を強化し、米国とその補完者日本の軍事力で世界の秩序を維持する、そのために「集団的自衛権」を捻じ曲げて解釈する、国内法的には憲法9条の解釈は時の政府の安全保障政策に従属するというものである。私の考えは、国連中心主義、そのために「集団的自衛権」を本来の自衛権の行使態様の一つの現われと解釈をする、国内法的には憲法9条堅持である。

                               (了)

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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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