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戦後憲法9条解釈論争・米国に尻尾をふった最高裁長官(その3)

田中耕太郎の略歴
 1915年東京大学法学部「首席」で卒業、内務省入省。すぐに大学に戻り、研究生活に入る。専攻は商法学。幣原内閣において東大教授(商法学)から国務大臣に就任し、憲法問題調査委員会の委員長をつとめた松本蒸治の愛弟子であり、娘婿でもある。1923年、教授となる。
 戦後、第一次吉田内閣において文部大臣に就任。第90帝国議会・帝国憲法改正特別委員会において、政府案を支持の立場から、憲法9条について、戦争放棄、戦力放棄及び絶対的平和主義の意義を熱心に説いた。
 その後参議院議員(緑風会所属)在任中の1950年2月、第三次吉田内閣により最高裁判事に任命され、さらに同年3月、同内閣の指名により最高裁長官に任命された。
 戦前天皇制の下で軍国主義に手を貸した司法官僚が手付かずで温存された司法部ではあったが、新憲法のもと片山哲内閣で最高裁判事に任命され、初代長官となった三淵忠彦最高裁長官の手により国民に身近な裁判所への内部改革も一定程度は進められた。その三淵路線を引き継ぐべく期待された第二代長官にはリベラルな真野毅判事が有力であったが、これを押しのけての任命であった。吉田首相の強い意向を反映した人事であり、これも戦後の逆コースを象徴するできごとであった。
 なお、最高裁判事を1958年に定年退官した後、真野は弁護士となり、砂川事件弁護団に加わり、大法廷で、田中長官を前にして、かつて田中長官も絶対的平和主義の条項と説明した憲法9条厳守を鋭く迫った。もし良心のかけらが残っていれば耳の痛いことであったであろうが、そんなものとはとうに縁切りしている田中長官は、馬耳東風とばかりに聞き流したことであろう。

 マッカーサー大使と田中長官とが「内密の話し合い」をした(おそらく1959年4月22日)後、8月3日アメリカ大使館発国務長官宛「秘」航空書簡に、再び田中長官の名前が出てくる。レンハート駐日主席公使と田中長官が、7月末に密談をしたというのである。

 「共通の友人宅での会話の中で、田中耕太郎裁判長は在日アメリカ大使館主席公使に対し砂川事件の判決は、おそらく12月であろうと今考えていると語った。弁護団は、裁判所の結審を遅らせるべくあらゆる可能な法的手段を試みているが、裁判長は、争点を事実問題ではなく法的問題に閉じ込める決心を固めていると語った。
 こうした考えのうえに立ち、彼は、口頭弁論は9月初旬に始まる週の一週につき二回、いずれも午後と午前に開廷すれば、およそ三週間で終えることができると確信している。問題は、そのあとで生じるかもしれない。というのも、彼の14人の同僚裁判官たちの多くが、それぞれの見解を長々と弁じたがるからである。裁判長は、結審後の審理は実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っていると付言した。」

 要するに田中長官は、争点を法律問題に絞り早期結審をめざすこと、最高裁での審理に要する期間の見通し、判決時期、判決には社会的影響を考えて少数意見を回避する方針であることなど、米国国務省にむけて「特定開示」をしているのである。

 実は、この「特定開示」の2ヶ月余り前の5月8日付け「朝日新聞」朝刊に、次のような記事が載っている。

 「砂川弁護団の海野主任弁護人ら8人は7日、さきに最高裁第一小法廷が決定した駐留軍違憲判決上告審の弁護人数制限の問題について、同法廷斎藤悠輔裁判長と面会したが、その際同裁判長は、①この事件は国内、国外に大きな影響を与えるものなので、他の事件に優先して審理を行う。このため全裁判官は夏休みを返上して、できれば7月中に口頭弁論を終わり、8月中にも判決を出したい、②弁護人数の制限は、あくまでも審理のスピードアップのためで、弁護団もこれに協力して欲しい、と述べ、同事件の上告審のスケジュールについての最高裁の意向をはじめて明らかにした。」

 この記事によると、砂川事件飛躍上告審は、当初、第一小法廷に係属したことがわかる。その第一小法廷の裁判長は、ウルトラ反動裁判官として歴史に名をとどめている斎藤悠輔判事であった。その斎藤判事と田中長官が協議して、大法廷に回付することを決め、砂川上告審判決を、日米安保条約改定に有利に作用させるような大きな枠組みを設定したのであった。
 
 在日米国大使館主席公使レンハートに、赫々たる戦果を語っている「政治家」田中長官の得意満面の顔が目に浮かぶようである。

 田中長官の話は、まだ続く。辟易とするばかりであるが、もう少しご辛抱願いたい。

                                   (続く)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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